尽くす人、尽くされる人

 これは今から十年前のこと。


「それでは、またおじゃまします」

「いえいえこちらこそ、今後ともよろしくお願いします」


 恋人の李仁を実家に招いたわけで。本当は玄関まで見送りたかったけど彼は夜遅いし寒いから大丈夫よ、と言われ少し名残惜しいが手を振って見送るが、振り返ったら両親ともに彼が帰ったあと何か考え込んでいる。

 特に父がそうであり、何も言わず自室に入ってしまった。


 やはりそうだよな。僕はリビングに行き、片付けを手伝おうとするが

「ミナくん、あなたはいいから」

 と母に止められる。けどもやはり何もしてられないから台拭きをする。

 李仁とは一年前に出会って同姓同士だが元々同性愛者の彼のリードの元、周りの理解とか自分のはじめての同性の恋の戸惑いとか喧嘩とか色々はあったが先日プロポーズされたわけで。

 婚前旅行後にお土産を渡すついでに……だったが事後報告にも程があったろうか。


 少し一緒に呑むという感じでワインと共におつまみを嗜んだ。

 李仁がおつまみを作り、父のためにワインもセレクトをした。ワイン好きな父はすごく喜んでいたが、やはり結婚の話となったら口数が減ってしまった。


 台拭きを終えて台所に向かうと母が夜間に水を入れて沸かしている。我が家はポットよりもヤカン派なのは母のこだわりらしい。

 にしてもなんで今沸かしているのか、と思ったら母は棚から緑のたぬきを出した。

「ミナくん、いい人じゃない。李仁さん」

 いきなりその話題。母さんは李仁の上手なおだてにウフフ、と浮かれていたのだが頑固な父の手前控えめにしてはいたし、結婚の報告の際はアラマァ、の4文字で終わったのだ。

「李仁さんは気遣いもできるし、普段から慣れてる感じ」

「まぁ職業柄……うまくやってると思うよ」

 李仁がバーテンダーというのもあるが過去にホストもやってたし、人の懐にスポッとハマる人間だというのは教師ながら人嫌いな僕には真似ができない。


 母はそんな話をしながらも手元は緑のたぬきの蓋を開けて用意を終えたらお湯が沸くまでの間に残った食器を洗い始める。

 ……あれ、僕が帰った頃には母さんはご飯を食べ終えたとか言ってたけどお腹空いたのか?

「結構李仁さんに尽くされているでしょ」

「尽くされている、ていうか色々なんでもやってくれてる」

「こら、そこがあんたの悪いところ……あんたは人に尽くしてもらって楽をしてる」

「楽だなんて……」

「前の奥さんも忙しいのに尽くしてくれていたのにあんたが調子乗るから……まぁその話はやめておきましょう」

 恥ずかしながら僕は李仁と会う前にとある女性と数年の結婚生活を終わらせてバツイチだったのだ。


 母は笑ってシュシュシュと沸騰したヤカンに気付いて手を止めてコンロを止める。


「母さん、お腹空いてる?」

「何言ってるの。これはお父さんの分。私はあなたたちが帰ってくる前に親子丼食べたけど……そのせいで少しお腹いっぱいでね」

 父さん?! あの大食いな父さんが。てか母さんが控えめだったのはお腹いっぱいだったからなのか。


「あなたが紹介したい人がいるって言うから父さんが食が手につかん! ってソワソワしてて何も食べれなくて。ワインとおつまみすごく食べてたでしょ」

 そうだったんだ……てか父さんが用意しろと言ってないのに動ける母さんは本当にすごいや。


「まぁ、反対に良いところはついつい尽くしたくなっちゃうんだよね、そんな魅力の持ち主なの。あなたたち父子は……ふふっ」

 なんか上機嫌だ、母さん。


「なんで尽くしたくなるの」

 って聞くのもアレなんだけど。

「んー、まぁちゃんと目を見てありがとう、って言ってくれるところかしら。照れつつも」

 ……そうだっけな。ありがとう、と言うのは当たり前だけど。


「まー、中にはありがとうなんて言わずして文句ばかり言う人やすごく丁寧にありがとうと感謝を言う人いるけど度が行き過ぎると私は嫌だから二人は肌良い感じでね、私はついまた何かしてあげたいなーって思うの、私はね」

 最後の私はね、を特に強めて言うのはなんか含みがありそうだが。


 自分はどうなんだろう、李仁に対して尽くしたいと思ったのは……ああ、好きになった時に彼の店に通い詰めたりとか、付き合ってからはもっと好きになって欲しいとか、もっと愛して欲しい時とか……あああ、恥ずかしい。顔が熱くなってきたや。やかんに残る親の湯気みたいなのが出てきそうだ。

 

「それに、李仁さん……背も高くてスタイルも良くて、イケメンじゃない! 少しドキドキして……また連れてきなさいよ」

 あー、それか。それですか。嫌だよ。僕の……李仁なんだから。ほんとメンクイな母である。


「あらいけない、麺が伸びる前にお父さんに持っていかなきゃー」

「……父さんの様子、後で聞かせて」

 すると母さんはグッ! と指を立てた。

「あの人は煮詰まった時に麺を啜らせておけば大丈夫。昔からそうなの! 食べ終わってスープを飲み終わったらようやく話しだすから、あなたもそれ食べて歯を磨いて寝て明日の朝を待ちなさい」


 と母が父さんの部屋に赤いきつねを持っていく。あ、そっちは僕が食べる方! 残された緑のたぬきを見て僕も麺が伸びないうちに、とリビングに持って行く。

 ちゃんと蓋の上には僕のいつも使っていた箸も置いてある、すごいよな、そこまでできないや。


 答え出してくれるのだろうか、父さん。



 そして今に至る。ふとそれを思い出したのは李仁が僕に赤いきつねを出してくれた時、たまーに思い出す。今でも。


 あの時が経ち、心の病で教師を辞め半年近く療養していた僕を献身的に支えてくれたのが李仁であった。彼はバーテンダーをやめて違う仕事で忙しくなったのにすごく僕に尽くしてくれる。


「お腹空いてるかなぁーと思ってさ」

「そうだったね、李仁。……ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」


 とニコッと微笑まれてドキッとした。


 目を見て感謝する、どうしても意識してしまうな、あの頃よりも。でもそれは当たり前だと思う。



 もう10年以上僕らが二人一緒にいられるのはあの時父がこの赤いきつねを啜って一晩気持ちを整頓して、いやそれから何日も考えていたと母から聞いたが、その後僕らの交際を正式に認めてくれたからである。


「そんなこともあったのねー」

 李仁も赤いきつねを食べている。今となっては二人で何か食べる時はやっぱり同じものを食べたくなる……。


「私はミナくんが好きだからついつい尽くしたくなる……」

 彼も母と同じように僕の名前をミナくんと呼ぶのだ。40過ぎた僕のこと。恥ずかしいったらありゃしない。二人だから許せるけど。



「はいはい、ミナくん。早く食べてお店の名前決めないと」

「そうだった、全然決まらなくて」

「だから赤いきつね持ってきたの」

 だからか。半年後、僕が子ども食堂のオープンを前に店の名前を練っていたところである。やはり何か僕は仕事をしてないと気が気でない。前よりは働く時間は少ないから、とやることに決めたのだ。


「お義母様から聞いてる、ミナくんが考え込んでる時は麺を啜らせれば良いって」

「食べ終わったら決まってなきゃダメだよね」

「まぁそういうプレッシャーでもある」

「やだなぁー」

 なるほど、そういうことか。優柔不断な父さんに麺を啜らせて決断させる法則を見出した母さん……やるなぁ。僕も優柔不断である。


 僕は赤いきつねを啜った。さぁ、この一杯で名前は決まるのだろうか。隣には僕の愛しき人が微笑んでいる。


 

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