第65話 混沌の坩堝

「ジェフ、セシィ。あなたたちは、いったい何をしているのですか?」

 その声が聞こえた瞬間、俺は光の速さで背筋を伸ばし、直立不動の体勢をとる。そして、ギギギと音がしそうな動きで首だけを入り口に向けると、そこには少し首をかしげたセシルが立っていた。

 俺の背中を滝のような冷や汗が流れ落ちる。

 最近は表情が少し豊かになってきたはずのセシルが、能面のうめんのような無表情で首だけをかしげているのがとても怖い。

「なんでしょうか、この気持ちは。無性むしょうにセシィとジェフを引きはがして、ジェフの顔面をたたきたい気分です」

 俺は死刑宣告を受けた気分で、その発言を聞いていた。

「ジェフ。私がなぜこのような気持ちになっているのか、原因に心当たりはありますか?」

 心当たりがありすぎて困るくらいですとは、とても言えない。

「あっ……いや……そ、その……」

 俺は空転を続ける頭を必死に回転させ、なんとか現状を切り抜けるための言い訳を考える。

「そ、そう。これは冗談なんだ。セシィが俺をからかっているだけなんだよ……」

 俺のその無茶な言い分に、セシルはますます首をかしげながら、今の気持ちを俺に言い聞かせ始める。

「なぜでしょうか? ジェフの話を聞くのは私の一番の楽しみのはずなのに、今の話を聞いていると、私の不快指数がね上がります。私に涙を流す機能はありませんが、なぜだかとても泣きたい気分です」

 あっ、だめだ。俺、死んだな。

 俺がそんなあきらめの境地きょうちに達しそうになっていると、セシィは勝ちほこったような顔で、さらに追い打ちをかける。

「冗談でもなんでもないよ。あたいは本気で、ジェフを誘惑ゆうわくしてたのさ」

 フフンと鼻で笑いながら、そう告げるセシィ。それに対し、セシルはその先のことについて質問を始める。

誘惑ゆうわく……ですか? それをすると、どうなるのでしょうか?」

「ジェフがあたいに首ったけになる。そして、あたいとジェフは夫婦になって、あたいがジェフの赤ちゃんを産むのさ」

 セシィのその発言に、セシルはかしげていた首をまっすぐに伸ばし、さらに質問を続ける。

「ジェフとセシィがつがいになる……。そうなると、私はどうなるのでしょうか?」

「ジェフに見向きもされなくなるだろうね」

 ますます無表情になったセシルは、あごに手を当ててブツブツと独り言をつぶやきだした。

「ジェフとセシィが子供を作る……。そして、私には絶対に作れない……」

 そこまで言うと、くるりと右に方向を変えたセシルは、そのまま壁に向かって歩き出す。そして壁に両腕をついたかと思えば、ガンガンと頭を壁に打ち付け始めた。

 その突然の豹変ひょうへんぶりに、俺もセシィも絶句していた。

 どうすればいいのか、何を言えばいいのかさえも分からなくなってしまった俺だったが、やがて救世主の声が聞こえてきた。

「なんだ、なんだ? 何が起こっているんだ?」

 そして、ドアを開けたウォルターという名前の救世主の目に映ったのは、ずっと俺の右腕にからみついたままのセシィ、壁に頭を打ち付け続けるセシル、懇願こんがんするような目で訴えかける俺、という絵面えづらだった。

「ごゆっくり……」

 無情にも、パタリと音を立ててふさがれる俺の退路たいろ

 事態を打開するための救世主は、あろうことか、速攻で逃げを打ってしまった。俺はこの混沌こんとん坩堝るつぼと化した部屋に取り残されてしまったのだ。

 俺は今、どんな戦場でも経験したことがないほどの危機的状況にある。

 だれか、この状況をなんとかしてくれ……。

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