02:大柄な相談者


 結菜は、思わず苦笑せずにいられなかった。


「これまでにも怪異と接触し、それを参考に漫画の原稿を描いてきた」――

 そう、まさしくその通りだ。


 結菜は、霊感が強い体質によって、怪奇現象と過去に幾度も遭遇してきた。

 そこに何かしら危険な事態が発生している場合は、問題の鎮静化を図ったことも少なくない。

 また一方では独自の体験を、創作活動における着想の源としてきたことも否定できなかった。

 ただし事件関係者の迷惑にならないないよう、あくまで新たに作り出す物語のモチーフとするだけにとどめてはいるが。実話怪談の扱いは難しい。



 結菜は実のところ、当初からホラー漫画家志望というわけではなかった。

 元々はむしろ、少女漫画や女性向けファンタジー漫画の分野を志向していた。もっとキラキラとして華やかな世界を、当時は必死に原稿用紙の上で表現しようとしていた。

 ところが残念ながら、結菜にその方面の天分は与えられていなかったらしい。


 事物を素早く的確に描画する技術には定評があったものの、専門学校の講師や出版社の編集部からは「ストーリー作りに難がある」と常々指摘されていた。

 取り分け作中の恋愛描写に関しては、定型的で、目を引くところがない、とよく酷評された。


 しかしどれだけ改善するようにうながされても、それは結菜にとって解決困難な課題だった。

 何しろ恋愛にはあこがれこそあれ、自分が全然向かない性分ということを理解していたからだ。

 気の迷いから「彼氏」なるものを作ってみたことも一度だけあるが、長続きはしなかった。



 この時期の結菜は、かくして漫画家としての才能に絶望を感じていたのだが……

 ある日インターネットで、あるマイナーな出版社に関する記事を読んだことから、運命が変わる。


 その会社では、ホラージャンルに限定した漫画賞をもよおしていて、新人の描き手をつのっていたのだ。物は試しと読み切り作品を投稿してみたところ、信じがたいことにあっさり優秀賞を受賞してしまった。

 結菜は後日「ストーリー展開と描写の迫真性を高く評価した」という講評を読んで、酷く落ち着かない気分になったことを覚えている――……




「……えーっと。要するに怪奇現象の噂があって、そのせいで何か困っている友達がいるのね」


 結菜は今一度、颯馬の話を要約し、確認するように言った。


「それで噂の真偽をたしかめるため、颯くんは私に手伝って欲しい、と。そうして仮に怪異が本物だったなら、私にとっても漫画の『取材』になるから損はないだろうっていうこと?」


「うん、だいたいそういう捉え方でいいと思う。もちろん大学の友達は近々機会を見付けて紹介するつもりだし、怪奇現象の現場には僕も同行するけど……」


 颯馬は、ペットボトルからコップに水をぎ、ひと口喉へ流し込んだ。

 次いでまた、妙な間を少しはさんでから、神妙な面持ちで続ける。


「ただね。たった今僕の方から持ち掛けておいて、すぐにあべこべなことを言うのもどうかとは思うんだけどさ。この提案に乗るかどうかは、よく考えてから返事して欲しいんだ」


「というと何かこの話には、今聞いたことの他に引っ掛かるような問題があるの?」


「そうだね……。実は友達が困っている件なんだけど、もしかしたら『悪い霊』が関係しているかもしれないから。あくまでまだ、そういう可能性もある気がするっていうだけだけどね」


 結菜は、颯馬が提案を切り出す直前、思案する素振りを覗かせた理由がわかった。


 現世うつしよ蔓延はびこる怪異にも、大きく分けて二つの種類がある。

 ひとつは人に害をすもので、もうひとつは無害なもの。

 颯馬が噂の怪異を「悪い霊」と表現しているのは、前者の可能性を懸念しているからだろう。

 無害な怪異であれば、たとえ不気味で、酷くおぞましい事象であったとしても、まず生命まで脅かされるおそれはないはずだ。


 だから颯馬には、友人の悩みを解決してやりたいという心情と、この案件を結菜に持ち掛けることのあいだで、相当の迷いがあったのかもしれない。


 もっとも過去の事例に関して言うと、たとえ「悪い霊」と遭遇そうぐうする場合であっても、颯馬は大抵結菜の意思を尊重してくれた。

 それは当然、結菜が怪異との接触を、創作活動で参考にしているからだ。彼女がホラー漫画を描いていることについて、颯馬は基本的にかなり理解がある。



「う~ん、そうだなあ……」


 結菜は、尚もスープのからんだちぢめんすすりつつ、ほんの少し考えてから言った。


「私としては漫画の参考になりそうな怪奇現象なら興味あるし、颯くんがどうにか友達の悩みを解決してあげたい気持ちもわかるんだよね」


「それじゃ前向きに検討してくれる、ってこと?」


「基本線としてはね。ただ私が調べてみても、それで必ず問題が解決するとは限らないよ」


「結さんの手を借りてどうにもできない怪異なら、他の誰を頼っても同じ結果になるさ」


「……ひとまず颯くんの友達に会って、もう少し話を聞いてみたいかも。それで怪異のことを、できればくわしく教えてもらいたい。それでどうかな」


 結菜が返事すると、颯馬は納得顔で深くうなずく。

 年長の隣人にならうようにして、自らもラーメンを啜る行為に戻った。

 器の中の麺を一気に半分近く食べ進めたところで、再び口を開く。


「そうだね、段取りとしてはそれがいいかもしれない。この件に結さんが乗るかどうかも、僕の友達とじかに面会してみて、そのとき決めるってことで」


「あはは、じゃあよろしくね颯くん――」


 結菜は、ちいさく笑いながら、ここまでのやり取りをまとめた。

 ただしそのあと、すぐ付け足して、念のためにたずねる。


「もし私が怪奇現象の調査に協力することにしたら、颯くんも手伝ってくれるんでしょう?」


「ああ、うん。それはいましがたも言ったけど、現場に同行するつもりなんだからもちろん」


 颯馬は一瞬、きょとんとした表情を浮かべてからけ合った。

 当然なので言い忘れていた、と言いたげな口調だった。



「僕が一緒でなくちゃ、解決できない問題もあるかもしれないからね」




     ○  ○  ○




 颯馬の友人と面会する日時は、翌週の火曜日になった。

 結菜は骨董品店でアルバイトしているのだが、その日は店が定休日だからだ。

 JR新委住駅前の喫茶店で、午後三時に待ち合わせすることに決まった。


 尚、怪異の調査を引き受けることになった場合は、面会後すぐ行動を起こす予定だった。

 漫画のモチーフとして採用できそうであれば、極力早めに「取材」に取り掛かりたい。


 結菜は、相変わらず不規則な生活を続けているため、約束の当日も正午過ぎに起床した。

 ひとまず浴室でシャワーを浴びて、寝汗を洗い流す。温水で眠気を覚ましたら、いったん部屋着姿になって、ドライヤーで髪を乾かす。

 次いでキッチンに立ち、電子レンジに中華丼のレトルトパックと冷ご飯を放り込んだ。温まったら器に盛り付け、昼食を取る。すでに午後なので、実質的に朝食は抜いたことになる。


 それから自室でクローゼットを開け、外出用の衣服を選んだ。

 初対面の相手と顔を合わせるわけだし、それなりに落ち着いた服装が望ましかろう……

 と考え、大人しい色合いのブラウスと薄手のアウター、ロング丈のスカートを引っ張り出す。

 改めて着替えを済ませてから、洗面所で歯をみがき、手早く出掛ける際の持ち物をそろえた。

 ローテーブルの上に鏡を置いて、派手にならない程度にメイクする。

 平時は出不精なので、あらゆる外出の準備に手間取った。



 そうするうちに呼び出しのチャイムが鳴って、颯馬が部屋に姿を現した。

 待ち合わせの喫茶店へ出向くにあたって、結菜をむかえに来たのだった。

 尚、きちんと大学の講義にも出席してきたらしい。勤勉で抜かりない。

 置時計を見てみると、時刻は午後二時半を少し過ぎたところだ。


「やあ結さん。さすがに今日は約束の時間より前に起きて、ちゃんと身形みなりを整えたみたいだね」


 結菜の姿を見ると、颯馬は少し揶揄やゆするように言って笑った。


「とりあえず少し早いけど、新委住駅前まで行こうか」


 うながされるまま、結菜は家を出ることにした。

 給湯器の電源が消えているのを確認してから、ガスの元栓をめ、戸締りを済ませる。

 いまだ実家住まいとはいえ、結菜はマンションの部屋にほとんど一人で暮らしてきた。


 結菜の父親は海外へ行った切り、もう長いあいだ帰ってきていない。

 何しろプロカメラマンで、珍しい動植物の写真を撮影するのが仕事だからだ。

 最新のメッセージによれば、現在は南米の奥地を彷徨さまよっているらしい。



 エレベーターで一階まで降り、住宅街から市道へ出た。

 結菜と颯馬は二人で並んで、晴れ空の下をのんびりと歩く。

 そうして約七、八分で、新委住駅前の繁華街に到着した。


 待ち合わせ場所の喫茶店は、アーケード街の端にあった。

 出入り口のドアを開け、建物の中に入る。木製の椅子やテーブルをはじめ、渋い木目の内装で統一された店内だった。天井付近のスピーカーからは、ジャズの音色が聴こえてくる。


 颯馬は周囲を見回すと、すぐさま店の奥へ踏み入った。

 すみのボックス席に歩み寄ったので、結菜もそれに倣う。

 目指すテーブルの前には、先客が一人着席していた。

 相手もこちらに気付いた様子で、椅子から腰を上げる。


「おう、もう来たのか颯馬。早かったな、まだ約束した時間の一〇分前だぞ」


「僕らより先に来ていたやつから言われてもね。まあ遅刻せずに良かった」


 起立した先客に声を掛けられ、颯馬は苦笑いを漏らした。


 この人が待ち合わせの相手で間違いなさそうだ、と結菜は思った。

 長身の青年で、おそらく背丈は一八五センチ以上ありそうだ。しかも頑強そうな身体付きで、肩幅も広ければ、胸板も厚い。ワークスタイルのファッションだが、シャツやデニムパンツの下からは、筋肉が被服の生地を膨らませている。

 肌が日焼けして浅黒く、髪は短く刈り込んでいた。



「結さん、まずは先に紹介するよ」


 颯馬は、結菜と待ち合わせ相手のあいだに立ち、双方を引き合わせた。


「こいつが僕の大学の友達で、吉瀬きちせ桂太けいたさ」


「初めまして、経済学部三年の吉瀬です」


 吉瀬桂太は、腰を折って挨拶し、手を差し出してきた。

「天城結菜です」と自らも名乗り、握手に応じる。

 桂太の手は、大きく、ごつごつとして分厚かった。


 それから皆で席に着き、テーブルを囲む。

 ウェイターが注文を取りに来たので、颯馬はブレンドコーヒー、結菜はダージリンティーを、メニューの中からそれぞれ頼んだ。

 尚、すでに桂太の前には、クラブハウスサンドの皿とコーラのコップが並んでいた。本人の話によると、午後二時半頃にはここへ来ていたらしい。昼食はしっかり済ませているものの、小腹が空いていたので、適当に間食していたという。健啖家けんたんかのようだった。



「天城さんのことは、颯馬のやつから色々と聞かせてもらっています」


 注文の品が届き、ウェイターがそばを離れるまで待ってから、桂太は会話を切り出した。


「たしか普段はプロの漫画家さんなんですよね。雑誌連載も持っているそうで」


「ああ、いえ。漫画家と言っても、そんなに大したものではないのですが……」


 結菜は、いきなり身の縮む思いがして、逃げるように紅茶のカップに口を付けた。

 初対面の相手から仕事のことを持ち出されると、必ず居心地悪さを覚えてしまう。


 商業活動していることも雑誌連載を抱えていることも事実だが、漫画の収入だけで生活できるほどには売れていない。マンションの家賃や光熱費は、父親の口座から引き落としで支払われているし、週に三、四日はアルバイトのシフトを入れている。

 そうした実態は、どちらかと言えば低所得の非正規労働者に近いかもしれない。

 だから自分が漫画家であることは、人前だと羞恥心しゅうちしんを刺激される話題なのだ。


 もっとも桂太の反応には、結菜の心中を察知した様子はなかった。

 どうやら卑屈ひくつさは理解されず、純粋な謙遜けんそんのように見えたらしい。


「それで、霊能力者でもあるんですよね。何でも幽霊の姿がえたり、声が聴こえたりする、という話ですが」


 重ねて素性を問われ、結菜は「い、一応……」と再び答える。

 額に汗がうっすらにじみ、まだやり取りがほとんど進行しないうちから息苦しくなってきた。

 漫画家という肩書を持ち出されただけでも赤面モノだったが、霊能力者と呼ばれるのは強烈な追い打ちだ。これほど胡散臭うさんくさい女は、なかなか地方都市では他にいないだろう。


 今更ではあるが、桂太が颯馬と同い年であることが意識されはじめてきた。

 五歳も年下の相手に気後れしている自分に対し、嫌悪感を覚えてしまう。



「とにかく今日はわざわざ、時間をいてくださってありがとうございます」


 桂太は、改めて謝意を示す。

 しかし直後によく見ると、やや目元には当惑した表情が浮かんでいた。

 続けて発せられる声音にも、若干の硬さが感じ取れる。


「ただ何というか、こういう機会をオレの方から作ってもらっておいて、今更な話ですが……。正直に打ち明けると、これまでオレは迷信じみたものをあまり信用したことがありません」


 桂太の言葉は、非常に率直だった。

 結菜は無言で、ちいさくうなずいてみせる。

 心霊現象のようなものを、疑いもせず受け入れる方が非常識だろう。

 それゆえ自分の体質が否定されたからといって、反感はなかった。


「でも一方で、このところオレは気掛かりで仕方ない出来事があるんです。そうしてどうにも、そいつは普通の理屈じゃ筋が合いそうにもない。それこそ迷信じみたものが現実にあるんだとでも思わなくちゃ、上手く説明できなくて。それでけっこう悩んだわけですが、颯馬に打ち明けてみたところ――」


「僕はそういうことなら、結さんに相談してみるのがいいんじゃないかって思ったんだ」


 颯馬は軽く肩をすくめ、横から口をはさんだ。


「そうして『霊感の強い知り合いがいるんだけど、物は試しでどうだろう』って勧めたわけさ」


「颯馬から提案された際には少し面食らいましたが、他にいい手立ても思い当たらなかった」


 桂太は、口元に薄い苦笑を浮かべて言った。

 しかし表情はやはり硬く、居住まいにも身構えた雰囲気がある。


「要するに今日お話を聞いて頂きたいのは、そういう迷信じみた出来事についてなのです。心霊現象の類を本気で信じているわけでもないのに、結さんのような人に相談に乗ってもらおうなんて、自分でも随分都合のいい考えだというのはわかっているんですが」


「いえ、いえ……。普通は誰だって、そうそう信用できないものだと思います。一般的に怪奇現象のような出来事は、フィクションの世界でしかあり得ない事件だと考えられがちですし……」


 結菜は、胸の高さに左右の手をかかげ、頓着とんちゃくせずとも良いと取り成す。


 何しろ自分の側としても、桂太の問題を解決するために全面的な協力を決めたわけではない。

 まだ具体的な話は何も聞いておらず、これから相談されるはずの怪奇現象が「悪い霊」の仕業なのかも、見定められていない段階なのだ。

 そうして接触に危険を伴う怪異だった場合、結菜には充分な手助けができないかもしれない。

 その点も踏まえるなら、結菜はまったく桂太の不信感を責める気にはなれなかった。


 さらに付け加えれば、もしかすると怪異が怪異ではなかった場合もあり得る――

 つまり、ありふれた自然現象を、怪異と錯覚してしまっていた、という状況だ。

 そうなると短絡的に信用してだまされたのは、逆に結菜の方だったことになる。

 だから相談を受ける側としても、本物の心霊現象だという確証がない以上、相手に対して半信半疑の心情があるのは同じだった。



「まずは差し当たり、吉瀬さんが相談してみようと考えた出来事について教えてください」


 結菜は、できるだけおだやかな物腰で、話題の先をうながした。

 いずれにしろ問題の概要を聞いてみないことには、対応を判断しかねる。

 桂太は「そうですね、わかりました」と返事し、コーラのコップを手に取った。

 炭酸飲料をひと口喉へ流し込み、口の中をうるおわせてから続ける。



「この頃オレが気に掛けているのは、『鈴風橋すずかぜばしのお化け』って呼ばれている怪異のことです」

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