20:帰り着けない家の灯り



「不思議な空き家」が生み出されるに至った要因は、まだ他にも存在しているらしい。

 しかし颯馬は、残された部分を語ることについて、今は保留させて欲しいと言った。

 いったん藍ヶ崎に帰宅し、落ち着いて調べ物をしてから説明したいそうだった。


 そのため地下鉄が動く時間まで、以後は話題も怪異自体の謎から離れた。

 代わりに颯馬が持ち出したのは、最近「取材」で続けて「悪い霊」と接触してしまった件だ。

「鈴風橋のお化け」との一件では自分が迂闊に相談を持ち掛けてしまったと謝罪する一方、結菜にも「不思議な空き家」の調査については反省をうながしてきた。


 身の安全に関わる問題なので、結菜としても反論する気にはなれなかった。

 とはいえ漫画のネタ探しのため、今後も「取材」を止めるわけにはいかないだろう。

 しかも、これは悩ましいことだが、おそらく危険な怪異ほど、ホラー作品の題材として参考にする価値が高い。過去の事例を踏まえ、結菜にはそういう実感がある。



 何はともあれ雑談を続けるうち、いつしか一時間余りが経過していた。

 案外あれこれ二人でやり取りし続けていると、時間が過ぎるのは早い。

 公園を出て、地下鉄雛番北一七条駅へ向かった。


 そこから星澄駅で電車に乗り換え、藍ヶ崎市に移動する。

「ブルーハイツ新委住」まで戻ってきたのは、午前八時過ぎだった。

 結菜と颯馬は、それぞれの部屋の前で別れ、ようやく帰宅した。


 結菜は、ひとまずシャワーを浴びて汗を流し、部屋着に着替えてベッドに寝転がった。

 夜食にラーメンを食べたきりで、多少空腹を感じていたが、睡眠欲には勝てなかった。


 ――どうせ昼過ぎに目が覚めたら、また颯くんが何か作ってくれるかもしれないし……。


 自堕落じだらくなせいもあって、甘えた考えが脳裏をぎってしまう。

 五歳も年下の隣人を当てにしてばかりで、年長者の威厳も何もない。

 もっとも颯馬は何年も一緒にいて、これまでにも散々醜態しゅうたいを見られている相手だ。

 いまや隠すほどの恥もない……などと感じてしまうのは、女性としてまずいだろうか。



 結菜は、ベッドの上で意識が薄れ、急速に眠りへ落ちつつある最中、

「そう言えば昨夜って、実は初めて颯くんと二人っきりでひと晩過ごしたのかもしれない」

 と、酷く今更なことに気付いた。




     ○  ○  ○




 結菜は「不思議な空き家」を除霊した翌日から、テキストに「取材」内容をまとめはじめた。

 それを元に改めて新作漫画の構想を練り、細部を詰めたあとはネームに描き出していく。

 もっとも翌々日の夕方、いったん結菜の作業は中断を余儀なくされた。

 颯馬がマンションの部屋を訪れ、怪異のことで話があると言ったからだ。


「『不思議な空き家』を除霊したあと、一昨日の段階では説明できなかったことがあるよね」


 颯馬は、リビングへ入ってくると、ソファに腰掛けて言った。

 余計な世間話の類はなく、すぐさま本題を持ち出してくる。

 結菜も隣に腰を下ろし、その言葉に耳をかたむけた。


「つまり、怪異がどうして生み出されたかの原因で、あの時点では明確じゃなかった部分についてなんだけど。……差し当たり、ちょっとこれを読んでみて欲しい」


 颯馬は、自分のスマートフォンを取り出し、おもむろにブラウザを立ち上げる、

 ブックマーク登録してあったアイコンをタップし、目当てのページへ直行した。

 即座に画面に一件の記事が表示される。

 かなり古い新聞報道の電子版だった。



―――――――――――――――――――――――――――――



【 大柿谷の山道で家族の遺体。一家心中か 】

  二〇一×/〇八/一七


 藍ヶ崎市大柿谷の山道で本日午前九時頃、男女二人と子供

一人の遺体が発見された。三人は親子と見られ、警察は身元の

確認を急いでいる。


 三人の遺体が見付かったのは、星澄市ぎんの森から大柿谷へ

続く山道の途中。急なカーブを抜けた先で、道路の脇に駐車した

自家用車の中から発見された。他にも車内からは、燃えた練炭が

見付かっており、親子が何らかの事情で一家心中をはかったものと

見られている――……



―――――――――――――――――――――――――――――



「大柿谷の山道で家族の遺体、一家心中……?」


 結菜は、記事の見出しを声に出して読み、呆然ぼうぜんとした。

 記事に登場する被害者家族の構成から、嫌な予感が胸にき上がる。

 しかし「一家心中」とはどういうことだろう? 混乱して、頭が働かない。


 当惑していると、颯馬は再度ブックマークから別のページへ飛ぶ。

 次に表示されたのも、また報道記事だ。同じ事件の続報だった。



―――――――――――――――――――――――――――――



【 大柿谷で発見された家族の遺体、身元判明 】

  二〇一×/一〇/〇九


 今年八月、藍ヶ崎市大柿谷の山道で発見された家族三人の

遺体は、隣町の星澄市雛番に住む会社経営者・杜河敦史あつしさん

(四二歳)、妻の英莉子えりこさん(三四歳)、長男の理玖りくくん

(一〇歳)と身元が判明した。警察は現場の状況から、現在

まで一家心中事件として捜査を続けている。


 三人は、八月一四日からお盆期間中の三日間、藍ヶ崎市鐘羽かねば

にある親戚の家を訪問していた。司法解剖の結果、親子が心中を

図ったのは、一六日の深夜と推定され、星澄市へ引き返す帰路の

途中だったものと見られている――……



―――――――――――――――――――――――――――――



 結菜は、ひととき言葉を失った。

 やはり記事の中には、一家心中とある。にわかには信じられない。

 自分が「霊視」した最後の場面を、もう一度よく思い出してみる。


 そう。結菜はあのとき、家族の中で男の子の視点を借りて、過去の光景を知覚していた。

 自家用車の助手席に座り、今にも眠ってしまいそうな目で、夜の山道を眺めていたのだ。

 すると、対向車線からダンプカーの飛び出してくる様子が、フロントガラス越しにえた。

 丁度、山道が急カーブに差し掛かる場所で、車同士が非常にあやうい状況だったはずだ。

 目の前にヘッドライトの光が広がり、拙いと思ったところで「霊視」が終わった――……


 あの直後、二つの車両は事故を起こしたのではなかったのか? 

 親子三人は、それで自宅へ帰り着けなかったのではないのか。


 結菜は、自分が考えていた顛末てんまつとの齟齬そごについて、颯馬に問いたださずにいられなかった。



「結さんが四枚目にスケッチした場面のあと――」


 颯馬は、かぶりを振りつつ答えた。


「親子三人を乗せた車とダンプカーは、交通事故を起こしたりしていない。間一髪で互いに衝突を回避し、山道を走行し続けた。もっとも家族の車の方は、然程さほど離れていない場所で停車したようだけどね。そうして車内で練炭を燃やし、一家心中を図った」


 それでは「不思議な空き家」とは直接関係なさそうなダンプカーが、なぜ「霊視」の中に登場したのだろうか? 

 結菜は首をひねらずにいられなかったのだが、颯馬はすぐに妥当そうな理由を挙げてみせた。

 それは家族の遺体を発見したのが、ダンプカーの運転手だったからではないかというのだ。

 どうやら翌日も午前中から仕事で、昨夜通った山道を引き返す途中だったらしい。


 尚、結菜が「霊視」で知覚した男の子の「眠そうな目」についても、睡眠薬を服用させられていたせいなのではないか――と、颯馬は見立てているようだった。

 異界の家屋で、寝室の小物入れにそれらしき粉薬こなぐすりがあったからだ。

 おそらくは心中するに当たって、子供を苦しませまいとしたのだろう。


 その結果、帰宅後に母親の誕生日を祝おうとしていた男の子は、予定を実行することなく、何も知らずに死んでしまった。もちろん祝われる側だった母親も、最期まで子供のを知ることはなかったはずだ。



「そ、そんな。いったいどうして、家族で心中なんか……」


「あの家の世帯主だった敦史さんは、星澄市で『杜河工務店』という建築会社を経営していた。ところが事件の数年前から、経営状態が悪化し、莫大な負債を抱えるようになっていたらしい」


 結菜がやや狼狽うろたえていると、颯馬は淡々とした口調で言った。

 故意にそうすることで、言い聞かせようとしているらしかった。


「空き家で書斎に踏み込んで、書棚を眺めたときのことを思い出してご覧よ――『建設業にたずさわる人物が手に取りそうな本が並んでいる』って、そこはかとなく感じなかったかい?」


 指摘されて、今更のように書棚で見掛けた本を思い出す。

 建築工学の専門書、都市部の騒音問題を扱ったルポタージュ、PCアプリケーションの操作解説書、国内外で撮影した名所の写真集、県内各市の詳細な地図……。

 たしかに考えてみれば、どれも建築と無関係ではないかもしれない。



「今回の都市伝説について、僕は『地域的な時代や社会の背景から生まれた怪異のように感じる』って言っていたよね。そうして『不思議な空き家』の件は元々、星澄市内の各地で再開発事業がはじまった時期から噂されるようになった」


 颯馬は、より具体的に怪異の真相へ踏み込んでいく。


「それで他にも、詳しく調べてみたんだけどさ。やっぱり怪奇現象が生まれた原因には、杜河工務店と再開発事業に浅からぬ関係があったようなんだ」


 もう現在では、ほとんど忘れ去られているわけだが――

 どうやら当時の星澄市内では、杜河工務店の経営者が一家心中を図った件に関して、少数ながら口さがない風聞を語る人々が存在したらしい。

 インターネット掲示板やSNSを巡ると、その痕跡こんせきと見られる投稿がまだわずかに残っているという。


 かつて杜河工務店は星澄市内で、主に改装・改築工事をけ負う中小建設事業者だった。

 大口の取引は多くなかったものの、施工が丁寧ていねいで、地元の評判は非常に良好だったそうだ。

 しかし大手ゼネコンが件の再開発事業に乗り出してきたことで、途端に風向きが変化した。

 杜河工務店は一気に仕事をうばわれ、それに伴って業績も悪化していく。競争相手は市内の政財界にも大きな影響力を有しており、あらがう術はほとんどなかった。


 経営者の杜河敦史は、他社と合併して経営権の譲渡を模索したこともあったようだが、応じる相手も現れなかった。大手ゼネコンと敵対的な関係の杜河工務店には、接近することを忌避きひする事業者こそあれ、その逆は存在しなかった。

 かくいうわけで心中事件に至る直前には、杜河の家族三人が住んでいた家屋さえも、すでに抵当に入っていたという情報もあった。



「金融機関からの融資も止められ、杜河さんが最後に頼ったのは、藍ヶ崎市に住む叔父だったらしい。お盆期間に挨拶するていで、資金援助を嘆願たんがんしたみたいなんだ」


 颯馬は、悲しげな面持ちで言った。


「でも結局、そこでも申し入れを断られ、完全に行き詰ったんだろうね」


 親族からも支援を得られず、残された選択肢が一家心中だったということだろう。

 実際には他にも、何かしら経営破綻をまぬかれ、事業存続させる余地はあったのかもしれない。

 だが当時の経営実態も、杜河敦史が何を考えていたかも、いまや詳細なことはわからない。


 ただ結果として、親子三人は心中してしまった。

 杜河家の家屋は、債権者の手に渡ったあと、更地さらちにされ、再開発事業者に売却された。

 もっとも、その後は特段工事が進められることもなく、荒れ地となって放置されたままだ。

 一方で解体された家屋は、現世うつしよでの本体と元の所有者を失い、異界へ人を誘い込む怪異と化してしまった……。



「……信じられない。だって理不尽すぎるよ、そんなの」


 にわかに結菜は、義憤ぎふんと困惑が相半ばする感情に囚われた。

 かすかに肩が震え、声音がかすれているのが自分でもわかる。


「一家の父親は――杜河敦史さんはたぶん、真面目に会社経営していたわけでしょう? なのに颯くんの話を聞いていると、何だか競争相手の大企業から圧力を掛けられて、強引に工務店をつぶされたように聞こえてしまうもの」


「ネット上に現存するコメントでも、実際に杜河工務店は『大手ゼネコンの圧力で計画的に追い詰められた』っていう見方が散見されていたように思う。と言っても、この件で信頼に足るほどの記事は多くないんだけど……」


 颯馬は同調するように言ってから、スマートフォンをローテーブルの上に置いた。

 上半身をソファの背もたれに預け、何を見るでもなく部屋の天井へ視線をそそぐ。



 幾分かの間を挟んでから、颯馬は再び続けた。


「実はあとひとつ、あの親子に関して気付いたことがあるんだ。ただしこれは半ば以上、僕の無遠慮な憶測だと思って欲しい」


 かなり慎重な言い回しに感じられた。

 しかしそれがかえって、嫌な予感をき立てる。

 殊更ことさらに話の雲行きが怪しくなっていくようだった。


「もちろん一家心中の件と同じく、これから話すことについてもネット上に事実を裏付ける情報がないかは探してみた。一応、SNSにはそれらしい書き込みが辛うじて二、三発見できたよ。とはいえ情報としての確度は、杜河工務店の話以上に怪しい、ということを事前に断っておくね。いいかい結さん?」


 結菜は、覚悟を決めて「……うん」と返事し、先をうながす。

 それをじっと見てから、颯馬は思い掛けない言葉をつむいだ。



「あの家族三人の中で、母親の女性と男の子は血がつながっていないかもしれない」



 結菜は一瞬、颯馬の発言が意味するところを把握しそこねた。

 かなり突飛な言及に思われ、思考が追い付かなかったせいだ。

 先程から感情の置き場所に迷って、軽い混乱におちいりそうだった。


「これは少し嫌らしい話になるんだけどね。あの家の子供部屋で母親への贈り物を発見した際、僕はどうも素直にそれを感動的な家族愛のエピソードだと受け取ることができなかった」


 颯馬は、うすく苦笑いを浮かべた。


「疑惑を抱いたきっかけは、リュックの在り処を探す手掛かりにもなった夏休みの日記帳さ。その文中で男の子は、母親のことを『えりこお母さん』というふうに記しているんだ。父親のことは普通に『お父さん』と書いているのになぜだろう? そこが妙に引っ掛かった」


 それ以外にも、颯馬は四枚中一枚目のスケッチに妙な違和感を覚えていたらしい。

 三人家族が食事のテーブルを囲んでいる光景で、男の子は父親の隣に着席していたからだ。

 母親よりも父親と子供の距離が近い家庭は、海外なら一般的らしいが、日本だと少し珍しい。


 また決定的に疑惑を感じたのは、寝室のベッドに散乱する女性の服を見た際だという。

 その前に書斎で見た家族写真では(写りが悪く顔がぼやけてよく見えなかったものの)、子供の母親は控え目な雰囲気の人物に思われた。服装もやや地味で、フェニミンだった。

 ところが寝室で見掛けた衣服は、どれも活動的なものばかりで、大人しい印象のそれはひとつとして見当たらなかった。そうして「霊視」のスケッチに登場する女性も、やはりカジュアルな被服ばかり身に着けていた。取り分け三枚目の絵を見る限り、外出時だからと言ってもあえて普段と異なる種類の着衣を選んでいる様子は見受けられない。


 そうした要素を勘案すれば、男の子と母親のあいだには何らかの心理的なへだたりがあり、スケッチの中に登場する母親とは別の母親が存在したようだ――

 という結論に至る、と颯馬は推理を述べた。


「そう考えていくと、あの女性が本当は子供の継母だという結論こそ、一番事実関係がしっくりくるんだ」


 仮に子供には、もう一人別の母親がいたとしよう。

 しかしその女性と子供の父親が、どのように離別したかに関しては、この際意味がない。

 とにかく注目すべき点は、「霊視」に登場する女性が継母だった可能性があることだ――

 つまり、男の子が誕生日を祝おうとしていた相手は、二人目の母親だった! 



「だから僕はね。男の子が母親の誕生日を祝おうとしたのは、血のつながらない義理の家族に対して、子供なりに気をつかおうとしたからなんだと思う」


 颯馬は、話の先を続けながら、結菜の顔を横目でちらりと見た。

 自分の推理にいかなる反応を示すか、うかがっているようだった。


「きっと継母になった女性も、良い保護者になろうと努力していたんだろうね。でなきゃ男の子の方も、プレゼントを贈って、相手と歩み寄ろうとなんかしていないはずだ」


 結菜は、いよいよ困惑し、語るべき言葉に詰まってしまった。

 子供時代に母親を亡くしている点においては、彼女も共通の体験を持つ。

 しかしながら結菜の父親は、その後今日に至るまで再婚したことがない。


 ゆえに「新しい母親ができる」という状況は、想像の範囲でしか理解し得なかった。

 ……ただ間違いなく察せられるのは、父親の再婚相手と暮らしていた男の子も、新しい母親になろうとしていた女性も、相互の努力とは無関係に報われなかったということだ。



「ここまでで判明したことが、仮にすべて事実だとするなら――」


 颯馬は、自らの所見をまとめるように言った。


「今回の怪異が生まれた原因には、不条理が幾重にも連なり合っている」



 失われた家屋とそこに住む家族を巡る、複合的な理不尽。

 二人目の母親となった女性には、血のつながりという、どうにもならない問題があった。

 小学生の男の子は、継母に歩み寄ろうとしたが、心中に巻き込まれ、意思を果たせなかった。

 父親の男性は、真っ当な経営者だったが、競合相手の大手企業により、破滅へ追い込まれた。

 そうして残された家は解体され、再び部屋にあかりを点すことはなかった。


 いくつもの無念が折り重なり、ついに「不思議な空き家」が生み出されるに至ったわけだ。

 今となっては、結菜と颯馬の手で子供の念願が達せられたことが、遅すぎる救済だった。

 母親は立場を肯定され、父親はもう一度家族の再生に立ち会い――

 残された家は薄紅色の花々によって、あたたかな灯りに包まれたのだから。



「……私ね。今回の怪異との接触では、危険な目にもったけど」


 結菜は神妙になって、率直な心情を吐露とろせずにいられなかった。


「新作漫画のネタになるからとか差し引いても、やっぱり『取材』できて良かったって思う。無事に元の世界に戻ってこられたから言えるだけなのかもしれないし、空き家とそこに住んでいた人たちの霊を浄化したこともふくめて、単なる自己満足でしかないかもしれないけど……」


 異界から生還した直後の朝、最近危険な「取材」が続いたことに関し、颯馬からたしなめられたのを忘れたわけではない。

 しかし今の話を聞かされ、結菜は心から怪異を除霊できて良かった、と思った。


 颯馬は、短く「そっか」とつぶやき、うなずいた。

 推理の結果を伝えればそう答えるだろうことを、あらかじめ見越していたかのようだった。

 結菜が危険と遭遇することを嫌いつつも、颯馬には時折矛盾する心情が生ずるらしかった。




     ○  ○  ○




 数日後。


 結菜は「不思議な空き家」がモチーフの新作ネームを、担当編集者の小倉に提出した。

 翌日にはメールで連絡があり、「編集部内での反応も全体的に良い」と伝えられた。

 細部を詰めるために近くリモートで打ち合わせして、このネタで次号の『アメジスト』掲載を目指すことになった。どうやら今回も、危険をおかして「取材」した甲斐があったようだ。


 ただ一方でメール末尾には、本格的に『アメジスト』がWeb形態への移行を模索しはじめたらしき件もほのめかされていた。ゆえに書き溜めてきた原稿が単行本化できなくなるかもしれない可能性は、現在も変わらず濃厚だった。


 ひとまず打ち合わせの日時について承知した旨を、小倉に返信しておく。

 それから仕事の手が空いた間を使って、結菜はタブレットでネットの海を回遊しはじめた。

 また新たな怪異譚を探し出し、漫画のモチーフとするためだ。次の作品は『アメジスト』編集部向けではなく、他の漫画誌へ売り込むためのポートフォリオとして描くつもりだった。


 なぜなら、ひとつの戦いが終わっても、まだ彼女には新たな戦いに挑む未来があるからだ。



 ……結菜は、ブラウザ画面をタップする手を止め、クラウドのデータを開いた。

 保存されている大量の画像の中から、小倉に送ったネームを今一度見返す。

 ネタ探しの最中にもかかわらず、急に感傷的な気分になったせいだった。


「不思議な空き家」をモチーフとした新作漫画は、登場キャラクターが異界の家屋で、不条理な死の恐怖に遭遇する内容だ。そこに暮らしていた家族の無念とも向き合うことになる。

 ただし物語は切迫した展開でありつつも、表現のおぞましさを欠かない範囲で、過去の悲劇にむくいの光を与えたつもりだった。


 それはホラージャンルの漫画として、必ずしも望ましい筋ではないかもしれない。

 だが虚構の物語フィクションは、現実になかった救いを作り出し、異なる可能性を提示することができる。

 それが仮にひとつの終わりによって、最早あらゆる望みが絶たれてしまった事物であっても。



 ――いつも私たちは皆、自分のちからだけではどうにもならないものと戦っている。


 結菜は、目まぐるしく変わる世界の出来事について、そっと胸の中で思いを致す。

 紙媒体から撤退する雑誌、インターネットの中にあふれる噂、忘れ去られた悲劇、再開発事業で取り壊されていく建物、無念から怪異化する事物……。

 ひとつの家屋を巡る悲しみに触れたことが、彼女の心に変化をもたらしていた。


 ――それが人の運命かもしれない。でも不条理すべてを受け入れられはしない。



 ホラー漫画も少年漫画も、物語の幕切れは世界が閉ざされたことを意味するものではない。

 失われた家屋や他界した親子でさえ、怪異化し、長きに渡って救いを求め続けていたのだ。

 たとえ絶望が死を呼び込むとしても、そこにあった物語は誰かに何かを伝えるかもしれない。


 まだ結菜は、何かを少しずつでも変えられるはずだと信じていた。

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