第18話 アグニス

「クソッ!」




 記録の狭間で苛立ちから地面を踏みしめる。


 ギムナでの初日はボーディスの眷属……ボーディスにとっては使い捨ての手駒程度の価値しかなかった者たちを捕らえたことで成功していた。


 アグニスを誘き出すことにも成功したが、そこまでしかできなかった。




「それにしても、この世界に来ると体が元に戻るんですね」




 磨り潰されたはずの頭部を触る。普段と変わらない形の頭があり、触れられたことで数秒前には潰されてしまったのが嘘のように感じられた。




『ここは記録の世界。実体でいるように感じられるかもしれないけど、世界に収められた記録から読み取って作り出した体に過ぎないの』




 幻のようなもの。


 自分なりに解釈して納得させることにする。




「次は、あの執事も捕らえてもらえれば楽なんですけど……」


『おそらく無理でしょうね』


「ですよね」




 カインにもあまり意味がないことは分かっていた。


 敵対することになった状況でもエレナはアグニスの事を信頼していた。そのまま伝えたところで信じてもらえる可能性は低い。




『試すのは自由だけど、回帰を1回無駄にするだけだと思うわ』


「まずは戻ります。俺だけだとアグニスの攻略は難しそうです」




 アグニスとトマスでは決定的な違いが存在していた。


 トマスは呪術が込められた道具を使用することで様々な現象を引き起こしていた。


 ところがアグニスは自身の力で呪術を行使していた。だから特別な道具も必要ないし、道具を介したことによる限界も超えて強い力を使える。


 現状では相対して呪術を使われただけで動きを封じられてしまう。




「エレナ頼りなのは申し訳ないですけど、彼女に何らかの突破口を見出してもらうしかありません」






 ☆ ☆ ☆






 ――13日目。




 トマスを捕らえ、ヴァーエル家へ連行するよう手配する。


 この作業も既に5回目・・・であるため慣れた作業と言っていい。1回目の時にダルキスの口から聞かされた時は興味がなかったため聞き流してしまっていたが、カインと共に聞いていたブランディアがきちんと記憶していた。


 トマスが否定したとしても、告げた名前の人物がボーディスの手駒である事実は変わらないため調査を行えば否定に意味がなくなる。




 ただし、執事のアグニスがボーディスの眷属であることは伝えていない。


 伝えたところでダルキスとエレナに信用してもらうことはできなかった。




「君のおかげで当家が助かったのは事実だ。働きに報いるのは当然のことだ」




 全てがカインの知る通りに進んでいる。


 回帰する前、記憶に怪しい部分があったもののブランディアが記憶しておかげで以前と変わらずに事態は進行していた。




「すいません。お茶のお代わりをもらえますか?」


「かしこまりました」




 ダルキスと共に部屋へ入って来た執事にお茶のお代わりを頼む。


 エレナボーディス家の人間としてではなく、カインのパートナーとして隣にいるよう事前に頼んでいた。そのため接客をする者が別に必要となり、屋敷で最も信頼できるアグニスが対応することとなった。




 アグニスは全く警戒していない。


 トマスたちが捕縛されたことでボーディスによる騒動を乗り切ることができた、とダルキスは安堵している。トマスたちはアグニスの存在など全く知らないため、どれだけ尋問しても存在が明るみになることはない。


 そうして油断しているからこそ心に隙が生じてしまう。




「しかし、大呪術師など名乗っていても馬鹿な奴ですね」


「どういうことだ?」


「だって手足となって働いてくれる者が必要だったとしても、ちょっと尋問しただけで簡単に情報を口にするような奴ばかりです。そんな奴らを量産していたなんて考えなしの馬鹿にしか思えません」


「そうかな。それで追い詰められていたのかもしれない」


「そうかもしれません。けど、そんな簡単に追い詰められるような奴なら封印から解放されても実際はたいしたことないのかも……」




 カインの頭の横――ソファの背もたれにナイフが深々と突き刺さる。


 カインの眼前にはナイフを手にしたアグニスの姿があった。




「これは、どういうことかな?」


「訂正しろ。ボーディス様を愚弄することは私が許さない」


「そんなつもりはない。だって、お前みたいについカッとなるような奴を眷属にするような奴だからな」




 アグニスがいる場で敢えてボーディスを愚弄する。


 敵対者であることを言い逃れできない状況が出来上がる。




「ま、この奇襲については褒めてあげよう。なにせ煽りすぎて最初は避けることができなかった」




 残像を目で追うのが限界な速度。カインも反応することができなかったせいで、1回目は頭に刺さって爆ぜてしまった。


 だが、どれだけ速い攻撃だったとしてもタイミングと場所が分かっていれば回避は容易になる。




「どれだけ言葉を繕ったところでエレナの説得は不可能だった。だから言い逃れのできない状況を作り出して見せる。知り合って数日の人間よりも生まれた時から一緒にいる相手を信用してしまうのは仕方ない」




 隠し持っていた短剣を振り上げてアグニスの腕を斬りつける。


 攻撃を受けたことで冷静さを取り戻したアグニスが後ろへ跳んで離れる。




「こちらとしても好都合だ」




 ソファから立ち上がる。


 座ったままの状態で戦闘ができるはずもなく、仕切り直してくれるのはカインとしてもありがたい。




「一つ報告を忘れていました」


「この状況で何だ?」


「どうやら敵はまだいるみたいで、探し出す必要があります」


「いや……」




 ナイフを手にして立っている時点で探す必要はない。




「問題ない。当家に仕える人間だったとしても敵対したのなら容赦などしなくていい」


「こっちは6回目なんです。簡単に負けるつもりはありません」




 アグニスの突き出したナイフが部屋にあったソファを軽々と貫く。


 横へ跳んで攻撃を回避したカインは平然としている。




「え、アグニスってこんなに強かったの?」




 部屋の中にいる人間の中でアグニスの強さに驚いているのはエレナぐらいだ。


 彼女にとってアグニスという男は優しい祖父のような人物で、戦闘とは無縁に思えていた。




「当然だ。私が幼い頃は【身体強化】だけで護衛を担っていた男だ。そこらの冒険者よりも圧倒的に強い」




 屋敷にはヴァーエル家が雇った冒険者や呪術師が何人もいる。そんな彼らよりもアグニスの方が強い……というよりも2回目の時に騒ぎを聞いて駆け付けた彼らを倒してしまっている。


 ソファから短剣を引き抜くと、ソファを足場にして跳んで天井を蹴ってカインへ短剣を振り下ろす。




「……!?」




 しかし、軌道が読まれていたように体をずらされたせいで攻撃が回避されてしまう。


 部屋を駆け回りながらカインの視線を観察する。




「偶然か」




 アグニスの動きを目で追うことができずにいた。




「また……!」




 部屋の扉を蹴って勢いをつけた突きを隣に動いて回避する。


 カインよりもステータスが高く、持ち前の経験から狭い室内においても十全に動き回って攻撃を繰り出している。


 だが、攻撃が悉く回避されてしまっている。




「4回目!」




 焦りから大振りになったところをカインに投げ飛ばされる。


 流れるように自然な動き。


 まるで最初からどのような攻撃が来るのか分かっていたかのように回避し、アグニスに懐へ飛び込むと投げ飛ばした。




「いや……」




 アグニスは考えを改めることにした。


 カインがギムナに到着してから1日も経っていない。しかも、その時間のほとんどをヴァーエル家の屋敷で過ごし、自由に過ごせる時間もなかったためアグニスについて情報を集める余裕はなかった。




 それが現在のアグニスにとっての考え。


 しかし、タイミングを考えると街に入る前からトマスたち全員の情報が漏れていなければ間に合わない。


 だが、トマスたちの情報に関しては厳格に管理していた。




「ははっ……そういうことか」




 アグニスに【鑑定】のような力はない。


 それでも持ち前の知識から今の状況を満たせるスキルについてはいくつか心当たりがあった。




「未来を予測する、そういったスキルを持っているのか」


「ご想像にお任せするさ」




 さすがに何度もやり直せるスキルを持っているとは予想できず、似たようなスキルを持っていると推測してしまう。


 だが、過程が間違っていたとしてもアグニスにとってはどちらでも構わない。


 彼にとって重要なのは、自らの動きが読まれてしまうということ。




「攻撃の軌道なんて関係ない。それは騎士であった時の話だ」




 アグニスの足元にできた影から人よりも大きな手が出現する。


 トマスも使用していた呪術で、呪力が込められている手。実体があるわけではなく、あくまでも呪術による攻撃の照準をサポートするものであり、呪術師は狙いを定めやすくなり、触れられた者も視覚的なイメージから『攻撃された』という意識が強く反映される。


 左手の形をした影の腕がカインへ向かい、右手が別の場所へと向かう。




「わ、私か!?」




 右手が向かう先にいたのはダルキス。戦う力のないダルキスでは腕に掴まれた瞬間、呪術から逃れることができなくなって致命の一撃を受けることになる。




「こうなることを知っていたのね」


「エレナ?」




 ダルキスの前にエレナが割り込む。手を正面に掲げた彼女の前には金色に光り輝く六角形の壁が出現しており、突撃してきた影の腕を阻んでいた。ただし、影の手が触れている場所から光の壁が黒く塗り潰されており、犯されているのが簡単に理解できた。長時間は耐えられない。


 壊れそうになるのを見て意識を集中させると元の状態へ戻る。普段なら新生させることも不可能ではないが、今はアグニスの裏切りに動揺しているせいで魔法が不完全にしか発動しない。


 防御だけに集中していればダルキスを守り切るのは不可能ではないが、それでは事態が好転することはない。




「それでいい」




 エレナには「ダルキスが近くにいる場では彼を護ることを最優先に動いてほしい」とお願いしていた。依頼主であるし、エレナの父親であるため敵が誰なのか分からない状況であっても最優先に守りたかった。


 家族の次に信頼している者の裏切りに動揺しながらも、家族を守る為に体が動いていた。




 カインも長期戦を望まない。


 迫りくる影の腕を振り上げた短剣で弾く。




「この腕は人間の精神に作用するものだ。だったら俺が意思を強く持てば防御もできる」




 できる、と強く思い込むことで防御を可能にする。


 影の腕は実体がないから物理的な方法での迎撃はそのままなら不可能だが、精神力によって強化することは可能となっている。


 もっとも精神力を鍛える為にレベルアップで得られたポイントを知力へ多めに割り振っている。




 意思を強く持つことこそ呪術師と戦う上で最も欠かせない。


 それをアグニスとの何度も戦って学んだ。




「だから、どうした!」




 上へ弾かれた影の腕がハンマーのように振り落とされる。


 少しでも触れるだけでいい。しかし影の腕を全く見ていないはずなのに、影の腕が動く直前に動き出したカインが攻撃を回避する。


 狭い室内。攻撃が失敗に終わることは接近を意味する。




「それは3回目で体験済みだ」




 腕を伸ばせば短剣が届く距離まで跳ぶ。




「……っ!」




 短剣を構えたままカインの動きが止まる。影の腕は未だにカインの後ろにある床を叩いたままだ。




「残念だったな。目の前にある2本の腕にばかり意識がいっていたみたいだけど、呪術で作った腕が2本だけなわけがないだろ」




 アグニスの足元にある小さな影から突き出た2本目の右腕。それがカインの胸に突き刺さっている。




「これは予想できなかった。このまま心臓を捻り潰してやる」




 胸に沈み込んだ影の腕が心臓へと向かう。


 心臓に触れるだけでカインは再びやり直すことになる。




「ぐわっ!?」




 アグニスの顔から悲鳴と共に白い煙が上がる。まるで火に焼かれたような状態になるが、火など浴びせられていない。


 直後、呪術で作られた3本の腕が全て蒸発して消える。




「……うまくいったか」


「まさか……狙っていたのか!?」


「呪術師を相手にする必要があったから俺は【光魔法】と【回復魔法】をエレナに頼んで鍛えてもらうことにしたんだ」




 スクロールで入手できた二つの魔法。


 どのように鍛えれば強くなるのか簡単なレクチャーだけ受け、気の遠くなるような時間を鍛錬に費やした。幸いにして記録世界で無限に等しい時間があったおかげで、どちらの魔法の上級レベルにまで熟練度を上げることができた。


 そうしてカインが習得したのが【聖魔法】。


 呪術や闇魔法に対して多大な効果を発揮することができる。




「さすがに弱点をついたところで倒せるとは思っていない。だけど、相手が呪術師だからこそ通用する力がある」


『そこで私を利用することにしたのね』




 本体よりも力が弱まり、一部だけだったとしてもブランディアは女神だ。




「今のは……まさか!!」


「そうだ。お前が見たのは女神だ」




 呪術師にとって女神は天敵とも言える存在。女神の使徒や彫像を見た程度では何の問題もないが、その姿と威光は目にするだけで苦痛を伴う。




「【聖魔法】の基本は神の存在を感知し、攻撃へと変換する。エレナは専門じゃないし、ちょっと独学で練習しただけの【聖魔法】だと大きなダメージは与えられなかった」




 影の腕は呪術でアグニスと繋がっており、カインの体に触れていた。


 カインとアグニスの両者は、あの瞬間に感覚が繋がっていた。




「女神を感知する力を【聖魔法】で強化して、お前とも共有できるようにさせてもらった」


「まんまと罠に掛かったわけか」




 顔を押さえるアグニス。手の中からポロポロと固くなった肌が落ちていく。




「……そこまでダメージがあるとは思っていなかったな」




 落ちているのは固くなった肌などではなく、崩壊する肉体そのもの。


 呪術師が女神を感知したことでダメージは魂にまで届き、肉体にも影響が現れていた。


 次第に崩壊は顔だけに留まらず、手や足からも始まる。




「こんな……こんなところで終わるわけにはいかない! 私は、ボーディス様を封印から解放しなければ……目前にして50年の苦労が! ようやく封印の場所まで知ることができた、というのに……」




 風が吹き抜けて崩壊したアグニスの体を運んでいく。


 アグニスの残した悲痛な叫びが部屋の中に響く。




「――何が起こったのか事情は説明させてもらいます。これまでに4度もあいつと戦って何があったのか」




 敗北しても諦めず回帰してやり直した。




「それから、いい加減に封印について教えてもらいましょうか」

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