17:草団子

 二〇〇七年五月五日 土曜日

 七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITIONエディション


「やっぱちっとうちの曲は莉徒りずの声だと弱いかもなぁ」

 -P.S.Y-サイの楽曲FOX Ⅲフォックススリーの演奏を終えて、りょうさんが言った。

「流石に川北かわきたさんと比べられたらね。男性ボーカル曲だし」

「それを加味したら大したもんだわ」

 たかさんがそうフォローを入れる。わたしもそれはそう思う。この間のPhoeni-xフィニクスの時のボーカルはものすごい迫力あったけれど、この曲は莉徒がソロも弾いてギターボーカルもしてという曲になってしまったので、莉徒に掛かる負担が大きい上に、そもそもが男性ボーカル曲なので、莉徒の声のキーが今一つ合っていないのだ。わたしもこの曲のギターソロは練習してはいるけれど、あと一ヶ月でものにできるかどうかはまだ何とも言えない。そもそもわたしはギターソロを弾くような音楽をあまりやってこなかったので、実は単音弾きには慣れていないのだ。

夕衣ゆいもバッキング綺麗だし、なかなか形んなってきたな」

「あー、もうおれのルートとがっちり合ってるときはイきそうんなるわ」

「!」

 にこり、と無邪気な笑顔で貴さんはとんでもないことを言い出した。だからわたしはその手の話には弱いっていうのに。

「浮気者!」

「い、いや待て何言ってんだ!」

 莉徒の言葉に貴さんはいきなり焦り出した。そういう変な意味ではなかったのかな。

「そういう時のリズム隊の気持ち良さときたらセックスなんかの非じゃないと聞いたことがある」

「ひ……」

 せ、せ、っせっ!

「こ、こらぁっ!」

 わーと貴さんは手を振り上げた。顔を真っ赤にしている。下ネタが好きなのか弱いのか、本当に良く判らない人だけれど、貴さんのそういうところでわたしも実はずいぶん助かっているので、そこは突っ込まないでおこう。

「つまりは普段から貴諒でそんな快楽を……」

「や、やめなさい!お父さんBLなんて断じて認めませんからね!」

 諒さんが言ってばしゃあんとクラッシュシンバルを叩いた。

「だいじょぶ、私ノン気だから」

「あ、わ、わ、わたしも!」

 世の中にはそう言ったものを好む、いわゆる腐女子と呼ばれる女性が多数存在するらしい。わたしは女同士も男同士も想像するだけでぞっとするのでその手のネタはノーサンキューだ。

「だいたいボーイズって年じゃねぇしよ……」

 それでも二人とも三六才だなんてちっとも思えない。私たちよりも一六歳も上なのに、むしろわたしたちの両親の方が年が近いくらいなのに、全然付き合えるくらい色々と若々しい。でも諒さんや貴さんの方が私たちをきっと子供としか見ていないだろうけれど。

「だな」

「しっかしお前らも酔狂だねぇ。こんな四〇手前のおっさんとバンドなんてして楽しいか?」

「めっちゃ楽しいわよ」

 びし、とサムズアップ。多分莉徒は気の合う仲間とやる音楽なら何時でも何処でも誰とでも楽しんでしまう。それはわたしも同じなので、私も間髪入れずに莉徒に続く。

「楽しいですよ」

「そりゃあ何よりですなぁ、諒」

「んだなぁ」

「逆に諒さんたちはどうなんですか?」

 わたしたちは楽しいし、色々と勉強までさせてもらって、本当に良い経験をしているけれど、でも二人はわたしたちみたいな素人相手で楽しいのかな。

「あー、それ聞きたいわね」

「ばっかお前、お前らくらいの若い子と喋るのにも金払わなきゃいけない年なのに、ダーターたたで、しかもバンドまでできるんだぜぇ」

 それは若い女子と接触しているかどうかであってバンドの話ではない。

「や、そういう問題でなく」

「喋るくらいならいくらだって喋ってあげるわよ」

 行ったことはないし行く機会もないし行くこともないだろうけれど、いわゆるスナックだとかキャバクラだとかガールズバーだとか、そういうところは若い女性とお喋りをして楽しむ場所だって言うけれど、金額はいかほどのものなのだろうか。

「それ以上は?」

「デー万!」

「たけぇ!」

 お喋り以上って一体、っていうかでーまん?

「でーまん?」

 あ、そのまま言っちゃった。

「あぁ知らねぇか。業界用語」

「そ、そうなんですか」

 そう言われてみれば、諒さんや貴さんはある意味では業界人だった。最近は特に親しく接してもらっているので、ついつい忘れがちだ。

「音階は判んだろ?」

「ドレミファソラシド、ですよね?」

 音階?判らずそのまま言ってみる。そもそも業界用語って言葉を逆に言うのではないのだろうか。

「や、コード」

「あぁ、C、D、E、F、G、A、B、C」

「そ。それのドイツ語読みで、ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー、ツェーとなる訳だな」

 これが正確な発音かどうかは知らねぇけどな、と付け足して諒さんは言った。

「なるほどじゃあ、ツェー、デーってことは二万円ってことですか」

 ツェー、デー、と指折り数えてわたしは言った。

「そ」

 うん、と貴さんも頷く。だとしたら。

「え、高くないじゃないですか」

「え、高くないの!」

 だってどうせ二人のことだから、エッチなことを要求するに決まってるんだから。それを考えたら二万円なんて安すぎるくらいだ。乙女の純潔はプライスレスなのです。

「肩たたきでも二万円取る気かよ」

「や、肩たたきくらいならサービスするけどさ。何なら肩たたき券発行しようか?」

 さすがにアラフォーともなると、肩こりもひどいのだろう。四十肩なんて言葉もあるくらいだし。あと胸の大きい人は肩こりがひどいっていう話も聞く。わたしや莉徒には全く無縁の肩こりだけど……。

「肩たたき以外に何があるっていうの!」

「や、だから肩たたきは無料サービスだってば」

 わたしには肩たたき以上のことをしてくる貴さんが喚く。

「じゃあ二万のサービスって何なのよ!」

「手をつなぐ」

「ハグ。肩を抱く」

「……!」

 間髪入れずに莉徒とわたしが畳み掛ける。いつも貴さんが私にしてくることを二つ上げる。貴さんの絶句した顔が超面白い。

「貴、お前、夕衣にいくらの負債抱えてんだ」

 か、と諒さん独特の笑い方。

「わ、判らぬ!まさか夕衣さんがおれに金銭を求めていただなんて!」

「あ、や、金額に例えたら、の話ですから」

 本当に求めて良いのだろうか。もし求めても良いのならば、二百万円は下らない気がする。

「そうよ、女子高生じゃなくなったとはいえ、まだまだ花の十代なんだから、そんなに安くイロイロできると思わないでね!」

「イロイロしてねーだろーが」

 確かにされてないけれど。というよりも、こんな軽口まで言い合えるくらい仲良くしてもらっているのはわたしたちの方だけれど、それはきっと諒さんも貴さんもわたしたちと仲良くしたいって思ってくれているからなんだろうな。

「んー、まぁ諒さんはいいんだけど、貴さんが危ないわよねぇ」

「な、なにゆえ!」

 ば、と立ち上がって貴さんが吠える。忙し人だなぁ。わたしたちのノリに付き合ってくれているのだろうことは充分に判っているけれど。

「だって涼子さんのあの胸が好きなんでしょ」

「胸とは言わず全てだが」

 貴さんはきょとんとした顔で言う。こういうことをさらっと言えちゃうのが凄く素敵だな。

「だとしても!」

「まぁ貴は貧乳チビが大好きだ」

「お前ね……」

 極論……。

「だから、私も夕衣も美朝みあさも好きでしょうが!」

 ぱん、と自分の胸を叩いて莉徒も声を張り上げる。

「ばかやろう!史織しおりさんだっていっつぁんだって瑞葉みずはだってみんな大好きズラ!」

(ズラ……)

「うちの母親もかよ!このすけべじじいが!」

 若い子だけではとどまらない無節操さ、とも思うけれど、その実史織さんは見た目はわたしたちと同列でもそれほど違和感はない。

「こないだ救世主って……」

「やっぱり夕衣はおれの味方だなぁ」

 英介も言っていたけれど、小さい胸をこよなく愛する男性はいるものなのだ。それがわたしの彼氏ではなくて、既婚者の貴さんなのがとても残念でならない。

「じゃあわたしか、莉徒か、史織さんか、美朝ちゃんか、瑞葉ちゃんか、十五谺いさかちゃんか、はっきりしてください!」

 わざとそこに涼子さんは入れずにわたしは言う。この間美朝ちゃんのランクアップによってわたしのランクは下がったままだ。ぶっちゃけどうでも良い話ではあるけれど、これは中々に不利な展開が予想される。

「じ、時間を、おれに時間くれ……!」

 腕を組んでむむむぅ、と唸りつつ貴さんは首をひねった。結局のところ、涼子りょうこさん以外の女なんて貴さんにとってはみんな一緒に違いない。好きでいてくれるのはもちろん判っているのだけれど、涼子さんへの好きとわたしたちへの好きには差がありすぎるのだ。差がないのはないで非常に困るけれど。

「どうしてすぐに夕衣って言ってくれないの?わたしへの愛は偽りだってねね!」

「噛むなよそこは」

 ぺし、とわたしの肩を軽くはたいて貴さんが笑った。

「しくじりました……」

「まぁそうは言っても結局貴さんは涼子さん一筋だもんなぁ」

 そこが判っているから私たちもこんな冗談が言えるんだけれど。

「当たり前じゃないですか」

「ま、そうね」

「で、さ、次の莉徒んとこの曲、ライブ音源だけだといまいちベース拾えねぇけど、サビんとこってこんなんでいいんか?」

「すげぇ軌道修正入ったな」

 ずっこけそうになるくらい、夕香ゆうかさんの変わり身の早さと同じくらいに話題を切り替えて貴さんは急に曲の話をし始めた。多分恥ずかしいのかもしれないな。

「た、確かに」

「や、ちょ、ベースだけだと判んない、一回合わせてもらっていい?」

 いけないいけない。自由にスタジオで練習できるとはいえ、今日は練習のために集まったのだから、やっぱりまじめにやらないと。こんな他愛もない会話がすごく楽しくてついつい休憩時間が長くなりがちだ。

「おっけ、んじゃやっか。諒てめえおれの夕衣といちゃいちゃしてんじゃねぇよ、やんぞ!」

「あいよぅ」

 こつん、とスネアのリムを叩いて諒さんがスルーした。わたしまでスルーすると流石に可哀想なので一応突っ込みは入れておくことにしよう。

「はぁい貴さんのじゃない」

「もう突っ込みもなんかのついでになってきたなぁ」

 あ、ばれた。

「寂しい限りだよアラフォー」

「ダーターで喋れるだけマシだと思っとけ」

「だな」

 いやダーターって……。


 同日


「ただいまー」

「あらおかえり、夕衣」

 練習から戻ったわたしに声をかけてきたのは、珍しい声だった。

「あ、結理ゆり伯母ちゃん。久しぶりだね。けい兄は?」

 わたしの伯母で裕江ゆえ姉のお母さん。久しぶりに会ったけれど、きちんと裕江姉のことは整理できてるのかな。ちなみに裕江姉はわたしの従姉で、四年前に自ら命を絶ってしまった人だ。本当の姉妹みたいに仲が良かった。だからわたしはそのショックを三年も引きずってしまった。

「何でも彼女ができたとかでデートだって。羨ましいねぇ」

 あはは、と笑って伯母ちゃんは言った。完全にとまではいかないと思うけれど、きっともう裕江姉を思い出して涙する日々からは脱したんだろうな。わたしなんかよりもよっぽど強い家族だから。裕江姉の兄さんの圭兄も。

「え、そうなんだ、良かったじゃん」

 圭兄も前に進めているんだ。ふさぎ込んでいたわたしにたくさん助言をくれたけれど、もしかしたら圭兄だって自分を鼓舞するためにわたしに色々と言ってくれたのかもしれない。今はほんの少しだけそんな風に思えたりもする。

「夕衣、今お茶入れるから楽器は部屋に置いてきなさい」

「はぁい」

 

 楽器を部屋に置いて居間に戻ると、お母さんにあることを訊いてみた。

「ね、お母さん、こないだなんか莉徒に変なこと訊かれた?」

 少し直球すぎたかな。

「え?……変なこと?」

 何だろう、反応が正直というか、本当に何のこと?みたいな感じだけれど。

「卒業アルバムってあ」

「ないわよ」

「食い気味!」

 むむ、怪しい。

「昔から探してるんだけれどないのよ。引っ越しの時に見つかるかな、って思ったんだけどねぇ」

「そうなんだ……」

 それは昔から封印しているからではないだろうか……。

「あらなくしちゃったの?今どきレアな写真が見られるのに」

「レア?」

 ぐりん、と結理伯母ちゃんの方へと回頭してわたしはその話に食いつく。

「え、あ、そうね、お母さんたちの時代の不良の人たちってすごい格好してるから。ねぇ、義姉さん」

「え、えぇ、そうね。そうなのよ」

 し、しまった。

「……ふぅん。え?何?結理伯母ちゃんは学生の頃からお母さんのこと知ってる?」

 いま、何某かの黒いオーラ的なアレか小宇宙と書いてナントカいう読み方のアレだとか、何かが、うちの母親から、噴出してはいなかっただろうか。完全に見逃してしまった。

「あら、知ってらないわよ」

「え?」

 聞き違い?

「知らないわよ」

 あら、知らないわよ、っておかしいでしょう。え、知らないわよ、とかならまだしも、あら、知ってるわよ、みたいな言い方ではなかったか。

「そ、そう。お母さんは何?具合でも悪いの?」

 なんだか絨毯の一点を見つめている。それも眉間に深いしわを寄せて……。

「え?わ、悪くないわよ、やあね、ほらケーキ食べなさい、せっかく義姉さんが買ってきてくれたんだから」

 テーブルの上に置かれた、白い箱は実は見慣れたものなので、それがどこの物かはすぐに判る。

「商店街の外れの、前に夕衣に教えてもらったところで買ってきたわよ」

「あ!涼子さんのだー。いっただきまぁす!」

 前にうちに来た時に伯母ちゃんには涼子さんのお店のことを教えておいだのだ。我ながら大正解。

「え、夕衣が知ってるお店なの?」

「うん、史織さんもなんかもう店主の涼子さん、っていうんだけど、涼子さんと仲良しみたいだから今度お母さんも史織さんと一緒に行ってみたら?すごく素敵なお店なんだから」

 この間、美朝ちゃんと英介と三人でvultureヴォルチャーに行った日に、入れ違いで莉徒と史織さんもきたらしい。

「でも若い子ばっかりでしょ」

「若い人もいるけどアラフォーとかもいっぱいいる」

 主に関係者が多いけれど。三十路も中ごろと高校生が殆どだけれど。

「あらそうなの?じゃあ史織さんが忙しくなる前に行ってみようかしら」

 せっかく史織さんと仲良くなったのに、sty-xステュクスが本格始動してしまったらゆっくりお茶を飲む時間も無くなってしまう。でもお店で涼子さんと仲良くなれば、お母さんなら一人でもvultureへ出かけるだろう。平日の昼間ならば高校生もいないし、お店にも入りやすいだろうし。

「中々良い雰囲気のお店だったわよ。イケメンもいたし」

「でしょ。え、イケメン?」

 貴さんのことかな。貴さんはわたしは個人的にはカッコイイと思うけれど、イケメンというよりは優しそうな顔立ちなので、もしかしたら大沢おおさわさんがお店にいたのかな。

「ちょっと長めの散切り頭っぽい髪の……」

 あ、じゃあ貴さんだ。

「多分涼子さんの旦那さんだね」

「え?あの子結婚してるの?まだ二十歳そこそこじゃないの?」

「やぁ、ああ見えて三六歳」

 今現在は史織さんよりも七歳も若い分、史織さんのような化け物クラスの若さではないにしても、きっと史織さんと同い年くらいにまでなっても今の若さは保ってそうな気がする。

「嘘でしょ!わっかいわねぇ。何食べたらああなれるのかしら……」

 いつだったかのわたしと同じようなことを言って結理伯母ちゃんは嘆息した。

「や、お母さんもそうだけど、結理伯母ちゃんも相当若いよ。涼子さんとか史織さんがちょっと普通じゃないだけで」

「だとしても普通じゃないほど若くなりたいわ」

 お母さんも軽く嘆息しながら言った。いやお母さんも充分、誇れるくらい若いけれど。

「涼子さんはいいけど、史織さんはちょっと……」

「なんでよ、史織さんとっても可愛いじゃない」

 可愛いから問題なのだ。柚机家ではしっかり母親をしているらしいけれど、それがなければ小学生かと思うほどの精神年齢だ。

「う、うん、そうだけど……。うぉ、こ、これは莉徒が結構良く食べてるシフォンケーキ!」

 もう通い始めて一年にもなるというのに、シュークリームとミルクレープ以外のデザート関係を食べたことがないというのも今一つ常連っぽくない気がしてきた。莉徒はわたしや美朝ちゃんのように特にコレ、と決めて何かを食べている訳ではないので、涼子さんのお店の殆どの物を食べている。こ、今度から私もそうしよう。シュークリームとミルクレープの誘惑に勝てたら……。

「一口ちょうだい」

「えっ、あ、うん、いいよ」

 ざく、とお母さんが容赦なくシフォンケーキにフォークを刺した。

「今、一瞬、とても嫌そうな顔をしたわ……」

「白状すればえっ、そんなに取るの、独り占めしたい、っていう気持ちが出た」

 素直に白状する。

「何よ小さいわね!」

「何?胸の話!」

 ぺた、と自分の胸に手を当てて私は声を高くした。何故私の胸は手を当てるとぺた、という音が鳴るのか。

「ち、違うわよ」

「何故お母さんにあってわたしにはないの!」

「な、ない訳じゃないじゃないの」

 申し訳程度に。どういう罠か、髪奈かみな真佐美には胸がある。わたしはその髪奈真佐美の娘のはずなのに胸がない。謎すぎる。

「バナナの謎はまだ謎なのだぞ」

「三回言いなさいよ」

「無理……」

 少し前に何故か髪奈家で流行った早口言葉の一つだ。そんな些細なことでもきっちりとお母さんは突っ込んでくるあたり、ノリが良いのか、稚気に溢れているのか。

「伯母ちゃんも小さいからそっちかしらねぇ」

「や、お母さんと血、繋がってないじゃない……」

 結理伯母ちゃんはお父さんのお姉さんだ。

「私のお母さんは小さい人だから、隔世遺伝かしらねぇ」

「そうだったかー」

 でもそしたら何故お母さんは大きいのだろうか。ひいおばあちゃんが大きかったのだろうか。だとすると、わたしにもしも娘が生まれたとしたら、わたしよりも胸が大きくなる可能性は大だ。もしも子供を生むのならば、ぜひともいや、必ず男の子にしなければ。

「あら、おいしいわね」

「うん、これもスタメン入りかも」

 シフォンケーキを口にしてお母さんが笑顔になった。

「スタメン?」

「うん。あのお店に行くと、わたし最初はシュークリームしか食べなかったんだけど、今はミルクレープと二択なの。でもこれ食べちゃうと三択になるかも」

「なるほどね」

 でもやっぱり常連客を自負したいから、一通りケーキ類は制覇したい。どうせという言い方はおかしいけれど、何を食べても美味しいに決まっているのだから。

「コーヒーも紅茶も凄くおいしいから、史織さんと行ってきなよ。涼子さんだってすっごく素敵な人だから」

 お母さんを前にして、涼子さんが理想の女性、と言ってしまうのも問題ありそうなのでそれは黙っておくことにした。お母さんに対してもそういう気持ちがない訳ではないけれど、やはり肉親だと、良い面も悪い面も目立って見えてしまうものだから、中々理想の女性像という感じになりにくい。

「そうね、近いうちに行ってみるわ。史織さんが忙しくなっちゃったらいけなくなっちゃうしね」

「うん。まぁそしたらわたしと行けばいいけどね」

 莉徒だって史織さんと一緒に行ったのだから、別におかしいことなんてない。時々だけど私だってお母さんと一緒に買い物に行ったりもするし。

「ま、そうね」


 二〇〇七年五月六日 日曜日

 七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITION


 今日でゴールデンウィークもおしまいだ。練習は進んだし、貴重な、というか、めったに体験できないライブも体験できたので、思い出深いゴールデンウィークになった。そして思い出深いゴールデンウィークの最終日にはとんだご褒美の言葉が飛び交うのだった。

「という訳で、ちゃんと聞き出せませんでした……」

「この役立たず!」

「Useless!」

「Flat!」

 うお、罵詈雑言。いや待って、一つだけ違うのが混ざってる。

「何?胸のこと!」

「良く判ったな……」

 諒さんにびし、と指差して言うと、諒さんは素直に認めた。

「でも卒アル見せない、っていうのとその伯母さんの態度が怪しいわね」

 莉徒の言う通り、卒業アルバムは結果的に見せてもらえなかったので、髪奈真佐美元ヤン説はかなり正しいような気がしてしまった。莉徒は良い勘してるな。やっぱり不良同士通じる何かがあったのだろうか。

「うん。で、でもまぁもういっかなぁ。なんか史織さんはともかく、わたしのお母さんは過去を暴かれるような感じになっちゃうし、隠したいことだったらそのままにしてた方が……」

 無理矢理暴いても良くない気がする。それこそ史織さんだって復活がなければ、sty-xステュクスのギタリストであることはずっと隠し通すつもりだったのだろうから、それを暴いてしまうのは良くない気がした。

「ま、それは私も同感」

 そもそも莉徒が言い出したことなのに、莉徒はわたしの言葉に同意した。少し意外だったけれど、やっぱり不良だったから、若気の至りはばらされたくないっていう気持ちがあるのかもしれないな。

「えー、つまんねぇな」

「もうすでに過去が暴露されてる人間とは違うのよ」

 ぴ、と指を立てて莉徒は諒さんにそう言った。

「ちょっとやんちゃだったくらいなんでもねぇじゃん」

「男と女でも違うでしょ、その感覚」

 男の子というか男性の場合は、そういうことが勲章になったり、武勇伝になったりもするのかもしれないけれど、女性にとってはそんなもの、本当に若気の至りでしかないような気がする。

「まぁそれは違いそうだな、確かに」

「女子の方が恥ずかしいわ」

「莉徒は隠してないじゃん」

 そうだ。思えば別に莉徒はめちゃくちゃしていた頃のことは隠していないのだった。

「私が隠してんのはそれ以前の話よ。隠してるっつーかあんまり表に出したくない時代」

「あぁ、むしろちゃんと真面目だったころ……」

 小学生から中学一年生の初めの頃までは、本当に真面目っ子だったらしい。その頃の写真も見せてもらったけれど、今の姿からは想像がつかないくらい生真面目な顔立ちだった。色々吹っ切れると顔つきも変わるんだなぁ、と妙に実感したのを思い出す。

「今が不真面目みたいな言い草ね。ちゃんと受験して大学生になったのに」

 今というよりむしろ中学、高校時代の方が不真面目だった。何を持って不真面目とするかは実は良く判らないけれど、この場合は学業に励んでいるかいないかを基準にしてしまおう。

「講義サボってるじゃないの。ダブりたいの?」

 この間なんてお昼を食べるためだけに学校に来て、お昼を食べたら本当に帰って行ってしまったのだから、開いた口が塞がらない。

「なぁにぃ、せっかく大学に行けてるのにサボってんのか、おまえー」

 ぬぅ、と貴さんが少しだけ声を高くした。あれ、でも貴さんと諒さんは学生時代にやんちゃしてたのではなかったっけ。

「オレたちなんか行きたくても入れてくれるところなんかなかったのになぁ」

「大学生、やってみたかったよなぁ」

 二人がしみじみという。お母さんも言っていたけれど、昔と今では進学率が全然違うのだそうだ。貴さんたちの時代や、学校は判らないけれど、お母さんの時代でお母さんの学校では、本当に頭の良い数人のみが大学進学を選んだらしい。

「や、それは二人が勉強しなかったせいでしょうが……」

「まぁ、否めない」

 うむ、と神妙に頷いて貴さんが言った。なんかちょっと偉そう。

「でも自慢じゃねぇがおれは高校、皆勤賞だぞ」

「は?皆勤賞のヤンキーなんて聞いたことない!」

 そ、そうだったのか。本当にヤンキーだったのだろうか。皆勤賞となると、無遅刻無欠席だ。そんな不良少年っているのだろうか。

「だって学校楽しかったもんな」

「おー」

 にへ、と今でも学生のノリといった感じで二人が笑う。わぁ、何だか良いな、こういうの。

「真面目なんだか不真面目なんだか」

「不真面目だよ。遊びに行ってたようなもんだし」

 ベンキョーなんて全然してなかったなー、なんて言いながら貴さんがぴゅうと口笛を吹いた。

「でも喧嘩で入院とかなかったの?」

「まぁ入院はなかったけど、怪我しても文字通り、這ってでも行った」

「すっげ。停学とかにはなんなかったの?」

「高校ん時はオレたちは全部被害者だったからな。まぁ中学ん時にばかやった報いなんだけどさ」

 あ、少し聞いたことがある。中学生の頃に粋がってあちこちから売られた喧嘩を買いまくっていたけれど、高校生になってからバンドに夢中になった二人は、以降一切喧嘩しなくなって、中学時代に恨みを買った人たちのお礼参りの的にされたらしい。

「それにおれんちはさ、両親早いうちに死んじまって、姉貴が頑張っておれを高校に通わせてくれてたからさ。勉強はできなかったけど、でも、学校にはちゃんと行こう、って思てたんだよ」

 そ、そんな感動秘話が……。こんな場所ではなく、ちゃんと聞きたい話だったかもしれない。

「まぁ涼子ちゃんもいたしな」

「まぁな」

「オレは逆に三年で中退しちまったからな。卒業するまでいれば良かった、ってな」

 中退……。もしかして退学とか……。

「え、何で辞めちゃったの?」

 莉徒がわたしの代わりにそう言ってくれた。

「ドラムしたかったから」

「すご」

 夢を追いかけたんだ。凄い。やっぱり諒さんって只者じゃない。そりゃあ夕香ゆうかさんのような超絶美人のハートだって射止められる訳だ。

「やーすごくない。高校卒業してからでも充分できた」

 でもやってみなければ判らないことだってたくさんあったのだろうし、そんな後悔の一つだって、今の諒さんを形作っている土台の一部になっているのではないだろうか。

「……そっか、それも一理あるね。せっかく入れたのにダブったら両親にも悪いし、ちょっと頑張ろ」

「んだ!」

 満足そうに諒さんが頷いた。

「恋に学業に趣味に仕事に、全力を注ぎたまえよ若者たちぃ!がーるずびーあんびしゃすってなもんだ!」

「貴さんだって充分若いじゃない」

 史織さんがや涼子さんが異常なだけで、貴さんだって充分、二十台に見えるくらい若々しい。

「まぁな。だから今だって好きなことには全力だぜ!」

 莉徒の言葉にサムズアップしながら貴さんは子供みたいな笑顔で言った。何かこう、ドラマとかで見る、できる女が「男なんていつまでたっても子供よ」という言葉が妙に頷けてしまった。

「じゃあ嫌いなことは?」

「四.二パーセント……」

「少ない……」


 同日


「おー、やってるね」

「はっちゃん!」

 ブースの二重扉が開いたと思ったら、はっちゃんが顔を出した。

「お、宮野木二十谺みやのぎはつか

「ほんとだ、宮野木二十谺」

「こんにちは。ていうかなんで会うたびフルネームなんですか……」

 二人に挨拶をして苦笑する。そんな仕草も妙に大人っぽい。本当に同い年か宮野木二十谺。

「良いなぁ、しっとりメガネ美人」

「なぁ、あと十歳若かったら惚れてたかもなぁ」

 はっちゃんの言葉と全然関係ないことを言って勝手に盛り上がる三五歳、既婚者男たち。

「無視か。せっかく差し入れ持ってきたのに……」

「なになに?」

 わたしも諒さんと貴さんを無視してはっちゃんが持っていた袋を覗き込んだ。

「ワッフル」

「涼子さんのじゃないな!」

 莉徒が袋を見てそう言った。確かにそうだけれど、でもだからってはっちゃんがまずいものをわざわざ買うようなことはしないと思う。

「それは練習終わったら行くんでしょ?」

「そうだけど」

「涼子さんのもの以外食べられないって言うなら食べなくてよろしい」

「いっただっきまぁーす!」

 莉徒がはっちゃんの手から奪うように紙袋を奪取した。

「どんな具合?」

「夕衣が単音弾きにチャレンジ中」

 莉徒はそう言ってはむ、とカスタードクリームが挟んであるワッフルをかじった。

「あー今まであんまりソロとか弾いてこなかったもんね、夕衣は」

「うん。難しい……」

 コード弾きなら少しは自信があるけれど、単音弾きは難しい。というよりも中々指が動いてくれないし、飛び弦があったりすると、うまく決まらなかったりもする。わたしが作った曲くらいのスローなテンポとかミディアムテンポならばそんなことはないのだけれど、sty-xの曲ははアップテンポなものが多い。

「でも筋はいいよ。もう少しすりゃ様んなってくると思う。お、なかなかうまい」

「ほほー。あー、私も参加したかったな。早織さおりさん、スゴイ好きなのに」

 早織さんというのは、佐々崎ささざき早織さんのことで、sty-xのベーシストだ。当時他に有名だったバンドのベーシストが脱退してしまって、様々なバンドから、ヘルプを集ってテレビの歌番組に出演する、などという企画じみたこともあって、早織さんもそのヘルプのうちの一人に抜擢されていたりもした。なので腕前は相当なものなのだろうな。

「どれ、おっちゃんにも一つくれよ。まぁ当日楽屋きたらいいじゃん。紹介くらいするぜ」

「い、いやそれは緊張しすぎで無理です……」

 私もさすがにそれは緊張しそう。というか、楽屋一緒なのかな……。

「でも二十谺なんて世代じゃねぇだろ?」

「世代じゃなくても好きになるのなんて良くあるじゃないですか、特に音楽は」

 わたしもそれは良く判る。特にクラシックギターの世界などは最近の人よりも昔の人の物を聞くことが多い。涼子さんも好きなリック・ラスキン等は今でもたくさんのギタリストが聞いていると思う。

「まぁそらそうだな。The Guardian's Blueガーディアンズブルーだっていまだに好きでコピーやってくれてるバンドもいるしな」

「あぁ、そうだな。ありがたいことだよホントにさ」

 The Guardian's Blueはもうなくなってしまったバンドだし、復活もあり得ないバンドだから、余計に今でも聞き続けたり、コピーをする人がいたりするのだろう。

「でもそれは、私たちみたいな世代違いの人間が聞いても心に残る音楽をやってる人たちが凄いんだと思いますよ」

 はっちゃんも莉徒から奪われた紙袋から一つ、ワッフルを取ると、そう諒さんたちに言った。

「よ、よせやいばーろー」

「諒落ち着け、sty-xの話だ」

「ちぇ、照れて損した」

 苦笑して貴さんが言うと、諒さんはぷぅ、とでも音が鳴りそうなくらいすねた顔をした。

「いやいや、諒さんたちだって同じですよ。私G'sジーズ系は昔から好きですから」

 特にはっちゃんは-P.S.Y-サイが好きで、最初に貴さんに会った時などはやっぱりまともには話せなかったらしい。時間、というか慣れとは恐ろしい、とも思うけれど、その実、こんなに仲良くなれているのは諒さんと貴さんの人柄もある。わたしも最初は莉徒がプロのミュージシャンに取っている態度にはらはらしていたものだったけれど。

「まじで?付き合う?」

「え、死ぬ?」

 諒さんの冗談に食い気味ではっちゃんがにこやかに答える。

「聞き間違いにもほどがあるよ」

「聞き間違いか……?」

 貴さんがこっそりわたしに言うので、わたしも貴さんに苦笑を返す。聞き間違えではなくてただの突込みだと思うけれど。

「まぁともかく、sty-xの復活ライブは楽しみにしてます」

「おー、任せとけ!」

 そうはっちゃんが言うと、莉徒と諒さんがぐ、とサムズアップした。おぉ、何だか呼吸ぴったりだな、この二人。 


 同日 七本槍商店街


「時に二十谺、話あんだけど」

「だが断る」

 練習が終わり、vultureへ向かう際中、莉徒がはっちゃんに言った。彩霞あやかさんの話だろうか。

「ほう、バンドの誘いだったんだけどねぇ」

「うそうそ、言ってみたかっただけ」

 手をパタパタと振ってはっちゃんが慌ててセルフフォローした。はっちゃんもありがたいことに、わたしと莉徒と一緒にバンドをやりたいと思ってくれている。わたしもはっちゃんとだったらまた一緒にバンドをしたい。

「とは言うものの、まだ実際はどうなるか判んないのよ」

 となるとやっぱり彩霞さんの話だ。

「というと?」

「彩霞先輩、あんた一度会ったことあるわよね」

「あぁ、あのパワフルな人ね」

「彩霞先輩の後輩で、私らと同い年らしいんだけど、ドラマーがいて、その子のドラムをちょっとバンドで見てやってほしい、って頼まれたの」

「あー、なるほど」

 はっちゃんも彩霞さんとは会ったことがあったんだ。まぁはっちゃんも莉徒とは長い付き合いだし、特に音楽関係では私と出会う前は唯一の音楽仲間だったはずだからそれも当然なのだろう。

「で、まぁ一回スタジオ入ってもらえればいい、っていう訳らしいんだけどさ」

「ねぇ莉徒」

「ん?」

 わたしは一つ、気になっていたことを莉徒に尋ねてみようと口を挟んだ。

「そのバンドってさ、彩霞さん、一回だけ、みたいなこと言ってたでしょ」

「うん」

「もしさ、そのドラムの子が良かったら、そのまま組んじゃうってのはなしなのかな」

 せっかくはっちゃんがやってくれて、キーボードもいるのに、これを逃す手はないと思う。別に性別にこだわりはないけれど、ドラマー以外が女子で決まっているのだから、それならばドラマーも女子の方が色々とやりやすいだろうし。

「や、それは私も考えてた。じゃなきゃ二十谺にはこういう話の運び方しないよ。彩霞先輩が一回だけってんなら人数も丁度いいし、美朝にも続けるか抜けるかの判断はさせられるし」

 あ、やっぱり莉徒も考えてたんだ。

「え、美朝?って由比ゆい美朝?」

「うんそう。あそっか、はっちゃん知らないんだ。美朝ちゃん、キーボード習い始めたの」

 この間Phoeni-xフィニクスのライブに来てくれてたのに判らなかったのだろうか。

「習い始めた?だってこないだライブ出てたじゃないの」

 あ、やっぱり判ってたんだ。美朝ちゃんとはっちゃんは高校時代では同じクラスになったことがなかったみたいなので、お互いにあまり面識がない。

「うん、習い始めてわずか三、四日でステージに上げるという暴挙を……」

「え、三、四日?あれ三、四日の腕じゃないでしょ」

 なるほど。美朝ちゃんの腕のことだったのか。確かに美朝ちゃんの技術の向上率は楽器を始めて三日、四日のものではかった。もしかしたら、以前少しだけならったことがあるとか、そういった経験もあるのかもしれない。そうでなければあの成長率はちょっと説明がつかない。

「正確には四日ね。涼子さんが教えてるんだから、あとで涼子さんに聞いてみればいいわ」

「あれで四日か……。いやーあの子あんまり接点ないけど、だとしたらとんでもない才能を見落としてたわね」

「ね、私もそう思うわ。Ishtarイシュターん時から判ってたら今頃ライブでやれるレベルには充分なってたと思うし」

 そう言われればそうだ。でもあのころの美朝ちゃんはまだ自分がステージに立って演奏するなんて想像だにしていなかったはずだから、タイミングだとか巡り合せってやっぱりあるんだろうな。

「でもこれから一緒に楽しんだらいんだよ」

「それもそうね。まぁ私が親友やってんだから、二十谺も大丈夫よ」

「何が?」

 くい、と首をかしげてはっちゃんが言った。わたしにも何のことだか判らない。

「ああいう大人しそうなの、苦手なんじゃないの?」

「だったら夕衣も苦手ってことになるじゃないの」

 苦笑。

 えぇ!わたしは大人しそうなタイプに見えているということだろうか。

「わたし美朝ちゃんと同じタイプじゃないと思うけど……」

「猫かぶってた頃は同じ感じだったわよ、充分」

 や、それを言われるとこちらも辛い。

「ま、夕衣は確かに変わったよ」

「フクザツ……」

 美朝ちゃんのようにもっと気が利けば良いのだけれど、中々彼女の空気把握能力(?)には追いつけそうもない。

「まぁともかく私は大学のサークル入るのやめとくわ。迷ってたんだけど、動きが決まりそうだったらそっちのが良いし」

「え、でもやめることないんじゃないの?」

 サークルはサークルでやれば良いのに。

「や、鬱陶しそうじゃない。音楽やりたいだけの集まりじゃなさそうだしさ」

「そうかもだけど、でもそれだけじゃ寂しいでしょ」

 わたしたちだってこうして喫茶店に行ったり、買い物に行ったりもしている。そういった友達を作るのにも良い機会なのではないのだろうか。

「まぁそうかもしれないけどさ、女探しとかなら私はもう間に合ってるし、言い寄られると鬱陶しいし」

「さすがにもてる女の言うことは違うわ」

 それを莉徒が言うか。とは言っても莉徒もわたし知り合ってからは全く浮いた話を聞かない。本人曰く、今は音楽に集中したい、とのことだから、その気になっていないだけなのだろうけれど、莉徒が本気を出したら一体どうなってしまうのだろう。

「わたしはどうしたらこの乳になれるの?」

「なれぬ、諦めろ。髪奈かみな夕衣は一生童顔チビで貧乳のままだ。ひぃっ」

「ぐぬぅ……」

 あまりにもストレートすぎる現実に耐えかねてわたしははっちゃんの胸を鷲掴みにした。相変わらずでっかい。パイオツカイデーだ。

「そういえばさっきのワッフルおいしかったけど、どこで買ったの?」

十五谺いさかんとこ。あそこクレープだけじゃないのよ」

 わたしを引き剥がしながらはっちゃんは莉徒に応えた。十五谺ちゃんというのははっちゃんの妹だ。妹の方が数字が若いのは何故なのか、誰も知らない。はっちゃんと十五谺ちゃんは良く似ているのだけれど、はっちゃんは大人っぽくて、十五谺ちゃんは可愛らしい顔立ちだ。羨ましすぎる美人姉妹だ。

「そうなんだ!じゃあ涼子さんにも買って行ってあげよう」

 はっちゃんから引き剥がされたわたしはそう言って手を挙げる。たまには涼子さんに恩返しをしなくちゃ。

「いいわね」

「え、今から?」

 一度すでに行ったはっちゃんが言う。行きたくないのかな。

「ちょっと寄り道するだけじゃん」

「ま、そうだけどね」

「また喧嘩とかしてんの、もしかして」

 喧嘩だとしたらさっきも行ってないのではないだろうか。普段から仲良さげな姉妹に見えるけれど、実はそんなこともないだとか。

「してないわよ」

「また?」

「あぁ一時期、ものすんごい殺人的に仲悪かったことがあったのよ、姉妹のくせに」

「姉妹だからよ」

 さ、殺人的って……。

「今は?」

「今普通に仲良いんじゃないかなぁ」

 ライブに来てくれた十五谺ちゃんとはっちゃんを見ると、とてもそんな仲だったとは思えないほど仲が良く見える。

「一緒に買い物とか出かけたりする?」

「するよ」

「あ、そうなんだ」

 それなら良かった。そんな激しい喧嘩をしたからこそ、今はもっと仲良しになったのかもしれない。

「まぁでも今年はあいつ受験だからね。あまり邪魔しないようにしてるけど」

「そっかぁ。今仲良いなら良かった」

「酷かったときはほんと二十谺おっかなかったからねぇ」

 ただでさえはっちゃんは怒らせてはいけない人のような気がするけれど、そのはっちゃんと正面切って立ち向かっていったとなると、十五谺ちゃんもかなり激しい面を持っているのかもしれない。

「莉徒が言うんだからよっぽどだったんだね」

「うんまぁ、軽く死ねば、って思ってたしね」

「怖い!」

 実の妹に死ねばなんて、しかも『死ねば』という言葉に『軽く』という副詞がもう意味が判らない。わたしは姉妹同然に育った裕江姉を亡くしたショックを三年以上も引きずったけれど、はっちゃんも十五谺ちゃんも、本気ではないにしたって、その時はお互いがどれだけ大切な存在なのかが全然判っていなかったのだろう。

「でも当時は十五谺もそう思ってたと思う」

「だろうね。十五谺は十五谺でまた癇の強い女だからねぇ」

「そうね、莉徒に少し似てるかも」

「まぁ私はあんな可愛げないけどね」

 充分可愛い莉徒までもが十五谺ちゃんを可愛いと言うように、確かに十五谺ちゃんは可愛い。もの凄く可愛い。

「十五谺ちゃん可愛いよねぇ。わたしたちなんかよりよっぽどゴスロリとか似合いそう」

「あぁそういやあんたらの衣装の話したらライブ行けなくて悔しがってた」

「さすがは元メイド」

 十五谺ちゃんは一時期メイドカフェでアルバイトをしていたことがあるらしい。英介に一度聞いたところ、英介にはメイド属性はないらしく、一度も行ったことがないとの話だった。

「最近アニメのコスプレでも始めようか、なんて言ってたわよ」

 でも別に十五谺ちゃんはコスチュームプレイヤーでも何でもなかったはずだけれど。

こうも大変だ」

風野かざの君?」

「そ。ま、晃はああ見えて結構懐深いから大丈夫でしょ」

 晃というのは、十五谺ちゃんの彼氏で風野晃一郎こういちろう君のことだ。はっちゃんがメインでやっているバンド、シャガロックのギターボーカルでもある人だ。あまり話したことはないけれど、音楽に対してとても真摯な姿勢を感じる。

「十五谺ちゃんのコスプレ写真ならちょっと見たい」

「ね」

 それだけ十五谺ちゃんは可愛らしい。できうるならばメイドカフェのアルバイトをしていた時の十五谺ちゃんも見てみたかった。

「ほら、店出てるわよ」

「よーぅいっつぁん!」

 店の前まで来ると、十五谺ちゃんが立っていた。お店はお肉屋さんのようにショーケースがあって、その向こうで店員が販売している。店内の端の方にあるレジスターの前に立っていた十五谺ちゃんに莉徒が声をかけたので私はその後ろで小さく手を振った。

 ちなみにいっつぁんというのは、十五谺ちゃんが「二十谺だからはっちゃん」という呼び名を羨ましがった結果、「十五谺だからいっちゃん」だと何だかアレなのでじゃあ「いっくん」にするかつーかなんでなのよそれじゃ男の子でしょうがじゃあ「いっつぁん」しかねぇなメカニカルドクターの経理担当かよ男の子どころかおっさんじゃねーかいやよそんなのなんなのよ、という十五谺ちゃんの反駁も空しくいっつぁんに落ちついてしまったという嘘のような本当のニックネームなのである。

「あ、莉徒さん、夕衣さん、ちあっす!あれお姉ちゃんまたきたの?」

「あらぞんざいね。また買ってやろうっていう客にその態度?」

 笑いながらはっちゃんが言った。やっぱり今は仲が悪い感じはちっともしない。

「あぁっ!うそですうそです!寄ってらっしゃい見てらっしゃい!本日は大変ご苦労様です。お姉様お嬢様のお土産に七本槍名産のスイーツはいかがすか?角は一流商店街の白木屋黒木屋さんで紅白粉つけたお姉様から下さい頂戴で頂きますと千や二千は下らない品物です。今日は普段からお世話になってるガールズバンドの皆々様に七本槍地元民が特別のサ-ビスで破格のお値段でお願いしております。本来なら無料で差し上げたいところ、五百円でいかがですか?」

 なんだか大袈裟に抑揚をつけて、時代がかった感じで、自分のおでこをぴしっと叩いたりしながら十五谺ちゃんが一気にまくしたてた。な、なんなの。

「お前何歳だよ」

 莉徒が笑いながら言う。莉徒はこれが何なのか判っているのか。

「寅さん好きー」

「寅さんなんだ……」

 思わず口に出してしまった。テレビで少し見たことがあるくらいで、きちんと見たことは一度もない。でも確かに、寅さんの口上は映画をほとんど知らないわたしでも知っている有名なものがあるので、寅さんが好きならば色々と知っているのだろう。

「じゃあ草団子おくれ」

「とらや行けよ」

「お前客に向かって……」

 ノリで言ったはっちゃんにずびし、と手を差し出してきっちりと突っ込む。こういう空気感は身を置いているととても楽しいし大好きだ。

「何、みんな寅さん知ってるの?」

「あら夕衣さん、寅さんは昭和のヒーローよ。学んどきなさい!」

「や、わたし平成生まれだし……」

 ギリギリ平成元年だけど。

「十五谺のが下じゃないのよ」

「そうだった」

 言われてみればそうだ。はっちゃんの妹だもの。

「あんたバイト終わるの何時?」

「あと三十ぷーん」

 ぴんぴんぴん、と指を三本立てて、十五谺ちゃんは笑顔になった。可愛いなぁ。

「じゃあ終わったら涼子さんとこ来なさいな、待ってるから」

「おっけー」

 立てた指をしまって、今度は親指をびょこ、と立てる。いいなぁ風野君はこんなに可愛い彼女がいてきっと幸せなのだろうなぁ。

「じゃあとりあえずこの辺二つ位でいっか」

 手前に出ているワッフルの、カスタードクリームとチョコレートクリームの物を指差して莉徒がお財布を出した。

「まいどありんす。けっこう毛だらけ猫はいだらけ、ってね。んじゃあとで行くねー」

 さっさ、と手慣れた動作でワッフルを包んで紙袋に入れながら十五谺ちゃんが言う。そうだ、確か十五谺ちゃんってもの凄く頭が良いんだった。だから要領を得るのも早いのだろう。

「あいよー。んだば、いっつぁん!」

「へば!」

 天は人に二物を与えず、なんて嘘っぱちだなぁ。

「何勝手にへこんでんの、あんた」

「え、い、いやなんでもないよ!」

「疲弊した昭和を元気付けた男、車寅次郎に学んで来い!」

「じゃあTATSUYA寄ってこっか」

「わたしが借りるの!」

「だって私全部見てるもん」

「私もー」

 何なんだ……。


 17:草団子 終り

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