第12話 路地裏の影

 夜闇のように黒い世界。明かりとなるのは遠くにある星のような光と目の前に置かれた炎が灯った燭台のみ。


 女神ブランディアの使徒が死亡した際に訪れる場所――記録の狭間だ。




「どうして……」




 呆然とした様子でカインが呟く。


 この場所を訪れた、ということは直前に死亡したということなのだが、カインには死亡した覚えが全くなかった。


 路地で男の子と別れた後、大通りを歩いていたところまでの記憶しかなく、誰かに襲われた記憶もない。


 気付いた時には死んでいた。




「そうだ。ブランディア様は何か覚えていませんか?」




 ブランディアの存在を思い出して尋ねる。


 カインの隣にいたのなら同じ物を見ていたはずであり、倒れた時に意識が朦朧としていて覚えていなかったとしてもブランディアなら正常な意識が継続しているため覚えている可能性が高い。


 カインが気付けなかったことでも情報を共有しているため気付いているかもしれない、という願望があった。


 だが、ブランディアも気付けなかったらしく首を横に振る。




『残念だけど私も気付いたらここにいたわ』




 死因が不明。


 何度でもやり直せる加護を与えられたが、これほど恐ろしいことはなかった。


 原因が分からなければ対策も立てられない。




「まさか病気!?」




 健康に思えた人が唐突に胸を押さえて倒れ、そのまま亡くなったという話を聞いたことがあった。その人は病気を抱えており、体調が悪化したことによって死へと至ってしまった。


 何の前触れもなく死んでしまった状況に心臓の病気を疑う。




『いえ、それだけはないわ』




 病気による死亡をブランディアは否定する。




『神の持つ【鑑定】は人間のスキルによるものを大きく上回るわ』




 その気になれば相手の健康状態だって見破ることができる。


 使徒に選ぶ前に確認したカインの情報に病気を患っているようなことはなく、今にも負傷で死んでしまいそうな状態ではあったが、回復さえすれば十分に生きられる素養があった。


 少なくとも数日前まで唐突に死んでしまうような病気は患っていなかった。




「今はどうです?」


『残念だけど見えないわ』




 使徒になった時点で人間を超越している。不老不死ではないが、病気で簡単に死ぬようなことはなく、神でも運命を見破ることができなくなっていた。


 それだけ世界に与える影響が強い。




「まずは今回の死因を探るところから始めましょう」


『どうやって?』


「前にブランディア様は言っていましたよね。干渉しなければ同じ行動を繰り返すことになるって」




 ダンジョンでは魔物や罠の位置は回帰前と変わらなかったし、同じ時間に同じ人間がギルドにいた。


 違いは本来よりも早く魔物が倒された時や異なる時間にギルドを訪れた後の出来事だ。




 同じ時間を体験したカインだけが干渉することができる。


 カインが回帰前と同じ行動を取れば全てが同じ結果へと帰結する。細かい部分が違ったとしても他社への影響は小さく、カインの身に起こる出来事も大きく変わらない。


 同じ行動をすることで、同じ結果を迎える。


 そうすることで回帰前の結末も知ることができる。




『いいの? そんなことをしたら次も死は不可避だけど』




 あくまでも死因を調べるだけ。対策が何もない状態で同じ状況を迎えれば死を回避するのは不可能となる可能性が高い。たとえ何らかの方法で死を回避することができたとしてもクエストを思えばやり直すしかない。


 確実な死が待つ結末。




「かまいません」


『私は強制しないわ。このままギムナから離れるという選択肢もあるわよ』


「冗談言わないでください。俺はこんな凄い力を与えてくれたあなたに感謝しているんです。だからあなたの為になるなら喜んで1回ぐらい死んでみせますよ」




 それだけ言って新たに増えた燭台の前へ移動する。


 メインクエスト③が開始されたことで増えた燭台だ。この燭台の炎を消すことでメインクエストが開始された時へと戻ることができる。




「では、やり直します」




 カインの視界が夜闇から門によって生まれた影の中へと変わる。






 ☆ ☆ ☆






 ヴァーエル家へエレナによって案内され、まずは二人だけで話を進めるよう言い残すと再び街へと出掛ける。


 些細な問題が発生してしまう。


 前回はあちこちの店に顔を出し、買い物をしながら情報を集めていた。どの店を巡っていたのか自分の手にあった商品を思い出しながら話を聞いていく。以前にも聞いた話であるため受け答えに齟齬が生じ、微妙な差異は発生してしまうかもしれない。


 だが、その程度の差なら問題ない。




 そもそもカインが誰かに襲われたのなら、なぜ襲われることになったのか。




『これだけ情報収集していたら目立っても仕方ないわよね』




 祭りについて調べており、 大呪術師と敵対しているヴァーエル家に出入りしていた。


 邪魔に思う者なら排除しようと動いてもおかしくない。




『こっちに敵意を向ける者は今のところいないわ』




 大通りには多くの者がいる。そんな場所で自分に敵意を向ける者を見つけるなどということがカインにできるはずもない。


 人の多い場所で必要のない方へ顔を向けていれば不審に思われてしまう。しかし、カインの隣にはあちこちへ顔を向けていたとしても不審に思われない協力者がいるため探すのに苦労はしない。




『怪しい人物はいなかったわ』




 結局、カインを敵視する者は見つけられなかった。




『もう目的地に着いてしまったから探すのはここまでね』




 前回と変わらず行動できていたらしく、空腹な男の子が路地の入口で待っていた。


 今回の目的とこれまでに起こった出来事はブランディアに説明している。容姿と状況だけでも同じ状況へ至れたことにブランディアも気付けた。




「どうしました?」




 小声で呟く。


 他の者に悟られないよう視線だけを動かして隣に浮かぶブランディアを見れば、路地の奥――男の子がいる場所よりも向こうを睨み付けるように見ていたのが少し見ただけで分かった。




『正確に言うなら奥にある暗い場所よ。あそこは危険だわ』




 大通りを歩いているうちは気付けなかった。だが、こうして路地へ近付いたことで見えるようになったことがある。


 基本的にブランディアはカインの傍にいる。偵察で一時的に離れることは可能だが、それでもカインを中心に半径50メートルが限界だし、理由がなければカインから離れようとしない。


 今はカインから離れて路地の奥へ行くことができずにいた。




「行こう」




 奥に何かがあるのなら正体を知る必要がある。


 前回、自分を殺した何かが待ち構えているかもしれないのに臆することなくカインは歩みを進める。




「どいてくれ」




 前へ進もうとするカインの前に男の子が両手を広げて立ち塞がる。




「いっちゃ、ダメ」


「ダメって……」


「おれい」




 今回も接点を持つため串焼きと菓子を渡しており、そのお礼だと言わんばかりに奥へ行かせないようにしていた。




 確信を持つには十分な行動。


 だが、問い詰めるつもりはない。ちょっと恵んであげた程度で絆される子供がカインを危険な目に遭わせられるとは思えない。前回は何もしなかったが、それはカインが路地の奥へ進もうとしなかったからだろう。今は子供の目から見ても進もうという意思が明確に感じられた。




「悪いけど、奥へ行かないといけないんだ」


「……ダメ!」




 男の子の静止を振り切って奥へ進む。


 次の瞬間、全身が麻痺したような衝撃に襲われて足が止まる。




「な、にが……」




 どうにか振り絞った声も途切れ途切れだ。




『カイン! しっかり気を強く持ちなさい!』




 相手の動きを封じる攻撃。体を動かすことができてなくても正面に回り込んだブランディアの強気な声はカインに届いていた。




『これは呪術よ!』


「じゅ、じゅつ……」




 呪術。


 魔法とは異なる方法によって様々な現象を起こす力。


 強い効果を求める場合、相応の糧と難しい条件を求められてしまうが、満たすことができれば相手の動きを完全に停止させることもできる。




「この程度の男がヴァーエル家に雇われた助っ人なのか」


「え……?」




 男の子が呆けた声を漏らしながら振り向く。


 背を向けていた格好になっていた男の子には見えなかったが、正面に立つカインには男の子の影から背の高い男が浮かび上がってくるのが見えていた。


 ただし、その顔は藍色のローブで全身を覆っているため見ることができない。




「まあ、誰であろうと関係ない」




 ローブを纏った男が手を掲げる。


 すると、男が出てきた時と同様に男の影から人間の体など簡単に掴めてしまいそうなほど巨大な手が出て来る。


 大型の魔物を思わせるような禍々しい腕。真っ黒な表面に血管のような線が何本がいくつも浮かび上がる様は見ているだけで恐怖から殺されてしまいそうだったが、動きを封じられているせいで逃げるどころか顔を逸らすことすらできない。




「貴様にはここで消えてもらう」




 影から出現した腕がゆっくりとカインの左胸へと延びる。


 触れられても何も感触がない。


 それも、そのはずだ。




「どうなっている、んだ?」




 顔をどうにか下へ向ける。


 影から出てきた腕は、そこに体があるのを無視するかのようにカインの体に沈み込んでいく。


 異様な光景に思わず心臓が速くなるのを感じていた。まるで心臓を鷲掴みされているかのような状況に動揺せずにはいられなかった。




『実際、心臓を掴もうとしているのよ』




 ブランディアが呟く。


 ローブの男にブランディアの声が届くことはなく、目の前で起こっている出来事をカインにだけ伝える。




『地面に杭が打ち込まれているのが見える?』


「ああ」


『その杭は打ち込まれた場所を固定する、といった能力を持っているのよ』




 地面にできたカインの影の上に杭が3本打ち込まれていた。


 胸、腰、右足首。体を動かそうとすれば、そこで止められているかのような違和感を覚えて身動きが取れなくなる。




「もう気付いたのか。それなりにできるらしいな」




 ローブの男が感心したような仕草を見せ、カインの方へ顔を向ける。




「お前が大呪術師ボーディスか」


「まさか。お前のような者でもボーディス様の障害になる可能性のある者なら排除するまでだ」




 ローブを纏った男が掲げていた男が掲げていた手を握り潰す。


 肉体の腕の動きに連動するように影の腕も手を閉じ、掌中にあったカインの心臓を握り潰してしまう。




「が、はっ……」




 血の塊を口から吐き出して地面に倒れる。もう体を固定させていた力は解かれていた。




「素晴らしいだろう。この方法なら物的な証拠は何も残らない。普段ならこんなに接近することはないが、どういうわけなのかお前には通用しなかった」


「そう、か」




 相手の肉体を得て、杭を打ち込むことで衝撃を与える。


 これまで障害になりそうな者はこの方法で接近することなく葬ってきた。カインも同様の手段を取ったが、どういうわけなのか通用しなかった。




「どうやら使徒になった甲斐はあったみたいだ」




 使徒であるカインには遠距離から呪術は弾かれて通用しなかった。


 しかし、至近距離で呪いに形を持たせた攻撃までは防ぐことができなかった。




『前回も同じ方法で殺されたんでしょうね。影の中からなんて警戒していなかったでしょうから、私が気付けなくても仕方ないわね』




 姿を晒すこととなってしまったが、これから死ぬ相手なら関係ないと完全に油断している。


 もうカインの死が回避できないのは事実であるため仕方ない。




「もう、覚えた」


「なに?」


「お前の顔は覚えた。次は上手くやらせてもらうさ」




 カインはやり直すことができる。


 地面に倒れた時に見上げたことで見えた男の顔はしっかりと記憶した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る