レモンの色と朝焼けのオレンジ〜クリスマスVer.〜

笹木シスコ

ep.Orange&Lemon

「は?今、なんつった?」

 杉本が上半身を起こしたので、二人で一緒に入っていた掛け布団がめくれ上がって俺の裸の素肌が丸出しになった。

「さぶい……」

 俺は震えながら自分の腕で自分の肩を抱く。

 ここは杉本の家の杉本の部屋。の杉本のベッドの上。というかこの家の中は全部、杉本一人の居場所だ。杉本は高校生ながら訳あって、一軒家に一人で暮らしている。

「だからあ、24日の日、高橋たちと遊びに行くから杉本も行く?って」

 さっき言ったことと同じことを繰り返しながら、俺はめくれ上がった掛け布団を引きずり寄せて自分の体にかけた。いくら暖房をつけているとはいえ、もう12月も半ばなんだから、布団を被ってくっついて、お互いの体温で体を温めあってないと寒いんだって。

「おまえ……俺たちが付き合って初めてのクリスマスだぞ?友だちと遊ぶ約束するか、普通?」

 杉本が、信じられない、といった顔で俺を見下ろしながら言った。

「うん。でも誘われちゃったから」

「断れよ!」

「なんて断わればいいんだよ。付き合ってるの内緒にしようって言ったの杉本じゃんか」

 俺はクラスのみんなにゲイであることはカミングアウトしている。でも俺たち二人が付き合っていることは内緒だ。杉本がそうしようと言ったのだ。それは、自分が男と付き合っていることを知られたくないからじゃない。杉本はそんなタイプじゃない。ただ俺たちがまだ付き合ってなかった頃、杉本の友だちに、俺が杉本のことを狙っているんじゃないかとからかわれたことがあったので、杉本はまた俺がそいつらに何か言われるんじゃないかと警戒しているのだ。

 俺と杉本は、クラスは一緒だが、タイプがまったく違う。ざっくり言うと、俺は真面目。杉本は不真面目。だから付き合ってる友だちもジャンルが違う。杉本は俺の友だちには近寄らないし、俺も出来れば杉本の派手な友だちに近寄るのは御免被りたい。だから今回、誘っても来ないだろうな、というのは最初から予想していたことだった。

「クリスマスは家族で過ごすからって断ればいいだろ!」

 杉本はまだ怒っている。そりゃまあね。俺だってどうかと思ったけど。だからこうして、クリスマスの一週間前になってやっと打ち明けたんだよ。

「高校生にもなって親と過ごすってのもなあ……」

 俺がなんとかのらりくらりとかわそうとしているのを見抜いた杉本は、無言で俺から掛け布団をひったくると、ボフッと音をたてて俺に背中を向け、布団に潜り込んでしまった。あ〜あ、拗ねちゃった。

「杉本、ごめんね。25日は一日中一緒に過ごそ?」

「イブがいい」

「杉本く〜ん」

 俺は体を起こして杉本が被っている布団をめくると、杉本の限界まで脱色してレモン色になった髪にキスをした。次に耳、頬、首。順番に唇を押し付ける。六畳ほど、二人きりの部屋で、俺が杉本にマーキングしていく、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっという甘い音だけが小さく響く。

 手を後ろから、杉本の裸の胸に這わせたところで、あ、やべ、と思った。

 さっき散々ヤったばっかりだというのに、もう興奮してきてる俺。これだから杉本と一緒だと困る。

「杉本……」

 俺は手をスススス〜と下にずらして杉本の股間を触ろう、とした、そのとき、俺の腕を杉本がグッと掴んだ。

「え?」

「クリスマスに恋人をないがしろにするような人とはセックスしません。数学も教えません」

 そのまま俺の腕は、ポイと杉本の背後に放り出された。


 俺はその夜、自分の家の自分の部屋で、すっかり数学の得意な杉本を当てにして持っていった学校の課題に一人で頭を悩ませ、欲求不満のまま放り出された体を一人で慰めた。

 ええぇ……今回のことって……俺が悪いの?


 結局、もやもやとしたまま、杉本と仲直りも出来ないまま、24日の日を迎えた。

 俺は今、これでもかってくらいクリスマスの飾りでデコられた遊園地の入り口に立っている。

 一緒に来たメンバーは、高橋(男子)、薮内(男子)、斉藤(男子)、相田さん(女子)、生稲さん(女子)、俺、の六人だ。

「すごーい、綺麗!」

 相田さんと生稲さんが、早速スマホを取り出し二人でポーズを決めながら自撮りをしている。

 俺はあれから一度だけ杉本に『ごめんね』とラインしたものの、あっさり既読スルーされ、今はもう知るかって気分だ。こうなったら、今日は思い切り楽しんでやる!

 入り口のゲートを潜ると、目の前を20メートルはありそうな、どでかいクリスマスツリーが来場客を出迎えた。みんなで代わる代わるスマホを交換して、ツリーをバックに写真を撮り合う。

 その後は、寒空の下も何のその、ジェットコースターで歓声をあげ、コーヒーカップでぐるぐる回り、お化け屋敷でキャーキャー騒いで、みんな意味もなくお腹を抱えて笑い合った。

「観覧車乗ろうよ」

 相田さんの提案で、観覧車の行列に並ぶ。

「定員、何人?」

 高橋が言うので、一番背の高い俺が、えーと、と背伸びして列の先にある立て看板を読む。

「中学生以上は4人までだって」

「そっか。んじゃ3:3に分かれるか」

 すると、空気の読めない相田さんが、「ちょっと待って!せっかくだからペア作って乗りたい」と言い出した。

「ペアって……どうすんの?」

 場を仕切るのが上手い高橋も、さすがに困った顔をする。

「あたし、上條くんと乗るから。高橋くんと、優菜。で、薮内くんと斉藤くん」

「えーっ、なんで俺らだけヤロー同士なんだよ」

 斉藤が不服申立てをするのを「まあまあ」と軽く諌めただけで済ませると、相田さんは強引に俺の腕に自分の腕を絡ませてペア確定の態度をとった。この人は、ちょっとこういうところがある。

 そのまま彼女は、誰も反論出来ないほどの圧を発し続け、俺はなんとなく相田さんと二人で観覧車に乗り込むこととなった。

 特に相田さんと話したいこともない俺はどうしようかと思ったが、相田さんもぐいぐい来た割には特に話しかけてくる様子もなく、俺を無視して外を眺め始めたので、あーそーですかと遠慮なくコートのポケットからスマホを取り出して画面をチェックした。杉本からの連絡は、ない。

「優菜、大丈夫かな」

「え?」

 相田さんがポソッと呟き、不意をつかれた俺は驚いて顔をあげる。優菜、大丈夫かな?心の中で反芻してピンときた。

「もしかして生稲さん、高橋のこと……」

「うん。今日、なんとか二人きりに持ち込んで告るって言ってたんだけどさ。ちょっとあの子押しが弱いとこあるから」

 いやいや、相田さんの押しが強すぎるんだって、と突っ込みたくなったが、このシチュエーションに関してはナイスアシストだ。空気が読めないなんて思ってごめんよ、と心の中で謝ったが……ん?

「でもさ、高橋が断ったらどうするの?」

「え?」

「花火終わるまで帰らないんだよね?この後、めっちゃ気まずくない?」

 あ、と相田さんの口が開く。

「そこまで考えてなかった」

 おい〜……。やっぱ、さっきの無し!

 それから俺と相田さんは、違う意味でドキドキしながら二人きりの観覧車一周を終え、先に降りてひとつ後から降りてくるはずの生稲さんと高橋を待った。

 俺たちの見守る中、次の観覧車のドアが開き、「美優!」先に飛び出してきた生稲さんが、相田さんに走り寄って抱きつく。

 どっち?どっちなんだ?俺は、まるで人生の岐路を決める大事な場面に立たされた心境で、生稲さんの表情をじっと観察した。すると……生稲さんは、涙を流しながら嬉しそうに笑っていた。

 俺の全身から、ふう〜っと緊張が溶け出す。そして後から降りてきた高橋に、「おめでとう」と声をかけた。

「ん」

 高橋は、照れ臭そうに頬を指で掻きながら答えた。

 その後の女子二人のテンションの高さったらない。ピョンピョン跳ねてキャーキャー騒いでいるのを、後から降りてきた薮内と斉藤が「どしたん?」ときょとんとしながら眺める。

「花火、何時からだっけ?」

 事情を説明されれば冷やかされるということを予感したのか、高橋が咄嗟に話題を変えた。

「7時からだよ。先に何か食べて早めに場所取りしたほうがいいかも」

 相田さんが高橋に協力して話題を続けた。ナイスアシスト!今日は調子いいな、相田さん。

 そうしよう、と、みんながぞろぞろ歩き出したとき、高橋が生稲さんに何か囁いた。それを受けて生稲さんが幸せそうに笑う。俺はそれをぼんやりと後ろから眺めていた。

「あのさ!」

 気づいたら、声を出していた。

「俺、クリスマスの夜は家族で過ごすんだ」

 突然の俺の告白に、みんなの顔が、はあ?と一斉に歪んだ。

「いや、今日は特におばあちゃんの喜寿のお祝いも兼ねててさ」

 訳のわからない言い訳を付け加える。

 そして、「だから帰る!ごめん!」ぽかーんとしているみんなを尻目に俺は走り出した。


 帰りの電車は、まだ花火が始まる前だということもあり、比較的空いていた。

 俺は座席に腰を下ろすと、スマホを入れていた方とは反対側のポケットに手を突っ込んで、そこにあるはずの小さな包みを確認する。

 高いやつじゃないけれど、俺にしては頑張った、杉本に似合いそうな細かいモザイクの入ったシルバーのピアス。本当は明日渡す予定だったけど、なんとなく今日ポケットに入れて持ってきていた。

 車窓を流れる景色は、もうすっかり夜の闇に沈み、その中で街灯や家々に灯る団らんの明かりだけがぼんやりと浮かび上がって見える。今夜の団らんの灯は、きっと特別なものだろう。

 あ……。

 闇に沈んでいた漆黒の夜空に、小さな一輪の花が咲いた。その後も、どんどんと花が重なるようにいくつも咲いてはハラハラと落ちて消えていく。花火……始まったよ。無意識に右側に手を伸ばしていた。そこには誰も座っていない、空いた座席があるだけだ。


 駅を降りてからは一直線に走った。途中、ケーキ屋の前を通り、ウインドウ越しに中を覗いたけど、生ケーキのケースは既に空っぽになっているようで、俺は仕方なくコンビニに入り、スイーツコーナーを隈なく、かつ急いで目を動かしながら何かクリスマスっぽいものがないか探した。

 残念ながらケーキは無かったけど、クリスマスリースのシールを貼っただけでなんとなくクリスマス仕様にしてある、生クリームのたっぷりのったプリンを二つ買った。さすがに手に持っては走れないので、俺の嫌いな有料のレジ袋を購入してそこに入れてもらった。

 プリンを揺らしすぎないように腕を固定しながら走り、杉本の家の前に着いたとき、時間はもう8時を回っていた。コートの下はじんわりと汗ばんでいるのに、冬の冷気は息を切らした喉をひんやりと刺激する。

 杉本んちは、同じ敷地内に家が二軒あって、杉本が住む家と、その他の家族が住む家があるのだが、門は一緒だ。さすがにこの時間に門から入るのは家族に見咎められると思った俺は、以前よく出入りしていた杉本が住む家のすぐ横の塀をよじ登って中に入ることにした。

 プリンが斜めにならないように気をつけながら塀を乗り越え、杉本んちを見上げる。

 電気がついていない。友だちと遊びに行ってしまったんだろうか。それとも母屋の方?

 しんと静まり返った屋内の気配に、きっと留守なのだろうと落胆しながらも、未練がましく玄関に行き、チャイムを鳴らした。

 最初からこうすれば良かった、途中で帰る、と、杉本にも高橋たちにも言っておけば良かった、と俺が激しく後悔し始めた、そのときだった。まるでクリスマスのサプライズでも始まったのかと錯覚するくらい、それまで暗かった玄関のすりガラスの向こうが突然パッと明るくなり、人影がすごい勢いで近づいてきたかと思うと、引き戸が素早く開けられ杉本が思い切り強く俺に飛び着いてきた。誰が来たのかちゃんと確認したのかわからないほどの勢いだ。

「杉本……髪、びちゃびちゃ」

 濡れた髪が俺の顔にくっついて冷たい。寒い。取り敢えず俺は玄関の中に杉本を押しやると後ろ手に引き戸を閉めた。

「お風呂入ってたの?」

「うん」

「俺のこと待ってた?」

「……待ってない」

 言葉とは裏腹に、俺に抱きついた腕に力がこもる。

「うそつけ」

 俺は笑って杉本の背中に腕を回した。

「俺のこと……」杉本が呟いた。

「ん?」

「今日、俺のこと、ちょっとでも考えた?」

「ずっと考えてたよ」

「うそつけ!」

「ホントだよ」

 俺は杉本の背中に回した手に力を込めた。

「遊園地のでかいツリー見たときも、観覧車乗ったときも、電車の中から花火見たときも、隣に杉本が居ればいいのにって思ったよ」

 杉本からの返事はない。代わりに、俺の首に顔を埋めていた耳が、真っ赤になっている。

「乙女か!」

 突然、杉本がこぶしを作って俺の肩を叩く。

 お前がだろ、と思いながらその手を握り、反対側の手で、コートのポケットから出した小さな包みを杉本の手のひらに握らせた。

「えっ」

「メリークリスマス」

 驚いた杉本が包みを見つめ、続いて俺の顔を見つめ、そして満面の笑顔を浮かべた。その顔が、さっきの生稲さんの笑顔と重なる。ああ、俺、杉本のこの顔が見たかったんだ。

「開けていい?」

「もちろん」

 俺が言うと、杉本はそっと袋を閉じているシールを剥がし、中身を取り出した。

「かわいい!」

 杉本が声をあげる。『かっこいい』んじゃないんだ。

「俺、つけてくる!」

 杉本がバタバタと廊下を走っていき、洗面台のある脱衣所に入っていく。

 俺は、やれやれと靴を脱ぎ、高い上がりかまちを踏んですぐ左側の和室に入り、電気をつけて暖房を入れた。勝手知ったる他人の家とはこのことで、コートを脱ぎながらプリンの入った袋をこたつの上に置き、ついでにこたつのスイッチも入れて中に脚と腕を突っ込んだ。あ〜あったけぇ〜。

 俺が冷えた手足を温めていると、またバタバタと音がして、杉本が和室に入ってきた。

 そして俺の前に屈み込むと、「なあ、似合う?」とピアスがよく見えるように耳を俺の顔に寄せる。

「おー、いーじゃん」

「ん」

 杉本が唇を突きだし、俺はその唇にキスをする。あ。やっと落ち着いた。そうだ、俺、この一週間ずっと落ち着かなかったんだよ。たった今、杉本の唇の温かさが、俺の中身を満たしてくれるまで。俺はいつだってずっと、杉本とこんな感じでいたいんだ。

「あ、そうだ」

 杉本が唇を離して、「パウンドケーキあるんだ。今日、初めて俺一人で焼いたやつ。食べる?」と立ち上がり、返事を待たずにダイニングへ向かった。

 俺も立ち上がると、これも食べなきゃな、と生クリームたっぷりのプリンを袋ごと手に持ちダイニングへ続く。

 そこで、はたと思いたち、湧き起こった疑問を杉本の背中にぶつけた。

「そういえば杉本家ってお祝いごととかあるときはパウンドケーキなの?」

「え?なんで?」

「俺の誕生日のときもパウンドケーキだったよね」

 確か杉本の誕生日のときもだ。そのときはそれとは知らずに食べたんだけど。

「普通はイチゴののったショートケーキとかじゃない?」

 俺が続けると、杉本は、ああ、と水を入れたやかんを火にかけながら、「俺が、生クリーム食えないんだよ」

「えっ!?」

 驚いてのけぞった俺の右手で、有料レジ袋がカサッと音をたてた。



              〈了〉






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