26:くずもち
二〇〇七年六月十六日 土曜日
楽器店兼リハーサルスタジオ
「やぁー、もう練習しねぇでいんじゃん?」
一曲目から最後の曲まで、全六曲を通し終えて、
「だめよ。慣れとかないとだめでしょ」
「知ってるか?ミスってのは慣れ始めると出るんだぜ」
「う、ま、まぁ、それは確かにあるかもだけど」
特にアルバイトとかでそれは良くあることだ。仕事に慣れ始めたころにミスをするのは本当に良くある。でも、だからと言って練習をしないというのは何かがずれている気がする。
「それを減らすためにも、とことん弾き倒した方がいいんです!」
ぐ、と
「ま、そうだなぁ」
うんうん、と夕衣に同意しながら諒さんが頷く。
「で、で、でもすごいです!」
「まぁそらプロだもの。凄くて当たり前よ」
「すごくねーよなー、別に」
私がそう言うと、諒さんが返してきた。この人の場合は本当に謙遜でも何でもないから、返って嫌味に聞こえてしまう場合もありそうだけれど、人間がもう嫌味とは無縁の人間だから、そうは聞こえない。人徳というやつだろうか。
「でもそれなりの練習はしましたよ」
それに、彼らがここまで来たことを、一生懸命やっていないだとか、練習していないだとか言わないところも好感が持てる。一生懸命練習したからここまで来れたんだよ、と言われた方が、私たち学生バンドとしても気持ちが良い。
「それはそうだが、だからって偉くもなんともねぇだろ」
「仰る通り」
更に言うなら特別扱いをされるのも嫌いな二人だ。私たちと同じ目線でご飯も食べるし、ライブも楽しみたい人たちだ。今いる自分の位置がどこでも関係ないのだろう。
「決して驕らず弛まず怠らず、ってな。てめえがうめぇなんつー慢心は身を滅ぼすだけだぜ」
きっと私たちが技術の高い低いではなく、気持ちで同じ位置に立っているからそう言ってくれている。本当に、本気の技術で私たちとバンドなんてしたら私たちのギターも歌も、ドラムとベースに食われてしまう。それをしないのはそれがバンドとして既に破綻した音楽になってしまうということを判っているからだ。プレイヤーとして本気を出すのか、バンドとして本気を出すのか、諒さんや貴さんならば、どちらに重きを置くべきなのかは当然判っている。
「んだ。紗枝、ちと叩いてみっか?」
ほれ、とドラムスティックを紗枝に差し出して諒さんが笑った。
「む、無理です!だめです!」
胸の前でばってん印を作って、紗枝は激しく抵抗した。ま、まぁ気持ちは判らないでもないけど。
「今はいいけどさ、そういうことはあんま自分のバンドで言っちゃだめですよ、紗枝さん」
優しい声で貴さんは言う。きっと紗枝の大体の人となりはもう二人とも掌握しているのかもしれない。そして貴さんの言うことは激しく頷ける。
「そうね。モチベーション下がる原因の一つよ」
できないやれないという言葉は冗談でもできるだけ言わない方が良い。最初からできない、やれないというのと、やってみて出来なかったのは、結果としては同じことなのかもしれないけれど、内容としてはまるで違う。
結局できなかったから同じこと、などというのは頭の固い連中か、仕事のことしか頭にない連中だ。確かに仕事ならば、ハナからやってなかろうが、やってみたけど出来なかろうが、評価される結果は一緒だ。
けれど、バンドは違う。やってみて出来なかったことは、経験として自分に蓄積されてゆく。いつかそのフレーズが、曲が、できるようになるかもしれない礎になる。やる前から諦めてはその礎すら作られない。そして、初めからやれない、できないという発言は、可能性として責任回避にもなってしまう場合がある。やってみてできなければ殆どの人間は自分の力不足を痛感する。そうではない人も勿論いるけれど、ハナからやらない人間は、それは自分の実力以上のことだから、と自分の限界を自分で定めてしまうことになりかねない。それを、皆が、心のどこかできちんと判っているからこそ、そう言った発言はモチベーションを下げる要因になってしまう。
「あ、は、はい……」
しゅん、として紗枝は下を向いた。あまり良くない意味で慣れてはいけない。これはほんの僅かなものでしかないけれど、紗枝の甘えだ。本来ならばまだまだ許される範囲の甘えではあると思うけれど。
紗枝は私たちが紗枝をどう思っているかを、もう知っている。そこを逆について、わたしこの性格なんだから判るでしょ?判って、という甘え。
ほんの少しのことだけれど、まだ
「貴さん……は無理だから、諒さん」
「あ?」
どちらかと言えば、諒さん向きなので、一応言ってみることにした。
「紗枝のこと泣かしてブチギレるまで罵詈雑言で罵倒っつー言葉攻め、できる?」
「……そういった趣味はねぇ」
「まぁそうよねぇ」
良く知っている相手ならば、あるいは可能なのかもしれないけれど。今の状態では私だってできない。
「何なん?」
「この子、めっちゃリラックスしてる時か、ブチ切れないと実力発揮できないの」
苦笑しつつ私はできるだけ穏やかな口調で言った。
先述した通り、甘えさせることはある意味では良くないことだけれど、紗枝を個人的に責めるのはもっと良くない。紗枝が一緒にやっていく気概をなくしてしまうような行動は、私たちの方が気を付けなければけないことだ。
「なんだそりゃ」
「す、すみません……」
下を向いたまま紗枝は力なく言う。きっと私が言ったことを自分なりに理解しているのだと思いたい。
「今は状況説明しただけで、紗枝ちゃんのこと責めてないよ」
「は、はい」
そこはさすがの夕衣が的確なフォローを入れてくれる。
「ちょっとメンタルが弱いってことだろ。誰にでもあるじゃないですか、そんなこと」
そう。貴さんの言う通り、そんなことなど誰にでもあることなのだ。だから紗枝には必要以上には気にしてほしくない。
「昔はお前もそうだったしな」
「う、うるさいな」
少し顔を背けながら貴さんは言ったけれど、それだって当然なんだ。
「貴さんも緊張しーだったんですか?」
「高校ん時とか、社会人バンドん時ね。最初の頃はホンットに慣れなかったなぁ」
ほら。今これだけ凄い演奏をする人だって、そんな時代があったんだから。少し度が過ぎているとはいえ、紗枝のこれだって、当たり前と言えば当たり前の部類に入っていたっておかしくない。ライブで実力の半分も出せなかった、なんてことは私だってざらにあった。
「へぇ」
「そん時のビデオ、今見てもガッチガチで笑っちゃうぜ」
うけけ、と意地悪く笑って諒さんがかんかん、とスネアのリムを叩いた。
「お前さんみたいにガサツじゃないんですよ、ワタクシは」
いー、と顔をしかめてから、すぐ笑顔になった。こういった和やかな雰囲気を出してくれると私としてもとても助かる。
「そうですよ。諒さんとは違います!」
やっぱり貴さん好感度が上がっている夕衣が貴さんをフォローする。貴さん好感度というと語弊があるか。女として尊敬、そして目標とする涼子さんを支えてくれた人、というベクトルの方が強いような気がする。
「えっ付き合う?」
ぱぁ、と顔を輝かせた貴さんが本当に嬉しそうに言った。
「死ぬ?」
「
夕衣のあまりと言えばあまりの突込みに、貴さんは私に救いの視線を投げる。
「や、貴さんが悪いでしょ……」
「なんで……」
悪いかどうかまではジャッジメントしにくいけれど、い、いや悪いか。
「で、でも、どうやって克服したんですか?」
確かにそれは、何か克服方法があるのならば気になるところだし、聞いてみたいけれど。
……多分ない。
「克服、っつーか、まぁ紗枝さんには酷かもしれないけどさ、慣れだよ慣れ」
「まぁそれしかねぇわなぁ」
「ですよねぇ」
みんなが口を揃えて同じことを言う。確かに紗枝には酷かもしれないけれど、そんなもの考えようだ。
紗枝の本来の技術は高い。それは紗枝がずっと真面目に練習をしてきたからだ。しっかりと時間をかけて、練習をしてきてあの技術が身についたのだから、緊張だって長い年月をかけなければ解れない。近道があるのならば、みんなそうしているだろう。そんな近道などありはしないからこそ、私だって貴さんだって、ライブで実力の半分も発揮できなくて悔しい思いをして、何度も何度もその度に決意を持ってステージに臨んだんだ。だから、時間をかけなければならない部分には、やはり時間をかけなければならない。
「それもあるけど、バンドメンバー側の度量の問題もあるよな」
「そこは判ってるつもり」
「なるほど」
そうでなければ、わざわざこの場に紗枝を呼んだりはしないし、仲良くなろうとも思わない。私が嫌われようが何だろうが、紗枝をブチ切れさせれば良いだけの話なんだから。でもそれが楽しいバンドになるかと言えば答えはノーだし、そんな状況でやるバンドが長続きする訳もない。だから私は絶対にそれをしない。
「どういうこと?」
「ですか?」
判っていない夕衣と紗枝が同時に首をかしげた。
「紗枝が、って言うと責任ひっかぶせるみたいでヤだけどさ、まぁ紗枝が慣れるまでは、思ったような演奏はできないかもだけど、私らが紗枝を選んだんだから、最後まできっちり付き合うってこと」
ね、と紗枝に視線を投げる。私はブチ切れ紗枝のドラムではなく、自然な紗枝のドラムで演奏をしたい。
じゃなければ、誰も楽しくない。楽しくないバンドは続かない。穂美にリベンジだってできない。
リベンジ云々だけの話で言えば、私は
「え、そんなの当たり前でしょ」
夕衣もそこは判っているようだ。きっと私たちが気遣いをしすぎて、心労を溜めることもあるだろうけれど。そんなもの、大なり小なりどんなにうまく回せるバンドでだって絶対に発生することだ。
きっと諒さんや貴さんだって、どれだけ昔馴染みで、長くやっているバンドだって、ストレスフリーでなんて-P.S.Y-をできていないと思う。
「うん、当たり前。だから紗枝が気を遣う必要はないって訳よ」
「は、はい……」
どんな気持ちで聞いているのかは判らないけれど、心の片隅に留めておいてくれると嬉しい。私らがストレスを溜める以上に、きっと紗枝の方がストレスを感じることの方が多いだろうから。
「イイもんは持ってんだから、それを私らが引き出せばイイだけの話」
「うん、そうだね」
紗枝に言い聞かせるように、夕衣も笑顔でそう言った。やっぱり夕衣はこういう場においても大切な存在だ。多分私だけでは、紗枝とうまくやって行くことは難しいだろうと思うことでも、夕衣がいればそこをフォローしてくれる。夕衣だけではない。
「イイバンドになりそうじゃん」
「当然でしょ!」
それをきっと判って、諒さんが満足そうに笑った。
休憩をするのにロビーに出た。今日の私は誰にも煙草を見つかっていないので、まだ持っている。
「そういやこないだ
胸ポケットから煙草を取り出して、諒さんが火を点けた。
「サイッコーだったよぉ。悔しかったけど」
私もそれに続いて煙草を取り出すと、火を点けた。夕衣の視線が痛い……。紗枝の視線は痛くない。きっと彩霞先輩のおかげだ。夕衣もそれくらいサービス精神があると良いのだけれども、夕衣が私を睨むのは、喫煙によって今の私の声が失われるのを良しとしないからだ。なので、おおっぴらに無視する訳にもいかない。そしてその心配が故に、夕衣には二十歳になっても喫煙は許されないような気がする。
「負けず嫌いめ」
「へへ」
でも正直、本当に
それはつまり、平たく言ってしまえば『気合』の一言に尽きる。まるで男の子のようだけれど、そこは一番判り易い言葉を選べばやはり気合、に尽きる。
私は音楽をやる気持ちの上ではどんな世界的なミュージシャンにだって負けない気持ちだけは持とうと思っている。それがあるからこそ、穂美に負けてたまるか、と言う気持ちも生まれてくる。そしてそれは当たり前にモチベーションに繋がるのだ。
「でも勧誘もしといたよ。
「ほう。そいつぁ殊勝な心がけだ」
客の入りで私たちのギャラが変わる訳ではないと思うけれど、やっぱり見てくれる人は多ければ多いほど嬉しいものだ。それに諒さんと貴さんのリズム隊で私たちがフロントを勤める、というのをみんなに見せ付けてやりたい気持ちだって勿論ある。
「まぁ穂美の親が来るかは判んないけど」
「店は空けられないだろうからな」
「だね」
聞けば諒さんたちは、穂美よりも穂美の両親との方が交流は深いようだ。それでもお店を閉めてまで、という訳には行かないだろう。
「その時にリベンジするんだよね」
「おーともよ。まぁリズム隊、チートだけどさ……」
そう。正確にはリベンジの足がかりだ。流石に私だって諒さん貴さんのリズム隊で演奏して、穂美に勝ち誇った顔なんてできない。私が二人に-P.S.Y-を辞めて私とバンドをしろ、と屈服させてのバンドならばまだしも。
「チート!」
貴さんが頓狂な声を上げた。いや、インチキて言っている訳ではなく……。
「ばっかやろおめー、こちちとら女房よりも長く楽器と付き合ってんだぜ、チートはねぇだろーがよー」
や、諒さんが言ったことは重々判っているのだ。言い方を間違えた。
「ちがくて、諒さんたちの努力はもちろん判ってるけどさ、でも私らからしたらチートみたいなもんだって」
私たちバンドを始めて数年の学生バンドのレベルからしてみれば。社会人バンドから見てもそれは同じだと思う。私たちが勉強をしている間も、社会人の人たちが働いている間も楽器を弾いている人たちだ。練習時間やモチベーションがそもそものところで違う。
「ま、それはそうかもなぁ」
すぐに理解してくれたのか、貴さんも煙草に火を点けながらそう言った。
「でね、話変わるけど、sty-xのイベント終わったら、ちょっと自主イベント考えてみようかな、って思ってるんだ」
二人の協力を得たいから、早めにこの話はしておく。出演だけではなく、厭らしい話、協賛の部分でも。
「ほほう」
「中央公園か、Ro.Bi.Goで、知り合い皆集めてフェス的なのも面白いかなぁ、って」
おぉ、って返ってくると思ったけれど、諒さんと貴さんがうーんと唸った。あれ、良くなかったかな。
「それはおまえ、おれたちも当然、仲間に入れてくれるんだろうな」
……そこか。
腕組みをして貴さんが眉間にしわを寄せる。ま、まぁこれも正直に言っておこう。
「まだ判んない」
「でたよ!また仲間外れ!」
貴さんが立ち上がって言った。そしてそのまま自動販売機まで歩いて行ってしまう。な、何。
「や、ち、ちがくて」
「またかよ!いっつもこうだよ!なんだ、プロは学生バンドとか社会人バンドと一緒にやっちゃいけねぇのか!」
諒さんがぶふー、と私に煙草の煙を吹きかけてくる。よせ、中学生か。い、いや、世の中学生は煙草は吸わない。
「だぁから!」
聞きなさい、話を。
「おまえらだけ楽しそうにしてんの手伝うだけ手伝って指くわえて見てろってかー?」
ブラックコーヒーを買って、貴さんが戻ってくるなり叫ぶ。う、うるさい。
「オレらだって楽しいことしてーぞー!」
「お前らばっかりずりぃぞ!」
「そうだ!ずりぃ!」
一向に黙らない大人たち。判らないでもない。判らないでもないが、ほんの一部の情報で全てを解った気になられてはこちらも困る。開示するべく情報はまだある。それを聞かずして喚き散らす稚気の塊ども。
「なんだ!可愛い子ばっか集めやがって!おじさんは混ざっちゃだめか!」
「そうだ!若いのに混ぜらせろ!」
まぜらせろってどんな日本語だ。い、いや、そもそも誰もだめだなどとは一言も言っていない。そして音楽性がどうのよりも、若い衆に混ざりたいだけ、面白いことをしたいだけのこの餓鬼どもに、私の堪忍袋の緒はもうブチ切れんばかりだった。
「あ、ちょ……」
夕衣が私の顔を見て声を上げた。
「……」
「た、貴さん落ち着いて」
「これが落ち着いていられるかーぃ!」
夕衣がハグしたら止まるのではなかろうか、とどうでも良いことをほんの一瞬考えた。
考えただけだ。
だって次の
どなる。
「話を、聴けぇ!」
ばん、とテーブルを叩いて私は三五歳の餓鬼どもをしかりつけた。
「……」
「子ども……」
いきなり黙った二人に夕衣が苦笑しつつ言った。
「だめだとは一っ言も言ってない。まだ判らないだけ」
ふぅ、と一息ついて煙草を吸う。
「……すまん、もうちょいおっきい声で」
あれだけガンガン練習した後なので、みんな耳がキーンと鳴っている、突発性難聴、いわゆるロック難聴の状態だ。あまりに小さい声は聴き取れないのは判るけれど、そんなに小さい声だったかな。
「まだだめとは言ってない!」
またテーブルを叩きそうになって私は声を高くした。
ふぅ、危ない危ない。
「おぉー!やっ!」
「お、落ち着くんだ
空気を読んだのか、貴さんが諒さんを制止してくれた。
「おっと、そうだったな……」
「学習した」
苦笑のまま、夕衣はさらりと酷いことを言う。
「オイ
びしぃ、と夕衣を指差して諒さんが声を高くする。
「ぺちゃ……!」
あまりと言えばあまりの言葉、もはやザラキに等しい呪文に夕衣が閉口する。しかしその直後、諒さんのがら空きの前三枚に、貴さんのボディブロウが突き刺さった。
「おぅふっ!」
「でかした水沢」
奇妙な呻き声とともに諒さんの体がくの字に曲がった。結構痛そうだけれど、これは完全に諒さんが悪い。
「お褒めに預けなんともはや恐悦至極で存じます」
「なんか色々違う……」
うやうやしく礼をする貴さんにやっぱり呆れ顔の夕衣が言った。
「で?」
「唐突すぎますよ」
諒さんが立ち直って軌道修正をかけてきた。
「で?」
いや、判りました。私が悪かったです。確かに脱線している場合ではない。
「で、まぁ、正直学生バンドなんて、プロが出るっつーだけで引く場合もある訳でしょ」
プロではなくても、巧いバンドが対バンにいるだけで気後れする人間だっているのだ。それは自信がないからと言って、責められないことだ。私は組んだメンバーの中に一人でもそんなヤツがいると萎えるけれど、全員が全員、そんな前向きな考えではない。例えば美朝のような初心者は気後れして当たり前なのだから。
「まぁそうだろうな」
だから、それを判っている諒さんもうん、と頷いた。
「でもそれで参加バンドの数集まらなかったら意味ないから、まずはリサーチしたいのよ」
「……なるほど」
仲間内に、プロが出演するイベントでも良いか、という打診だ。トリでプロを呼んで大騒ぎ、とうだけならば、きっと大半のバンドは賛成してくれるはずだ。それにトリに呼ぶだけならばシークレットにしたって構わない。
「か、会場の金額も調べないとですよね」
「そうなのよね」
今まで黙っていた紗枝が勢い込んで言う。ちゃんと話を聞いてくれていたようでひとまず安心する。
「スポンサーになるから、シークレットでもいいから出さして」
「そんなに」
普段のプロとしての活動の何が不満なのか……。
ま、まぁいろいろと縛りがないところで演奏ができるっていうのは、確かに楽しいことなのだろうけれど。いや、この人たちの場合は本当に、ただ単純に、楽しそうなところに出たいだけという気がしてならない。
「だから、私は、個人的にはいつもほんっとにお世話になってるから出てほしいんだけど、私一人の意向では決められないでしょ」
「まぁ、それもそうだな」
主催者だからと言って、何もかもを勝手に決める訳にはいかない。ある程度の方向性は決めておかなければならないけれど、参加者が確保できるかできないかを左右するくらいの出来事ならば、それはやはりリサーチはするべきだ。
「そもそもまだ、対バンにすんのかどうかも決めてないんだろ?」
「うん。これから穂美と決めようと思ってる」
せっかくだから、穂美もがっつり巻き込んで、共同主催にしたいくらいだ。
「なるほどな。まぁ公園でやるにしろ、Ro.Bi.Goでやるにしろ、協賛はしてやっから、とりあえず逐一連絡はくれよ」
「うん、わかった」
ありがたい話だ。参加してくれる人みんなが、諒さんたちの演奏を掛け値なしに楽しんでくれる人ならもっと良いのだけれど。
「そいじゃもう一回しすっか?」
ひとまず話は終わったので、貴さんが席を立った。煙草を灰皿に放り込んでくき、と首を鳴らす。
「そうしましょう。わたし、
もう充分なほど弾けているけれど、本人の気持ちと周りの判断は別物だ。夕衣の気が済むまで練習はした方が良いだろう。もっとも練習の虫がどれほど練習をしたら納得するのかはあまり考えたくはないけれど。
「おっけー。じゃあとりあえず回さないでSprigganだけやっか」
「はーい」
私も諒さんも煙草を灰皿に入れで、席を立った。
「凄いですねぇ。莉徒さんも夕衣さんも凄いうまいです」
スタジオからの帰り道、紗枝が唐突に言った。
「リズムチートだからねー。そら巧く聞こえるよ」
「だね」
夕衣と苦笑しつつ言う。それがバンド力となるのだから、それはそれで良いのだけれど、正直今の私たちではあの二人の実力に、おんぶにだっこだ。
「だとしてもあの二人に選ばれるなんて凄すぎです!」
「じゃあそのわたしと莉徒に選ばれた紗枝ちゃんも凄すぎです!」
あはは、そうだそうだ。それに彩霞先輩の推薦だってあったんだから、やっぱり紗枝の実力は折り紙つきということなのだ。
「う、え、そ、それは……」
「凄いかどうかなんてたいした問題じゃないのよ。要はどんだけ楽しくバンドできるかって話じゃない」
「そうだよね」
ひょんなことから組んだイベントのバンドだって、Ishtarだって、夕衣と知り合ってからのバンドは嫌なバンドなど一つもなかった。紗枝には今の
「巧かろうが下手だろうが、楽しんだもん勝ちでしょ。少なくとも私はそう思ってる」
「そう、ですね」
多少演奏が荒かろうが、楽しいバンドはステージを見ていれば判る。どんなに巧い演奏でも、楽しそうにやっていないバンドなど魅力はない。だから私はまず楽しむことを目標にしたい。楽しい、という感情がバンド全体からにじみ出ているバンドほど魅力的なバンドはない。
「だからさ、まずは紗枝ちゃんと、楽しんで演奏できるように、っていう目標があるじゃない」
「言っとくけど、足引っ張ってんじゃないからね。判る?」
紗枝と一緒に楽しむために、真剣に楽しんで、笑って打ち上げができるようになりたいだけ。楽しむということを履き違えないように。
「あ、は、はい。あ、あの、い、今は、まだ少し、甘えさせてください」
「うん、おっけ。任せなさい」
とん、と紗枝の肩を叩いて私は言う。悪い意味でなければ慣れも甘えも良いと思う。紗枝のように自分をある程度律することができると判る人間ならば。
「ま、そんなのあっという間だよ。大丈夫大丈夫」
にっこりと夕衣が笑う。夕衣がいてくれて本当に助かったなぁ。男を見る目はいまいちだけれど、女を見る目はあるのよ、私は。
「だから、いっぱい遊びに行こう。あっちこっち」
「はい!そうですね!」
できうるならばこの敬語もどうにかしたいけれど、家族以外の人間に殆どこうなのであれば、それも中々難しいだろう。無理強いする方がストレスになるのならばそれはそのままにした方が良いし。
「さしあたって、こないだ行き損ねたチーズケーキのおいしいお店だね」
そうそう、それそれ。
「そうね。美朝はなんて言ってた?」
そう一応聞いておく。参考にはならないと思うけれども。
「あ、凄く喜んでましたよ」
「じゃあおいしかったんだね。いいなぁ、わたしも行きたい」
こいつもこいつだ。信用ならん。
「……だめね。あの女は大概の小さな喜びで満足してしまう女よ。参考にならないわ」
ぶっちゃけ夕衣もだけど。
「彼氏的にはかなりイイ子だと思うけどね」
まぁそれは確かに、高級品しか口に合わないなんて言うクソふざけた女と比べたら全然イイのは確かだろうけれども。だとするならば、だ。
「何、密かに自分自慢?」
夕衣も涼子さんに傾倒しているとはいえ、かなり雑食で何でもかんでもおいしいと言ってしまう人種だ。いや、私もそうなのだけれども、舌が肥えているかどうかということになると、多分、夕衣よりは私の方が、いくらか、若干は、肥えていると思う。
「違う!」
違うのなら良いけれども、そこは正直自慢しても良いくらいだ。私の話の持って行き方では反駁するしかないのだけれども。
「まぁともかく、美朝のおいしいはあんまりアテにならんから、私たちも連れてって、紗枝」
「かしこまりー、です」
正直どっちがおいしいなんて本当は些細な問題だ。お店で出しているチーズケーキならおいしいのは当たり前だし。美朝の味覚があてにならないなんて大層なことを言いはしたけれども、私の行動の主軸は紗枝とのコミュニケーションだ。
「莉徒さんたちは
「隣の
「
と言いつつ、まだ行けていないままなんだけれどもよ。
「トランクイル……姉妹で各々喫茶店やってるんですね」
「だね、凄いよね」
おまけにみふゆちゃんと同い年の娘さん、美夏ちゃんまでいるという、何だかもう双子だからいろんなことが一緒、っていうのが漫画レベルにまで引き上げられている気がする。
「はい」
「喫茶店以外だと、はっちゃんの妹がアルバイトしてるクレープ屋さんがおいしいよね」
「あぁ、あそこはおいしかったわね。クレープだけじゃなくてワッフルもおいしいし」
まぁ
「つ、連れて行ってください!」
「じゃあ今から行く?」
「良いんですか?」
「断ってどうすんのよ」
紗枝も良い感じにこなれてきたようだし、どんどん連れまわしてやった方がいいんだ。
「確かに。紗枝ちゃん面白い」
「い、いや、なんかお気に入りのお店とかって、人に教えたくない、とかあるじゃないですか」
「あぁ、ツーケーのナーアーの小っさいヤツのことね。くっだらない」
確かにいる。そういう了見の狭い奴が。子供の頃からそういうことは良くあった。特に子供の頃は仲間外れ、なんていうことが良くあったから、私はみんなが行く秘密のお店を教えてもらえなかったことがあった。そういう奴の気が知れなかったので、私は無理に教えてくれなどと言ったこともなかったし、そのお店を探すような真似もしなかった。そういう経験をしてきたからだろう。私は自分一人だけでおいしいものや気に入ったものを楽しんで、人様に隠すような趣味はない。
「莉徒がそういう人だったら、そもそもそのお店のこと紗枝ちゃんに教えてないよね」
良くお判りで。もしもそんなしみったれた人間だったら、初めて会った時だって、涼子さんのお店を指定したりなんてしなかっただろうし。
「あ、そ、それもそうですね。で、でも、わたし、お気に入りのお店を教えてくれない人がケチだとか、そういうことは言ってません!」
「おぉ、さすがのフォロー」
「え?」
夕衣が一瞬不思議顔をつくる。
「や、紗枝自身にはないけど、他の人には割と普通にあることなのかも、って思ってたんでしょ」
「はい」
「ん?」
まだ判らんか。
「だから、紗枝が私に対して、コイツもしかして、オキニのお店教えないしみったれか?っていう気持ちで、連れてってもらって良いんですか?って聞いた訳じゃない、って話」
紗枝だっていい加減わたしの人となりくらいはもう判っているだろうから。
「おぉ、なるほどぉ。まぁ莉徒はそういうの、ないよね」
そんなところでケチったら本当にケチな人間だ。私は自分が寛大な人間だとは思えないけれど、ケチな人間にだって絶対なりたくない。おいしいものはみんなで食べておいしいと言いたいし、楽しいものはみんなで楽しんで楽しいと言いたい。
「そうね。ケチるのは史織にギター貸すのと、タメに煙草くれって言われた時」
「それだってどっちもケチってる訳じゃないでしょ」
夕衣は苦笑して言う。まぁほんとに良く判ってらっしゃる。史織にギターを貸さないのは、本気で壊されたくないのと、せっかく買った史織自身のギターを大切に扱わせるためだ。タメに煙草をあげないのも、自分で喫煙しておきながらそれを棚上げするけれど、未成年の喫煙には反対だからだ。特に女子の場合は。
「はぁ」
良く判っていない風に紗枝は曖昧な返事を返す。
「まぁ、ね。そんなこたどうだっていいのよ!さぁ行くわよ!
「長い」
とは言うものの、
「お店の名前、なんて言うんですか?」
「しらん!」
二十谺なら判るかもしれないけれど、態々それだけでメールする気にもなれない。
「とらや?」
「違う」
それは話題に寅さんが出ただけであって、あんな洋菓子を出しているお店がとらやであってたまるものか。
「それはくずもち?」
「それも違う!」
和菓子の話題なんて今まで一つも出してない。にぶちんの女どもめ。いやこれはどちらかと言うと天然になるのか。
「まぁともかく行くぞ!」
ふんぞり返って腕を組むと私は言った。天然女に付き合っていたらいつまでたってもお店に着かない。
「それさつきちゃんみたい」
言われると思ったよ。私もやってからそう思ったし。
「さつきちゃん?」
「話せば長いからワッフルかクレープでも食べながら」
そもそもあの面倒くさい二人の話をするのならば私が中学生の頃からの話になる。それこそ美味しいお菓子でもつつきながら話すのが丁度良い話ではないか。
「はい!」
紗枝が嬉しそうに私と夕衣の後ろにつくので、私は夕衣との距離を開けてその間に紗枝を入れると、紗枝の腕にじゃれ付いた。
「ずるい!わたしも!」
勿論そのつもりで夕衣と私の間に紗枝を入れたのだ。スキンシップスキンシップ。
「ノン気だってば!」
「何も言ってないけど……」
26:くずもち 終り
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