第2章第2節 牛と馬と鹿と
「あら、お帰りなさい。テオ。」
「パラケルススとお呼び下さい。」
丁寧な言葉遣いに対して、敬意や気遣いを感じない語気。しかし、アフロディーテは気にしていない様子。
「ふふふ。何だか楽しそうね。ナニか収穫があったの?」
贔屓目に見ても、パラケルススの表情から感情の類いは感じられない。
「ええ。これが存外面白いモノがありまして。早速模倣してみようかと。」
「得意だものね。物真似。」
パラケルススが溜め息を吐く。
「悪意がないだけ厄介ですね。貴女でなければ激昂しているところですよ。」
「ぅん? 何のことかしら?」
しかしやはり、言葉とは裏腹にパラケルススの顔に感情は浮かび上がらない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「悪意がないだけ厄介だな……。錬金術師相手なら激おこぷんぷん丸だぞ。」
「え!?」
どうやら、ベルがメルを怒らせたらしい。
「だって、
「それは、今すぐ出来るって意味じゃない。緻密に積み上げられた基礎研究があって始めて実現できるってことなんだよ。」
「そ、そうなんだ……。でも、知らなかったんだから、そんなに怒らなくてもいいのに……!」
先日のパラケルススの襲撃の際に見せた不可解な攻撃。気配を遮断した移動や、こちらの攻撃への阻害など、原理の解らない現象に、一行は例外なく戸惑っていた。
「だとしても、真似出来ないのぉー? とか、軽々しく言ってくれたからな。」
メルはベルの口調をかなり誇張して真似た。ベルの堪忍袋の端に火が着いた。急に刺すような冷たい目線に変わる。
「軽々しくなんて言っていません。それが出来ればどんなに良いかと、期待を込めただけです。」
「だから、勝手に期待するなよ。期待したなら、その分落胆するんだろ? 本当に勝手だな。」
「ふ、ふたりとも……。」
ウルは涙目で仲裁のタイミングを伺っている。
「分かりました。勝手に致します。さようなら。」
「ふん。泣きついてきても知らんからな。」
ベルはクレイオスから降りていく。
「お師、さすがに言い過ぎですって。ベルさん、本当に帰ってこなくなっちゃいます……。」
ウルはメルの正面に回った。すると、メルは涙を目に溜めていた。口元はへの字に歪み、涙を落とさんと堪えている。
「うん。言い過ぎた……。」
しかし、こういう時のメルは素直になれない。
ベルはクレイオスを降り、街の目抜き通りに来ていた。すれ違う人々が例外なく振り向く。それは、ベルの頬に涙が伝っていたから。
「うぅ……なんであんなこと言っちゃったんだろう。早く謝らなきゃ……。」
しかし、ベルの足は遠退くばかり。
メルは気を落ち着かせるために、新しい武器の開発に勤しんだ。研究や開発をしている時は他のことを考えなくて済む。俯瞰して考えた方が良い案件の前には、こういうクッションが必要らしい。
「お師、何をしてるんですか?」
「ああ。雷銀弩の投射方法を更新しようと思ってな。丁度、良いアドバイザーがいたからな。」
「アドバイザー?」
机の上には、銀色の立方体や球体、多重に巻かれた金属線の輪などが散乱している。
「ふむ。僕には何が何やら解りません……。」
「完成したら教えてやるよ。」
少しだけ思考が澄んできた。空いた頭の要領に、またパラケルススのことが流れ込んでくる。どうしても、思考から排除しきれない。紐付いてベルの顔が浮かぶ。
「原理が解らんなら解らんなりに、仮説は立てなきゃな。検証も対策の提案も出来ない。どう思う?」
「なんとなくなんですが、彼は〝火〟の錬成が一番強いと思います。その大きさに惑わされてしまって、確証はないのですが、ほんの少しだけ〝火〟を行使してた様に見えたんです。」
「ふむ。」
結論に至らずとも、些細な手掛かりも貴重だ。今は間違っていても情報がほしい。情報の精査なら後で行う。
「奴が
得られた情報の中で、確かな情報と不確かな情報を選り分け、整理し、綺麗に並べていく。しかし。
「あー解らん! 四元素使える前提に立つと何でもアリ過ぎる!」
「可能性が広すぎる……。」
議論が煮詰まってしまった。こういう時は、全く違う側面を探す。例えば、錬金術ではない可能性。
「だとすると、どうだ? 超能力とかは無しだぞ。」
「言いませんよ……。んー?」
ウルは、パラケルススが襲撃してきた際の会話を思い出す。1つ気になった事があった気がした。
「そういえば。未知の病気についてや毒に明るいとおっしゃてましたよね。例えば、どの様な?」
「うろ覚えだが……医療分野だと、てんかん、精神疾患、高山病、外科全般。毒性学だと、こんなこと言ってたな。
〝全てのものは毒であり、
毒でないものなど存在しない。
その服用量こそが毒であるか、
そうでないかを決めるのだ〟
とかなんとか。とても論理的で美しい格言だ。」
ここまで説明しながら、同時並行に仮説が組上がる。
「オレ達、盛られてたのか?」
「毒性物質ということですね? 今から血液検査で検出できるでしょうか?」
「ほぼ無理だろうが、やってみよう。」
仮説の組み上げた後は検証。少しずつ、霧だったモノが輪郭を表す。手に掴めるまで、あとどれくらいの道程か。
外は猛暑であった。目抜き通りをふらつくには適さない気候。脱水によりベルの足がふらつく。
「クレイオスの中は、熱交換? とか言うので涼しかったから分かんなかったけど。外がこんなに暑かったなんて……。」
ベルはクレイオスから出てきたことを少し悔いていた。メルと喧嘩してこととは別案件として。曖昧な思考で、他の後悔も掘り出していた時、道の少し先に水溜りを見付けた。
「え? こんなに暑いのに?」
近くで見ようと歩み寄ると、地面を滑るように消えてしまった。驚いて辺りを見回すと、また少し先に同じ様な水溜りが見えた。
「私……疲れてるのかな?」
近付くと消えてしまう水溜りを追い掛けていた時、たまたま喫茶店を見付け、駆け込む様に入っていった。
「冷たいオレンジジュースを下さい……。」
「すまないね。オレンジジュースは切らしてて。リンゴジュースならあるんだが。」
「なら、それでお願いします……。」
「はいよ。」
注文した品が届くまで、窓の外を漫然と眺める。誰に問うでもなく、独り言を呟いた。
「あの、追い付けない水溜り、何なんだろ?」
いつもなら、ふと浮かんだ疑問はメルが解消してくれる。全ては教えてくれなくとも、自らの思考で辿り着ける様に誘ってくれる。最近、それに慣れてしまっていた。
「それは、〝逃げ水〟ってやつだよ。暑い日にはよく出てるね。なんなんだろうね? あれ。」
振り返ると、先程オーダーを取ってくれた男性が、リンゴジュースを持って立っていた。
「はい。リンゴジュース。」
「ありがとうございます。」
ベルは、欲望のまま渇いた喉にリンゴジュースを流し込んでいく。最初は潤う快感だけに支配されていた味覚が、満足感と共に戻ってくる。とても甘い。
「メルちゃんが好きそうだな。」
思わずそんな言葉が零れた。
一方、メルとウルの血液検査が終わり、結果が出た。
「ムスカリン、ムスカリジン、微量のイボテン酸とムッシモール……成る程、テングタケの類いか。神経の不活性化、幻覚、せん妄を発症する。あとは、眩暈だ。心当たりないか?」
「眩暈! 勝手にあれは動揺によるものと決めつけていました。」
「オレもだよ。まさか毒物による症状だったとは。」
しかし、疑問の全ては解消されない。
「まず、そこまで出来るなら何故そのまま殺さなかったのか。」
「それが目的じゃなかったから?」
「ふむ。これは議論しても結論が出なさそうだ。」
次の疑問。
「致死量にならないように調節したとして、いくら神経が不活性化されて認知機能が低下してもだ、突然消えた様に見えたり、都合の良いように脳が捉えるか?」
しかし、かなり多くの部分で事実を説明できる。
「だからイライラしちゃったんかなー。もうー。」
「でも、毒かどうかは関係ないでしょ。仲直りするのには。」
「そうだな。探しに行くか。」
2人はベルを探しに、クレイオスを降りた。
ベルがいるであろうは目抜き通り。まずは、目抜き通りから探してみる。クレイオスの外は干からびる程の猛暑だった。
「あっつ……。これ、ベル無事か?」
「変なこと言わないで下さい。そこの喫茶店とかに入ってたりしませんか?」
2人は喫茶店に入っていく。店の中は外よりは涼しい。しかし、ベルの姿はない。
「いないなベル。」
「そうですね。」
ふと視線を移したテーブルには、結露したコップが1つ。
「待ち合わせかい?」
店員の男が声を掛けてきた。
「待ち合わせ、というか人探しだな。黄色の服着た女の子、来なかったか? めっちゃ可愛いから目立ってたと思うんだけど。」
「ああ、あの子かね? だったら、ほんの少し前に出ていったよ。いきなり金貨取り出すから何者かと思ったよ!」
「ああ、その子で間違いない。」
少し遅かったようだ。
「そか、あんがと。じゃあオレ達はこれで……。」
「ちょっと待ちなって。君が〝メルちゃん〟かい?」
「ふえ?」
自分の名前を唐突に耳にして不意を突かれる。
「そうかそうか。ならそこに座りなさい。いいからいいから。」
言われるがまま卓に着く。急いでいるわけではないが、ベルが遠ざかってしまう焦りで、多少浮き足立つ。
「はい、これ。」
「頼んでないけど?」
「奢り、だ。」
男が似合わないウィンクを投げる。目の前には薄い肌色の液体。経験上リンゴジュースだ。不可解な事象を前に、2人は首を傾げる。
「冷たいうちに飲みな。」
2人は言われるがままに一口。
「うまい!!」
リンゴジュースを前にした時点で多少テンションが上がっていたメルだが、不可解さに押し負けて表情には出なかった。それが今は抑えきれずにいる。
「そうだろ? さっきの女の子のお墨付きさ。〝メルちゃんが好きそう〟だってよ。」
店員は悪戯っぽく笑っている。
「お師、顔が赤いですよ? 熱中症かな。もう一杯貰います?」
ウルも悪戯っぽく笑っている。
「……もういっぱいいっぱいだよ。」
2人は喫茶店を後にした。次に向かうとしたら図書館。
「こっちだったよな?」
「そっちじゃありませんよ。」
何かと理由を付けて、ウルの方に顔を極力向けないようにしている。ウルからはメルの表情は見えないまま。
「そっぽ向きながらでいいですから、あっち行きますよ。」
「う……うむ。」
2人が歩き始めたその時、遠くから大きく低い音が聞こえた。その直後、正反対の方向からも同様の音が轟いた。いや、音源は3つあるようだ。
「ウル! 図書館ってあっちだよな!」
今度は正確な方角を指す。
「そうです!」
「なら、図書館が遠い、あっちとこっちを優先する! ウルはあっち!」
「もう1つは?」
「解らんか? そこが一番早く終わる。」
メルは北北西、ウルは北東に向かった。図書館があるのはここから南の位置。2人は二手に別れ、作戦行動を開始した。
先に現着したのはウル。
「こいつは……あの影の男が使役していた小人憑き!?」
そこでは、巨大な体躯に牛の頭部を持つ小人憑き。それが建屋を破壊しながら街の中心に向かっている。ヒトを見付けても、小人を感染させようとする素振りが見えない。明らかに破壊活動を指示されている。そして、近くに主犯が潜んでいる可能性が高い。
「影からの奇襲を警戒しながら闘わないといけないわけですね。なんとも厄介だ。」
ウルはバングルに右手を添えた。
「
右手を振り払うと、スラリと細長い刀身が現れた。そして、正八面体を3つ取り出し地面に放り投げた。
「
地面が隆起しゴーレムが3機鋳造された。
「
2機のゴーレムは指定の方向へ駆け出し、1機はウルの傍らへ近づき、敵性体を見据えた。
「さあ。リンゴジュースの分は働きますよ。」
その頃、メルも現着していた。巨大な体躯に馬の頭部を持つ小人憑きが、街の中心に向けて進撃している。どうやら、ヒトを襲う入力がされていない。だとすれば、狙いは1つ。
「新兵器を卸そうか。お前らを想いながら造ったんだ。冥土の土産にでもしてくれよ。」
メルは雷銀弩をホルスターから取り出した。さらにポーチから、いつもと同じ外観の試験管を取り出す。
「来いよ馬面。吠え面かかせてやるよ。」
喫茶店から見て南、第3の小人憑きが暴れている現場。巨大な体躯に鹿の頭部を持つ小人憑き。建物を壊しながら街の中心に突き進んでいる。その行く先にベルの姿があった。
「図書館の中にいたから気付くのが遅れちゃった。きっと、あっちの2つはメルちゃんとウルさんが向かうはず。」
ベルは左手を前に構えた。拳は握らず指先を相手に向けている。全身が脱力し、構え以外を見れば戦闘に赴く姿にはまるで見えない。さらに、一息吐く。
「赫耀さんに習ったことを実践してみます!」
ベルはさらに、もう一息吐くと、小人憑きに向かって跳躍した。
ウルの持ち場ではゴーレムが奮戦していた。何故ならば、ウルの太刀では刃が通らない。
「格好付けといて、これだもんな。誰もいなくて良かった。」
全く良くはないが、独り言を呟いた。前回の方法を踏襲し顎から首にかけての部分も狙ったが、改良を加えられたのか、有効な方法ではなくなっていた。
「体躯の改造も出来るのか。どこまで自由度があるんだ?」
ゴーレムが囮として陽動し、ウルは防御の薄い部位を探していた。しかし、ウルは鬱屈していた。本来なら、部位を選ばず切り裂けるのが望ましい。
「太刀を造る技術はかなり改善されました。もし、足りないとしたら、それを振るう技術。」
ウルは、神器を創ることはあっても、それを振るう機会には恵まれなかった。それは幸運であるとも捉えられるが、前線に駆り出されるようになってからは、その経歴を恨むこともあった。
「無いなら無いなりに、これから培いましょう。」
理想の真似事から始めるのが基本のき、守破離の守。しかし、武器を扱うことに関しての師はいなかった。失礼ながら、次点で思い浮かんだのが、ゴルドロフ先生の槌。あの、無駄な力を感じない澄んだ打撃を思い出す。
「出来ないのは百も承知。摺り足で近付いてみせます。」
ウルは右手のみで太刀を頭の上まで振り上げた。ゴーレムが陽動している隙を見て、袈裟懸けに振り下ろす。太刀は小人憑きを切り裂くどころか、表皮に食い込むこともなく弾かれた。
「は!?」
想像よりも遥か下の結果に素直に驚く。まさか、傷を付けることすら出来ないとは。しかし、ウルの目から灯は消えない。
「まだです……まだですよ!」
メルは小人憑きの頭部に雷銀弾を撃ち込んでいく。しかし、小人憑きの姿勢を多少崩す程度に終始した。
「お。ウルのゴーレムか。助かる。」
ゴーレムはメルに一瞥もくれず小人憑きに向かっていく。
「もう少し愛想良くなるように造ってもらおう。」
誰も聞いていない冗談を吐く。ゴーレムの陽動が加わるも、メルの行動に変わりはない。雷銀弾を錬成し、小人憑きの顔に炸裂痕を残していく。
「おいおい二重顎。お前の顎はどこにある?」
ベルが対面していた小人憑きはすでに沈黙していた。ベルが跳躍し小人憑きの懐に入るなり、いつもとは比較にならない程ゆったりとした速度で腕を伸ばしていた。その後、拳の速度とは反比例しているかの様に、恐ろしく大きな衝突音が轟き、小人憑きは沈黙に至った。
「ふぅ。勉強通り出来ました。」
ベルが戦闘態勢を解いたとき、胸元から甲高い音が響いた。ベルは、それに合わせて真上に後方宙返りした。
「な!?」
ベルが跳躍の頂点で真下を見ると、例の影の男が驚いた顔で此方を見ているのが確認できた。そのまま落下し、影の男に向けて蹴りを放った。宙に舞う落葉のように、蹴りから逃れる男。
「なんだ? ズルの奴じゃないか。ズルいな。」
「いいえ。立派な錬金術と聴いています。」
ベルは再び戦闘態勢に入る。先程と一寸も狂わぬ構えに流れるように収まる。影の男は対面する様子を見せず、懐から薔薇のブローチを取り出した。
「仕方無いですね。皆さん、あの女を殺して下さい。」
そう言うと、建物の暗がりに滲むように消えた。その後すぐに、胴の長い、鼬に似た小人憑きが2体現れた。その2体は殺意を剥き出しにしながら、ベルに襲いかかった。
「来なさい。」
2体は左右に分かれ、2面戦闘に持ち込もうとしている。しかし、ベルはどちらにも向き合わず、変わらず前を向いている。2匹はベルの側面から挟撃する。小人憑きの鋭利な爪が、ベルの白い首元に届くかと思われた時、ベルが動いた。
「
囁くような声でそう呟くと、前足を軸に回転しながら小人憑きの爪を流れるように躱していく。そして一方の小人憑きに接近した。腕を引く間合いすらない。ゆったりとした動きで、掌を小人憑きの胸に添えた。
「
小さく澄んだ、それでいて明瞭に聴覚出来る声で囁く。それとほぼ同時に、爆発の様な轟音と共に、小人憑きの胸に大穴が空いた。もう一方の小人憑きが追撃をかける。
「
ベルは小人憑きの腕に手の甲を添えた。そのまま腕を外旋させると、小人憑きがベルの後方へ吹き飛んでいく。小人憑きが態勢を立て直し、飛び掛かろうと脚部に力を込めた。
「
ベルは予備動作も無く、小人憑きの目前まで跳躍し、構えのまま左手を小人憑きの顎に当てた。小人憑きは、本人が気付くこと無く絶命した。
その直後、銀色の鈍い煌めきが走った。影の男の獲物である。無音のままベルの背後に近付き、短刀を突き付けた。しかし、それはベルを貫くこと無く空を切った。
「な!?」
影の男は躱される想定が無かった。ベルの目前に無防備を晒している。ベルがゆっくりと、影の男の背中に触れる。
「
すると、鈍い炸裂音と共に、影の男は地面に叩きつけられた。
ベルは赫耀から〝力の抑揚〟について教えを貰っていた。ベルの場合、間接の回転には詳しかったが、筋肉の使い方には明るくなかった。それは、知識の泉が本であったから。赫耀はそれを指摘して不器用と表現した。力の抑揚とは、必要な時に必要なだけ力を出力する技術。
「がぁっっ!!!」
影の男は地面に伏したまま動けない。
筋肉は力を入れ続ければ、それだけ瞬発的な出力が低下する。これが所謂、〝力んで固くなっている〟状態。逆に言えば、常に脱力し打撃の瞬間だけに出力の極大値を合わせるのが理想である。理想であっても実現は困難。センスの賜物である。
「大丈夫。手加減はしました。呼吸をすることに集中してください。」
そう言われて呼吸が出来ていないことに気付く。気付いてなお、呼吸することさえ困難なことも解った。ここで、影の男の意識が途絶える。
ウルは未だに小人憑きを両断できずにいた。そして、奮戦していたゴーレムも磨耗により機能低下が著しい。
「やはり、僕には無理なんでしょうか。」
誰に問いかけるでもなく、ただただ呟いた。遂にゴーレムがその身を崩壊させた。ウルが苦し紛れに切り付けるが、やはり切り裂くことは能わない。返す刀で打撃を受けてしまう。
「ゲホッ……。」
ウルは出来ると自分を信じた自分を呪い始めていた。
「僕らしくないことをしてしまった。」
産まれてからずっとそうだった。望まれた
「泣くときは1人では泣かないで。」
突然、あの夜のことを思い出した。冷たかった手に熱が戻る。地面に吸い込まれるような感覚が消え、脚に力が漲る。小人憑きが接近してくるのが見える。ウルは立ち上がった。
「もう1人ではないんです。あの頃とは、違うんです。僕も、変わらなくては。」
小人憑きを視る。太刀を持った手を振り上げる。小人憑きを視る。小人憑きを視る。次第に、周りの騒音が聞こえなくなる。必要な触覚以外は排斥される。視界が狭まり、小人憑きのみが映る。時間が淀む。小人憑きの動きが風に揺れる暖簾の様に遅く感じる。太刀と接する肌がひりひりと逆立つ。小人憑きの肩からは脇腹へ向けて、見えない線が引かれた気がした。それをなぞるように太刀を振り下ろす。
「っっっ!!?」
ウルの意識のなかではゆっくりとした動作だった。しかし、小人憑きからは太刀筋すら見えず、いつの間にか上半身と下半身か分かれていた。小人憑きはぐしゃりと倒れこむ。
「はぁぁぁ。出来ました。」
ウルの四肢が弛緩し座り込む。振り抜く前とは比べ物にならない程疲弊している。しかし、筋肉の疲労ではないようだ。脳が限界を知らせている。
「あぁ、眠い。」
ウルはその場で眠ってしまった。
メルは雷銀弾を撃ち続けていた。始めは何事もなく継戦していた小人憑きだったが、変化が現れた。ある時から攻撃の精度が著しく低下した。今はふらつくばかりで、メルに接近することすら難しくなっている。
「如何に強靭な体躯を持ってしても消えない弱点ってのがある。」
メルは、跪く小人憑きに近付ながら、講義を始める。
「まずは呼吸だ。お前の場合動き回るからな、低真空で呼吸を奪うのは難有りだ。次に血液循環。もし絞め技に持ち込めたらそれも可能かもしれないが、この体格差じゃ現実的じゃないな。」
靴を鳴らしながら、さらに近付いていく。
「あとは、
メルはポーチから試験管を取り出した。
「そして、これは雷金の原料が入った試験管。さっきまで撃ってた雷銀と何が違うか? 何も難しいことは無い。比重だ。金は鉛より重い。弾丸にして打ち出せば、銀より慣性が強く、貫通性能が高くなる。あとは解るな?」
メルは雷銀弩を構え、銃口を小人憑きの胸部に向けた。
「
胸元のブローチが輝いた。銃口から金色の線分が延びていき、小人憑きの胸に繋がった。試験管は小人憑きの内部で炸裂し、背中まで貫通した。
「苦しませてしまって悪かった。張力投射だと射程が短くてな。動きを止めさせてもらった。」
メルは雷銀弩をホルスターに仕舞った。
影の男は自警団に引き取られた。ベルに送られていたゴーレムにも連行という仕事ができ、無駄にはならなかった。後に、あの男は〝アッシュ〟という名前であると知らされた。しかし、本名である可能性はほぼ0に等しいだろう。
メルとベルは、ウルを回収した後、クレイオスに帰還した。その道すがら、ウルを抱えたベルとメルは沈黙に耐えていた。肝心な時に使えないウル。
「あの……。」
先に耐えかねたのはベルだった。
「ごめんね……その……解ってないのに変なこと言って。」
メルもさすがに素直に謝る。
「オレもごめんな……多分パラケルススのことで焦っててさ。イライラしちゃってごめんな。」
再び沈黙が戻る。次に耐えかねたメルは話題を振る。
「そういえば、パラケルススのトリック、半分ぐらい解ったぞ!」
「え! 私も! それで図書館行ってたの!」
笑顔が戻る2人。微笑むウル。抱えながらバレないように。
「じゃあ同時に答え合わせするか?」
「いいね! 〝せーの〟の〝の〟でね!」
「ののの?」
2人はタイミングを合わせて同時に叫ぶ。
「「せーの!」」
「「しどんくきにろようるのげげんんかりくだだよろね!!」」
「「へ?」」
「1人ずつ喋りましょう!」
ウルが耐えかねてツッコむ。ベルが驚いて思わずウルを落とした。とても腰が痛い。改めて、1人ずつ話を聴いた。
メルの仮説はこう。
「オレは毒物による神経機能低下や幻覚、せん妄を疑った。ただ、それだけだと50点って感じだ。濃度を上げて殺すことは出来ても、恣意的に消えたように見せるのは困難だ。なんせ、意識障害も神経障害も個人差で多岐にわたる。これを濃度だけで制御するのは無理だと思う。さすがの医学界のルターでもな。」
ベルの仮説はこう。
「今日〝逃げ水〟っていうのを見たの。なんとなく気になって、図書館で調べたんだけど、〝蜃気楼〟って現象もあるんだね! 温度差で空気の密度に差できて、それによって光が屈折するんだって! それで、何もない所にあるモノが、あたかもそこにあるみたいに見えるって!」
それを聴いたウルは結論を付ける。
「すごいです2人とも! きっとその両方ではないですか? 毒性学の父であるパラケルススが、毒によって認識阻害をしつつ、〝気〟と〝火〟の錬成によって蜃気楼を見せた。あの襲撃の現象をかなりの精度で説明できるのでは!?」
ウルが鼻息を荒くする。自分の成果にもこれくらい喜んだら良いのに。2人はそう思ったという。
「しかし、これで対策は練れそうだ。同じ手は食わん。そして、次の手にはごちそうさまだ。」
淀んでいた空気が一気に澄んでいく。3人はいつもと変わらぬ雰囲気でクレイオスへ戻っていった。
「ママー。お腹空いたよー。」
「ご、ごめん、アダマス。忘れてたわけじゃないんだよ? ほんと。」
置いてきぼりにされたことで拗ねるアダマス。それをなだめるために秘蔵の林檎を持ち出すメル。それでは全然秘蔵ではないと指摘するウル。それを見て微笑むベル。
一行の旅は続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます