18:ソース焼きそば

 二〇〇七年五月六日 日曜日

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディション


 ゴールデンウィークも今日でおしまい。結局なんだかんだと音楽漬けのゴールデンウィークになってしまった。私としてはとても充実していたけれど、夕衣ゆいはもっと英介えいすけと遊びたかったのではないだろうか。

 私は彼氏は今はいないし、まぁ今のところいなくても良いのだけれど、やはり、少し、淋しい気がしないでもない。そしてさらに不毛なことにゴールデンウィーク最終日にはアルバイトにいそしんでいる訳で。

「こんにちわー」

 我が心の相方、髪奈かみな夕衣が男連れでいらっしゃいました。

「おー、夕衣。あんたもたいがいヒマよねぇ」

 ここの所しょっちゅう顔を見ている夕香ゆうかさんが夕衣を見て苦笑する。

「そんなヒマなわたしが夕香さんに提案です」

「何?バイトで入ってくれんの?」

 お、それはなかなかナイスな提案だ。夕衣がいればキツイ仕事も、キツイながらも楽しくできるし。

「お、いいんですか?」

「こっちからお願いしたいくらいよ」

 現状本当に人手不足だし、私としても夕衣にはぜひ手伝ってもらいたい。最近私も知ったのだけれど、この店の収益構造のごく一部。だけれど、正直私らバンド者の利用よりも重要なウェイトを占める仕事が、この楽器屋にはあるのだ。

「ナイス夕衣!」

「い、忙しそうね」

 脚立に乗って、ショウブースの上段のギターを入れ替えている私を振り向いて夕衣が苦笑した。ちなみに私が作業しているブースのギターは初心者用の一本一万円から二万円くらいの安いギターだ。

「今日からでも入ってほしいくらいだが?」

 今日はほかのスタッフも真佐人まさとさんも外出していて、お店には今現在、夕香さんとわたし、それと数年前からいる香憐かれんさんだけだ。

「えーちゃんもやる?」

「え、いいの?」

 夕衣と一緒に私の作業を見ていた英介がぐり、と夕香さんの方へ振り返る。英介は夏のフェスシーズンと同時に繁忙期になるこのお店の臨時アルバイトを毎年やっている。

「いいわよ。三月いっぱいでみんな就職だの進学だのでやめてっちゃったしね」

「あぁ、そう言われてみればそうっすね」

 進学やら就職やらで辞めなかったのは本当に香憐さんくらいだ。香憐さんはキーボーディストで、ストリートで弾き語りを披露している。物腰の柔らかい性格で、そう、きっと涼子りょうこさんの若かりし頃、のような感じもする。知り合った当初は私のような勢いのある女は嫌いだろうと思ってあまり話しかけなかったのだけれど、一度ライブに来てくれてからは仲良くしている。きっと夕衣も仲良くなれるだろう。

「ゴールデンウィークはみんな遊びたいだろうしさ、明けたらバイト募集しようと思ってたとこ」

 アルバイトをするような年代の遊びたい盛りの年齢層の気持ちまで把握して仕事をしているのだからもう脱帽だ。仕事としてそれはどうなのか、と問いたい気もするのだけれど、誰かが必ずお店にいる。遊びたい気持ちを抑えて仕事をしてくれた人間にはアルバイトであろうが、臨時の賞与をくれたりもする。去年の夏はかなりコキ使われたけれど、それなりにアルバイト料は弾んでもらえたし。

「夏に向けてっすか?」

「まぁそれもあるけど、あれ言ってなかったっけ?ウチこのあたりの小学校、中学校、高校の教材もやってるし、学校にある楽器のメンテナンスとかでも結構人取られちゃうのよ。だからお店の中にいてくれるバイトが結構必要な訳」

 そう。私もつい最近知ったばかりなのだけれど、このお店の、間違いなく収益の大部分を占めている仕事。インストアシェアって言うんだっけ。ここら一帯の小学校、中学校、高校と言ったら合わせて十校以上ある。それだけの学校の、たとえば個人に行き渡るであろうリコーダーやハーモニカ、鍵盤ハーモニカ、カスタネットなどなど、及びもつかないほど大量の楽器を流通させているのだ。それに学校の教材としても、ギターやオルガン、ピアノ、ドラム、それこそ吹奏楽部で使う管楽器などもあるし、当然それらのメンテナンスだってある。

「おぉ、なるほどー。教材とは盲点だった」

「うんうん」

 そらギターの一本や二本、儲けなしの破格で売ろうがどうということはない訳だ。

「メンテっていうと調律とかもするんですか?」

「勿論よ。あたしもできるけど、中々あたしが外回りってのもできないからね」

「なるほどぉ」

 確か涼子さんの家にあるピアノは夕香さんが直々に調律をしたのだと聞いた。

「それに子供の面倒も見なきゃだし」

「あぁ、そっか、そうですよね」

「え、待て」

 夕衣が夕香さんの言葉を流して納得しかけたところを私が静止した。今なんだか、とんでもないことを言いはしなかったか。

「え?」

 頭の上にハテナマークを出しながら夕衣は私を見る。史織しおりのことをカミングアウトした時もそうだったけれど、夕衣って時折、人の話を本当に聞いているのか不安になる。

「何、夕香さんって子供いんの?」

「あ!」

 遅い。遅いぞ髪奈かみな

「はぁ?いるわよ。あれ?言ってなかったっけ?」

 夕香さんもハテナマークを出しながら言った。い、いや初耳ですけれども。

「聞いてないっすよ!お前知ってた?」

「し、知らなかった……」

 英介が言って夕衣も驚愕の眼差し。

しゅう、って言ってみふゆと同い年のイケメンよ」

「イケメン……」

 いや確かに夕香さんは超絶美人だし、諒さんだって決してブサメンではない。それに夕香さんも諒さんも背は高いし、きっと良い男になるのは間違いないだろう。お年頃になったら私のヨメということで何とか予約は取れないものだろうか。

「将来はみふゆと結婚させるのよ!」

 ち、みふゆちゃんか。みふゆちゃん相手では正直太刀打ちできない。よもや十二歳にしてクラスどころか瀬能学園小学部のアイドルみたいになっているらしいし。

「本人同士の意志は……」

「それは一番尊重するに決まってるでしょ!」

 まぁ相思相愛ならば何も言うことはないけれども。それにしたって水沢みふゆともなるとなかなか難しいだろう。まだ愛だの恋だのという気持ちに憧れを抱いている年頃だろうけれど、お年頃になってみふゆちゃんくらい可愛かったら男なんて選り取り見取りだ。夕香さんの息子さんの愁君がどれほどのイケメンかにもよるけれど、中々水沢みふゆを落とすのは難しいかもしれない。幼馴染がアドバンテージを取れるなんてきっと漫画の中でだけだ。

「つぅか、マジかー」

「何ショック受けてんのよ。まぁ驚いたけどさ」

 涼子さんに十二歳の娘がいるのだから、夕香さんに十二歳の息子がいても何ら不思議はない。私はなんだか聞いたことのないメーカーの緑色のギターを下して、ピンク色のギターにかけなおす。

「や、なんか夕香さんってお母さん、ってイメージなかったからさ……」

「しっつれぇねぇ。あたしがそうなら涼子とか史織さんはどうなのよ」

 それは見た目のイメージなのか、内面的なことなのか。どちらにしても史織にそれはない。皆無と言って良い。

「や、涼子さんはお母さんってイメージありますって」

 確かに。良妻賢母の鏡というか、あの人は妻も母も恋人もすべてきちんとこなしている気がする。その点夕香さんは『夕香さん』でしかないような気がする。それは人としてとても魅力あることなのだろうけれど、それだけでしかない、と言われればそうかもしれないので、少し複雑だ。

「そりゃあんたらが涼子とみふゆが一緒にいるところを見てるからでしょ」

「あぁ、それはそうかもしれないですね」

 みふゆちゃんは時折お店の手伝いをしているところを見かけることがある。涼子さんの娘だけあって良く気が付くし、様々な面で貴さんに似なくて良かったなぁ、などと余計なことまで考えてしまう。

「息子さん、今度連れてきてくださいよ」

「別にいいけども」

「史織もお母さんって感じはしないけど、そういう親の方が子は立派に育つという事実は立証されています!」

「そういえばここにはあんまり連れてきたことないかもねぇ。諒の方には良く行ってるんだけど」

 おいおいおい。ガン無視にもほどがあるよ。

「嫌われてるんじゃ……」

「えーちゃんのバイト代だけ低くしちゃおうかな……」

 そろそろかな。私は会話が途切れるのを待ってから、短く息を吸う。

「無視か!」

「八割がた流されるって判ってたでしょ?」

 憐みの視線を向ける我が心の相方。

「ま、まぁそうだけども」

 確かに言う通りだけれども。

「まぁともかく、次の土日からでもいいから頼んだわよ」

 話をしめた!ま、まぁ私も作業しながらなので、あまり話に集中もしていられないのだけれど。

「了解っすー。履歴書いります?」

「いらなーい。前のやつとってあるし、あんたらがどんな人間かなんてもう判っちゃってるしねぇ」

「確かにそうか……」

 常連客だし、アルバイト経験もあるしねぇ。果たして私たちは、実際問題夕香さんに利益をもたらしているのかしら、と心配になってしまう。

「じゃあ次の土日からきます!」

「あい、宜しくー」

 こうしてお金まで稼がせてくれるんだから、本当に不思議お店だなぁ。


 二〇〇七年五月一二日 土曜日

 七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITION


「曲も出揃ったっつぅことで、今日からひたすら通し練習だな」

 練習に入る前、ロビーの休憩スペースで諒さんが言った。

「了解です」

 出揃ったというよりも、全曲しっかりできるようになった、ということだ。この間までは一曲一曲、不安な点を練習していって、その不安な点を一つ一つ潰して行ったのだけれど。

「あと一ヶ月切ったもんな」

「うはぁ緊張してきた」

 ぶるる、と身震いする。まだ一ヶ月先だけれど、ライブ前の緊張感は大好きだ。

「やっぱりプロの人とか、業界関係者って来るんですか?」

「そら来るだろ」

 やっぱりそうか。大々的なプロモーションというよりも、本当に復活ライブ、なんだ。恐らくsty-xステュクスのメンバーが各々懇意にしている関係者はもちろん来るだろうし、音楽雑誌の記者なども多く来るだろう。私らのような前座にはもちろんスポットライトは当たらないとは思うけれど、リズム隊が谷崎諒たにざきりょう水沢貴之みずさわたかゆきだ。おまけに、実はSHIORIの娘までもがいる。話題性には飛んでいるかもしれない。そう思うと少々面倒臭そうなので、苗字は伏せておくことにしようかな。

「ひ、ひびきさん!早宮はやみや響さんは!」

 私も夕衣も大好きなソロアーティスト、早宮響はThe Guardian's Blueガーディアンズブルー-P.S.Y-サイとは繋がりも深いアーティストだ。私もいつか会わせてくれるのでは、と実は密かに期待していた。

「や、響はこねぇだろ、何の関係もねぇしつーか何、お前響のファンだっけ?」

「そうです。アルバムもシングルもDVDも全部持ってます!」

 私も持ってる。

「え、まじかよ、一昨日一緒に飯食ったのに」

「きゃー!」

「ぎゃー!」

 しまった、こういう時はキャーだ。濁点をいれてはいけないんだな。学習しなきゃ。

「何だよ、呼んでやりゃ良かったなぁ」

「あれでも涼子さんは私たちがファンなの知ってるよね」

 涼子さんのことだから大ボケが発動して忘れてしまったのだろうか。

「あぁ一昨日は涼子いなかった。仕事で会ってた時だからさ」

「そっかぁ」

 なるほど。貴さんには涼子さんからその情報は伝わっていなかったのだろう。

「つ、次!次の機会に!」

「判ったよ」

 あまりの食いつきっぷりに貴さんが苦笑する。どうせ夕衣のことだから、実際に目の当りにしたら何も喋れなくなってしまうに違いない。

冴波さなみみずかとはなんかないんですか!」

 冴波みずかは私がずっと尊敬しているボーカリストだ。以前はROGER AND ALEXロジャーアンドアレックスというバンドに在籍していて、私はそのROGER AND ALEXが大好きだったのだ。ROGER AND ALEXが解散してもソロアーティストとして冴波みずかは活動をしているけれど、それからも私はずっと冴波みずかを追いかけている。

「みずかはオレ達よか大輔だいすけだな。オレも二、三回しか会ったことないから。んじゃそれも言っといてやるよ」

「やった!」

 とはいっても、私も実際に会ったら何も話すことはない気がする。どうやって歌ってるんですか、なんて聞いたって、きっと本人にしか判らない感覚のところで歌っているのだろうし、それは作曲にしたって作詞にしたって同じことだ。個人的なところでぶっちゃけると、作曲にも作詞にもコツなんてものはないと思っている。

美樹みきさんは?」

岬野さきの美樹?」

「そう」

「むしろ響より会ってる。メシとかは響のが多いけどな。何かと忙しい人だしな、美樹さん」

「そうなんだ」

 岬野美樹も私は好きだ。彼女はキーボードやピアノで弾き語るスタイルが多いソロアーティストで、大枠で考えれば早宮響と同じようなジャンルの人だ。諒さんたちよりも少し年上なので、ファン層も同じくらいの女性が厚く、三十代、四十代の女性に受けが良い。

「そらそうだろ。今や月九のタイアップ取るくらいだぜ」

 今やっているゴールデンタイムのドラマで主題歌を歌っているけれど、正直私はあまり好みではなかった。多分だけど、ドラマのために作った曲なんだろう。

「響もまたやるとか言ってなかったっけ」

 そうなのか。人気歌手にはいずれ訪れる機会なのだろうな。本人がどう思うかは別として。通常ならば嬉しく思うだろうけれど、私はタイアップのための中身がスカスカな曲を聞かされるくらいならば、タイアップなんてしてほしくないと思っている。

「あぁ言ってた言ってた」

「そのために創んの?」

「んなこと言ってたな。タイアップっていうだけで色眼鏡で見られちゃうから、本気で、全身全霊で創るって、すげぇ気合入ってた」

 うぬ、そうか、だとすると私の意見は偏見かもしれない。そもそもの話を言えば、音楽の評価など偏見の塊でしかないものだけれど、岬野美樹もそんな気持ちで曲を書き上げたのかもしれない。岬野美樹と早宮響は今に至るまでの道のりが少し似ている。同じ事務所に所属していることもあってか、姉妹のように仲が良いらしいと言う噂も聞いたことがある。

 岬野美樹は元々アイドルとしてデビューしたのだけれど、デビューしてわずか数年でシンガーソングライターになった。諒さんや貴さんが多くを語りたがらない、The Guardian's Blueのボーカリスト、樹崎光夜きざきこうやがThe Guardian's Blueを結成する前に岬野美樹に提供した曲がヒットして以降、彼女もシンガーソングライターになった。

 しかし、アイドル視されがちだった彼女はなかなか音楽シーンでは認められず、それでも努力して今の地位を築いたのだ。

 そんな岬野美樹がタイアップを取ったからと言って、中身がスカスカな曲を作るというのは考えにくい。ドラマのタイアップ曲は私の好みではなかっただけ、ということなのかもしれない。すべては憶測の域を出ない空論だけれど。

「ほぉー、いつもながら生真面目だねぇ。しっかしいいよなぁ、タイアップ」

 そういえばThe Guardian's Blue時代にも、現在の-P.S.Y-でもタイアップ曲は殆ど持っていない。羨ましいと思うくらいならもっとやれば良いのに。

「昔は毛嫌いしてたくせに」

「そりゃお前だって」

 にへ、とお互いに苦笑して二人は言う。

「創んのが嫌なんだよ。売名みたいでさ」

「でもすごいお金入るんでしょ?」

 バンドブームの頃は、そういった硬派な考え方をする方が格好良いというステータスがあった。私もそういう考え方は好きだけれど、今じゃどのアーティストもタイアップをしている。

「まぁ入るけど、タイアップって事実よりも、その後のCDの売れ行きとか、にわかファンの付き方がハンパねぇな」

「なるほどねぇ」

 -P.S.Y-はThe Guardian's BlueとPSYCHO MODEサイコモードTheルビを入力… Spankin'スパンキン Bacchusバッカス Bourbonバーボンという当時硬派も硬派だったバンドのメンバーが集まった、いわゆる梁山泊的なバンドだ。タイアップを良しとしないマインドは判らなくもないけれど、資金繰りなどの現実に直面すればやはり目先の小銭は欲しくなるのが人情だろう。特に大手事務所から独立してやりくりしているGRAMグラムのような会社や-P.S.Y-のようなバンドにとっては。

「昔アニメのタイアップしたよな、それで」

「あぁ、やったなー。ライブじゃ一度もやらなかったけど」

「アニメ?何のアニメ?」

 私は昔からアニメ好きだし、音楽も好きだったから、The Guardian's Blueや-P.S.Y-がタイアップをしたのなら何か知っていると思うのだけれど、記憶にはない。

「あぁ、なんか女の子向けの、魔法少女的なヤツでさ、それがG's Blueの楽曲で、とかねぇだろ」

「それ何年前?」

 魔法少女的なアニメとなると、見ていたのは私らが子供の頃だろう。最近はそういったアニメは見ていないし。だとすると、やはり覚えていないな。

「え、あれ二年目だよなぁ」

「あー、確かそう。だから九五年くらいか」

「私ら五歳かそこらじゃん」

「さすがに覚えてないね、アニメは見てたのかもしれないけど」

 確かに五歳くらいならば見ていただろうけれど、有名なアニメでもなければ遠い記憶の彼方だ。

「確かプロデューサーがG's Blueのファンだったとかって話だよな」

「そうそう。そう言われちゃ仕方ねぇ、ってやったんだよ」

 プロデューサーっていうのはそんなに力を持っているのか。でもそのプロデューサー、ファンだというのならば、G's Blueのスタイルやスタンスは理解していなかったのだろうか。仮に私がプロデューサーだったとしたら、本当に好きなアーティストには魔法少女の主題歌は歌わせない。

「でもまぁ、結果無茶苦茶やっちまったよな、あの曲は」

「まぁそうだな、大目玉くらったしな」

 そこがタイアップへの反逆だったのだろう。The Guardian's Blueが解散し、-P.S.Y-とThe Guardian's Knightガーディアンズナイトに別れた理由には、そのタイアップへの考え方の違いなどもあった、という噂も立っていた。事実、硬派な音楽をやっていることには変わりないけれど、The Guardian's Knightの方は数多くのタイアップを取っている。

「色々あんのねぇ」

「まぁそのおかげで、おれ達にはタイアップが来なくなったって訳だ」

「自業自得じゃないの」

 苦笑して私は言う。その結果も加味しての独立だったのではないのだろうか。結局ファンがしっかりついてきてくれるバンドにとっては、ライブが一番お金になる。-P.S.Y-の年間ライブ回数は大小合わせるとかなりの回数になる。その回数のライブをこなしてもコアなファンを飽きさせないバンドだから、こうしてメジャーな人気が出なくても好きな音楽をやって行けるのだ。プロのバンドの理想形の一つだと私は思っている。

「たまに来るじゃん」

「だっておまえ、化粧品とかだぜ、全然色違うじゃん。使う方も考えろって話だよ。もともとある曲を使ってくれんなら何も反対しやしねぇんだからよ」

「そらまぁ確かに」

 -P.S.Y-というバンドのネームバリューは海外での評価もあるとは言え、国内ではさほど高い訳ではない。The Guardian's Blueはビッグネームだけれど、すでに過去の遺産だ。The Guardian's Blueの正当な後継はThe Guardian's Knightだし、それこそ数少ないタイアップだけでは、ロックファン以外の人間はあまり知らないだろうと思われるくらいだ。

「-P.S.Y-だったらジーンズとかが良いかな」

 夕衣がうーん、と言いながら言う。確かにジーンズとかブーツとか諒さんも貴さんも身に着けているしイメージはある。

「だな。今はねぇけどオートバイとかスポーツカーとか」

 車のCMはあるけれど、確かにオートバイのCMは見ない。私は機会とお金があればオートバイの免許証は欲しいと思っているけれど、時間がなければお金もないので、要するに機会がないままだ。蛇足。

「あぁいいね、ハンバーグとかシューマイとか」

 いきなりズレ始めたベーシスト。

「シウマイじゃないの?」

 そしてズレた突っ込みを返す私。

「シュウマイでしょ?」

 更に乗っかる相棒。

「ばかシューマイだよ。IMEなめんなよ」

「え、変換できんの?」

「帰ったらやってみろって」

 とことん話がズレてゆくけれど、もう別段珍しいことでもないし、-P.S.Y-のタイアップの話も別に重要な話でもない。私はこのままこっちのノリで話を続ける。

「まぁシューマイにソースかけて食う奴が言って良いことじゃねぇけどな」

「え!お醤油でしょ!からしちょっとつけて」

 ソースって、おいしいのだろうか。餃子をソースで食べるのと……違うか。

「だってお前、ハンバーグに醤油はかけねぇだろーがよー」

「は?」

 貴さんは時折こういうズレたことを言い出す。涼子さんも時々そんなことを言い出すので、似た者夫婦なのだ。

「シューマイもハンバーグも挽肉でしょ!」

 なるほど、言っていることは貴さん的なマインドでは判らなくもない。ただ、あくまでも私の中でエミュレートした貴さんマインドだけれど。だから、完全に理解できている訳でもない。

「じゃあ餃子はソースで食べるんですか?」

「何言ってんだ、餃子は酢醤油とラー油に決まってんだろ」

 同じひき肉を使う料理でも、貴さんの中では餃子は別カテゴリーなのだ。でも多分、揚げ餃子はソースで食べるんじゃないだろうか。揚げ物だから。

「もう貴さんが判らない……。別れましょうわたしたち」

「そんな!悪いところがあったら直すから!」

 夕衣も随分とノリが良くなったなぁ。多分私のせいだけれども。でも夕衣は貴さんみたいな、普段は男性フェロモンをほとんど感じさせない人に安心感を覚える傾向にあるから、貴さんと接していることは結構好きなのだろう。

「シューマイをソースで食べる男だけは我慢できないの!」

 わ、と手で顔を覆って演技がかった言い方をする。私が言うのもアレだけれど、面白い女だ。

「いや、一回やってみろって、うまいから!」

「まぁ不味くはないと思うけどさぁ」

 想像できる味というか、想定内の味できっと、驚くほどおいしくなる訳ではない。醤油ほどではないにせよ、ソースだって万能なのだ。

「でもさ、その辺って変だよね」

「まぁいろいろあるよな」

 こんなもの個人の観点だし、育った環境にも依るだろうし、個人の資質というか素質というか、ともかく人それぞれだ。だから、ふとしたことに発見があったり、疑問が浮かんだりもする。

「普通にさ、豚肉とか炒めると、生姜焼きとか基本醤油ベースの味だったり、あとは焼き肉のたれかけたりするじゃない」

「まぁそうだなぁ」

 豚肉を炒めたときの香りはなんとも食欲を促進させる良い匂いだ。牛肉や鶏肉よりも、豚肉を炒めた時の香りが私は一番おいしそうな感じがする。

「炒めた豚肉をソースで食べようなんて思わないでしょ」

「思わないなぁ」

「でもソース焼きそばには豚肉入ってるでしょ」

 ちょっとした観点の違い。

「おぉー、そう言われてみればそうだなぁ」

 むしろお肉の入っていない焼きそばなんて、と憤慨する人が多いはずだ。

「ソースかけて食べるって感覚とはまたちょっと違うけどさ、ソース味になるのは間違いないでしょ」

「確かに」

 音楽も似たようなものだけれど。

「だからそういう味覚というか、個人個人の食べ方とかも、案外固定概念から外れたっていうだけで、拒否反応が出るだけなのかもなぁ、って思うことが、あったのよ」

「な、何があったの?」

 夕衣がびっくりして私を見る。夕衣は私のことをばかだとは思っていないと思うけれど、こういうことを言うと、もの凄く驚く。ばかではないけれど、あまり物事を考えていないように思われているのかもしれない。いや、それは否めないか。

「や、史織が外出すると必然的に私がご飯作らなきゃいけないからさ、簡単なものしかできないし、焼きそば作ってる時にふとそう思っただけ」

「あー、なんか思考があちこちに飛ぶことってあるよな。集中してないっていうんじゃなくて」

 そう諒さんが言って腕を組む。こういう感覚的な話を判ってもらえるとちょっとうれしい。

「そう、ふわぁーって拡散してく感じ」

「ロータリーの洗濯機ずっと見ちゃうのと一緒かな」

「違うんじゃね?」

 とんちんかんなことを言い出す夕衣に貴さんが苦笑しつつ言った。それはむしろ集中どころか、無の境地ではなかろうか。

「アンテナがすんげぇ広がってる感じすんだよな」

「そうそう。作曲とか作詞とかに全く役に立たないアンテナなんだけど」

 色々なことがゲシュタルト崩壊的にぶわっと、取りとめもなく、こんがらがった状態で思い浮かんだりする。

「そうなんだ。わたしあんまりそういうことないなぁ……。なんでこんなべちゃべちゃになっちゃうんだろう、とかそういうことはあるけど」

 思考的にべちゃべちゃって……。

「べちゃべちゃ?」

「焼きそば作ると、どうもべちゃべちゃになっちゃうんですよね」

 焼きそばの話かよ。そもそもは豚肉のソース味の話だったのに。

「水入れるからだよ」

 貴さんが言って煙草に火を点けた。

「だって水入れる、って書いてあるじゃないですか」

「そうだけど、入れたらべちゃべちゃになるんだろ?」

「はい」

「じゃあ入れなきゃいい」

「……」

「固定概念ね」

 そもそも夕衣の中に水を入れなければ良い、という思考がない。夕衣は料理があまり得意ではないことを自分でも判っているから、何か、どこか、やり方を間違えたのだろうという考えがすぐに出てきてしまう。

「野菜からでも肉からでも水分は出るからな、それで充分なんだよ」

「でも麺がほぐれなくないですか」

 そう、水は麺をほぐして、柔らかくするための物、ということくらいは夕衣にも判るのだ。だから、水を入れなければおいしくできない、という考えに囚われてしまう。

「炒める前に揉みほぐすのよ」

 私が作るときはそうしてる。私も水は入れない。

「その前に麺は一分くらいレンチンした方がいい」

「ほほぅ。私はさっと水かけてから揉みほぐしてたけど」

 その水分が少し残るから、水を入れる必要がない。

「レンジのがいいよ。おいしくなる」

 なんだか初歩の心理学みたいな思考にとらわれそうになってしまったっけれど、ふとした疑問がそこに浮かんだ。

「へぇ。なんで貴さん焼きそば作るの?」

 涼子さんに晩御飯を作ってもらえなくなってしまったのだろうか。

「一人暮らしん時は良く作ってたんだよ。簡単だしさ。でも最初は夕衣と同じでべちゃべちゃになってたんだけど、涼子に教えてもらったんだ」

 なんだ、涼子さんの知恵か。というか、そもそもこういった料理の知恵は人づてなことが多い。私だって料理上手ではないけれど、史織にいろいろ教えてもらっているから、涼子さんもきっと涼子さんのお母さんやおばあちゃんに教えてもらったことなのかもしれない。

「あぁ、なるほど。涼子さんに三行半叩きつけられたんじゃないんだ」

「なんでだよ……ラブラブだよ……」

 ふぅ、と煙を吐いて貴さんが苦笑する。あぁちょっと、私も煙草吸いたい。

「ま、音楽も料理も固定概念にとらわれちゃだめだっつーことで」

 そう言いながら私は貴さんの胸ポケットから煙草を勝手に抜き取った。

「あ、こら」

 高校を卒業してからはあまり口うるさく言われなくなったけれど、それでもまだ未成年には変わりない。煙草を持っているのがばれると没収されるので、最近は持ち歩いていない。当然ライターも持っていないので、もう一度貴さんの胸ポケットに手を突っ込む。

「まとまってるようでちっともまとまってねぇよそれ」

 べし、と私の手を払いつつ貴さんが笑う。

「うーん、無理があったか」

 もう一度貴さんの胸ポケットに手を伸ばしつつ、私もまとめられてないな、と苦笑。

「うっし、んじゃ練習再開すっか!」

 ぱん、と膝を叩いて諒さんが立ち上がると、夕衣もそれに続く。わざとだ。きっとわざとだ。

「おーぅ!」

「あ、ちょ、いっぽんだけ……」

「だめー」

 ちっ。


「ん……ちと待て」

  す、と曲を止めたのは諒さんだった。貴さんがすぐに止まり、私と夕衣が遅れて何事かと諒さんを見る。

「夕衣、お前今んとこ弾いてみ」

「今のところ?」

「サビ二回回すだろ、その一回目と二回目のつなぎんとこ」

 首を傾げた夕衣に諒さんが説明をする。確かにそこは前々からほんの少し違和感があったところだ。

「つうか二回し目のアタマんとこな」

「え、と……」

 一回目のサビのコードを回して、二回目に入る。私はこの時点で違和感の原因を看破した。夕衣一人で弾いて、聞いている分には何の違和感もないし、違和感など発生しようもない場所だ。

「あー、ちょっと判りにくかったか?」

「え?何か違ってます?」

「そこ、食ってんだよ」

「えぇ?シンコペーション?」

 私たちバンド者の中で食う、というのは、前小節の最後の一音を、次の小節のアタマに持ってくることで、楽曲に勢いや疾走感を出したい時などに使う、正式にはシンコペーションという用法だ。例えばこの曲はエイトビートの曲なので、一小節に八個の音符が入る。いわゆる八分音符という音符だ。

 ララララララララ、ららららららららという八個のラで一小節、この場合『ラ』と『ら』の二小節になる。食う場合、ラララララララの八個目の『ラ』が次の小節の頭の『ら』になる。つまり歌詞だけにすると、ラララララララら、らららららららら、となる。ただ、この曲に関しては、明確に『ら』一個分を食っている訳ではないはずだ。

「あぁ、私も感覚でやってた。普通に一拍じゃないよね」

「うん。半拍」

「細か!それ普通に弾いてたら判んないよ」

 私はあえてそう言った。だから、夕衣が一人で弾いていたら、通常通りの小節の区切りなので、間違っているとは気付かなかったのだ。私は歌いながら弾いているので、夕衣が一度弾いただけですぐに気付けたけれど。

「まぁそうだよなぁ」

「半拍かぁ……」

「いやお前歌ってみろよ」

「えーっと……上から下まで~塩撒かれちゃうぜ~」

 最近お気に入りのインディーズバンドの曲を口ずさむ。

「誰の歌だよ」

「うそうそ。じゃあ一回目のアタマからね……、ワントゥー、き、みぃの守るべき秘密のために、僕は何だって壊してしまう、赤ぁーい空を染め上げた……、あ、ほんとだ。だから私感覚でもできてたのか」

 歌に合わせてギターを弾く手が若干釣られて動いていたので、歌と手が合っていたのだ。貴さんと諒さんはこのズレを元々知っていたし、私は偶然だけれど、歌いながらなのでできていた。通常通りに弾いていた夕衣だけが、若干のズレを生んでいたのだ。

「んだ」

「赤ぁーい、のとこですね」

「そうそう」

 軽くコードを流し、自分のストロークを確認しつつ、夕衣が言った。

「莉徒、もっかい」

「おっけ、ワントゥースリッ、き、みぃの守るべき秘密のために、僕は何だって壊してしまう、赤ぁーい空を染め上げた……」

「ん、ズレるな……。ごめん、もっかい、ゆっくりやってもらっていい?」

 通常の早さと同じだとズレはほんの僅かなものだ。なので、ゆっくりやって、そのズレを確認しながらやった方が良い。夕衣の場合はきっとその方が飲み込みが早い。

「ワントゥー、き、みぃの守るべき秘密のために、僕は何だって壊してしまう、赤ぁーい空を染め上げた……」

「感覚的に、赤いの、あ、は殆ど発音しない感じだな」

「ぁかぁーい」

 貴さんが言って、私がそこを軽く流す。こういった細かい場所の練習はどんなバンドでも同じくするんだな。

「そうそう」

「あ、なるほど」

「ごめん、もう一回いい?」

「おっけ……ワントゥー、き、みぃの守るべき秘密のために、僕は何だって壊してしまう、赤ぁーい空を染め上げた……」

「そうそう、それそれ」

 ゆっくりやってそのズレを体に馴染ませる。私はドラマー経験はほとんどないけれど、ドラムのフィル・インを覚える時などは結局そうするしかない、という話を聞いたことがある。ゆっくり叩いて、身体のどの部位がどの太鼓を叩くか、どのテンポでどこを叩くかなどはゆっくり流して、フレーズを自分なりに分解して身体に覚えさせる。結局のところどんな楽器でもそのやり方は有効なのだろう。

「できたできた、なるほど」

「こういうちょっとしたキメって揃わないと目立つもんね」

「だな。跳び箱でもよ、踏み切りんときと着地ん時がびったりあってたら、カッコイイだろ」

「何人か同時で飛んだ時の話な」

 諒さんの話を貴さんがすぐさま補足する。ということは諒さんは何度もこの話をしているのかもしれない。

「そうそれ。飛んでる最中の、足開き方が多少まばらだろうと、バランスが悪かろうと、踏み切りと着地がばっちり合ってればカッコ良く見える」

「ですね」

 バンド演奏を軽んじて言う訳ではないけれど、そんな極論も勿論ある。結局私たちがやっている音楽は、歌を聴かせるための音楽だ。ある程度楽器隊が揃っていて、歌がきちんと歌えていれば、多少のズレが発生しても、それなりには聞こえるものだ。けれど、こうした曲の中にある細かいフィル・インやキメ、フレーズなどが揃っていないと、途端に曲がグダグダになり、バンド自体が下手なバンドだと思われる。諒さんや貴さんたちはそんこともないだろうけれど、初心者がいればヘタクソなベテランもいる私たち、学生バンド、社会人バンドの世界では良くあることだ。だから私が携わったバンドでは、時折、クリックをわざと遅く鳴らして、曲のテンポ数を三分の一程度に落し、ゆっくりと練習する手法をとる。この時、テンポは一二〇を避ける。一二〇というテンポは多くの人の鼓動のペースに似ているそうなので、比較的テンポの撮りやすい数字なのだそうだ。だからゆっくりやるにしても一二〇は必ず避けるようにしている。

 そしてこの練習は自分が苦手な部分が浮き彫りになるし、どこが苦手だったのか、どこを誤魔化していたのかが自覚できる。そして今のようなキメもばっちりと合わせることができるようになる。

 正直に言って、楽しいか楽しくないかと問われれば、その練習自体は苦痛でしかない。だけれどそういった練習をしなければ、技術の向上も望めない。そればかりではもちろん楽しくなくなってしまうけれど、避けて通ってはいけない道は、やはり避けて通ってはいけないものだ。

「ま、全部バッチリ合ってるに越したこたねぇんだけどな」

「はい。他にはこんなとこないですか?」

「他はねぇんじゃねぇか」

「こんな変則のキメ、何度もあるとくどいしな」

 確かに。キメも小節頭のアクセントショットだけでは単調になりがちだけれど、こうした変則的なキメばかりの曲でもくどくなってしまうし、飽きが早い。

「そら言えてる」

「判りやすいキメばっかりでも飽きちゃうしね」

「複雑にすりゃいいってもんじゃねぇしさ」

 特に-P.S.Y-の楽曲で思うことだけれど、-P.S.Y-はあまり難しい技法を使わないし、難解なコードや展開をしない。それは彼らが心から、誰でも楽しめるロックンロールを愛しているからだ。最近の楽曲ではイントロがあってAメロがあってBメロがあって、Cメロ、いわゆるサビがあって、Dメロくらいまでが主流だけれど、EメロやらFメロまである楽曲だってある。でも-P.S.Y-はAメロとサビしかない曲も多い。もちろんA、B、Cメロ構成の曲が一番多いけれど、Dメロまである曲などほとんどない。判りやすい方が楽しい、判りやすければ誰でもできる、そんなロックンロールを彼らはいつでも奏でてきたのだ。

「休符とか入るといきなりワケ判んなくなっちまう奴とかいるからな」

「あぁーいたな」

 にやにやしながら貴さんが上を向いた。

「誰?」

大沢おおさわさん」

「え、そうなの?」

 意外な名前が飛び出てきた。大沢さんと言えばシズの心の師匠、The Guardian's Knightのリーダーであり、リードギター、大沢淳也じゅんやさんだ。貴さんの従弟でもある人で、私は何度も会っている。

「あぁ、あいつのテンポの取り方とかって独特なんだよ」

 もともと諒さんと貴さんはThe Guardian's Blueで一緒に演奏していたので良く知っているのだろう。

「普通に八分の十とかやってくるし」

「は?」

 八分の十とは穏やかではない。分母より分子が大きいリズムってどんなんだ。

「普通さ、おれたちって曲創るときに、八分音符で考えるじゃん、一小節」

「まぁそうだよね」

 つまり一小節に音符を八個割り当てたものが八分音符で、私たちが良く言うエイトビートというものだ。

「あいつ、十拍だったりすんだよ」

「え?」

「だから、一個リフ考えてきた、つっうから弾かせると、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、でそのリフが終わんの」

 ぱんぱん、と手拍子を打ちながら貴さんは説明してくれた。

「気持ち悪っ」

 私たちは本当にエイトビートで物事を考えるので、八で収まらないと気持ち悪い感覚が付きまとう。

「一つのフレーズを十拍で考えること自体、あんまりないですよね」

「まぁねぇけど、あいつの中ではそれが成立してんだよ」

 それはまた難儀だ。そういう天性の感覚というものは矯正はできても、完治はしないものだし。

「でもそのまま使う訳じゃないでしょ?G's BlueでもG's Knightでも十分音符の曲なんて聞いたことないよ」

 あったら怖いし、それで曲として成立しているのであれば、ちょっとした衝撃だ。いや、世界中を探し周ればそんな音楽もあるのだろうし、成立しているものもきちんと存在しているのかもしれないけれど、私たちバンド者の感覚として、成立はしていないもののような気がしてならない。

「十分音符っていう言葉がもうなんか違和感ありまくりだよね」

「だね」

 リフレクションを一小節で一回しするのならば、起承転結は二音ずつで分けることができる。もちろんそれに準える必要も必然もありはしないのだけれど、八個目の音できちんと着地していなければ、一小節で一回しのリフレクションは作れない。

「あとは構成で、奇数小節があったりする」

「それは別にいいんじゃないんですか?」

 諒さんの言っていることに夕衣が返したけれど、私も夕衣には同意だ。

「まぁ狙ってやってんならいいけど、そうじゃないからなぁ」

 苦笑して貴さんが言う。狙い以外で一小節足すなんてことがあるのだろうか。

「というと?」

「まぁ普通、曲って小節を二の倍数で構成していくじゃん」

「ですね」

 例えば、Aメロで二小節、Bメロで二小節、Cメロ、つまりサビで四小節という長さで、とか。

「あいつらの曲ってさ、エイトビートのビートロックが多いじゃん」

「うん」

 あいつらというのはもちろんThe Guardian's Knightのことだ。

「だとすっと、例えば、Aメロで二小節、Bメロで二小節、サビで四小節、とかになんだろ」

「まぁそうっすね」

「ところがあいつの場合、Bメロからサビに入るところで、盛り上げたいから、ここはドラムロール入れて、ってなる」

「え、それは淳也さんに限らずじゃないんですか?」

 サビはその楽曲の顔であり命でもある。まるで雛人形のような謳い文句だけれど、事実だ。

「あぁ、まぁそうか、いや、あいつの場合、そのドラムロールのために一小節追加する」

「は?」

 それはつまり、サビに向かって盛り上げるためだけの、全員ユニゾンの、ダンダンダンダン!とかいう小節だけがあるということなのか。

「だから、普通はBメロの二小節目、もしくは二小節目後半半分でロール入れんだろ」

「はい」

「あいつの場合、Aメロ二小節、Bメロ三小節、サビ四小節、ってなる」

「サビが四小節の二回しだった場合、一回し目が五小節になるときもある」

「気持ち悪い!」

 夕衣が指折り数えて、曲構成を想像する。夕衣の叫びはごもっともだ。

「な、なんでそんなことに……。淳也さんってどうやって曲創ってるんですか?」

「あいつはメロせん

 つまり歌のメロディ先行で作曲するということだ。歌メロを先に創って、そこにギターのコード進行を当て込んで行く。私も作曲はメロ先が一番多い。貴さんは曲先らしい。コード進行だけを先に創って、歌メロをそのコード進行に乗せてゆくやり方だ。歌詞だけ先に創ってから、メロディやコードを当て込む詞先しせんというやり方もある。どれもこれも一概に良いとは言えない面があるし、絶対的に駄目だ、というやり方もない。私もメロ先が多いけれど、時には詞先や曲先でも曲は創るので、作曲の手法など人それぞれだろう。

「で、Bメロで二小節全部歌い切っちゃうんだよ」

「あぁー、なるほど」

 メロ先で創れば、当然歌のメロディを創り込んでいて、あまり他の楽器の展開を考えないことが多かったりもする。

 ここからサビになるから、歌メロはここで止めて、残りは楽器隊で盛り上げよう、という小節の分配を考える前に、歌を全部埋めてしまうのだろう。つまり、Bメロの歌は一小節目で止めて、二小節目にサビを盛り上げるためのフレーズを入れよう、というのが粗方の普通の感覚のはず。しかし淳也さんの場合、二小節目まで歌で埋めてしまっているから、盛り上げるためのフレーズは三小節目を取って付けたようになってしまう。

「相当メロに集中しちゃってる感じですね」

「そうそう。あいつが判ってんのは、何を聞かせる?歌だろ、ってとこだしな」

 それは確かにそうだ。でなければボーカルを立てる意味はない。私たちは楽器演奏はもちろん大好きだけれど、バンドとして楽曲を演奏して聴いてくれた人に何かを伝えたい、何かを感じて欲しいから、曲を創る。

「んで、基本鼻歌から創るから、ノリ過ぎちゃうとテンポとかも判んなくなっちゃうんだよ」

「十拍とかもその辺から来てるのかしら」

 それでも十拍のフレーズは気持ち悪いと思うのだけれど。

「多分な」

「フレーズの話に戻すと、八分はちぶの曲のフレーズでも休符が入ると、ワケ判んなくなる」

「何で?」

 確かに、そういう休符が紛れるフレーズは最初に聞いたときは何度か聞き直したりもするけれど。

「おれもそうだったんだけどさ、あいつ、空ピッキングが苦手で、おまけにその独特のテンポ感だろ、だから手の動きで、弾く、弾かないの判断がつかんねぇんだよ」

「空ピッキングできないとかもう基本中の基本なのに……」

 基本の女王様みたいな夕衣が少々呆れつつ言う。確かに空ピッキングは基本中の基本だけれど、できないままバンドをしている人はことのほか多い。

「おれはできなくても、ライブじゃズレはなかったんだよ。でもレコーディングでばれて、矯正した」

 あれは苦痛だった、と貴さんも苦笑。貴さんたちの世代はいわゆるバンドブーム世代なので、流行りで楽器を手にした人が多い。それ故に独学でしかやってこなかった人も多く、そういった人などに基本が抜けている場合が多く目立つ。

「で、例えば、ダダダん、ダダんー、ダーダダ、ダーダダ、ダダダん、ダダんー、ダーダダ、んダんー、ってちょっと言いにくい、弾くわ」

 ん、と休符を口に出して言うけれど、確かに今一つ判りにくい。貴さんはそう言うとサムピッキングで今口に出したフレーズを叩き始めた。

「これが、いつまでたっても出来ないんだよ」

「なんで……」

 確かに休符が不規則に紛れ込んでいるけれど、そんなに複雑でもなければ覚えられないフレーズでもない。しかもこれ、単音でずっとEしか鳴らしていない。

「頭に入りにくいんだろうな、休符とかあっと」

「なるほどー。で、どうすんの」

 まぁ得手不得手というものが人にはあるから、こればかりは致し方がないのかもしれないけれど。

「人の名前当てがうんだよ」

「ん?」

 なまえ?

「今の場合は、ユズキん、リズんー、カーミナ、カーミナ、ユズキん、リズんー、カーミナ、んダんー、とかな」

 サムピッキングと同時に貴さんが口ずさむ。

「え、マジで!」

「幼稚園児!」

 まるでお遊戯を教えているかのようなやり方だけれど、確かにこれ以上簡単な教え方はもうないかもしれない。

「でもそうしないと覚えらんないんだよ」

「ま、まぁ確かに覚えやすいですけど」

「だろ」

 思わず笑ってしまったけれど、本人にしてみればきっと大変なのだ。わたしだって気付かないだけで、何か、決定的に苦手なものがあるのかもしれないし。

「G's Knightのドラマーなんかそういうのが気に入ってんだか、気になんだかで最初ヘルプだったのに、結局正式メンバーだもんな」

高澤たかざわさん?」

「そ」

 高澤あつしさんは私は会ったことはない。でも音楽に対してはものすごくストイックな人らしいということは聞いたことがある。

「そうなんだ。諒さんの前で言うのもなんだけど、あの人のドラム私好き」

「あーオレも。あいつは気持ち強くていいな。まぁ当然技術もえらい高ぇけどよ」

 お、意外。諒さんは同じドラマーに対しては厳しい人なのかと思っていたけれど、そんなこともないらしい。

「うまいよねぇ、あの人」

「うめぇなぁ。でもま、一番カッコイイのはオレだけどな!」

 なるほど。巧いだの下手だの、勢いがあるだのなんだのよりも、とにかく『ドラムがカッコイイ』のは自分なのか。そういうドラマーには私はすべてを預けて暴れられる。

「こいつら二人でおんなじこと言ってんだよ」

「そうなんだ。でもドラマーってそうじゃないとなんかいまいち信用できなくない?」

「ま、そら言えてるな」

 私たちギタリストよりも、いわゆる同じリズム隊として、ベーシストの方がドラマーの機微には敏感なのかもしれない。どの楽器も結局みんなデリケートな部分は持っている。どれだけ熟達したバンドでも、その日に寄って出来が良かったり悪かったりとまばらになることは当たり前にあることだ。

「あいつは好敵手と書いてライバルだからな!心の友!ともかく、今の曲最初からやっか」

 ぱん、とスネアを軽く一発叩くと、諒さんが気合を入れ直すように言った。

「ですね!さっきのところは留意します」

 圭みたいな口調だなぁ。夕衣は決してばかではないけれど、知らない言葉を無理に使うとばかに見える。

「よっし、んじゃ莉徒」

「上から下まで~待ったナシだぜ~」

「だからそれは誰なんだよ」

 良いなぁ、こういうノリ。

 本当に音楽って楽しい。


 18:ソース焼きそば 終り

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