文鳥とモモンガ。
Tempp @ぷかぷか
第1話 文鳥に餌をやる。
その眉間には深く皺が刻まれ、大柄な体から伸びるゴツゴツした右手指で摘む小さなスポイトはぷるぷると揺れ、そしてそれは容赦なく文鳥の雛の口に突っ込まれた。
「キュウ」
少量をその喉奥に流し込んで引き抜き、梅宇の左掌をふしふしと踏んで姿勢を正す小さな生き物をケージに戻す。
「……何で俺が」
もう何回目だかよくわからなくなった無意識の呟きがこぼれた。
眉間に更に皺を寄せつつ、梅宇は都合8羽の文鳥に次々と給餌し、ケージに戻す。そして自業自得だと思い直し、我ながら手慣れてるなと思い至り、ますます嫌な気分に陥っていた。
梅宇がこの事態に巻き込まれたのは1時間ほど前だった。友人と知人の境目にいる
「つゆちゃんか? 俺だ俺、仲井だ」
『ばいう』という奇妙な読みはよく
そのやけにオレオレ詐欺じみた電話に梅宇が記憶をかき回すと、そのまま視界がぐらりと揺れた。昨日の酒がまだわずかにだけ残っていた。どうせ起きればそれは揮発油のように消え失せてしまうものだが、その名前と声を意識が繋げるまで5秒ほどを要した。
「仲井、仲井……あぁ」
「店を頼みたいんだ! 1週間ほどだ。店を開ける必要はない。お願いだ!」
「なんで俺が……」
「こういう時のために毎月金払ってるんだろう? なぁ、頼むよ」
「……内容と金次第だ」
そんなわけで今日から梅宇はペットショップの雇われオーナーになったのだ。
梅宇の本来の仕事は、有り体に言えば自宅警備員だ。それなりにハイグレードな1LDKのマンションを警備しているが、警備体制は万全なわけでもない。
気が向いた時に起き、気が向いたら出かけ、日中は本を読んだりしながら過ごして暗くなると飲みに行って、朝になったら帰る生活を繰り返している。
そんな自堕落な梅宇の収入源は名義貸しである。世の中には特定の資格がなければ営業許可が降りない業種というものがある。典型的なのが不動産業で、1つの事業所の従事者5人につき1人以上宅建士を置かなければならない。梅宇は知り合いの不動産業者に宅建士として名前を貸して、月3万円もらっている。
相場としては少し安めだが、その分信用ができる者にしか貸していない。梅宇はそのような資格を大量に保有していて、積もり積もるとそれなりの収入になる。
だから新しい資格ができるととりあえず取ってみるという習性があり、高卒で取れる資格は軒並み取得していた。
そして今回、梅宇が仲井に貸した名義はトリマー中級で、仲井の店は梅宇を動物取扱責任者として登録していた。
普段は仲井が店の全てを回している。けれども今回は生憎、仲井が海外に希少動物の買い付けに出かけていた時、店を預かるバイトが交通事故に遭って来れなくなったと言う。
「店を開けなくて良いんだ、動物に餌をあげて温度管理がおかしくなってないかだけ確認して欲しい。餌の分量は全てメモしてある」
「1日1回見に行けばいいか?」
「いや、あの、ぴーちゃんの子どもがいて、ですね」
急に仲井の声がうろたえ始めた。
ぴーちゃん……。
責任者になっている手前、月に1度ほどは店に様子を見に行く。それで仲井が猫可愛がりしていた文鳥を思い出す。そして卵を産んだと言っていたことに思い当たる。
生まれたばかりの文鳥は1日4、5回餌をやらないといけない。
「糞。今2時半かよ。朝飯やってねえじゃねえか!」
「そう! そうなんだよ! だから早く餌をやらないと!」
「1日3万だ」
「えっ高くない?」
「この俺に規則正しい生活をさせようというんだぞ?」
「すまなかった」
それで先ほどの顛末に至る。
梅宇がそんなやり取りを思い出しながら他の動物の餌箱に餌を投げ入れていると、ふいにチャランという音が鳴り響く。文鳥の餌の一念に駆られ、店のシャッターを半明けにしたままだったことを思い出し、慌てて入口に向かうと見慣れた淡い金髪が見えた。背の高い男が半閉めのシャッターを押し上げ、その下から店内を覗き込んでいる。
見知った奴であることに息をつく。
「御免ください、って何でつゆちゃんがいるの?」
「店長は出張で、帰りは1週間後だ。何か用か」
目の前の
「困ったな。昨晩
徳田というのは事故にあったバイトだ。
「モモンガ飼ってんの?」
「預かってるんだよ。でも夜はここに預けてる」
「お前のマンション、ペット可だろ」
「そうなんだけどさ。俺、酔っ払ったら暴れるから」
「あー」
「それでどの子かわかるかな」
智樹は酒乱だ。なのに昔から飲まないと寝られない。暴れなくとも窓を開けたまま飲みつぶれて、逃がしてしまわないとも限らない。
店内を見渡すと、いくつかのケージにはモモンガが入っていたが、梅雨の目には全く見分けがつかなかった。個体差がない。
德田の連絡先を聞こうと仲井に電話をしても繋がらない。出先はパラグアイと聞いたから今は深夜だろうし、そもそも電波が繋がらないのかもしれない。
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