第1章第4節 ガラスの揺り籠

 ここは、フランスからドイツへ通ずる国道の途中。


「以前より群れること多くなってないか……?」

「明らかに多くかつ大きくなってますね……。」


 これまでの小人憑きは、基本的に単独行動であった。それが、最近では群れや縄張りを作る習性が顕れた。または、追加された。


「工房を壊されちゃ困る。外で迎撃するぞ。」


 メル達は〝ゴーレム駆動式移動工房〟クレイオス・チャリオットを移動と研究スペースとして兼用している。ウルが発明した代物である。錬金術を動力にしているので、演算に関してのみ術者の体力を消費する仕組みだが、エネルギーは輝石から供給されるため、熱機関より圧倒的に燃費が良い設計になっている。

 ところで現在、クレイオスでの移動中に小人憑きの群れからの奇襲を受けていた。


「1,2、3……6人。飛行型か、やっかいだな……。」


 鳥類を思わせる外観の小人憑きが、飛行しながらクレイオスの周りを旋回している。先制攻撃の後、静観に徹しているが、反撃の兆しが無ければ襲撃を再開するだろう。敵の飛行速度を考慮すると逃げ切れると考えるのは少々楽観的に思える。


「これだけ距離を取られては反撃の余地がない。あちらの攻撃に合わせて迎撃する。出来るだけ足の長い獲物でいくぞ!!」

「承知。」


 メルは雷銀弩をホルスターから抜き、ウルは柄の長い十字鎌を錬成した。クレイオスの周囲を旋回する6つの影。次第に周回軌道半径が狭まっていく。


「ガァァッ!!」


 群れの中の1個体が咆哮した。それに合わせるように、全個体が一斉に、真っ直ぐこちらに突進してくる。先行した1体をメルの雷銀弾が打ち落とす。甲高い声を上げながら落下していく小人憑き。

 次弾装填の間に、追随していた2個体が迫る。これらをウルの十字鎌が二振りで切り裂く。呼吸器を大きく損傷し、無音で墜落していく。

 息つく間もなく、第三波が迫る。1体の小人憑きが目前に迫る。メルは雷銀弾の装填を諦め、背に携えた1対の鎌剣を抜いた。抜刀の勢いをそのままに、斜め下から袈裟懸けに斬撃を放つ。胸部の裂傷によって怯んだ小人憑きの胸の中心に向け、もう片方の鎌剣を突き立てた。その体躯でメルを押し潰す様に倒れ込む小人憑き。


「お師!!」

「前だ!!」


 駆け寄ろうとしたウルに対し、メルは短く警告した。先程仕留めた小人憑きのすぐ後ろ、バックストリームを受けた第4波がすでに攻撃姿勢に入っていた。反撃が間に合わないと判断し、ウルは十字鎌の中ほどに盾を錬成する。しかし、咄嗟の錬成故に防御力は期待できない。眼前に鋭い足爪が迫る。


「ウル……!!」


 ウルは自らの重症を覚悟した。その時。


「……カッ……!!」


 小人憑きの太い首に細い何かが巻き付き、突進を減速させた。そのまま、横方向に振り回され地面に叩きつけられる。首を締め上げられ伏した状態で苦悶する小人憑き。その傍らには表皮が鱗に覆われており、細く長い体躯に非常に小さい腕を、まさに取って付けたような生物が佇んでいた。尾、と思われる部位、が飛行型の小人憑きの首に巻き付いている。

 その蛇のような小人憑きと思われる生物はメル達を一瞥すると、捕縛した同胞を持ち上げ、足の方から一呑みにした。蛇の小人憑きの胴には大きな膨らみが出来、始めはうねうねと動き続けていたが、暫くして沈黙した。この光景を、メル達は静観することしか出来なかった。小人憑きなのか、敵なのか、どれほど危険な個体なのか。計りかねている内に、蛇様の個体が動いた。


「迎撃するぞ!!」


 首が高速で伸び、開かれた大きな口の中に光る牙がメルに襲いかかる。蛇に類似した姿から毒の保有が考えられる。噛まれた場合の生存率は推測すら出来ない。鎌剣により牙による噛撃は防御したものの、突進の威力により後方に押し出されていく。


「お師!!」


 ウルは飛ばされていくメルを横目に確認すると、目の前に伸びた鱗に覆われた胴体に向けて十字鎌を振り下ろした。胴は両断されること無く、地面に縫い付けられる様に伸縮を押し止めた。


「……!? 固い!? ……いや柔軟すぎる……!!」


 胴を両断できなかったことに意識を奪われていたウルだが、本来の目的を思い出した。メルと蛇の頭の部分は遥か後方。ウルの間合いの大きく外側である。


「……くっ……!!」


 ウルは、蛇の頭の陰から足だけが覗くメルの方へ駆け出した。メルは鎌剣を盾に、蛇の牙から逃れていたが、そこから抜け出す程の膂力は無かった。さらに右足を鎌剣に添え、両手と共に押し返そうと力を込めた。


「ぐぎぎぎぎ……!!」


 しかし、押し止めるのが限界であった。疲労により次第に痺れだす両腕、額に吹き出す汗。だんだんと視界も霞んできた。

 ここでやっと、自分が呼吸していないことに気が付いた。このまま息を止め続ければ意識を失い、呼吸を始めれば牙の餌食に。それ程ぎりぎりの状況であった。意識が霞み、両腕に力が入っているなか否かさえ分からなくなってきた。結末はその両方だったかな。薄れゆく意識の中でそう思った時であった。


「……ァァァァァァァ!!」


 掠れた吐息のような音が響く。それに続いて蛇の頭が脱力しメルの上にのし掛かった。


「ハァ、ハァ、今日の掛け布団は、ハァ、生暖かいなぁ……。」


 呼吸する余力を取り戻し、やっと冗談が滑りでる。


「お師!!!」


 傍らに相棒が駆け寄ってくる。


「助かったよウル……。命の恩人ですぅ……。」


 そう言われたウルはおちゃらけたメルと対比して、とても怪訝な表情を浮かべていた。


「それが……僕は何も……。」

「……え?」


 落ち着いて蛇様の生物を見ると、体躯のあらゆる部分から白く鋭利な刺が皮膚を突き破って飛び出していた。


「……ナニコレ?」


 異様な光景に理解が及ばず片言になるメル。ウルも先刻目にしたものを説明する言葉を探すが思い当たらず狼狽していた。


「わからなきゃしらべる。」


 原則踏襲によって思考回路の主導権を取り戻すメル。対象の遺体に危険が無いか調べようとした。


「っとその前に。」


 1歩近付いたところで1歩後退りした。すると間も無く蛇様の個体の口から黒い泡の様なものが立ち上ぼり始めた。


「やっぱり、小人憑きだったのか……。」

「しかし、小人憑きが小人憑きを襲う事例は見た事も聞いた事も……。」


 これまでの現象を再現する様に小人の群れは泡沫に消えていった。しかしその先、特異的な現象が起きた。散り散りになった黒い泡の一端が弾けずに浮遊していた。これまで観測された消滅までの平均時間を大きく更新する長い残存時間。


「っ!!」


 メルは息を短くかつ深く吸い込むと、簡易的な布マスクを口元にずり上げ腰の道具入れから小型の丸底フラスコを取り出し、ふわふわと、今にも消え入りそうな泡の元へ駆け寄った。


「お師危険です!!」


 メルの意図を汲み取ったウルであったが補助に回るよりも警告の言葉が先に突いて出た。構わず走るメル。メルが止まらないことを察し、氷浴を用意するウル。メルは呼吸を止め、無言のまま小人の生き残りを、舞い落ちる花弁を両手に収める様なゆっくり優しい動作でフラスコへ誘う。小人をフラスコに収めると、空気孔の空いたゴム栓で封しウルが用意した

 氷浴に浸けた。


「初めて……初めて小人をつかまえ……捕獲に成功したぞ。」


 黒い泡沫は、フラスコの中で以前浮遊を続けていた。手に入れたサンプルをクレイオスへ持ち帰った。

 2人は小人捕獲の後、蛇の小人憑きの遺体を検死していた。脊柱から肋骨の様な骨が先端から骨細胞を成長させることで伸びていき、その過程で鋭利な形状に変化していた。ただ、通常の骨組織とは異なり、骨髄腔の中に神経と血管がかなりの密度で張り巡らされていた。骨組織の急速な発達を促す仕組みなのだろうか。


兎にも烏にもとにもかあにも、観察と分析だ。」


 まずは外観。黒い泡の様に見えていたのは膜に覆われた視認できる大きさにした細胞のような組織であった。この胞体が9つ集合している。配置は変化すること無く、下から1点、正3角、正4角、1点の配分で組合わさっている。最密構造ではないのが気になる。


「次は内包物の観察。可視光顕微鏡で見えるかな?」


 メルは、筒が吊り下げ台に取り付けられた機器を取り出した。原理は単純。ガラス製のレンズで拡大された実像を肉眼で視る。


「うん。胞体の中に核のような物があるな。他に目立った組織が見えないな。核の中身はなんだ? 魂の情報媒体か?」

「二重螺旋分子ですか? DNAデオキシリボ核酸とかいう。」

「生物である以上存在すると推測はしていたが、自己増殖する組織がないんだぞ。それは本当に生物と言えるか?」


 メルは次なる分析手法に移った。錬成波を媒体とした分光分析である。一口に分光分析と言ってもいくつか種類があるが、今回は分子振動の吸収によってエネルギー分布を求める赤外帯錬成波せきがいたいれんせいは吸収分光を選んだ。


「螺旋分子はある。あるが、二重螺旋じゃない……?

 生殖細胞や伝達螺旋分子みたいな、単螺旋構造だ……。」


 普通、魂の情報媒体である二重螺旋分子は、2本の分子鎖を繋ぐように、無数の塩基対が並んでいる。この塩基対の組み合わせによって魂の情報を蓄えている。塩基は、P、G、LおよびSの4種類で、PーGとLーSが対になり、その逆さまな対を含む4種類の対が基本単位になる。

 これが例えば30億対あれば約800MBの情報が格納できる。それと解ってからも、高々800MB程度の情報量で魂の全てが表せるかどうかについては、議論の的になっている。


「生殖細胞……精子や卵子のような? しかし、生殖能力は無いと今しがた……。」

「そうだな。しかしこれで、仮説は立てられた。」


 生殖細胞や細胞の複製する際に現れる伝達螺旋分子RNAは単螺旋分子である。これは、単螺旋があれば、翻訳と複製を介して二重螺旋分子を復元できるからである。同じDNAを持つ細胞を複製したり、親の魂情報を引き継ぐ際に働く。


「つまり小人は、他の増殖・生殖出来る生物の細胞に寄生し、その増殖能を奪って初めて繁殖できる。定義としては半生物かもしれない。」


 錬成波吸収分光によって、小人の膜表面にヒト細胞のチャネルにアクセスするための突起状の組織が見付かった。これでおおよそ、先の仮説は立証された。


「なるほど。これまで細菌性の感染症だと思って抗生物質の投与を試みていたがなるほど。暖簾に腕押しなわけだ。」

「グラム陰性どころか細胞壁すらないんですね。しかも繁殖メカニズムが全然違う。防疫方法はあるんでしょうか。」

「今のところ無理だな。この突起状の組織、仮にスパイクと呼ぼうか、このスパイクに働きかけるのが順当な気がする。」


 暫し沈黙が流れた。


「変なこと言っていいか……?」


 メルが唐突に質問を投げた。


「は、はい……。」


 防疫方法について考えを巡らせていたウルは、不意に問われたことに思わず二つ返事で答えた。


「この小人、螺旋分子を補完して生物にしたいんだが。」

「は、はい?」


 ウルは呆気に取られ、締まりの無い返事をした。


「可能なはずだ。錬金術を使えば。」

「可能かどうかは後で聞きますが……生命を取り扱う実験です。本当に良いんですか?」


 科学と倫理はいつも共にあると言っても過言ではない。特に医学や生物学においては生命を研究対象とする特徴故、倫理観の重要性は高い。

 しかし時に、錬金術師という生き物は、倫理観(理性)を好奇心(欲望)が凌駕してしまう。その逆転現象を抑えることも、錬金術師の素養のひとつと言えよう。


「ああ……でもこの小人の命を弄ぼうってんじゃないんだ。好奇心が無いと言えば嘘になるが、この小人だって誰かの魂を汲み取ったものかも知れない。それに、この世に産み落とされるはずだったものなら、そうしてやりたい。」

「お師……。」


 顔を伏せ気味にそう話すメルにウルは協力を覚悟した。


「わかりました。やりましょう。」


 具体的な実験内容の話になった。


螺旋分子間縫合手術ナノスレッディング・オペレーションだ。」


 カタカナでとても格好いい、とウルは思ったという。


「錬成波のプローブ径を絞って空間分解能を分子レベルに、そのプローブのまま分光分析をする。その情報を基に錬金術式を書き換えながら螺旋分子を繋ぎ止める。」

「……!! 脳が耐えられる演算じゃないですよ!!」


 錬金術における演算の負荷は反応が具体的かつ純粋な程、対象が小さくかつ複雑な程高くなる。本対象は分子量が数十万の螺旋分子に対して分子量が百数十の塩基対を観測する。さらに、分子レベルの大きさに対し、二酸化炭素が一分子生成する熱より小さなエネルギーを制御しないといけない。


「大丈夫。微細構造観察は得意だし縫合には元々の酵素を使えばリソースの削減になる。ウルの神経回路も少し貸して貰えばなんとかなるはずだ。」

「酵素……? 小人の中には存在しなかったのでは?」

「説明不足だった。小人の魂情報の補完にはオレ魂情報をあてがう。造血幹細胞を使えば各内臓なんかの器官に分化するのも自律して出来るかもしれない。」


 分化とは、各種器官を形成するための細胞に変化することであり、その性質を万能性あるいは全能性という。万能性は器官の複製のみ行える能力のに対し、全能性は生命そのものに分化することが出来る。


「……そこまでするってことですね。分かりました。造血幹細胞の採取とお師と僕の神経回路接続、準備しましょう。相当痛いですよ?」

「そうだった……ぴえん。」


 メルの悲鳴が響きながらオペの準備は整った。


「痛い思いして血は採った。林檎もいっぱい食べた。」

「林檎ジュースも用意しました。」

「そしてウルもいる。冗長冗長。」

「冗長かな……?」


 斯くして、オペは始まった。


「まずは、小人の螺旋分子に焦点を合わせる。特徴的な構造にマーキングしてドリフト補正を掛ける。……よし。造血幹細胞を滴下する。」


 メルは自らの血液を1滴、小人の待つフラスコへ滴し入れた。その途端、血液と小人の界面が泡立ち、白い蒸気を上げた。


「お師、これは!?」

「大丈夫。小人がオレの細胞に攻撃してるだけだ。これでオレのDNAと小人のRNAが混合する。さて、ここからだ。」


 メルは掌を開いては閉じるを繰り返し、最後にぐっと握った。そして、ゆっくり拳をほどくとフラスコに鼻が接触する程近付け、瞬きも忘れて施術し始めた。


「まずは、畳まれたDNAをほどく。DNAばかでかいな。いや、目に見えない程小さいが。ざっとスキャン……ヒトと小人の塩基対数が同じだ……しかも、大部分でコードが一致する。一致率は……99.99%!? オレ達は何と戦ってるんだ……? いかんいかん、集中だ。塩基対数が同じなら、出来るだけ小人オリジナルのコードを残そう。損傷してる部分だけオレのコードで補完する。一致しないコードは5,000対。さて、単純作業ミスるなよオレ。」


 メルは小さく呟きながら作業を進める。この時、メルに自覚は無いが、メルの眼球は自然に乾き、充血しきり、鼻からは血が滴っていた。


「お師……バイタルに危険が見られたら止めますからね。」


 最早メルの耳には届いていなかった。

 オペを始めてから18時間が経過した。心臓は早鐘の様に打ち続け、血圧は正常値を大きく上回っていた。細い血管から順に裂け出血し始めた。神経回路での演算を継続するために血糖値は上がり続け危険な域に入り始めた。


「お師……そろそろ限界ですよ……!!」


 接続した神経回路を通じてオペの進捗はある程度把握していた。9割程完了しているはずだが、疲労からか施術の難易度に依るものか、進行が遅延し始めている。点滴によって電解質とブドウ糖は供給していたが、ウルはここで打って出た。


「秘蔵の高級林檎ですよ! サプライズの方が効くでしょ!」


 艶々の林檎を擦り下ろし、メルの口にゆっくり流し込む。すると真っ青だったメルの顔が、僅かながら赤みを取り戻していく。


「もう少し。もう少しですよお師。」

「よし。コーディングは終わった。次は複製だ。造血幹細胞のリボソームを使って……どう折り畳むんだ? タンパク質の形状的に……パズルみたいだな。これはウルの方が得意だろう。あ、出来た。やるじゃんオレ。示適温度を探して……っと、これくらいか。……複製完了。小人のDNA完全版の出来上がりだ。これを無事な造血幹細胞のDNAと入れ換えて。最後の作業だ慎重に。チャネルを開いて。交換出来たぞ! この細胞以外を除去して。試験管に移す。さあさあ、ちゃんと動いてくれよぉ……!!」


 ここでメルの記憶は途切れている。

 堆く積み重なった疲労に加え高負荷の錬成を終えたことで心拍数、血圧および血糖値が急落した結果、メルは失神するように眠った、否、実際失神である。脱力して倒れ込むメルをウルが抱き止める。そのままメルの寝室へ運び、ベッドに寝かせた。


「お師お疲れ様です。経過観察は任せて暫し休んで下さい。」


 最早聞く耳を持たないメルに対して無意味と分かっていても言葉を掛けた。

 その後の経過は、母子共に順調であった。メルは5日眠り続けたがバイタルは安定し、後は目が醒めるのを待つばかりとなった。小人の卵は分裂を繰り返し、一週間でヒトの胚盤胞に似た段階に至った。

 しかし、胎盤が存在しないので、それに当たるモノを用意する必要があった。メルの造血幹細胞と寒天培地を原料にして似た成分・構造のモノを錬成した。ウルにとって苦手分野であったが普段メルの錬成風景を目にしていたことが糧となっていた。


「体細胞分裂の頻度はヒトと同じくらいですね。小人の代謝速度から察するに発生も速いのかと思ってましたが。」


 2週間の後には、神経管および循環器系の形成が認められた。心臓も形成したが、まだ稼働していない。ここでメルが目を醒ました。


「ど、どうなって……イタタ……なんこれ……死後硬直……?」

「2週間寝てましたからね。はい、白湯です。食事はこれから始めますよ。」

「林檎をくれ。」

「だめです。」


 メルも経過観察に加わる。その後4日経過したところで心臓が動き始める。翌日には血液が朱色を帯び、酸素媒体がヘモグロビンであることが確定した。

 この時までは、小人の発生はとても順調に見えたが、これ以降、臓器および四肢の発生が遅延し始めた。


「まずい、このままだと死産になる。」

「必要な酸素と栄養は供給出来てるはずなんですが……。何が足りないのでしょう。生育のための空間が狭すぎるとか?」

「樹木なんかは根を張るスペースに応じて枝葉のサイズを制限するけど、小人もそうなのか?」


 メルは、温度差や衝撃によるショックを出来るだけ小さくするために、細心の注意を払いながら、大きめのフラスコに小人を移し替えた。しかしその途端、遅延していた成長は完全に止まり僅かに消費していた酸素と栄養を取り込まなくなってしまった。慌てながら細心の注意を払いながら元の容器に戻す。


「焦りました。近年稀に見るくらい。」

「肝が冷えた。キンキンだぜ。」


 一旦時間が稼げそうな状況で、これまでの経過の整理と考察に入る。


「オレは意識なかったけど最初は調子良かったんだよな。」

「ええ。ほぼヒトの胎児と同じくらいの分裂速度でした。えっと、経過日数と分裂速度をプロットすると……ん? 平均曲線と比較して初期には加速して、近日では減速してます。S字曲線です。」

「ふむ。それに加えて、大きな容器に入れると成長が止まる。」

「容器壁面との距離でしょうか。近すぎても遠すぎても成長が遅くなり、最適な距離があるとか。」

「なるほど。大き過ぎる時は小人にとって無限遠点に見えてるのか。そのプロットから最適な容器壁面との距離は解るか?」

「成長速度が極大になるのは容器半径が5 cmの時です。この時小人のサイズは約5 mm」

「小人のサイズと容器半径との差に成長速度が依存すると仮定しよう。容器を移すぞ。」


 小人の大きさに合わせたガラス容器の中で培養することで小人の成長は再開した。成長が鈍感する度に容器を替え、成長速度を維持した。しかし、8週目を過ぎた時、再び問題に直面した。


「四肢が発生しない……。」

「他の臓器は問題なく発達してきてるのに。何故でしょうか……。」


 小人は、自立して生命を維持できる様な構造になりつつあったが物理的な運動に必要な四肢、特に筋肉の発達が全く見られなかった。


「遺伝子のエラーでしょうか。それとも生育環境?」

「先天的か後天的か、って両方オレの落ち度だけどな。」

「僕達ですよ。」


 再度、経過の整理と考察を行う。


「コーディングのエラーだったら最早手遅れだろう。後天的、特に生育環境の線で考えよう。」

「生育に必要な必須栄養の欠如とかですかね?」

「それなら、筋肉の発生に必要なアミノ酸があれば良さそうだし、一般的な必須アミノ酸は考慮してる。それに、全く発生しない、にはならないだろ。小人だからと言われればそれまでだが。」

「なら、温度、照光量あるいは湿度。液中で湿度は無いか。」

「いや、解らん。生育に問題がない範囲で変化させてみよう。こうなりゃ実験的にだ。」


 室温のプラスマイナス5℃。自然光から暗幕の中。相対湿度30から100%。どの条件の組み合わせでも問題は解決しなかった。四肢の発生に全く変化がないどころか、その他の臓器の発達も鈍感してきた。


「情報が少なすぎます。彼の生命維持のためにも危険な条件を選べませんし、出来ることが少ない。」

「もう小人特有の条件があるとしか思えない。何か手掛かりはないか……?」

「そうだ。容器の大きさに生育速度が依存してましたよね。生育の進行具合によって条件が変わるかも。さらに容器を大きくしてみては?」

「なるほど。しかし……なんか引っ掛かった……。」

「……。」


 メルが俯き、顎に手を当てて考察に耽る。沈黙が流れる。しかし、消極的な沈黙ではない。思考回路を十二分に回すための沈黙だ。ウルもそれを理解している。メルがゆっくり顔を上げた。


「……。」

「壁面までの距離の定義が、小人の中心からでなく表面からの距離で、四肢が伸びるスペースが必要だとしたら?」

「えっと……つまり?」

「ヒト形の容器が必要なのかも。いや、小人に定義された形状が存在しないのかも。そもそも、ヒトに取り憑いて神経回路を侵すんだ、当たり前と言えば当たり前だ。」

「とすると必要なのは……。」

「秘蔵のアレを使うぞ!」


 メルは寝床の下から何かを取り出した。外見はライオンのぬいぐるみである。


「……!? それは……!?」


 それは、キルト生地で造られたライオン型のゴーレム、アダマスであった。永遠アダマスの名の通り、自己修復機能を搭載しており、大きな欠損がなければ元の状態に復元するという代物。ウルが試作として造り廃棄しようとしていたものをメルが隠し持っていた。


「こんなこともあろうかと、(抱いて眠ることで)暖めておいたぜ!」

「なんですって(棒)」


 そんなことはウルには分かっていたが。


「しかし、まさか、それを?」

「そうだ、これを新しい器にする。」


 それは賭けだった。成長が滞ってから時間も経過し、いつ死滅してもおかしくない状況で環境をガラッと変えてしまうのは、胎児にどの様なストレスがかかるか見当も付かない。ぬいぐるみの中の綿を取り去り強めの撥水加工を施し、培養液で満たす。


「手前勝手にこんなことしてごめんな。もしかして産まれたくもないかもしれない。弄ばれた末に産まれることも出来ないかもしれない。産まれても苦しいことはきっとある。だけどな、オレは無事に産まれてほしい。産まれてくれれば産まれたことを後悔しないようにしてやりたい。だからこれは、オレのエゴでオレからのお願いだ。一緒に生きてくれ。」


 メルは小人のタマゴをぬいぐるみに仕舞い背中を閉じた。

 月日は流れていった。いくつかの依頼をこなし路銀を得ながら、薔薇のフードを探しながら、月日は流れていった。その間、ぬいぐるみが動くことはなかった。錬成波によるトモグラフィースキャンによって生存は確認出来ていたが、この経過観察にゴールがあるのか、そんな疑問から逃れられないまま月日は流れていった。


「今日も元気みたいだな。」


 錬成波CT断層撮影によって僅かな胎動を確認して安堵する。


「明日で40週になりますね。そろそろ変化がありそうなものですが。」

「そうだな。」


 変化の兆しが無いまま、夜が更けていった。メルはぬいぐるみの前で突っ伏して眠ってしまった。ウルはメルの肩に毛布を被せ、そのまま寝かせることにした。新月の夜であった。


 変化は深夜4時頃に唐突に訪れた。メルはガラス製の何かが割れる音で目が醒めた。


「なんか落としちゃったかな……。」


 未だ寝ぼけ眼で、自分が机で寝ていたことも覚えていない。


「毛布……ああ、寝ちゃってたのか。」


 電灯も月明かりもない室内でメルの独り言だけが聞こえる。しばらくうつらうつらと物思いに耽る。考えていたのは昔の事。あの時ああすれば、この時こうすれば、たらればの繰り返し。そんな静寂の中で、メルの耳は異音を捉えた。


「誰だ!?」


 確かに今、衣擦れ音が聞こえた。すぐ近く。メルは雷銀弩に手をかけようとして、ホルスターごと外していたことに気付く。鎌剣も同じだ。足音を立てぬようにゆっくりと後退りする。道すがらクランプスタンドを刃物に錬成して携えた。金属の錬成は苦手だ。ナマクラだが、無いよりは良い。

 電灯のスイッチに辿り着いた。一息吐き、スイッチを入れた。明順応が追い付かず、しばらく視界を奪われる。左手で電灯の光を遮りながら、何とか机の上を見る。


「さあ、お前はだれ……ん?」


 机の上には、アダマスがちょこんと座っていた。座らされているのではなく、明らかに自力で座位を保って、こちらを向いている。


「え……? アダマス……?」

「あだ……ま……す……?」


 ぬいぐるみだったアダマスは、こちらを向いて、発声している。いや、メルの言葉を真似て発音している。


「そ、そうだ! そうだアダマス! お前はアダマスだ! 永遠って意味なんだ! でももうぬいぐるみじゃないから、シン・アダマスだな!」


 走って駆け寄り矢継ぎ早に話しかけるメルを目の前に、首を傾げるアダマス。


「悪い悪い。あまりの事に驚いちゃって。ウルが見たらなんて……。」

「お、お、お、お師!! それは!?」


 物音もといメルの声に気付いて起きてきたウルは、アダマスの生誕に気付いて顎を震わせていた。


「改めて、お前はアダマス。永遠って意味の名前だ。そしてオレはメル。お前のママだ! そしてこっちはウル。」

「アダマス……メル……ママ……。」

「うん、そうそう! 言葉もゆっくり覚えていこうな!」


 メルは慈愛に満ちた視線でアダマスを覗き込み頭を撫でた。するとアダマスはウルの方へ腕を向けた。


「……パパ?」

「「兄妹だ!! (です笑)」」


 思わぬ事を言われた二人はユニゾンしながら否定する。再び首を傾げるアダマス。追うようにして首を傾げる二人。


「……パパなんて教えたか?」

 

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