22:蜂蜜酒

 二〇〇七年五月二七日 日曜日

 楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディション


 今日は久しぶりのKool Lipsクールリップスの練習だ。進学だ新学期だなんだでばたついたのは、私とベーシストの伊口千晶いぐちちあきだ。もう一人のギターボーカル、シズこと静河政男しずがまさおと、ドラマーの山雀拓やまがらたくさんは就職組だけれど、土日はきちんと休める仕事なので、英介えいすけのバンドUnsungアンサングのように活動休止などにはなっていない。進学組も就職組も、五月末ともなれば生活のリズムを整えられて、こうして久しぶりにみんなで顔を合わせた訳だけれども。

「それにしても莉徒りずのお母さんがsty-xステュクスSHIORIシオリさんだったなんて驚きだよなぁ」

 そう言ったのはドラマーの拓さんだ。拓さんは年上で、私らよりも三歳上の二二歳だ。だから、好きな音楽などは私らと同じような年代だけれど、昔から海外のバンドを多く聞いているので、LAメタルなどには精通している。当然G'sジーズ系も好きだし、sty-xも良く聞いていたらしい。

「何、そんなすげぇの?」

「あんたなんか足元にも及ばないわよ」

 Kool Lipsの一番のギターバカ、シズが言う。私だってそりゃ少しは同年代の学生、社会人バンドの中でもそこそこ弾けてはいる、っていう自信はあったのに、史織しおりのマジ弾きにはどん引きしたし、そのほんの少しのささやかな自信ですら、自惚れるな、と戒められたような気がした。

「まじかよぉ。淳也さんよりも?」

 こないだのライブ、見たかったぜ、なんて言いながらシズは目をパチクリさせている。

「や、流石に十八年ブランクあった人間と、現役ずっとやってきた人とは違うと思うけど、こないだ聴いた限りじゃ私にはどこにブランクがあるのかは判らなかったくらいにはすごい」

 The Guardian's Knightガーディアンズナイトのギタリスト、淳也さんのギターは相当凄いけれど、史織とは別ベクトルだ。The Guardian's Blueガーディアンズブルーの頃は速弾きなどもしていたけれど、最近は少々インプロ気味の即興っぽいギターソロを良く弾いている。対する史織はジャーマンメタルよろしく速弾きが大好きな女だ。同じ巧いでも二人の巧さはベクトルが全く違うのだ。

「まじかぁ」

「しかし十九年も一緒に住んでて全く気付かなかったんだね、莉徒」

 千晶ちゃんがおかしそうに言う。千晶と言ってもこいつは男で、かなりの長身。セルフレームの眼鏡が似合う、少しぼけっとした男だけれど、我が親友の一人、倉橋瑞葉くらはしみずはの彼氏でもある男だ。全く瑞葉はこんな地味男のどこが気に入ったんだか。

「そればっかりはこの柚机ゆずき莉徒、一生の不覚だわ。倉橋瑞葉と伊口千晶との交際を止められなかった時以上のね」

 でまかせと冗談。久しぶりのKool Lipsの空気感はやっぱりなんだか気持ちが良い。夕衣ゆい美朝みあさたちといる空気感とは違う心地良さ。私と夕衣が諒さんと貴さんと組む時に諒さんが言っていた。家族と言う言葉。まだ独り暮らしはしたことはないけれど、中学は全寮制だったし、どことなく、久しぶりに帰ってきた実家、という感覚に似ているかもしれない。

「え、止めてたの?」

「や、むしろ推奨したくらい。つぅかなに、初エッチの時はだいぶ痛がってたらしいじゃないの」

 夕衣に余計なことを吹き込んだ瑞葉もまだまだ青いということだ。なのでその責任は千晶ちゃんに取ってもらうことにしよう。

「んな!え、なに?」

「おいおい、強引はだめだぜー」

 私の知る限りでは一度として彼女がいたことがないシズが偉そうに言う。実は私は、シズが童貞なんじゃないかと踏んでいる。まぁ別にシズが童貞だろうとそうじゃなかろうと、どうだって良いことだけれど。

「い、いやしてないよ!ご、強引になんかしてないって!」

「まぁかなり痛かった、ってだけじゃその時強引だったかどうかなんて判んないわね」

 私だって天地がひっくり返るかと思う程痛かったけど、決してその時に乱暴にされた訳ではないし。というか、流石に私も親友とバンドメンバーがどんな行為をしているのかなどには興味はないし、想像もしたくないというものだ。

「や、つぅか、それ、どっからそんな話」

「夕衣から」

 食い気味に私は答える。

「は?」

「夕衣から」

髪奈かみなさん?」

 あの大人しい転校生が?と言ったところだろうか。夕衣は私や英介、元Ishtarイシュターの面々以外の前では結構猫かぶり、と言うと意地が悪いので人見知りと言っておこう。ともかく人見知りが激しいので、あまり深い付き合いがなければ、おとなしい女、というイメージがあるのは別に間違いではない。

「そうよ」

 夕衣は最近美朝とも瑞葉とも仲良くなっているから私としてはかなり嬉しい。元々二十谺はつかとはウマが合うのか、すぐに仲良くなったし、同性の友達が少なかって私としては本当にありがたいことだ。

「なんで瑞葉と髪奈さんがそんな話してんの?」

「何?あんたガールズトークに首突っ込む気?」

 流石に全てを話してしまうほど私も愚かではない。これは極めて重大な夕衣の悩みだから。

「や、そんなこたないけど、なんか俺、それじゃやられっぱなしじゃん?」

「むぅ、そうか……。まぁでも学園のアイドル、倉橋瑞葉と付き合えたんだからそんくらいはアレよ、有名税」

 だとしても千晶ちゃんが払う必要性はどこにもないのだけれど。

「有名だったのは俺じゃない……」

「よっし、久しぶりに張り切っていこうか!」

 ぼそりと言った千晶ちゃんの言葉を無視して、拓さんが元気良く言った。流石はKool Lipsの扇の要。ナイスタイミングだ。

「あいつの隣に君の彼女を座らせちゃだめさ~」

 ギターケースを抱えながらシズが歌ったので私もそれに続く。

「上から下まで待ったなしだぜ~」

「誰だよ」

 無視された腹いせか、シズの肩をどす、と叩きながら千晶ちゃんが低い声を出した。


 同日

 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITION


 Kool Lipsの練習を終えると、私はそのままsty-x復活イベントバンドRossweisseロスヴァイセの練習に入る。Rossweisseとは女神というか、北欧神話に登場するワルキューレ、いわゆる戦乙女の一人らしい。そしてRossweisseが登場するのはワーグナーのオペラ『ニーベルングの指輪』らしいのだ。ちなみに私はオペラなんぞ全く判らないし、この名前を決めた夕衣も判らないらしい。

 なので結局女神といっても架空のもので、音が良いから選んだ、というだけの話だ。そもそもこんなことを言ってしまってはバチが当たるかもしれないけれど、女神などみんな架空のものではないのだろうか。

「でもよ、なかなかかっけぇじゃん、ロスヴァイセなんて。やっぱ夕衣に任せてよかったな」

「そりゃユイユイズにされるのは断固阻止、でしたから」

 セッティングを終えた夕衣はそう言って苦笑した。私はそれならそれでいいかな、とも思ったんだけれど。

「いいじゃん、ユイユイズ。可愛い」

「アラフォーのおじさん二人いんだからよ……」

 バンド名というものは結局のところ、慣れだ。少し前に奥谷瀧男おくだにたけおWarlock Hermitウォーロックハーミットが対談をしていた時にそんなことを言っていて、なるほど、と思ったことがある。最初に何という酷いバンド名を、と思っても知らず知らずのうちに慣れてしまう。

 ただ、我がKool Lipsのバンド名が決まる前に、良くは覚えていないけれどシズが考案したファイヤーブラスターだかなんだか、何かの必殺技みたいな名前になりそうになったときは断固拒否したけれど。慣れたくない名前、というのもあるのだ。

「アラフォーには見えないわよ、別に」

「だとしてもなぁ」

「だとしても、ですよ」

 たかさんと夕衣が同時に言う。なんだ、息ぴったりだな。昨日の涼子りょうこさんの話でますます貴さんの好感度が高くなったのかもしれない。このまま恋心にまで昇華して行ったらおもしろ、基、大変なことになる。

「な」

「はい」

 妙に息も合っているではないか。

「なによ付き合ってんの?」

「う」

「いいえ」

 だがしかし相変わらず夕衣の否定は早い。

「……」

「さて、今日も流す感じでいいよな」

 貴さんがひとしきりいじけたところで、りょうさんがぱん、と手を叩いた。

「そうっすね。あとは夕衣のソロ練」

「すみません……」

 ぺこり、と頭を下げる。そう、夕衣が頭を下げることなど一つもない。夕衣は私がギターボーカル兼、ギターソロまでしては大変だ、と不慣れなギターソロにチャレンジしてくれているのだ。

「何をおっしゃるか。もうだいぶイケてんじゃん。来週あたりには楽勝だろ」

 そう。しかしそこは練習の虫、髪奈夕衣。もはや充分ライブでも聞かせられるレベルだ。それでも念には念を押す。もはや私たちの練習は、ぶっちゃけてしまえば弾き慣れることでしかない。

「楽勝ではないですよー。家でも毎日練習はしてるんですけど中々……」

「まぁ座ってやんのと立ってやんのじゃ全然違うしな」

 と諒さんは言うけれど、夕衣は座ってやってないはずだ。

「わたしは家でも立って練習してますよ」

「うん私も。それって当たり前なんじゃない?」

 私たちの本番、つまり目標は『ライブで演奏する』ことだ。本番は当然のことながら立って弾く。そのための合わせる練習ももちろんスタジオで立って弾く。当然、スタジオで弾くために家で練習するときは、立って練習するのが当たり前だ。本番と違うスタイルで練習をしても何も意味はない。

「当たり前だと思うけど、そうじゃないヤツもいっぱいいると思うぜ」

「そっか」

 当然座って弾いた方が弾きやすい。既存曲のコピーをする時などは、譜面と首っ引きになることもあるので、ある程度覚えるまでは座って弾くこともあるが、私の場合その曲を覚えてしまったらそこからは座って弾くことはない。

「でもまぁ、だから夕衣も莉徒も上達早いんだろうな」

 そう貴さんが言うけれど、それはきっとただ単純に練習量なのだと思う。

「早くはないと思うけど」

「そぉか?何か身についてる、って感じしねぇ?」

「それはするけど、上達が早い、とは中々思わないかな」

 それは今やっている音楽が私好みだということもある。もともと得意なものをやっているのだから、私には目覚ましい発見や進歩などというものは殆ど感じられないのは当たり前だ。

「わたしは少し思う。莉徒は元々弾けてるからね」

「まぁそうだね」

 そう、けれど、今までこうした音楽をやってこなかった夕衣は違う。もう一ヶ月以上、ロックンロールやLAメタルを練習してきた夕衣には、今までにない知識や技術は身についただろう。

「うん家でもクリック練習はしてるから、やっぱりこないだまでできなかったことができた、っていう実感は大きいよ」

 さすがは練習の虫。私もクリック練習は基本的には家でやる。スタジオで合わないところを練習するための、いわゆる『練習のための練習』は本来ならば家でやるべきだと私は思っている。

「まぁクリック練習はおれたちでもするしな」

「そうなんだ」

 ほほう、プロでもそうなのか。

「結局なんだかんだ言って、ゆっくり分解すんのが一番の練習だからなー」

「そうだよね、やっぱり」

 ゆっくりできたら少しずつ速くして行く。難しい部分の練習は結局のところこれしかない。

「よぉっし、んじゃやっか!」

「あーぃ!」

 話が一段落ついたところで、皆のセッティングも終わり、今日も気合の練習だ。


 同日

 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITION


 Kool Lips、Rossweisseの練習が終わると、次は紗枝さえバンドカッコ仮称の練習だ。

 あれ、私、こんなバンドばっかしてていいんだっけ……?

「で、バンド名は、まぁ夕衣のイシュターシリーズにも入ってるんだけど、Medbメイヴってどうかと思う訳よ」

「メイヴ?ですか?」

 うん。音はすごく好き。でもどんな女神かにもよる気がするなぁ。

「でも私も創っといてあれだけど、メイヴって厳密には女神じゃないよね」

「妖精の王女になるのかなぁ。ケルト神話に出てくるし、神話に登場していて神格化、って話ならまぁ一応女神として見られてるっていう説もあるけど」

 ビミョーよね、と二十谺が笑った。妖精の王女か。ジャコバ某しか頭に浮かばない。しかも醜い老婆。でもあれは確か妖精じゃなくてフェラリオだ。

「妖精の王女ってティターニアじゃないの?」

「タイタニアでしょ?」

 美朝が言ったのでわたしも返す。その辺なら少し知っている。

「その辺は諸説あり。読み方も色々。その手のイロイロを扱ってるゲームとかラノベだとティターニアって表記が多いけどね。それにティターニアはシェイクスピアのロミオとジュリエットの中で歌われてるマブっていうのとティターニアが混同されてどうのとかって話なのよ」

 マブか。それがメイブと同一視っていうのはまぁ頷ける話かもしれないけれど、名前の移ろい方など結構いい加減なものだ。それに別に実在もくそもなければ、日本では信仰されている訳でもないのだから、その辺の話は正直どうだって良い。要するに私たちが気に入るかどうか、という話だ。

「マブよりはメイヴのがいいね、確かに」

 夕衣が言う。自分の曲にも使ったからだろう、とは言わない。

「それにマブは自分の経血と蜂蜜を混ぜた赤い蜂蜜酒を配って、その支配権を分け与えたり、とかしてるちょっと偉そうな感じなのよね」

 経血とはまた穏やかじゃないな、神話らしいいかにもな血生臭いダークな匂いはするけれど。

「へぇ。夕衣が決めたRossweisseもさ、確かオペラかなんかだったよね」

「そうだけど、でもやっぱり知識でははっちゃんにはかなわないなぁ」

 それでも夕衣も充分ついて行けている気がする。勉強熱心な女だ。

「まぁ私は小学生の頃から神話とか好きだったから」

 子供のころからか。私はアニメくらいだな。魔法少女やら魔女っ子やら、変身ヒーロー、合体ロボットやらならば多少は判る。コアな話には変わりないけれど。

「わたしは最近だからなぁ」

「でも面白いでしょ」

「うん、面白いね」

 にこり、と二十谺に笑顔を向ける。くそう、可愛いなばかやろう。

「そういえば紗枝はそういうの、なんかある?趣味とか」

 そうね、そういうのがあれば誰かの何かに被るかもしれないし、そうなれば会話も弾むかもしれない。さすがは二十谺。褒めて遣わす。

「しゅ、趣味はバ、バンドです……」

 急に話を振られてか、赤面して下を向く紗枝。これはやっぱり性格だろうな。すぐには治らない。

「流石にそら判ってるわよ。他にさ、私だったらロボットアニメとかヒーローものとか好きなんだけど」

 他にも諸々好きだけど、一気に情報開示してもいけない。緊張しているからなのか、元々がそうなのかはまだ判らないけれど、恐らく紗枝の一時的情報保存容量はさほど多くないだろうから。

「え、ええと……」

「そんな焦んなくても、っていうか、探すくらいだから、あまりぱっと思い浮かぶのはないんでしょ」

 悩む紗枝が気の毒になったのか、夕衣が助け船を入れる。何というか、どことなく、まだ私たちに心を開く前の夕衣に似ている気がする。だから夕衣も気にかけているのかもしれない。

「え、ええと……ほ、本!しょう、せつが……好きです」

「ほほぅ」

 絞り出すように言った紗枝は更に耳まで真っ赤にしている。そんなに照れられてもなぁ。

「あ、あぁい、いやでも、そんなに……」

「私だってそんな詳しい訳じゃないわよ。ただ好きなだけ、って感じだもん」

 極めなくちゃ趣味とは言えない、なんてことはないと私は思っている。そりゃ極めたら凄いのだろうけれども、そもそも趣味など自己満足でしかないし、極めなくても満足感が味わえればそれで幸せだ。そこを他人が線引きしてはいけない。

「でも本好きだったら、美朝ちゃんと合うかもね」

 確かに。美朝はそれこそ私と出会う前、中学生の頃から物語を書いている。美朝の作品は何作か読ませてもらったけれど、正直度肝を抜かれるくらい真面目に取り組んでいる作品だった。話が生真面目だとかそういう訳ではなく、美朝の取り組む姿勢が真面目で真剣だと判る作品だったのだ。

「でも私もあまり量は読まないから……」

 それでも美朝はいつも何かしら文庫本を持ち歩いている。今も何か持っているだろう。美朝が読まない部類に入るのだったら、私などどうなってしまうのか。

「ちがうちがう。美朝ちゃんのやつを読んでもらったら?」

「え、や、そ、それはちょっと」

 今度は美朝が赤面する。そう、美朝もたいがいこんな性格なので、強引にでも読ませろ、と言わないと中々読ませてくれないのだ。

「や、それは読んでもらった方がいい」

 折角きちんと書いているのにもったいない。特に本好き、という人間ではなくても、活字を読むことにストレスを感じない人間にはどんどん読ませれば良いのだ。

「え、み、美朝さん、書くんですか?」

「え、う、うん」

 お互いに赤面して話す照れ屋ども。

「読みたいです!」

 目を輝かせて紗枝は言う。いい傾向だ。これならば意外と慣れるのは早いかもしれない。

「わたしはすんごく好きだったよー」

「ゆ、夕衣ちゃん」

 あわわ、とでも言いたげに両手をパタパタと振りながら美朝は慌てた。

「私も好き」

 私も言ってやる。

「え、何?ちょっと美朝、私にも読ませなさいよ」

 ぬ、と唸ってから二十谺が言う。二十谺も良く本は読む方だ。少なくとも夕衣や私よりも。

「え、あ、じゃ、じゃあ今度持ってくる、ね……」

 観念したように美朝が下を向く。少し気の毒な気もするが、美朝の作品はもっと多くの人の目に触れた方が良い。良い意味でも悪い意味でも。

「楽しみです!」

「紗枝はどんな話が好きなの?」

 だいぶ元気が良いな。これならドラムを叩かせても大丈夫かな。恐らく気分が高揚している時は、緊張感がほぐれるのかもしれない、とこないだの彩霞先輩とのやり取りを見ていて思った。

「え、れ、恋愛もの、です……」

 恋愛もの好きで何が悪い。私だって恋愛ものは大好きだ。ローティーン向けの砂を吐くような少女漫画的なヤツでなければ。

「じゃあ美朝のは丁度いいじゃん」

「……」

 美朝の作品はそんな甘い話ではないことが多い。これは美朝の体験談から創られているからなのでは、と思うこともあるくらい、いやにリアルな描写があったりもする。

「美朝、顔が真っ赤よ」

 二十谺が言ってからかう。

「や、で、でもそんな、ハードル上げないで!大したものじゃないから!」

「あんたの自己評価なんてどうだっていいわよ」

 そう私は言い捨てる。創作物はそれが漫画であれ小説であれ、絵であれ、音楽であれ、他者の評価が物を言う。

「どいひー……」

「や、だってそういう創作物ってさ、だれがどう受け止めるか、っていう評価じゃん。それが王道だろうと覇道だろうと邪道だろうと偏見だろうとさ」

 自分で良くできたと思っても、百人が駄作だと言えばそれは駄作になるし、自分では駄作だと思っていたものが、名作に祭り上げられることだってある。

「まぁ私たちバンドも同じだもんね」

「そうね」

 それは音楽でも全く同じだ。

「二十谺は?神話以外だと」

「私はモノにもよるけど、恋愛モノとミステリ」

 二十谺でも恋愛ものか。少し意外だった。それにしてもミステリとは。そっちは二十谺に似合っているような気がするけれど。

「サスペンス?」

「や、それに限らずだけど、基本謎解きって言うか、人死にしないやつ」

 そんなミステリがあるのか。ミステリと言えば火曜夜九時からのアレではないのか。それはサスペンスなのか。そもそもサスペンスとミステリの違いは何なのだ。

「あ、そういうのならわたしも好き」

 夕衣はそんなに本を読まないだろう。私より多いだけで。それとも私が知らないだけなのか。だとすると焦る。

「ミステリはいつか書きたいと思ってるんだけど……」

 要するに人が死ななかろうと死んでようと、その謎を解く、というのがミステリならば、相当頭が良くなければ書けなさそうではある。

「そういえば貴さんも昔書いてたって言ってたよね」

「え、知らない」

 貴さんが?小説を?私は聞いたことはない。

「あれ、勘違いかな」

「今度訊いてみたらいいじゃん」

 最近は夕衣の方が仲良しだからな、貴さんとは。

「ま、そうだね」

「涼子さんがヒロインのラブラブなやつだったら退くね」

 もしもそんなんだったらvultureヴォルチャーで思いっきり砂吐いてやるわ。

「貴さんのことだから、SFアクションとかじゃない?」

「ロボットモノとか」

「有り得そう」

 確かのあの稚気の塊ならばそれもあり得る。なんでもお店のピアノの上にロボットのプラモデルを置くか置かないかで、夕香ゆうかさんとやりあったこともあるらしい。何と言う無謀な男だろうか。

「貴さんでも、実はすごい優しい話とか書いてそう」

「一番リアルに有り得る……」

 そう。多分だけど貴さんのあの稚気や能天気は言ってしまえば『めっき』に近い気がするのは私も薄々感じていた。この間の涼子さんの話を聞いてからは、更にそう思うようになった。あの人は本当に大人で、優しすぎるほど優しい人なんだ。そこを見透かされるのが嫌で、わざと子供ぶったり、能天気な役を演じたりしている。そんな気がしてならない。そしてそんな貴さんが、もしも美朝と同じように、真剣に向き合って書いた作品があるのならば、私も読んでみたい。

「あの、えと、れ、練習は、しないんですか?」

 そんなことを考えていたら紗枝が申し訳なさそうに言った。スタジオに入ってすでに二十分以上が経過している。さすがにおかしいと思ったのだろう。

「うんまぁボチボチ」

「ぼち?」

 紗枝以外には連絡はしてある。

「私らが落ち着くまではがっつりやんないの。ま、紗枝ともっといっぱい仲良くなりたいしね」

 練習しない理由にはならないけれど、これはコミュニケーションの一環だ。紗枝の実力を引き出すのに、時間をかけて仲良くなるか、ブチキレさせてドラムを叩かせるかという方法しかないのならば、私達は迷わず前者を取る。

「……」

「紗枝ちゃん、可愛い」

「なー?可愛いよなー?」

 私の言葉に赤面して俯いた紗枝を見て、美朝がこれまた可愛らしい笑顔で言った。うーむ、このランクなら正直アイドルユニットとしてもイケるんじゃないのか。歌ってダンスなど冗談ではないけれど。

「で、でも、スタジオ代、もったいなく、ない、ですか……」

 そこか。ちょっとばかな妄想をしてしまったけれど、確かにそれはスタジオに入る以上は心配だし、もったいないと思う第一の理由だ。しかし。

「あー、今日はダーターだから大丈夫」

「だーたー?」

 う、うーん、しまった。

「タダ」

「えっ、なんでですか?」

 すぐさま夕衣がフォローを入れてくれたので、態々説明は入れないで済んだ。

「ここのスタジオはね、sty-xイベントに出るバンド用に、ずっとフリーで空けてもらってんのよ」

「す、すごい……」

 まさか私たちの私用でも使わせてくれるとは思っていなかったのだけれど。

「凄いのは私らじゃなくて諒さんたちね」

「その諒さんたちに選ばれたあんたらは充分凄いわよ」

 そう二十谺は言ってくれたけれど、その辺は実力云々よりも、ほとんど運だ。たまたま近しいところに私たちがいた、というだけの話だ。

「だよね」

「すごいです」

 それでも彼女たちの賛辞を否定するのも違うのは判っている。諒さんや貴さんの御眼鏡にかなったのは、確かに私たちの努力の結果でもあるのだろうから。

「なんで、とりあえずさ、紗枝も緊張しちゃうとアレな感じだしさ、こうやって少しずつでも色んな話とかしようよ」

 バンドを続けて行くのならば、結局のところそれが一番の近道だ。長く続けて行くつもりがないなら、彩霞あやか先輩の取った行動でも良いのかもしれないけれど、バンドなんてやっていれば絶対に誰かがどこかでストレスを溜めてしまう。長くバンドをするのならばそんなストレスを消化できる環境というものは絶対に整えるべきだ。

「あ、ありがとう、ございます」

「紗枝って誰にでもそうなの?」

「そう?」

「敬語」

 二十谺の口調はいつもよりも幾分優しい。二十谺は美朝と一緒でよく周りのことに気が付くやつだから、紗枝のこともある程度は掌握しているのだろう。

「あ、いえ、妹とか、家族には普通です、けど……」

「同い年の友達とかは?」

「こ、こんな感じ……。です……」

「ま、無理に変えることはないけどさ、変に気ぃ遣ってそうなんだとしたら、そんなの気にする方が私らに失礼だかんね」

「あ、は、はい」

 そもそもが敬語になりやすい口調ならばそれは仕方がない。無理に直せ、と言う方がストレスになってしまう。バンドだって男女の付き合いだって、自然体が一番だ。

「まぁ私も莉徒もちょっと口はキツイ方だから、その辺もあんまり気にしないでね」

「判りました」

 にこ、と紗枝が頷く。私や二十谺は確かに誤解されやすいタイプだ。夕衣や美朝のように、殆どの人に好印象を与えるの難しい。その辺も判ってもらえると、うんと付き合いやすくなるはずだし、打ち解けるのも早いはずなんだ。以前の夕衣のように。

「紗枝ちゃん妹さんいるんだ」

「あっ、はい。四歳年下でまだ中学生です」

 逢太の一つ年下だ。

「へぇ。写真とかないの?」

「ありますよ」

 そう言って紗枝は携帯電話を取り出すと、それを操作した。

「わ、可愛い!」

 携帯電話のディスプレイを見て美朝が声を上げた。まぁまぁ美朝という女にかかれば涼子さんのごとく、殆どの人間が可愛くなってしまうので、あまり信用はできない。

「うっわ、マジ可愛い!私も妹がほしかったなぁ!」

 美朝から紗枝の携帯電話を受け取って私も思わず声を高くする。

「妹は妹でクソナマイキだとむかつくわよ」

「そんなもん一時のモンでしょうよ」

「まぁそうかもだけどさ」

 数年前に妹と壮絶な姉妹喧嘩をしていた二十谺が苦笑する。あの時の宮野木みやのぎ姉妹は正直私でも軽く引くくらい怖かった。

「莉徒さんはご姉妹は?」

「私はクソナマイキな弟がいるわ。まぁ何だかんだ言って可愛いとこあるけどさ」

 だから実際には弟よりも妹が欲しい、という訳ではなくて、妹も欲しかった、という程度だ。

「私は年の離れたお姉ちゃんがいるよ」

「何歳くらい?」

「十二歳離れてるから、三十一歳」

「え、そんなに?」

 美朝がこの話をするのは初めてかもしれない。紗枝や二十谺はともかくとして、夕衣も聞いたことはないのではなかろうか。私は以前から知っているけれど、あまり勝手に吹聴できるような話ではない。

「うちね、親が再婚してるの。お姉ちゃんのお母さんはずっと前に病気で亡くなって、私のお母さんとお父さんが再婚して私が生まれたんだけど、結局お母さんの浮気が原因で別れちゃったんだ」

「相変わらず重い話を明るくするわね、あんた」

 美朝が笑顔で言うので、私も笑顔で言う。重苦しい雰囲気にさせるのは美朝の思うところではないと判っているから。

「暗く言ったって何も変わらないじゃない」

「ま、それは確かにそうだよね」

 夕衣も言って笑った。夕衣も四年前に姉同然の存在だった従姉を亡くしている。だから美朝の気持ちも良く判るのだろう。 

「それに今楽しいし、充分幸せだよ」

「それ以上望むのは贅沢、ですか?」

 私から夕衣、夕衣から二十谺へ渡った携帯電話が紗枝の手に戻ってきたと同時に紗枝が言った。

「そ」

 うん、と一度頷く。いかんな、由比ゆい美朝、それはいかんぞ。

「だめだめ!女子の幸せ願望は天井知らずのうなぎのぼりじゃなきゃ!」

 そう言って夕衣が立ち上がった。さすがは我が相棒、良く言った!

「その通り!」

 私も頷く。小さな幸せで満足なんかしていられない。強欲だと言われようとも、私たち女子は至高の幸せを望むべきだ。

「今私そこそこ幸せだし、ま、いっか、なんて思っちゃだめよ!」

「う、うん判った」

 私と夕衣の勢いに気圧されたのか、美朝は苦笑したけれど、これはかなりマジだ。

「でも『私は今幸せだ』って確認できるのはいいことだよね。天井知らずはいいけどさ、自分がどこにいるかも判ってなけりゃ、妬むばっかりになりそうだし」

 さすがは二十谺。良く判っていらっしゃる。

「そうれはそうだね。私は中三の時はそんなことばっかり考えてた気がする」

「そうなんだ」

「丁度親の別れ目の時だったし」

 特に今とさして年齢も変わらないとは思うけれど、今よりも絶対的に多感な時期だ。良くこんなにまっすぐに育ったなぁ、美朝は。

「中三かぁ……」

「何、どした?」

 夕衣も思えば従姉、裕江ゆえ姉の話は私と英介にしかしていない。二十谺が投げた言葉に夕衣は苦笑を返した。裕江姉が亡くなったのも中学三年生の頃だ。

「あ、ううん。受験の時なんて大変だな、って」

「あぁそっか」

 誰しもが高校受験の時は大変な思いをしたことは判っているけれど、美朝や夕衣のように精神的なダメージが大きかったようなことは私にはなかった。その代り私の場合、大学受験が恐ろしく大変だったけれども。

「志望校のランク、一つ下げたんだ」

「そうだったのか!」

 確かに美朝のレベルならもっと学力の高い学校にも行けただろう。

「うんでも、わざとね」

「え、なんで」

「遠くの学校に行きたくなかったの。瀬能か、七高じゃないと行きたくなかった」

 それは何故だろうかね。本当の理由はきっとあると思う。まだ美朝はそれを私たちには話してくれない。何でもすべてをあけっぴろげに話し合うことが親友だなんて思っていないので、それは構わないのだけれど。

「なるほどね。今は知らないけどさ、私らん時は七高って瀬能より入りやすかったよね」

「うん」

「そ、そうね」

 要するに瀬能学園よりも、七本槍高等学校の方が偏差値は低い、つまりはばかだと言われていたのだ。

「どしたのよ、莉徒」

「やぁ、お前七高ギリだから瀬能は無理だぞ、って言われてたなぁ、と思ってさ」

 でも瀬能に受かった。良かった、マジで。

「そう言えば夕衣って転入するときに試験したの?」

「してないよ。試験があるのは編入だけだって」

 まぁそうだよなぁ。瀬能なんて一貫教育校ではあるものの態々転入で入学テストなんてするほどの名門校でも進学校でもないし。

「編入?と転入ってどう違うの?」

「編入は一旦中退した奴が、もっかい入ること」

「あぁ、だから編入は試験が要るのか」

「そうみたいね。良く判らないけど」

 なるほどなぁ。そんなこと良く知ってるなぁ。必要な知識ではないはずだけれども。

「転入は前の学校でそこそこ普通に学校通ってれば何も問題なくできるらしいよ」

「へぇ」

「さぼりまくってた莉徒じゃ無理だったろうね……」

 痛いところを突いてくる。

「そ、そんなことないわよ」

「あんた冬休み春休みにどんだけ補習出た?」

「それを言うな……」

 さすがに三年生の最初の頃は良くサボってて、出席日数もぎりぎりセーフ程度だったので、冬休み、春休みでかなりそれを補った気がする。

「り、莉徒さんって不良だったんですか」

「御名答!」

「ちがう!」

 素行不良だっただけだ!不良でもヤンキーでもない。断じて。

「そう言えば紗枝ちゃんって高校は?」

 瀬能学園にはいなかったことはさすがの莉徒さんでも判る。

「あ……な、七高、で、す……」

「……」

 思わぬ告白に黙る一同。だいたいこういった時にその原因を作るのは私だったけれど、今回は違かった。

「ごるぁ!だれだ七高ランク低いなんつったやつぁ!」

「はっちゃん」

「は、入りやすいって言っただけよ!紗枝のランクが低いなんてひ、一言も言ってない!」

 二十谺が珍しくうろたえる。これは中々珍しいものを見られた。

「え、い、いえ!だ、だ、大丈夫です!こ、ここ、こうしてちゃんと大学生になれたんですから!」

 中々良いフォローだ。セルフフォローにもなっているし。

「大人」

「紗枝大人」

 私と二十谺が口ぐちに言う。割り切り上手なのか、度量があるのか、諦めの境地か……。ともかく怒りを露わにはできないタイプなのだろう。

「えらす」

 と夕衣。

「エロス」

 と私。

「ばかす」

 と二十谺。

「……」

 もうちょっと優しい突っ込みを……。

「よぉーっし、んじゃ軽く流す?」

「は、はい!」

 ぱん、と手を叩いて私は空気を切り替えた。でなければやってられない。

 ちっきしょうばろーべらんめい。というのは冗談だけれど、少し音出しは音出しでやっておかなければならない。

「紗枝リラックス!」

 だめだとは思うけれど、とりあえず声をかける。

「は、は、はい!」

 だめだこりゃ。


 22:蜂蜜酒 終り

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