13:隣町の都市伝説
「何にしても、やっぱり漫画家って大変な仕事なんだなあ」
颯馬は、切り分けたバゲットを手に持って言った。
切り口にバターを乗せ、
「このまま印税収入がなくなったら、出版社の都合で一気に年収ガタ落ちってことじゃないか。民間企業の会社員で例えると、突然ボーナス支給額ゼロになるようなものだろ?」
「いやまだ全然確定した話ってわけじゃないし、サラリーマンと比較するのは根本的に間違っている気がするけどね。私みたいな漫画家は大抵、個人事業主だから……」
結菜は、口の中でレタスを
尚、付け加えると、将来単行本化による初版印税が入ってこなくなったとしても、過去作の電子書籍売上や重版で発生する印税は残る。だから完全に印税収入がゼロになるわけではない。
とはいえ実売ベースの電子書籍印税は
「とにかく颯くんもねー、将来はお姉さんみたいにお金で悩んだりしないように気を付けてね。ちょっと絵を描くのが得意だからって、安易に『特技を活かせば社会に出なくても生きていけるかも!』なんて考えたりすると、かえって苦労することになるかもしれないからね」
「……結さん、そんなこと考えて漫画家になったの……?」
結菜が若干やさぐれて言うと、颯馬は
未知の生物と遭遇したような表情で、当惑しているのがわかる。
年少者の反応に少し傷付いて、結菜はつい口を
「ていうか颯くんって、もう大学三年生だよね。将来どうするつもり? どんな仕事に
「僕は一応、公務員試験受ける予定だけど」
問い掛けに対して、颯馬は平然と即答する。
「今年から公務員試験対策講座受けているし、地方公務員目指しているよ。できれば地元の藍ヶ崎か、隣町の
「え、やだ……。なんでそんなに具体的に将来見据えているの……?」
颯馬の明快な回答に動揺し、結菜は思わず手にしていたフォークを取り落としそうになった。
彼と同年齢だった頃の自分を思い出して、将来設計の格差に驚愕せざるを得なかったのだ。
一方で颯馬は、結菜の挙措を見て、不平を覚えずにいられなかったらしい。
真面目に回答したはずなのに、奇矯な態度を取られたのだから当然だろう。
「逆に今の質問で、僕はどういう返事を期待されていたわけ?」
「い、いや別にどういうっていうほどのこともないんだけど。まさか颯くんが公務員になろうとしていたとは思わなかったし、そのために準備しているとも知らなかったから……」
結菜は、幾分しどろもどろに弁明した。
しかし颯馬の言葉を
それで結局、食事を続けつつも、
「はーそれにしても地方公務員かー。想像もしていなかったな、うん」
「何なの結さん、なんか僕が役所勤めしようとしていると問題あるの」
「それは全然問題ないんだけど。ただ何となく颯くんなら、もっと華やかな業種でも似合いそうだなって思っていたから。実は凄い安定志向だったのがわかって、ちょっと意外で」
「いいじゃないか安定しているのは。将来、何があるかわからない時代だし」
「あーそう、それね。それは言える。生活が不安定だと辛いからね、やっぱり」
颯馬とやり取りするうち、結菜は不意に我が身を
再び自らの先行きに
と、颯馬がバゲットを
「まあ何にしても結さんの話を聞いて、公務員を目指すのは間違いじゃないとわかったよ」
身近な漫画家の現況を反面教師とし、学びを得たのだろうか――と結菜は自嘲的に考えた。
それで
むしろありのままの自分を示すことが、将来性ある年下男子の役に立ったのなら嬉しい……
などと結菜は内心、
ところが颯馬は、直後に思い掛けない言葉を継いだ。
「やっぱり安定収入を確保しておかないと、自分以外の誰かを支えたくなったときにも困るし」
「……へぇ、もしかしてご家族の将来まで心配しているの? 立派だねぇ颯くんは」
結菜は正直なところ、またしても
彼女が知る限り、颯馬は両親との関係性に微妙な距離感が存在するはずなのだ。
過去に颯馬が怪異の件で困っていたとき、家族が理解を示さなかったせいなのだが――
それにもかかわらず、こうした殊勝な言葉が彼の口から聞けるとは思っていなかった。
もっとも当時から七年も経過しているし、親子の間柄に変化があってもおかしくはない。
だが颯馬は、なぜか結菜の反応に対して、
多少の間を挟んでから「……将来は、そうなるかもしれないから」と、静かな口調で答える。
結菜はそれを聞いて、そうか、たしかにご両親のことも心配しておいて悪くはないかもね、と一人で得心していた。
その後は二人共、昼食を終えるまで多くを語り合わなかった。
○ ○ ○
昼食が済むと、颯馬は汚れた食器を食洗器にセットし、次いでリビングの掃除をはじめた。
結菜の部屋を訪れるたび、彼女が散らかしたものを片付けていくのが恒例になっている。
二〇代半ばの成人女性として、決して整理整頓ができないわけではない――
と、結菜は常日頃から自負していた。バイト先では清掃業務もこなしているのだ。
もっとも、やればできることと実際に行動することには、近くて遠い
そうして結菜は大抵、漫画を描くこと以外の雑事で、勤勉さより怠惰が勝る
ましてや数日毎に颯馬がやって来て、まめに掃除機を掛けておいてくれるから
颯馬も当初は、汚い部屋を見るに見かねて……
といった様子で片付けていたはずなのだが、いつしか結菜の
かくして、颯馬が掃除しているあいだ、結菜は
つまり、昼食前から引き続き、「次に描く漫画のネタ探し」に従事していたわけである。
とはいえ結菜としては、いつも以上に懸命に創作のインスピレーションを求めていた。
色々考えてはみたものの、結局『アメジスト』向けに商業原稿を描くだけでなく、今後はこれまで以上に自作の売り込みに注力していこう、と決意したからだった。
サーチエンジンで検索ワードを打ち込むため、画面をタップする指の運びも速くなった。
――これから先も、どうにか私が漫画を描き続けていこうとすることは……
結菜は、膝の上に乗せたタブレットを眺めながら、ふと考え込んでしまう。
――もしかしたら、より大きな意味での「ひとつの戦いの終わり」なのだろうか?
あるいはそうなのかもしれない、ともう一人の自分が心の中で告げる。
新作漫画を描き上げることとは、また別の水準における活動の変化。
もし本当に単行本化が望み薄になれば、その色合いはいっそう濃くなるだろう。
ただし問題は、変化の先に「新たな戦いのはじまり」があるとは限らないことだ。
……だからと言って、もちろん捨て鉢になるわけにもいかないが。
動画共有サイトをひと頻り巡回したら、次は画像投稿サイトを
それからインターネット掲示板へ飛び、オカルト板の新規スレッドも順に眺めていった。
まとめサイトを閲覧したあとは、参考になりそうなサブカル系書籍を通販で注文する。
そのあとはSNSにログインして、ユーザーの発言から情報収集できないかを試した。
サイト内検索で、キーワードを「心霊現象」「オカルト」「怖い話」などと入力していく。
しかし漫画のネタになりそうな書き込みは、なかなか見付からない。
検索ワードに該当して表示されるのは、オカルト系動画配信者がチャンネルにアップロードした投稿を宣伝する発言が中心だった。しかもそこからリンクが張られているのは、動画共有サイトでサムネイルを見掛けたことがあるものばかりだ。
結菜は、めげることなくキーワードを変えて、検索を続ける。
「幽霊」「怪談」「心霊スポット」「お化け」「廃屋」などなど……
すると今度は、スマホなどで遊ぶゲームに関連した発言が表示されるようになった。
幽霊のキャラクターが登場するものをはじめ、攻略ステージがお化け屋敷のゲームなどが存在するらしい。自分以外のSNSユーザーに一切非はないのだが、結菜は少し
「どうだい結さん。何かしら面白そうな記事は見付かったかい」
颯馬がいったん掃除機の電源を切り、声を掛けてくる。
手元では、室内に散乱している漫画雑誌やBDのパッケージを拾い集めていた。
ソファの横に置かれた収納棚に歩み寄り、手早くその上に並べて整理していく。
「いきなり
結菜は「んー、まあそうだね……」と返事しつつも、タブレットから目を離さない。
SNSの検索ボックスに新たなキーワードを打ち込み、尚も試行を重ねていく。
――颯くんが言いたいこともわかるけど、何かひとつぐらいはネタのストックが欲しい。そのためには私の場合、やっぱりモチーフになる心霊現象を見付けて、できれば「取材」したいんだよね……。
タブレットの画面でフリック入力を繰り返しながら、結菜は内心そうした考えを抱いていた。
何しろ他の漫画家と比べて、自分だけにある絶対的なアドバンテージが霊能力なのだ。
これを活かさずして、より優れたホラー作品を生み出せる自信などなかった。
そもそも創作のモチーフになるネタを探し出すだけでなく、実地に調査する必要もある。
そうした時間的な余裕も確保しておこうとするなら、やはり漫然とかまえていられない……。
少し思案してから、検索ワードを複数組み合わせて打ち込んでみる。
表示される記事の件数がぐっと絞られ、内容も把握しやすくなった。
さらにマイナス検索を使用し、除外ワードを組み込みながら調べていく。
心霊動画の宣伝を弾き、オカルト関連以外の投稿が混ざるのも防いだ。
……ほどなく検索結果の中から、ある一件の書き込みに注意を引き付けられた。
【
結菜は、思わずタブレットの画面に見入ってしまった。
真っ先に目に付いたのは、「雛番」という固有名詞だった。
記憶違いでなければ、たしか隣町の星澄市にある地域のはずだ。
ということは、藍ヶ崎市からも日帰りで行ける距離の場所だろう。
発言の左側にあるアイコンをタップし、ユーザーページを確認する。
登録名には、アットマークを挟んで「
プロフィールによれば、どうやら星澄市在住の女子高生らしい。
同じ学校の友人と、地元の心霊現象について噂しているようだ。
「――結さん、どうしたの? 急に食い入るようにタブレットを見詰めはじめて」
そのとき再び、颯馬が
結菜の居住まいを見て、それまでとの様子に変化を感じ取ったようだ。
ちなみにいつの間にか、
「あのね颯くん。実はちょっとSNSで、気になる書き込みを見付けちゃったの」
結菜は、タブレットの画面を傾け、横からでも見えるように角度を変えた。
SNS上のTLを眺めて、颯馬は「へぇ……」と興味深そうにつぶやく。
「オカ研って言ったら、やっぱり『オカルト研究会』の略称のことだよね?」
「普通に考えればね。高校によっては、そういう部活動もあるんだろうな」
結菜が確認するように訊くと、颯馬は首肯して答えた。
次いで書き込みのひとつを指差し、注意をうながす。
「ここに発信者が乗せているURLから、外部のブログに飛べるみたいだ」
「あっ、本当だね。心霊現象の噂を、部活動で記事にしているのかな」
結菜は、投稿に含まれるリンクの部分を、試しにタップしてみる。
果たして、新たに開かれたページの上部には、
【明南高校オカルト研究会・心霊情報調査報告】
というブログ名が
結菜と颯馬は、どちらからともなく顔を見合わせる。
それから、下部に続く記事へ目を通しはじめた。
―――――――――――――――――――――――――――――
[ 不思議な空き家の怪 ] 二〇二×/〇五/二三
今回ご紹介するのは、オカルトに関心が強い地元中高生の
あいだで噂になっている、「不思議な空き家」の話です。
星澄市では近年、都市の再開発が進んで、古い建築物が
解体されたり、建て直されたりする地域が増えました。
「不思議な空き家」に関する都市伝説が
丁度同時期からだったと言われています。
少なくとも私たち研究会が独自に調査した結果だと、都市
伝説を知っている中高生一〇人のうち、七人までは「市内で
再開発がはじまってから、噂を耳にするようになった」と回答
しています。
さて、市内で古い建築物がある場所と言うと、地元に住む
皆さんには平伊戸や明かりの園、または梓野というイメージ
が強いかもしれません。
ですが高級住宅街の雛番にも、そういった場所が一部に
あります。
「不思議な空き家」が存在する場所も、雛番の再開発地域
らしい、と言われています。
雛番で、とある道路を深夜二時過ぎに進むとたどり着ける
そうです。外観は壁が真っ白に塗られた戸建て住宅で、庭に
綺麗な花が咲き乱れ、内装も非常に
昼間はただの更地で、家屋が存在していないはずの場所
にもかかわらずです。
しかしその名の通り建物は住人不在の空き家で、一度踏み
入ると内部に閉じ込められてしまい、翌朝になるまで外へ
戻ることができない……という話もあるようです。
一説には、「元々この土地に存在した家屋が再開発で解体
されたあと、霊的な実体を獲得して怪異化したのではないか」
とも言われているようですね。
ただし、真偽のほどは不明です――……
―――――――――――――――――――――――――――――
「住宅街の古い地域で深夜に出現する、存在するはずのない家か。『不思議な空き家』っていう呼び方は、安直で
颯馬は、考え深げにつぶやいた。
「でも星澄市雛番というと、時間に余裕さえあればすぐにも『取材』できそうな場所だね」
「だよね? 地元の都市伝説としては、漫画のネタにするのにかなり有望じゃないかな」
軽い興奮を覚えつつも、結菜は努めて自らを落ち着かせて言った。
「これがこの記事を書いた人の、完全な創作怪談じゃなければの話だけど……」
現代怪異を題材にホラー漫画を描くに際し、作劇上のモチーフとした怪談が特定の個人による創作だと、明確な「作者」が存在することになる。そこには当然著作権が発生してしまうから、安易に扱うのは禁物だろう。
とはいえ実話怪談の場合も、無用のトラブルを避けるため、基本的にそのまま取り上げたりはしない。あくまで参考とするに止めておくのが常道だった。
「その点に関しては念のため、ブログの管理者に問い合わせるなりする必要があるだろうね」
結菜の懸念に同調しながら、颯馬は幾分浮かない表情を覗かせた。
「あとはこの噂が本物の心霊現象だったとして、どの程度危険な怪異かが問題だな……」
颯馬は最近、結菜の怪異譚収集について、かなり神経質になっているようだった。
先日接触した名取香弥の霊が、事前の想定以上に危険な怪異だったせいだろう。
ごくたまにああした「取材」があると、颯馬はしばらく用心深くなる傾向にあった。
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