第1章第3節 シンデレラ
メルとウルは、南部のエジプトにある、とある街にいた。ここは、荒涼とした砂漠地帯が多く点在している。また、錬金術発祥の地として有名であり、農作物が生育しづらいこの地域では観光資源による産業が中心になっている。
「ここも林檎がおいしくてなぁ。ここのは兎に角甘いんだ。」
「毎回どこでも同じようなこと言ってません?」
「違う! 林檎は須らくうまいが、地域や生産者の拘りによって、それぞれ特徴があって、とても多様性に富んだ果物で、しかも……。」
「はいはい。それくらいにしましょう。着いちゃいましたよ。」
今回の依頼は護衛。近く開催される会合で三大ギルドのギルド長が一堂に会し、錬金術師への研究支援制度や錬金術の産業利用の今後の方向性について話し合うらしい。
「本命は後者だけどな。」
「仕方ないでしょう。何事にも先立つものは必要です。今の我々と同じようにね」
ウルは肩を落としため息を吐いた。
「い、いや大丈夫だって。これ頑張れば、結構もらえるじゃん!」
「失敗したら、当分林檎抜きかなぁ。」
「や、やめろぅ……。」
会合が行われる会場は大型高級宿泊施設の宴会場。貴賓達は、そのままその施設に宿泊滞在する。基本的に出入口は封鎖され身元の確認ができないものは入れないよう検問が敷かれている。
「すごい厳重なんだけど、やることあるの?」
「それが、黒い噂、というか匿名のタレコミがあったらしくて。」
ギルドの始まりはフリーメイソンという石工職人の共済ネットワークであった。建築などの依頼で遠征する際、宿泊や郷の掟等に関して現地人が世話役を務める仕組みだ。それがいつしか肥大化し、独占禁止の法を敷くなど、あらゆる市場に大きく関わるようになったため、集権制を廃絶するために分組化した。それが今の三大ギルドであり、アウラ・アウレア(金庭組)、マレウス・フェルウス(鉄槌組)およびアルゼンタ・ラクリマ(銀涙組)のことを指す。
金庭組は、第1次産業に介入しており、農産物の流通整理や市場での価格調整を行っている。
鉄槌会は、フリーメイソンの名残を色濃く残したギルドで、第2次以降の産業に介入している。そのためか、正統後継は鉄槌組だと主張する組員が多く、頭が固い(※メルの感想です)。
銀涙組はそのなかでも特殊で薬物類の流通に介入しているが、ほとんどが教育や研究機関への補助を担っている。そういう意味では公共性が一番高いギルドである。
その中で、メルとウルがよく取引しているのが銀涙会であり、その窓口局員曰く、過激派反錬金術団体がこの会合の妨害を企てている、という匿名の書面が届いたらしい。この厳重体制も頷ける。
「なおさら、錬金術師いないほうがいいんじゃない?」
「たぶん。ほら、いざとなったら僕たち錬金術師ですアピールしてですね。」
「囮になれと!!?」
なかなか気が利いた依頼である。
会合が行われる施設に着くや否や怒号を浴びた。
「何もんだてめぇら!!!!」
背後から堅気とは思えない男に絡まれた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ!! おこちゃまは出ていけ!!」
振り向くと、肉付きの良い中年男性がこわい顔で立っていた。見てくれから判断して、たぶん自警団の管理職あたりだ。
「銀涙組から依頼を受けた錬金術師なんですがぁ……!?」
不機嫌を隠すことなく答えるメル。いるよなーこういうヒト、と顔に書いてあるウル。
「あぁ!? 錬金術師が何の役に立つか。少し観光したら帰ってわけのわからん薬でもつくったらどうだ。」
ふぅ。いかんいかん。こんな時代遅れの価値観にまみれた中年にレベルを合わせる必要はない。ステイステイ。
「石頭には錬金術がなんたるか理解できねぇんだろうがなぁ、だからってオレに当たんじゃねぇよハゲ。帰って枕濡らしてろ。」
「お師、声に出てますよ。」
「え、うそ。すまん、ハゲは良くなかったな。外見はデリケートな話題だ。」
今なら、へそで湯が沸きそうな程、中年の顔が真っ赤になっていた。
「てめぇらっ!! 今にみてやがれぇ!!」
「何を?」
へそで湯を沸かしながら去っていった。入れ替わるように、今度はやけに腰の低い青年が近づいてきた。
「うちの小隊長がすみません。いつも、ああなので、気に留めないで下さい。」
どうやら、先の中年の部下のようだ。
「しかし……お陰さまで少し、スッとしました。」
「はは。売り言葉に買い言葉で……はは。」
この顔と目が細い青年はスルス、中年の方がザブというらしい。スルス曰く、今回の警備は各ギルドから、いくつかの小隊を出しあって行うらしい。しかし、それは好手なのか。
「確かに、縄張り争いみたいになってピリピリしてますね。警備どころではないのでは?」
「ひとつのギルドだけから出すわけにはいかなかったんだろう。ギルド間はそれくらいの信頼関係ってことか。」
なにやら、先が思いやられるイントロだった。
銀涙組の自警団に合流し全隊会議に同行した。
「ギルド長が依頼してくれたっていう錬金術師殿ですね。錬金術による暗殺はないかもしれないが頼りにしております。」
仮所属することになった小隊の長も中年だが、細身で良いやつだった。
「こちらこそ宜しく。錬金術師のメルだ。」
「僕は弟子のウルです。」
「それでは、全隊会議を始めましょう。まずは本会合のスケジュールと要警護者の動きについて確認します。」
概要はこうだ。今日から4日後に会合が行われる。明日は金庭組のギルド長、明後日には鉄槌組と銀涙組のギルド長が到着する予定だ。ちなみに、金庭組のギルド長は、乾燥地帯での林檎栽培に興味を示し現地視察に出るらしい。見所がある奴だ。その後、中日1日を空け、会合初日となる。
つまり、今日は現地状況の調査と把握に勤め、明日からが護衛の本番だ。会合は2日間の予定で、2日目には祝賀会が開かれる。そして、その日は宿泊し、その翌日に帰路へ着く。
「1週間も気が抜けないのか……。」
「全部で18小隊もいるんです。3交代制らしいですよ。」
なら、林檎食いに行けるな。厳重な警備体制を前に、メルとウルは呑気だった。
初日の調査でわかったのは、会場となる施設に表の来客用玄関と搬入用の裏口があること。施設周辺には高い建物はなく、遠方に類似の宿泊施設や時計塔があるのみで、人目に付かず窓からの侵入を行うのは難しいこと。
施設内には、修飾品が多く並んでおり爆発物等を隠すには好都合であること。特筆すべきは以上であった。
「今回限りの短期の従業員とかいるよな? 履歴書とかある?」
「ああ、あるよ。さすがに今回は気を使って選んだよ。」
紙切れならいくらでも詐称できるが、わずかな綻びによる違和感があるかもしれない。
「特に変な記述はなさそうだな。ただ……。」
長い黒髪の端正な顔立ちをした女。
「お師は、美人で大人なお姉さんに弱いですよね。」
「一応、美人という認識だったんだな。」
「見た目は評価しますとも。見た目はね。」
初日は、特に問題なく終えた。
翌日の早朝、というかまだ夜、金庭組のギルド長が到着した。農家は朝の仕事が肝心とか。息付く間もなく視察に出掛けた。この時の当直は、勿論金庭組の小隊だ。
「さすがにこんだけ警戒されたら、反錬金術団体とは言えど手は出しづらいだろ。」
そんな推測とは裏腹に、視察先でギルド長は何者かに殺害された。
唐突な知らせに耳を疑った。メルとウルも悲報を受けて現場に駆けつける。そこには、白い布を被せられた遺体が横たわり、地面には血溜まりが拡がっていた。
「状況を説明してくれ。」
「お前ら銀涙組のやつらだろ、ここはオレ達が……。」
「お前、本当にそんなこと言ってる場合だと思ってんのか?」
メルの刺すような眼光に気押され、見たことを話し始めた。
「突然、散水用の手押しポンプから水が吹き出たんだ。気を取られて振り返ったときにはギルド長が倒れていて……。」
「その時、彼の周りに人は?」
「オレ達自警団員と、付き添いのギルド職員、ここの作業者、あとは、給仕の施設職員だけだ。」
メルは話を聞くとウルの方に向き直る。
「遺体を調べるぞ。」
自警団員の反対にはあったが、その場で出来る限りの検死を始めた。外傷は刃物による、背中の左側から心臓に達する刺し傷。死因はこれによるショック死。即死だ。刃渡り20 cm、幅5 cm程度の細い刃物。さらに特徴がある。
「おいこれ。刺殺痕が右に曲がってる。ショーテルで刺したみたいだ。」
「背骨と肋骨を避けて心臓を一突きですね。素人とは思えない。」
服の刺し傷周り、この部分だけ色が違う。血痕じゃなく、水で濡れている? 散水ポンプが暴走したと言っていたがその時に? いや、背面はここ以外濡れてない。何故だ?
「部外者を優先的に洗う。ウルは農園の作業者を当たってくれ。」
「承知。特に注目する点は?」
「凶器を携帯、隠すことが出来るかだ。まだ持ってるはずだ。」
凶器は見付からなかった。農園なので鎌のような農具はあったが傷跡と一致しない。
「そりゃあ、暗殺するつもりで来たんだ。何の準備も目算も無く来るわけはないが。あんな特殊な形状の凶器が見付からんとは。」
それに、気になることはもう一つ。履歴書で見た、黒髪の女だ。給仕の付き添いに同行した1人だった。
「しかし、凶器も見付からないし、同行させる従業員を決めるのは施設側だ。ここに同行出来る必然性がない。」
この日、ついに犯人の特定に至らないまま、翌日のギルド長到着を待つこととなった。
もちろん、死者が出たことで会合の開催自体に反対する者もいた。しかし、余程重要な議題なのか、警備を強化するという曖昧模糊な対策により開催が押し通される形となった。
手口が解らない以上、対策の取りようもないのは事実だった。このような状況の真下、鉄槌組と銀涙組のギルド長が到着した。
「警備の強化ね。簡単に言ってくれるが、行うは難しぞ。」
「ここから決定は覆らないでしょう。被害者が増えない限りは。」
「不吉なこと言うのやめろよ……。仕方ない、これまでの情報でなんとか対策案を絞り込むぞ。」
今回の殺害は、農園内で起きた。次に狙われるとしたら施設内。直接参考になる情報は得られない。こういう場合は共通点だ。
「1件目の特筆点は、散水による意識誘導、見つからない凶器、これら2つの方法が不明なこと。これを施設内で再現しようとしたらどうする?」
「落下音ですかね。大きな物を落とすとか。しかし、凶器を隠せる以上、爆発物でも良いでしょうし、そうすると直接爆殺した方が手っ取り早い。」
「凶器を隠せるが強すぎる……。」
「飛躍がありますが、凶器を現場に捨てておらず、見つからずに持ち帰える必要があったと仮定すれば、前もって会場の中を調べ上げて、信頼できる人間以外近づけさせなければいいのでは。」
「そうだな。その仮定が成り立たないと何をしても打つ手なし、もはや魔法だ。捨てたモノが見つからないなんてな。」
メルは自分で言った言葉に違和感を持つ。魔法でなくても、錬金術を使えば可能な方法がいくらでもある。
「この件、本当に非錬金術の仕業なのだろうか。」
「つまり、錬金術師が絡んでいると? 錬金術師のための会合に?」
「そもそも、反錬金術を訴える目的ならメッセージ性が薄くないか?」
「確かに。まずは脅迫状の送付、大規模で人目に付くテロ。そんなイメージがありますね。」
「思い付きだ。例えば、錬金術を使って3大ギルド長を殺害する。その後、錬金術によって殺害したことを公表する。錬金術師への風当たりはどうなる?」
「!!」
「発端は違えど、魔女狩りと同じことが起こるな。」
魔女狩りとは、集団心理の偏重による大量虐殺が起きた歴史的人的災害だ。学問に精通した、特に薬学に明るい女性研究者が狙われた。同じ民間から密告された者に対し異端諮問が行われ、有罪が言い渡されれば火刑に処された。
問題は、異端諮問の方法。ただの拷問を繰り返し、自白すれば有罪。諮問中に死亡した例は少なくない。実質、密告された時点で有罪が確定するので、隣人が抱いた、ただの嫉妬が密告の動機になっていたケースが多いのが分かったのは、魔女狩りが沈静化した後だった。
「当時は疫病や飢饉による不安を駆動力に、何をしているか理解できない者に恐怖が遷移したことが発端だった。お陰で、傍から見れば同じような錬金術師も火刑に処されたりしたな……。」
「負の歴史ですね。」
「もし、魔女狩りの再来を狙っているとしたら、影響の程度は計り知れない。もしこの推測が間違っていなかったとしたら……急いで戻るぞウル。」
「承知。」
メルとウルはギルド長が滞在している部屋に急いだ。
「おい! なんで通れないんだよ! 自警団員だ!」
「自警団長から誰も通すなと言われている。必要があれば自警団長の許可を待て。」
「そんな悠長な……。」
「門番の人、ここを通過した人間はおりますか?」
「それなら、ここの従業員が給仕に。もちろん我々も同行の上だ。」
これだから! 見えない凶器を持った奴に同行程度で護衛した気になっている。
「どんな従業員で何を持ってった!」
「は? そんなこと覚えてないが。」
なんでだよ! 暗殺が起きてるのに個人の出入りで個人確認がなされていない。
「一人だけ覚えてるな。すごく美人だった。特に黒髪がきれいでな。」
言葉を失った。もう遅いかもしれない。そう思った後、腑抜けた表情に怒りすら覚えた。
「せいっ!!」
メルの手刀が門番達を襲う。4人いた門番は一人を残し、昏倒した。
「これは、褒賞どころではないかもなぁ。まぁ、人命優先ですよね……。ウル、ちゃんとわかってます。」
「し、しんにゅうしゃ……モゴ」
「人質という体でいい。証人として付いてこい。」
活き残った門番が、泣きながら、必死に首を縦に振る。
「ウルは銀涙組の方! って証人が1人しかいないのか……。仕方ない。人質! ウルに付いてけ!」
「はいぃ……!!」
「忝い。」
メルは、鉄槌組ギルド長の部屋に到着するや否や、扉を3回叩いた後、すぐに蹴破った。
「おじさん無事か……遅かったか。」
鉄槌組のギルド長がベッドに突っ伏すように倒れていた。メルはすぐに現場の検証と検死を行った。
「部屋の中に争った跡は無い。首の裂傷含め外傷も見当たらない。毒殺か?」
しかし、苦悶した形跡がない。どちらかというと嗜眠、深く眠ったようになる意識障害の一種、のような状況だ。
「アルコール系の毒か? しかし、クロロフェノールを経口で摂取、体重80 kgと見積もって一度に50 g以上飲まないと急性中毒にはならないはず。刺激性の液体、そんなに飲めるか?」
長いスポイトを口から差し込み胃の内容物を採取し試験管に収めた。
「ここで考えなくても、これを分析すればわかるか。」
その時、自警団員達が駆けつけてきた。
「来たか! 鉄槌組のギルド長が殺された! 毒殺の線が濃い! ここの従業員、特に、黒髪の女を捕縛してくれ!」
しかし、自警団員はメルの提案に返答しないばかりか、メルに厳しい視線を送っていた。
「何を言っている……貴様がやったんだろうが!」
「ぴゃっ! ちょっと待て! 毒殺だって……。」
「この場で言い訳は聞かん。詰所でたっぷり聞いてやる。」
そこに、ウルも飛びこんできた。
「お師……。」
ウルの声を遮るようにメルが叫んだ。
「ああー! 確かに怪しいよね! オレ1人だし! 1人だしね!」
「そうだ。お前しかおらん。さあ、連れていけ。」
数人の自警団員に、大人しく連行されるメル。
「おっと。」
わざとらしく躓き、急に屈むメル。
「そこの優男、なんか落としたぞ。」
メルからウルへ、先ほどの試験管が手渡された。視線で会話する2人。メルは、2件のギルド長殺害の容疑で諮問会議に掛けられることとなった。
後ろ手に縛られ、床に座らされるメル。その面前には、各ギルドの自警団長の3人である。しかし、金庭組と鉄槌組の自警団長は、前に見た顔と異なるようだ。前任の自警団長は相当の大失態を犯したと評されたのだろうか。その新任の2人は真っ直ぐに鋭い眼光を放ち、もう1人は浮かない顔で目を逸らしている。
「(身内が容疑者で、すまんね。)」
「それでは、ギルド長殺害容疑の諮問会議を始めようか。」
髭もじゃのドワーフみたいな団長が仕切り始める。見た感じ、鉄槌組だろう。細身で長髪の、エルフみたいな団長が続ける。消去法で金庭組だろう。
「被疑者メルよ。問われている罪状は分かっているな?」
「被疑者と呼んでくれてありがとう。ここに座らされている理由は理解しているつもりだよ。」
不遜な笑みで答えるメル。眉間に皺を寄せる髭もじゃ。眉一つ動かさない細長髪。もう1人は窓の外を見始めた。
「なら問おう。貴様の犯行だと認めるか?」
「何を悠長な! こいつしかおらんではないか!」
「まあまあ髭もじゃ、オレの話も聞いてくれよ。」
眉間の皺が洗濯板みたいになる髭もじゃ。血管切れるぞ。
「まずは、質問に答えよう。Noだ。オレは犯行に関与していない。」
「それを証明できるのか貴様!!」
「無罪推定の原則って知ってるか? 証拠はそちらが提示するもんだろ。」
ついに、皺の中に眉が埋もれ始める。冶金で表情筋を鍛えられるとは知らなかった。
「宜しい。こちらから追及しよう。」
「おい鉄槌!! 勝手に話を進めるんじゃねぇ!!」
え、逆だったの。やっぱり人を見た目で判断しちゃいけないな。今日の教訓。
「理性的に判断するべきだ金庭。農業はそんなに粗暴な業ではなかろう。」
「ぐぅぅ……否やはない。」
「では、被疑者メル、我が鉄槌組のギルド長が伏していた部屋に、単独で侵入したこと、それ以外の者は門番同行の元で配膳したこと、以上のことから犯行が可能なのは貴様しかおらん、というのが我々の見解。弁明して見せよ。」
公の場で弁明の機会が得られたことは幸運だ。一歩間違えれば、問答無用で殺人罪の罰を受けるところだった。
「鉄槌組の自警団長殿。弁明の機会をお与え頂き感謝する。寛大で理性的な貴殿に尊敬の念を送る。」
「世辞は良い。時間には限りがある。特に我々には貴重なものだ。」
「OK。弁明させて頂こう。まず1件目と2件目の殺人とが同一犯である証拠はまだないな。だから、容疑の掛かっている2件目だけに焦点を当てる。」
「貴様この期に及んで!!」
前のめりになる金庭の団長を手で制し鉄槌の団長が応える。
「確かにそうだな。1件目の容疑は撤回しよう。2件目について続けなさい。」
「まずは、前提の分類と整理だ。ギルド長の検死は終わったか? あれは毒物による急性中毒だ。それも嗜眠を伴うモノ。服毒の経路は経口か皮下投与によるものだろう。毒は何だった?」
「検出されていない。」
「え?」
「ギルド長の胃の内容物から特筆する薬物は見つかっていない。ご所望された頭痛薬のみだ。」
また凶器が消える現象か。しかし、1件目の時と今回は違う。視てるパラダイムが違う。小さなパラダイムは捨てた。
「議長殿、証人を呼びたい。許可頂けるか?」
「私は議長ではないが、証人の召喚は権利だ。誰を呼ぶ?」
「僕でしょうかぁー?」
「ウル!!」
傍らには、初日に会ったスルスが立っていた。グッっ、と親指を立てるスルス。なるほど、口利きしてくれたと。抜群の助力だ。
「えっと、議長殿宜しいでしょうか?」
「議長じゃない。発言を許可します。」
「ありがとう。僕の方でも胃の内容物をお調べ致しました。」
「なんだと貴様!!」
もう誰も気にしなくなった怒号。続けようかウル。
「確かに、水以外の化合物で怪しいものはありませんでした。しかし、水のpHが異常に低い。」
その場にいるメルとウル以外の者は、怪訝な表情を浮かべた。メルは納得、というよりも既に知り得ていた様子である。
「詳細説明しますね。今回のギルド長の死因はアルカローシスです。聞き慣れないと思いますが、嘔吐や過呼吸の際に陥ることがある状態です。体液のpHが高く、つまりアルカリ性になることを指します。これに起因して低カリウム欠症を引き起こすと重篤な場合、心停止に至ります。」
「それと水に、どのような関係が?」
「ここからは、お師に引き継ぎます。」
「なるほど、講義の時間だな。」
メルは、後ろ手に縛られた状態のまま立ち上がった。
「さっき、ウルが嘔吐の場合にも起こるって言ったな。これは嘔吐によって胃液、つまり酸性の液体が体外に流出することで、反対に体内がアルカリ性になるからだ。簡単な仕組みだろ? それと別に、水中毒ってのが存在する。これも重篤な場合死ぬに至る。しかも特殊な場合じゃない、大量に飲むだけだ。」
「水だけで人を殺せるだと?」
「そうだ、髭もじゃ。金庭組に10点。」
メルは、人差し指を立てて言った。
「水中毒で何が起きるか。さっき出てきた低カリウム血症だ。ちゃんと覚えてるか?」
「しかし、貴殿は大量の水と言ったな。ギルド長は大量に水を召し上がった履歴はないし、胃の中にもなかったと報告を受けているが。」
「そうだな。それは、こちらでも確認している。」
メルの、次の発言を前に、その場の誰もが固唾をのむ。
「そこで、錬金術の出番だ。」
「やはり、お前が犯人か錬金術師!!」
「そんなわけないだろ髭もじゃ。金庭から10点マイナス。」
「錬金術師よ、説明しなさい。」
「いいね。じゃあ錬金術師としての講義再開だ。」
メルの目は輝いていた。
「まず、一般の認識を否定しとくぞ。錬金術は魔法じゃない。魔法は有り得ないことを実現する神秘だ。全然違う。錬金術は、理論上有り得ないことは出来ないし、逆に有り得ることなら出来る。
〝
教え子達の講義に対する姿勢に感激しているらしい。
「もう少し詳しく難しく説明すると、エネルギーと反応座標への干渉によって反応の方向を選択する技術だ。つまり、起きえない化学反応を起こすことは出来ない。」
「では、巷の錬金術師は金を錬成できると嘯いていると?」
「いや、金は理論上錬成できる。出来るが必要なエネルギーと金の価値とが釣り合わない。金を錬成するのは経済的に圧倒的に損だ。鞴吹き(錬金術で儲けようとしているだけの卑賎な錬金術師という意味の蔑称。)にはそれが理解できていないんだろう。興味が尽きないのは嬉しいが話を戻そうか。質問があるなら講義の後でラボまで来なさいな。たんと教えてやるよ。」
「失敬。余り触れることのない分野だったのでな。続けて。」
「なんて良い学生か! 鉄槌に50点! 髭もじゃも見習いなさい! さて、今回の件、錬金術で何をしたか、仮説の域をでないが披露しよう。もうここまでで察しがつくと思うが、恐らく真犯人の武器は水だ。それも、水の三態つまり氷・水・水蒸気、三態間の相転移に伴う物理的性質の変化、溶媒としての性質を凶器に変えている。犯人はこれらについて造詣が深い錬金術師だ。ここまでで質問はあるか?」
誰も発言しようとしない。
「恥ずかしがらず気になったら質問しろよ? たった一時の恥だ、一生の恥にするな。今回の事件で不可解とされている現象は、散水ポンプの破裂、消えた凶器、消えた毒。1つ目、散水ポンプだ。水は液体から気体に変化、つまり蒸発すると大気圧での体積が約1700倍になる。ポンプ内の内圧がどれくらいになっていたか分らんが、陰圧に強い設計ポンプなら、陽圧では簡単に破壊できただろう。2つ目、消えた凶器。小説でありそうなトリックだが、たぶん氷だ。証拠の提出は出来ないが背面の服に水で濡れた跡があった。散水ポンプの方を向いていたら有り得ない濡れ方だ。3つ目、消えた毒、原理はさっき説明したが、水の量が伴わないって指摘があったな。とても鋭い、良い指摘だ。答えるならば、量が少なくても、物質を溶かす性質を増強すれば、つまり溶解度を20倍にすれば必要な水は20分の1になる。水に対する物質の溶解度は一般的には温度に依存して、低温ほど溶解度が高くなる。錬金術なら実際の温度を下げずに溶解度を向上させられる。これを利用した、かもしれない。胃の内容物に黒くて長い髪の毛は無かったか?」
「何故それを貴殿が知っている?」
「それは補習に取っておく。以上3点、オレの考察だ。追加でもう一つ、補足だ。水っていう物質はありきたりだと思うかもしれないが、化学的には特殊な物質だ。今回のことをやろうと思ったら膨大な研究が背景にあるに違いない。信じてくれるかは分らんが情報が足りなくて今のオレに再現は不可能だ。」
肩をすくめ自虐的に締めくくるメル。
「さあ、これで今日の講義は終わり。……あと5分くらいあるけど質問あるかい?」
メルの推理にその場は静まり返る。
「清聴は良いが静聴は失礼だぞ。活発な議論をお願いする。科学はひとりじゃ立ち行かないんだから。」
少し間を空けて、鉄槌団長が口を開き、ただ一言発した。
「確証は?」
メルもただ一言返した。
「無い。」
口火を切るように金庭団長が叫んだ。
「確証のないことを信じろというのか!!」
怒号に対して低い声で返した。
「無いものは無い。オレは無いものを有るとは言えない。有ればこんなとこにこうしてないし、信じてくれなんて懇願もしない。」
一同、懇願していたか、と疑問が浮かんだが、意識の底に沈めた。そう返したメルの目は凪の様に落ち着いていた。
「ですってよ、ボス。どうしますー?」
今まで沈黙を決め込んでいた銀涙団長が、頭をガリガリ掻きながら口を開いた。と思えばボスとは?
「これはこれは、ギルド長殿。こちらにはいらっしゃらないとお聞きしていたもので。出迎えもなく、大変失礼致しました。」
「来ないよって言ったのはホントだから気にしないで。寧ろ突然お邪魔してごめんね。それで、錬金術メル殿のことだけど。」
想像していたギルド長像とは相対して、とても穏やかで、親しみやすく、丸い印象だ。お腹も親しみやい丸さだ。
「まさか、ギルド長殿は、この錬金術師の話を信用するわけではないでしょうな!」
髭もじゃが割って入る。ヒトの話の腰を折るとは、なんて失礼な奴だ。学会の場なら、すぐにでも追い出してるところだ。
「もちろん、信じますよ。確証が無いことを隠さない方こそ信頼に値する。そう思わない? アイゼンリヒト自警団長くん。」
細長髪さん名前かっこよ。こうなると髭もじゃの名前も気になる。
「ええ、私もギルド長の意見に概ね賛成です。しかし、嫌疑は晴れていない。一部、反発が予想されます。隣の御仁の様に。」
髭もじゃが赤いのか青いのか判らん顔色をしている。間を取って紫だな。
「然り然り。なら、こうしよう。メル殿には自警団とは独立して警護を継続してもらう。監視のためにスルスくんを付けようか。変な動きがあれば、スルスくんの通報の基、再捕縛。最後まで僕が生きてたら嫌疑返上。どう?」
「全ては解消出来ないでしょうが、かなり反発を抑えられそうですね。私は異論ありません。エッグプラント自警団長は如何かな。」
「……否やはない……。」
紫色なのはいつものこと、って感じの名前だな。名は体を表す。そういえば、ハンプティー・ダンプティーの親戚みたい感じもある。
「願ってもないご提案。お断りする理由も、そもそも、その権利も御座いませんでしょう。身に余る幸甚、死力を尽くして応えましょう。」
「そんなに畏まらなくていいよ、メル殿。ただのギルド長だからさ。」
「あはは、そっすか? じゃあ、ふかふかおじさんに提案だ。こればかりは当人の同意が必要だからな。」
「ほほう。なんか面白そうだね! 聞かせて聞かせて!」
2人の距離感に誰も付いていくことが出来なかった。この後、メルはギルド長にこんな提案をしていた。
「影武者って手がある。一番確実かつ安全だ。」
「そうですね。僕が死ぬわけにはいきませんからね。」
そりゃそうだ。3大ギルドとまで呼ばれる組織の長だ。命が惜しくなくとも、責任は重い。
「でもね、僕の代わりに誰かが死ぬのはもっといけないことなんですよね。だから、影武者は無し!」
「なっ! あんたが死んじまったらギルドどうすんだよ!?」
右上を向いて少し考えたあと。
「僕が死んでも誰かが長になれると思うんだよね。それは心配ないかな。」
自分の死後を想像してるとは思えない穏やかさだ。自分の一個人の価値観より、全体主義的な俯瞰した視座を持っているんだろう。長の役目は、現状の統治だけでなく、自分が退いた後も遅滞なく統治が継続できる環境を用意すること、つまり、後進の育成が最も重要とも言える。
「でかいのはお腹だけじゃないのは解った。だけど、自分も大事にしろよ? みんな、の中にはあんたも含まれてる。」
ギルド長のお腹をぽんぽん叩きながら説教する。
「娘にも同じ事言われるんだよね。ははは。」
さっきよりも困った顔をした。
暗殺対策を練るのも課題の1つではあるが、その前に、犯人を特定して捕縛するのがリスクも小さく、経済的だ。物証が1つも無いので、立件は出来ないが会合が終わるまで聴取で時間を稼ぐことは出来るはずだ。そこからじっくり詰めれば良い。勿論対象は、件の黒髪の美女だ。
「あんたが従業員の管理職だったな?」
メルは、履歴書を借りた時に訪れた人財部事務所に来ていた。
「従業員の中に、長い黒髪の美人がいたろ。そいつの担当はどこで、シフトはいつだ?」
「多分、テミスのことだよな? テミスは、今日のシフトの筈なんだが、来てないんだよ。無断欠勤する様な子じゃないと思うんだが。」
遅かった。始めからここまで、奴の掌の上で踊らされてる。
「とても良い子でさ、金庭組ギルド長がやらしい目でご指名してきた時も、自分の身は自分で守れますから、って承諾してくれてさ。」
「ギルド長に同行する従業員はあんたが決めたんじゃなかったのか!?」
「普通はそうするけど、テミスが大丈夫って言うから。」
「どうやって誘導した……? そんなもん、不確定要素が有り過ぎだろ……。」
重要参考人の身柄どころか所在も失ったメルは、肩を落としてウルと合流しようと歩いていた。
「ちょっと、そこのあんた。テミスを疑ってるのかい?」
後ろから、年配の女性が手を子招きながら話し掛けてきた。目の回りに大きなシミがあって噂好きそうな、いや、人を見た目で判断してはいけない。
「あの子、噂になっててさ。」
見た目通りのこともある。人相学は見た目と性格の相関を基にしている。そういうことも有る。
「殺された金庭のボスの愛人だったんだってさ。ここに来た時にはもう、お互い目配せしちゃってさ。ここに雇い入れたのもギルド長の推薦なんじゃないかって噂♪」
メルの頭の中で思考回路が閉じ、これまで得られた情報が回り出す。
「おばちゃん、あんがと。でも、憶測で噂流すもんじゃねぇぞ。」
「ふふふ、私の情報網は嘘を吐かないわ。」
事務所を後にするメル。そうか、そういうことか。テミスの暗殺は、ここに来る前から始まっていた。しかも、いつでも殺せる状況にありながら、わざわざリスクを犯して会合の期間中に決行した。後は、仮説通り事を運べば、これまでの犯行を再現できる。やっと辻褄が合った。
「なら最後は、一番派手に、だよな。」
中日の1日は瞬く間に過ぎた。会合の中止を求める声が大半であったが、銀涙組ギルド長の強い継続意思によって覆らなかった。
他の2つのギルドからは、副ギルド長だった者がギルド長代理として出席することになった。恐らく、一番戦々恐々としてるのは、この2人だろう。当のコルテーゼ氏、銀涙組ギルド長のことだが、肝が座ってるのか、単に楽観的なのか、とても暗殺対象にされてるとは思えない様子だ。
「なんかイタズラするみたいでわくわくするな!」
自警団とメル達は警護施策と所持してる情報をお互いにクローズにしていた。これはスルスの提案によるもので、ここまで用意周到な相手であれば、内通者の存在も警戒すべき、というのが主な理由だ。
「さすが自警団、プロファイリングも心得てるのか。」
「やだなぁ、そんな高尚なモンではないですよ。ただ、少し疑り深いだけです。あと理由はもう一つあって……。」
その方が面白そうでしょ? と善とも悪とも捉え所の無い透明な笑みを浮かべた。
「スルスの奴、中々見所があるじゃないか。ぜひ、出世して貰おう。」
「大丈夫ですよ。僕達が心配しなくても彼は出世します、たぶん。」
さて、明日の準備は千緒万端整った。すでに勝負は付いている。あとは観測するのみ。他人の命を賭けといて不謹慎だが、時間をかけて準備した大事な測定の解析結果が出てくる前日と同じ気分だ。
会合の目玉、錬金術師のこれからの待遇についての議論が始まった。会議は施設内の応接室で行われている。厳重な警備の元、宿泊部屋から会議室へ護送され、ギルド長とギルド長代理達は無事に会議室の椅子に着いた。ここまでは何事もない。
早朝に始まった会議は2回の休憩を挟んで正子近くまで続いた。議題の多くは会合開催前に粗方決定していた筈で、会議では確認程度の筈だったろう。それが立て続けの事件でギルド内に反発が生じ、ギルド間の摩擦になったことが推測できる。今後の事を考慮すれば必要な時間だ。
休憩時に給仕される飲食物には毒味係が付けられたらしい。人道的側面で言えば否だし、毒殺の原理的に毒味は有効な対策ではないが、一部のギルド員から強い要望が有ったらしい。ギルドの働きが市場を豊かにし労働者達から支持されている証左であろう。
さて、正子の30分前、会議終了の知らせが入り、大広間での議論内容と決定事項を含めた、我らがコルテーゼギルド長の訓話が始まる。
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夜の冷たい風が吹いている。しかし風速は5 m以下。問題は無い。対象までは1080 m。この条件であれば、失敗する確率は統計的に.1%以下。それでも、油断は出来ない。戦場とは、そういう世界。考え得る全ての可能性を憂慮してさえ、逃れ得ない死の追随。しかして、神など信じはしない。これまで神が何かしてくれたことが有るか。いや無い。存在したところで、死神も善神も贔屓などしない。そこに唯有るだけだろう。
「対象確認。」
施設付近は夜でも煌々と灯りが点っている。会議室から大広間へ続く渡り廊下を移動する対象、コルテーゼ銀涙組ギルド長。その周りには、初日の刺殺を警戒した自警団員が囲っている。飲食物にしても、鉄槌の件を警戒し毒の有無について憂慮しているだろう。事前調査では、上の2つに9割近いリソースが割かれている。潜入時に入手した情報では、錬金術師の犯行であるということには辿り着いたらしい。反錬金術組織の名で脅迫したにも関わらず、その考えに至った者がいるのか。死神の匂いがする。
「周囲状況を最終確認する。」
恐怖とは、生物に与えられた危機回避能力の一部である。脅威の接近を関知する五感の延長機能である。この匂いは脅威の接近を報せている。
「なるほど、あれが錬金術師。」
大広間の直上、屋根の上に、紅い影が見える。知識としては知っている。あれは
「中々の感覚です。しかし、それでは足りなかった。」
弟子を名乗っていたウルという男も大広間でギルド長付近を警戒している。
「此方は凡夫でしたか。」
この演目の終幕が近づく。彼のギルド長が壇上に上がる。小洒落たグラスを手に、群衆に向き直る。自警団は壇の下を囲むように並んでいる。狼狩りは未だ存在しない飛来物を探している。
「カウント、始め。」
ルーティーンに入る。頭の中で10カウントする。3でスコープを覗く右目に集中する。2で引き金に掛けた人差し指に力を込める。1で呼吸を止める。0で引き金を、引く。
「
詠唱と共に水蒸気が飛躍的に膨張し、極低温の氷の弾丸を押し出す。放たれた弾丸は、白銀の尾を引きながら緩い放物線を描く。最初からそこに辿り着くと決まっていたかの様に、壇上の男の頭部へ吸い込まれて行く。弾丸は、弾丸と対象との間を隔てる窓ガラスを割る……ことはなく、窓ガラスは水飴の様に変形し、弾丸を失速させ、遂には停止に至らせた。弾丸のコークスクリューに合わせ対数螺旋状に落ち込んでいる窓ガラス。
「!?」
不可解な現象に混乱する。混乱は焦燥を呼び、焦燥は判断力を鈍らせ、判断力の低下は綻びを誘発する。計画が完璧であればあるほど、その落差は大きい。
「これは……どういう……?」
焦燥に任せて、周囲の窓ガラスに弾丸を撃ち込んでいく。初弾を受け止めたガラス以外は呆気なく割れた。これが死神の匂いの正体。
「計画が完全に把握されている……!?」
スコープを覗き、対象にレティクを合わせる。対象は、その場から微動だにせず、こちらを見据えている。恐怖どころか、穏やかな印象さえ与える眼差しに、憐憫が混じる。唐突に、正子を報せる鐘が鳴った。眼差しに魅入られていた意識が、はっと我に返る。
「撤退……。」
この精度でこちらの行動を推測されているということは、すでに退路を断たれている可能性が高い。しかし、時計塔の下にはそんな様子は見られない。
「何故……? いや、逸早く逃走を……。」
予め仕掛けておいた術式で氷のポールを錬成し、塔の根元まで降りると、正八面体の石を地面に放り投げた。
「
そう詠唱すると、石を中心にして地面が盛り上がり、2つの車輪で自立した岩が出来た。それに飛び乗る際、窪みに足を取られ輝石が埋め込まれた氷の靴が脱落してしまった。
「くっ! 撤退を優先……!」
これは、大きなミスだった。それ程にまで心理的に追い込まれていた。蒸気エンジンを吹かし、氷の靴を放って走り出した。これが私、〝灰降らし〟が画策した、3人目のギルド長暗殺計画の顛末である。
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第1射の弾丸が予想された3枚の内、1枚の窓ガラスに着弾する。対数螺旋状に変形し、予想範囲内の制動距離で弾丸が失速する。
「さあ、みなさーん。落ち着いて出口に向かって避難してくださーい。窓の下には近づかないでくださーい。繰り返しまーす……。」
着弾を合図に、避難誘導を開始するウル。その後すぐに、初弾が着弾した窓ガラスの周囲5枚が破砕され、窓の直下に割れたガラスが降り注ぐ。ほぼほぼ、予測通り。
「護衛が囲むから逃げましょ、って言ったのになー。」
予測から逸れたのはコルテーゼギルド長。着弾以降、微動だにせず、射線の根元を見据えている。何処か、優しささえ感じる眼差しを向けている。程なくして、正子を報せる鐘が鳴った。
『こちら、ウルです。避難誘導、ほぼ完了です。お師、そちらはどうですか?』
メルが携帯しているブローチからウルの声が再生される。ブローチの中には水晶振動師が内蔵されており、集音した音声を錬成波に変換して送信し、受信側で音声として再生される仕組み。
「ああ、こっちも対象の撤退を目視にて確認した。一旦終結だ。おつかれー。」
メルが覗いていた双眼鏡は赤外線を可視化することが出来る装置。解像度は低いが、ヒト程の大きさの熱源であれば、位置を特定することは出来た。
「ところで、あの窓は何で出来てるんです?」
屋根の裏からひょっこりとスルスが覗く。
「別に? ただのガラスさ。」
「意地悪だなぁ。企業秘密です?」
「本当だよ。ガラスは液体なんだ。」
スルスがきょとんとする。
「猫は液体、みたいな?」
「あれは比喩だろ! 確かにむにゅむにゅだけど! ガラスは粘度が著しく高い液体なんだよ。古い窓ガラスは波のような模様があったりするだろ? あれは長い年月で垂れ落ちる途中なんだ。」
「本当に? 俄には信じられませんね。」
「試しに、ピッチドロップ実験を調べてみな。黒い塊が落ちるのをその目で見るためだけに一生涯を掛けた奴がいるんだ。素晴らしい!」
両手を広げ、嫌みで無く称賛するメル。
「つまり、どういうことです?」
「錬金術で適度に粘度を下げたんだ。だから面積の小さい高圧の衝撃にも耐えるし、変形して弾丸の速度を吸収した。」
「へー。やはり知は力なり、ですね。でも私の知識では、錬成は近くのものしか作用しなかったような。」
この男、錬金術にもある程度明るいのか。うむ、今回味方だったから感じなかったが、敵にすると印象が180度変わりそうだ。敵には回すまい。
「仰る通り、錬成に必要なエネルギーは自分からの距離の2乗に比例する。つまり、遠くの物に干渉するには膨大なエネルギーが求められる。これは、錬金術を媒介する錬成波の波動性に由来するものだ。」
「難しいけど、遠くだと音が小さく聞こえる、みたいなことですかね。でもそしたら、やっぱりここから窓のガラスに干渉するのは難しいのでは? あの錬成、ウルさんのじゃないでしょ? メルさんの石が光ってたし。」
観察眼も確かだ。助手もとい助教に欲しい。
「それは〝遠隔錬成〟という技術を使った。〝自分〟からの距離というのをさらに正確に表現すると、〝自分の身体〟延いては〝自分の一部〟からの距離と言い直せる。端的に言えば、身体の一部、今回は髪の毛を窓の近くに貼り付けて、それを中継して遠隔錬成を行った。この音声通信も同じ様な原理だ。」
「そんなことができるんですか!? なんでもアリですね。」
「そんなになんでもアリじゃないぞ。」
メルは人差し指を横に振りながら舌を鳴らした。
「中継する部位の種類と大きさによって錬成の出力が変化する。髪の毛一束じゃあの程度の錬成が精一杯だが腕一本あれば建屋の壁一面の材質に干渉出来る。専門研究者曰く、心臓が最も中継効率が高いらしい。どうやって実験したんだろうな……?」
メルは光の無い瞳で遠くを見つめた。
「錬金術の闇ですね……。あ、あと、狙撃だと踏んだのは何故です?」
不穏を感じ話題を変えようと咄嗟に思い付いた質問を口にした。
「それは、黒髪美人がすごく几帳面、ないし完璧主義者だったからさ。敵ながら、オレはそれを信頼した。1つ目の暗殺は、死角からの刺殺。2つ目は毒殺。暗殺と言えばこの方法ってのを上からなぞってる。それに、物的証拠は残さない。美しさすら感じ得る、洗練された暗殺だった。恐らく、錬金術の脅威を体現するためにも必要だったんだろう。」
「なるほど?」
「と来たら、3つ目は花形の狙撃だろ。狙うは、一番注目を浴びる場所に立ってる時。そう仮定すれば狙撃出来るポイントは時計台、射線上にはドロドロ窓ガラスさ。」
感心するスルスを無視してウルに提案する。
「何もないかもしれないけど、手掛かりを拾いに行こう。ガラスの靴でも落としてないかね。」
現場の後始末を自警団に任せ、メルとウルは時計台の根元に向かった。
「有ったな。」
「有りましたね。」
ガラスの靴、もとい、氷の靴が打ち捨ててあった。靴の側面には蒼い輝石が埋め込まれている。彼女の術具で間違いない。
「相当焦ってたんだな。平常時なら、こんなミスする奴じゃないだろ、たぶん。」
「それに、表舞台に立つのは初めてな印象でした。なんだか緊張していたような、強張っているような。」
「ふーん。頑張り方は問題だが、頑張ったんだな。」
拾い上げた氷の靴を、断熱した箱に納め、周囲の地面に目を向けた。1人用の寝床ぐらいの大きさの穴が空いている。さらに、そこから車輪が通ったであろう轍が、同一直線平行に2つ。
「これは、車輪駆動型の乗用ゴーレムですね。」
「今、ウルが創ろうとしてる奴か?」
「ええ。同じ発想の人間がいるんですね。やはり、世界は広い。」
以上の結果を持って、コルテーゼギルド長へ報告した。今後、錬金術に関する催しでもない限り、手を出してこない可能性が高いことも話した。
「かと言って必ずじゃないからな。でなくとも職業柄、敵は多そうだしな。用心しなよ。」
「ふふふ。メルちゃん心配してくれるの?」
「ちゃかすな! 心配なんかしてないんだからね!」
脅威が過ぎ去ったことで弛んだ雰囲気の中、コルテーゼ氏は急に居直って、改まった口調で話し始めた。
「メルちゃんにお願いなんだけど。彼女を僕の前に連れてきてほしい。」
「捕縛して突き出せってことか? そりゃあ出来るもんならするけど。」
「そうじゃなくてね。」
コルテーゼ氏は言葉を選んでいるのか少し考えてから口を開いた。
「僕は、人類のこれからの発展のために錬金術は必要不可欠だと思ってるんだ。人間が神から何かを賜ったとすれば、それは理性であって、その結晶が錬金術なんじゃないかって。人間が神から自立するには必要だと思うんだ。」
話が纏まらないのか、また少し考える。
「でもね、その為には、錬金術の悪い所も知らないとならない。でも、それは歴史からだけでは足りないんだ。賢者は歴史から学ぶというけど、歴史書には大きな出来事と民衆の集団心理しか書いてない。そこに書いてない、1つひとつの出来事を知る必要があると思うんだ。だから教えて貰いたい。彼女が何故、そこまで錬金術を憎むのか。その理由と過程を。そして対話を持って理解し合えるか。そんなことを考えていて……。」
「大丈夫だ。言いたいことは充分理解できたよ、おっちゃん。」
言葉に詰まりながらも言語化することで、自分の中でも整理出来ていくものだ。それは、他人からの理解にも繋がる。
「正に、一は全、全は一、の教えの通りだな。自分で辿り着くなんて大したもんだと思うよ。」
そうなの? と首を傾げるコルテーゼ氏。
「努力はしよう。美人を探させてるなんてヒトに言うなよ? 最悪、ギルド長の離婚騒動だ。パパラッチは嫌だろ?」
「写真撮られるのは好きなんどけどね。」
「なんだそれ。」
凄いんだか凄くないんだか、良くわからんおっちゃんだ。弛んだ苦笑いが溢れる。
報酬金を受け取ったメルとウルは工房に乗り込み、次の目的地へ向かっていた。
「お師。これを。」
道すがら、ウルがメルへ紙袋を1つ手渡した。
「おお! エメラルドソフィアじゃないか! 今日誕生日だっけ? クリスマス? 盆と正月?」
「大袈裟ですよ。今回のご褒美です。」
袋の中には青柳色の林檎が3つ。
「ギルド長には奮発して貰いましたからね。暫く路銀には困らないでしょう。しかし……」
「無駄遣いな。しないしない。」
遮るように、先回りして否定する。メルが林檎を頬張るのを呆れ顔で眺めるウル。
「ギルド長と顔見知りになれたのも大きいです。小人憑きの情報を集め易くなりました。」
「もう、おっちゃんとはダチだからな。」
早速、調達した小人憑き目撃の情報を元に、一路東に向かった。
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