第1章第2節 奇妙な錬金術師
ここは、南西部に位置するチュニジアにある、とある街。この街の郊外で、小人憑きの目撃情報があった。小規模ながら、石畳が敷かれた道の端に石造りの建造物が立ち並ぶ、美しい町であった。小麦やオリーブの農産物に加え、畜産物としてラクダが有名である。小人憑きの目撃があったのは郊外にある森の中で、狩猟者が複数人死傷したとの報告があった。
「こんな人里近くにも出現するようになってきたな。」
「なにか経時的変化があるのでしょうか?」
「人為的であれば、計画が進んだ、って捉え方もできる。人為的か否かすら解らん以上、何の進捗を反映しているのかは不明だが……。」
二人は、この街を統治している貴族への謁見を打診した。地位とは関係の薄い錬金術師とは言え、
「ボンファイア卿、この度は謁見をお許し頂き感謝申し上げます。」
「貴殿がかの有名な狼狩りのメル氏か? 想像したよりお若い方ですな。」
「よく言われます。身体は子供でも、頭脳は大人ですので悪しからず。」
メル達はこの街での小人憑きに関する調査とその討伐について許可を得て、卿からの討伐報酬の提案も喜んで受けた。
「あっちから報酬の話切り出してくれるとはな! 良い奴だな!」
「お師の中でお金をくれる人は大体良い奴ですね。」
聞き込みをするため街に出た。目撃者を探しながら街を周っていると、違和感が湧いてきた。書籍を扱う商店が見当たらない。住人の1人に、この特異について訊いた。
「本屋? そういえば無いね。必要もないから誰もやらないんだろう。勉強なんか、あんたみたいな学者さんがしてくれるしな。」
他にも数人に同じ質問を繰り返したが、同じような返答が返ってくるばかりであった。どうやら、この街では学問は高尚なもので、庶民の手が届くような身近なモノでは無い、というのが共通認識の様だ。
「んー。そんなことないんだけどなー。」
メルはそう呟きながら虚空を眺める。するといつの間にか傍らに歩み寄っていた子供が話しかけて来た。
「そうなの? お姉さん。みんな、勉強は難しい事だから頭が良い人に任せてただ働けば良いんだって言うよ? ボンファイア様が何でも知ってるから、その通りにしなさいって。」
「あの貴族様が、か。成程この街の運営方針が解ってきたな。」
特に憤る様子は無く寧ろ呆れた様子であった。
「つまり、その方が統治しやすく、反乱の可能性も下がる、と?」
「そうそう。何も考えないってのは楽だし使う側としても扱い易くなる。錬金術師が中々食い扶持にありつけないのも、こういうイメージがあるからだろうな。」
メルは先ほどの子供に向き直り、中腰になって目線を合わせた。
「オレの考えだが学問は決して難しくないぞ。少し根気が要るだけだ。それに遠い何処かで動いてる事でも無い。学問はとても身近な所に隠れている。知らないと気付かないだけさ。」
「そうなの!?」
子供の目が輝きだす。メルはこういう反応が林檎の次か、同じくらい大好物だ。
「いいね! お姉ちゃんの講義聞くか?」
「聞く! 友達も呼んで来て良い?」
「いいともよ! 聴講者は多いに越したことないからな! 所で君の名前は?」
「リベルだよ!」
「うむ、いい名前だな!」
その後リベルは6人の友人を連れて来た。興味に満ちた子と関心が薄そうな子が半々であった。
「さあ、講義の開始だ。まずは掴みから。興味レベルの底上げからだ。」
メルは腰のポーチから透明な液体の封入されたナスフラスコを取り出し詠唱した。
「
輝石が瞬き多胞体が躍る。ナスフラスコの壁面がみるみる内に銀色に染まっていく。
「すごーい! これが錬金術!?」
興味を持つ子が6人になった。メルは、にーっと笑った後、返事をする前にナスフラスコを透明な袋の中に入れ、指で弾いた。すると、袋の中で小気味よい音と共に爆発した。
「え!? 何が起こったの?」
最後の1人が身を乗り出し目を輝かせた。
「なーに、錬金術を知ればなんて事はないぞ。知りたくなったか?」
7人全員が首を縦に振り回した。
「さて、さっきのは応用編。基礎編から行くぞ? 地味だが基本が大事だ。」
人差し指を立て少し仰け反る様に鼻を鳴らした。
「錬金術はとても身近って話をするぞ。みんな焚火はしたことあるか?」
7人中6人が手を高々と上げた。1人は先ほど最後まで興味を示さなかった子、イグノーだ。少し目を伏せて暗い顔をした。
「経験があるかは特に問題じゃない。さてさて、焚火に至るまで、つまり大きな火が出来るまでにどんなことをする? 出来るだけ詳しく説明してみてくれ。ここは自由発言だ。間違ってても良い。言いたい事を言ってみよう。」
それを聞いた子供達は、お互い目線を合わせながら誰が最初に言葉を発するか伺っている。暫く誰も口を開かなかったが、メルはそれを眺めている。すると、イグノーが弱々しく手を挙げ小さな声を発した。
「き、木を伐ります……。」
「いいね。大概みんな最初に口を開こうとしない。それを出来る奴はそれだけで凄いぞ!」
イグノーの顔に色が戻る。それを皮切りに、みな思い思いの考えを提案していく。
「木を伐ったら薪割りするね。」
「その前に玉切り、ってのをするんだって、ばっちゃんが言ってた。」
「そしたら外に積んでおくよね。いつも古いのから使うけど、なんでかな?」
「順番に使ってるだけなんじゃない?」
「その後は薪をこういう感じに積んで、松の葉っぱとかを乗せて、それから火を付けて」
「火を付けるのは火打石だよな。」
「そうそう。」
「それで、薪に火が付いたら、ぱたぱた仰いでぇ……。」
「え? 筒みたいので、ふぅー、ってするだろ。」
「うちは、なんか三角っぽい道具があるよ。ふいご? って言ってたかな?」
ここで、各々の意見が割れ、どれが正しいかの議論になる。ここで議論が煮詰まってきた。進展が見られなくなったところでメルが静止した。
「はい、そこまで。最後、意見が分れた所も後で考えていこう。まずは、今挙がったことをやる理由、つまり、火を点けるにあたって何の役に立っているか、やらないと
どうなるか考えよう。」
「理由? そういう風に教えられたから?」
メルは人差し指を左右に揺らし前屈みになった。
「そう決まっている、っていうのは理由じゃない。そういう風に決めた奴は決めた理由があったはずさ。そうじゃなきゃわざわざ決めたりしないだろ? さあ、頭の回転を止めるなー? ぶん回せー?」
子供たちは、揃って腕を組み、左上と右上を交互に見つめている。そこでリベルが最初に口を開けた。
「木を伐るのは、そのままじゃ大きいからかな? あと、木のまま燃やしたら森ごと燃えちゃうとか?」
一同から感嘆の声が漏れる。
「確かに、森が燃えちゃったら困るな。もう薪が作れないし狩猟も出来なくなっちゃうな。すげぇなリベル。」
友人に褒められ嬉しさを隠せないリベル。この意見を聞き要領を理解したのか、意見が飛び交うようになる。
「玉切りは薪の長さを決めてるって、ばっちゃんが言ってた気がする。」
「薪割りは燃えやすいように細くしてるのかな? でも、細くすると何で燃えやすくなるの?」
ここで初めて疑問が自然発生した。
「はい、今! なぜなぜが自然に産まれたな! まさにそれが、学問の入口だ!」
両腕を挙げ、満面の笑みで言う。
「何故こうすると、こうなるんだろう? こう思ったら知りたくなるだろ? これを知るために色々なことを試しては失敗して、それでも、諦めず知ろうとする。それが、学問の本質だ。今、君たちのすぐ隣まで学問は寄り添ってきた! 拍手!」
メルと7人が拍手喝采する。そこで、大きな音を聞きつけたご婦人が、こちらを覗きながら話しかけてきた。
「子供たちに変なことを教えないでくれますかね? 勉強なんて私達には必要の無い無用の長物。変な錬金術師様だね。」
言い終わるや否や去って行ってしまった。メルは暗い顔を見せる事無く子供達に言い聞かせた。
「いいか? 知りたい事を追掛けてると、それには何の意味があるのか? って水を差してくる奴が必ず出てくる。しかし気にする必要は無いぞ。オレ達は知りたいから知ろうとしているだけだ。その後、何かの役に立てば僥倖。直接役に立たなくとも人智という蓄積の一部になる。それだけで価値は高い。これだけは言い切れる、絶対だ。」
この講義は日を跨いで数日続いた。メルは調査をしながらだったが、大体ウルに押し付けた。
「外に置いとくのは洗濯物みたいに乾かすんじゃない? 湿気てたら燃えないって聞いたことある。」
「じゃあ、湿気てたら、なんで燃えないんだろうね。」
議論は活発に続いていく。初めは少し考えに耽ると疲れてしまっていた子供達は、考えることに慣れてきた様子だ。
「杉の葉っぱは何で必要なのかな? 薪にそのまま火は付かないの?」
「それなら試したことあるぞ。杉の葉っぱ集めるの面倒くさくてさ。全然、燃えなかった。ちょっと赤くなるくらい。」
「ちゃんと集めなよ……。」
「大事そうな事解ったからいいじゃん。」
「仰いだり、ふぅー、ってするのは何してるのかな? あれやると、ぼぉー、って火が大きくなるよね。」
「んー。今まで考えたこと無かった。それも、色んな方法があって、どれでもいいんだもんな。」
ここで再び、議論が煮詰まってきた。メルがここまでの経過を纏める。
「解ってたようで解ってなかった無かったことが3つ位あったな。それらに焦点を絞ろうか。
1つ、何故薪が大きいと燃えづらいのか、
2つ、何故松の葉が無いと薪に火が付かないのか、
3つ、何故ふぅー、ってすると火が大きくなるのか。
これらが知りたい時どうするか。」
ここでメルの眉間に皺が寄る。
「本当は図書館にでも行ってみんなで調べものでもするんだがな。」
「図書館? そんなの学者さんが集まる街とかにしかないんでしょ?」
「ああ、君たちはそう聞かされているんだよな。いや、大人達も本気でそう思っている。異常性に気付かない。そういう風に制御されている。」
メルは腕を組み目を瞑った。
「図書館は特別な施設じゃない。少し大きな街ならどこにでもある。この街にも、あって然るべきだ。でも無いものは仕方ない。」
メルは、おもむろに目を開いた。
「ここは、ちょっと実験してみようか! 1つ、何故薪が大きいと燃えづらいのか。」
メルは薪木を削り出し真球に近い球と表面がトゲトゲした球を作った。
「これとこれ、大きさは大体同じだな? 火を付けてみよう。」
「えー、せっかく作ったのに?」
「実験ってのはそんなもんだ。準備に数年掛かって実験自体は数秒で終わる。珍しくも無い話さ。実験始めるときのスリルがたまらん。」
このまま玩具にしたい子供たちは、怪訝な顔のまま火を付ける準備をする。松の葉を敷きその上に先ほどに球を乗せる。
「〝せーの〟の、〝の〟の時だぞ。」
「ののの?」
「の! でカチってやるの!」
せーの、で火打石を衝突させる。松の葉に引火し燃え始める。すると、表面が滑らかな木球は表面が焦げはするものの、すぐには引火しない。対してトゲトゲの木球は棘の先端から引火し炎が球全体に伝播して行った。
「え! トゲトゲが燃えたよ! 何で違うの!?」
「教えて進ぜよう。さっき、薪の大きさに注目したが、それは全体の大きさではなくて、表面積と尖ってる部分の大きさによるんだ。だから、太い薪より細い薪を束ねた物の方が燃えやすい。」
「どうして!?」
「いいぞ! 説明されて、そうなんだー、で終わっちゃうと先が無い。より深く掘ってくぞ。最初は解んなくても良い。単語を覚えられるだけで大したもんだ。」
メルは棒状の薪を1つ拾い上げ、指差しながら説明し始めた。
「まずは結論から。火が付く、に必要な条件ってのがある。
1つ、温度が一定以上である事。
2つ、酸素の供給が充分である事。
定性的な表現だがこんな感じだ。
1つ目に関しては、反応速度が関係している。木が燃える、というのも化学反応というモノなんだが、一般的に温度が高いほど進み易くなる。温度が高くないと燃えないってことだ。」
子供達が頭を抱えて理解しようと思案する。その中でイグノーが心当たることを呟く。
「暖かいところに置いとくと、野菜が腐っちゃうのと同じようなこと?」
「素晴らしい! イグノーに10点!」
イグノーが両手の拳を握りしめ歓喜の表情を浮かべた。
「それだけじゃないぞ。誤解を恐れず例を挙げると、温かいスープには塩が溶けやすかったり、焼くと肉が柔らかくなったり、実は色んなところで目にしているはずだ。これからモノの見方が様変わりするぞ? 覚悟しておけよ。」
メルは説明を続ける。
「2つ目、酸素の供給って言うと難しそうだよな。要は、燃えてる所に空気を送れるかどうか、だ。ふぅー、ってやるって言ってたな? その他にも、仰いだり、鞴使ったり。これは空気を欲しがってる炎に空気をあげてるんだ。だから、元気よく燃えるようになる。」
「どうして!」
「要領得て来たな。大変宜しい。さっき化学反応と言う言葉が出てきたが、この反応が起きるときは、物質同士がくっ付いたり分かれたりするんだ。焚火の場合、薪の中の燃える成分と空気が結びついて二酸化炭素という気体と水蒸気になる。つまり、空気の中に飛んでいく。」
「それなら燃えたら無くなっちゃう……無くなってるね!」
「そうそう。燃えたら無くなってる、っていうのが、最も解りやすい根拠だ。だから、一度燃えても空気が無いと燃えづらいし、火が消えることもある。見てろよ?」
メルは先端が燃えている細い木の棒をフラスコの中に投げ込み手で蓋をした。すると、木の棒は瞬きを待たずに消えてしまった。
「こんなにすぐ消えるの!?」
「見ての通り。しかも空気はオレたち人間にも生きるために必要な物質だ。室内で火を使う時に換気しないと今みたいにオレ達が死んじゃう。気を付けろ?」
この話を聞いて、唾を飲み込む一同。火の消えた木の棒に自分を投影し、その恐ろしさを我が身の様に感じている。
「さあこれで焚火の神髄を理解できた。疑問の2つ目いってみよー。2つ目、湿気があると何故燃えないのか。どうだ? なんか思い付く?」
子供達は、今まで知らなかった、解らなかったことへ思いを馳せ思案することが楽しくなっていた。我こそが正解を導き出そうと切磋琢磨していた。
「えっと、条件は2つで、どっちかな?」
「そうかな。どっちもかもよ?」
「先生が嘘吐いてたらもっとあるかも。」
ここでメルが両腕を挙げて大きな声を出した。嘘吐き呼ばわりされて怒り出した、と思ったのか、発言した子が身を竦める。
「素晴らしい! 教えられたからと言って正しいとは限らない。常識も間違っているかもしれない。なんせ人間だからな。こんな言葉がある。
〝人間だから間違うのか、
間違うのが人間なのか。〟
完璧な人間は確率的に居ない。そもそも、完璧の定義も様々だ。考え方のコツを授けようか。ある理論を謳っている人が居たとしよう。そいつが偉い先生かどうかは気にしなくて良い。理論が合理的か、必要な根拠が不足していないか。自分の頭で評価するんだ。合理的で、必要な証拠が多ければ、それなりに信じなさい。それなりの加減は手探りだけどな!」
身を竦めていた子供達は、話の途中から身を向きなおしメルの話を真剣に聞いていた。
「さあ、話を戻そう。オレが持ってる理論を説明するのに、さっきの2条件で充分だ。湿気っていると温度が上がらないのが原因だ。しかし何故か? さあ、問題。ずぶ濡れになると寒くなるな。なんでか?」
今まで考えたことが無かったことがまた発掘された。子供達の中にどよめきが広がる。
「冷たい水だから?」
「お風呂のお湯でも寒くなるぞ。この前それで風邪引いた。」
「ちゃんとしなよ……。」
「お陰でヒントになったろ?」
「じゃあ、お湯が冷えて冷たくなるから?」
「うんうん。それっぽい?」
子供達の中で結論が出たらしい。ここでメルが一石を投じる。
「でも火を付けるときは暖かいよな? その理論だと湿気ってる木に含まれる水気は暖かいぞ?」
子供達は初めて自分達が納得して出した答えを否定され落ち込んでしまった。
「やあ、君たち。さっき、人間は間違うって言ったよな? それは君達も同じだし、一発で当りを引く必要は無い。先人の天才達も、仮説を立てては否定され、少しずつ真理に近づいていったんだ。今、君達は大きく広がる、仮説の中で、これは違うと、気付くことが出来た。仮説の大海原を、少しだけ狭くする事が出来た。前進だ。進歩だ。発展だ。つまり、長い目で見れば成功だ。ささ、新しい仮説を立てるぞー。」
子供達は悲観する事無く仮説の提案と検証、失敗と前進を繰り返した。大人でも辛い道程を友人と支え合いながら進んで行く。
「解った! 湿気ってると火で温めても水が飛ぶときに冷やしちゃうんだ!」
子供達は、みなが納得する結論に辿り着き一斉に飛び上がった。メルも一緒に飛び上がって、〝エウレカ〟、と叫んだ。
「
「「「「「「「えうれかーーー!!!!」」」」」」」
子供達は声を合わせて、歓喜の叫びを上げた。この声が大きかったからか先日のご婦人が、また覗き込んできた。しかし今回は、あまりに楽しそうな子供達の様子を見て嫌味を言う気が失せたらしい。
「勉強が楽しいなんてね。特別な事だと思ってたんだが。違うのかね……?」
「さあ、やり遂げた諸君。少しヒントを出しながらだったが、そこは悲観する事は全く無いぞ。これを解き明かすためには、錬金術の歴史で数百年分の道のりを数日に短縮しなきゃなんない。この中に稀代の天才が居ても荷が重いからな。」
7人の中から天才を探す仕草をしながら、その難しさを説いた。
「そんなことを解るのに数百年も掛ったの!?」
子供達は驚きを隠せない。自分の中では当たり前に知っていた技術、というイメージと、その中身が数百年解き明かせなかったという事実の落差にである。
「そう。そんなこと、でさえ深く理解するためには、大変な労力と時間が必要になる。先人は、そんな対価を支払って、今のオレたちに火の効率的な付け方を教えてくれている。そうじゃなかったら未だに火を付ける方法が確立できず、冬になる度凍死する人間で溢れてたかもな。」
子供達は今まで知らず知らずに享受してきた先人からの恩恵が如何に偉大で重要かに気付いた。
「木を伐るときの切れ込みの入れ方も誰かが考えたんだね。すごいな。」
「お料理の仕方も1から考えたのかな。美味しくないのも食べたのかな。毒とかあったら死んじゃわない……?」
「ラクダの育て方も? 失敗したらどうなってたの……?」
一度、理論の深みを覗くと身近な現象でも見え方が一変する。所謂パラダイムシフトだ。焚火の原理解明を通して子供達の中に試行錯誤の重要さと、その難易度という概念が生まれた。
「ここまでで、錬金術講座の9割は終わりだ。」
「えっ!? まだ、錬金術教わってないよ!?」
心踊る時間の終わりが目前に、唐突に現れ、子供達は動揺した。
「錬金術師の中には錬金術は科学の上に建っている、と考える奴もいるが、オレからすれば科学の中に錬金術という分野がある。それだけだと思ってる。そもそも、学問に貴卑もヒエラルキーも無い。真理の前では皆平等さ。」
空中に円を幾つか描きながら論理集合について説明する。子供達は論理集合の知識が無いなりにメルの言葉を理解していた。概念の理解が、この講義の終わりへの納得を促した。
「さて、残り1割の話だ。錬金術は理論、演算それと供給という過程がある。」
錬金術の行使のためには対象となる反応の理論を、ある水準まで理解する必要がある。それも具体的であればあるほど高度な干渉ができる。干渉というのは反応を進行させたり停止したりすることにのみならず、加速したり集中させたり、別の反応への誘導、つまり、通常起き得ない反応を起こすこともできる。しかしその場合、その反応を起こすためのエネルギーはそのまま必要になる。
次に、組み立てた理論通りに反応を進めるためのエネルギーと供給する座標を演算によって決定する必要がある。演算には術師の神経を回路として用いるため、演算に掛かるリソースは術者のカロリーで贖われる。つまり難しい反応系の演算を行うととてもお腹が空く。最後に、演算によって決定したようにエネルギーを供給する。エネルギーの供給には
そして、術師が携帯する輝石を中継器としてエネルギーを捻出する。ここで中継器と書いたのはエネルギーの源泉、つまり供給元は不明だからである。ただただ経験的に、輝石を中継すれば錬金術を行使できる、ということだけが解っている。
「オレの輝石はこれだ。レッドジルコン。輝石には種類によって得意不得意があったりする。この子は気体に強い。」
メルは胸元のブローチに触れる。
「演算能力は単結晶で大きいもの程、高い傾向があるらしい。天然物がいいとか言う奴がいるが人工物でも変わらない。所謂気持ちの問題、愛好心という奴さ。複製できない世界で一つだけ、そう思うと可愛いだろ?」
錬金術講座、その残り1割も終わりを迎えた。
「終わりを惜しむ必要はないぞ。寧ろここが本当の始まりだ。」
メルは、傍らの薪に視線を向けると、それに掌をかざし錬金術を起動する言葉を詠唱した。
「
胸元のブローチに填められた輝石が、紅く瞬き出し多胞体が薪の周囲を公転し始めた。すると薪から白いもやが立ち上り表面が白んでいく。程なくして薪表面の一点が赤熱した後すぐに発火した。産まれた種火は、みるみる大きくなり薪全体を包む炎に育った。
「一番湿ってた薪なのにすぐ燃えた!」
「でも時間を掛ければ出来たことだ。」
「確かに……?」
自分の中で錬金術の尊大さと矮小さがせめぎあい混乱する。ここでリベルが思い出したように呟いた。
「役に立つとか立たないとか、凄いとか凄くないとか、そういうんじゃないって先生言ってたかも。」
それを聞いた他の6人も思い出した。役に立つかどうかは後から付いてくるモノ。
「知的好奇心を満たすこと、人智の巨人が遥か高みを、悠か遠くを見通せる様に、積み重ねて継承していくことが本質だからな。さ、仕上げだ。」
メルは、先程と同じ様に燃える薪に手をかざし、この講義最後の錬金術を起動した。すると、橙色の炎が、色とりどりに染まっていく。紅蓮から始まり、紫苑、二藍、縹、常磐、黄金、山吹、最後に紅蓮、そして元の橙色に戻った。
「物語の続きに迷ったら、この項を開きなさい。見付け易いよう虹色の栞を入れておこうか。」
講義を修了した教え子達は日常に帰って行った。しかし、今の彼らにとって講義前の日常と後のそれとは違った表情を見せていることだろう。彼らは各々、別々のモノに興味を持って歩んで行くだろう。それが錬金術でなくとも。
「ウルさん。調査お疲れ様です。ぺこり。」
「ぺこり、じゃないですよ……。後進の育成も良いですが、お仕事はお仕事……。」
そうは言いながらも言葉の角は柔らかく飼い猫の悪戯を諫めるような画だ。
「すまんすまん! それで状況はどうかね?」
メルの語気が切替わる。指導者のメルからオオカミ狩りのメルに早変わる。
「どうやら、森を縄張りにして、侵入してきた猟師等を狙っているようです。しかし、ここ3日は誰も森に近付いていない。つまり……。」
「そろそろ人里に降りてくるかもしれない、ってことか。」
そう言い終わると件の森がある方向を見据えた。
「ご足労頂く前に、こっちからお迎えに行くとする。」
メル達は森の入り口にいた。外から見る限り違和感は無く、棲息する動物に関しても異常はない。過去の例から察するに、小人憑きは人間以外の生物に感心が無い。人間を殺傷したり、小人の分体を感染させた例はあるが、補食した例はまだ見付かっていない。
「そうすると、謎が謎を呼ぶ。」
代謝に必要なエネルギーはどこから、どのように調達しているのか。宿主の自我を奪う機能の生物学的目的はなんなのか。どこで、いつ、どのように発生したのか。それは人為的なのか。だとすれば誰が、何の目的で。小人憑きに関することは、そのほとんどが解っていない。
「だからと言って生け捕りにしようなんて考えるなよ。」
「しませんよ。まだ死ねませんので。」
メル達は深呼吸を吐いた後、厳戒の警戒を努めながら森の深部へと向かって進み始めた。
歩き始めてから30分程、未だ接敵せずにいた。
「明らかに引き込まれている……。あちらが、こちらに気付いていないはずはない。」
「本能による行動なのか知性による計略なのか、何れにしても不利な状況ですね。」
これまでの調査と研究によって小人憑きが変態した際、その形態に類似した生物と類似した能力を同等以上の水準で得ていることが解っている。今回、目撃されたのは兎に類似した小人憑きと聞いていた。
兎の聴力は人間の3倍、高周波音波に対して2倍の可聴範囲を持つ。約3 km先の音を捉え、草木の擦れる音、風切り音などの高音に敏感である。森に足を踏み入れた時点であちらの索敵に捉えられている可能性が非常に高い。
「どうしましょう。一度、撤退しますか?」
「そうだな。あちらがそれを許してくれればな。」
そう言い終わる前に、突如メルが振り向き鎌剣を正面に交差して構えた。次の瞬間、兎に類似した亞人が脚部を先頭に飛来し鎌剣越しのメルを吹き飛ばした。
「お師!!」
「構うなっ……!! 戦闘態勢っ……!!」
メルは胸部に打撃を受け、苦悶しながら弱々しく叫んだ。ウルは左手首のバンクルに右手で触れた。
「
周囲にメルの図形とは異なる多胞体が浮かぶ。すると両端が頭になっている150 cm程の戦鎚がバンクルから錬成された。ウルは、それを胴体を中心に円転させ、先端速度を上げながら垂直軌道で地面に叩きつけた。兎の小人憑きは危なげなく後方に回避し、茂みの中に消えていった。
「お師!! 無事ですか!!」
「ゲホッ……。吐きそう。」
先の奇襲を受けて周囲に木々が多い、ラブレット(兎の小人憑きの仮称)の射線(ラブレットの飛来する軌道の仮称)が通りづらい地形で状況を整理することにした。
飛来と撤退が早すぎたため確度の低い情報ではあるが、ラブレットの形態において特筆すべきは、脚部が非常に発達していること、足の先端には鋭利な刃物の様なモノがあったこと、腕は小さく細く膂力は小さいことが予測されることが挙げられた。
また、奇襲が強力であり、ほぼ無音のまま高速で対象に到達できるため、防御が非常に困難であった。メルは周囲に空気の索敵膜を張っていたため、致命傷は免れることができたが肋骨の一部が骨折している所感があった。
「弾道奇襲が半端なく強いのは解った。ただ、あちらの武器がそれだけか伺い知れない。」
「しかし、模倣元が兎である以上、脚部を使った攻撃しか有り得ないのでは?」
「よし。脚部攻撃だけだと仮定しよう。情報量的に、これ以上思案するだけ無駄だ。そしたら次は、弾道奇襲にどう対応するかだ。」
呼吸能の低下によって混濁する思考を気力で奮い立たせ、対策を練る。
「……よし。〝Bell the Cat〟でいこう。」
「べるざきゃっと?」
「ウル、得意の金属錬成で、小さくて良く響く鐘をつくってくれ。」
メル達は再び森を進軍し、ラブレットを探し始めた。メルを先頭に、縦列でウルが続いた。ラブレットは、1 km先からこの様子を観察していた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
先ほど、必殺の一撃を、足音が小さい方に止められた。この事実を受け、索敵の弱そうな、足音が大きい方を狙うことにした。丁度大きい方が背中を露わにしている。次は仕留められる。主がそう告げている。周囲の木々の中で最も幹が太い大木を選び、射出の準備を始めた。枝の上で、一定のリズムで跳ねる。次第に跳ねる間隔を広げていく。感覚が研ぎ澄まされ、大きい方だけが聴覚の窓を占めていく。そして、窓いっぱいに大きい方が収まった時、後方に宙返りし体幹の延長線上に対象を捉え、渾身の力で大木の幹を蹴り放した。飛翔している間は空気のせん断摩擦による雑音で聴覚が阻害される。それでも、対象との距離は見誤らない。幹を蹴り放した以上の力を込めて対象に脚部をねじ込んだ。脚部が何かに食い込んだ感触はあった。が、明確な違和感があった。とても固い。およそ、生物を蹴った印象ではない。恐怖を感じ、全力で後方に退避した。しかし、反撃を受けた様子で腹部に痛みを感じた。痛みは微小、致命傷どころか戦闘に一切の支障は無い。問題はただ一つ。その傷口付近から大きな音が聞こえる……。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「よし! 仕留めは出来なかったが予定通り鐘を付けられたぞ!」
「お師の言う通りの方角から来ましたね。これが外れてたら僕、死んでました?」
「それどころか下手したらダブルキルされてたろ。」
「ひえっ……!」
メルは遠距離から位置把握できる音源をラブビットに設置する案を講じた。まず、ラブビットが大木をカタパルトに利用すると仮定した。そして、先ほど弾道奇襲を察知出来なかったウルの背中を目ぼしい大木が1本のみの方向に向け、飛来する方向を誘導した。後は、メルの合図に合わせウルが金属の盾で弾道奇襲を受け止め、鐘の付いた小型の槍を放った。
結果は、槍での殺傷は叶わなかったが兎に鈴を付けることに成功した。これでラブビットの弾道奇襲の成功率は著しく下がったことになる。迎撃は概ね成功である。
「ここからは対面戦闘だ。気合い入れていくぞ。」
程なくして、鐘の音が二人に近づいてきた。そして、茂みの陰からラブビットが現れた。
「よお。寂しかったか? 遊んでやるよ。」
兎に類似した顔ではあるが目が前方に向いて配置している。およそ捕食される側の草食動物とは思えない。脚部は体長の半分を占め、腿の周囲は胴体よりも明らかに長い。
足の先端に刃物の様な部位が見られる。どうやら脛骨の骨幹が変形したものらしく呼吸に合わせ隆起と埋没を繰り返している。恐らく、格納と展開が可能だと思われ、ラブビットの主武装であると考えられた。
対して腕はとても細く、腹部の槍が残っていること合わせると、槍を抜く膂力も無いということを示していた。
これらの情報を統合し、ラブビットの対面戦法を予測すると。
「ウル!! 背中合わせろ!!」
「御意!!」
ラブビットは、二人のいる方向とは異なる方へ跳躍した。そして、木の幹を足場に跳躍を繰り返し二人の視線を切っていく。二人は死角から突如現れた白い弾丸を、視覚を頼りに防御するだけで限界であった。
「想定より速い……!! 反撃に転じる隙がない……!!」
「想定というより楽観だけどな!!」
白い陰が周囲を飛び交い、徐々に体力を削られていく。特に、肋骨を負傷しているメルは継戦能力は無いに等しい。千切れそうな呼吸がウルの背後から聞こえてくる。このまま消耗戦を続けてラブビットよりも長く立っていられる可能性は極めて低いように思われた。
「……かくなるうえは……!!」
「お師!! 思考停止ですか、らしくない!!」
「ぐぅぅ……言うようになったな……!」
その時、茂みの方で僅かに動きがあった。ラブビットは二人を削り殺すことに集中していて気付いていないようだった。そこには、リベルとイグノーが、唇を切れるほど噛みながら恐怖に耐えている表情で顔を出した。
「(お前らこんなとこで何してる……!!)」
そう、声に出そうとした時、リベルとイグノーが口に人差し指を当て声を発さないように合図してきた。続いて二人は目を瞑って耳を塞ぐ仕草をした。一瞬何を伝えたいのか図りかねたメルだったが、意図に気付いた瞬間、ウルだけに聞こえる小声で指示を出した。
「(返事はいらん。合図したら、出来るだけ高く、上に跳べ。)」
「……!!」
ウルは小さく頷くと、メルの合図を待った。メルはラブビットの動きを分析し続けていた。ラブビットの木を跳躍で経由する回数には法則性がある。正確に言えば、戦闘開始直後はほぼ無作為だったが、戦闘が長引くに連れて単調化してきた。
跳躍で木を経由する回数は2~5回の範囲。当初、乱雑に並んでいた数列だったが、現状では2~4回の数列が並び、そして2回の経由の後は5回の経由を行うことがほとんどであった。
「(3回、4回、4回、3回、……)」
メルは2回の経由の後に訪れる、隙の大きい5回の経由開始を待った。
「(3回、3回、4回、……、2回!!)」
5回の経由発生の兆しを感知し、ウルの腰あたりに肘をぶつけた。ラブビットが無意識に、さらに単調動作を続けたことで鈍った思考で、予測された動きをしているとも知らず、5回の跳躍に移った。それと同時に、二人は上空に向けて跳躍した。この時メルは空気の密度差を周囲に作った。音を屈折させることにより跳躍の際の音周波数を変えラブビットの可聴領域から外した。音が無ければラブビットは跳躍に気付くことが出来ない。空中に出た二人は自由落下が始まる前に、空中で音もなく静止した。空気の粘度を極限まで上げ透明な床を作った。
鈍った思考で、5回の跳躍を終えたラブビットは、この一瞬で絶望的な状況に陥ったことに気付いた。戦闘の対象を見失った、もとい、聴き失った。知覚出来なくなった敵を探すため、耳を270度回し続けるラブビットに対し、空中で静かに佇むメル。メルは腰のポーチから試験管を6本取り出し、両手に3本ずつ携えた。そして、目と閉じると多胞体が浮遊し、試験管の壁面が銀色に染まった。
「(無詠唱での錬成……。)」
メルは錬成した雷銀管を、垂直方向から4時と8時の方向に放った。音もなく自由落下する試験管が地面に達した途端、空気を裂くような轟音が鳴り響いた。リベルとイグノーは爆発により圧縮された空気の壁が通り過ぎたのを肌で感じた。そして、ラブビットは爆発による殺傷を構うことなく耳を抑えながら音にならない声をあげていた。
メルは自身に自由落下を許し地面にふわっと着地した。そして、ラブビットの背後からゆっくりと傍らに近づき手に持った鎌剣をラブビットの背中から心臓に向けて突き立てた。ラブビットの苦悶は晴れ力なく地面に横たわり、生命反応が途絶えた。
「お前ら……自分らが何したかわかってんのか……!!」
険しい顔でリベルとイグノーを睨むメル。
「ごめんなさい……でも、お父さんから兎は目がほとんど見えないって聞いて……。」
「兎の耳はとても良いから鉄砲の音で気絶しちゃうって聞いて……。」
俯きながら、泣きそうになるのを堪えながら、ここに至った経緯と謝罪を述べる二人。
「お師……今回はこれで……。」
「いいわけないだろ……。死ぬかも知れなかったんだぞ……。お前らが死んだら、お前らの父ちゃん母ちゃん、兄弟や友達、そんでオレらがどんだけ悲しむか解ってんのか……?」
血走った目で二人を睨みながらウルの言葉を静止するメル。
「うん。きっと僕たちが思ってるより、もっと悲しんじゃうと思う……。でもね、どれくらい悲しませるかは解るはずないんだと思って……。」
ここで沈黙してしまうリベラ。その後をイグノーが引き継ぐ。
「だから、僕らが解るのは先生が死んじゃったらどれくらい悲しいかだけだったんだ。どれだけ悲しいか二人で考えただけで、その、何かできないかって、あの……。」
ここまで続けてメルに伝えたいことを二人は言語化出来ずにいた。二人の主張が息詰ったのを確認すると、メルはため息を吐きながら表情筋を弛めて話し始めた。
「ああ、そうだな。オレたちが命張ってるのと同じことしたってことだよな。しかも悲しませる人がいることを鑑みて尚恐怖に耐えながら覚悟を携えて。」
メルは地面に座っている二人の傍らに自分も座り、さらに続けた。
「ああ、二人の助力が無ければ死んでた。お礼を先に言わなきゃならなかったな。ありがとう。そして、ちゃんと考えた上で助けに来てくれたことを先生として誇りに思うよ。ただな、想定通り死んじゃうこともある。覚悟より生存を優先した方が良いこともある。そこは見誤るなよ。」
「「うん、わかった。」」
「さすが、オレの弟子達だ。」
とても暖かく朗らかな笑顔で弟子たちを称賛した。
街に戻ったメル達は依頼主のボンファイヤ卿の元へ参じた。そこで小人憑きの脅威が去ったことを報告した。ボンファイア卿は大変お喜びになり、ボーナスまでくれた。とても良い人である。上機嫌な卿に対し気になっていたことを訊いてみた。
「そういえば、ひとつお訊きしても?」
「なんであるかね? まだ褒美が足りませぬか? ハハハ。」
「そりゃ貰えれば貰える程嬉しいですけどね! この街には本屋も図書館もないですよね? 学問の頒布とかは行っていないので?」
これを聞いた卿は途端に表情を固くして応えた。
「学問は神に近づくための高尚な儀式ですからな。民草には不要なものです。それに、余計な知恵を得て悪道に走られては治世が揺らぎます故。」
ここまで言うと、また表情を弛めてメルを称賛する言葉を並べ始めた。つまり、これ以上の詮索は毒ということらしい。皿まで食らう覚悟が無いのなら、ここで御馳走様だ。
「なるほどね。民衆は愚かな方が都合が良いってことか。」
屋敷から出て街を歩きながら、卿の言葉について思案していた。
「そうですね。優れた治世者とは、ああいう風に柔らかい表面で民衆を誘導するものなんでしょうね。武力以外の要素で、初めて恐怖を感じました。」
「それも、良いか悪いかじゃなく、手段の話だからな。ただ、学問が広がるのを嫌うのは……もっと長い目で見たら悪手だと思うんだけどな。」
「それも、学者目線なんでしょう。文明の継続に発展は薬か毒か。知る由は無いはずですが、本能的に解っているのかもしれませんね。」
「……そうだな。」
街の淵に出た所でメルの小さな弟子たちが大声で呼び止めながら駆け寄ってきた。
「先生、もう行っちゃうの!?」
「まだいてよ! 授業またやって!!」
引き止められるのも悪い気はしない。しかし、残るかどうかは、別の問題だ。まだ、やることがある。この子達の未来のためにも。
「悪いが、もう行かないといけないんだ。依頼熟さないとお金ないんだよ。」
冗談を交えて、苦笑いを返す。
「じゃあ、私のうちに住んで! パパとママは説得する! 世話はちゃんとするからって!」
「オレは拾われるんか……。」
皆、そうは言っても、別の理由で街に残るのは難しいことを、メルの表情から察している子供たち。お別れの方法を考えて来たらしい。みんなで目線を送り合って、イグノーが話し始めた。
「僕たち、錬金術師になるね!! それで、先生を助けられるようになる!!」
「新しいことも見つけられるように頑張る!!」
「お父さんの仕事も楽にしてあげられるかも!!」
「お金稼げるようになったら、先生に貸してあげるね!!」
「うん、中々現実的な案もあってバランス良いな君達。」
各々の夢を語り終えると、子供達は肩に下げた鞄を掲げてメルに見せた。丁度学術書がすっぽり入りそうな大きさ、よりかなり大きめの鞄に虹の刺繍が施してある。不格好だが丁寧な作業であることが伺える刺繍だった。
「私が縫ったの!! 上手くできなかったけど……先生の教わったこと忘れないために!!」
「オレも忘れないよ。素晴らしい弟子を持ったこと。この業界、狭いからな。また会おう。」
小さな弟子たちと別れ、メルたちは南西に向かった。
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