第11話 祭りの前

 ギムナの中心部は外が肥沃な大地なのに対し、地面が石畳によって整備されていた。ゴミも少なく定期的に清掃されているのが分かった。


 整備された道は大通りだけでなく、そこから見える路地裏の方までは少なくともあった。




『随分と整備されているわね』


「奥の方がどうなっているのか分かりませんよ」




 カインには理解できた。


 見える範囲は整備されているものの、奥の方には暗く淀んだ世界が広がっている。




「俺はそういう場所で育ちました。どれだけ取り繕ったところで、そういう場所の臭いまで隠せるわけじゃない」




 路地裏を見つめるカインの目も淀んでいた。


 生まれ育ったサマリアルにはスラムと呼ばれる場所が存在していたが、そういった場所は他の都市でも見受けられるため、どこの都市にでもあるありふれた光景でもある。




『なんだか随分と賑やかね』




 話題を変えるべく大通りの方へとブランディアが視線を向ける。


 大通りでは商品を並べ、商いをしている人の数が多かった。普段は同じ場所で商売をしていない証拠に厚手のシートを敷いた上に並べただけであったり、屋台で料理を作っていたりといった様子だ。




「エレナが言っていましたけど、豊穣祭が数日後にあるらしいです」


『豊穣祭。そういえば参加するのは初めてね』




 カインの前にもブランディアの使徒だった者はいる。そういった者に今と同じように同行していれば彼女も体験することができる。


 初めて祭りを体験するのはブランディアだけでなくカインも同様だ。これまで祭りを楽しむ余裕などなく、多少は身綺麗になれた今だが以前は屋台に近寄るのすら拒絶するような姿で参加することなどできなかった。




『祭りがあるから外壁でも普段以上に厳しく審査されていたはずよ』




 行列ができていたのは人が多い事だけが原因ではない。


 審査そのものに普段以上の時間を掛けているのも原因だった。




「サマリアル以外の大きな都市へ行ったことがないから分からないですね」


『そんな調子でよく簡単に出て行こうと思ったわね』




 気付いた時には孤児だったようなものだ。外へ行ける金銭もなく、また都市から出る必要もなかった。




「ま、それほど長く滞在するつもりはありませんから俺には関係ありませんね」


『あら、そうなの? この数日の旅でも彼女とけっこう仲良くしていたし、過ごし易そうな都市だから滞在するのもいいと思ったのに』


「これまでの旅で何も見ていなかったんですか?」


『えっと……』


「途中で立ち寄った街では冒険者ギルドへ行きましたよね」




 依頼を受けたのはウォルトだけだったが、馬車は1日の終わりを街や村で過ごせるよう日程を調整しており、昼間も時間に余裕があれば休憩で立ち寄っていた。




「ギムナは最果ての街として知られています。ここよりも先に村もありますけど、ここから先に大きな街はなくて、自然豊かな土地が広がるばかりです。あまり奥へ行きすぎると魔物の巣窟になっていますが、滅多なことでそこまで行くことはありません」




 奥へ行かなければ安全。ギムナ周辺は魔物が出没しない土地として知られていたため、土地を開墾することができた。




「メインクエストを進める為には俺のレベルを上げる必要があります。幸いレベル以上のステータスが得られるので、高レベルを目指すのは不可能ではないと思っています」




 ただし、そのためには魔物と戦う必要がある。


 奥地まで行って魔物と戦うのも魅力的だが、今の実力では何もできずにやり直す可能性の方が高い。


 何事にも適正レベルというものが存在する。


 当面の目標としては別の場所でレベルを上げるつもりでいる。




「さっき街へ入った時に『メインクエスト③が開始されました』という神託が届きました」




 セーブもきちんとされているはずだ。




「クエストの内容は『大呪術師ボーディスを封印せよ』でした。メインクエストを達成するまではいるつもりですけど、ボーディスとは何者ですか?」




 エレナからは実家の事情もあって聞くことができなかった。だが、こうして一人になった状況ならブランディア経由で知ることができるかもしれない。


 相手について知っていれば有利に立ち回ることもできる。




『さて、何者かしらね?』


「あの……」


『私だって何も知らないわ。私はあくまでも女神ブランディアの意思の一部でしかないの』


「本体は別にいるってことですか?」


『そんなに単純な話ではないわ』




 ブランディアは口を噤んでしまった。


 現状、大呪術師ボーディスについてブランディアから聞き出すことはできない。


 クエストについては自力で情報を集めるところから開始するしかなかった。




「街に入った瞬間にセーブされたということは、この街で何かが起こるのは間違いないかと思います」


『それには私も賛同するわ』




 情報収集。


 まず目につく異変として近々開催されるであろう祭りがある。都市の中心部で行われるらしく、外壁近くでは見かけなかった露店や屋台が中心部へ近付けば近付くほど増えていくようになっている。


 現在カインは中心部から外へ向かって歩いていたため、祭りの喧騒も徐々に落ち着きを取り戻していた。


 カインの目に瓶詰されたジャムが入る。自然と足が近付いて瓶から漂ってきた果物の甘い臭いを感じ取る。




「美味しそうですね」


「分かるかい? 森で採れた新鮮な果物から作ったジャムなんだ。祭りまでは時間があるけど、近くの村からも多くの人がギムナに来るからね。本格的に人が集まって来るのは本際のある4日後だから、今のうちに買っておいた方がいいよ」


「できれば日持ちする物があると嬉しいですね」


「あいよ」




 勧めてくれた物とは別のジャムを手渡してくれる。カインの身なりを見れば冒険者や旅人であることは予想できるため最初から用意されていた。


 代金を少しだけ多く渡す。




「ちょっと多いよ」


「その代金は受け取っておいてください。聞きたいことがあるんです」




 気になっていたことを尋ねる。




「ところで、これは何の祭りなんですか?」


「知らなかったのかい」


「豊穣祭だということは知っています」




 秋の収穫を祈願して行われる祭り。




「知りたいのは、祭りが行われるようになった理由ですね」


「あたしたちも詳しい事情は知らないよ。なにせ100年以上も前から続いている祭りだからね」




 カインは知らなかったが、元々ギムナを中心とした地域は自然の溢れる広大な土地だったが、人の手が全く加えられていない場所だった。


 そんな場所を徐々に切り開いて農耕地域にし、人々を先導したのが当時から領主だったヴァーエル家だった。


 僻地での開墾になど興味のなかった王都。気付いた時には国を支える農業地域となったため興味を惹くこととなった。しかし、国が秘密裏に調査しても何も見つけることはできなかった。知っていると思われるのはギムナ家の当主ぐらいで、真相はギムナ家の執事にも知らされていない。




「奇跡が起きて今のギムナになった。そんな状況を誰かに感謝する為に行われている祭りなんじゃないかって言われているよ」


「誰か、って誰ですか」


「そんなの誰でもいいじゃないか」




 結局は祭りの詳しい理由については分からなかった。


 それでも民衆にとっては楽しめているから問題は何もなかった。




「ありがとうございました」


「これぐらいなら安いもんだよ。4日後の本祭には、目玉商品も持ってくるつもりだからまた顔を出してくれると嬉しいね。本祭では本当に綺麗な火柱が上がるから見物だよ」


「はい。あなたが覚えていてくれれば絶対に顔を出しますね」




 屋台を離れる。


 その後も大通りに並んだ店に顔を出しながら話を聞いて情報を集める。




「やっぱり誰も祭りの起源を知りませんでしたね」




 ただ楽しむ為の祭りになっていた。


 そうであったとしても商売をしている者たちにとっては、祭りそのものが絶好の商機であるため起源なんて気にしていなかった。




『本当に情報を集めていたの?』




 ブランディアの視線がカインの手にある串焼きへ向けられる。




「うっ……」




 串焼きだけではない。甘い果実を使った菓子まである。


 情報収集よりも、いつの間にか祭りを堪能してしまっていた。




「そ、それよりも分かったことがあります」




 誰もが楽しみにしていた。とくに4日後の『本祭』と呼ばれるイベントでは、夜に火が焚かれて幻想的な光景が広がる。その光景を楽しみに訪れる人も多く、最後のメインイベントになっていた。


 本祭の数日前から店が開かれ、街は喧騒に包まれる。


 今日は準備段階だったが、祭りの真っ最中と言ってもよかった。




「ちょっと祭りの空気にあてられてしまっただけです」




 目につくままに購入してしまったせいで両手がふさがってしまった。


 両手が使えないせいですぐ確認することができないが、財布の中身もかなり軽くなっているはずだ。




「とりあえず冒険者ギルドで金を下ろしてくる、か……」




 誰かに見られていることに気付いて足を止める。


 感じた視線の方へ顔を向ければ路地の入口から一人の男の子が羨ましそうに自分のことを見ているのに気付いた。




「いや、俺じゃないか」




 男の子の視線はカインが持つ串焼きや菓子へ向けられていた。


 年齢は10歳ぐらい。見るからにみすぼらしい格好をした男の子で、自分も数年前は似たような恰好をしていたことを思い出した。




「俺も偉くなったもんだな」




 自分の姿と比べて憐れんでいることに気付いた。


 男の子と同じ立場だった時は、気の赴くままに食べ物を手にしている人たちのことを見ては恨めしく思っていたが、いつの間にかその立場になっていたことに男の子に気付かされた。


 男の子へ近付くと串焼きを差し出す。




「食べるか?」


「……いいの?」


「よくなかったらこんなことは言わないよ」




 男の子が串焼きを手にする。


 串を手にしたままジッと見つめている間にタレが垂れ、男の子の手をベタベタにしてしまう。




「おなか空いていたんだろ」




 そう言うと男の子のお腹から「ぐぅ~」という可愛らしい音が鳴り、一心不乱に串焼きを口へと運び始めた。


 よほど空腹だったのか一瞬で串焼きは消えてしまった。




「頑張るんだぞ」




 男の子は言われている意味が分からず首を傾げている。


 居た堪れなくカインは男の子から離れるべく背を向ける。




『あんなことをして何になるの?』


「あんなこと、ですか」




 再び大通りを歩き始めると隣にいるブランディアが話し掛けた。




『今だけあの子の空腹を紛らわせたところで、あの子がどれだけ生き延びられるのか分からないわ』




 男の子は路地裏で生きる浮浪児だ。頬は痩せこけており、手足の成長も歳相応ではない。普段から空腹で栄養が不足している証拠だ。


 今日を生き残ることができたとしても、明日や明後日……一週間後まで生き延びられる保証はない。


 ただし、今日のように運がよければ生き延びられるかもしれない。




「俺は運がよくて大人になるまで生き延びることができました。今のように気紛れで恵んでもらったこともあります……いや、運だけじゃないですね。生き延びる為ならそれこそ泥だって啜っていましたから」




 口にもしたくない苦労があった。


 だからこそ今も生きられている。




「俺がやったことなんて神様から見て自己満足に過ぎないんでしょう。だけど、自己満足で食料を与えてくれる人の目に留まったのは、あの子の運によるものです。あの子は運がよかったから腹を満たすことができて、俺は恵んであげた事実から優越感を得られた。それだけです」


『いいんじゃないかしら。単純な同情心だけで恵んだのなら呆れるところだったけど、開き直っているなら感心するわ』


「へへ」






 ――突然、視界が真っ黒に染め上げられる。

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