25:フルーツロール

 二〇〇七年六月九日 土曜日

 喫茶店vultureヴォルチャー


「あらあらいらっしゃい夕衣ゆいちゃん」

 練習を終えて、わたしは一人でvultureに来た。りょうさんと莉徒りずEDITIONエディションsty-xステュクスのボーカルである、香織かおりさん、リーダーである千織ちおりさんと打ち合わせをしている。たかさんはわたしと一緒に来るのかと思ったけれど、またお仕事があるとかで新宿のスタジオへ行ってしまった。

 そういう訳でわたしは一人でここまで来たのだけれど、お店の中には少しだけ懐かしい顔があった。

「こんにちは、涼子りょうこさん」

 特に中に誰がいるとも確認せず、涼子さんだけに笑顔で挨拶をする。

「あー!ユイユイ!」

 ほんのちょっと間延びしたような、安心感のあるこの声。

「わたしをユイユイと呼ぶ輩は……。出たな!えりすー!」

「人を腐みたいに括らないで!」

 高校三年生の時に組んだIshtarイシュターというバンドで一緒に演奏をしていたドラマーのすーちゃんこと、水野みずのすみれちゃんとピアニストの槙野英里まきのえりちゃんだ。相変わらずのノリで嬉しくなってしまった。二人はわたしと知り合う前から、Ishtarを組む前から、一緒に活動をしている仲良しだ。なんでも将来の仕事のことまで考えていて、同じ医療系の方に進むのに、大学も同じ大学を受けたらしい。

「や、だって結局すーちゃんと英里ちゃんって今同じバンドしてるんでしょ?」

 言いながらわたしは二人がついているテーブル席に近付きつつ言う。ついこの間すーちゃんが始めていたバンドに結局絵里ちゃんも参加することになったらしい。わたしはすかさず涼子さんにブレンドコーヒーとシュークリームを注文すると英里ちゃんの隣に座った。ついこの間聞いた話だ。すーちゃんはそのバンドにとどまらず、全部で三つのバンドをやっているらしいことを莉徒に聞いた。

「そうだけど、それ言ったらユイユイだって莉徒としてるんでしょ?」

 ちなみにこの二人がわたしをユイユイと呼ぶのは、わたしの携帯電話のメールアドレスがyui-yuiだったからだ。いたずらメールとか迷惑メールを回避するために、数字も織り交ぜたりもしていたのだけれど、結局yui-yuiの部分だけが拾われて、以降、この二人にはユイユイと呼ばれ続けている。

「うんまぁ、微妙だけど」

「微妙?なんで?」

 さして心配もしていないような感じだけれど、そもそもこの二人はわたしの基本活動がソロ活動だと良く知っている。わたしが音楽を辞めただとか、活動できていない、だとかいう話をしたとしたら、さすがに心配してくれるだろうけれど。

「今メインでやってるのは、sty-x復活イベントで前座で出るバンドなの。貴さんと諒さんと四人で、そのイベントのためだけのバンドだから」

 通じるかな。誰かから話が行っていれば良いのだけれど。

「他は?」

 あ、判ってるみたい。Rossweisseロスヴァイセのことは説明が少々面倒なので、判ってくれていると非常にありがたい。

「はっちゃんと美朝みあさちゃんと莉徒と、莉徒の先輩に紹介してもらった子、高島紗枝たかしまさえちゃんと組み始めたところだけど、まだきちんとは活動してないんだ」

 Medbメイヴの方は楽しくなりそうなバンドなので、早く活動に集中したい。

「そっかぁ。でも結局莉徒とはやるんだね」

「でもユイユイと莉徒ってちょっとガチ感あるよね」

 すーちゃんと英里ちゃんが言ってお冷を一口。すーちゃんも英里ちゃんも、食べるものは食べて、飲むものは飲んでしまったようだった。

「そうだね。えりすーと同じだね」

「だからその腐的なの……」

 ちなみにわたしは腐女子については全く属性もなければ知識もないので、その辺のことはさっぱり判らない。

「女子同士も腐って言うの?」

「さぁ、それは判んない」

「言うとしたら百合なんじゃないの?」

「それは腐女子っていうカテゴリとは違う気がする……」

 所謂百合というのは、女性同士が、ということの俗称で、男性同士の場合だとそれは薔薇になる。つまり腐女子は薔薇が好きな女性たちの俗称であるからして、百合とはカテゴリが違うのではないかとわたしは思うのである。

「確かにね」

「でもさ、美朝ちゃんって由比ゆいさんのことでしょ?楽器やってるなんて全然知らなかったよ」

 話を切り替えてすーちゃんが言う。二人ともどうやら腐属性はないようで少しほっとしてしまった。いや、この場合百合属性か。

「や、まだ始めたばっかり」

 それこそまだ数週間。数週間の上達ぶりではないと思うけれど。

「楽器、何やってるの?」

「英里ちゃんと一緒」

 英里ちゃんはそれこそ小さな頃からピアノを習っていて、譜面さえあれば何でも弾けてしまうほどの腕の持ち主だ。圭ちゃんや紗枝ちゃんほどではないにしろ、緊張しなのが少々もったいないけれど、いざ演奏が始まってしまえば、緊張を引きずって自分の演奏をだめにしてしまうほどではない。

「おぉー!イイヤツ!」

「えっそうなの?」

 わたしも判らなかったけれど、すーちゃんも判らなかったようで、ぐり、と英里ちゃんに向き直ってそう言った。

「ピアノやる奴はみんなイイヤツ!」

「……もしくは、変人」

 嬉しそうに言った英里ちゃんの後にすーちゃんが冷静に補足する。このあたりのやり取りは以前からずっと健在だ。

「すーちゃんにだけは言われたくない!」

「英里ちゃんにも言われたくない!」

 息ぴったり。面白いなぁ。

「相変わらずだねー。公子こうこさんとは?」

 二人のやり取りに自然に笑顔になってわたしは訊いてみた。Ishtarでは最年長で一番落ち着いて物事を見ることができた人。公子さんには何度助けられたか判らない。

「メールはしてるよ。なんか仕事がすっごい忙しいみたい」

「そうなんだ」

 言われてみればわたしは全然公子さんにメールしていなかった。わたしも結構も薄情だな。今日帰ったらわたしもメールしよう。

「バンドしたいーって嘆いてた」

 ほほう。あ。思いついた。

「あ、そうだ、じゃあ二人に話があるんだけど、聞いてくれる?」

「え……」

 一瞬、英里ちゃんとすーちゃんがわたしからほんのちょっとだけ離れたように感じた。そ、そんな厄介ごとを持ち込むつもりはない。

「ま、まさかバンドの勧誘?」

「まさか。莉徒じゃあるまいし。ライブのお誘い」

 流石に英里ちゃんもすーちゃんもわたしが莉徒の親友でい続けていることを知っている。わたしもいい加減莉徒には毒されてきたとは思うけれど、流石にそこまではた迷惑なことはしない。

 ……していない、と信じたい。

「いつごろ?」

「まだ判らないんだけど、一応月末のわたしと莉徒のライブが終わってから」

「なるほど」

 それから動いても恐らく一ヶ月程度では計画は立てられないだろうから少なくとも二、三ヶ月後くらいにはなりそうだ。

「ちわー」

 カウベルと共に、聞き慣れてはいないけれど、覚えのある声がした。

「あらあら穂美ほのみちゃん?珍しい」

「え?」

 くるりと振り返ると、小材こざいさんが立っていた。本当にここに遊びに来てくれたのかな。だとしたら嬉しいな。

「ど、ども、向こうで両親がお世話になってます。小材穂美です」

 ぽり、と頭を掻いて小材さんが涼子さんに挨拶を返す。

「いえいえ、こちらこそいつも楽しませてもらってるみたいで」

「あ、いえいえ!」

 涼子さんも言ってやんわりと笑顔になる。小材さんも涼子さんの笑顔にやられたな。

「ゆっくりしていってね」

「あ、はい」

「おーぃ、穂美ー!」

 すーちゃんが気付いて小材さんの名前を呼び、大きく手を振る。え、知り合いだったの……。

「ん?あー、すーと英里じゃない!久しぶり!」

「おー、すごい明るくしたね、色」

 二人も小材さんと会うのは卒業して以来なのかな。わたしでも髪の色の印象が違っていたことは覚えていたから、すーちゃんや英里ちゃんが覚えていても何ら不思議はない。い、いや英里ちゃんは高校が違うからやっぱり音楽繋がりで知り合ったのかもしれない。

「まぁね。すーは変わんないけど英里も結構色入れてんじゃん」

「うん。せっかくだからねー」

「穂美って七大行ったんだっけ」

 七大とは七本槍大学のこと。

「そ。あんたらは礼戸らいと大だっけ?」

「うん」

 礼戸大学はお隣の礼戸市にある大学。英里ちゃんとすーちゃんが行っているけれど、ほかの同級生も結構行ったのかな。一番多いのはわたしも通っている瀬能学園の大学部だけど。

「ちょうど良かった、小材さん」

「ん?」

「こないだお店で莉徒が言ってたの覚えてる?」

 話だけは早いうちにしておいた方が良いはずだ。それも小材さんとすーちゃんと英里ちゃんが知り合いならばなおのことだ。

「あぁ、フェス的なの?」

「そう。すーちゃんと英里ちゃんのバンドにも声かけておこうかな、って思って」

 英里ちゃんとすーちゃんなら力になってくれるだろうし。

「なるほどね。いんじゃん」

「穂美とユイユイって知り合いだったの?」

「や、最近ちゃんと知り合ったばっかり。ね」

「だね」

 それもここ一週間とか。いやそれよりも、ユイユイって言わないで……。

「莉徒も?」

「そ」

 ということは、小材さんと莉徒が接触していなかったのは、周知の事実だったのかもしれない。

「すーちゃん達は?高校の時、わたしが知ってる限りではあんまり接触なかったよね」

「あー、かもね。でもバイト一緒だったしね」

「え、もしかしてすーちゃんと英里ちゃんってRo.Bi.Goロービーゴーでバイトしてたの?」

 何気なくすーちゃんは言ったけれど、それって今となってはかなり、なんだよ!ってくらい驚きなんですけれども。

「そ。何かほらちょっと莉徒とゴタゴタあったって聞いてたから、あんまりみんなには言ってなかったけど」

 どうりでわたしのアコースティックライブの時とか、みんなお酒を飲み慣れていたと思った……。

「そもそも英里は学校違うじゃないの」

「あ、そっか。で、莉徒は二人がRo.Bi.Goでバイトしてたのって知ってたの?」

 そうだった。英里ちゃんは隣の七本槍高校だったんだ。ということはもしかしたら紗枝ちゃんのことを知っているかもしれない。

「知ってたよ。穂美と莉徒が個人的に仲が悪い訳じゃなかったのも知ってたしね」

 そういうことだったのか。

「まぁ莉徒ならそんなこと気にしないか」

「で、その莉徒はいないの?」

 きょろきょろと店内を見回して小材さんが言う。この場合、仮にいるとしたら、後ろの席で英介が居眠りというパターンが結構ある。けれども今日は英介は久しぶりに秋山君と遊んでいるらしいから、それはない。

「今EDITIONで打ち合わせ中」

 諒さんも一緒とはいえ、sty-xのメンバーと打合せなんて絶対に緊張してしまう。でもそれもサプライズを成功させるためには仕方ないことだ。

「そっかー」

「穂美ちゃん、注文は?」

 カウンターテーブルの向こう側から涼子さんが声をかけた。小材さんはわたしの向かい、すーちゃんの隣に座ると、メニューを開いた。

「あ、はい!えーっと、何がオススメ?」

「全部」

 わたしがまず即答。本当はそんなこと言えるほど、このお店の物を制覇している訳ではないのだけれど、見栄を張りたい時だってあるのさ。

「そう言われると悩むじゃないの……。じゃあみんなのマスト!」

 とん、とメニューを置いて小材さんは笑った。

「わたしはブレンド。ケーキはシュークリームかミルクレープ」

 あとこないだ食べたシフォンケーキもとても美味しかった。

「アタシはココアとチョコレートムース」

 英里ちゃんは無類のチョコレート好きだ。ノーチョコレートノーライフとまで言い切る人物だ。以前、十個入りのチョコレートアイスを英里ちゃんが六個食べてしまって、四個しか食べられなかった彼氏と大喧嘩をしたという話を聞いたことがある。

「私はショートケーキとコロンビア」

 すーちゃんも莉徒と一緒で、結構あれこれと多くの物を食べているけれど、でもやっぱりコレ、という一品はあったんだ。

「見事にバラバラね……」

「ま、何食べたって美味しんだから好きなの頼みなよ」

 そうすーちゃんが言ってけらけらと笑った。ちなみにすーちゃんは無類のカエル好きだ。カエルのマスコット的なものは何でも可愛いと言っている気がする。でも本物のカエルはあまり好きではないらしい。

「そうね。じゃあフルーツロールとアイスミルクティーで」

 は、はやいな。即決。さすがは小材さん。

「かしこまりっ」

「で、sty-xって何?」

「はい?」

 英里ちゃんが唐突に話を戻したので、一瞬何のことだか判らなくなって聞き返してしまった。

「なんか復活のイベントとか言ってなかった?」

「え、sty-x知らない?」

 そ、そうか。わたしたちの年代なんてsty-xを知らなくても当たり前の世代だ。わたしだって名前くらいは知っていたけど、という程度だったし、曲なんてこんなことにもならなければきっといまだに聞いていなかったと思う。

「うん知らない。英里ちゃんは?」

「アタシもー」

 英里ちゃんは特にロック畑の人でもないから余計に知らないだろう。わたしもロック畑の人間ではないけれども。

「なにぃー!女子バンド者の風上にもおけないヤツね!」

 さすがにSHIORIシオリファンは黙っちゃいない。小材さんが少し声を高くした。

「な、なんで!」

「sty-xっつったら元祖女子バンドの女王よ!」

 とは言っても知らないものは知らないだろう。それにsty-xはというか、史織さんは、自分達が女性バンドの先駆けになった、などとは一言も口にしていない。例えばロックバンドでは、それは、そうかもしれないけれど、ジャズバンドでも女性のバンドは絶対にいたはずなのだ。だから、バンドという言葉を大きく括ってしまえば、決してsty-xが女性バンドの元祖だということはできないだろう。

「えー、それってプレティアとかBERETTAベレッタじゃないの?」

「ま、まぁプレティアもそうだけど、BERETTAは女性ボーカルのバンドだったしさ……」

 プレティアというのはPrecious Tearsプレシオス ティアーズの略称だ。当時はsty-xよりも一般受けも良く、女性バンド、というとsty-xと同時期に活躍していたPrecious Tearsの名前を上げる人の方が多いだろう。BERETTAはそれよりも前に活動していたバンドで、女性ボーカルのバンドだ。一曲しか知らないけれど、ポップロックな可愛らしい感じ。でもタイトな音楽をやるバンドだったらしい。

「あー、なんかもう一つ、メタルっぽいのがいたって聞いたことある。それのこと?」

「そう!」

 でもやっぱりわたしたちと同世代でロック畑ではない人の認知度はこのくらいなのだろう。

「え、でもそれってプロのバンドでしょ?」

 くい、とわたしに目を向けてすーちゃんが言った。

「うん」

「何でユイユイと莉徒が貴さんたちと組んでそのイベントに出るの?」

 結局ここから説明だ。もう核心をついてしまおう。

「イベントは色々あって、貴さんと諒さんのご指名だったんだけど、sty-xのギタリストが実は莉徒のお母さんだったの」

「はぁ?」

 あまりピンとこないのだろう英里ちゃんがあまり声も高くしないでそう言う。判らないでもないけれど、英里ちゃんは興味がないことには本当に無関心だからなぁ。

「え、莉徒のお母さんって史織しおりさんでしょ?私何回か会ってるよ」

 それはそうだろう。莉徒の家へ遊びに行けばいつもそこにいるのは柚机ゆずき史織だ。わたしだってsty-xのSHIORIだと判る前にも何度も会っていた。

「その史織さんがsty-xの初代ギタリスト、SHIORI」

 おそらくすーちゃんもピンとこないのだろう。けれど、莉徒のお母さんが実は大変な人でした、という事実だけは伝わっているらしい。

「莉徒、何で黙ってたんだろ……」

「や、莉徒も知らなかった」

 そう、そこは誤解されると可哀想だから、親友としてフォローはしておく。

「え?」

「史織さんがずっと隠し通してたの」

「えぇ!そ、そんなこと有り得るの?」

 わたしだってそう思ったけれど、そこは随分と徹底していたらしいから。

「あの子グレんじゃないの?」

「元々グレてたから良い子になるんじゃない?」

 言いたい放題だ。

「まぁそんな訳で急激にsty-xとのパイプができちゃって……」

「史織さんの依頼で出演って訳?」

 的を射ているので、ぴんとは来ていなくても、理解はしているということだ。良かった良かった。何だかここの所とんでもない性格の人たちと接していたせいか、すーちゃんや英里ちゃんがとても、とっても常識人に感じる。言ったら怒られるから言わない。

「や、事務所から貴さんたちに話が行って、流石にsty-xの前座で-P.S.Y-サイは使えないっていうんで、わたしと莉徒が参入した感じ」

「ほうほう」

 すーちゃんも英里ちゃんも何度も貴さんや諒さんには会っている。こんなこともあるのだろう、くらいには理解してくれているようだ。

「莉徒は十八年も真実を隠された腹いせに、今回のイベントに出ることは史織さんに隠してるの。だから史織さんにはこのことは内緒ね」

「なるほど。了解」

「かしこまりー」

 今は活動も学校も別だから、そう莉徒と会うこともないだろうし、それが史織さんならなおのことだ。でも史織さんもここに来ることが増えたから油断はできない。

「はぁい、まずは夕衣ちゃんおまちどうさまっ」

 涼子さんが言って、ブレンドとシュークリームを持ってきてくれた。あぁ、久しぶり、シュークリーム。会いたかったわ。

「はぁー、おいしそう……!天国!」

「涼子さん!アタシ、チョコシュー追加!」

 はい、と挙手をして英里ちゃんが追加注文をする。

「あらありがと、英里ちゃん」

「私アイスティー下さい」

「はぁい、かしこまりっ」

 やっぱり話の切れ目ですんなりと入ってくる。涼子さんの気遣いはすごいなぁ。

「で、莉徒の方のフェス的なのって?」

「なんかウチの店でやるか、野音でやるかで、仲間内みんな集めて何かやろうって」

 今までsty-xやRossweisseの話を黙って聞いてくれていた小材さんがそう言ってくれた。

「ほうほう」

「で、そこでコネ使って谷崎さんとか、sty-xとか出るけど、対バンする度胸ある?みたいなこととかのリサーチね」

 おおー、説明上手。話の運び方は莉徒よりも知的な気がする。

「あー、プロと対バンかぁ。ちょっと引くかも」

「まぁ普通そうだよねぇ」

 ライブハウスのブッキングで出演した場合、偶然プロと同じステージになることはあるけれど、そういう場合のプロは殆ど名前を聞いたことのないようなバンドだ。

「だとしたら最後にシークレットで出すとかは?」

 結局話の落とし所はその辺にしかないと思う。

「まぁそれならまだいいかもね」

「そうだね。対バンって言うと敷居高いよ、やっぱり」

「そっかぁ。まぁそうだよねぇ」

 プロと堂々と対バンできるかできないかで善悪も何もない。人に依っては、覚悟がないからだとか、真剣にやっていないからだ、とかいう捉え方をされてしまう場合もあるだろうけれど、そんな狭い個人の心象は、あくまでも狭い個人の意見として留めておくべきだ。

「ともかく、いろんなとこに話聞いてみるしかないわね」

 まずはイベントの日取りも決まっていないのだから、心の向きようというか、イベントが向かうべくベクトルだけでも漠然とイメージできれば良いかな。

「すーちゃんと英里ちゃんは対バンだったら出ない、って形でいい?」

 以前、本当に音楽を続けられるかどうか、というような話をRossweisseでしたことがあったけれど、すーちゃんや英里ちゃんは、やっぱり音楽を辞めてしまう側の人なのかな。だとしたら少し寂しい。

「や、多分出ると思うよね、英里ちゃん」

「うん多分」

 お、これは予想外の返事が返ってきた。嬉しい。素直に嬉しい。

「おっけ、とりあえず随時情報は入れるようにするから宜しくね」

「あいさー」

 笑顔になって私はシュークリームにフォークを入れた。英里ちゃんの物欲しそうな顔が……ぶっちゃけ鬱陶しい。もうすぐ英里ちゃんが頼んだチョコシューが来るから待ってて。

「それにしても素敵なお店ねー。私も通おっと」

「あらありがと、穂美ちゃん」

 もう一度カウンターから出てきて、今度は小材さんの注文した物を運んできてくれた涼子さんが言った。本当に嬉しそう。

「向こうじゃ涼子さんの後をついで、若い女の子にお店を任せた、って話になってますよ」

 末恐ろしい噂だ。でも涼子さんの若さと美貌ならこれはもう仕方がない。

「あらあら、そんなに子供っぽいかしら」

 聞けば、こんなに可愛らしい涼子さんは童顔、と言われるのが好きではないらしい。うんと年下のはっちゃんと並んだって若く見えてしまうのだから、それはどうしたって仕方のないことだ。

「若いってだけじゃないですか。羨ましいですよ」

 小材さんも大人っぽい方だから、老けて見られてしまうこともあるのかもしれないなぁ。

「ふふ、ありがとね、穂美ちゃん。今度私もお店、行くわね」

「待ってますね。いただきます」

 そう言って小材さんはフルーツロールケーキをぱくりと一口。あぁ、やばいおいしそう。

「んまい!」

「ちょ穂美、ひとくち……」

 英里ちゃんがたまりかねて口をあーん、と開けた。

「だが断る!」


 vultureから出ると、いきなり自転車を漕いでいる英介えいすけに出くわした。少しだけ胸がドキリ、と躍る。未だに慣れない感覚だけれど、それが心地良い。

「帰りか?」

「あ、うん。英介は?」

「お前がいんなら寄ろうと思ったけど、帰んなら送ってく」

 そう言って英介は自転車から降りた。

「え、いいよ。コーヒー飲んできなよ」

 わたしのせいで涼子さんのコーヒーをフイにするなんてもったいない。それにわたしはもう帰るだけだし、それだけで送らせるのも何となく忍びない。

「俺はお前ほど涼子さんに傾倒してない」

「え?」

 傾倒って。わたしだって別に心酔している訳ではない。ただ心の底から尊敬に値する人物だとは思っているけれど。でもそれは英介にとってはそうではないのだろう。でもそれだって至極当たり前のことだ。

「や、涼子さんの作ったもんは何だってうめぇと思うけど、お前を送ってく方が重要……や、なんかちがうな……」

 ん、と自分の言葉に待ったをかけて、うーん、と唸りだす。何だか良く判らない。

「な、なに」

「うーん、ま、いいじゃん」

 つい、と目を反らしたので、わたしはその視線の先に回って英介の顔を覗き込んだ。

「……」

「に、睨むんじゃねぇよ」

 う、と今度は言葉に詰まりつつ。別に良くないことを考えている訳ではないことくらいわたしにも判る。けれど、それならば尚の事隠す必要だってない。

「……」

「お前が一緒じゃねーのに涼子さんのコーヒー飲んでもなぁ、っつー話だよ」

 少し歩き出して英介はそう言った。わたしは英介の自転車のカゴが空いていることを確認してから、カゴにエフェクターケースを入れる。それだけでも随分と腕は楽になる。

「いない時も飲んでるじゃない」

「そらいねぇって判ってる時はな。え、何か?お前は俺に顔を見せといて、わたしは帰るから、一人でコーヒー飲んでなよって、そういうことか?」

 勘違い甚だしい。でもわたしの言い方もまずかったかな。確かにそう聞こえてしまう言い方をしてしまったかもしれない。

「あ、ち、ちがうけど」

「けど?」

 今度は英介がわたしの顔を覗き込んできた。や、やめて恥ずかしい。

「けど……」

 何も言葉を見つけられずにいると、また勝手に英介が喋り出した。

「うわあ一人で帰りたかったのになんでこいつこのタイミングでくんだようわあまじ最悪」

「ち、ちがうってば!」

 本気ではないと判っているから、わたしも少し乗っかるだけに留めておく。

「じゃあ送らせなさい」

「は、はい……」

 くぅ、嬉しいけど恥ずかしい。


「Rossweisseはそんな感じ」

「なるほどな。それにしても高島は随分打ち解けてるみてぇじゃん」

 英介の視点からでもそう感じるということは、わたしたちの、まずほんとにがっつり仲良くなってしまえ作戦は成功していると言える。あれからまだ一度しかスタジオには入っていないけれど、次回は紗枝ちゃんももう少しリラックスしてドラムを叩けるようになってるといいな。

「だねぇ。Rossweisseが終わったらMedbも楽しみ」

「だな」

 英介はいつも私の行動を応援してくれる。当たり前なのかもしれないけれど、それはとても嬉しいことだし、やる気が出る。だから、わたしだって英介の応援はしたい。

「英介は何かしないの?」

「うーん。今はまだちっと迷ってる感じだな」

 英介のバンドUnsungアンサングは今は活動停止中だ。ベースの秋山君と英介は大学生だから、時間は結構作れるようだけれど、ボーカルとドラマーが就職組だったので、今は忙しくてなかなか動けないらしい。

「迷ってる?」

「今はUnsungは止まってるだけで、別に解散した訳じゃねぇけど、でもいつ動けるか判ったもんじゃねぇじゃん」

 だから、新しいことを始めるのに、少し戸惑っているということか。

「だね」

「でも新しいバンド始めて、Unsungが復活、なんてことになったらどっちも中途半端になりそうでな。二バンド同時にってのも難しいだろうし」

 二バンドをやるとしても、きちんとできるかどうかは各々のバンド活動のペースにも依る。莉徒は一時期、四バンドを同時進行していたこともある。四バンドがすべてしっかりと活動しているバンドであれば、さしもの莉徒も同時進行はできなかったはずだ。

「確かにね。わたしの場合はなんだかんだ言ってもメインで動いてるのは一バンドだし」

「だよな。うーん、どうすっかなぁ」

 わたしは正直なところ、英介がギターを、バンドを楽しめるのであればUnsungでは無くても良いと思っている。だから、今の英介を見ていると少しだけ歯がゆい。

「とりあえず動いてみれば?もしも新しいところが見つかったら、そっちがメインになっちゃうっていうのは仕方ないことだと思うよ」

 今動けないバンドに固執して、新しい機会を逃すのは良いことだとは思えない。でもそれはわたしの考えであって、英介の本心は判らない。だから余計に歯がゆいのだ。

「ま、そらそうなんだけどよ」

 言って英介は苦笑した。同じバンド好き、音楽好きでも、英介とわたしの度合いが同じだとは限らない。いやむしろ同じではないと思う。それは莉徒に対してもそうだし、はっちゃんに対してもそうだ。わたしの音楽の優先順位と、英介の音楽の優先順位が違うのは当たり前だ。

「秋山君にさ、何か後ろめたさとか感じてる?」

 秋山君だけではなくて、バンドメンバー全員にだけれど。

「……お前のことでか?」

 英介の渋面。

「え?あ!ち、違うよ!バンドのことで!」

 なんてことを言い出すのだろうか。わたしはできるだけ、何に対しても、自意識過剰だとは思われないように努めている。確かにわたしは、秋山君の気持ちに応えられず、英介と付き合ったけれど、それは英介が後ろめたさを感じる必要なんてないことだ。

「え、じゃあ何で」

「何でって、半年活動止まっちゃったのは、自分のせいだって思ってるのかな、って……」

「あぁ、まぁ、無くもない。待たせたのは事実だしなぁ。だから、動けねぇなら辞める、とは言えねぇし」

「辞めることないでしょ。動けないで保留して、そのうち自然消滅っていうのは仕方ないことだとしても、今Unsungできないからって辞めちゃう必要はないと思うけどなぁ」

 Unsungのメンバーは、英介が半年間札幌に行っている間、別の活動はしなかった。それは英介を待つと言えば聞こえは良いけれど、私は違うと思っている。

「やー、宙ぶらりんなのもきついだろ」

 そうは言うけれど、Unsungは良くも悪くも英介が牽引しているバンドだ。バンドのキーマンがいなくなれば活動できなくなるのは当たり前のことだ。例えそれが作曲者ではなかったとしても。曲を作る人がいても、ギタリストがいなければ始まらない。結束が固いバンドや、長くやっているバンドなら、一人が欠けたところでも、練習のしようはいくらでもあるとは思うけれど、わたしたち学生バンドだとそれは難しいことだってある。

「だから、とりあえず新しいのを始めてみたらいんだよ」

 遅かれ早かれ、そこに考えは至るはずだけれど。でも、そうなのだとすれば、やっぱり行動は早い方が良い。

「それでUnsungに興味がなくなったら、それはそれで仕方ねぇって?」

「……違う?」

 少し声に力が入ったので、わたしは冷静にそれを返す。冷たいことを言っているかもしれないけれど、なあなあの馴れ合いでやるバンドなど何の益もない。

「ま、まぁそらそうなんだけどよ……」

 英介もそれを判っているから、あまり強くは返してこない。英介の悪い癖だ。これはただ単に面倒くさいだけなんだ。

「別にUnsungを無理に嫌いになれ、とか、そういうことじゃないよ」

「判ってる」

 あ、出た、めんどくさいモード。つい、と目を反らして煙草に火を点ける。だから、わたしも佇まいを正して言う。

「ホントに判ってる?わたしは英介がギター弾いてる姿を見たいんだよ」

 一度ちゃんと英介の前に立って、恥ずかしいけれど目を見て言ってやる。

「う、お、おう」

「立ち止まってるのなんて、らしくないじゃない」

 ぽす、と英介のふくらはぎあたりを軽く蹴ってわたしは俯いた。

「わぁってるよ。ちと考えてみるわ」

「うん」

 ぽんとわたしの頭の上に手を乗せて英介は笑った。

「そういやお前ら小材の店、行ったんだって?」

 わたしを振り向かせて、ぽんと肩を叩くと、先に少し歩き出しながら英介は言った。わたしはまだ少し言い足りない気もしたけれど、言いたいことは言ったので、とりあえず閑話休題に乗ってあげることにした。

「あ、うん。仲良くなれそうだよ、小材さんとは」

「だろうな」

「英介は小材さんのこと知ってるの?」

 小材さんは莉徒と雰囲気が少し似ている。莉徒よりも分別のある大人のような気がするけれど。

「や、まぁまともに話したことはない程度には」

「みんな同じなんだ」

「だな。別にいがみ合ってた訳じゃねんだし、タイミングとか距離感の問題だろ」

 全員が全員、みんながみんな仲良こよしという訳にはいかない。一学年に二百人以上もいるのだから。

「そうだったみたいだね」

「小材みたいなの、お前好きそうだしな」

 くく、と笑って言う。確かに莉徒は親友だからなぁ。ああいうさばさばした性格の人は概して好きだ。莉徒はもちろん、夕香さんや従姉、裕江ゆえ姉の友達の沙奈さなさん。話しやすいし妙な気遣いをしないで済むのはとても楽なのかもしれない。

「かもね。莉徒ほどぶっ飛んでる訳じゃないけどね」

「ま、そんな感じはするな」

 小材さんの方がしっかり者の気がする。莉徒がそうではないとは言わないけれど。

瑞原みずはら君とも?」

「んだな。瑞原はほんっとに喋ったことねぇなぁ、確か」

「バンドやってること自体は知ってたの?」

「あぁ、そんくらいはな。実は元メジャーだったとか、巧ぇって話も聞いてたし」

 なるほど。確執があった訳ではなく、ただ単にクラスが離れていたりというだけのことなのかもしれないな。それにしてもこっちもプロなの?そんな噂、高校の時には全然入ってこなかったけれども。

「え、そんな噂あったんだ。対バンとかはなかったの?」

 それが本当にしろ本当ではなかったにしろ、今となってはどうでも良いことだけれど、確かに瑞原君の演奏は凄く上手だったし、声もとてもロック向きの声だった。

「無かったなー。避けられてたとかそんなんはなかったと思うけど」

「莉徒も同じこと言ってたよ」

 結果的にRo.Bi.Goが莉徒のライブ出演を断ったのは、小材さんの意志でも主催の意志でもなかった訳だし。

「ほー。まぁ何にしてもまだ俺は様子見かなー」

「えー、もったいない」

 巧いんだから、もっと動けば良いのに。どうせ始めたら始めたで絶対に楽しくなるのだから。

「一人からスタートってすげぇバイタリティ要るじゃん」

「そんなことないよ」

 あ、違う。言ってから気付いた。

「あぁ、まぁお前はそうか。でも俺はバンドのギタリストだからなぁ。ギターボーカルしたい訳じゃねぇし」

「そうだよね。そっかぁ、難しいね、やっぱり」

 バンドを作ること、どこか知らないバンドに参入すること、どれもこれも私が一人で始めるとなったら、やはり足踏みはしてしまうかもしれない。

「一緒にやんのも寒ぃだろ」

「それはあるよね……。やってみたい気持ちはあるんだけど」

 昔の莉徒ではないけれど、それこそバンド崩壊のきっかけになりかねない。隠しておくのも限界はあるだろうし。

「まぁな。それこそ後二人、カップルで動いてるようなのと組む以外は寒ぃ」

 それは確かに英介の言う通りだ。カップル同士の四人組なら、少しは巧く回りそうな気はする。けれど、条件に合った人たちを探すのもまた難しい。

「だねぇ。莉徒にドラムの彼氏ができればいいのに」

「だめだ。ベースがいねぇ」

 そ、そうか。

「あ、じゃあ秋山君の彼女がドラム叩ければ!」

「ドラムどころか楽器未経験だ」

 うーん。ドラムとベースかぁ。そんなリズム隊カップル……。いた!

「はっちゃんがいるじゃん!」

宮野木みやのぎがベースでとおるがドラムか。まぁ確かにな。でもあそこは普段からでも組んでる二人だぜ」

「あぁー、そっかぁ。上手くいかないなー」

 そうだ、メインのバンドでも組んでいて、その上付き合っていて、ともなるとまたそれは難しいかもしれない。でも一度話してみても良いかな。今度はっちゃんに訊いてみよう。

「ま、そのうちなんか見つかんだろ。焦らねぇこった。今はお前は忙しい身なんだからよ」

「まぁそうだね。終わってから考……え、るよ」

 終わってから、と思ってしまったら顔に血液が集中した。そ、そうだ、終わったらわたし……。

「……なんだ?」

「何でもない!」

 ま、まだもう少し先のことだから!

「おーし到着。なぁんだ家の人はいんのか」

 残念そうに英介は言った。きっと助平なことを考えているに違いない。

「な、なんで」

「いや、茶ぁでも一杯もらった後襲いかかろおぅふ!」

 言い終わる前に横三枚にボディブロウを叩き込む。もちろん加減はしてある。こんなおふざけで手首をどうにかしてしまったら大変だ。

EXCEED CHARGEエクシードチャージ……」

 低い、低い声でわたしはそう言う。

「え!マジでか!」

「ぴぴぴぴぴぴぴぴぴ……」

 電子音も口で真似て、お腹から肩、肩から手に人差し指の先を走らせる。

「ぎゃあごめんなさいまじでじょうだんです!」

「判ればよろしい」

 襲うだとかそういったことは冗談でしかないのは判るけれど、結局英介は女としてわたしのことを欲しがっている。そう思うと気恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しい。それが最近になって少し判り始めてきた。

「格闘家から変身ヒーローに変えたのか……」

「常にネタは新しいものをね」

「や、それお前四年前だろ……」

 な、何で知ってるの。

「でも見たの最近なんだもん」

「マイブームかよー」

「ともかく、ありがとね……わ!」

 英介の前に立って言うと、英介は大きな両手でわたしの頬を挟んだ。そして少しだけ上向かせる。つ、つまり……。

「こんくらいはいいだろ?」

「う、うん……」

 言って私は目を閉じる。

「んじゃな!」

 わたしの唇から英介の唇の感覚が離れると、そう無邪気に英介は笑った。

「……」

 物凄く恥ずかしい。たまらなく恥ずかしい。でもやっぱり英介にキスされるのはとても好きなんだ、と再認識。

「ひゃっほーぃ!」

 馬鹿みたいにはしゃいで英介は自転車にまたがると、見る間に見えなくなってしまった。

 英介もきっと恥ずかしいのかも、と思うとなんだかとても幸せな気持ちになれた。


 25:フルーツロール 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る