24:ロードスター
二〇〇七年六月二日 土曜日
さてさて。
「楽しみだね」
「うん。こうしてちゃんと見るのは初めてだからね」
いかほどのものか、ロックバンドixtab。私は足も腕も組んで、暗幕が上がるのを待つ。見た目が幼いので滑稽に見えるかもしれないが、座って聞く場合、これが私のスタイルだ。
いや格好をつけすぎた。ただ単に癖だ。
「小材さんが歌うの?」
「や、瑞原がギタボ。穂美はリードギターで、ベースとドラムは男。性別は別として基本構成は
「小材さんも良い声してるのにね」
確かに私もそれは思った。しかし声が良いことと歌える、ということは必ずしもイコールにはならないものだ。
「あいつはとことん歌わないわよ」
「コーラスもしないの?」
「しないわね。主にベースとドラムがやってるわ」
なるほどね。だとすると、歌は本当に苦手なのだろう。
「そっかぁ」
「で、でも、ギタボが男の人なら、コーラスも男の人の方が声の混ざりは良いですよね」
ほほう。
「それはそうだね。
「なるほどぉ」
「お、始まるかな」
ゆっくりと暗幕が上がり、流れていたSEがフェードアウトして行く。
瑞原のギターが見え始めたあたりでハイハットが四つ。
小材ががーんとギターを振りながらコードをかき鳴らす。小材のギターは
一曲目はスターティングナンバーに相応しい、四分の一テンポのスピードロックだ。リフは単音と和音を綺麗に混ぜた、複雑なリフだけれど、難解な訳ではなく、上手に聞かせるリフ構成になっている。ロックという音楽において、リフレクションを飽きさせずに聞かせるのは、最も重要なファクターの一つだ。
安定感だけにとどまらない攻撃的なサンズサウンドのベースも、リムショットでバリ硬のドラムの音も、がっちりスクラムを組んで私たちに襲い掛かってくるようだった。
正直言ってかなりカッコイイ。組んだ脚のつま先が知らずのうちにリズムを取り始める。
「カッコイイ!」
思わず夕衣が大きな声を上げた。それに負けじと瑞原のMarshallが咆哮する。そして瑞原の声がそこに上乗せされた。喋っている声は優しげな声だったが、歌い始めた途端に乾いたしゃがれ声がシャウトする。なるほど、瑞原はこのタイプか。そりゃボーカルに抜擢される訳だ。
紗枝と美朝も何か言ってはいるが、何を言っているのか良く聞き取れないし、耳に入ってこない。今の私はかなり高い集中力でixtabの曲を聞いている。
ドラマーとベーシストの息がぴったりと合っている。さすがに
だから、バンドとしての総合力が高い。
(いやちょっと何あいつ、一緒にやってみたい!)
小材の弾きはいわゆる、私がリードギターに要求したい点をことごとくクリアーしているような気がする。
要するに私が大好きなギターだ。
私は溜まらず席を立って、ステージの真ん前まで出た。あんな後ろの席で聞いてなんかいられない。
「おー!」
声まで上がってしまった。不覚。いや、不覚だなんて思う方が傲慢だ。私は私の力量を低くは見積もっていないし、自分のバンドだって、そこそこは聴かせる音楽をやっているという自負はある。だけれど、同級生というか、同じ世代で同じ条件で、学生、社会人バンドという立場で、ここまで私を燃え上がらせるバンドはそうそういない、と心のどこかで思っていた。
どこかで、私たちよりカッコイイバンドなんてそういてたまるもんか、と。
ixtabのサウンドはそんな私の、どうしようもない、くだらない自尊心をぶっ壊した。お前らなんか眼中ねぇよ、と言わんばかりに。いくら他の女が積んでこなかったような経験をしたって、何人の男と付き合ったって、悪名をかさに悪ぶったって、そんなもの、本物の音楽の前では何の役にも立たない。何の関係もない。
それを知ることが、いや、再確認できた。
だから、感謝の気持ちを込めて、私は叫ぶ。
「ixtabサイコー!」
「サイコー!」
「サイーコー!うっ!」
いつの間にやら私のすぐ後ろに夕衣も美朝も二十谺も紗枝もいた。私と同じようにスタンディングオベーションでixtabに拍手喝采を惜しげもなく送る。
「小材ー!負けないからね!」
聞こえてたかどうかは判らない。でも、小材はにっこりと私に笑顔を返してくれた。
小材たちの演奏が終わり、私たちは小材が取っておいてくれた席に戻った。
「はー、燃え尽きたわ……」
久々にここまでノリノリでライブを楽しんだ。心地良い疲労感が残る。
「気持ちいいねぇ」
にっこりと言って、美朝はなにがしかの飲み物を飲む。まさか酒か。
「一口ちょうだい」
美朝のプラスティックのコップを半ば奪うように取って、それを飲む。
「おぅわ、酒だ」
オレンジジュースとなんか、え、と確かスクリュードライバーとか何とかいうカクテルか。うまい。さすがにバーを名乗っているだけあって、そこいらのチェーンの居酒屋やライブハウスで出しているような即席の飲み物とは訳が違う。
「おいしいよね」
「うむ、うまい。なんじゃこりゃ」
ちゃんとオレンジのしっかりした味わいがあって、皮の部分のほのかな苦みとアルコールの苦みがマッチしている。実は私はそうお酒には詳しくないので、良くは判らないのだけれども。
「美朝ちゃん、お酒飲むんだ」
「うん、時々ね」
殆ど飲まないのかとも思ったが、時々は飲むのか。
「時々?」
「あ、うん。別の人伝でライブに行ったりもするの。その時にライブハウスで飲んだりするよ」
美朝の言葉を聞いて納得する。確かに美朝は楽器を始める前から、ライブの楽しみ方を知っているような気がしたけれど、それはそういう理由があったからなのか。
「ほほう、なん、その別の人伝って」
友達なら紹介してもらいたいくらいだけれど、そんなことは美朝も判っていると思うので、簡単には紹介できないような人なのかもしれない。
「イトコの人、なんだけどね、バンドやってて時々見に行くの。でもたまぁにしかやらないから、本当に年に一回くらいなんだけどね」
親族、か。だとすると、中々紹介もしにくいかもしれない。私だって簡単には友達に
「なるほどね。ま、そういうバンドも結構いるからね」
「ずっとやってるのにライブは年一回とか?」
私の知り合いにも何組かはいる。ずっとバンドを続けているのに、ライブの回数が極端に少ないバンド。私たちKool Lipsもそう頻繁にライブをしている訳ではないけれど、年に最低でも三回はやっている。私個人的には四回やれれば御の字だ。
「うん。でも良くモチベーション保ってられるなぁ、って思うわ、そういう人たちって」
「私も思う」
年に一度と決めている訳ではなく、事情があってできないということもあるのだろうけれど、私なら何とかして時間を創るために努力はしたい。でもそうして結果的に時間ができないから、ライブができなかったり、本当にメンバー全員が年に一度のライブで良いと納得しているのならば、やはりそれはそれで仕方のないことなのかもしれないけれど。
「じゃあ美朝、その時は呼んでよ。私らも応援行くからさ」
「うん、判った」
年一のライブともなると、集客にはあまり苦労はしないはずだ。毎月やっているようなバンドは、それこそファンでもつかない限りは毎度赤字になるだろうけれど、年に一度ならば、ファンではなくとも、仕方ないから行ってやるか、という作用も働きやすい。ま、それもこれも私たちとは無縁の話だから、行ける時は行くで構わないし、そもそも営利を目的としている訳ではないから、毎回ライブが赤字なんて極当たり前のことだ。
「私も何か頼も」
私は気分を切り替えるためにメニューを開いた。
「あ、わたしも」
隣から夕衣がメニューを覗き込む。良いライブと、お酒を飲むというあまり慣れていないことに気持ちが高ぶっているのは私も同じだった。
「
「私も頂きます!」
対面にいる紗枝にも見えるようにメニューを開くと、背後から小材が声をかけてきた。
「おーっす。ありがとね!」
上気した頬がなんだかちょっと色っぽい。全力で演奏をしてきた証拠だ。
「おー、小材お疲れ。サイッコーだったわー」
「ありがと。
とん、と私の肩に手を置いて、小材は顔を寄せてきた。なんというか、この気安さは少し嬉しかった。
「おほほ、聞こえちゃった?」
「ばっちし」
くん、とサムズアップして小材は笑った。いやぁこれは良きライバルがまた増えたなぁ。ありがたいことだ。
「何か注文?」
偉いなぁ。出演者である前に、きちんとお店のスタッフなんだな、小材は。
「うん、じゃえーと美朝、何呑んでんの?」
一口もらったのが美味しかったので美朝と同じものにする。私は結構お酒は呑んではいるけれどあまり種類に詳しくない。それこそジュースのような甘いものなら何でも呑んでしまうけれど、ビールやウィスキー、焼酎など、いわゆる、本当にお酒として嗜むものはまだ少し苦手だ。
「ロードスターだよ」
「じゃあそれ」
スクリュードライバーではなかったか。ロードスターなんて初めて聞いた名前だ。むぅ、美朝の奴は随分とこなれてるな。さすが我が親友。というか、何だか最近になって美朝の知らない一面を良く知るようになった気がする。親友だとは思っていたけれど、まだまだやっぱり私も踏み込みが甘いんだろうな。
「あ、わ、わたしピーチフィズが、いいです」
「わたしモスコミュール」
紗枝も夕衣も迷いなくカクテルの名前を出すことに私が焦る。私は決して不良少女ではないけれど(家庭内暴力も校内暴力もやっていない)、素行不良だったし、いわゆる酒煙草の類は私のアイデンティティではなかったか。高校を卒業するとみんな変わり始めるもんだなぁ。
「おっけ、んじゃちょっと待ってて」
「あ、私行く。主役は座ってて」
流石にあの素晴らしい演奏を終えたばかりの小材を働かせるのは忍びない。私は席を立つと、カウンターへ向かった。
「ち、お前か」
あー、ここにいたか
「おぅおぅ、会いにきてやったぜぇ」
嫌味たっぷりに言ってやる。英介ほどばかというか、単純というか、ともかく物事をスッパリ断ち切る性格ではなかったから、別れた後はずっと連絡も取らなかった。
「るっせぇよ」
「客に対する態度か。イジケ虫」
まさかいまだに未練があると言う訳でもないだろうに、女々しい男だ。
「るっせぇってんだよ。注文は」
「ロードスターとピーチフィズとモスコミュール」
「ういよ」
お?思ったよりもアッサリしてるな。もっと苛めてやろうかと思ったのに。
「あれ、なんか思ったほどいじけてないじゃん」
「たりめぇだろ。もう三年前だぞ。自惚れてんじゃねぇよ」
確かにその通りだけれど、その言い方が成長してないんだよ。
「やっぱいじけてんじゃん。くくっ」
「いじけてねぇっつーの」
ま、別に私も根に持ったりはしていないから、この辺にしといてやるか。
「彼女でもできた?」
「大きなお世話だ。……お前は」
てことはいまだに一人身か。いまだにって言うのはおかしいか。三年もあれば何人かとは付き合ってるかもしれないけれど、ま、私の心配することでもないし、関係もない。
「今はいらなーい」
「余裕だねぇ」
もてるからだとかそういう意味かな。まぁ説明してやる義理もないんだけど。
「そうじゃないわよ。今はね、ちょっと音楽に集中したいの。ま、今だから言えるけどさ、あんたにも悪いことしたとは思ってる」
あのときの私はこいつと同じくらいばかだったし、
「べっつに。自惚れんなつったろ。俺も悪かったとは思ってるし」
「でもお互い様じゃないわよ」
別れた時と、悪い噂の時はぶん殴って手打ちでももう構わないけれど、ね。あら、私も大概根に持つ性格なのかしら。
「わぁってるよ。……ほら、俺のオゴリ。そいつで手打ちだ」
そう言って雅史は私の顔も見ずにトレーにグラスを三つ、乗せてくれた。
「しょうがない。水に流してやっかぁ」
「そいつぁどうも」
ま、今となっちゃどうでも良いことだしね。
「私も大人になったのよ」
「どうだか」
け、と言って雅史は私に苦笑を返した。蟠りが解けたって言えばそうなのかな。ま、解けても解けなくても良い蟠り、つったら意地が悪いけれど。ま、解けないよりは解けた方が良いことだろうし。私は雅史にヒラヒラと手を振って席に戻った。
席に戻ると、瑞原も合流していた。私は夕衣と紗枝にグラスを渡して、小材と瑞原がビールらしきビンを持っていることを確認したうえで声を上げた。
「ほんじゃ、改めて、かんぱーい!」
「うぃーす、ありがとなー」
「瑞原、お疲れ。イイ声してんねぇー」
小材も瑞原も高校の時は本当に話したことがなかったけれど、今こうして同じ音楽をやる仲間として言葉を交わせるのはありがたいし、嬉しいことだ。
「いやぁ、テレるなぁ。ホレんなよぉ」
女子ばかりだからなのか、瑞原はそんな風に言って頭を書いた。多分本当に照れ隠しなのだろう。
「あんた……
「俺は今、何か悪いことを言ったか……」
かずな?……はて。どこかで聞いた名だが。
「
そう言って夕衣が笑う。何だ、夕衣は判っているのか?瑞原の背後にいるのは、やはりどこかで見覚えのある、私らと同じようなアンダー一五〇ほどの背丈の女子。見覚えがあるが、三澄一奈という名前とその姿が合致しない。でも、その姿はごく最近見たような記憶がある。
「ぎゃあ!い、いや、俺は今、何も悪いことは言ってないぞ!です!」
「敬語に直した……」
「何、夕衣知り合い?」
「なに柚机、寝ぼけてんの?同じ学校じゃないのよ」
「へ?」
こ、これは大変に失礼なことをしてしまった。しかし、同じクラスになったこともなければ、話したこともない上に、バンド者でもないとするならば、憶えておけと言う方が無理がなかろうか。
「莉徒は周囲を気にしない女だからねぇ」
苦笑しつつ言う夕衣の言葉も他所に、俯いて何も言おうとしない三澄一奈女史をまじまじと見る。ほんの一瞬、三澄一奈女史は視線を上げて、その瞬間だけ目が合った。そして再び恥ずかしそうに、い、いやこれは、多分だけど、怖いものを見てしまったかのように俯く。
そう。
見た。
極最近。
同級生だったということは、真に申し訳ないけれど、覚えていない。
でも、最近、これと同じような視線を向けられたはずだ。
思い出せ。
思い出せ、柚机莉徒。
うーん。
「……」
暗い、多分夜で、でも照明はちゃんと有った気がする。
そうだ、街路灯。
公園……。
「あぁっ!木曜ピアノの女!」
急に思い出した!こいつだ!ゲーム音楽のアレンジだとかをピアノの独奏で披露している、中央公園中央広場にて、木曜夜に出現するピアノ弾き!
まさか同級生だったとは思いも寄らない!
「え、あ、ど、どうも……」
三澄一奈女史はもう一度視線を上げるも、私とは目を合わせずにそう言った。失敬な、そんなに怖い女じゃない。
「何そのサスペンスタッチな感じ」
美朝も少し呆れた感じで言う。
「や、こないだピアノ巧いのがいるつったじゃん。この子!」
「え、三澄さん?」
「そう!」
ぱん、と手を叩くと、三澄一奈はびくりと肩を揺らした。これが計算ずくの猛禽類だったとしたらソッコーで張り倒したくなるタイプだけれど、きっと天然だ。
「だよね!やってるでしょ?木曜日に!」
「あ、う、うん」
よし、頷いた。やっぱりそうか。ふぅ、スッキリした。
「ちょ、り、莉徒さん……あの……」
「え?」
横から紗枝が口を挟む。紗枝は三澄一奈には見覚えはないらしかったけれど、だとしたら一体何だ。
「あの、あ、あんまり大きな声で詰め寄ったらだめです!」
目を閉じながら紗枝は力説してくれた。い、いやぁ、なるほど、類友というやつか。
「……あ、あぁ、なるほど。ご、ごめん」
「あ、う、ううん」
そう言って三澄は顔を上げたけれど、私とは視線を合わせない。そうか、きっとこれはこういう奴なのだろう。紗枝と同じような人見知りなのだ。
「瑞原君と三澄さんって付き合ってたんだー」
「まぁねぇ」
いやっはっは、と頭を掻きながら瑞原は言った。うーむ、夕衣も人見知りだとは思ったけれど、さつきや紗枝、三澄と比べたら夕衣はまだ全然マシなんだな。
「
「え、香憐さん知ってんの?」
あ、でもそうか、香憐さんも高校は瀬能学園だったんだ。
「あそっか、香憐先輩EDITION(エディション)でバイトしてんだっけ。ウチには何度も出てくれてるからね。あたしらは結構馴染みだよ」
となると、ここの出演料は通常のライブハウスやブッキングとは少し体裁が異なりそうだ。ソロアーティストの場合、相当集客に自信が有るか、経済力がなければ通常のブッキングは中々難しいものだ。でも香憐さんが良く出ているとなると、ソロアーティストはソロアーティストの待遇があるのかもしれない。等と少し真面目なことを考えていたら我が相棒がとんでもないことを口走った。
「……小材さんってノン気?」
それはせめて私だけにするんだ、
「あったり前でしょ!真顔で怖いこと訊かないでよ!」
「あ、ごめんごめん、そういうつもりじゃなったんだけど」
まぁ小材が私と似ているところもある上に、三澄を「あたしの一奈」なんて言うから、余計に私とかぶったのだろうけれど。TPOを弁えるのだ。我が友よ。
「それにしても香憐さんから三澄って、全然タイプ違うじゃないの」
今まで楽しそうに状況を見ていた二十谺が言って、グラスのお酒を一口飲んだ。お酒がこれほど似合う十九歳も中々いない。
「う、うるさいな。それよかライブの話だろー!」
「さんざん褒めちぎったと思うが?」
ぬ、と私が言う。いや、実はあまり言葉には出していないかもしれないけれど、正直、瞠目に値する演奏だった。
「そうかぁ。もっと褒めてほしかった……。もっとイケメンだったらなぁ」
「あとで三澄に褒めてもらいなさい」
言うほどブ細工じゃない。安心しろ瑞原紡介。
「そうする」
「御馳走様でした」
砂を吐く思いで私は言うと、今度は矛先が変わった。
「つぅかさ、髪奈も
矛先を変えたのは小材だった。そうかそういう噂は耳に入っていたのか。私は瑞原と三澄が付き合っているなんて言う噂は聞きもしなかったし、聞いたとしても、きっと三澄が誰だか判らないままだったけれど。ごめんよ三澄。帰ったら卒アル見てみるよ。
「え、あ、う、うん」
「煮え切らぬ……」
まぁ付き合ってると言ってもキス止まりでは中学生の交際レベルだ。夕衣の煮え切らない返事も判らないでもないので、ここは親友としてフォローを入れさせていただくとしよう。
「まぁあんま突っ込まないでおいてやって」
「え、ヤバイの?」
機微に敏感なのだろう小材は少し声を潜めて言った。
「全然そういうんじゃないけど、今は大人と子供の間で多感な時期だから……」
「中学生かよ」
お見事。
「ま、似たようなもんね」
「ふ、ふん!」
夕衣はやっぱりこういう、さばさばした人間とは付き合いやすいのだろう。美朝のような女の子らしい女の子も大好きなのは判るけれど。だからきっと小材のことも三澄のこともすぐ好きになるだろう。
「そういやさ、変な話穿り返すかもだけど、髪奈が転校してきてから、柚机も樋村もなんか落ち着いた?」
ほう、つまり別に噂に左右はされないけれど、というスタンスなのかな。結果的に言えば、確かに夕衣が来てからは色々と変わった。私自身は男関係の話で言うのならば、Kool Lipsを組む少し前から、ずっと彼氏はいない。
「私はその前からだけどね。高二から彼氏いないし、遊んでもないし」
「へぇ」
どうでも良いのだけれど、その頃の話なんて。今きちんと対等に付き合えるなら、それが一番良いのだから。
「樋村は夕衣と会ってからみたいだけどね」
それは本当のことだ。あいつは、夕衣には女たらしだと思われたくなかったのだろうから。
「やっぱ噂は噂か」
「全くの事実無根ではないけどね」
苦笑しつつ私は言う。火のないところに煙は立たない。私は少なくとも私の愚行を悔いているところはある。
「自業自得ってこと?」
「うんま、それもある」
そこを認めることができなければ、もしかしたら、私は今もどこかのバンドに入っては、その関係をめちゃくちゃにするような生き方を続けていたかもしれない。
「へぇ。柚机本人はイイヤツっぽいけどね」
小材に言われると、少し気持ちが楽になる。似たような性格だからだろうか。
「あんたも」
「そりゃどうも。でもさ、せっかくこうして仲良くなれたんだしさ、何かライブとかあったら呼んでよ」
それはつまり、見に行くということではなくて、参加できるイベントなどがあれば声をかけてほしいということだろう。
「じゃあ早速だけどいい?」
少し前に史織と話したことを思い出して言ってみる。
「え、ちょ、莉徒、わたし何も聞いてないけど」
さすが、鋭いな、我が相棒。
「だから今から言うんじゃないの」
「まさかまた思いつき?」
二十谺までもが疑いの視線。ま、まぁ夕衣と二十谺はこんな感じで
「や、前から考えてた」
考えというほどではなくて、史織と少し話しただけ、という程度だけれど。
「だから、聞いてないってば」
「だから、今から言うっつーの」
落ち着きなさいよ。そんなに厄介ごとじゃないわよ。
「またこのパターンか……」
そう言いつつも二十谺は笑顔だ。ほら見ろ、結局そんなイロイロに巻き込まれるのはあんただって好きな癖に。
……なんて口が裂けても言えないな。
「あんたら苦労してそうね」
「ま、まぁね」
夕衣は苦笑して小材に応えた。
「で?」
「私と夕衣がさ、ちょっと月末にライブあるから、それが終わったら、イベントやってみようかな、って考えてんの」
まだ全然、何の案も練れてはいないけれど。参加してもらえるなら、お店をやっている小材の知恵だって借りたい。
「ほう」
「知ってる連中みんなに声かけて、フェス的なのも面白いかな、って」
いっぱいバンドが出ても良いし、シャッフルバンドを組んだって面白そうだし。
「中央公園?」
「か、できたらここ」
中央公園だったら、もしかしたらEDITIONが協力してくれるかもしれないし、ここなら小材達が協力してくれるだろうし。
「なるほどね。面白そうじゃん」
「公園の占有料とここ貸切、どっちが安いんだろう」
さっそく乗り気なのか、二十谺が嫌に現実的なことを言う。けれど、それも大切なことだ。
「ざっくり、上代なら出るけど、そういう話なら特価で計算してみないとね」
きっとこのお店でも利鞘が大きいのはお酒だろう。なので、ライブハウスとして機能するだけの金額は、イベントでライブハウスを借りる程度で済むのかもしれない。
「公園の方は役所に訊かないと判んないかな。あ、
美朝も鋭いところを突く。確かに夕香さんなら知っているだろうけれど、仕事としては社長レベルの仕事ではない。恐らく覚えてはいないだろうから、役所に訊きなさいよ、と言われるのが容易に想像できる。
「うん、知ってるかも」
夕衣も同意して少し身を乗り出す。なんだ、結局みんなイベント好きなんだなぁ。
「でも知り合いって言うと学生バンドと社会人バンドでしょ?」
私たちと小材たちのパイプを使って集めればそれなりのバンド数になりそうだ。けれど、もしもここでできるのだとしたら、付加価値はつけられる。それもかなり価値が高いものだ。
「そこにプロって放り込んだらどう?」
それもメジャーデビューはしていないけれど、事務所契約はしています、一体誰なの?みたいなバンドではない。
「プロ組めんの?ギャラとか出せないでしょ」
「うんまぁ、出せないけど」
だいたいにしてシークレットライブで出演依頼をかける時のギャラっていくらくらいなのだろうか。諒さんも貴さんも全く知らないような気がしてならないけれど、最悪あの二人だけなら何とかしてタダでこき使ってやる。
「ギャラなくても普通に出るって言うかも……」
きっと諒さんと貴さんのことを思い浮かべて夕衣がにやけた。
「もしかして
当然、あの二人はこのお店に出入りしているのだから、小材も知っているのだろう。でも、小材が知らないジョーカーを私は持っている。
「と、うまくしたら
「え、ホントに?」
「うん」
すんなり通じた。ということは小材もsty-xを全く知らない訳ではないようだ。
「だって復活したばっかで忙しいんじゃないの?」
そう二十谺が言う。そこは私にも判らないから、まずは史織に訊いてみないと。
「かもね。だからsty-xのスケジュールと交渉次第」
「交渉ったって……」
今まで黙って話を聞いていた瑞原が呟くように言った。
「sty-xの交渉は私がやるよ」
私以外にはできないだろうから。
「なんでsty-xにパイプ持ってんのあんた……」
ふむ、二人の口ぶりからするに、ただ知ってるというだけではない気がする。
「小材と瑞原ってsty-x知ってんだ」
「うんまぁ、昔聞いてた時期あったし。
「だと思った……」
道理で私が好きなギターだよ。それも小材のギターは史織のコピーではない。きっと根底に史織のギターはあるのだろうけれど、きちんと、自分なりにそれを昇華させている弾きだった。
「柚机も好きなの?」
好きというと語弊があるかな。いや、あのジャンルの音楽は決して嫌いではない。むしろ好きな方だけれど、sty-xのファンで、ずっと聞いていたという時期は少しもない。
「や、復活するとか言う話が出る前まではそんなに興味はなかったと思う。ちなみにSHIORIの本名って知ってる?」
「
参考にするだけはあるか。
「なるほど。あたりだね。んじゃあ旧姓獅子倉史織。結婚して今は柚机史織って名前だったらどうする?」
にやり、とわざと悪い顔になって私は言った。ま、じらす趣味もないので、さっさと言うけれども。
「……は?」
「sty-xのギタリスト、SHIORIは私の母親」
「はぁ?」
うん、良い反応だ。でも今回の本質はそこじゃない。
「私だってはぁ?だったわよ」
「え、あんた知らなかったの?」
ごもっともだけれど、知らなかったものは仕方がない。恐らくは博史も史織も、その事実を隠すことに関しては徹底していたはずだし。
「十八年間隠し通されました」
私ではなくて夕衣が言う。
「だってあの女、私を妊娠したからsty-x辞めたのよ」
「まじでか」
そりゃ人それぞれに人生はいろいろあって然るべきだけれども。
「はぁ?あー?えー?莉徒さん、それって!な、な、なんですかぁ?」
「そっか紗枝にもまだ言ってなかったんだっけ」
というより、彩霞先輩に聞いていなかったのか。
「は、初耳ですー!」
「だから、私だってはぁ?だったんだっつーの」
苦笑して紗枝をなだめる。ということは、紗枝もsty-xを知っているのだろう。
「ふ、不思議なことがあるものです……」
「不思議っつーか、まぁ、彩霞先輩からの紹介だとそういうことにもなるか」
私だって実はsty-xのギタリストの娘でした、なんて知らなかった訳だし。
「です。彩霞先輩はそれ、知ってるんですか?」
「知ってたわよ。私よりも先にね。あの女、マジで性悪だわ」
「そ、そうだったんですか……」
ふん、と息を吐いて私は言う。しかもあの女、ばかじゃないの?とまで言いやがった。
「ともかく、集める仲間にも依ると思うのよね。プロって聞いたら嫌がる連中もいるだろうし、シークレットでならどっちか一バンドがいいだろうし」
ixtabやシャガロック、Kool Lipsならば、それなりの自信はあるけれど、私らの仲間のバンド全員がそういう訳ではない。中にはあまりうまくない連中もいるし、自分たちのサウンドに自信の持てないバンドだってある。プロの前で演奏するというプレッシャーがかかる中では演奏はしたくない、という連中も出てくるだろう。
「確かに。でもあんた何気に凄い女だったのね」
感心と呆れが混ざったような表情で小材は言った。
「凄いのは私じゃなくて史織だよ。ま、毛の先ほどでも音楽センスはもらってるみたいだから、今となっちゃ感謝してるけどね」
これだけギターが弾けているのは、史織のセンスもあるとは思う。勿論私自身の努力の賜物でもあるけれど。少なくともセンスや才能という言葉に溺れて練習を怠るほどの天賦の才はない。
「まぁじゃあとりあえずイベントの話は後にするとして、月末っていつよ」
「六月三十日。土曜だね」
ん?と思ったけれど夕衣がフォローしてくれた。
「そのライブ、見に行くわ」
「お、サンキュ。じゃあ史織に言っとくわ」
まだチケットって余裕あるのかな。まぁ大丈夫だろうけれども。
「えっ?sty-xのライブに出んの?」
「まさか。復活イベントの前座で、-P.S.Y-の谷崎諒と水沢貴之とバンド組んで」
いろいろ経緯はあるけれども、面倒なので細かくは話さなくても良いだろう。
「……充分あんたも凄いわよ」
そんな話をしたい訳ではないので、すぐに話を切り替える。
「ま、それは置いといて、今日のリベンジはキッチリさせてもらうわ」
「負けない、って?」
本当はKool Lipsか
「そ。まぁちょっとリズム隊は反則だけどね」
「かも知れないけど、それだけ聞き応えはあるってことじゃん。楽しみにしてるよ」
でも、きっと小材も本当は知っている。真剣にやっている音楽に対して、勝ち負けなんかないことを。
「期待してて」
「おっけ。じゃあ柚机、連絡先交換しよ」
言いながら小材は携帯電話を出す。薄いピンクの可愛らしい携帯電話だ。中々意外だな。
「おっけー」
「みんなも教えてよ」
「うん!」
「はい!」
夕衣も美朝も紗枝も携帯電話を取り出して、操作し始める。
「つーか由比がバンドやるとか、こういうとこに興味あったのはちょっと驚きだったわ」
小材はまず、私と赤外線通信をしながら、美朝に言った。
「やっぱりわたしのこと真面目っ子の優等生って思ってた?」
屈託なく、そう言って笑顔。やっぱり正直なところ、美朝が優等生なのは事実だけれど、『優等生』という枠にはめ込まれるのは窮屈なんだろうな。だからきっと私みたいなのと付き合っていても楽しいと感じてくれてるんだと私は思ってる。
「まぁ、ね。だからってそれが音楽やらない理由には全然なんないけどね」
そ。音楽だってスポーツだって、柄やイメージでするものじゃない。
「だよね。ね、三澄さん、私、キーボード始めたばっかりなの。今度良かったらピアノ、教えてほしいな」
「あ、う、うん!」
小材の隣で押し黙っていた三澄にも話しかける。いつも思うけれど、美朝の気遣いはさすがだ。
「小材は向こうの
「あぁ、あんまり行ったことないけど知ってるわよ。元々水沢さんの奥さんのお店でしょ?」
元々?でもまぁあっちの商店街では
「そ。私ら結構そこでだべってること多いから、気が向いたら顔出してよ」
「おっけ。今は確かすんごい可愛い子がやってる店だよね」
あぁ、なるほど。そういうことか。
「今はっていうか、可愛い子っていうか、その人、貴さんの奥さん本人だから……」
つまり、そのお店は水沢さんの奥さんがやっていたけれど、今は若い子にお店を任せてる、というようなことだったのだろう。それは実際勘違いされても仕方のないことだ。
「はぁ?なんで、あたしらの二つ三つ上くらいじゃないの?」
「違う違う」
パタパタと手を振って二十谺が苦笑する。外見が若すぎるのも考え物だ。史織を母に持つ私が言うことでもないけれども。いや、私だから言えることか。
「まじで?あ、いや、ちょっと待って、聞いたことあるわ。谷崎さんの奥さんが確か同級生なのよね」
夕香さんとは会ったこともあるのだろう。夕香さんの若さも異常だから、そこで無理矢理自分を納得させようとしてるのか。
「うんそう。あ、そういえば諒さんと夕香さんが宜しく言っといてくれって」
「お、そっか。んじゃ父さんと母さんに言っとく。とりあえずそっち遊びに行く時はメールするよ」
紗枝、美朝、夕衣と連絡先の交換を終えて、小材は笑顔になった。美朝たちは続いて三澄とも連絡先の交換をしている。私も後でしておこう。
「おっけ。待ってる」
「イベントのこととかも色々話そ。うちにも出て欲しいしさ」
「お、そうだね。いやぁ、楽しみになってきたわ」
嬉しいことを言ってくれる。つまりは小材も私と同じで、人を判断する材料なんて、自分自身でしかないことを良く判っているのだ。
「こうなると雅史がマジでウザいわ。あいつの茶々がなかったら高校ん時から絶対仲良くできてたのにさ」
ぐり、とバーカウンターへ回頭して、中の雅史を睨みつけた。
「ま、そこはそれ、これから楽しくやりゃいいじゃん」
まだまだこれから先、いくらだって楽しいことはある。
「それもそうね。二十谺の言うことにあんま耳貸さなかったのもあたし自身だし」
そうしてきちんと後悔して、反省を踏まえる。そういうところも私と同じだ。いや、マトモな人間ならばきっとみんなそうだ。
「まぁ別に誰も彼も仲良しこよしじゃなくていい、ってのは穂美も莉徒も言ってることだったからねぇ。あんたら私から見てもそっくりだし。もしかしたら同属嫌悪ってのもあるかもって、ほっといたのは私も悪かったのかもね」
ふぅ、と嘆息。もはやこのオーラは熟女だ。十九歳のくせに。
「誰のせいでもないわよ。でもあたしは気に入らないから個人的に一発、雅史をぶん殴るけどね」
ふはは。面白い奴。気に入ったよ小材穂美。
「くくっ、あんたホント、イイヤツだよ」
「そらお互い様なんじゃないの?」
笑顔になって小材も応えてくれた。だから、私は親愛の意を込めて呼んでやるんだ。
「言えてる。これからよろしくね、穂美」
私が差し出した拳に、自分の拳を軽くぶつけながら、小材……いや、穂美は笑って、こう私を呼んでくれた。
「おっけ、莉徒」
24:ロードスター 終り
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