第2話 モモンガを嗅いでみる。
「まじ見分けつかないよね。俺に頼んだ奴もわかんないと思うけど」
「じゃぁどれでもいいんじゃね?」
「飼い主ならわかる気もするからなぁ。この飼い主ね、急に出張になったからって友達のホストに預けたんだよね」
「なんだその営業。客も客だよ。何故ペットホテルに預けない」
「急で取れなかったんだったんだってさ。だから俺経由で徳田さんに頼んだんだよ」
「ああ、お前顔広いからな」
店内には8体のモモンガがいた。オス2、メス6で6匹に絞られたが、そこで梅宇は頓挫した。本当に見分けがつかないのだ。まだ文鳥の方が違いがわかる。その友達とやらはケージごと預けたらしいがケージにも特徴がない。
「困ったな。今日そのお客に返すらしいんだけど」
「その客を連れてきて選ばせればいいじゃないか」
「友達の面子が潰れちゃう」
「知るかよ」
梅雨は頭をかきながら徳田がメモを残してないか漁っだけれども、何も見つからなかった。だから仕方なく、その辺のクリップをまっすぐに伸ばして鍵付き戸棚をピッキングして徳田の履歴書だとか資料を取り出す。
「凄いね。ひょっとしてつゆちゃんヤバい仕事もしてんの?」
「危ない真似なんぞするか。1級鍵師を取る時習ったんだ。実地で使うのは初めてだ」
「今日から泥棒になれるじゃん」
不機嫌そうな梅宇が仕入れ簿と売上を照らし合わせた結果、この店の在庫のメスのモモンガは5頭とわかる。だから1頭はやはりその友人とやらの持ち込みなのだろう。
従業員名簿から徳田の連絡先を見つけてかけると4コールほどで繋がった。これでなんとかなるだろう。そう思って梅宇が胸を撫で下ろせたのも束の間だった。
「あれ? 越前さん? 何で?」
梅宇は徳田の声がおもったより元気なことに安心した。
「今、仲井の店で餌やりしてるんだよ。それで公理からモモンガ預かったんだって? 連絡先を聞いてさ」
「うんうん。マチェテちゃんね」
「
「ケージ? ケージはどうだったかなあ。えっと耳が他の子よりちょっと垂れてて額の三角がちょっと丸っぽい子だよ」
「垂れ……? 俺じゃ見分けがつかん。他に何かないか」
「ええ他に? 首元がピスタチオみたいな匂いがする」
梅宇は徳田はさっきから何を言っているんだと思いながら試しに嗅いでみたが、モモンガ特有の獣臭さと湿気った匂いがするだけで、区別なんぞ全くつかなかった。わずかな違いがあるんじゃないかという程度には判別できるが、ピスタチオ感なぞまるで感じることはできない。
そしてそもそも梅宇自身と徳田のピスタチオ感が違う可能性に思い当たる。ピスタチオを嗅ぎ慣れている人間などほとんどいないだろう。
つまり徳田は全く当てにならない。
「そういや事故ったって聞いたが大丈夫なのか? 可能ならどれがマチェテなのかだけでも見分けてもらいたいんだが」
「うう。ごめんなさい。骨折して入院してるんだ」
「電話大丈夫なのかよ」
「平気平気。明日にはお店にでれると思う」
「まあお大事にな」
流石に病院にケージ付きのモモンガ6匹も持ち込むのは不可能だ。それ以前にそもそも病院はペット厳禁だろう。
梅宇は再び途方に暮れた。
「うん? 臭い? おい智樹、そのマチェテはどのくらい前からここに預けてるんだ?」
「前っていうか夜だけ4日くらいかな」
「そうするとそのマチェテに付着した臭いはおそらく飼主の臭いが強くて、他のモモンガはこの店の臭いが強い気がする。徳田が言っていたように臭いで区別できたりするのかな」
梅宇はピスタチオ感はさっぱりわからないが、何らかの手立てで区別がつくのではないかと首を捻り、智樹と一緒に匂いを嗅ぐ。
「どれも似たような変な臭いだよ? つゆちゃん違いわかるの?」
「今のところ全然わからん。俺らは何をやってるんだろうな」
再び手元の入荷資料をめくってダメ元で手がかりを探す。そこからは他のモモンガの入荷はおおよそ2ヶ月から3ヶ月ほど前で、1匹だけ半月くらいのモモンガがいることが記載されている。
「お前はケージごと預けてたんだよな」
「そうだよ」
「そうするとこのモモンガの家は持ち込んだままってことだよな」
「うーん、特に変えてはないと思うけど。あ、家はピンクだった。だからこの子とこの子は違うかな」
家がピンクのメスは4匹だ。これで4匹に絞れた。
モモンガの家は袋状になっている。布製だから臭いが染み付きやすい。だから梅宇はモモンガを家から追い出して袋を回収した。モモンガは夜行性で昼はだいたい家で寝ているものだから、無理に追い出されたモモンガはシューシューと威嚇の声を上げた。
「可哀想じゃない?」
「でも他に手がかりはないぞ」
「臭いの違いなんてよくわからないよ」
「ああ。そりゃここで嗅いだってわからないだろ。そもそも嗅ぎ取ろうとしている店の中なんだから」
ここで? と呟く智樹を連れ、梅宇はモモンガの家の袋と何枚かのビニール袋を持って店の外に出た。
外に出ると服が獣臭くなっていることに気がつき、梅宇は悪態をつく。エキゾチックアニマルというのはだいたい臭い。フェレット然りモモンガ然り、臭腺というものがあるからだ。それでもペットショップで売られるような個体は若いからまだマシだが、そもそもペットショップにはいろんな動物の匂いが混じり合った臭いがする。
「この服の臭いがとれなければクリーニング代を請求したってかまやしないよな?」
「その格好で?」
慌てて家を出てきたものだから、梅宇は適当なシャツとパンツ姿だった。ジャージ上下よりはマシという程度。
気を取り直して梅宇は外の清浄な空気の下でモモンガの袋を嗅いだが、やはり臭いだけだった。
「俺は何をしているんだろう……」
梅雨は自問自答を始めた。
「まぁまぁ。それでどうするの?」
「臭いの違いを探す。そのマチェテだけ独特の臭いがすればいいかな、と」
「それで何をやってるの?」
「モモンガの袋を直嗅ぎすると臭すぎるからさ、今臭いを貯めてる」
「臭いを?」
「そう。チャック付きの袋に空気と一緒に入れておいて、純粋なモモンガの袋の臭いをだな」
「そういうのどこで知るのさ」
「……臭気判定士を取る時に習った」
「つゆちゃんは相変わらず何でもできるねぇ」
「……何でもはできないぞ」
何でもできるのかな、と独り言ちた梅宇は実際は大抵のことはやろうと思えばできるのだ。医師や薬剤師等の受験に大卒資格が必要な資格や、学校や実地で学ぶことを前提とした資格以外、つまり一発合格が狙える資格を梅宇は軒並み持っている。
そんなわけで記憶力も地頭もそれなりにいい梅宇は、テキストを思い出しながらチャック付き袋からモモンガの袋を取り出すと、モモンガの袋の臭いの満ちた20センチ四方の袋ができた。そしてその端だけ少し開けて空気を押し出す。
「わぁ。梅雨ちゃんがビニール袋に入ったナニカを吸ってると薬やってるみたいだねぇ」
「真っ昼間に何つうことを言うんだ全く。お前も嗅げ。俺は別に嗅覚が鋭いわけじゃないからな。多数決だ」
「2人で多数決?」
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