28:ローストビーフ

 二〇〇七年六月二九日 金曜日

 楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディション


「ま、今日はこんなもんだろ」

「明日は本番だしな。詰めすぎるとあんま良くねぇし」

 片付けをしながら年長組が口々にそう言う。夕衣ゆいの突き指ももう大丈夫なようで、昨日から湿布もしていない。流石にこの一週間はかなりスパルタだった。とは言っても、二人が私たちに特に厳しかったという訳ではなく、スケジュール的に。学生の本文とライブ前のバンドという趣味のコンビネーションはかなりきつい。七月に入ればウチの大学にはテストがあるし、ライブがいつものブッキングライブではないから尚更だ。

「ところでりょうさん、明日ってどんな感じの服にします?」

「あ?」

「ステージ衣装。一応感じくらいは合わせた方がいいかな、って思ったんですけど」

 まさかさつきたちPhoeni-xフィニクスの時のようにゴスロリで出る訳にも行かないだろうし、そもそも私はあれ以外にステージ衣装というものを持っていない。一応ライブ用に、と買う洋服もあるけれど、普段でも着られるような洋服が多いので、だいたいライブが終わると普通に私服と化してしまうことが多い。あとはいかにもロック!といった衣装の場合、私の体格だと男児用のシャツなんかがサイズがぴったりなので、小学生男子コーナーで買ったりもする。

「あぁ、明日な。衣装とスタイリストとメイクつくから心配すんな。普通の服で来い」

「え!」

「え!」

 私と夕衣が片付けをする手を止めて揃って頓狂な声を上げた。さすがはプロの仕事。スタイリストなどという肩書きの人と私が接触することがあるなんて。

「衣装合わせとかするんですか」

「するよ。そんながっつりはやらないけどさ。滅多にないプロの仕事なんだから、そういうのも経験しとけよ。結構面白いぜ」

 にっこりと笑って貴さんは楽しそうに言った。ま、まぁ確かに楽しそうだけれど、どこの馬の骨とも判らない私たちにそんな待遇が許されるのだろうか。いや、貴さん達がそうなんだから私たちも同じくやらないといけないことなのは判るんだけれども。

「えっでもたかさんたちって、あんまり衣装っぽい感じじゃないじゃないですか、ライブの時とか」

 確かに夕衣の言う通り、The Guardian'sガーディアンズ Blueブルーの頃もそうだったけれど、特に-P.S.Y-サイになってからは、彼らのライブでの衣装は完全に私服だと思っていたほどだ。

「あれでも一応スタイリストがいるんだよ」

「まじでか!」

「そうだったんですか」

 またしても口々に言う私と夕衣。いやだってあれは衣装に見えないよ。

「ま、MVの時くらいしか使わないけどな」

「あぁ、そういうことかぁ。ライブは?」

 ミュージックビデオの時は確かに衣装っぽい感じのものを着ている。もちろん-P.S.Y-はアイドルではないから、ミュージックビデオの衣装と同じものをライブやテレビで着ている訳ではないので、本当にそうした印象が薄い。

「ライブん時は殆ど自前だけど、まぁだいたいスタイリストが一手間かけたりはするな」

「ほほぉー」

 顎に手を当てて私は唸る。

「ちょ、ちょっと楽しみかも」

 それは確かに楽しそうだ、と私も思うけれど、一つ、引っかかることが。

「でも待って、その衣装の選択は誰がするの!」

「自分でしろよ」

「え?」

 これは意外な言葉が返ってきた。

「い、いいんですか?」

「何?おれたちが決めていいの?」

 ぱぁ、と顔を輝かせて貴さんがとてつもなく嬉しそうな顔をする。

「絶対だめです!」

 そうだ夕衣、言ってやれ!

「なんで……」

「衣装はコスプレじゃありません!」

 そう、大きなお友達のお人形遊びではない。断じて!

「一緒だろうよ」

「……た、確かに明確な違いは判りませんが」

 そう言われると確かに私も判らないけれど、誰かの意志が介入するのと、自分の意志で決めるのには天と地ほどの差があると思うのですが。

「大丈夫よ貴さん、夕衣なら何着ても可愛いから」

 それこそ、解散前、史織がいた頃のsty-xステュクスみたいな衣装でもない限りは。

「可愛くない!」

「ま、そらそうなんだがよぉ」

 夕衣の抵抗の言葉をガン無視して貴さんは言う。

「か、可愛くないです!」

「うるせぇなぁ」

 尚も食い下がる夕衣に、貴さんが何かのついでのように言った。

「うるっ……」

 思わず絶句する。いや、そんなに酷い言い方はしていないけれども。

「夕衣が悪い」

 そう、短く貴さんは言って腕を組んだ。この場合は私も貴さんにつかせていただく。

「えっ、なんでですか」

「可愛いのにわたしは可愛くないとか言うから」

 夕衣のそれは本当に紙一重だ。夕衣の人格性格から言って、本心で自分が可愛くないと思っていることは判る。けれどもこの場合、自己判断と周りの評価は違うのが常。

「んだ。受け取る人間に寄っちゃ強烈に嫌味に聞こえるからな、気を付けろよ」

 諒さんもやっぱり判っているようだ。それもそうか。あんな美人な奥さんがいるんだから。

Sonnaソンナ-Bakanaバカナ!」

「なんで片言なんだよ」

 半ばパニックになりそうな夕衣に、貴さんは苦笑して言う。

「や、あんた可愛いわよフツーに。自惚れろとは言わないけど、自覚はした方がいいって。今まであんま言わなかったけどさ」

 例えば夕衣の場合、歌とギターならばそうは思わないはずだ。自惚れはしないけれど、自分がそれなりにきちんと練習を積んできて、それなりに技術を身に着けていることを自負している。それを初心者に、全然練習してないからヘタクソです、と言ってしまったら嫌味以外の何物でもない。

「おれがさんざん言ってきたのに……」

 ま、まぁ貴さんの可愛いは正直史織しおり涼子りょうこさんの可愛いに匹敵する。

「貴さんの可愛いはあんまあてになんない、って思われてんでしょ」

「でもさー、おれが可愛いっつってる子は莉徒りずだってみんな可愛いって思ってんだろ?」

「思ってる」

 それこそ涼子さんを筆頭に、史織も夕衣も美朝みあさ十五谺いさかも、紗枝さえも、私はみんな可愛いと思っている。

「だよなぁ」

 うんうん、と満足げに頷く貴さん。でもそこも結局は、自覚と周囲の感覚の違いのギャップが問題になるのだ。

「で、でもわたしそんなこと今まで貴さんと涼子さん以外に言われたことなかったし……。急に自覚しろって言ったって」

 英介にだって言われてるでしょうに……。

「ま、そこが夕衣のいいとこなんじゃねぇの?」

 諒さんも笑顔で言う。まぁ確かに自分が可愛いことを判っててその可愛さを鼻にかける夕衣なんて私の夕衣じゃないわ!

「まぁね。莉徒みたいに自分が可愛いの判ってる女はイマイチ可愛げがねーしなぁ」

「悪かったわね!」

 イキナリこっちに話を振ってくるのか。

「でもま、ハナにかけないだけイイよ」

 そうよ。確かにわたしは自分が絶世の美少女だなんて欠片も思っていないけれど、自分なりにそこそこイケてるとは思っている。だからといってその見掛けを利用して男を弄んだりはしない。……結果、そう思われても仕方がないようなことにはなったことは、まぁ結構あるけれども。

「だな。それ言ったら夕香ゆうかだってそうだし」

 つまりは自覚。確かに『あたしカワイイから何でも許される!』みたいに思っている女ほど嫌な女はいない。それを隠しているつもりで男受けばかり良くしている猛禽女も嫌いだ。更に言うなら、男受けを狙っているのかいないのか、『アタシ女捨ててるから』だとか『ブリブリみたいのできないんだよね』とか言いながら、さばさばした性格を売りにするような女も私は好かない。まぁ、これも個人的心象でしかないのだけれど。

「あいつは時折ハナにかけるわ……」

「あ、あぁそうね」

 夕香さんはさばさばした性格だけれど、女としての佇まいが完璧すぎる人だし、断じて女を捨てたりしない人だ。だから私の目指す道はそこにあるのだ、と思える。だって史織には逆立ちしたってなれそうもないもの。

「まぁともかく、明日は好きなの選べよ。そんな大した量はないと思うけどよ」

 うん、と諒さんが頷く。衣装かぁ。楽しみだなぁ。どんなのがあるんだろ。

「そういやケータリングもあるらしいぜ」

 なんと。まぁでもsty-x程のビッグネームならそれもあるか。

「えっまじで?何?カレーとか?」

 まぁうどんだの蕎麦だのラーメンだの、時折餃子とかもあったりするけどその辺が定番かもしれない。私もあまり詳しくはないけれど。

「や、何かコース料理らしいけど」

「はぁ?」

 こ、コース料理?

「け、けーたりんぐ?」

「イタリアンらしい」

「すっげ。復活イベントなのにそんなの出るんだ」

 そんな規模のケータリングならば、フェス等で利用するレベルではなかろうか。私らレベルのライブではそんなことなどまずないし、私自身も経験したことがない。時折、ライブハウスが主催する記念イベントのような時にはあったりもするけれど、せいぜいがお菓子だったりコンビニのおでんを大量に買ったり、くらいだった。

「けーたりんぐ?」

 一度は無視した夕衣の声が、全くイントネーションも変わらずに二度響いたので、とりあえず答えておく。あとで喚かれても面倒だ。

「出前みたいなもんよ。設備とか揃えて目の前で披露してくれる的な?」

 私も良く知らないので、そのくらいしか答えられない。

「まぁおれも詳しくないけど、そんな感じだろ」

「な、なんでそんなこと……」

 そうか、夕衣は知らないんだ。まぁ私も以前貴さんたちに聞いた話なので、正直貴さんたちよりも情報量は少ない。

「でかいライブとかフェスとかだと良くあんだよ。まさかこの規模でそんな豪勢っぽいのが来るとは思わなかったけどなぁ」

 聞けば駄菓子だとか、ケーキバイキングみたいなのだとか、様々なケータリングが世の中にはあるらしい。なんでも一応定義があって、ここからここまではケータリングとは言わない、だの、その仕様だとそれは仕出しになる、だのと面倒なこともあるらしいのだけれど、結局殆どの人はケータリングという一言で済ませてしまうみたいだ。

「sty-x側の計らいだろうな。でもコースってどんなんだよ」

 確かに。ライブ会場でイタリアンを食べられるのは嬉しいけれどなんだか微妙だ。本番前ではあまり食べられないし、終わってからゆっくり食べる時間があるとも思えない。

「あれ、確かコーコがメニュー持ってたはずだぜ」

 こーこ?何やら知らぬ名が出てきた。まさか私たちが知っている公子こうこさんじゃあないだろうからGRAMグラムのスタッフさんの名前かな。

「え、なんでオレに見せねんだよあいつは」

「だってウチが出資する訳じゃねぇじゃん」

 会社としてのやり取りかな。やっぱり諒さんってなんだかんだと言ってしっかり社長してるんだ。

「じゃなくて、食いたいもんがあるか気になんだろ!」

 前言撤回だったわ。

「コーコって誰ですか?」

 お、しっかり聞いていたか髪奈かみな夕衣。

洸子こうこっつってうちの専属PA。お前らにはまだ会わせたことなかったな、そういや」

「流石にPAさんと絡むほどがっつり関わってないしね」

 私たちは突発的なライブで一緒に演奏したことがあるだけで、今回のように最初から打ち合わせてライブに出演したことはない。なので今のところGRAMのスタッフさん達とは全く会ったことがない。そもそもマネージャーさんだっているはずなのに一度も見たことがない。

「ま、明日会わせるよ」

「あい。了解です」

 それにしても専属PAさんって女の人なのか。ちょっと会ってみたくなった。私が良く利用するライブハウスでも女性のPAさんは割と多い。私達のライブでの音の出来を担う人だ。何度も出演しているライブハウスの専属でやっている、ライブハウスのPAさんなら何人か仲の良い人もいるけれど、どちらにしてもコミュニケーションが取れるのならば、しっかりとっておきたい。

「まぁともかく、今日は早く帰ってゆっくり寝れー」

 言って貴さんが大きな欠伸をした。私もついつられて大きな欠伸をする。

「ですね。明日に備えて」

「んだー」

 明日が終われば少しの間は自由の身かな。それともすぐMedbメイヴを始めるのかな。ま、どっちでもいいんだけれど。片付けを終えて、ぱん、とギグバッグを叩くと私は立ち上がった。夕衣も私に続く。

「そいじゃお疲れです。お先!」

「お疲れ様でした」

 がこ、と防音扉のレバーハンドルを下げ、諒さんと貴さんに手を振るとスタジオを出た。

「あいーお疲れ」

「うぃー」


 二〇〇七年六月三〇日 土曜日

 七本槍市内 柚机ゆずき家前


「あ?夕衣ゆい先輩?」

 玄関先で逢太おうたの声。以前軽く話した時の計画とは違うけれど、大体は同じだ。とりあえず用事ができてしまったので、私と夕衣は後から一緒に会場入りする、という計画だ。

「あ、逢太君、こんにちは」

「うっす。えーと、莉徒りず?」

 一時期、夕衣を紹介しろだとか言っていたので反応がちょっと面白い。私は自室にいるので、かろうじて声が聞こえるくらいなのだけれど、逢太の顔をまじまじと見てやりたいくらいだ。

「ちょっとのっぴきならぬ用事ができちゃって……」

「え、そうなんすか?」

「うん」

 そうなのよ。後で驚け逢太。私はとりあえず声がかかるまでは待機。

「おぉーい莉徒ー!夕衣先輩来てるぞー!」

 と思ったらすぐに声がかかった。とりあえず、あーい、とだけ返事をしてもう少し待つ。出かける準備はもうできているけれども。

英介えいすけ先輩元気すか?」

「うん、元気だよ。今日来るって」

「お、おぉ……」

 何だか良く聞き取れないけれど、逢太が微妙な反応をしたような気がする。確か英介と逢太は結構仲が良かったはずだけど。

「どしたの?」

「い、いや恵子けいこと一緒ん時ちゃんと話したことねぇから……」

「あー、冷やかされるかもね」

 なるほど、そういうことか。逢太に彼女ができたことは英介も当然知っているけれど、恵子とはきちんと面通ししたことがなかったのかな。確かPhoeni-xフィニクスのライブの時には遭遇しているはずなのに、逢太の奴、逃げたのかな。

「そっすよねぇ。あー、ちょっと面倒っすね」

「やっかみは男の勲章、でしょ?」

 随分と大人っぽいことを言う処女だな。まぁ逢太は正直子供っぽさが抜けていないから仕方がないけれど。

「や、モテねー奴らにされんならまだいいすけど、夕衣先輩みてぇな可愛い彼女いる人にやられる筋合いねぇ、っつー……」

 逢太から見ても可愛いというのだから、やはり夕衣は少し自覚するべきだ。それに自覚することは自信にも繋がる。女のマインドとして、自分が可愛いと信じることはとても大切なことだ。それこそ自分が可愛くないことを自覚してしまっているのであれば、その中でも、ここだけはちょっとしたものよ、という小さくても何か一つ、自信を持つことは大切だと私は思っている。

「か、可愛くな……で、でも恵子ちゃん可愛いからしょうがないよ!」

 お、おぉ、言い直した。昨日のお説教が少し効いているのだろうか。さすがは勤勉女髪奈夕衣。さてそろそろ部屋から出ないと逢太の大声がまた飛んで来そうだし。

「おーっす夕衣」

 がちゃこ、と部屋のドアを開けて階段下の玄関にいる夕衣に手を振った。

「え、出かけんの?史織のライブどうすんだよ」

 私の格好を見てすぐに外出用だと判ったのか、逢太がそんなことを言う。そらそうだ。史織のライブに行くにはまだ時間は早すぎる。

「それまでには間に合うから、逢太はちゃんと博史の引率しといてね」

「わたしも後から一緒に行くから」

 そう夕衣がフォローする。

「あ、夕衣先輩とずっと一緒なの?」

「そうよ。だから大丈夫。先行ってて」

 小さなデイバッグを背中に背負って私は階段を下りる。

「お、おぅ判った」

「んじゃね!」

 ぽんと逢太の肩を叩くと、靴を履いて家を出る。よしよし、巧くいった。


「よーっしゃ巧くいったね」

「うん」

 角を一つ折れると、大き目のワンボックスカーが止まっていた。運転席には谷崎たにざき諒。助手席には水沢みずさわ貴之。後部座席に着くために後部座先側に回ると、うぃーんとドアが開く。社長自ら運転だなんてまたスタッフさんに怒られやしないだろうか。

 中に入って座席から後ろを見れば我が愛しのEX-Ⅳと周辺機材たち。 

「おーっし、んじゃ行くぞー」

 私達が乗り込むと電動ドアが閉まり、諒さんが振り返る。

「はぁい。宜しくっすー」

「あ、お願いしますっ」

 私と夕衣の声を聞いてから、諒さんはゆっくりと車を発車させた。

「こちらこそなー。ま、今日は目一杯楽しもうぜ」

「あーい!」


 同日 東京都 渋谷区 MKNホール


 MKNホールには色んなアーティストのライブを見に来ていたので入るのは初めてではないけれど、裏側のスタッフ用の通用口から入るのは初めてのことだった。車から降りると、もう今日のために動いている人たちの空気感でなんだか身が引き締まる思いだ。

「おあー、き、緊張してきた!」

 sty-xのメンバーはもう入ってるのかな。史織は随分朝早く出て行ったみたいだけれど。

「おはようございます」

「おわっ!」

 いきなり若い男のスタッフさんらしき人が声をかけてきたので驚いた。その声をかけてきた人の後ろには更に数人のスタッフさん。

「お、きょうちゃんおっす。悪ぃね、今日も宜しく頼むね」

 貴さんが声をかけてきたスタッフさんの名を呼ぶとにっこりと笑った。恭ちゃんと呼ばれたその人はもの凄く背が高くて、ものすごくタレ目で、もの凄く人が好さそうな人だ。

「了解です。よぉっし、降ろすよー!」

 車の後ろに回り、ドアを開けると私のギターやら何やらを降ろしはじめる。

「え、と?」

 状況が呑み込めていない私と夕衣に貴さんが笑顔を向けてきた。

「あ、ウチのローディーの坂野恭司さかのきょうじ。夕香んとこの毎年の夏のバイトはさ、恭司たちの手が回んなくて夕香にお願いして真佐人まさととかワルタとかお前らに動いてもらってんだよ」

「え!そ、そうなんですか!」

 なるほど、確かにEDITIONエディションは音楽事務所じゃないし、お抱えのプロのバンドなんかいる訳がない。そもそもの依頼主はGRAMで、夕香さん、つまりEDITIONが仕事を請け負っているということだったんだ。つまりこの恭司さんたちはGRAMの専属ローディーで、真佐人さん達は助っ人になるということか。ということは大先輩なのでは!

「うん。そう」

 うんそう、て。

「え、あ、じゃ、じゃあ手伝います!」

 さすがに私達のような小娘が機材を運んでもらうのはおこがましい。諒さん達と同じバンドとは言え、私と夕衣は素人以外の何物でもない。

「駄目ですよ。君達は今日は演者です。僕らの仕事を手伝わせて怪我でもさせたら腹を切っても詫びることができませんからね」

 とても当たりの柔らかい感じ。

「い、いやそんな大袈裟な……」

 にっこりと人好きのする笑顔で恭司さんは言う。おぉ、この人は涼子さんタイプかなぁ。言うことを聞かざるを得ない感じ。

「君達は君達の仕事を、きっちりこなしてください。それが仕事をする人の責任です。僕らは僕らの仕事をきっちりこなしますから」

 そうか。社会経験も年齢も上の人に私達の楽器を運ばせるなんて、と思ったけれど、この人達はこの人達で自分の職務を全うしなければならないんだ。

 そういう考えこそがきっと学生気分が抜けていない、ということに繋がるのかもしれない。私達はまだバリバリ学生だけれど。でもなんか、勉強になった。

「お、お世話になります!」

 私と夕衣は声を合わせて、べっこりと音が鳴るくらいの会釈を恭司さんにした。

「うん、こちらこそね」

 にっこり。

 凄い。カッコイイ。これこそがプロの仕事だ。

「んじゃ、行くぞー。恭司、よろしくな」

 建物の入り口に向けて諒さんが歩き出した。私と夕衣もそれに続く。

「はい、了解です。本番、楽しみにしてますよ」

「おーよ!」


 あ、ドラムの音が聞こえる。sty-xは今正にリハーサル中なのかな。

「おー、やってんな。とりあえずオレらは楽屋だ」

 ライブ前のホールの中、それもスタッフだけが入れる通路を歩くというのは初体験だ。なんだかものすごく、とても、たくさん落ち着かない。

「あれ、美奈みなは?」

 殿の貴さんが間延びした声で言った。

「美奈?」

 また聞き慣れない名前だ。GRAMは女性スタッフが多いのかな。

「あ、マネジ。Sounpsyzerサウンサイザーから独立する時についてきちゃったんだよ」

 あ、そうか。今までプライベートとか、商売度外視の時にしか諒さん達には会っていなかったから、マネージャーさんとは会ったこともなかったんだ。

「ついてきちゃったとはお言葉ね、貴」

「おわぅ!美奈みなさん、これはご機嫌麗しゅう」

 真正面の廊下の交差点からひょっこりとショートカットの美人さんが顔を出した。背丈は私らよりも少し高いくらい。女性なら平均かな。化粧は引き算の薄目。目元パッチリ、かなりの美人さんだ。

 あれ?でもどこかで見たことあるような……。

「どうせあんたたちのことだから、まともなマネジメントなんて考えてないだろうと思って態々ついて行ってあげたのになぁ」

 腕を組んで、ウィンクしながら美奈さんは笑顔になった。うわなに、可愛い。いや美人。え、どっち!

「社長が不甲斐ないもので、全く持って申し訳ない。仰る通り」

 つん、と諒さんの腕をつついて貴さんも笑顔になった。いつものやり取りなのかもしれない。

「なんでオレまで巻き添え食らわせんだよ」

 ぶす、と言った諒さんも別段何事もないような態度だ。事あるごとに繰り返されていることなのかもしれないな。

柚机ゆずき莉徒さんに、髪奈かみな夕衣さんね、宜しく。-P.S.Y-のマネージャーの言枝ことえ美奈です」

「あ、よ、よ宜しくお願いします!」

 再びべっこりと音がするくらいの会釈をして私たちは慌てて挨拶をする。-P.S.Y-本人達よりも、何故か周囲のスタッフの方々に対しての方が礼節を弁えている私達。

 だってそんなの当たり前よ。初対面だもの。

「去年の夏の野音、見てたわよ。凄かったわね」

「お、あ、ありがとうございます!」

「ひー」

 そうか、どこかで見た顔だと思ったのはそれか。話してはいないけれど、きっとすれ違ったりはしたのかもしれない。記憶のどこかに引っかかっていたのだろう。

「……え」

 ……違う。

 そうじゃない。

 私はこの人を知っている。

 言枝美奈という名前に憶えがある。

「ん?」

「言枝、美奈さん?」

「あ、判っちゃった?」

 ぺろ、と可愛らしく舌を出して美奈さんは笑った。

 私の記憶が確かならば、そんな笑って軽く言えるようなことではなかったはずだ。彼女が隠しているものは。

(……いや)

 それは涼子さんだってそうだった。きっと美奈さんも同じなんだ。涼子さんと。

「おー、その話は後でしろ。ともかく楽屋!史織さんに見つかったら終わりだかんな」

 私と美奈さんの雰囲気を察したのか、諒さんが少しだけ声を高くした。確かにこんなところを史織に見られでもしたら、すべてが水泡に帰してしまう。

「あ、そうね。私が先導するからついてきて」

「は、はい」

 そう言って、美奈さんは自分が歩いてきた通路側へ首を伸ばし、誰もいないことを確認してから歩き出した。

「……莉徒?」

「……あとでね」

 私の表情を見て夕衣が不思議顔作ったけれど、もしかしたら夕衣も気付いているのかもしれない。私たちが尊敬している、岬野美樹さきのみき早宮響はやみやひびきにも少し、関係しているかもしれないということを。

「う、うん」

 諒さんの言う通り、こんな廊下で、しかも立ち話で終わるような話ではない。だから、私は諒さんと同じことを言って、夕衣を促した。


 おぉー!凄い!MKNホールともなると、ソファー!あれ!テレビで見るような楽屋!

 Rossweisseロスヴァイセ様控室と書かれた紙が張られているドアを開けて楽屋内を見ると、私は感無量になった。ライブハウスの楽屋とはもう比べるべくもない!

「オレらはとりあえずアチコチ挨拶してくっから、お前らは鍵かけて、部屋から出んなよ」

「え、あの、楽器とかは?」

 あ、そうだ。セッティングできる部分はしておかないと。

「ステージだよ。ライブハウスと違うんだから、楽屋でチューニングしとかなくていんだよ」

「あ、そ、そうか」

 貴さんが言って苦笑する。貴さんは学生バンドでも社会人バンドでもライブをしてきた人だから、色んな状況でのライブに慣れているんだろうな。

「はは、緊張してんな」

 いや、そんな待遇でライブすることが初めてだから、勝手が判らないだけです。

「そ、そりゃしますよ……」

 あ、夕衣はしてた。と思った瞬間、ばん、と音を立てて扉が開いた。

「おいーっす!参上!」

 入ってきたのはやせぎす、と言っても差し支えないほど細くて長身の男の人。見たことがある。というよりも見覚え有りまくり。

「あん?大輔だいすけ?」

 諒さんが彼の名を呼んだ。-P.S.Y-のギターボーカル、朝見あさみ大輔さんだ。私は実際に会うのはこれが初めて。

「なんでこんな時間から」

 貴さんが苦笑して言う。

「暇だったから。おー、この子らが噂のジョシダイセー!おれ朝見大輔、宜しく!」

 普段MCでもほとんど喋らない人だから、このノリは少々意外だった。こんなに明るい人なんだ。

「はしゃぎすぎだろ」

 後ろから、諒さんほどではないけれど、更に長身の影。大輔さんよりも均整の取れた身体つき。顔にも声にも見覚え、聞き覚えがある。

「あ?ただしも来たのか?」

 -P.S.Y-のもう一人のギターボーカル、川北かわきた忠さんだ。凄い、-P.S.Y-勢揃いだ。後で写真撮ってもらおう。

「つーかドア閉めろ。色々見つかるとヤバイ」

「ヤバイ?」

 諒さんの声に大輔さんがドアを閉めながら問う。そうか、事情は知らされていないんだ。

「かくかくしかじかなんだよ」

「や、ちゃんと話せ」

 言った貴さんにずびし、と手刀を入れる忠さん。あぁ、-P.S.Y-の人たちはみんなこんなノリなんだ。美奈さん、大変なんだろうなきっと……。

「ちゃーっすぅー、きゃぁーじょしだいせー!」

 ドアを閉めた先からまた一人、舌足らずな喋り方で、女の人が入ってきた。

「コーコうるせえ!とにかくドア閉めろ!」

 なるほど、この人がPAの洸子さんか。くるくる巻き毛とセルフレームの眼鏡がやたら可愛らしい。年は私たちよりも当然年上だろうけど、三〇歳までは到達していない印象。

「えぇー?どうしたんですかぁ?」

 マネージャーの美奈さんと洸子さんと大輔さんと忠さん、それに諒さん、貴さん、夕衣に私。もう控室は人だらけだ。騒がしいったらない。

「鍵も!」

 言いながら美奈さんがドアを閉めて、ドアノブに設えられているサムターンを回した。

「え、誰か来たらどうすんだよ」

 そうしたらどなた?と訊いてドアを開ければ良い。と思ったけれど、さすがに諒さん、貴さん以外にその突込みはできない。

「史織さんに見つかりたくねんだって」

「だからなんで」

 今、一から事情を説明するのだろうか。少々面倒だ。貴さんの言ったかくかくしかじかで納得してはもらえないものだろうか。

「こっちのナマイキそうなちんこいの、よく見ろ」

 失礼な!

「……可愛いな」

 あ、い、いや有難うございます、大輔さん。

「可愛いっていうならこっちの子だって相当……」

 忠さんは私より夕衣派だ。きっと。だって何となく貴さんと同じ匂いがするような気がするもの。

「諒……」

 苦笑のまま貴さんが言う。勿体つけずに話せば、さして時間もかからないだろう。というような思いもこもっているに違いない。

「オレが悪かった。こっちは柚机莉徒!柚机史織、旧姓獅子倉ししくら史織の正真正銘、娘だ!」

「なぁ、なぁ、なんだってえ!」

 目を丸くしたのは忠さんだった。あとはうぇー!だのおぉー!まじかー!だの、ともかく私が満足するリアクションだった。ので。

「百点」

 おっと、思わず言ってしまった。

「あ、あのっ、はじめまして!髪奈夕衣です!宜しくお願いします!」

 オレのターンなのにいきなり自己紹介を始める我が相棒。

「あー、ユイユイね、貴の愛人。知ってる」

 大輔さんがあくまでも軽いノリでそう返す。酔ってるのかな。

「ち、違います……」

 小さな声で俯きながら言うと余計に怪しまれそうな気もするけれど、きっとこの人達はみんな涼子さんのことも良く知っているのだろうから、あらぬ疑いはかからないだろう。

「柚机莉徒です。よろしくお願いします」

 私も夕衣に続いてぺこりと会釈する。

「なるほどなぁ。最初にウチで出るつって断られて、この布陣か」

 忠さんが一番状況をしっかり把握していそうだ。もしかしたら-P.S.Y-で一番の苦労人なのかもしれない。

「んだ。で、こっちの夕衣はホンモノのディーヴァ」

 笑って自慢げに貴さんは言う。そんなにディーヴァってみんなに浸透しているのだろうか。

「え!まじで!Ishtar Featherイシュターフェザーの?」

「そう」

 伝わってるわ。そういえば涼子さんが早宮響にIshtar Featherを横流しした、なんて話もしていたから当然忠さんも大輔さんも知っているのだろう。

「モノホンのヴァーディ?」

 本気の業界語だろうか……。

「すげぇ!サイン!サイン頂戴!」

 おぉ、なんだか忠さんが一番興奮している。冷静そうな人だと思ったんだけれどなぁ。

「さ、サインなんてないです……」

 あったら怖いよ。

「はしゃぐな。おれんだ」

「貴さんのじゃない……」

 顔真っ赤にして俯くと本当に否定しているように見えない。あぁ私にもこういう可愛さがあったらなぁ。

「あ!ちと来い、大輔、忠!」

 諒さんが何かを思い出したようにぽん、と手を打ち合わせ、大輔さんと忠さんを呼んだ。なんだろう忙しい人たちだ。というか、逆に私らがこんなにのんびりしていて良いのだろうか。

「え、何」

「……」

「おー、なるほど、おっけ」

 三人は私ではなく、一瞬だけ夕衣を見た。夕衣はそれに気付かなかったようだけれど、何かあるのだろうか。諒さんの考えていることなら私たちに不利益なことが起こる訳ではないことは判るけれど……。

「んじゃ、とりあえずオレは行ってくっからな、余計な情報開示すんなよ」

 サムターンをかちゃりと回して諒さんが振り返った。

「だからそれ何なん?」

 そうだ、そもそも諒さんからの説明が何もない。私が史織の娘だ、と言っただけでは誰も何も納得しないだろう。

「だから、莉徒が今日ここに出演すんの、史織さんには内緒なんだよ。サプライズ!」

「あぁ、そういうことか。でもなんで」

 大輔さんが言って、ソファーの背もたれに腰をかけた。流石にそこは私が説明した方が良いかな。

「母が私にsty-xのギタリストだったことを十八年間も黙ってた腹いせです」

 まぁ喜ばせるのと驚かせるので両方だけれども。

「は?」

 ぐり、と忠さんも私に視線を向けた。いや、気付けてたんだったらそら私だってそれが良かったけれども。

「え、知らなかったんですかぁ?」

「え、えぇ、まぁ……」

 会ったばっかでこんなこと言いたかないけど、失礼は承知の上だけれど、どう考えてもトロそうな洸子さんにそんなことを言われるのはほんのちょっとだけ心外な気がする。

「ともかく、そんな訳で本番まで史織さんには内緒だかんな」

「なるほどな、了解だー」

「おっけー」

 諒さんはそう言って部屋を出て行った。扉を閉めると、扉に一番近い忠さんが再び鍵を閉めた。

「つーかなんでお前らこんな早い時間に入ってんだ?」

「莉徒と夕衣見にきたに決まってんじゃん。諒と貴が選んだってぇ娘さんたちを」

 貴さんの尤もな質問に忠さんはにこやかに答えた。私としては忠さんや大輔さんと会えたのは嬉しかったけれど、本当に本番まではまだまだ時間がある。

「なぁるほど。見た目もさることながら演奏だってかなりのもんだからな」

 自慢げに貴さんが言うけれど、少々照れくさい。私はそれなりに練習もしてきているし、諒さんや貴さんに選んでもらったことでも自信がついた。だけれど流石に普段から諒さん、貴さんと組んでいる人達には堂々と胸を張ることはできない。

「そんな大それたもんじゃないっすよ。たまたま仲良くしてもらってるだけですし」

 それも最初は良く行っている喫茶店の店主の旦那さんだった、という本当に偶然以外の何物でもなかった。

「仲良くしてもらってんのはおれ達だけどね」

 私は貴さんと仲良くなりたかったし、仲良くしてあげているという感覚は皆無だ。貴さんや諒さんは時々それを言うけれど、あんまり言い過ぎるようならそこは是正しようと思っているほどだ。

「ま、何にしても楽しみにしてるぜ」

 に、と大輔さんが笑う。よし。

Fox Ⅲフォックススリーやりますよ」

 思い切って言ってやった。Fox Ⅲは-P.S.Y-の楽曲だ。それも元々好きで私がやりたいと言い出した曲。

「お、まじか!すげぇ楽しみ!」

 大輔さんがぱん、と膝を叩いて喜んだ。喜んでくれるのは嬉しいけど、流石に本人達の前では緊張してしまうなぁ。でもベースとドラムが最強だし、本家本元だ。フロントはそこまでのレベルではないけれど。

「楽しみにしとけよー。そこいらの小娘じゃねーぜ」

 貴さんの言葉はそのまま有り難く受け取ろう。

「そらそうだろー、SHIORIシオリさんの娘とディーヴァだぜ」

 そうか、ある意味では何の変わりどころもない、どこの馬の骨とも知れない女子大生でも、そこそこの話題性は持たされているということか。そこは少し自覚しなければいけないのかも知れない。

「いや、ああ、ぁあ、あのっ」

 今まで押し黙っていた夕衣がやっと声を出した。夕衣は人見知りだからなぁ。流石にこの状況では緊張してしまうだろうなぁ。この間の圭のようにならなければ良いのだけれど、そこは実はあまり心配していない。何しろ、見ず知らずの人たちの前で、たった一人でオリジナルソングを披露することには何の抵抗も無い女だ。

「残念ながら夕衣は歌わないぜ。聞きたかったら夕衣のライブ見に来いよ。それが筋ってもんだ」

 いやぁ、夕衣と組んでやったら-P.S.Y-が見に来るのか。それは凄いことだ。

「そらそうだな」

「絶対行く!」

「わたしもぉー」

 忠さん、大輔さん、洸子さんが口々に言う。嬉しいなぁ。人の縁っていうのは本当に不思議だし、大切にしなくちゃいけないんだなぁ。Kool Lipsクールリップスを始める前の私は、あまりそんなことを考えていなかった。以前史織にも言われたけれど、我慢することだって大切なんだろうな、とこのごろになって少し判ってきた。

「なんで貴さんと諒さんには緊張しないのに、皆に緊張してんですか夕衣さんは……」

 苦笑しつつ貴さんは言う。緊張をほぐすためだろうけれど、夕衣と貴さんが会ったばかりの頃は貴さんにも緊張をしていたはずだ。

「す、するに決まってるじゃないですか!こ、こんなにすごい人たちと、初対面ですよ!」

「凄くねーよなー」

「なー」

 忠さんも大輔さんもやっぱり貴さんや諒さんと似たような性格なのかもしれない。

「判らないでもないけど、夕衣は貴さんにだって最初はこんな感じだったじゃない」

「そういえばそっか。中々慣れてくんなかったよなぁ。英介との痴話喧嘩からだわー」

 あぁ随分前に聞いた話だ。まだ夕衣と英介が付き合う前の頃だったらしいけれども。

「ちょ!そんなっ」

「え、何それ、夕衣彼氏いんの?」

「いる。超イケメンで超ナマイキ。いつかあいつぶっ飛ばすんだーおれ」

 それはただ単にやきもちなのだろうか。それに多分だけど、貴さんは英介のことをだいぶ気に入っているはずだ。

「な、なんでですか……」

「えーっと、雰囲気?」

「ちょ!」

「でも夕衣の悲しむ顔は見たくないからぐっとこらえるんだ」

 何も考えていないだけか。ま、貴さんらしいっちゃ貴さんらしいけれども。

「もはやイミフだな」

「ですねぇ……」

 そういったノリも皆は全て判っているのだろう。こういった雰囲気の中で仕事をできるのは幸せなのかもしれない。だから子供っぽいくらい、貴さんも諒さんもいつも生き生きしているのかもしれない。

「うっし、おれらもアチコチ挨拶してくらぁ」

「だな、姉さんたちに会うのも久しぶりだしよ」

 忠さんと大輔さんが口々に言い、ぴょこ、と手をあげた。本当は私たちの顔を見に来たのもあるだろうけれど、sty-xへの挨拶が目的なんだろうな。

「莉徒のことはくれぐれも他言無用だぞ」

「おっけー」

「じゃあわたしもリハみてきまぁーす」

「あいよ」

 忠さん、大輔さん、洸子さんが部屋を出てゆくと、途端に静かになった。ふぅ、台風一過と言うところか。

「やー、なんかすごいね。みんなあんなノリなんだ」

「そらそうだろ」

 にへ、と苦笑しつつ貴さんは答えた。その言葉にはきっと『おれもお前も普通の人間だろ』という意味が込められている。

「そうなんですか?何かもっとこう、オレミュージシャンだぜ、的なオーラ全開なのかと思ってました」

 ちょっと怖いっていうか、と付け足して夕衣は言う。確かに夕衣の感想の方が一般的だと思うけれど、私たちは貴さんや諒さんと接している時間が長い。むしろ、貴さんや諒さんたちの態度の方が普通なのではないだろうか。

「そらステージ上がればそうなるやつもいるけどさ、オフん時までそんなしてたら疲れっちまうよ」

「それもそうよね」

「同じ人間ですものね」

「まぁそれでもさ、偉ぶったり、下の奴に言うこと聞かせたがったり、えばりたい奴だってごまんといるけどさ」

 ふぅ、とため息をついて貴さんは言った。貴さんは音楽シーンではベテランの域に達するほどのキャリアがある人なのに、私たちが中央公園でストリートライブをした後の後片付けを手伝いに来ることがある。去年一緒にライブをした夏休みのイベントでも、ローディーさんに怒られながらも強引に片付けの手伝いをしていたし、色んな人の目線に立って行動できる人だ。だから、ちょっと小高い台に上がって、頭を下げてもそこが高いところにいることに気付かないような人間はあまり好きではないのだろう。ま、それは殆どの人が同じく嫌悪感を抱く人種だと思うけれど。

「まぁそれはどこの世界にもいるよね」

「だぁな」

「そんな人達だったら、今までも一緒にできてない、ですよね……」

「その通り。結局人間関係なんてさー、どこだって一緒だけど、個々の素質に寄るんじゃね。どの辺が線引きなのかは判んねぇけど、うわっ、て一瞬でもマジで引くような行動をとる人間なら、やっぱ仲良くはなりにくいだろ」

 こういう話ニガテーと言いながら貴さんはなおも苦笑のままだ。ミュージシャンになる前でも映像業界に身を置いていた貴さんは、その手の話で嫌な思いを沢山してきたのかもしれない。

「例えばハグとか……」

 ぼそり、と夕衣が呟いた。

「えっ!ま、まじで!」

「冗談です」

 にっこりと返す。まぁ本当に冗談だろう。夕衣はただ単に異性のスキンシップに慣れていないだけだ。

「えっほんとに?」

「そんな人だったら一緒にできません」

 笑顔のまま返す。貴さんは疑り深いなぁ。判らないでもないけれど。

「なるほど。おれほっとしたー」

 心底ほっとしすぎな貴さん越しに時計がある。私はふと自分の腕時計と時間を見比べた。一分もずれていない。

「リハ何時くらいからかな」

「予定だとあと一時間後くらいだな」

 今気付いたけど、嵐が去ってからは随分とステージの音がこちらにも響いてきている。

「ほうほう。楽器とかって……?」

 先ほどの恭司さん達に任せてしまったので、今どうなっているかは全く判らない。

「必要なもんしか持ってきてねぇだろ?」

「うん」

「じゃあさっきの恭ちゃんたちが接続、チューニングまでのセッティングはしてくれてるよ」

「そうなんだ。凄いなぁ、プロのステージ」

 本当に演奏者は演奏をするだけ、という形なんだ。だから私たちが手伝おうとすれば叱られてしまうのだ。

「プロと言えばさっきの洸子さんはやっぱり専属だけあって凄いんですか?」

 お、そうそう。あんなトロいというと意地悪だけれど、スローペースそうな人にPAが務まるとは。

「あぁ凄いなぁ。あいつには助けられっぱなし」

「へぇ、そうなんだ」

 やはり人は見かけによらないものだ。

「あいつはハコでもバイト経験長いし、色んな場所に対応できる。音量制限あるハコでも、イエローカード喰らいながら、必死にハコの人と戦ってくれてんだよ、ああ見えても」

「おぉー、スゴイ」

 音量制限のあるライブハウスはあまりやりたくない。私たちのようにロックをやる人間は、おとなしい音で綺麗に演奏することを身上とはしない。だから、そういうところで戦ってくれる味方がいるというのはとても素晴らしいことだ。

「あいつがいないとウチのライブは成り立たねぇよ」

「そんなすごいんだ」

 -P.S.Y-の、貴さんの口からそんなことを言わせてしまうほどのPAさんでライブができるなんて、この先本当にあるかないかの貴重な出来事だ。

「ま、言うと調子に乗るから言わねぇけど」

「はは、そうなんだ」

 洸子さんがどういう人かはまだ判らないけれど、確かに調子に乗せると面倒な人はいる。恐らくは長い付き合いなのだろう貴さんがそう言うからには、私たちもあまり洸子さんを持ち上げすぎてはいけないということなのだろう。

「んだー。ま、衣装合わせの呼び出しかかるまではゆっくりしようぜ」

 煙草を胸ポケットから取り出して、それをしまう。別に吸っても良いのに。あ、いや、夕衣がいるからダメか。私が吸っても怒られるかもしれない。あ、でも灰皿のある部屋だから別に怒られないかな。まぁでも貴さんが気遣ったのに私がそれを無視する訳にもいかないか。

「あ、そうだ、ケータリングは?」

 テーブルに置いてあった、恐らくは昨日行っていたであろうケータリングのメニューを手に取って私は言った。

「リハ終わってからだな。あんまうろうろすっと見つかる。多分本番終わってもやってっから、カミングアウトしてからにしろ」

「それもそっか……」

 メニューをテーブルに置いて私は言った。確かにがっついて計画を御破算にする訳にはいかない。

「ろーすとびーふ……」

 つい、と夕衣が指差したところにそんなにもそそる食べ物があるとは思いもよらず。

「えっ、そんなものもあるの!」

「うん、なんか本格的。ぜったい食べたい」

 もはやよだれでもたらしそうな顔で夕衣が頷く。確かにちょっと私達の普段の生活では、きちんとしたローストビーフなどめったにお目にかかれない代物だ。

「お腹いっぱい声になっても知らんぞ」

「う……。それは避けたいですね」

 夕衣は今回コーラスしかしないけれど、それでも満腹の時は声が出なくなるものだ。ライブの前に少し何かを食べに行ったりすることはあるけれど、そういう時でも私は少ししか食べないようにしている。本当に満腹でライブをするのは歌うこともそうだけれど、全体的にキツイのだ。

「ま、終わったらちょっとイイトコでごちそうしてやっから」

「おー!ほんとですか!」

 笑顔で貴さんはそう言ってくれた。ギャランティまで出してもらえるのにいいのかな。

「……おまえらのイベントに混ぜてくれるんだったらな」

「うわ出たよ」

 条件付きかよ。というよりもそれは本当に正直なところどうして良いかはまだ判らない。それにはちゃんとした理由だってあるし、貴さんだってそれを話せば判ってくれる。

「出たって言うなよぉ」

「でも貴さんだってさ、自分達が出ることに依って他の素人さんたちがプレッシャーで縮こまるライブなんてヤでしょ」

「う、そ、そらまぁ、そうだけどさ」

 ほら。

 私達は普段から仲良くさせてもらっているし、一緒にライブをしても緊張で演奏がダメになるなんてことはないとは思うけれど、みんながみんなそうではないのだ。そして学生バンド、社会人バンドの時代にはとても緊張しやすかった貴さんには、自分が他のバンドにプレッシャーを与える存在だということを判っておいてほしい。いや、こうしてすぐ納得してくれるということは、私の思うところは良く判ってくれているのだろうけれど。

「ま、一応考えてることもあるから、もうちょっと待っててよ」

 それも穂美と相談中だ。sty-xと-P.S.Y-の両方を出すことはちょっと難しいかもしれないけれど。

「あーいよ」

「私だって、いや、んー、まぁそう感じないかもしれないけれどさ、皆には少しでも恩返ししたいって思ってるんだから」

 これは本当だ。こんなにも色々な経験をさせてくれているし、普段だって信じられないくらい仲良くさせてもらっている。貴さんや諒さんはそんなことを望んではいないかもしれないけれど、柚机家の女は受けた恩は石に刻むのよ。

「ほほぅ、んじゃ楽しみに待ってるぜ」

 だからきっと、貴さんだってそう言ってくれる。期待しないで待ってる、とかそう言う意味合いももしかしたら含まれているかもしれないけれど、決して茶化すことなく、そう言ってくれる。

「うん」

 だから、もう少しだけ待っててね。

 そんな気持ちを込めて、私は貴さんに笑顔で頷いた。


 28:ローストビーフ 終り

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