第四夜 その2
僕が、バイト先でやらかしたミスについて二人笑っていた時だった。どこからか、足音がした。足音というか、草を踏んで歩いてくる音。寝転がっている僕たちは、それをすぐに聞き取れた。
「誰だろう?」
「分からない。とりあえず、少し隠れよう」
二人で、僕のテントに入った。足音はだんだん近くなる。懐中電灯を持っているのか、テントの中からも明かりがせまってくるのが見えた。それは、かなり近くまで迫り、テントを照らしているのが分かる。そして……。
「秀君?」
テントの外の人間は、そう声をかけた。僕を秀君と呼ぶのは……。
僕はテントから一人で出て、外の人物と向き合った。
「……お母さん」
「ここにいたのね! 良かった! 貴方までいなくなったら、私どうしたらいいか」
肩に手を伸ばされたかと思うと、母親の方に引き寄せられた。今、母親は僕とこぶし一つほども間がない程に近くにいる。
何でこんな時間にここに? 僕を探しに来たのだという考えにたどり着くまでかなりの時間を要した。
どうやら、安全な人だと判断したらしく、彼女もテントから出てきた。
「その子は?」
「彼女は……」
「晴菜!」
突如、声が響いた。声のした方は、いつもなら彼女が帰って行く方向。そこに懐中電灯を持った二人の人物がいた。
「晴菜大丈夫! ひどいことされてない?」
二人の内の女性が声をかけた。もう一人の男性は憎らしげに僕を見ている。もしかしなくても分かる。二人は彼女の両親なのだろう。
「別に何にもされてないよ。彼はただの友達で……」
「とにかく、帰ろう。家に久しぶりに帰って寝室を覗いたらお前が居なくて、父さん、心臓が止まるかと思ったんだからな」
「話はまた後で聞くから、ちゃんと聞くから。今日は帰りましょう」
有無も言わさず、という感じで、彼女は二人に連れられて山を下りて行った。
「秀君、私たちも、帰りましょう。このテント、家から持ち出したんでしょ? これは後で片づければいいから」
「はい」
僕も、なんだか不思議な気持ちで、いやと言えず、母親と一緒に家に帰ることになった。
母親が家のドアを開けて、リビングの電気を点ける。こんな夜遅くなのに、家のリビングに灯りがあること、そして、その灯りの下に、数年もの間、関わり合おうとしなかった僕の母親がいることに、奇妙な違和感があった。
「とりあえず、座って話そうか。何か飲み物欲しい?」
「いや、いいです」
食事テーブルに向かい合って座った。しばらくの間、沈黙が広がる。
「秀君は、いつからこんなことをしていたの?」
「二ヶ月前から。週に一回ほど」
「あの子とは、真夜中いつも一緒にいたの?」
「はい。初めて真夜中に家を出たとき、偶然に出逢って、知り合って、それ以来ずっとです」
「そう」
親子のやり取りとは、少しずれている僕らのやり取り。数年間に二人で作り上げてしまった溝が、そこにはあった。
「秀君、これだけは言わせてちょうだい」
「はい」
椅子の上で、僕は身構えた。怒られるのだと、そう思った。
かつての記憶が脳裏にフラッシュバックする。背筋が冷え、手が震えているのを、僕は感じていた。
「私は別に、秀君のことを、怒っていません」
「えっ?」
「むしろ、ごめんね。私はずっと、秀君に謝りたかった」
目の前で、母親に頭を下げられて。僕は背中の体温が戻っていくのを感じた。
「どうして、謝るんですか?」
どうしてあなたが? どうして今? どうしてここで?
僕には、何が何だか分からなかった。十年もの間ずっと、僕の中にいた母親は、そんな人では無かったのだ。
「許されないことをしたのは分かってる。だからずっと、このまま嫌われたままで良いと思ってた。けれど、秀君がいなくなって、心配した。心配したいって思ったの」
「心配?」
「母親失格だとは思います。だけど、秀君のことを、心配することだけは、させて貰えませんか?」
そんなことを、言われても。とっさに出た感想がそれだった。だけど同時に、胸の内に温かい何かが込み上げてくるのを、僕は感じた。
「心配かけて、ごめんなさい」
「ええ、とても、心配しました」
母親は、目の端から涙を流しながら、噛みしめるようにそう言った。
今日はもう寝ましょう、テントは明日にでも、二人で取りに行きましょう。と言われたので、その場を切り上げ、僕も自分の部屋に戻った。
――ああそうか。僕はあの時、心配されて嬉しかったんだな。
あの時の気持ちに気付いたのは、ベッドに入ってからだった。
親に連れ戻された次の日の昼。
私は家に戻ると同時に、親から「積もる話は後にして、今日は遅いから寝なさい」と言われたので、そのまま寝たところ、時刻はもう昼になっていた。
寝ぼけ眼を擦りながら、簡単に顔を洗って、布団を干してからリビングに向かうと、なぜかそこに両親がそろっていた。
「お父さん、お母さん。お仕事は?」
「今日は休みにして貰った。お前ときちんと話がしたかったからな」
「時間、あるよね?」
こくりと頷いて、二人並ぶ両親の前に、私も座った。
「まず、これだけは先に聞くぞ。あいつに酷いことされてないのは、本当か?」
「本当だよ。小池君とは、ただの友達で、夜に家を出たのも、ただ小池君と話をしたかっただけで」
「だけど、あそこにはテントが二つあったでしょ? 二人で一緒にあそこで暮らしてたわけよね?」
「それは、その、この家に居たくなくて……」
「とにかく、本当に心配したんだ。これからは、そういったことは止めて欲しい」
言葉を詰まらせてしまう私に、お父さんはゆっくり、やさしく声をかけてくれた。
「お父さん、真夜中にこの家に帰ってきてあなたが居ないと気付いたとき、大慌てだったんだから」
「それは、その、お前だってそうだっただろ」
そんなやり取りが、実の両親のことながらほほえましくて、クスリと笑ってしまう。私を心配してくれたんだと、分かったから。
「きっと、この家に居たくないというのは、お父さん達に理由があるんだというのは、分かってるつもりだ。お前ときちんと話をする時間がきちんと取れていないことも、申し訳ないと思っている」
「だから今日、きちんと話し合いましょう。あなたの言いたいこと、我慢していたことを、全部言ってちょうだい」
両親に言いたいことは、山ほどあった、と思う。こんな言い方をしているのは、実際にこういう場面になってしまって、言いたかったはずの言葉が、どこかに飛んでしまったからだ。
「一度、整理させてほしい。せっかく今日、仕事休んでまでこうして貰っているのに、ごめんなさい」
私が顔を上げると、両親は微笑んでいた。
「今日はまだまだ時間がある。いくらでも待つさ。もっと時間が欲しいというなら、今日じゃなくても良い。明日も休むって訳にはいかないけど、融通を利かせて休みをどこか貰ってくるつもりだ」
「どんなことでも、私たちは受け止めるつもりだから」
「分かった。ちゃんと整理して、ちゃんと話すから」
私の思いの丈は、どれほどあるだろうか。整理してみないと分からない。酷いことも多分言ってしまうだろう。だけど、それを言い切ったとき、私の心は絶対、晴れやかになるに違いなかった。
「あとね、お父さんお母さん。これは言いたいことって訳ではないけど、お願いがあるの」
まずは、一つだけ。私のワガママを聞いて貰うことにしよう。きっと、聞いてくれるはずだから。
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