30:常識が終わりを招く

 気付けば、七月も半ばを過ぎていた。

 結菜は相変わらず、商業漫画の原稿と並行して、ポートフォリオ用の作品を作り続けている。

 アルバイトでシフトが入っている日もあるから、これまで以上に時間に追われる日常だった。

 おかげでなかなか家事全般に手が回らず、睡眠時間を確保するのにも、ひと苦労していた。


 そこに救いがあったとすれば、やはり颯馬が身の回りの世話を焼いてくれていることだろう。

 三食のうち昼と夜は、二日に一度何か用意してくれる。手隙てすきの際には、一二〇三号室各部屋と浴室の掃除も引き受けてくれるから、大いに助けられていた。


 ――いくら颯くんがオカン系男子で、自発的に家事を手伝ってくれているにしろ、これはそのうち埋め合わせしなくちゃまずいだろうなあ。最近はあまりに迷惑を掛けすぎている……。


 結菜は、脱衣所で洗濯機の中に衣服を放り込みながら、ぼんやりと考えた。

 原稿の合間に仮眠する際は、直前に洗濯機を回しておくのが習慣なのだ。

 ときどき、寝ぼけて脱いだ下着が行方不明になったりすることもあるため、これで毎回洗濯物が全部片付くわけではないのだが。


 ――まあ颯くんの件を含めて、私の身の回りの問題は正直、新しい仕事が取れれば大抵解決しそうなんだけどねー。なかなかそうはいかないので、現実は世知辛いなあ……。


 むむむ……とうなって思案してみたものの、現状は「目の前のことに全力で取り組むしかない」というのが、結菜なりの結論になってしまう。経済的な見通しが立てば、おのずと周囲に迷惑を掛ける要素は減り、生活面の不安も消えるはずだ。


 もちろん将来のことを考えるなら、漫画を描く以外にも定職を持つ選択肢はあるだろう。

 しかしさりとて、自分が絵を描く以外に何をできるかというと、さっぱりわからなかった。

 漫画に染まった生き方のせいで社会経験にとぼしい、痛い二五歳だという自覚はある……。



 午後二時過ぎから仮眠して、午後四時頃に起き、洗った衣類を浴室で干す。

 漫画の作業を再開すると、今日も午後五時過ぎに颯馬が部屋へやって来た。

 颯馬は、仕事中の結菜に二言三言掛けてから、いつものようにキッチンに立つ。

 それから午後六時半にダイニングへ呼ばれ、テーブルをはさんで夕食になった。


「そう言えば昨日、飛上さんから以前の件で連絡があったんだけどね」


 颯馬は、揚げたてのメンチカツをはしで割りながら言った。



「メッセージによると『まどかと別れることになりました』って話だったよ」



 結菜は、スプーンを持った手の動作を、反射的に一瞬止めた。

 だがひと呼吸挟んでから、「ふうん……」とつぶやき、再開する。

 透き通ったオニオンスープをすくい、ゆっくりと口唇まで運んだ。


 その所作を差し向かいの席から、颯馬がじっと見据えているのがわかった。


「あまり驚かないんだね、結さん」


「何となくそうなるかもしれないなって、このあいだから思っていたから」


 結菜はスプーンを置き、メンチカツにソースを垂らしてから続ける。


「きっと颯くんだって、そうなりそうだなって考えていたんでしょう?」


「……飛上さんとは一応、また週末辺りに会う必要があると思う」


 問いには答えず、颯馬は白米をひと口嚥下えんげしてから言った。

 しかし結菜の見立てを、積極的に否定する言葉はなかった。


「先日相談を持ち掛けられたあと、何がどうして佐渡さんと別れることになったかを、飛上さんから可能な範囲で聞かせてもらいたいからね。それから、もう一度『彷徨えるタペストリー』も見せてもらって、結さんには改めて『霊視』して欲しいんだ」


「それはつまり、まだタペストリーに怪異がいているかをたしかめたいってこと?」


 再度、結菜は問いを重ねる。

 颯馬は「うん、まあそういうことだね」と答え、またメンチカツへ箸を入れる。

 適度な大きさに割り、口の中へ運ぶと、よくんで飲み込んでから続けた。



「もしかして結さんは、僕が飛上さんに伝えた助言の内容を、気に入っていないのかな」


 逆に質問を投げ掛けられ、結菜は思わず言葉に詰まった。

 颯馬は記憶を手繰るようにして、尚も自らの所感を述べる。


「飛上さんの部屋にお邪魔した翌週の月曜日にも、結さんは同じことで不満を感じていたみたいだったよね。何かモヤモヤしている様子でさ……」


 改めてかれると、正直なところは結菜にもよくわからない。

 それは颯馬が飛上の相談に乗って、虚偽を含んだ言葉を述べた直後から今も。だからあのときも横から口を挟んで、颯馬の発言をさえぎったり、事実ではないと糾弾したりしなかった。


 ひょっとすると自分は、飛上を陥れたような状況に良心の痛みを覚えていて、またそれを制止しなかったことについても、理由はどうあれ失望を感じているのかもしれない――

 などと、結菜は心の中でぼんやり考えていた。




     ○  ○  ○




 結菜と颯馬は、次の土曜日に再び、飛上の部屋で面談することになった。

 その日も午後一時半頃に一〇〇一号室を訪ねると、リビングへ通された。

 飛上はローテーブルを挟み、結菜や颯馬と対面の位置でソファへ腰掛ける。

 それから佐渡まどかとの怪異を巡るやり取りについて、静かに語りはじめた。


「お二人に怪奇現象の件で相談したあと、次にまどかと会って話したのは、すぐ翌週の日曜日でした。助言をもらって以来、パッチワーク関連のキルト作品や端切れの怪異に関して、この際は極力早く打ち明けてしまった方がいい、と思うようになりまして。その方が自分としても、恋人に隠し事しているという後ろ暗さで悩まなくて済みますからね」


 そうして連絡を取った結果、案外容易に互いの都合が付いたという。

 飛上は、自分が遭遇している奇怪な体験を、この部屋で恋人に思い切って語り聞かせた。

 話を切り出すと、まず佐渡は困惑した表情を浮かべた。飛上が何を言っているか把握できない様子で、何度も話の内容に関して訊き返し、やや混乱していたようだった。

 だが佐渡もしばらくして、飛上がパッチワーク関連の品々を処分できない理由は「怪奇現象のせい」だと説明していることを、どうにか理解したらしい。


 以後は激しく憤慨し、飛上のことを強い言葉で批難しはじめた。

 それはある意味では、常識人としての自然な反応だったに違いない。

「パッチワーク関連の品を処分せずに済ませようとして、飛上は幼稚な嘘をろうしている」――

 怪奇現象に関する告白を、佐渡はただちに信用せず、そのように受け取ったのだろう。

 あるいは飛上が、「幼稚な嘘」で「恋人を誤魔化ごまかすことができる」と考えたこと自体に対し、自分が馬鹿にされたと思い込んだのかもしれない。実際には無論、飛上は虚言など弄していないし、恋人を馬鹿にしたりもしていなければ、むしろ誠実な対応を取った結果なのだが。



「正直そのあとは、まどかをなだめるのに随分ずいぶんと骨が折れました。当たり前と言えば当たり前なのですが、やはり怪奇現象の実在を本気で信じている人は多くありません。私だって自分が接触してみるまでは、ああいうものは単なる作り話だと思っていしたからね……」


 飛上は、ちからなく微笑し、緑茶をひと口飲んで喉をうるおわした。


「ただそれでも、まどかを何とか落ち着かせて、粘り強くやり取りを続けましたよ。どうか私の言葉を信じて欲しい、君の希望をないがしろにし、自分のキルト作品や生地を守ろうとしているわけじゃない……と、そう言ってね。さらにその上で、芹沢くんから助言されていた通り、まどかに『もし信じられないようなら、私と一緒にごみ捨て場でキルト作品を処分しよう』と持ち掛けたのです」


 持ち掛けられた提案に対し、佐渡は少しだけいぶかしむような素振りをのぞかせたそうだ。

 もっともすぐに承知して、廃棄作業を手伝い、自らもごみ捨て場まで同行したという。

「口論の種になった品を処分できるなら、もう何であれかまわない」と考えたのだろう。


 だが、それにより佐渡もまた、怪異と遭遇することになったらしい。

 ……しかもそれまで、飛上が一切予測していなかったかたちで。


「いったい予測していなかったというのは、どういった状況ですか?」


「いやこれはまた、本当に思いも寄らなかったことなのだがね……」


 うながすように颯馬が問うと、飛上は左手の甲で額の汗をぬぐった。

 やはり颯馬に対して語り掛ける際には、少し砕けた言葉遣いになる。

 飛上は、メガネを掛ける位置を丁寧に直してから、ゆっくりと続けた。


「私とまどかで一緒に処分した品は、これまでと違って、この部屋に戻ってこなかったのだよ。ちょっと意外な展開で、私も驚いた。てっきり、またここへ戻ってくると思っていたからね」


「そうだったんですね。じゃあ、キルト作品や端切れを処分することはできたんですか」


「ところが結局、そうはいかなかったのさ。むしろ、もっと厄介なことが起きてしまった」


 飛上はかぶりを振って、嘆息混じりに答えた。

 口の端をゆがめ、苦々しそうな面持ちだった。



「なんと捨てたはずの品々は、まどかの家に出現したらしい。まったく、信じがたいことに!」



 ……飛上が佐渡と共に、キルト作品や端切れを処分した翌日。


 飛上のスマートフォンに深夜、メッセージアプリの着信があったらしい。

 月曜日の午前零時過ぎで、そろそろ就寝の準備をはじめていた頃だ。

 待ち受け画面を確認すると、佐渡まどかの名前が見て取れた。

 さらにその下には、送信されてきた内容が表示されている。

<今すぐ、電話してもいい?>という、ごく短いテキストだった。


 飛上はそれを見て、ちょっと珍しいな、と思ったという。

 週明けで平日にもかかわらず、佐渡が遅い時間に連絡を寄越よこすのは、たぶん付き合いはじめて間もない時期以来だったからだ。ましてや昨日、じかに会ったばかりではないか。


 嫌な予感を覚えつつ、飛上はアプリを開いて返信した。

 もちろん電話してきてかまわない、という旨を打ち込む。

 すぐに既読が付いて、間を置かず電話が掛かってきた。



 アプリの機能で通話に応じると、佐渡の声が聞こえた。


<――やだ。怖い、孝晴さん>


 酷く差し迫った様子で、必死に言葉をつむいでいるのがわかったそうだ。

 飛上は何事かと驚き、不安に駆られ、焦らずにいられなかったという。


「もしもし? どうしたんだ、こんな時間に。何かあったのかい」


<あ、あの……あるの、今ここに。あの、昨日捨てたのが――>


「何? 昨日の、何がどうしたって。落ち着いて言ってご覧」


 佐渡が発する言葉は震え、聞き取り難かった。

 それで飛上は、スマートフォンを耳に当て直し、もう一度早口でき返した。

 すると、突然感情的な口調で、佐渡がスピーカー越しに訴えてきたらしい。



<今ここにあるの、孝晴さんと一緒に捨てたはずのタペストリーが!>


 それはほとんど、悲鳴以外のなにものでもない声音だった。


<あのときに二人で間違いなく、マンションのごみ捨て場に処分したのに――どうしてなのかはわからないけれど、いつの間にか私の部屋に置いてあるのよ!>



 飛上は愕然がくぜんとして、より詳しい状況を恋人に問いただした。

 それから真夜中にもかかわらず、車を出して佐渡の居宅まで駆け付けた。

 泣きわめく佐渡をいたわり、はげまして、夜明け前まで付き添い続けたようだった。

 やがて朝になると、職場の学校にはそのまま一睡もせずに出勤したという――……。



「あの日のことは、色々大変だったせいで忘れられません。とはいえ状況はむしろ、それ以後に余計悪くなっていったので、思い返せばまだ大したことはなかったのですが。それでも難儀したと強く印象に残っているのは、『自分以外の誰かのところにタペストリーが出現した』というのが初めてのことで、それだけ動揺していたからでしょうね……」


 飛上は、緑茶を二口三口とまた飲みながら、静かな口調で言った。


「それにしても、本当に驚かされました。てっきり廃棄した品は、自分の部屋に戻ってくるものだとしか思っていせんでしたからね。ごみ捨て場に同行しただけで、まさかあのタペストリーがまどかの部屋に渡ってしまうとは。何というか――怪奇現象に出くわす呪いが、ひょっとすると自分からまどかに伝染したのではないかと思えて、怖くなってしまいましたよ。そうして私自身でさえそうだったわけですから、まどかがどれだけ混乱していたかは、ある程度察して頂けると思います」


 それから飛上の言葉通り、以後の事態はいっそう悩ましい方向へ展開していく。

 なぜならパッチワーク関連の品々は、このあと様々な手段で何度となく処分しようとしても、必ずからだ。


 ただ捨てるのではなく、刃物で細かく切りきざんで捨てても、焼却して灰にしてもそうなるし、飛上が再度自分一人で捨ててみても、第三者に頼んで別のごみ捨て場へ捨ててもらっても――

 常にキルト作品や端切はぎれの数々は、佐渡まどかの部屋に出現するようになった。

 しかもその都度廃棄される以前の、元通りの形状を取り戻して。


 佐渡は、理解し難い現象に取り乱し続け、飛上が連絡を取るたびに泣き喚いていたという。



「……ただし、こういったことが起きるようになっても、以前と変わらないことはありました。それはまどかの、いかにもあの子らしい部分と言うべき点だと思うのですが――」


 飛上は、メガネの奥で半ばまぶたを伏せ、悲しげに続けた。


「まどかは繰り返し怪奇現象を体験しても、あくまで非科学的なことを信用していません」


「そうなんですか。でも怪異と何度も遭遇した際には、おびえたりしていたのでは……?」


 結菜がややきょかれて訊くと、飛上は「いいえ」と即座に否定する。

 そうして殊更ことさら沈痛そうに頭を抱える仕草を交え、かすれ声でつぶやく。


「それがまどかは怪奇現象のことを、私が仕組んだトリックか何かだと思い込んでいるようなのです」


 結菜は一瞬、飛上の言葉を把握し損ね、当惑を覚えた。

「トリック……?」と鸚鵡おうむ返しに言って、ほんの少し考え込む。


 さらにそれから五、六秒はさんで、ようやく理解した――

 つまり、佐渡まどかは自分の恐怖心を刺激した怪奇現象のことを、手品のようなものだと思い込んでいるようなのだ。しかも「それは飛上の手でたくらまれたもので、自分は恋人におとしいれられ、驚かされている」と、一方的に誤解しているらしい! 


 結菜は物心付いた頃から、頻繁に霊的な現象と接し続けている。

 それだけに佐渡の感覚と発想は、自分とかなりへだたったもので、唖然あぜんとせざるを得なかった。

 しかしながら常識的で、徹底して非科学的なものを受け入れない人は、世の中に少なくない。

 とすれば佐渡のような常識人は、怪異と呼ばれているものにも必ずカラクリがあるはずだ、と断定的に考え、都市伝説のたぐいを一切否定したとしてもおかしくはなかろう。


 ただこの場合に深刻なのは、佐渡が疑念の矛先を、恋人である飛上へ向けてしまった点だ。

 もっとも彼女に怪奇現象の件を話して聞かせ、廃棄物の処分に付き合わせたのは、他でもない飛上だったのだから、経緯からすると致し方ないところだろう。



「――何にしろ、怪奇現象に対する認識の齟齬そごが生じたことで、私とまどかのあいだに決定的な埋めがたい溝ができたように感じます。まどかは私が詐術を用い、どうにかしてパッチワーク関連の品を捨てずに持ち続けようとしているのだろうと、そう思い込んでいるようでした」


 飛上は、ソファの背もたれに上体を預け、やや脱力した様子で言った。


「そこから二人のやり取りが別れ話へ発展するまでは、然程さほど時間を要しませんでしたよ」



 もちろん濡れ衣を着せられたことに対し、飛上はそれが誤解であると弁明した。

 とはいえ佐渡から「誤解でなければ原因は何か」と問われても、怪異の実在を決して受け入れようとしない以上、他に説明する術はなかった。

 二人の対話は水掛け論にしかならず、取り分け佐渡は飛上の言葉に不信感を募らせたようだ。

 かくして恋人同士の信頼関係はたちまち損なわれ、数日前に破局へ至ったらしい……。


 ちなみに佐渡と「怪異を信じるか否か」で口論していた最中にも、飛上は密かに颯馬と連絡を取っていたという。どうすれば恋人を説得できるかについて、相談を持ち掛けていたのだ。

 だが実際のところ、非科学的な概念を全否定している人物と話し合っても、霊的事象の存在を納得させることは、やはり容易ではない。ましてや佐渡の場合、自ら「彷徨えるタペストリー」と接触しているにもかかわらず、頑として受け入れようとしないから、希望が見えなかった。


 仮に結菜も交え、本物の霊能力を提示してみせたところで、結果は変わりそうもない。

 佐渡から見れば結菜も颯馬も「怪しいオカルトを語って、飛上の手管に協力している仲間」としか受け取られなかっただろう。


 そうこうして、対処に手間取っているうち――

 飛上と佐渡のあいだの綻びは、手のほどこしようがない状態になってしまった。



「今回の件ではすみませんでした飛上さん」


 ひとしきり飛上が恋人と破局するまでの経緯を説明したところで、颯馬が頭を下げた。


「僕や結さんが怪異に対応するのに先んじて、先日は『佐渡さんに事情を打ち明けておいた方がいい』なんて、安易に勧めたりして。飛上さんと佐渡さんのお二人には、そのせいで取り返しが付かないご迷惑を掛けてしまったかもしれません……」


「いや、謝る必要はないよ芹沢くん。今になって考えてみれば、遅かれ早かれ、こういう結果になっていたように思うんだ」


 飛上は顔を上げると、さびしげだが鷹揚おうような口調で言った。

 気遣わせないようにしてか、穏やかに微笑んでいる。


「どのみちパッチワーク関連の品が捨てられない理由を説明しようとすれば、まどかに怪奇現象の件を打ち明けないわけにはいかなかった。天城さんを紹介してもらって、霊能力で間違いなく本物の怪異と判明し、一方では生命に関わる危険なものではないとわかったのも、助かったよ」


 たしかに颯馬の助言も、飛上と佐渡の別れをうながすことになったかもしれない。

 しかし最終的に破綻はたんする関係ならば、いっそ早めに清算した方が、二人にとって人生の時間を無駄にせず済むぶん、かえって良かったように思う――

 飛上はそう言って、努めて前向きになろうとしているように見えた。



「……そうですか。飛上さんにそう言って頂けると、僕としては助かります」


 颯馬は神妙な態度で、飛上の対応に謝意を伝える。

 その上で如才なく、怪異の再検証を持ち掛けた。


「ただ今日は念のため、あのタペストリーを結さんにもう一度だけ、霊視してもらおうと思ってきたんです。元々いていたのは『悪い霊』ではありませんから、たぶん放置しておいても有害ではないはずですが――状況が変わりましたし、性質が変化していないとも限らないので。差し支えありませんか」


「ああ、それは当然かまわないよ。少し気になっていたから、むしろ私からお願いしたい」


 飛上は提案に合意すると、いったんソファから腰を上げた。

 奥の部屋へ入っていき、先日も見た紙箱を抱えて、すぐに引き返してくる。

 ローテーブルの上でふたを開き、あの「彷徨えるタペストリー」を取り出した。


 佐渡まどかと別れた際、彼女のところに出現した複数のパッチワーク関連の品はすべて、直接引き取ったという。

 佐渡は、とうとう最後まで怪異の実在を認めなかったが、さりとて何度捨てても手元に戻ってくるような品々を、不気味がって所持し続けようとはしなかった。

 それでなくても破局の顛末からして、元恋人が作った品をずっと保持し続けたいとは思わないだろう。また何より佐渡にとっては、不要で邪魔だったからこそ、処分したいと考えていた品々でもある。



 颯馬はタペストリーを差し出され、ありがとうございます、と礼を述べる。

 それからソファの隣を振り返り、結菜に早速異能の行使をうながした。


「じゃあ結さん、もういっぺんこれを『霊視』してくれるかい?」


 結菜は、二つ返事で引き受けると、前回と同じように「霊視」に取り掛かった。

 ソファに座ったままの姿勢で、充分意識を集中する。

 身の回りの環境も、身体や精神の状態も申し分ない。



 ……ところが、しばらく霊視を試みても、何ひとつ対象から霊的なものが知覚されない。


 目の前にあるタペストリーは、間違いなく先日のそれと同じもののはずなのに、怪異が憑いている気配を一切感知することができなかった。



 どうやら「彷徨えるタペストリー」は、すでに除霊されているようだった。

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