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「こりゃあ……本物じゃな」
白ひげをたくわえた初老の男性は、ルーペをじっとのぞきこみながら言った。
ルーペの向こう側にあるのは、豆粒ほどのダイヤモンド。かつて少女の涙だったものだ。
「間違いないのか?」
「ああ。この道40年のワシの目に狂いはないわい」
断言する男――宝石商から、ディアはダイヤを受け取る。
「しかも質もいいときた。ワシなら金貨15……いや20枚の値はつけるが、どうじゃ?」
「……少し考えてからまた来るよ」
宝石をポケットにしまいこみ、宝石商のもとを去る。
王都の西通りは多くの人が行き交い、活気に
そんなことを感じながら、ディアは拠点であるボロ空き家へと帰る。ぎいぃ、と今にも壊れそうな部屋の扉を開くと、
「あ、おかえりなさいディアさん」
王女様が掃除をしながら出迎えた。
「……何してるんだ?」
「いえ、昨晩泊めていただきましたので、そのお礼にと思いまして」
胸を張るエリザルデ王女、もといエリー。どこで調達してきたのか彼女の手には
「別に頼んでないんだが」
「ですが、ディアさんが殺してくださるまで私はすることがありませんから」
「あのなあ……」
ディアはウルフカットの頭をがりがりと
「殺すだけならそりゃ簡単だぞ? けど何の準備もなしに
しかも相手は王女様。間違いなくおたずね者になってしまう。きっとこの国を出るまで、いや他の国に行っても逃亡生活を
「あ……それもそうですね」
エリーは目を丸くする。この女、自分が王女であるという自覚がないのだろうか。
ぐう。
と、正面から虫の鳴き声が聞こえてくる。人間の腹に住んでいる虫だ。
「……とりあえず、メシにするか」
無理もない。昨日は彼女の来訪でバタバタしていて、食事をする時間がなかった。
待ってろ、と言い食事の準備に取りかかる。準備、といってもなんてことはない。買ってきたパンをスライスして机に並べるだけだ。
「さて、食うか。ああ、金はいらないぞ。もう十分もらってるからな」
「そ、そうですか。では……いただきます」
手を合わせてから、少々遠慮がちにその一切れを手に取る。そして小さくちぎって口に入れた。
「……おいしい!」
「そりゃよかった」
目を輝かせるエリーを横目にディアもかぶりつく。口にくわえたまま、食後に飲むコーヒー用に湯を沸かしはじめる。コーヒーはいい。頭も
「ん?」
と、気がつけば皿に乗っていたパンはすべてなくなっていた。
「ご、ごめんなさい。私ったら手が止まらなくて」
「ああ、気にしなくていい。ここのパンがうまいのにはオレも同意だからな」
西通りにある何の
「あの、これは何というパンなのですか?」
「アンタ、シュトーレンも知らないのか?」
思わず訊き返す。
シュトーレン。この国を含めたこのあたりで昔からあるパン。レーズンやナッツなどが練り込まれていて、お菓子に近いかもしれないが食べごたえがある。ちなみにここのパン屋のそれはオレンジピールも入っていて、ほのかな酸味がクセになる味わいだ。
ということを簡単に説明してやると、エリーは少し目を落として
「すみません……私、そういうことぜんぜん知らなくて」
「謝る必要はないさ。それに、今日知ったんだから何も問題ないだろ」
ディアは用意した2杯のコーヒー、片方をエリーの前に置き、もう片方をすする。彼女は苦いのが苦手なのか、ほんの少し飲んでは
「……訊いてもいいか? アンタのこと」
コーヒーを半分ほど飲んだところで、質問を投げかける。興味本位ではなく、仕事のために。
もちろん彼女の情報はある程度城下で収集していた。
ジェラルド・エリザルデ。17歳。現国王、ジェラルド3世の長女。
だが得られたのはその程度。彼女は
まあ、それは今どうでもいい。ディアが知りたいのはそこではなかった。
「……生まれつきみたいです、私の涙が、宝石に変わるのは」
ディアの意図を理解してか、エリーは語りだす。降り始めの雨のように、ゆっくりと。
物心ついた頃から、自身の周りは宝石が散らばっていて。
多くの医者に
多くの商人に見てもらった結果、宝石がすべて本物であること。
変わる宝石は、ダイヤモンドだけだということ。
「私が特異体質だということがわかると、父は私になるべく部屋から出ないよう言いました。外は危ないから、と」
「……ふうん」
方便だろう、とディアは思う。自身の娘が宝石を生み出せることなど、自国民であっても知られたらどうなるかわかったものではない。
同時に、この王国が周囲の国よりも豊かなことにも納得がいった。国王はエリーの宝石を売りさばくことで
「はじめは父の言いつけを守っていました。私にとって外は、たしかに怖いものだと思っていましたから」
だが現に彼女はこうして城の外に出て、ディアという
「2年前からです」
すると、エリーの口ぶりが変わった。
「父が『1日最低10粒の宝石を出せ』と言うようになったのは」
10粒の宝石。それはつまり10粒の涙を流すことに他ならない。
「だが涙なんて、流そうと思って流せるものでもないだろ」
「ええ、ですから……」
エリーは口を閉ざす。代わりに外套から腕を出す。
あらわになったのは彼女の顔と同じ白い肌。
そこに浮かぶのは、真っ赤ないくつもの細い線。
ディアは気づいた。涙を流すのは何も感情の起伏だけではない。
それは……痛み。
彼女は自分自身で痛みを与えることで、父親から課せられたノルマを果たしていたのだ。気が狂いそうになる。
そして2年経った今、
「だからオレに依頼したのか。この痛みから解放されるために」
「はい。無知の私は、死に方さえもわかりません。ですから、ディアさんに力を貸していただくことを思いついたのです」
「……父親を退けて、アンタが女王になろうとは思わなかったのか?」
ディアは問う。
「それこそ、オレにそういう依頼をすることだってできたはずだ」
説得をする。ディアにとって柄でもないことだった。だが、エリーは首を振る。
「やり方はどうあれ、父がこの国を豊かにしたのは事実です。仮に私がこの国を治める立場になったとしても、私にできるのはただ宝石を生み出すことだけ。きっと国内は乱れて、周辺国からの干渉を受けることになります」
――ですから、この国が正しい道を進むためのもっとも良い方法は、私が消えることなのですよ。
「……」
ディアは黙り、そして思う。
王女としての自覚? そんなもの、オレが疑問視するまでもないじゃないか。
この少女は父親なんかより、よっぽど国を、民のことを想っているじゃないか。
――であれば、
彼女の望みに、応えてやることだけだ。
「ジェラルド・エリザルデ」
依頼人の名前を呼び、ディアは立ち上がる。
そして宣言する。
「依頼どおり、アンタはオレが殺してやる」
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