17:迷い人は空き家をさまよう
「出入り口が一方的に閉ざされ、建物の中で孤立させられる」
という状況は、映画やドラマで非常にありふれた展開だろう。
演出としても古典的で、よく考えると首を傾げる部分もある。
例えば今も、結菜が玄関ドアを通り抜けなければ、少なくとも二人揃って家の中に閉じ込められずに済んだのではないか、という疑問が浮かぶ。
しかし結菜は、その着想を実際に述べてみたものの、颯馬から即座に
「この家の内と外で、たぶん二手に分かれて行動するメリットがなさすぎるよ。逆に二人が各々別行動になることで、どちらか片方に何かあった場合の危険性の方が大きい」
スマートフォンが使用できず、連絡を取り合う手段がないから
また仮に噂通り翌朝までの時間経過で元の世界へ帰還できる場合も、問題が発生しかねない。
都市伝説の中において屋内に閉じ込められた人間については言及されているが、屋外でひと晩過ごした人間のことは触れられていないからだ。
家に踏み入った側だけが生還し、もう一方が異界に取り残されれば、目も当てられない。
ただいずれにしろ、すでに二人は閉じ込められたわけで、今更後戻りもできないのだが。
かくして、結菜と颯馬は「不思議な空き家」の調査を開始した。
たとえ怪異だとしても、土足で屋内を歩き回る気になれないのは、日本人の性分だろう。
ただし颯馬は、靴を
戸の内部には、いくつもの靴が陳列してある。下駄箱だった。
「男物、女物、子供用……。どうやら杜河さんの家は、夫婦と子供の三人家族みたいだね」
颯馬は、下駄箱の靴をひと渡り眺めると、推測を述べた。
「杜河」というのは、先程
あるいは過去にこの建物は実在し、空き家になる以前に住民が起居していたのかもしれない。
それにしても、下駄箱から家族構成を割り出すとは、手口がドラマの警察や探偵じみている。
ホールから辺りを見回すと、廊下が正面と右側に伸び、それぞれ突き当りにドアがあった。
正面のドアは、飾り窓が付いていて大きく、おそらくリビングの出入り口と見て取れる。
またここの左側に面した壁際には、家屋の二階へ続く階段が設えられていた。青い踏み板と金属製の
「まずは順当に正面のドアを開けて、その先にある部屋を見てみようか」
颯馬はそう言うと、廊下を真っ直ぐ正面へ進んだ。
数歩遅れて、結菜もそれを急ぎ足で追い掛ける。
突き当りでドアを開けると、その向こう側はやはりリビングになっていた。
広い室内は、天井の真ん中から吊るされたシャンデリアで照らされている。
白く細長い装飾が何本も垂れ下がり、特徴的な形状を成した照明だった。
その下には、ローテーブルやソファ、その他の家具調度類が並んでいる。
左側の壁沿いは、黄色を基調とするキッチンとダイニングになっていた。
一方で右側の壁面には黒いドアがあり、隣室とつながっているようだった。
そうして何より、リビングの奥にある場所が目を引いた。
壁一面が端から端まで出窓になっており、そこから庭の様子が
夜闇の中には薄紅色の花々が咲き乱れ、幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
「……このリビング自体も立派だけど、出窓から見える庭が
颯馬は部屋の中へ歩を進めると、ソファの横に立って言った。
出窓の
「こんな夜になぜ、あれほど綺麗な花が屋内から見えるんだろうかと不思議に思ったんだけど。どうやら近付いてみると、花の枝葉や花弁まで、ひとつひとつが自ら発光しているみたいなんだな。さすが異界というべきか、元の世界の常識なんて軽々と超えてきてくれるよ」
結菜もソファの
たしかに颯馬が言う通り、薄紅色の花々はどれも全体が淡く
また暗闇に目を凝らすと、ひと株ずつ鉢植えにされているのがわかった。
「どれも似たような色合いだけど、花は二種類あるみたいね」
結菜は、美麗な庭の光景に目を奪われながら言った。
「ひとつは
「そうだね……。たぶん間違いないと思う。これが『不思議な空き家』の都市伝説の中で、綺麗な花が咲き乱れていると言われていた庭なんだろうね」
颯馬も花々を見据えたまま、賛同してうなずく。
「ところで睡蓮というのは、どうも池に咲くものだという先入観を持っていたんだけど、植木鉢で育てることもあるんだね。それともここが異界だから可能なのかな」
睡蓮の鉢植えは元の世界にも実在するよ、と結菜は簡単に生育の方法を教えた。
以前に漫画で睡蓮を描く機会があり、インターネットなどで調べて得た知識だった。
颯馬が珍しく感心した様子で聞いているのを見て、思わず得意になってしまう。
結菜から雑学を披露することは少ないため、立場が逆転したようで楽しくなった。
現在は無論、浮かれているような状況ではないのだが。
それから結菜と颯馬は、リビングと隣接した場所を順に見て回った。
キッチンを
調理台周辺の収納からは、調味料や缶詰、調理器具や食器が見付かった。
コンロには火が
興味深いのは、ダイニングの隅にちいさなドアがあったことだ。裏口のようなものらしい。
施錠の類はなされておらず、そこからいましがた見た庭へ抜けられるようになっていた。
完全に家の中に閉じ込められたと思っていたから、まだ屋外へ出る余地が残っていたことには、若干の驚きを覚えずにいられない。
ただし試しに裏口のドアを開けてみたところ、庭へ出たとしても、建物の外を自由に歩き回れるわけではないことがすぐ判明した。
庭自体が
塀の端は家屋の外壁と隙間なく接しており、玄関側へ回り込めるような通路もない。
そうして塀の外側には、ここでも暗い樹林が広がっていた。その奥は何も見えない。
ちなみに庭の側から出窓を覗いてみても、屋内のリビングは真っ暗だった。
玄関で窓越しに建物の内外を検めた際と、同じ法則性が働いているようだ。
「いっそあの塀を上って、建物の外へ出られないかな」
裏口のドアを閉め、結菜はリビングへ引き返しながら言った。
「その後は塀と家の外壁を伝って、玄関側を目指すの。そうすればひとまず、この空き家の中と外側の異界を行き来する手段は確保できるわけでしょう?」
「……いや、念のために止しておいた方が身のためだと思うな。僕らを閉じ込めている怪異が、本質的にどういうものかはわからないけど――」
颯馬は、
「たしか日本の古い俗信の中には、家屋に玄関から入って、裏口から帰ることを忌むものがあるんだ。
「不思議な空き家」が家屋の形状を取る怪異である以上、あえて関わりのありそうな忌み事を実行するのは、それゆえ危険ではないか――
と、主張しているわけだった。
現代の怪異と相対するにおいても、颯馬は常に古い俗信を軽視しない。
そう訓戒されてしまうと、結菜に強いて冒険するだけの気概はなかった。
結菜と颯馬は次いで、黒いドアの先にある部屋へ移動した。
モノトーン調の机や書棚が置かれていて、書斎らしき場所だった。
落ち着いた雰囲気の室内だが、リビング以上に静けさが際立つ。
書棚に並ぶ本は、実用的なものやノンフィクションが大半で、小説の類はなかった。
建築工学の専門書、都市部の騒音問題を扱ったルポタージュ、PCアプリケーションの操作解説書、国内外で撮影した名所の写真集、県内各市の詳細な地図、などなど……。
本文が外国語で記された洋書も少なくない。
颯馬は、ざっと書棚を眺めたあと、机の
ほどなく何か気になるものを見付けたらしく、取り出して机の上へ置いた。
葉書サイズほどの、プリントされた写真だ。
古いもので、人物は少し写りがぼけている。
大人の男女と、幼い子供が被写体なのはわかった。
どこかの観光地で、記念に撮影したもののようだ。
「この家に昔住んでいたご家族かな。杜河さんだっけ?」
結菜は、横から写真を
男性は、メガネを掛けた
女性は、やや
幼い子供は、まだ二、三歳だろうか。女性に抱きかかえられている。
「たぶん、そうだろうね。家族構成も一応、推測と一致する……」
颯馬は、写真を見詰めながら、
そのまましばらく、何事か思案するように
書斎には他にも、入ってきたドアとは別の出入り口が二箇所あった。
その一方は和室へ続いていて、もう一方は寝室とつながっている。
和室に見るべきところは少なかったが、ホールへ出るドアがあった。
寝室は、一階で最も奥まった場所にあるらしい。
踏み入って真っ先に目に付くのは、室内の中央に置かれたダブルベッドだ。
壁際には鏡台や収納、クローゼットが設えられている。他の部屋より薄暗い。
ベッドの上には、被服が何枚か広げて放置されていた。
男物のワークシャツやジーンズ、女物のカジュアルなトップスやチノパンなど。
収納の
この寝室は全体的に雑然として、生活感が強く残っている気がした。
颯馬は、ベッド脇のテーブルを目に留め、天板上に乗っている小物入れを調べはじめた。
ここでも抽斗を開けると、奥から厚紙の袋を引っ張り出す。さらにその中身を探っていた。
粉末の入った包みと、小分けにされた丸薬が見付かる。
「それって、何かの飲み薬?」
結菜は薬の包装を見て、怪しいものを感じながら
「風邪薬ではなさそうだけど……」
「まさか麻薬か何か、怪しい薬物だと思ったかい?」
手の中の薬を
じっくりと包装を眺めてから、薬の種類を見立ててみせた。
「寝室にあるものだし、こっちの粉末は睡眠薬かな。丸薬の方は、市販の酔い止めだと思う」
そのあと今一度、結菜と颯馬は空き家の一階を隅々まで歩き回った。
他には洗面所や浴室、トイレなどもあったが、新しい発見はなかった。
それで玄関ホールから階段を上り、二階の部屋を調べていくことにした。
上の階はすべて洋間で、客間が三室と、子供部屋と
客間はどれも個性に乏しい部屋で、特徴的な要素が別段ありそうになかった。
二人が興味を引かれたのは、残る一室の子供部屋だった。
ゆったりした八畳間で、勉強机や書棚、収納、ベッドなどが置かれている。
液晶テレビと家庭用ゲーム機が目立つ場所にあり、壁際にはサッカーボール、スケートボードなどが見て取れた。典型的な男の子の部屋だと言えそうだ。
颯馬は、書棚に並ぶ漫画の単行本やゲームソフトのパッケージを眺めていたが、
「僕が知らないものが多いな。ゲームハードもひと世代以上前の機種みたいだし……」
と、苦笑交じりにつぶやいていた。
結菜は、子供の頃に遊んだことのあるゲーム機だったのだが、黙っておくことにした。
自分の方が五歳も年上で、いかにも年寄りみたいだと思われるのが嫌だったからだ。
そうして勉強机の前に立つと、例によって抽斗の中を検めはじめる。
筆記用具や学校の教科書、参考書に交じって、ノートが何冊か見付かった。
颯馬は、そのうちの一冊を手に取ると、結菜の方へ振り返って差し出す。
表紙には「日記帳」とあり、その下に「五年三組・杜河
名前の文字は、少し角張っているが、子供らしく元気な線で書かれている。
颯馬は、軽く肩を
「日記で小学生のプライベートを覗き見ようとする大人っていうのは、やっぱり悪趣味かな」
「他人の日記を読むこと自体、相手が小学生でも許されるような行為じゃないと思うけど」
結菜が率直な印象を伝えると、颯馬は「たしかにね」と苦笑を漏らす。
だが言葉とは裏腹に遠慮なく、手に持った日記帳のページを
内容にざっと目を通すと、妙に得心したような面持ちになる。
「なるほど。夏休み中の課題として書かれたものみたいだね、これは」
颯馬は最初のページまで戻って、そこに記入されている日付を指差した。
七月二一日。たしかに夏季休暇の開始日のようだ。天気は晴れとある。
「この年頃の男子小学生で、まめに日記を付けているなんて珍しいなと思ったけど」
「夏休みの日記かー。
「さあ、今の時代はどうだろう。子供の学習環境も変化しているだろうから……」
結菜がノスタルジックなものを感じている傍で、颯馬は再度ノートのページを捲りはじめた。
二度目は内容を、しっかり精読している。鉛筆書きの文字を追う目は、真剣そのものだった。
結菜も記述に視線を
ページ毎の文章量にもむらがあって、しっかり一日の出来事を書き連ねているかと思えば、「今日は特に何もなかった」としか書かれていないこともある。
しかし颯馬は、そうした日記でも時折、手を止めて文章を読み込むことがあった。
―――――――――――――――――――――――――――――
[ 七月二八日 (晴れ) ]
今日は、友達の家でスイカをごちそうになりました。
でもたくさん食べすぎたせいで、晩ご飯があまりおなかの中
に入りませんでした。
えりこお母さんには、それでは栄ようが取れないからダメだ、
と怒られました。
だから仕方なく、時間をかけて晩ご飯も全部食べた。
本当はまんぷくなのにイヤだなあと思ったけど、怒られるの
もよくないので、もんくは言わなかったです。
それにぼくのことを、へんに意識されてしまうと、ひみつの
計画がばれてしまうかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――
それから数ページ先で、また内容をじっくりと吟味する。
―――――――――――――――――――――――――――――
[ 八月一日 (くもり) ]
みんなで買い物に出掛けました。
星ずみ駅前のデパートです。何けんも回りました。
来週は、大柿谷のおじさんの家に出かけるので、服やおかし
を買わなくちゃいけなかった。
お父さんは、最近おなかが出てきて、前まで着ていた大きさ
のズボンが合わなくなって大変です。
あとぼくも、ひみつの買い物をした。
わからないようにしまっておかないと。
―――――――――――――――――――――――――――――
日記が途切れる日付は、やがて唐突に現れた。
まだ日記帳全体の半分にも達していないが、残りはすべて白紙のページだった。
しかも最後はたった一行だけで、第三者の目には記述の意味が伝わってこない。
―――――――――――――――――――――――――――――
[ 八月六日 (晴れ) ]
今日は、ひみつの準備。
―――――――――――――――――――――――――――――
夏休みの課題として、これで成立するものなのだろうか。
結菜は思わず首を
書き手の男の子は、少なくとも今現在小学校には通学していないはずだ。
「ひみつの計画、ひみつの買い物、ひみつの準備か……」
颯馬は、日記帳を手に持ったまま、その場に佇んで唸っている。
男子小学生の「ひみつ」が何かを、
結菜には、まったく想像が付かなかった。
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