06:幼馴染の思い出


 結菜と颯馬、桂太の三人は、ひとまず鈴風橋を離れることにした。


 結菜の体調に配慮し、調査をいったん中断すべきと判断したからだ。

 そこで桂太の提案に従って、付近にあるという彼の自宅を目指した。


 来た道を引き返し、陽乃丘の住宅街を、皆で並んで歩く。

 結菜は頭痛が治まらず、いまだに足元がふら付いていた。

 だが年下の学生二人にあまり頼るわけにもいかず、極力平静を装う。

 せ我慢がどこまで隠し通せていたかは、はなはだ疑問ではあったが……。

 少なくとも颯馬は、結菜の様子を横目で見る都度、渋面になっていた。



「実はさっき、天城さんが『霊視』ってやつをしている最中――」


 街路を移動中、桂太がおもむろに切り出した。

 低く抑えた声音で、思い詰めた響きがあった。


「今日ここへ来る前に話した不思議な声が……その、つまり『鈴風橋のお化け』かもしれない声が、急にオレの耳に聞こえてきたんだ。以前に聞いたときと同じように」


「それって『ねぇケイタ、こっち見て』って声のことかい?」


 颯馬は、確認するように問い掛け、返事を待たずに先を続けた。


「だったら、僕にも聞こえたよ。たぶん結さんも『霊視』中に聞いていると思う」


 結菜は、無言のままで首肯した。


 たしかに「霊視」の途中で、颯馬や桂太が聞いたという声を、彼女も耳にした。

 事前に言及していたことだが、結菜と行動を共にしていると、しばしば随伴者ずいはんしゃにも「霊感」が作用する場合はある。それゆえ桂太の報告自体は、意外なものではない。


「そうなんですか……。さすがにオレも今は少し、迷信じみたものの実在を受け入れなきゃいけないと思えてきましたよ。天城さんが橋の上で『霊視』をはじめたときまでは、いったい何をする気なんだって、けっこう胡乱うろんな目で見ていたんですがね。いや本当に申し訳ないのですが」


 桂太の謝罪は「迷信嫌いだ」と打ち明けた際と変わらず、非常に率直だ。

 そのぶんかえって言葉に嫌味がなく、結菜は不快さを覚えなかった。

 あるいは桂太が有する生来の気質で、そう感じるのかもしれない。


 颯馬は、再び桂太に問いただし、今一度怪異に関する所感を求めた。


「改めて『鈴風橋のお化け』の声を聞いて、桂太はどう感じた? あれはやっぱり、亡くなった香弥さんの声だったと思うかい」


「ああそうだな、たしかに香弥の声だった。今回は二度目だから、聞き違いはないと思う」


「……そうか。幼馴染の君が言うのなら、たしかなんだろう」


 桂太から回答を得て、颯馬は深くうなずく。

 それから少しだけ黙り込み、沈思していた。


 たぶん「鈴風橋のお化け」について、いくつか微妙な違和感を覚えているのだろう――

 結菜は、頭の痛みを堪えながら、颯馬の仕草を見て思った。



 桂太は過去にも、今日と同じ怪異の声を聞いたという。

 彼自身は霊感の持ち主ではないし、その際は結菜も鈴風橋に居合わせなかった。

 にもかかわらず霊的な声が耳に届いたのは、怪異と桂太に特別な接点があったから……

 と、そう考えるのが妥当だろう。


 しかもついさっき聞いた怪異の声について、桂太は「香弥のものと同じ」と証言している。

 これらを踏まえると「鈴風橋のお化け」の正体は、名取香弥の霊と断定してよさそうだった。

 だが、この件にはそれでいて尚、不可解な謎を感じる箇所がある。


 例えば、香弥の霊はなぜ、心霊写真としてデジタルカメラで撮影できないのか? 


 結菜が接触した手応えから言えば、おそらく「鈴風橋のお化け」は「悪い霊」だ。

 そうした怪異にカメラを向けて、霊感を高めた状態でシャッターを切れば、通常なら写真に何らかの心霊現象が写るはずだった。

 しかしこの点に関して「鈴風橋のお化け」は、結菜が知る前例に当てまらない。

 いったい何が原因で、怪異の法則性から外れる状況が生まれているのだろうか……。



 途中の街路を折れると、なだらかな坂を上った。

 鈴風橋の周辺よりも、立ち並ぶ家屋がやや小綺麗な地域に出た。

 と、いま少し先へ進んだところで突然、犬のえる声が聞こえた。


 結菜と颯馬は、思わず立ち止まり、街路の片側を見た。

 戸建て住宅の庭から飼い犬が一匹、低いへいはさんで、こちらを見詰め返している。

 ただし威嚇いかくする素振りはなく、むしろ尾を振り、愛想を振りまいているようだった。


「ここは知り合いの家で、いつもオレに良くしてくれるご老人が住んでいるんです」


 桂太は、塀越しに飼い犬を眺めながら、苦笑して言った。


「何度か出入りしているうち、あの犬にもオレは顔を覚えられちまったらしくて。いつも近くを通り掛かると、ああしてこっちの気を引こうとするんですよ」




 それからほどなく、吉瀬桂太の自宅に到着した。

 二階建ての一軒家で、傾斜がゆるい三角屋根が印象的だった。

 桂太は、デニムパンツのポケットから鍵を取り出し、玄関ドアを解錠する。

 正面に伸びる廊下を奥へ進んで、結菜と颯馬をリビングに招じ入れた。

 照明がくと、広くて出窓のある室内が見渡せるようになった。


 桂太の家族は共働きで、今は留守にしているという。

 平日は大抵、仕事から帰るのが遅いらしい。

もっとも颯馬の両親ほど、多忙ではないだろうが。


「天城さんは、そこで楽にしていてください。オレは飲み物でも用意します」


 桂太は、ローテーブルの前に置かれたソファを指して言った。

 次いで部屋の隅にある通路を抜け、隣接したキッチンに立つ。


 結菜は「おかまいなく……」と、芸のないことを言う一方、よろけながらソファに近付いた。

 腰を下ろしてひと息付くと、改めて気怠さを感じる。ただ頭痛は、やっと多少になった。


 そのあいだに颯馬は、壁面沿いにしつらえられた戸棚の前に立っていた。

 わずかばかり上体をかがめ、硝子戸の奥に陳列された品々を眺めている。

 トロフィーやメダル、フォトフレームのような、記念品が並べられているらしかった。

 結菜は、そう言えば桂太は野球経験者だと言っていたな、とぼんやり思い出した。



随分ずいぶんなつかしいものを眺めているみたいだな」


 やがて桂太がキッチンから戻ってくると、颯馬に笑いながら声を掛けた。

 両手でトレイを持ち、氷入りのコップと飲料のペットボトルを運んでいる。


「その中に何か、面白みがあるものでもあったか」


「非常に輝かしい栄光の数々だと思ってね」


 問い掛けに対して、颯馬は戸棚の方を向いたままで答えた。

 トロフィーの台座に刻印された文字へ、視線を注いでいる。


「藍ヶ崎市少年野球大会陽乃丘支部優勝、リトルシニア大会は第三位……」


「小中学生の頃の成績だな。しかし高校じゃ結局、甲子園に行けなかった」


 桂太は、やや自嘲気味につぶやいた。

 トレイに乗せたコップとペットボトルを、ローテーブルの上へ移す。

 颯馬は尚も振り返らず、戸棚の内側に並ぶ品を眺めていた。


 次はフォトフレームに目を止めたようだった。

 桂太を中心として、複数の人物が一緒に写った写真を飾っている。

 被写体の半数程度は、野球のユニフォームを着た男子だった。


「……部活の集合写真もあるみたいだね」


「ああ、そいつは高校時代に野球部の仲間と撮ったやつかな」


 桂太は顔を上げると、戸棚のフォトフレームを見て言った。


「実際には部活と無関係な友達も、何人かまぎれているんだが」


「言われてみれば、制服姿の女子生徒が混ざっているね」


「たぶん、他校との練習試合を観戦しに来てくれたクラスメイトだな」


「かなりはしゃいだ様子で、桂太のユニフォームを引っ張っている子もいるなあ」


「勝った試合のあとに撮った写真だったからな、みんな浮かれていたんだよ」


「ここに写った友達とは、今でも連絡を取ったりするのかい」


「まあそうだな……。年に一、二回、都合が合ったときぐらいなら」


 颯馬は「なるほど」とつぶやき、再び少し考え込んだ。

 何も言わずに戸棚の前を離れると、今一度リビングを見回す。

 ローテーブルの隣を横切って、南向きの出窓に近付いた。


 観葉植物の傍には、野球のグローブが置かれている。

 結菜は運動音痴でスポーツにくわしくないが、それを見て大きなグローブだな、と思った。

 普通のものより、ひと回りサイズが違うように感じる。

 ただし投手の投げたボールを受ける人――

 そう、たしか捕手キャッチャーだ、そうした選手が使用する用具とも、異なるもののような気がした。

 かなり使い込まれた代物で、側面に「吉瀬」という苗字が刻まれている。



「ねぇ結さん、身体の具合はどうだい」


 颯馬は、ようやく結菜の方を振り返って問い掛けた。

 もっとも幾分遠慮がちで、密かな葛藤をうかがわせる口調だった。

 きたくないことを、むを得ずに訊いている、というような。


「まだかなり頭が痛むのかな」


「ううん、だいぶ良くなってきたみたい」


 結菜はソファに腰掛けたまま、ゆっくり深呼吸してから返事する。

 やり取りを交わす最中、桂太はコップにペットボトルからアイスティーをいでいた。

 それを結菜に勧めながら、「本当ですか。無理は止してください」といたわってくる。


 結菜は、ありがとう、と礼を述べてコップを受け取り、縁に口を付けた。

 冷たい飲料が喉へ流れ込み、心なしか身体の疲れをいやしてくれる。



「……もうちょっとだけ休んだら、きっと大丈夫」


 コップをテーブルへ戻し、結菜は気を取り直すように言った。


 颯馬が彼女の体調を案じている理由は、よくわかっている。

 先程の「霊視」で自責の念を抱いていることに加え、まだ結菜にすべき作業が残されていることを知っているからだ。


 結菜は、すでに鈴風橋を実地に見て、名取香弥の霊とおぼしき怪異と接触した。

 しかし今回の「取材」にともなう調査では、むしろここからが核心と言えるのだった。



「いつも通り問題なく、これから絵を描けると思うよ」

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