霊視のあとは、絵解きの時間。

坂神京平

第一話「鈴風橋のお化け」

01:漫画家と大学生


 天城あまぎ結菜ゆいなが「霊感」を獲得したのは、小学五年生の頃だ。


 あるとき自宅のキッチンで、不意に奇妙な気配を感じた。

 それで何もない空間に目を凝らすと、もういるはずのない母親の姿がえた。

 結菜は「ああ、私の前に今お母さんの幽霊が立っている」と、すぐに理解した。

 母親は、その日より一ヶ月も前に他界していたからだ。



 結菜は当時、初めて一人で夕食を用意しようとしていた。

 おそらく死んだ母親の霊は、娘の不慣れな仕事を心配していたのだろう。

 不器用にフライパンを扱う様子を、調理中にじっとかたわらで見守っていた。


 やがて卵焼きが出来上がると、霊は優しく微笑みながら透明になって、視えなくなった。

 母親の姿が消えてなくなる瞬間、「よく頑張ったね」と、優しい声が聞こえた気がした。



 これ以後、結菜は不思議な霊の存在を、しばしば目の当たりにするようになっていく。

 そうして幾度かの体験を通じ、怪奇現象には様々な法則性があることに気付いた。


 例えば、幽霊にも害のあるものと無害なものとがあること。

 例えば、怪異の多くは意識を集中して視ると、発生の端緒になった過去がわかること。

 例えば、結菜のそばにいる人物は、彼女と同じ霊の挙動を知覚する場合があること。

 例えば、写真に撮ろうとしても、人に害を為し、生命に危険を及ぼす霊しか写らないこと。

 例えば、霊は何らかの条件を満たすと、無念や恨み、執着から解放され、浄化されること。

 例えば、真剣に「霊視」能力を行使した直後は、疲労や眩暈めまいに襲われること……。



 こうした条件をともなう実情はあるものの――

 結菜は爾来じらい、特殊な体質であることを、自覚して生きている。

 過去には幾度となく霊感の強さが原因で、苦しむこともあった。

 しかし現在はどうにか折り合いを付け、日々を暮らしている。


 ……それどころか自らの異能を、むしろ天与の恵みと考える場面さえあった。




     ○  ○  ○




「う~ん、いまひとつピンと来るものがないなあ……」


 結菜は、メガネ越しにPCモニタを眺めながら、作業机の前でひとちた。


 画面上には、定期的に閲覧している動画共有サイトの検索ページが表示されている。

 ずらりと並ぶサムネイル画像は、いずれも心霊現象を題材にした動画を紹介していた。

 心霊スポット探索、都市伝説検証、現代怪談まとめ、禁忌習俗解説など……

 ただしオカルト系で有名なチャンネルのものは、視聴済みのものが多い。

 目に付く新規投稿の動画には、胡散臭うさんくさ感がただよっている。


 SNSから拾える情報も、基本的には似たり寄ったりだった。

 仕方なく、昔ながらのインターネット掲示板も巡回してみる。

 文化カテゴリのオカルト超常現象スレッドは、最新の書き込みにも興味を引くものがない。

 さらに怪奇現象全般の噂が集まるWikiページを調べたが、結局成果は思わしくなかった。

 が容易な地元に限らず、関東圏全域の情報を漁ってみても、やはり同じような状況だ。


 どれを取ってもおおむね、過去に創作のネタとしてモチーフにしてきたものと類似している。

 だがそれでは物足りない、もっと何か真実味や迫真性のある「怖い話」が欲しい……。



「やらなきゃいけないことがあって、ちゃんとやる気はあるのに作業を先に進められない……。やっぱりネタ出しに詰まっているときが一番辛いなあ、漫画家の仕事って」


 結菜は、手元のマウスを操作して、画面上のブラウザを閉じた。

 昨日の昼からマンションの部屋に引きもり続け、もう随分ずいぶんと時間が経過していた。

 椅子の向きを左側へ変え、作画で愛用している液晶タブレットの正面に座り直す。

 しかし漫画原稿制作用のアプリを立ち上げてみても、フォルダの中にあるのは、真っ白なキャンバスデータしか保存されていないネーム画像ファイルだけだ。


 結菜は頭を抱え、椅子に腰掛けたままの姿勢で、身をよじった。


「うわああぁ~本当にどうしよう……。次の〆切は六月上旬だから、まだ一ヶ月近く先だけど。ネームぐらいは今のうちに切って、担当の小倉おぐらさんに見てもらっておきたいのに……」


 結菜は、それほど自分が有能な漫画家ではない、ということがわかっているつもりだった。

 もし創作者としての才能にあふれているなら、アルバイトを掛け持ちしながら描いていない。


 商業デビューしてから今年で五年目になるが、いまだに隔月刊行のオカルト雑誌(※厳密にはスピリチュアル雑誌だという意見もある)で、毎回四〇ページほどの読み切りを描き下ろすこと以外には、絵の仕事がなかった。

 一応、世間的には「ホラー漫画家」ということになっているのかもしれないが、そうした肩書もいつまで名乗り続けられるかは疑問だ。近年の出版市場において、紙媒体のサブカルチャー誌など吹けば飛ぶ程度の需要しかあるまい。


 だから今こうして原稿を描く機会があるのも、単に「特殊な体質」のおかげ――

 結菜は、そう信じて疑っていなかった。

 元々あまり自己肯定感が高い方ではない。



「……はあ、どうして漫画家なんかになっちゃったんだろうなあ私」


 溜め息を漏らし、椅子の背もたれに上体を預ける。

 両手をだらりと下へ垂らして、部屋の天井をあおいだ。


 ――なぜ漫画家になったのか? 


 これまでにも、何度となく繰り返してきた自問だった。

 答えは単純で、絵を描く行為が好きで、自分の適性があると思ったからだ。

 なので高校卒業後は、美術専門学校に通って、色々な漫画賞に応募した。

 そうするうちに投稿作のホラー漫画が評価され、現在に至っている。


 しかし過去の判断が本当に正しかったのかは、よくわからなかった。



 結菜がそのまま、ぼんやり天井を眺めていると、室内に間延びした電子音が鳴り響いた。

 来客を告げるチャイムだ。よろよろと椅子を立ち、リビングでインターフォン端末をのぞく。

 ちいさな液晶画面の中には、見知った人物の姿が映っていた。


<――ゆいさん、今大丈夫? 僕だけど>


「あーそうくん、ちょっとだけ待ってね」


 結菜は、スピーカーから聞こえてきた声に返事する。

 フローリングの廊下をすり抜けると、足早に玄関へ出た。

 解錠してチェーンを外し、ドアを開ける。


 そこに立っていたのは、日頃見知った訪問者だった。

 名前は、芹沢せりざわ颯馬そうまという。このマンション「ブルーハイツ新委住あらいずみ」で、隣室に住む青年だ。

 眉目が犀利さいりそうで、さらさらした頭髪は短く整えられていた。背丈は成人男性の平均よりも少し高く、比較的細身だ。水色のシャツとスリムパンツの着衣には、清潔感があった。

 ふと見ると、今日は片手に紙袋を提げている。



「そろそろお昼だけど、結さんはもう何か食べた?」


「いや、まだだけど……」


 颯馬に問い掛けられ、結菜はちいさくかぶりを振った。

 ずっと作業机の前でうなり続けていて、昼食どころではなかったのだから仕方ない。

 調理の準備すらしていないし、むしろ何か食べる必要があることも忘れていた。


 結菜の反応を見て、颯馬は深くうなずく。

 予想通りだ、と言いたげな素振りだった。


「実は丁度、田舎の親戚が送ってきた『高級ご当地即席ラーメン』のパックが二人前あるんだ。でもうちの家族は僕以外に誰も食べる気がないみたいでさ……。それで良かったら、結さんが昼ご飯に一人分食べてくれないかなと思って持ってきたんだけど」


 颯馬は、にっと笑みを浮かべて、持参した紙袋をかかげる。

 もちろん結菜にとって、非常に助かる申し出だ。


「ご馳走になっちゃっていいの? ……ううっ。颯くん、いつもありがとう~……」


「じゃあ決まりだね。早速お邪魔して、キッチンを使わせてもらうよ」


 颯馬は、物慣れた挙措で靴を脱ぎ、部屋に上がった。

 若い男子が異性の居宅へ躊躇ちゅうちょなく踏み入る光景には、第三者なら誤解を抱くかもしれない。

 だが結菜と颯馬のあいだでは、そこに別段深い意味はなく、日常的な親交の範疇はんちゅうだった。



 結菜もならってあとに続くと、颯馬はいったんリビングで立ち止まる。


「家の中、昼間なのに電気付けっぱなしじゃないか。カーテンも閉め切ったままだし」


 颯馬は、室内をひと目見て、眉をひそめた。


 部屋の照明が点いているのは、うっかり忘れていたからだ。

 昨夜から時間の観念が曖昧あいまいになっていて、屋外が明るいことにも気付いていなかった。

 漫画を描き続けていると、手元の作業に意識が集中してしまって、よくあることなのだ。


 二人は再び歩を進め、ダイニングからキッチンの側へ回り込む。

 シンクの前に立つと、颯馬はいかにも沈痛な表情でうつむいた。


 蛇口の下を見てあきれているんだろうな、と結菜は直感した。

 そこには使い捨てのプラスチック容器が複数、ゴミ出しされることもなく重なっている。

 分別してまとめておくのも億劫おっくうだったせいで、数日前から放置したままだったのだ。


「これコンビニ弁当のがら?」


「う、うん。まあ一応……」


「何日分か溜まっているみたいだけど」


「いやあ……最近のコンビニご飯は美味しいよね……」


 結菜が笑って誤魔化ごまかそうとすると、颯馬は鋭い目つきでにらんできた。


 顔のいい男子は凄むと怖い。しかし同時に妙な色気も感じてしまう。

 たとえ、それが自分より年下であっても――

 などと、結菜はぼんやり考えていた。



「もうちょっと自炊する癖を付けなきゃダメだって、普段から言っているじゃないか」


 颯馬は、溜め息混じりの言葉で訓戒する。


「今更だけど、やっぱり即席ラーメンを持ってくるべきじゃなかったかな。もっと結さんは栄養のバランスがいいものを食べた方が良さそうだ」


「ええっ、そんな心配するほどのことじゃないよぉ~。それにほら私、ラーメン大好きだし!」


 結菜は明るく言って、懸念を打ち消そうとした。

 尚、ラーメンが好物なのはいつわりなき事実である。


 しかし颯馬には、まるで結菜の言い分に取り合う気配がない。

 代わりに彼女の全身を、頭から爪先まで点検するように眺めた。


「……ちなみに結さん、ちゃんと服は着替えてる? いつも似たような部屋着姿だけど」


 自らの服装を顧み、結菜は気まずさを覚えずにいられなかった。


 Tシャツの上からスウェットパーカーを羽織り、ショートパンツを穿いただけの格好。

 長い髪は襟足の辺りで無造作に束ねていて、全体的にだらしなく、色気の類が微塵みじんもない。

 結菜は、目先の印象だけでも取りつくろおうと考え、おずおずとメガネを外してみた。

 漫画を描いているときの他は、裸眼で大抵支障がない程度の近視なのだ。


「き、着替えてるよ当然じゃない。私を何だと思っているの」


「本当に? その服に着替えたのはいつ?」


「もちろん今日だよ。……今日っていうのは、昨日の夜から仕事していてだ寝てないから、私の中では日付が変わっていないので昨日からまだ今日は続いているって意味の今日だけど」


「意味不明な日付の計算法だけど、要するに昨日から着替えていないんじゃないか」


 颯馬の指摘はその通りなので、結菜に反論の術はなかった。

 とはいえ日常生活の自堕落じだらくな部分が短所なのは、ちゃんと理解している。

 ただどうあっても、自分の性分に変わりそうな見込みがないだけで……。



「とりあえず、キッチンの始末と昼食の用意は僕がやっておくから」


 颯馬は、いったん調理台の上にラーメンのパックが入った紙袋を置く。

 シャツの袖を腕まくりし、キッチンの奥に設えてある収納の抽斗ひきだしを開けた。

 勝手知ったる手際で探り、不燃ごみ用のポリ袋を取り出す。


「結さんは自分の部屋で、ひとまず着替えてきなよ。それから脱いだ服は脱衣所に出して、洗濯せんたくかごの中に入れておいて」


 結菜は素直に「は、はあい……」と返事して、そそくさと自室へ引っ込んだ。

 颯馬から親身に世話を焼かれていると、まるで過保護な母親に接しているようだと感じることがある。まさかすでに結菜の母親が他界しているからと言って、代わりを務めているつもりでもないだろうが。


 ――ひょっとして今更だけど、これがいわゆるオカン系男子ってやつ? いやいや、でも私の方が五歳も年上なんだけど……。


 結菜は、益体やくたいもないことを考え、軽く首をひねった。


 外したメガネをローテーブルへ乗せると、クローゼットから新しい部屋着を引っ張り出す。

 着替えを済ませ、ベッドの脇にある目覚まし時計を見た。生活リズムが不規則な結菜のため、以前に颯馬が買ってきたくれたものだ。

 文字盤の上で二本の針は、午前一一時五三分を指していた。

 本当に正午間近だ。大型連休を過ぎてから、時間が過ぎるのが速い。



 言われた通りに洗濯物を脱衣所の籠へ入れてから、リビングに戻る。

 隣接したキッチンでは、颯馬が包丁でねぎきざんでいた。コンロには鍋が火に掛けられている。

 結局、高級即席ラーメンを作ることにしたらしい。結菜の栄養状態を軽視したわけではないだろうが、今更メニューを変えるつもりにまではなれなかったのだろう。

 シンクに溜まったプラスチック容器は、すべて片付けられていた。


「すぐできると思うから、結さんはそっちで座って待っていて」


 結菜が歩み寄ると、颯馬はいったん調理の手を止めた。

 ダイニングテーブルを目で見て、椅子を勧めている。


「ラーメンに乗せる具材は、冷蔵庫の中身を適当に使わせてもらってもいいよね」


「それは別にかまわないけど……。あのー、私もお料理作るの手伝おうか?」


「即席めん作るぐらいで、キッチンに二人も並んで立つ必要なんかないよ」


 助力を持ち掛けたものの、あっさり退けられた。

 なるほど調理に二人分の労力を要する品は、インスタントと呼ばないかもしれない。

 結菜は一人で妙に納得しながら、やはり従順にダイニングテーブルに着席した。

 流し台をはさんで、颯馬の顔を何気なく眺める。


 ――しかしまあ、すっかり『お隣の颯馬くん』も大人になっちゃって……。



 芹沢颯馬と出会ってから、かれこれ七年以上の月日が経つ。


 結菜が高校三年生の春、ここ新委住のマンションに引っ越してきたことがきっかけで、二人は知り合う機会を得た。

 その頃の颯馬はまだ、中学生になったばかりの少年だったはずだ。


 もちろん集合住宅で隣人同士になったからと言っても、すぐそれだけで親交を持つようになったわけではない。ましてや両者は互いに異性だし、年齢もやや離れている。


 より互いが身近な相手になったのは、結菜が越してきたあと三ヶ月余りが過ぎてからだ。


 颯馬は当時、厄介な怪奇現象に遭遇し、ひどつらい経験をしていた。

 だが不幸中の幸いと言うべきか、そうした折に結菜は彼の理解者となることができた――

「霊感が強い」という、特殊な体質だったおかげで。


 あの一件が解決してからというもの、二人のあいだには年の差を超えた友情が存在している。


 そうして颯馬はいまや藍ヶ崎あいがさき大学社会学部比較文化学科三年生になり、民俗学を勉強しているらしい。

 改めて確認するまでもなく、背丈はとっくに結菜を追い越していた。性格は真面目で落ち着きがあり、如才ない。趣味と特技は、ミステリ小説を読むことと家事全般。

 また今まさに隣人の昼食を用意している通り、世話好きな部分がある。


 それでいて知的な美男子なのだから、きっと大学のキャンパスでは同年代の女子から多くの好意を向けられていることだろう。

 結菜が初めて出会った頃には、想像もできなかったことだが。


 そう、いつしか少年も皆、等しく一人前の男性へと成長していくものなのだ――……



「さあ結さん、ラーメン出来上がったよ」


 颯馬は、完成した昼食をトレイに乗せて、ダイニングへ運んできた。

 テーブルにラーメンの器やコップ、ミネラルウォーターのペットボトルが並べられる。

 麺が浮かんだスープの味は、どうやら醤油しょうゆとんこつらしい。その上にはメンマや刻み葱、ほうれん草、ゆで卵などが、丁寧に盛り付けられていた。彩りも鮮やかだ。


「はあぁ~美味しそう! 早速頂きまぁす!」


 結菜は割りはしで麺をすくい、息を吹き掛けてからすする。

 途端に舌の上で、甘じょっぱい風味と芳ばしい香りがおどった。

 太めのちぢれ麺は、滑らかな喉越しで、胃の中へ落ちていく。


 そこからはもう、麺と具材を口内へ運ぶ箸が止まらなかった。

 颯馬の目があることなどかまわず、夢中で食欲を満たしていく。



「なんか思っていたより、お腹が空いてたみたいだね結さん」


「んー……。よく考えてみると昨夜日付が変わってからこっち、何も食べてなかったんだよね。シンクに放置していたプラスチック容器の空き殻は、昨日夕飯に食べたお弁当のやつだし」



 結菜は、ラーメンスープに浮いたゆで卵を、箸でまみ上げる。

 問い掛けに回答しながら、黄身の円い断面をしげしげと眺めた。

 颯馬も差し向かいの席でラーメンを啜りつつ、先を続ける。


「じゃあ今日も朝食抜きだったのか。また寝ないで漫画を描いてたの?」


「うーん。逆に描こうとしていたのに描けなかったから、眠れなかったというか」


「描けなかったっていうのは、スランプだからとか?」


「言ってみたいねぇスランプですって。私みたいに売れない漫画家だと、描けない理由は『実力不足』以外で読者に納得してもらえることなんかないから」


 結菜は、自嘲的につぶやき、ゆで卵を口の中へ運んだ。


「まあ端的に言うとねー、いいネタが出てこないんだよねこれが」


「つまり、漫画のアイディアがまとまらないってこと? もしかして漫画を描く前の段階で」


「そう。描くのはいつものホラー漫画なんだけどね、これっていう話が思い付かなくて」


「へぇ、そりゃ大変だ。やっぱり着想が浮かばなきゃ、実作業にも入れないんだよね?」


 まあね~、と答えてから、結菜は蓮華でスープを飲む。

 颯馬は、幾分うつむき気味の姿勢で、再び二度三度と麺を啜った。

 しかし直後に数秒、不意に所作を止め、器の中をじっと見詰める。

 結菜は何となく、年下の青年が示す反応に違和感を覚えた。



 と、おもむろに颯馬は顔を上げ、居住まいを正す。


「唐突なんだけどね結さん、ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだ」


 改まった口調で、話題を転じてきた。


「実は今日ここへ顔を出したのも、二人で一緒にラーメンを食べようと思ったからだけじゃない。久し振りに結さんのちからを貸してもらいたいことがあって、お願いに来たんだよ」


「どうしたの颯くん、私のちからを貸してだなんて。それって、もしかすると……?」


「まだ実際はどうかわからないけど、結さんの協力がなくちゃ解決できないことかもしれないと思う」


 結菜が驚き戸惑っていると、颯馬は若干テーブルの側へ身を乗り出した。


「最近聞いた話なんだけど、市内でやけに不思議な出来事の起こる場所があるらしいんだよ。それが原因で気を揉んでいる友達が一人、大学にいてね。何とか助けてやりたいと思っている」


「……不思議な出来事っていうと、その、科学や常識では測れないような?」


「うん、たぶん怪奇現象の類に位置付けられることなんだ」


 たしかめるような問い掛けに対し、颯馬はゆるい所作で首肯した。

 犀利そうな瞳で、結菜を見据えてくる。真剣そのものの眼差しだ。

 たまにこうした目つきで、颯馬は真っ直ぐな視線を寄越す。

 密かに結菜はそれが苦手だった。



 颯馬は、取り引きを持ち掛けるように付け加えた。


「結さんは今、漫画のアイディアで困っているんだよね? だったら今回も、丁度いい『取材』になるかもしれないよ。これまでにも怪異と接触して、それを原稿に描いてきたんだから」

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