05:漫画家は霊を視る。



 結菜と颯馬、桂太の三人は、鈴風橋の上へ引き返した。


 石橋の中央付近で立ち止まり、川の上流側に面した欄干らんかんの方へ向き直る。

 桂太の話によれば、この位置で名取香弥の転落事故が発生したらしい。


 おおむね現場の状況は把握できたので、ここからはいよいよ本格的な調査だ――

 結菜の「霊感」を活用し、怪奇現象の本質を追求していかねばならない。


「それではまず、この辺りの写真をってみますね」


 結菜は、トートバッグの中からデジタルカメラを取り出して言った。

 かつてカメラマンの父親からゆずり受けたものだ。少し型は古いが、性能に不満はない。

 元々漫画の作画資料を収集するため、これを様々な事物を撮影する際に使用していた。

 ただし現在は怪異調査においても、重要な役割を果たしている。


 その用途は無論、「心霊写真」を撮ることだ。


 結菜の言葉を耳にして、桂太は目をまたたかせていた。

 怪異調査の段取りを理解していなかったせいだ。

「霊が写るか試すんだよ」と、颯馬が端的に説明する。

 それで撮影の意義すべてが伝わったわけではないはずだが、噂の検証に必要な過程であることは伝わった様子だった。



「こんな感じでいいかな……」


 結菜は、デジタルカメラを顔の高さにかまえ、画角に収まる範囲を確認する。

 空はいっそう薄暗さを増し、橋の上も街灯に光がきはじめた。心霊写真を撮るにはあつらえ向きの時間帯になりつつある。カメラのレンズを、石畳いしだたみや欄干へ向けた。

 結菜の左右では、颯馬と桂太が佇立ちょりつし、様子を見守っている。


 次いで、ゆっくりと深呼吸した。

 自分の中の霊感を高める必要があるのだ。

 幸いにして今、橋を渡ろうとするものは歩行者も自動車もない。

 それゆえ心を乱される懸念もなく、精神状態は良好だった。


 ここだというタイミングで、シャッターを切る。

 上手に集中して、きっちり写真が撮れたはずだった。

 デジカメ本体の液晶画面で、成果を確認してみる。


 颯馬がかたわらへ歩み寄り、結菜の手元をのぞき込んできた。


「どうだい結さん。写真に霊は写り込んでる?」


「……何も撮れなかったみたい」


 結菜は、撮影した画像を細部まで見て、何の変哲もない写真だと判定を下した。



 いささか意外な結果だった。

「鈴風橋のお化け」は、通行人を転倒させる、と桂太は語っていた。

 それは危険性の点から言えば、それほど深刻な怪異ではない。


 だが結菜は何だかんだと、人に害をす「悪い霊」の一種ではなかろうか、と考えていた。

 転倒事故も、その場の状況や怪我の程度によっては、生命に関わる場合があり得るはずだ。

 そうして「悪い霊」ならば、霊感の強い人間に写真撮影されると、存在が可視化されやすい。


 裏を返すと、写真の中に写り込まない怪異は、ほとんど無害で善良な霊なのだ。遭遇した人間を驚かせ、卒倒させる程度のことは考えられるが、生命をおびやかすような危険は決してない。

 むしろ特定の人物にとっては何某なにがしかの形態で、利益に資する存在だという事例さえあった。



 尚、しばしばテレビでは、心霊現象を題材に扱う番組が放映されるが――

 そうした番組の中で、たまに自称・霊能力者のような人物が登場する。

 彼ら彼女らは、色々な心霊写真(らしきもの)を取り上げ、

「これは良い霊です、しかしこちらは非常に悪い霊……」

 というようにして、番組内で怪異の性質を鑑定する場合もある。


 しかし結菜の経験から言うと、そうした鑑定は信頼に足るか疑わしい。

 結菜にとって、心霊写真から判断可能な怪異の性質は、もっと単純だ。

「撮影して写り込む霊は人に害を為すもの、写らない霊は善良なもの」

 そういう法則ルールで、一貫して説明できると思っていた。


 もっとも根本的な問題として、現代はデジタル技術で容易に画像が加工できるため、PC普及以前の時代より心霊写真に対する信用がずっと低下している。

 だから誤解を訂正することにも、実際的な意味を感じているのは、結菜のように限られた本物の霊能力者だけだろう。



「へぇ、なかなか興味深い結果だね」


 颯馬は人差し指の側面を、自分の下顎したあごに当てて言った。


 写真の中に写る光景は、単に今眺めているのと同じ石橋だった。

 足元の石畳、古びた欄干、鉄柵、照明が点いた街灯、薄暗い空……。

 目を引くものは、他にこれと言って見当たらない。


「ねぇ桂太。君が『鈴風橋のお化け』と出くわしたのは、この場所で間違いないんだよね?」


「ああ、そうだ。……疑ってるのか? オレはこんなことで嘘なんかかんぞ」


 颯馬が問いただしたところ、桂太は不機嫌そうに返事した。

 与太話を吹聴しているわけではない、と頑なな面持ちが主張している。

 颯馬は、誤解を打ち消そうとするようにして、苦笑交じりに取り成した。


「そりゃまあ、わかってるよ。そもそも迷信嫌いの桂太から相談されている時点で、まさかふざけて僕や結さんを揶揄からかおうとしているとは思っちゃいないさ」


 それから一応、結菜はあと四、五枚、写真を撮ってみた。

 撮影時の立ち位置を変えたり、デジタルカメラをスマートフォンに持ち替えてみたりしたものの、やはり結果は同じだった。

 どれも心霊写真にはならず、ただ平凡な石橋の風景写真しか撮れない。

 試しにスマホで短い動画も撮影してみたが、怪しい事物は映らなかった。


「実は『鈴風橋のお化け』って、悪い霊じゃないのかな」


 結菜は、写真をそれぞれ見返しながら、思わず首をひねった。


 怪奇現象が人に害を為す種類のそれでないことは、当然肯定的にとらえるべき要素だ。

 何か異なる霊的なちからが干渉し、怪異の性質を変化させていることもあり得るが……

 事実なら接触するに際して、生命の脅威になるような危険は少ないかもしれない。


 ただ事前に伝え聞いた話と照らし、妙な違和感を覚える。

 本当にこの結果を鵜吞うのみにして、いいものなのだろうか? 



「ここはひとつ、結さんに『霊視』してもらうしかなさそうかな」


 いくらか間をはさんでから、颯馬が軽く手で髪の毛をき回しつつ言った。


「本当に『鈴風橋のお化け』が無害な霊なら、急に呪い殺されるような相手ではないだろうし」


「……なあ待てよ颯馬、いったい次は何をする気なんだ? その、『霊視』っていうのは」


 桂太は幾分、当惑したように言った。

 写真撮影の際と似たような反応だが、無理もないだろう。

 結菜が怪異を検証する手順について、桂太は何も知らない。


「ええとね、『霊視』っていうのは、結さんが怪異を、接触を図る行為なんだ。もちろん霊感が強いから可能なことで、僕や桂太みたいな普通の人間にはできない」


 ここでも颯馬が簡単に補足する。


「心霊写真みたいにカメラを挟んで、間接的に怪異を捕捉するのとはわけが違う。どうやら結さんから聞く話によると、より生々しく怪異の本体を知覚することができるみたいでさ。怪奇現象の原因である霊の生前の姿とか、未練や怨念の端緒となった出来事とか……つまり、主に怪異にまつわる過去を視認することができるらしい」


 僕は実際に「霊視」で怪異を視たことがないから、断定的には語れないけどね――

 と、颯馬は肩をすくめつつ、さらに言葉を継ぐ。


「ただし『霊視』状態の際に限らないけど、結さんのすぐそばにいる人間は一部の霊的な知覚を、結さんとたまに共有可能な場合がある。例えば聴覚だね。結さんに同行しているときには、普段誰しも聞けない霊の声を、聞ける可能性が高まるかもしれない」


「そいつは『鈴風橋のお化け』でもそうなるのか? つまり、この橋で俺一人が以前に聞いた香弥の声を、天城さんと一緒にいるときには――オレだけじゃなく、おまえも聞く見込みがある、と?」


「その通り。まあだからって、結さんの霊感は万能のちからってってわけでもないと思うけど」


 桂太の認識を肯定する一方、颯馬は問題点の指摘も失念しなかった。


 取り分け「霊視」に関しては、行使に正負の両面がある、と強調した。

 ひとつは、心霊写真の撮影以上に集中力を要求されるため、結菜は心身を疲労すること。

 また、いっそう踏み込んで怪異と接触するため、対象が悪い霊の際は危険も大きくなること。

 結菜の試みは、そうした難点も承知の上での行為なのだ。


 尚、余談ではあるが、実はしばしば霊能力者以外にも知覚可能なかたちで、現世に姿を現す怪異も存在する。例えば、墓場を飛ぶ火の玉の他、古典的な幽霊もそうした霊体の一種だ。

 もちろん、結菜が「霊視」で視認する際をはじめ、心霊写真や心霊動画の中に映し出される場合より、それらはずっと不鮮明で不安定な形状を取る。出現の経緯を示唆しさする情報量も少ない。

 だが怪異の強い想念は、ときとして常人にさえ、その実在を認識させようとするらしい。


 颯馬は、一応それらの事情を忘れないでおいて欲しい、と桂太にひと通り伝えていた。


 ところで一方の結菜は、年下の男子二人が彼女の異能についてやり取りしているあいだ、

「こういうときには大抵、自分の代わりに颯馬が面倒な解説を引き受けてくれるから助かる」

 などと、怪異と接触するかもしれない当事者にもかかわらず、呑気のんきなことを考えていた。

 元来、能天気なところがある性分なのだった。



「じゃあ結さん、改めて『霊視』してみる?」


「あ、うん。そうだね、私もそれがいいと思う」


 颯馬に実行の意思を問われ、結菜は首肯した。


 デジタルカメラをトートバッグの中に戻してから、荷物は颯馬に預けておく。

 結菜は数歩前へ進み出て、名取香弥の転落事故現場と見られる位置に立った。

 いよいよ夜の闇が迫り、鈴風橋の上は静かだった。いましがたから幸いにして、歩行者や自動車が通り掛かる様子もない。「霊視」するなら、早く済ませてしまうべきだろう。


 祈るような姿勢を取り、両手を胸の高さで組み合わせる。

 再び深呼吸して、軽く肩のちからを抜いた。瞳を閉じる。


 五感を研ぎ澄ませ、今回は鈴風橋という「場」の気配に意識をかたむけた。

 これまで以上に集中力を高めると、感情の波がゆるやかに落ち着いていく。

 ほどなく瞼の裏側で、霊力の薄い幕のようなものが生成される――……




 次の瞬間、結菜はかっと目を見開いた。


 何もかもうっすら青み掛かった光景が、視界に広がる。

 同時に周囲が明るくなり、日没時の薄暗さが消失した。


「霊視」が発動し、怪異の影響力が表出した空間を視覚しているのだ。

 何某なにがしかの霊的なちからが及ばない場合は、こうした状況にならない。

 ひるがえってみれば、今接しているのは「怪異によってせられている世界」だとも言える。


 ――やっぱり『鈴風橋のお化け』は存在するんだ。


 結菜は「霊視」の状態を維持したまま、じっくりと視野に映るものを眺めた。


 鈴風橋の上であることには変わりない。

 だが、ついいしがたまで見ていた情景とは、微妙に事象が異なっている。

 少なくとも、同じ時間帯の空間を目の当たりにしているとは思えなかった。


「どうだい結さん」


 颯馬が控え目な口調で、おもむろに声を掛けてきた。

「霊視」の集中を途切れさせまいと、気遣きづかっているのだ。


「とりあえず『霊視』してみて、何か視えるかい?」


「うん、颯くん。ちゃんと目の前に過去の世界が感じ取れている、と思う」


 結菜は、率直に視認したままの事実を伝える。


「それで私が今視ているのは、たぶん昔の鈴風橋なんじゃないかな……」



 そう、これはきっと過ぎ去った時空の光景だ、と結菜は確信した。


 橋の石畳や欄干は、「霊視」せずに見たときほど古びていない。

 全体を構成する石材の表面からは、劣化が若干減少したように感じる。

 何より石橋の縁で、欄干の外側に巡らされた柵の材質が異なっていた――

 鉄製ではなく、木製に変化している。


 たしか桂太は先程、

「外側の柵はかつて木製で、名取香弥の転落事故後に鉄製になった」

 という主旨の発言をしていたではないか。


 それらを勘案するなら、おそらく今「霊視」しているのは過去の鈴風橋の姿だ。



 ……と、そのとき目の前の光景に新たな変化が生じた。


 結菜が瞳をまたたいた直後、橋の上に一人の少女が出現したのだ。

 黒い髪を肩の高さで切りそろえ、ややはかなげな雰囲気を身に帯びている。

 セーラー服を着用していて、面立ちと身形みなりから高校生と見て取れた。


 ――この子は、たぶん香弥さんだ。


 結菜は、即座に直感し、息をまずにいられなかった。

 この場所に発生する怪異が桂太の幼馴染と関連していて、自分の視認しているものが本当に過去の出来事だとするなら――

 突如として現れた少女を「名取香弥」だと考えるのは、自然な連想だと思われた。



 尚も「霊視」を続けていると、急に視点が切り替わる。

 まるで映画のカットが移るようにして、視認される光景が変わった。

 結菜の視覚だけが、自分の身体を離れ、宙に浮き上がって飛ぶ。

 橋を囲う柵の上から、少女を斜めに見下ろすような状態になった。


 セーラー服の少女……

 すなわち名取香弥は、石橋の欄干に左手を置き、木柵超しに川の上流を眺めていた。

 セミロングの黒髪を風に遊ばせ、物憂ものうげな表情を浮かべている。周りには他に誰もいない。

 ただ香弥の足元へ目をやると、一匹の猫がいた。ちいさく、全身白い毛でおおわれている。



 そこでまた「霊視」の視点が移動し、次は香弥のそばに一段と接近した。

 水平な目線で、彼女のすぐ隣に寄りっているような感覚になった。


 香弥は横を向き、不意にかがんで、再び立ち上がる。

 擦り寄ってきた白い猫を、両手で抱え上げていた。

 少女の手の中で、子猫は無邪気に身動みじろぎしている。

 しかし香弥の面差しは、相変わらずくもったままだ。


 結菜は、その様子を眺めていて、香弥の手に奇妙な印象を覚えた。

 猫の身体で少し隠れているが、右手首に黒く影になった箇所がある。

 それがはっきり何なのかは、いささか判別が難しい……

「霊視」している空間内では、事物がいくらか青く変色して見えるせいだ。

 それに目の前の香弥は、逆光の中で佇立ちょりつしているように感じられた。



 そうするうちに三度、視点が切り替わり――

 名取香弥の姿が突然、視認できなくなった。

 いつの間にか目の前が真っ暗になり、三半規管をすられるような感覚に襲われる。

 再び視覚が回復すると、まず目に入ってきたのは、回転する景色と木材の破片だ。

 次いで空と雲が視野に映り、跳躍する子猫がそこを横切った。


(――ねぇケイタ)


 同時に耳元で、少女の囁くような声音が聞こえてきた。


(こっち見て……)


 直後にようやく、結菜は「自分が他者の視点を借りて情景を視ている」ことに気付いた。

 身体は幾分縮んでいて、セーラー服を着用に及んでいる。髪の毛も短くなっていた。


 ――これはきっと、香弥さんの目線だ。


 結菜は、はっきりと悟った。


 空と雲が遠ざかり、石造りの構造物が視野の片側に現れる。

 石橋の側面と橋脚、部分的に壊れた木の柵のようだった。


 それでまた、ああ、これは橋の上から転落したときの記憶なんだろうな、と理解できた。

 川の中に落ちて、視覚が水流に覆われる最中、こちらを頭上から眺める子猫が視えた。

 白い子猫は橋の縁で、木柵の破損していない箇所に乗っている。


 結菜は、強い眩暈めまいを覚え、意識が遠退とおのきはじめるのを感じた。

 香弥の目を借りて「霊視」している光景も、川の水にさえぎられ、にごって暗転していく。

 すべてが闇にまれる直前、お願い助けて、という少女の声を聞いた気がした。




「――結さん、大丈夫!?」


 聞き慣れた声で名前を呼ばれ、結菜は我に返った。

 重い瞼をどうにか開くと、颯馬の顔がすぐ近くにある。

 いつも犀利さいりそうな瞳が、今は結菜のことを心配そうにじっと見詰めていた。

 まだ吐き気をもよおすような頭痛を感じるものの、次第に意識が鮮明になる。


 視界は、普段と同じ状態に戻っていた。

 目に見える情景は過去のそれではなく、今現在の鈴風橋だ。

「霊視」が強制的に途切れたことで、元の視覚を回復したらしい。

 空はすっかり陽が沈み、夜の暗さに包まれている。


 結菜の身体は、年下の青年にかたわらから支えられ、かろうじて立つことができていた。

 颯馬は左手を結菜の背中へ回し、自分の右手で彼女の左手を握り締めている。

「霊視」の結果、よろめいて倒れそうになったところを、助けられたのだろう。


「うん、心配ないよ颯くん。ちょっとくらくらしているけど……」


 結菜は、痛む額に手を当てながら、背筋を伸ばして姿勢を正した。

 颯馬の手を離れ、自力で立つ。倦怠感けんたいかんで、手足が若干思うように動かせそうになかった。

「霊視」の能力を行使すると、心身が疲弊し、こうした感覚にしばしばおちいってしまう――

 取り分け「悪い霊」と接触した場合には。


 とはいえ結菜は、同時に「ひょっとして今転倒しそうになったことも、単に『霊視』で疲れたせいだけではないのだろうか」とも考えていた。

 あるいは「『鈴風橋のお化け』に足を引っ張られる」という都市伝説が、現実になったのかもしれない。

 我が身を翻ってみると、そうした解釈が可能なことに気が付いてしまった。

 そう言えば、最初に橋を渡った際にも、途中で少しふら付いた気がする……。


「どうやら私、倒れそうになっちゃったみたいだね。助けてくれてありがとう」


 とにかく感謝を伝えてから、預けていた荷物を受け取った。

 颯馬は「本当に問題ないの?」と、眉をひそめて問い掛けてくる。

 結菜の体調に関して、不安を払拭ふっしょくし切れていない様子だった。

「霊視」するように勧めたのが自分だったせいもあり、責任を感じているのかもしれない。

 もっとも日頃から、颯馬は結菜のことになると妙に心配性なところがあるのだが。



「本当に大丈夫なんですか天城さん。あまり顔色が良くないようですが」


 桂太が二、三歩離れた位置から、おずおずと話し掛けてきた。

 結菜が颯馬の支えを必要としていたのを見て、当惑しているようだった。

 精悍せいかんな面立ちにあせりの色が垣間見え、額にはじわりと汗がにじんでいる。


 結菜は、努めて微笑んでみせた。


「ええ、平気です。まだふらふらしていますけど、少し休めばすぐ良くなると思います」


「そうですか。だったらいいのですが……」


 桂太は、緩やかな所作でうなずき、安堵したように言った。

 しかし目つきはけわしいままで、結菜の自己申告を鵜呑みにしたふうでもない。

 結菜は、つくづく自分に女優の才能はないようだ、と密かになげくしかなかった。



 すると桂太が幾分うつむき、にわかに思案する素振りを見せた。

 だがすぐにまた顔を上げ、結菜に向き直って持ち掛けてきた。


「ここでじっとしているのも落ち着きませんから、いったんオレの家へ来て休みませんか。ここから遠くない場所にありますし、その方がゆっくりできると思いますから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る