19:ウマレキヨマリ



 颯馬はしばらくのあいだ、無言で考え込んでいた。

 それからソファの前に回り込み、おもむろに結菜の隣へ腰掛ける。

 ローテーブルの上で、改めてスケッチブックを広げ、深呼吸した。


「ひとまず、結さんが『霊視』した光景のスケッチを見た印象としては」


 やがて颯馬は、苦笑いを浮かべながら言った。


「大まかに察せられるけど想像の域を出ないことと、推理の前段階で解決すべきことがあるとわかる。そうして前者に関しては、たぶん後者の結果を見てからでなくちゃ語れない」


「じゃあ、後者――つまり、推理の前段階で解決すべきことっていうのは、何?」


 颯馬の見立てを踏まえつつ、結菜は率直に疑問を投げ掛けた。

 五歳年下の青年は、やや自嘲的な面持ちで、軽く肩をすくめる。

 己の手抜かりを恥じるような、皮肉っぽい口調だった。


「子供部屋のベッドの問題だよ。さすがに本職の警察の家宅捜索じゃないから、あんな場所に男の子が何か隠しているとは気付かなかった。でもまずはあそこに隠されたリュックの中身を、きちんと調べてみた方がいいと思う」



 二人はソファから腰を上げ、リビングを出て二階へ向かった。

 子供部屋の中に踏み入って、ベッドのかいわらで身をかがめる。

「霊視」の光景にならって、シーツをぎ取り、敷布団をめくった。

 さらにその下のマットを持ち上げると、せまい空間が現れる。

 そこには、ちいさな水色のリュックサックが納められていた。


 颯馬がマットの下からリュックを取り出して、中身をあらためる。

 すると袋の中から姿を現わしたのは、思いも寄らないものだった。

 底の浅い鍋に持ち手が付いたような、テフロン加工の調理器具――

 フライパンだ。


 結菜と颯馬は、互いに顔を見合わせた。

 調理器具は透明な包装でおおわれ、持ち手の部分にリボンが結ばれている。

 それを解いて、包装も取り除いてみると、厚手の色紙がはらりと落ちてきた。

 拾い上げて、表面を見てみる。



―――――――――――――――――――


 お母さん お誕生日おめでとう! 

 いつも おいしいごはんを

 作ってくれてありがとうございます

  七月二〇日         りく


―――――――――――――――――――



「バースデーカードみたいだね」


 颯馬はカードを眺めながら、溜め息混じりにつぶやく。


「ということは、もしかするとこのフライパンって……」


「誕生日プレゼントだったんだろうね、間違いなく」


 結菜の思い付きに賛同するようにして、颯馬はあとを引き取る。

 日頃の家事に対する感謝を込めた、プレゼントのフライパン。

 いかにも子供らしい発想かもしれない。


 颯馬は、尚もリュックの中身を探っていた。

 然程さほど掛からず、また紙片が一枚見付かる。

 次は薄いメモ用紙だ。



―――――――――――――――――――


   晩ごはんのあとに渡す

   花たば 必ずわすれずに


―――――――――――――――――――



「ひみつの計画、ひみつの買い物、ひみつの準備……」


 颯馬は、メモ用紙に手控えられた文字を読むと、不意に小声でつぶやいた。

 さっき日記帳の中に発見した記述を、口の中で呪文のように繰り返している。


 さすがに結菜にもそれが、何を意味していたのかは察しが付いた。

 きっと誕生日を祝う計画や準備、そうして贈り物にフライパンを用意するための買い物のことだったのだろう。

 ひと通り「ひみつ」で物事を進め、サプライズで実行するつもりだったに違いない。


「今回の怪異は、ひょっとすると除霊するだけなら簡単かもしれない」


 颯馬は、結菜の方へメモ用紙を差し出しながら言った。

 そこに書かれた文面を一読し、結菜は若干狼狽うろたえた。


「その、つまりこの空き家を浄化する方法って、このフライパンを使って何かすること?」


「ごく単純に考えればね。……おそらく、そこに怪異の未練が存在しているんだろうから」


 颯馬は、フライパンをカードと共に包装し直し、リボンを結んで元の状態に戻した。

 それを抱えたまま、結菜をうながして立ち上がる。子供部屋を出て、一階へ下りた。

 いったんリビングで収納をあさり、剪定鋏せんていばさみと華やかな包装紙、輪ゴムを引っ張り出す。

 先程室内を検めた際、何気なくしまってあるのを見て取っていたらしい。



 ダイニングの隅にある裏口から、睡蓮すいれん薔薇ばらが咲き乱れる庭へ出た。

 薄紅色の花々は今も尚、夜闇の中で発光し、幻想的にきらめいている。


「ここに来たってことは、やっぱり睡蓮や薔薇で花束を作るつもり?」


 黙ってあとに付いてきたが、結菜はおずおずと問いただしてみた。

 メモ用紙の記述から類推すれば、自然とたどり着く連想だった。

 颯馬は「まあね」と返事しながら、適当そうな花を見繕みつくろっている。


「きっと今回の怪異にとっての未練は、この家にかつて住んでいた女性の誕生日を、彼女の息子さんが祝えなかったことに起因するものじゃないかと思う」


「……だから、代わりにお祝いしてあげるってこと? それが除霊の方法なの?」


「うん、まあそういうことさ。それほど大層なことをする必要もないとは思うけどね」


 颯馬は、これという花を何本か決めたらしく、剪定鋏を取り出した。

 まずは薔薇を四、五本、茎の中程に鋏を入れ、摘み取っていく。

 それにしても綺麗な品種だな、と結菜は言葉に出さずに思った。

 ややピンクに近い花弁と、白いそれが調和した薔薇だ。



「ねぇ颯くん。この家に住んでいた男の子は――」


 結菜は、光りかがやく薔薇を見詰めたまま言った。


「どうして、お母さんの誕生日を祝えなかったのかな」


「それは結さんだって、薄々勘付いているんじゃないの」


 颯馬は摘んだ薔薇を、ひとまず結菜に手渡す。

 次いで睡蓮の鉢植えに向き直り、そばで屈んだ。


「それって……ひょっとしなくても、私が『霊視』した最後の場面と関係ある?」


「たぶんね。結さんが描いたスケッチの四枚目を見て、僕はそう考えている」


 結菜の好ましからざる想像を、颯馬は否定しなかった。

 それでかすかな胸の疼きを覚え、思わず唇をんだ。


 ――家族が乗った車は、あの山道で何かあったんだ。


 結菜は、陰鬱な気分に囚われた。


 ――もしかしたらダンプカーと接触したりして、それから……。


 そう。おそらくはそれから、この家に帰り着いていない。


 あのあと、大型車との衝突事故でもあったのだろうか。

「霊視」の場面を思い出す限り、その見込みが濃厚そうに思えた。

 事実なら、夜の山道での悲劇だ。いかにもありそうなことだった。

 今はインターネットが使えないが、検索すれば何か当時の記事が出てくるかもしれない。

 とにかく家族は帰宅がかなわず、だから男の子は母親の誕生日も祝えなかったのだろう――……



 颯馬は、発光する睡蓮にも茎へ鋏を入れ、適当に摘んでいく。

 睡蓮は本来、水揚げという方法で採取すべきだが、ここでは固執していない。

 どうせすぐに花束にして、そのあとも長時間飾っておくつもりはないらしかった。


 結菜に預けていた薔薇と併せて、包装紙を巻き付けた。

 そのまま茎の切り口付近を、輪ゴムで固く結わえてしまう。

 魔法のような薄紅色に煌めく、見事な花束ができた。


「メモ用紙には『晩ごはんのあとに渡す』と書いてあったね」


 颯馬は、花束の見栄えを確認しながら言った。


「とすれば食卓の上に置いてみるのが、妥当なところかな」


 屋内へ引き返し、ダイニングテーブルの傍に立つ。

 フライパンと花束を、その天板の中央に並べた。

 二、三歩下がって、静かに様子を見守ってみる。



 ……ほんのわずかな間を挟んで、周囲の空間に淡い光が溢れはじめた。


 光源は、睡蓮と薔薇の花束だ。

 発光する花弁の一枚一枚が、ゆっくりと付近の光景に明るさを加算していく。

 次第にダイニングは、清浄な光彩に包まれ、やわらかな白で染まっていった。


 と、光の中を見れば、そこにいつの間にか三つの人影が浮かび上がっている。

 大人の男女二人と、小学生ぐらいの男の子。「霊視」の中でもた家族だった。

 三者は、テーブルを囲んで立ち、誰もが穏やかに笑い掛けている。

 温かな空間の中で、無上の幸せを噛みめているかに感じられた。


 やがて光の中の親子は、結菜と颯馬の方を振り向く。

 結菜には、男の子が手を振り、大人二人は目礼を寄越よこしたように見えた。

 そうして、パチパチと火花が弾けるような、ちいさな物音が聞こえてきた。

 何事かと戸惑っているうち、家族三人の姿が白い光にけはじめる――……




 気付けば、結菜と颯馬は暗い夜闇の中にたたずんでいた。


 我に返って、その場で周囲を見回してみる。

 荒れた野原の真ん中だ。前方を見ると、ゆるい下り坂があって、街灯が立っている。

 雛番の再開発地域だった。怪異を探し、高級住宅街の奥でたどり着いた場所だ。

 雛番北一七条東一丁目三号。ただし空き家は、どこにも見当たらなかった。

 頭上をあおげば、ありふれた夜空が広がっていて、ちいさな星がまたたいている。


「……私たち、あの家の外に出られたんだ」


 結菜は、狐につままれたような心地で言った。


「しかもここ、もしかして異界じゃない……?」


「元の世界に帰ってきたみたいだね、どうやら」


 颯馬は冷静に返事しながら、自分の手荷物をたしかめていた。

 それを見て、結菜もトートバッグを確認する。紛失したものはない――

 と思ったが、そのときようやく自分が靴をいていないことに気付いた。

 異界で空き家へ入った際、玄関で脱いだせいだろう。


 颯馬が懐中電灯を取り出し、辺りの地面を照らして探す。

 二人の靴は、少し離れた草むらに並べて置かれていた。



「除霊が上手くいったようで、とりあえず良かった。今回は思った通り、怪異の未練を晴らす手続き自体は単純だったね。推理するほどのことでもなかった」


 自分の靴を履きながら、颯馬は素直に帰還を喜んでいた。

 そうして、同時に「不思議な空き家」は人に害をす霊の中でも、比較的危険が少ない怪異だったのかもしれない、と改めて推量しているようだった。


 ブログで都市伝説を紹介していた女子高生たちの話を、今更のように思い出してみる。

 そう言えば心霊動画の配信者にも、無事に生還した人間が複数存在するらしかった。

 本当に危険な「悪い霊」であれば、結菜のような霊能力者でもない人間を、易々やすやすと生かして帰したりしないのではないか……。


 颯馬は、安堵あんどした様子で考えを話し、スマートフォンを取り出した。

 インターネットは無事に電波が届いていて、異常なく使用できる。


 現在時刻は、午前四時一六分だった。もうすぐ夜明けだ。

 異界にはどうやら、およそ二時間滞在していたらしかった。

 昨日、この近辺で肌に伝わってきた薄気味悪さも、まるで今は感じない。

 だがそれが怪異を浄化したからか、朝が近いせいかはわからなかった。


 結菜は、荒れ地から離れると、荷物の中からデジタルカメラを引っ張り出した。

 街灯の下で、さっきまで立っていた場所を振り返り、カメラのレンズを向ける。

 試しにシャッターを切ってみたものの、ただ真っ暗な空間が写っただけだった。




     ○  ○  ○




 ネットで検索したところ、地下鉄雛番北一七条駅の始発時刻は午前五時四八分だった。

 再開発地域から地下鉄駅まで移動する時間を差し引いても、一時間二〇分以上先だ。


 困ったことに昨夜と同様の展開で、しばらく身動みうごきが取れなそうになかった。

 また仮にタクシーで平伊戸へ向かっても、現在はラーメン店も営業時間外らしい。

 そもそも交通費が余計にかさんでしまうため、できるだけけたい選択肢である。


 それで幾分迷ったのだが、地下鉄の始発時刻までは近場の公園で時間をつぶすことにした。

 再開発地域を離れ、北一四条まで歩く。途端に街並みが、典型的な高級住宅街になった。


 地図アプリで調べた通り、その界隈の一角に公園が見付かった。

 子供が遊ぶ最低限の遊具はそろっているが、かなり敷地は手狭だった。

 とはいえ治安が良い土地らしく、どこも清潔で、不審者も見当たらない。

 強いて言えば、ここを早朝に訪れた結菜と颯馬こそ、怪しい余所者よそものだ。



「何だかんだで、今回の『取材』も上手くいった気がするけど」


 結菜は、公園のブランコに腰掛けながら言った。

 荷物を膝の上に乗せ、ゆっくりと呼気を吐き出す。

 徹夜の疲労で、頭が多少ぼんやりしていた。


「何だかいまだにピンと来ないところもあるね。どう言っていいかわからないけど」


「怪異は浄化できたけど、まだそこに釈然しゃくぜんとしない部分があるってことかい」


 颯馬も倣って、隣のブランコに腰掛けた。

 微妙におとがいを上げて、視線を真っ直ぐ東側の空へ注いでいる。

 徐々に暗闇が黎明に浸食される様子を、眺めているらしい。


「う~ん、どうだろ。たしかに何か、あの怪異の存在には引っ掛かりを覚えちゃうんだよね」


 結菜は、ちいさくブランコを揺らしながら、首をひねった。


「つまりね、改めて考えてみても、あの怪異の本質というか――根っこの部分がどこにあるのかはっきりしていない気がして。私たちが実際に遭遇した空き家の怪異と、それを除霊する手段のあいだに妙なちぐはぐさがあるような……」


 自分の中にある不可解な印象について、何とか整理してみようと試みる。

 そうするうちに少しずつではあるが、徹夜明けの思考も焦点が合ってきた。



 ――どうして家屋の怪異が、子供の未練の中から生まれてきたんだろう? 


 そうだ。今回「取材」した一件の不可解さは、そこに問題の核心があるように思う。

 母親の誕生日を祝いたかったのに、外出先から帰宅できなかったためにかなわなかった。

 そうして、それが原因で怪異が発生し、以後は未練を晴らすことが除霊手段になった……。


 違和感を覚えるのは、なぜ小学生の男の子が自分の未練を、

「近付いた人間が異界に迷い込み、翌朝まで閉じ込められる家屋」

 というかたちの怪異に仮託したのか、ということだ。


 用意していたプレゼントを、自宅に置いたままにしていたせいだろうか。 

 あるいは母親の誕生日を、どうしても自宅で祝いたかったからだろうか。

 だから過去に自分たちが住んでいた家屋を、異界でよみがえらせたのか? 

 考えられなくはないが、どうにもいまいちに落ちない。


 怪異を生み出す未練として、結菜には性質が健気すぎる気がした。

 ましてや「不思議な空き家」はたぶん、人に害を為す「悪い霊」の一種だったのだ。

 それが一人の子供の心掛けから発生したというのは、いかにも奇妙ではないか。



 結菜の話にひとしきり耳をかたむけると、颯馬は口元にかすかな笑みを浮かべた。


「なかなか今朝は鋭いね結さん。いい着眼点だし、冴えていると思うよ」


「まさか、むしろ寝不足で少し頭がくらくらしているぐらいなんだけど」


 結菜は、瞳を故意に何度か瞬かせながら言った。

 眼球が乾燥したような感覚に襲われ、幾分落ち着かなかったせいだ。

 漫画原稿の〆切に追われて、徹夜した次の日にも同じことがよくある。


「ていうか鋭いっていうけど、あの怪異について颯くんの考えはどうなの? 私が変だと思ったぐらいなんだから、きっと何か色々と気付いたことがあるんでしょう」


 結菜は隣のブランコを、横目で見ながらき返す。


 異界で「霊視」した光景のスケッチを検めたとき、

(大まかに察せられるけど想像の域を出ないことと、推理の前段階で解決すべきことがあるとわかる。そうして前者に関しては、たぶん後者の結果を見てからでなくちゃ語れない)

 と、颯馬は言っていた。


「推理の前段階で解決すべきこと」は、子供部屋での発見につながった。

 またそれによって、二人は元の世界へ無事に生還することができた。

 事前の発言に従うならば、今の颯馬には何某なにがしか語り得ることがあるはずだ――

 現在の結果を踏まえ、「大まかに察せられるが想像の域を出ないこと」について。



「う~ん、そうだなあ……」


 颯馬は、東の空の端を眺めたまま、考え深げに唸った。

 自分の見解をどう伝えようか、整理しているようだった。


「正直に言うと、ここまでの手掛かりをひと通り吟味ぎんみしてみても、いまだに推理に確信が持てない部分が少なくない。でも現時点で思い付く限りのことであれば、つまんで話すよ」


 最初にそう前置きしてから、おもむろに続ける。


「まず今回の怪異について、僕は誰か一人の未練や怨念だけで生まれたものじゃない、と考えている。複数の無念やすれ違いが重なって、あの『異界家屋』とも呼ぶべき事象を出現させたんじゃないかと思うんだ。除霊手段が『子供の代わりに母親の誕生日を祝う』行為だったことは、それがたぶん様々な要素の中で一番象徴的な出来事だったからなんじゃないかな」


「じゃあ子供だけじゃなく、そのご両親にも怪異を生み出す原因があったってこと?」


「これはあくまで推論だけど、もしかしたら家族の住居――つまり、あの家屋そのものも含めて、現世に怪奇現象を作り出していたのかもしれないと考えている」


 結菜の問い掛けに対し、颯馬は殊更ことさらに突飛な回答を寄越よこす。

 言葉の意味を咄嗟とっさみ込めず、結菜は軽い当惑を覚えた。

 颯馬は、苦笑交じりに先を続ける。


「建築物が無念を抱くなんて、いかにも日本的なアニミズム信仰みたいだと思うけどね。そんな着想に思い至ったのは、異界であの空き家の外観や内装を観察した結果なんだ」



 そうして「不思議な空き家」で、特に象徴的だった箇所を順に挙げていく――

 真っ白な外壁、橋のような玄関前のアプローチ、独特な形状のシャンデリア。

 青い踏み板の怪談、黄色いキッチンとダイニング、黒い書斎のドア。

 それから、薄紅色の花々が咲き乱れる庭……。


 颯馬は、そこに「白山しらやま」と呼ばれる構造物との共通項が見て取れる、と主張した。


愛知県あいちけん北設楽郡きたしたらぐん奥三河おくみかわ地方では、冬季に『花祭はなまつり』という伝統的な神事がもよおされる。そこにはかつて方形の不思議な構造物が作り出されてきた。それが『白山』さ」


「白山」は、外壁が大量の白い御幣ごへいおおわわれ、入り口には橋が渡されている。

 内部の天井には、やはり白い御幣を垂らした梵天ぼんてんが吊り下げられているらしい。

 さらにそこから四方へ、白・黒・青・赤・黄色の布が張り渡された内装だという。


 それだけでも奇異な建物だが、ここで行事の参加者は枕飯を食すことになる。

 すると鬼の扮装をした人物が飛び込んできて、まさかりを振り回し、花の舞を披露するそうだ。

 その後、他の参加者を「白山」の中から追い出してしまう――……


「見た目に『不思議な空き家』と『白山』の類似点があることは、言うまでもないけど」


 颯馬は、淡々とした口調で続けた。


「食事を連想させるダイニングが、除霊における鍵になっていたことも見逃せない。それに僕や結さんは鬼の格好こそしていないけれど、外部からの侵入者だ。怪異の浄化に及んだ事実を踏まえると、それも最初から期待されていた展開だったのかなと思う」



 他にも、暗示的な要素がいくつかある、と颯馬は付け足す。


 ひとつは屋内の灯りが窓一枚挟むだけで、外部からは見えなくなることだ。

 あれは「白山」が構造物の内外で、別々の世界を表現しているのを踏襲した現象ではないか、と仮説を唱えた。尚、別々の世界というのは、現世と浄土だ。


 さらにまた、庭で咲いていた花の種類にも注目すべきだと強調する。

 薄紅色の花には、睡蓮と薔薇があったが、後者は香粉蓮こうふんれんという品種だったらしい。実地の栽培法はわからずとも、颯馬は花の種類自体を知らないわけではなかったようだ。

 そうして何にしろ、実は二種のどちらも「はす」の文字が含まれている花だったことになる。


「花祭」の花とは、大法蓮華だいほうれんげのそれを指すという説があるそうだった。

 すなわち、仏教における「蓮」だ。輪廻転生の象徴だとされている。


 ……尚、怪異化した建物が、そうした要素を自ら獲得した証拠は、結菜のスケッチだという。

 そこに描かれた光景を見ると、過去実在した家には「白山」との類似が確認できないからだ。



「こうした『白山』との共通項は、怪異が似通った要素を自ら取り入れ、神事と同じような恩恵を得ようとしたせいで生じたんじゃないか――と、僕は推測している」


「神事と同じような恩恵? それって……」


「元来『花祭』は、ケガレの災厄を落とし、キヨメさせるものだと考えられているんだ」


 結菜が鸚鵡返おうむがえしに訊くと、颯馬は相変わらずブランコに腰掛けたままで答えた。


「要するに死穢しえからの『生まれ清まり』さ、蓮にも象徴される輪廻転生の思想だね。ゆえにそれを神事の中で引き受ける『白山』は、ある種の擬死再生装置と目されている」


 いまだ颯馬は身動みじろぎもせず、東の空を見据みすえている。

 ただし視線の先は、白々と明るみを帯びつつあった。

 早朝の訪れにともなって、遠くで小鳥の「ちちち……」とさえずる声が聞こえてくる。

 辺りの空気が澄み、次第に夜の閉塞感から解放されていくのがわかった。


「もちろん『白山』の形態を模したからって、それで人の死が清められ、生き返るようになるわけじゃないけどね。でも仮に『不思議な空き家』の中にも、魂のようなものが宿っていたのだとしたら――あの怪異はそれによって、いつか自分の主人が帰ってくることを願っていたんじゃないかな。自らの本体が解体されるなりして、あの土地から姿を消したあとになっても……」


 あの空き家と、そこに過去に住んでいた家族のあいだには、それだけのアニミズム的な現象が発生する背景があったのではないか――

 颯馬は、そう考えているらしかった。


 それが複雑怪奇な怪異を生み出す一因となったし、また現世ではすでに消失した家屋を、異界で存続させていたのだろう、という。

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