27:バーガー

 二〇〇七年六月十七日 日曜日

 楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディション


「よぉーっすぅ!」

 そんな間延びした声で現れたのは、なんとsty-xステュクスのボーカル、加賀河香織かがかわかおりさんだった。背が高くて、デニムのベルボトムとヒールの高いブーツが似合うめっちゃかっこいい人だ。緩やかなウェーブヘアは背中まで伸びていて、数ヶ所にメッシュが入っていて、ピンクやらブルーやらグリーンやらが軽く踊っている。

 結婚する前は加賀河さんだったけれど、今は結婚して野原のはら香織さんだ。何だか普通の名前、などと言ってしまうと怒られてしまうかもしれないけれど、結局のところミュージシャンとしての活動時は、旧姓の加賀河で通しているらしい。

「お、おはようございます!」

 べこり、と音が鳴るくらいの勢いでわたしは香織さんに頭を下げた。そんなつもりはなかったけれど、これがいわゆる各の違いというものだろうか。

「そんな畏まんないでよ。莉徒りずの友達なんでしょ?莉徒くらい図太くないと!」

「い、いえ、それは莉徒が異常なだけです……」

 香織さんはsty-xが解散しても、ずっとソロで活動してきた。バンドが活動休止しても十年以上第一線で歌ってきた人だ。絶対にわたしの反応の方が当たり前に決まっている。

 それに先週莉徒が、史織しおりさんにナイショでこのバンドでイベントに出る、という計画を成功させるための打ち合わせにきていた時に、わたしは挨拶しかしていないのだから、話し慣れてもいない。

「あれ、手、どうしたの?」

 今日のわたしは不覚にも右手の中指に包帯を巻いている。香織さんはそれに気付いたようだった。

「あ、き、昨日……」

「よぉーっすぅ!お、香織さん!お久しぶりーふ!」

 訳を話そうと思ったらたかさんもきた。しょーもないネタをぶち込んできたけれど、わたしは反応、しませんからね。

「おはようございます」

「おーうユイユイ、愛してるぜー。あ!何その指!なした?」

 貴さんもわたしの右手の中指に気付いた。ハグを求めて両手を広げているけれど、行きませんよ。

「昨日部屋に」

「よぉーっすぅ!お、香織さん来てんじゃん!ざっす!」

 た、タイミング悪いなぁ。それでも私はりょうさんに会釈して挨拶の代わりにする。

「おーっす、貴久しぶり。諒も一週間ぶり。で、指どしたの」

 香織さんが貴さんと諒さんに挨拶を返すとわたしの指の話に軌道修正をかけた。

「部屋に虫」

「よぉーっすぅ!」

 更に莉徒が登場。もう!全く話が進まない!

「こらぁっ!」

「……何で来るなり怒られた?」

 莉徒にしてみれば尤もな理由だけれど、わたしにしてみたって尤もな理由だ。

「判らん」

「くくっ、間の悪い女」

「あ、香織さん、おはようございます」

「うぃー」

 香織さんの言葉に気付いて莉徒が礼儀正しく挨拶する。あ、貴さんや諒さんと同じように接していたのかと思ったけれど、そこは違うんだ。ちょっと感心。

「で、何?間が悪いって」

「夕衣の右手」

 ぴ、と香織さんがわたしの右手に指を指す。

「あっ!ちょっと何したのよ!」

「それを説明しようとして貴が来て、諒が来てあんたが来た、ってこと」

 くく、と笑って香織さんが莉徒を見る。諒さんほどではないけれど、ヒールの高いブーツを履いている今の香織さんの身長は、貴さんとあまり変わらないので、わたしたちは少し見下ろされているような形になる。

「何?八つ当たり!」

「結果的に」

 まぁ仕方ないではないか。諦めろ、柚机ゆずき莉徒。

「ドイヒー!っつぅかなした?」

「昨日、部屋に虫がいて……」

 突込みもそこそこに莉徒がすぐに理由を聞いてきた。

「虫?」

「Gさん?」

「い、いえ、こんなちっちゃい蚊だったんですけど……」

 Gさんだとしたら素手で戦おうなどとは思わない。丸めた新聞紙や雑誌なんかで戦おうとも思わない。射撃戦、もしくは毒ガス作戦だ。非道外道とそしられようとも!

「蚊?」

「です……」

 そいつが私を刺そうと刺さなかろうとあまり関係ない。わたしのエリアに侵入したが最後。そう、髪奈かみなを見たものは生かしてはおけない。

「それを排除したかったんですが、殺虫剤が見つけられなかったんで、素手で闘って、何とかしようと」

 ぶん、と手を振ってそう説明する。しかし奴は素早かった。わたしのクロックアップをもってしても奴を捕えることができなかった。

「突き指かよ」

 ぷ、と笑って諒さんが言った。笑わば笑え。これはもはや怪我の功名、違う、名誉の負傷!

「……完全敗北ですよ。ふくらはぎ刺されたし……」

「右手で良かったわ……」

「うん」

 もはや十九歳にもなって突き指するなどとは夢にも思わない。

「しかも中指ならまぁ大丈夫だろ」

 諒さんの言う通り、ギターを弾くことに支障はない。今日の朝もきちんと試してきた。

「でもま、今日のところは軽く流すだけにすっか。昨日は結構やったしな」

「だね」

 貴さんが苦笑すると、莉徒も頷いた。確かに昨日はかなり激しく練習した。今も若干耳の奥で難聴の名残がある。難聴と言っても私たちの場合は音響外傷性、突発性難聴というやつで一時的なものだ。大きな音を聞いてしまうと、きーんと耳の奥で鳴っているような感覚になるアレだ。俗っぽい言い方ではロック難聴なんて言葉もある。

「えー、せっかくきたんだからやってよぉ」

「あ、大丈夫ですよ。朝も少し弾いたけど大丈夫でしたから」

 そうか、香織さん、何しに来たのかと思ったら演奏を聴きに来たんだ。もしかしたら失格、なんて言われてしまうかもしれない。本人の前でコピーをするなんて初めての体験だ。あ、いや、去年の夏にThe Guardian's Blueガーディアンズブルーのコピーを諒さんと一緒にやったから二度目だった。

「ま、様子見ながらにすっか」

「だな」

「あ、そうそう、その前に昨日の報告ね」

 え、あ、こっちが香織さんが来た理由かな。史織さんサプライズ計画は私たちも知っておかなければ失敗してしまうだろうから、今日説明を受ける手はずにはなっていたのだけれど、昨日香織さんと一緒に打合せをした莉徒と諒さんから説明を受けるものだとばかり思っていた。

「結局どんな感じになった訳?史織さんのサプライズ」

 地下のロビーまで行くと、いつもの休憩用の椅子に腰掛けて貴さんが言った。

「とりあえず、入りの時は諒さんと貴さんでsty-xの楽屋に挨拶。で、私と夕衣は素人だから緊張しちゃってるんで、本番後に挨拶に一緒に来ます、って感じで」

 最初に軽く話した通りの計画っぽい。

「史織さんが楽屋に来る可能性高くないか?」

 それは確かに有り得るかもしれない。物怖じしない、人見知りもしない、何でもかんでも楽しんでしまう性格の史織さんなら、よろしくねー、とか言って入ってきちゃいそうな気がする。

「その時はアタシたちが止めるわ。素人だけどアタシらのファンだから、アタシらがプレッシャーかけて演奏ぐだぐだにしたら悪い、とか言っといて」

「なるほど」

 大丈夫かな。緊張する時はするよー、とか言って強行しそう。でも人の気持ちを汲むことにも敏感な人だから、どちらにも傾きそう。

「ステージ袖の楽屋はそこいらのライブハウスと同じような感じでトイレもあるから、気を付けとけばトイレの心配もないだろ」

「ですね。リハなんだけど……」

「sty-xのが先ですよね?」

 いわゆる逆リハだ。sty-xのリハーサルからの転換でニアミスする可能性だってある。

「んだ」

「入りが二時でしょ、そっから多分一時間くらいで何とかなるでしょ。終わったら近くにいい喫茶店があるんでそこに史織を連れてくわ」

 そうか、スタジアムのような特設ステージではないから、リハーサルにもあまり時間はかからないのかもしれない。

「んで、こっちのリハが終わったら諒さんが香織さんと千織ちおりさんに連絡」

「ふむ。沙織さおりさんと真織まおりさんは?」

 残るベーシストとドラマーの人だ。

「昨日アタシが説明しといたから大丈夫」

「なるほど。じゃあ知らないのはホントに史織さんだけってことだ」

「そうなるわね」

 貴さんの言葉に香織さんが頷いた。そこでふと疑問に思う。

「ねぇ莉徒、家族はどうするの?みんなで史織さんの応援に行くって言ってあるんでしょ?」

 一緒に同じ会場に行くはずなのだから、別々に行動するのはおかしいのではないだろうか。それもギターやらエフェクターやら持って先に出るなんて、絶対に怪しまれる。

「そこはオレらが拉致る」

「拉致る?」

 お、穏やかではない。

「前日にオレの車に全部機材乗っけといて、莉徒んちまで行って、後でちゃんとイベント会場にお届けしますんで、的な感じで莉徒を家から引っ張り出す。それが怪しかったら夕衣に迎えに行ってもらうといいかもな」

 そうか、前日に機材を全部載せておいてもらえれば楽だ。だいぶ楽だ。とても楽だ。何という素晴らしい提案だろう。それにわたしが迎えに行けば、諒さんや貴さんが迎えに行くよりも怪しまれないで済みそうだ。

「で、逢太か博史に、大丈夫だから先に行ってて、って連絡入れる」

「なるほどな。それで大丈夫か」

 まさか莉徒が出演するだなんて、逢太おうた君も博史ひろしさんも夢にも思わない訳だ。

「だろ。んで楽屋には俺か貴が必ずいるようにして、sty-xの方は史織さんがふらふら出歩かないように四人で監視体制」

 それなら本番までばれることはなさそう。

「三人ね。正直千織はアテになんないから」

 え、千織さんってリーダーなのに……。

「ま、まぁ確かに」

「千織さん、史織さんとそっくりだからな……」

 そ、そうなんだ。史織さんが二人いると考えたら、sty-xのメンバーさんってかなり気苦労している気がする。確か、女の子二人とヤンキーねーちゃん、って言っていたような気がするから、香織さんや、まだ会ったことはないけれど、真織さんや沙織さんが大変な思いをしているのかもしれない。

「だから、千織が控え室に行っても入れちゃだめよ。万が一史織に見られたら面倒だから」

「確かになぁ……」

 貴さんや諒さんも稚気の塊といえばそうだけれど、史織さんのそれは貴さんたちのそれとはかなり違う気がする。貴さんたちは大人の振舞いをするときはしっかり大人の振舞いをする。でも史織さんの場合は、本当に成長していない感じがするのだ。いや、それだと語弊がある。史織さんは挨拶も、大人の会話もきちんとするし、礼節を弁えているという点では、大人として立派な人だ。だけれど、仕草、そう、仕草の全てが子どもっぽいというか、子どもそのものなのだ。会釈するときもぺこん、と可愛らしくするし、声も喋り方も可愛らしいので、大人らしく見えない。そしてその好奇心はもはや子供のそれだ。史織さんの好奇心が爆発してしまったら最後。地獄まで追いつめられるかもしれない。

「最初に千織さんに話したのは間違いだったかもしれん」

 そんな史織さんにそっくりだという千織さんなら、確かに不安は募るかもしれない。

「昨日何度も確認したからミスリードはないと思うけどね」

「だといいんだけど」

 苦笑して貴さんが頷く。ミスリードは確かに怖い。特に史織さんみたいな人を相手にしている場合は。でも香織さんは随分しっかりしているように見えるし、イメージではsty-xの姉御あねご的な存在のようにも思えるから、きっと大丈夫だと信じたい。

「楽しみになってきました!」

 演奏はきっと緊張してしまうけれど、楽しんでできそうな気がしてきた。イメージは大事。緊張しつつも、その緊張感ごと楽しめるイメージをしっかり持っておかなくちゃ。

「最初はプロの前で演奏なんてできるかしらん、とか言ってたくせに」

 くねくね。でた、まったく似てないし、必ずバカにしている時に莉徒がするわたしの物真似。

「……キャストオフ。ワントゥースリィ」

 低い、合成音声のような声真似をしてわたしは莉徒を睨むと、サマーカーディガンを脱いだ。

「いやー!ごめんなさい!ウソ!ウソよ!」

 前触れがスーパーロボットであれ、変身ヒーローであれ、私の必殺技はブレスト・ツイスターだ。相手がでかかろうと小さかろうと、必ずブラをずらす、という星団中の騎士も恐れる恐怖の剣聖技だ。ちなみにわたしもこれをやられたらたまったもんじゃない。

「ともかく、楽しみでしょ!莉徒だって!」

 素直に謝ったので実行はしないでおくことにした。反撃されるのも面倒だし……。

「ハイ……」


「やぁー、うまいうまい、史織もうかうかしてられないな、こりゃ」

 わたしたちの演奏を聞いて、香織さんが拍手をしてくれた。

「や、さすがに史織と比べられたらまだまだですよ」

「でもあの子へったくそになったわよー。さすがに十八年のブランクは数か月じゃ埋められないみたいね」

 くく、とそれでも楽しそうに香織さんは笑った。ヘタクソ、って言っても及第点なのだろう。そうでなければここまで明るくヘタクソ発言はできないだろうし。

「あれでへったくそ……」

「やっぱり第一線で活躍してきた人たちは違うなぁ……」

 つい口に出して言ってしまった。でもそんな人に、贔屓目で見てもらったとしても、巧いと言ってもらえると嬉しい。ホントウニ?と疑いたくもなるけれど、こういうのは気持ちだけ、しっかりありがたく頂いておく。そうじゃないと認めてくれた相手に失礼になる。

「ま、下手になったのか、年喰ったのか実は良く判んないけどね。アタシだって昔ほど高音域は出なくなったしねー」

 復活前のsty-xのライブ動画を見ていても、香織さんは元々が高音域を酷使するようなボーカリストではない。それでも更に出なくなっているとなると、そう、例えばStormストーム Bringerブリンガー等はもしかしたら、キーを下げている可能性もある。

「それは酒焼け」

「あ?」

 ぎん、と音がしそうなほどの視線で、香織さんは諒さんを睨みつけた。み、眉間のしわが深い!

「いやー、なんでもないです」

「しっかし御年四十ン歳とは思えん美貌ですなぁ」

 フォローなのか、貴さんが言うけれど、確かにその通りだ。わたしのお母さんと同じくらい若々しい。

「努力してんのよ、女としても、ミュージシャンとしても!」

「なるほどなぁ。女の人は大変だ」

 こと『人に見られる』ということになれば、やはり男性よりも女性の方が大変だ。意地悪く言ってしまえば見栄を張りたがるのが女だ、とも言えるかもしれないけれど、見栄は女性を若く、綺麗に見せるために必要なファクターだとわたしは思っている。

「史織と千織が羨ましいわー」

「ですよねぇ」

 香織さんの言葉に莉徒が同意したので私もうんうんと頷いた。

「あんたらまだ十代でしょうが」

「それにしたって、ですよ」

 わたしたちだって等しく年齢は重なって行くのだ。史織さんや涼子りょうこさんほどは高望みだとしても、彼女たちと同じような年齢になった時に、同じくらいの若々しさは正直欲しい。

「諒嫁は何食ったらああなったの?」

「知らねっすよ」

 夕香ゆうかさんは顔立ちが大人っぽいから涼子さんほど若くは見られないにしても、誰もが羨む若さと美貌を持っている。

「ケチんぼ!」

「そういう問題じゃ……」

 きっと諒さんも知らないだろうし、夕香さんは何か特別な努力をしているようには見えない。食事くらいは気を使っているだろうけれど、それだって特別に何か美容食品を食べている、だとか、そういったことはなさそうだ。イメージでしかないけれど。

「まぁともかく、あんま心配してなかったけど、演奏レベルはばっちりね。んじゃ本番楽しみにしてるわ」

 ふと時計を見て、急に香織さんは話をまとめだした。時間がないのかな。

「あれ、うちでメシでも食ってきなよ香織さん」

「ごめん、また今度。西井にしい砂原さはらと打合せなのよ」

「おー、そっか。それもあんだ。んじゃまた今度」

 西井と砂原、どこかで聞いたような……。

「うん、約束。じゃね!」

 わたしがぼけっと考えていると、香織さんは防音ドアを開けて、颯爽と外に出て行ってしまった。

「はわー、カッコイイ!」

「ああいうのもいいわねぇ」

 わたしと莉徒がほぼ同時に声を上げたけれど、まず無理だろうな……。莉徒は背丈があればもしかしたら夕香さんや香織さんのようになれるかもしれないけれど、私は顔が童顔すぎる。

「んだば、今日は解散か?」

「だね。貴さんち行くけどね」

「良く金あんな、お前ら」

 貴さんが苦笑して言う。でもわたしたちはことの他ご馳走してもらったりもしているし、きっと貴さんが思っているほど通い詰めている訳ではない。

「週一回行くか行かないかだしねぇ。そんなに利益もたらしてる訳じゃないから大丈夫」

「厭らしい言い方……」

 む、と一瞬貴さんが唸った。

「やー、常連っぽい割に貢献してないかなーって」

 そ、それはあるかも。貴さんにも、涼子さんにもこんなにも良くしてもらっているのに、なんだかあまりお店にお金を落としていない気もする。

「涼子さんに笑顔を見せるだけで充分です」

 それは涼子さん的にはそうだけれど、水沢家的にはそれだけでは駄目でしょう。

「笑顔じゃおマンマは食えないのよ、貴さん」

「女ってのはリアリストだねぇ……」

 その涼子さんだって女なんですけれども……。

「ロマンでお腹が膨れるなら苦労しないわよ」

 い、いや、あまりにリアリストな女も可愛げがないなぁ。わ、わたしは気を付けよう。


 二〇〇七年六月二一日 木曜日

 七本槍市内 髪奈かみな


「よーっし!行くか!」

 久しぶりに今夜は中央公園でストリートライブだ。一人でやっているから気が向いたときにしか行かないので、わたしな匙加減なのだけれど。

 それに今日は英介えいすけにも莉徒にも言っていないので、いわゆるもいない状態だ。

 わたしは元々人見知りだったのだけれど、この街に来てからはそれも随分と改善されてきた。英介や莉徒、涼子さん達のおかげでもある。でも私はもともと特殊な人見知りで、大勢の見ず知らずの人の前で、オリジナルソングを歌うことには何の抵抗もない。

 ホームで歌う感じも悪くないけれど、アウェー感のど真ん中で歌うことにも何の抵抗もない。我ながらおかしな性格だとは思うけれど。

 実は今日は小さな目的があった。木曜日の夜は三澄みすみさんが演奏をしている。この間Ro.Bi.Goロービーゴーに行った時に莉徒も確認していたけれど、今日は小材さんに確認を取ってもらっている。わたしは三澄さんと仲良くなりたくて、今日を選んだのだ。

「木曜ピアノの女、かぁ。なんかカッコイイな」

 わたしも何かそういうニックネーッムが欲しいかも。何かの推理ドラマのように『ヒンニューのカミナさん』なんて呼ばれるのは御免被りたいけれど。そんなくだらないことを思った直後、スカートのポケットの中で携帯電話が震えた。ポケットの中から携帯電話を取り出すと、ぱくっと開いてディスプレイを確認する。

「あ、小材こざいさん」

 メールだった。もういるから早くおいで、とだけ書いてある。時間は二〇時を過ぎたころだ。急がなくちゃ。

 

 同日

 七本槍中央公園


 中央公園の中央広場につくと、ピアノの音が聞こえてきた。もう三澄さんの演奏が始まってるんだ。わたしは急いで人だかりのある方へを歩を進めた。

「お、来たね髪奈」

「こんばんは、小材さん」

 わたしが来たことに気付いて、小材さんは声をかけてきてくれた。

「どしたの、右手……」

 訊かないで……。わたしの包帯が巻かれた右手中指を見て小材さんは言った。

「軽くつき指」

「大丈夫なの?」

 やっぱり同じ楽器を演奏するものとしては心配なのかな。少し嬉しい。あんな間抜けな理由でさえなかったら!

「うん。今日も練習してきたし、大事。あれ三澄さん?」

 ほんの少しだけ離れたところで、ピアノの音が美しい伴奏を奏でていた。わたしと同じような背丈の、黒髪の女の子。

「うん。今グラディウス」

 その黒髪の女の子、三澄さんが使っているのはトライトンのEXTREMEエクストリームだ。真空管がついていてその周りが綺麗な青い光を発している。綺麗な楽器なのに、美朝ちゃんが楽器を物色したときには、夕香さんが恐ろしいほどに取り乱して反対した楽器だ。いまだにあの理由は良く判らない。

「グラディウス?」

 小材さんが発した言葉にそう返す。わたしが知っているのは短剣の種類のグラディウスだから、きっと今小材さんが言ったグラディスとは関係ないのかもしれない。

「あ、知らない?ゲームのタイトル」

「ごめん、ちょっと……」

 そうだ、言われてみれば三澄さんは古いゲームの音楽をピアノアレンジして披露しているんだと莉徒が言っていた。

「ま、でも聞いてあげて」

「うん。……これってファミコンか何か?」

 それにしてはすごく綺麗な曲だ。これがゲームの音楽だったなんて思えないくらい。

「ファミコンでもあったけど、一九八五年にゲームセンターで出たやつ」

「へぇ、そんなに古いゲームなんだ」

 まだ私たちが生まれる前のゲームだ。

「面白いでしょ」

「だね。こんな綺麗な曲なんだ」

 わたしはファミリーコンピュータでは遊んだ記憶がない。物心ついた頃には、家にはスーパーファミコンがあった気がする。スーパーファミコンでは良く遊んだ記憶があるけれど、スーパーファミコンだと、音楽も少し生演奏に近いものがあったように思う。

「まぁ基本のメロディはそうだね。もとは昔のゲームゲームした音楽だけど、一奈かずなの手にかかればこの通り」

「凄い。生粋にピアノの人って、なんだかアレンジ苦手っていうイメージがあったけど」

 主に英里えりちゃんのイメージなんだけれど、英里ちゃんは幼いころからずっとピアノを習っていたけれど、楽曲を自分なりにアレンジしたり、作曲したり、などということが苦手なピアニストだった。何か楽器を習うというのは、ある程度の段階までは、とことん、既存曲の模倣をする。技術はもちろん上達するけれど、その楽器に対しての独創的な感性などは育たない、とまでは言わないけれど、なかなか育ちにくいものなのではないだろうか。英里ちゃんがアレンジや作曲は一切できない、と聞いたときには妙に納得した物だった。

「一奈は自分で作曲したりもするしね。今日も一、二曲くらいは入れてくるはず」

 でも正直、古いゲームの音楽を知らないわたしは、すべての曲がオリジナルだと言われても判らないくらいだ。

「そうなんだ。楽しみ」

 それでもそう言えてしまうくらい、三澄さんの演奏は素晴らしかった。

「お、これ好きなんだわたし」

 グラディウスの曲が静かに終わって、次はまるでフィフティーズのロカビリー、チャック・ベリーの曲みたいな始まり方でピアノが跳ねる。楽しげな音だ。やっぱりピアノって感情を素敵に表せる楽器だなぁ。そのリフが終わった途端に、クラシックアレンジの曲に続く。

「あ、これは知ってる」

「お」

 くり、とわたしに視線を向ける。

「ピアノ協奏曲第一番変ロ短調第一楽章」

「シティコネクション」

「え?」

「は?」

 恐らく小材さんはゲームのタイトルを言ったのだろうけれど、私は昔のゲームは殆ど判らない。だから、最も考えられそうなことを話してみた。

「あーでも、この曲って多分今までにも、もの凄く色んな人がアレンジしてきてると思うから、ゲームにも使われてたんだよ」

「え、何それ」

「多分だけどね。元々はチャイコフスキーの曲。良くクラシックがアレンジされてゲームに、なんてことあるじゃない」

 ゲームセンターには結構前からギターの形をしたコントローラーを使って、ゲーム画面の下から上がってくるバーに合わせてピッキングをする、ギター演奏を遊びで仮体験できるゲームがある。そういうゲームでクラシックをロックアレンジしたような曲も多くあった。

「え?あんな五〇年代ロカビリーみたいなオープニングリフで?」

 わたしと同じことを思ったのか、小材さんが目を丸くする。

「でもイントロもチャイコフスキーのを聞くと、だからこのフィフティーズアレンジなんだ、って判ると思う」

「ほほう」

「きっとゲームデザイナーがアレンジしたんだよ」

 それにしても良いアレンジセンスだ。それを更に、ピアノで軽快に楽しそうに弾いている三澄さんを見ると、やっぱりもっと仲良くなりたいと思う。

「なるほどなぁ。一奈はどう思ったんだろうなぁ」

 きっと幼い頃からピアノをやってきたのならば、本家本元のチャイコフスキーも弾いてきたはずだ。そのチャイコフスキーを、今度はゲームミュージックのアレンジとして弾くのは確かにどんな気分なのか、三澄さんに聞いてみたい。

「わたしだったら面白いって思う。だってチャイコフスキーの場合、何かもう豪華客船でゆっくりと大きな河川を優雅に下ってますっていうイメージだもん。こんなロックンロールっぽい、ジルバでも踊れそうな楽しい感じじゃないよ」

 元々は静かな、おとなしい曲を好んで聞いていたけれど、最近は本当にロックンロールやもっと激しいハードロックやLAメタルの魅力も判ってきた。音を楽しむ、音を楽しんで、もっと楽しむと音楽を楽しむことになる。そういう言葉はこういったロカビリーやロックンロールにこそあるんじゃないか、とも思えるほどに。

「なぁるほど。でもだとすると、これは一奈アレンジじゃないってことか」

「元のゲームもこんな感じ?」

 だとしたら、ゲームの音楽をピアノの独奏にするためのアレンジは三澄さんがしているのだろうけれど、ゲーム音楽から三澄さんがオリジナルでアレンジをしている、という部分は少ないのかもしれない。

「そうだね。ピアノ独奏の音じゃないけどね」

「だよね。でもいいな、凄く楽しそう」

 ゲーム音楽は判らないけれど、流れている曲は良い曲だって普通に思える。

「あれでもうちょい人見知りがなくなればいんだけどね」

 演奏している三澄さんはRo.Bi.Goで会った時とは全然印象が違っていた。にこやかに、本当に楽しそうにピアノを演奏している。小材さんが言うように、確かにあの時の三澄さんは、人見知り全開だった気がする。でも、と思う。

「なかなか難しいよね。わたしもそうだったし」

 莉徒と最初に出会った日のことなんて、恥ずかしくて思い出したくもないくらいだ。

「あ、やっぱりそうだったんだ。転入生が来たぞって時さ、私も髪奈の事見に行ったけど、そんな気してたし」

 この街に引っ越してきて、わたしは初めて転入生を経験したけれども、本当に見物人がいたり、クラスメートに囲まれたり、という体験をした。あの頃はまだ、本当に人見知りだったし、友達も一人もいなかったので仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。

「でも最近は随分ましになってきたけどね」

「莉徒のおかげ?」

「うんま、英介とかはっちゃんも」

 とにかく、莉徒と知り合ってから、いや、莉徒と仲良くなってからのわたしは、あれやこれやと忙しく、騒がしく動いていたような気がする。英介と知り合って、一緒にアルバイトをしたり、即席バンドでいきなりライブに出たり、Ishtarイシュターを結成したり。

「なるほど。でもこういうとこで弾き語りすんのは平気な訳?」

「う、うん。自分でもそこは変だなぁ、って思うけどね」

 やっぱり小材さんもそこはおかしく思うか。自分でも変だなぁ、って思うくらいだからなぁ。

「ま、でもそれはあいつもそうだからね」

「三澄さん?」

 ぴん、と小材さんが指さした先を見る。

「そ」

「じゃあきっと三澄さんも変われるよ」

 三澄さんが変わりたい、と望んでいれば、の話だけれど。

「本人が望んでればね」

「それもそうだね」

 わたしが思ったことをそのまま小材さんは言って笑顔になった。シティコネクションというゲームの音楽が終わると、次もまた軽快なリズム打ちのようなメロディが流れ出した。

「お、バーガータイム!」

 小材さんが言うと、十人ほど足を止めていた人たちからおぉ、と声が上がった。有名なゲームなのかな。


「あ、か、髪奈さん、あ、ありがとわざわざ来てくれて」

 バーガータイムというゲームの音楽の後も、なんだかブルース調の低音リズムと、軽快な高音メロディの音楽や、左手がずっとオクターブの早いテンポの曲などを軽々とこなした。演奏を終えて、電子ピアノから離れると、すぐに三澄さんはわたしにそう言ってくれた。も、もしかしてわたしより背が低……。

「や、今日はかかとの高い靴を履いてきたんだったわ」

「え?」

 いけない。思わず口に出してしまっていた。

「あ、な、なんでもない!わたしも今日はちょっと参加させてもらうつもりで来たんだけど、三澄さんの演奏聞けて良かった。すごい楽しかった」

 この公園で演奏するときは、楽器店EDITIONエディションの協賛のもとに私たちは演奏しているので、誰かが取り仕切っているということはない。わたしは金曜か土曜にここに来て演奏させてもらうことが多いけれど、木曜日に来たところで誰かの許可をもらわなければならないという訳でもない。それにやはり、週末の夜と比べれば、平日の夜は演奏者が少ない。今日は見たところ、三澄さんしかいないような感じもするけれど、まだ判らない。小さな楽器で、例えばヴァイオリンなどを演奏する人はただ立っているだけでは演奏者かどうかは判らないだろうし。

「あ、あ、ありがと、あの、えっと、か、髪奈さんの演奏も、た、楽しみにしてるね!」

「うん」

 吃音混じりなのは、きっと元々の性格での話し方のような気がする。元来これほど吃音がきついという訳ではないだろうことも何となく判る。

「私も髪奈の演奏楽しみだわ」

 そうか、小材さんはIshtarのライブには来てくれたことはあったけれど、わたしが単独でやっている演奏は見たことがなかったっけ。

「多分イメージと違うと思うよ」

 Ishtarの時は莉徒や公子こうこさんも歌っていたし、何よりバンドだった。

「でもオリジのディーヴァでしょ」

「う、あ、し、知ってるんだ……」

 そ、そうか、ここのところすっかり忘れていたけど、わたしは実は知る人ぞ知る有名人的なことになっているんだった。

「当たり前じゃん。Goddesses Wingガッデセスウィングもイイけどさ、私はあんたのオリジのが好きだよ」

「お、おぉー、ありがと……」

 さすがにこうして正面切っていわれると恥ずかしい。Goddesses WingよりもIshtar Featherイシュターフェザーを好きでいてくれているというのは本当に嬉しいことだ。できることならもう一度録音しなおしたいけれど、結局それも誰かそっくりさんが歌ったということにされそうだ。それに当時の歌い方と声は、いまのわたしには出せないものだ。それが今の声質や歌い方よりも稚拙だったとしても。だから、今録音しなおして、最初のIshtar Featherよりも良い作品になるとは限らない。

「あ、あれ、今日他にはいないの?」

 いけない、それよりも演奏するなら周りをちゃんと見なくちゃ。

「演奏する人?」

「う、うん」

「そうみたいね。髪奈やっちゃいなよ」

 木曜日の夜は初めて来たので、いまひとつ勝手が判らない。今日はわたしが来なかったら三澄さんのみの演奏だったのだろうか。時間はそれほど早い時間でもないので、これから参加するという人やバンドもいないように思える。

「え、あ、うん。すみません、先やらせていただいて良いですか?」

「……」

 特に誰かが名乗り出ることもなく。

「……いいみたいね」

「んじゃ、遠慮なく」

 私は演奏の準備をする。アンプはキーボード用のモニターの隣にJCがあったのでそれを使わせてもらうことにする。今日は久しぶりのEpiphoneエピフォン CASINOカジノ、つまり、セミアコースティックだ。ケースから愛用のマルチエフェクターを取り出して、接続。マルチエフェクターにもチューナーはついているけれど、チューナーはクローマチックチューナを繋いでいるので、電源が二つ必要なのが厄介なところ。マルチエフェクターとコンパクトエフェクターではアダプターの差込口の大きさが違うのだ。それでもできるだけ早く準備を終える。エフェクターのプリセットを確認してアンプのスイッチを入れる。

 しゃらん、とAをかき鳴らす。うん、今日もおりこうさんな音だ。三澄さんがスタンドごとキーボードをどけてくれたので、わたしは三澄さんが殆ど使わなかったスタンドマイクをそのまま使わせてもらう。

「ども、夕衣と言います。見ての通り歌とギターです。最後まで宜しくお願いします」

 ぺこり、と頭を下げると、小材さんがまず拍手をしてくれた。継いで三澄さん、三澄さんの演奏から足を止めてくれていた人たちにもその拍手は伝播した。

Aiysytアイイシット

 拍手が終わると短く言って、演奏を始めた。


――Did you think that I was gonna give it up to you, this time?


探し求めてみても 喜びや痛みは


与えるものではなく 感じるものでしょう


だからここにいる わたしはここにいる


感じて欲しいから 全てをあなた自身で


Did you think that I was gonna give it up to you, this time?


Did you think that I was gonna give it up to you, this time?


逃げ出さないで 踏みとどまって


今何を感じているの 答えを出してみて


彷徨い歩いてみても 笑顔や涙は


他人の物ではなく 自分のものでしょう


だから歌い続ける 私は歌い続ける


信じて欲しいから 全てのあなたの気持ちを


Did you think that it was somethin I was gonna do and cry?


Did you think that it was somethin I was gonna do and cry?


 曲の最後のアルペジオをゆっくりと、丁寧に鳴らすと、わたしは深く息を吐いた。一度会釈をし、顔を上げると気持ちを切り替えるために少しMCをする。

「Aiysytという曲でした。ありがとうございます。えぇと、わたしはここで演奏させてもらう時は、大体金曜か土曜に来ることが多いんですけど、今日は、先ほどのピアニストさんの演奏を聴きにきました。皆さん聞きました?凄く楽しかったですよね。彼女は木曜日にここでやっていることが多いんで、また来てくださいね。わたしもまた来たいと思います。えー、わたしの演奏はちょっと楽しく聴くというよりは、しっとりと聞くような曲が多いので、少しの間だけゆったりしっとりしていって下さい。それじゃ次の曲行きます。……Nereidesネレイデス Blueブルー

 MCをしている間、明らかに小材さんと三澄さんは「おぉー」と言っていた。だって口の形が明らかにそうだったもの。

 わたしだってずっと一人でストリートでやってきたんだから、このくらいはお手の物です。お茶の子さいさい?朝飯前?

 いや、ウソです。見栄を張りました。

 MCは昔からあまり得意ではないけれど、ここ一年で少し鍛えられた。

 今日は中々上手に喋ることができたのでは、と思うけれど、あと一度くらいは喋らないといけないかな。

 いつも何も考えてこないので、ネタが思い浮かばない時は困る。

 そうだ、そろそろちゃんとブログも始めたい。そのことでも話そう。

 わたしは意識を切り替えて、二曲目の演奏に入った。


 27:バーガー 終り

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