15:たこ焼き
二〇〇七年四月三十日 月曜日
本番直前。もう前のバンドは最後の曲で、恐らくギターソロから大サビとアウトロでおしまいだ。わたしたちはさつきちゃんから借りた例の衣装に着替えて、すでにスタンバイは完了している。細かいところは違うけれど、みんないわゆるゴシックロリータファッション。もうなんか四人揃うとこれはこれで壮観かもしれない。
(いやぁでもこれでステージとかもうなんか……)
わたしはほとんど普段着のような洋服でしかステージに立たないので、あまりにも特殊な衣装過ぎて気後れしてしまう。でもわたし以外のみんなはこの衣装に喜んでいるようだったので、わたしもなるべく平静を装うことにした。
後は……。
「で、で、では、思い切り、思い遺すことなく、逝ってください!」
わたしたちに背中を向けて、
「あははは」
「うふふふ」
「へっへっへ」
みんなテンションが妙だ。
「間を空けると流石に可哀想だからな。連続で行くぞ」
「おっけー」
圭ちゃんの緊張を和らげるために、一度に背中をばちーんと叩くため、みんな一様に手首のストレッチをしたり、ニヤニヤ笑っていたりしている。
「ではまずは私、次に
史織さん曰く、一箇所に痛みが集中すると、痛む箇所に意識が集中して、緊張が解れるというのだ。嘘か本当か、真偽の程は定かではないけれど、プロのミュージシャン、それも大ベテランの史織さんが言うことならば是非とも試してみよう、ということになった。
しっぺという話も出たのだけれど、当たり所が悪いと叩く方も手首をおかしくしたりするし、圭ちゃんの腕に怪我をさせる訳には行かないので、背中に手形がつくほどの平手打ちに決まった。
「よぉーっし」
「圭、覚悟を決めろ」
「早くなさってくださいまし!」
もはや完全にテンションがおかしい圭ちゃんの背中を前に、さつきちゃんが大きく手を振り上げる。
「!」
ばちん、とかびたん、とかそういう音ではなく、地味にどす、と聞こえた。
「うっ」
圭ちゃんが思わずな感じでうめく。確かにちょっと予想とは違う痛さかもしれない。
「ヘタクソか!」
「い、行け柚机!」
莉徒の突っ込みもそこそこにさつきちゃんはすぐに指示を出す。は、次はわたしだ。
「ほわちゃあっ!」
「いっ!」
ばちーん、と良い音が鳴る。これはかなり痛そうだ。
「髪奈!」
「あーちょー!」
「つっ!」
わたしも莉徒に続いて右手で圭ちゃんの背中を容赦なく叩く。
「由比!」
「ごめんね!」
「はぅっ!」
莉徒とわたしが叩いていたところを見ていたのか、美朝ちゃんはポイントをずらして、まだ叩かれていないであろう所をびったん、と叩いた。一番痛そうな音がした。
「史織さん!」
「ちょい、はー!」
あろうことか史織さんは両手を頭上に振りかざしてそのまま叩き降ろした。両手の発想はなかった。
「ちょい?」
史織さんが発した奇妙な気合の声に美朝ちゃんが食いついた。
「それ
わたしはそれを貴さんが何度も言っているのを聞いたことがあるので、すぐにそう言った。
「うん、パチった」
「やっぱり」
涼子さんや貴さんが使う言葉は真似されることが多いのかな。ちなみに貴さんの気合にはもう一つ『こらせい』というのがある。大体『ちょい、はーぃ!こら、せい!』という気合がセットで、中央公園のストリートでの演奏後の片付け時に重たいものを持つ時にしょっちゅう使っている。
「貴君の兄貴分の人の形見なんだって」
「ん?」
形見?とは尋常じゃない。わたしは会話の続きを待つ。
「その気合の入れ方が」
「貴さんの知り合いの人がそれを使ってたってことですか?」
親しい人を亡くしてしまったのはわたしだけではない。そんなことは重々承知しているつもりだったけれど、いつも明るくて能天気で前向きな貴さんがそんな経験をしていただなんて少し意外だった。
「うん。亡くなっちゃったんだって。だから、貴君がそれを受け継いでいくんだって言ってたから、じゃあ私は広めていこう、って思ったの」
(夕衣は間違えちゃだめだよ)
「なるほど……」
わたしの姉のような存在だった従姉、
わたしがその言葉を守っているように、貴さんも誰かの遺志を継いでいるのだろう。大げさな話かもしれないけれど。けれど、そんな重たさを微塵も感じさせないのはきっと貴さんの強さと優しさなんだろうな、きっと。
「普段何気なく使ってるワケ判んない言葉でもそんな思いが乗ってるもんなのね」
「だねぇ」
「よし、じゃあ私もそれ使おう」
莉徒はそういう機微に敏感だ。莉徒と知り合う三年も前に亡くなった裕江姉のことも親身になってくれたし、基本的な行動原理が気持ちや心から出てくる莉徒の行動は一見ハチャメチャなように見えるけれど、彼女自身のルールに徹して生きている。奔放に見えるのはただ無茶苦茶をやっている訳ではない。ただ無茶苦茶をやっているときも、時々はあるのだけれど。
「わたしも」
「わ、私、も……」
「美朝ちゃんはキャラ違う気がする……」
苦笑してわたしは言った。美朝ちゃんは大きな声を出したり、進んでおちゃちゃらけるような子ではない。少し前まではわたし自身もそうだと思っていたのだけれど、どうもわたしにはそういう素養があったのか、莉徒と知り合ってから変わったのかは良く判らないけれど、ともかく最近はそういうこともなんとも思わなくなってしまっている。
「まぁ無理する必要はないんじゃない」
「そうだね」
「お、そろそろ終わりかな?」
莉徒の言葉に美朝ちゃんがうなずくと、莉徒がモニターを見上げた。聞こえてくる音は最後の盛り上がりのような、ハチャメチャなフレーズで引っ張って掻き回している感じ。最後にじゃーん、と〆ておしまいだろう。
「よっし、圭ちゃんいくよ!」
「は、はい!」
史織さんの言葉にぴん、と背筋を伸ばして圭ちゃんが返事をする。すると、さつきちゃんがステージに上がるための、三段だけある階段の上に上って、わたしたち全員を見渡せる位置でくるり、と振り返った。
「莉徒先輩、夕衣先輩、美朝先輩、史織さん」
「ん?」
丁寧に、普段のさつきちゃんの口調でわたしたちの名を呼ぶ。
「私達をここに連れてきてくれて、ありがとうございました」
言ってぺこり。
「や、やぁね、何よかしこまっちゃって」
莉徒の言う通り、そう改まって頭を下げられてしまうとこちらとしてもなんだか変な感じになってしまう。巻き込まれて駄々をこねられて、という状況は確かにそうだったかもしれないけれど、この二日間はわたしは何だかんだと楽しんでいた。
「私達いつもこんなで……その、迷惑かけっぱなしだったので」
「楽しかったよね、莉徒ちゃん」
「ま、そうね」
史織さんと莉徒が屈託のない笑顔で言った。わたしだってそれは同じ気持ちだ。
「わたしも楽しかったよ、さつきちゃん」
く、とサムズアップして私も笑顔になる。きっと部活動で後輩ができるってこういう感じなのかな。なんだか少し嬉しくなってしまった。
「私も、こんなに早く初ライブできるのって、二人のおかげだと思ってるよ」
確かに音楽を初めてわずか三日なのにライブって異常過ぎる状況だけれど、この先音楽を続けて行くのならば、多分凄く貴重な経験になる。美朝ちゃんはきっとそこまで理解して言っているんだろうな。
「みなさん……」
「よぉっし!しんみりすんな!がっつり気合入れてやって、うまい酒飲むぞ!」
「おー!」
こういう時にリーダーシップを発揮するのはいつも莉徒だ。以前組んでいたIshtarの時もそうだった。
「み、未成年……」
言うだけは、一応言う。確かに高校は卒業したけれど、未成年であることは変わりがない。
「史織は違うもん」
「つぅかもう一杯入れてんだから今更でしょ」
「そ、それもそっか」
先ほどすでに一杯呑んでいるのをすっかり忘れていた。一本の缶ビールで酔うほどではないのはそれもやはりそういう素養があるからなのだろうか。
「さつきちゃん、圭ちゃん、よろしくね」
美朝ちゃんがびし、と二人にサムズアップ。
「こちらこそ!」
ぺこり、と二人がわたしたちに頭を下げた。
「う、うあ……」
「美朝ちゃん、落ち着いて!」
ステージと客席の間には垂れ幕が下がっている。脇からは客席が見えてしまうけれど、ステージに立つといつも心地良い緊張感に包まれる。でもそれは美朝ちゃんにしてみたら、単なるド緊張以外の何物でもないようだった。漫画だったら全身石化で表現されているに違いない。
「せ、背中!私も!叩いて!殴って!ばちーんってやって!」
興奮しているのか、美朝ちゃんが声を高くする。ちょっと面白い。
「ちょい、はーぃ!」
「いっ!」
今度は片手で、やっぱりぱぁん!と良い音をさせながら史織さんが容赦なく美朝ちゃんの背中を叩く。
「史織グッジョブ」
「美朝ちゃん、失敗しても緊張しても良いから、とにかく笑顔だよ!」
そうだ。わたしはともかく、みんな可愛いのだから、険しい表情でなんてやっていたらもったいない。
「りょ、了解です!」
「じゃあいいですか?」
ステージ上にいるライブハウスのスタッフさんがわたしたちに訊いてくる。今回はまだ美朝ちゃんは
「はぁい、おっけーです!」
はぁい、と手を挙げて小学生のように返事をする史織さん。スタッフさんがステージ袖から一番客席側の奥にいるPAさんに手を挙げて合図をする。バンド転換時に流れていたBGMがフェードアウトして、垂れ幕が上がって行くと、莉徒が叫んだ。
「よぉし行け!史織!」
「あらほらさっさ~」
ステージ前面に置いてあるモニタースピーカーに片足を乗せて、ぎゅんぎゅんとソロプレイを弾きまくる。
「うはぁ」
もうなんだか巧いんだか下手なんだか判らないくらいの、とにかく物凄い速弾きだ。何を弾いているのかさっぱり判らない。
「圭!」
「……!」
多分聞こえていないだろうけれど、莉徒が圭ちゃんの方へ振り返って手を挙げた。すぐにハイハットが鳴る。この曲はしょっぱなからシンコペーションで入る曲なのでハイハット四つ半から、アップピッキングで曲に入る。莉徒曰く、LAメタルの王様みたいな曲らしい。わたしが今練習しているsty-xの曲にもこんな感じの曲はあった。歪んだエフェクトで鳴らすハーフミュートのカッティングが格好良い。自分で弾いていても格好良いと思えてしまうあたり、わたしにはきっとこういう曲の素養はあったのだろう。
「おー!おー!」
マイクがないので声は拾われていないけれど、完全に史織さんは叫んでいる。そうだ、考えてみたら史織さんにとってこれが復帰してからの初ライブだった。興奮しない訳がない。
おーおー、と言っているような口の形の割にものすんごい笑顔だ。久しぶりにsty-xの練習に行ったときに下手過ぎて怒られたと言っていたらしいけれど、どこが下手なのか全く判らない。
イントロが終わり、莉徒もモニター用スピーカーに足をかけてシャウトする。
「うわっ」
思わず声が出てしまった。こんな激しい歌い方もできるんだ。練習の時はテンションが違かったのか、喉を心配していたのか、とにかくこんな歌い方はしていなかった。莉徒が過去に参加したバンドで莉徒の手元に映像が残っているものはいくつか見せてもらったことがあるけれど、ここまで激しいバンドのライブは見たことがなかったので、こんなにも様相が違う莉徒の一面に思わず驚いてしまった。曲に乗せて、史織さんとさつきちゃんとヘッドバンキングをしながら激しく体をくねらせる。本当に莉徒は何でもできる奴だなぁ。羨ましい。わたしも負けじと体を揺り動かそうとしたけれど、普段からそういった練習の仕方をしていないし、ほとんどがギターボーカルなので、いざ動いてみようと思ったらこれが中々動けない。これは訓練が必要かもしれないけれど、今は失敗しないように頑張らなきゃ。
(あれ?)
始まってもう数分、今更気付いたけれど、圭ちゃんのドラムが安定している。リハーサルの時のガチガチな感じが全くない。史織さんの、一箇所に痛みを与えるという手法は圭ちゃんには効果覿面だったらしい。
(ということは)
今後、ライブの度に圭ちゃんの背中には手形がついてしまうのだろう。普段の冷静な圭ちゃんの態度を思うとおかしくなってしまった。いけないいけない。今回のライブは殆どバッキングのみだけれど、油断しちゃいけない。
ふ、とさつきちゃんを振り返ると、さっきまでヘドバンをしていたのに、もうなんだか目をうるうるさせて史織さんを見ている。それもそうだろう。憧れのギタリストが自分のバンドの曲を弾いてくれてるのだから。そのまま史織さんに視線を移すと、本当に楽しそうに、ニコニコしながらギターを弾いている。いやぁ、ニコニコしながら弾けるフレーズじゃないな、あれは。流石としか言いようがない。
史織さんのソロがスタートする。莉徒はギターも持っていないでギターソロの間はどうするのだろうと思ったら、なんだか上手に踊ってお客さんをあおったりしている。
(凄いな……)
史織さんが凄いのは勿論だけれど、莉徒がここまでピンのボーカリストとして色々できるとは思わなかった。わたしが見知っているのはギタリストかギターボーカルの柚机莉徒だ。莉徒はわたしのことを随分と高く評価してくれているけれど、こんな莉徒の姿を見せられるとその莉徒の評価に絶対に胡坐を描いてはいけない、と思わせてくれる。流石はわたしの親友でありライバル。ライバルなんて本当はおこがましいくらいだけれど、わたしが競い合って追い越したい相手が親友であるというのはなかなか贅沢な環境なのかもしれない。
「さんきゅー!」
一曲目が終わり、拍手歓声。わたしは今回のライブには北海道から帰ってきたばかりの英介しか呼んでいないけれど、それでも英介が話を広めてくれたのか、高校生の時にクラスメートだった
「はい、リーダー、MC」
「あ、あの、今晩は、
いきなりハンドマイクを当てられてさつきちゃんが焦る。莉徒は急にMCを振ることがあるからわたしも心の準備はしておかないと。
「なに?キンチョーしちゃってんの?」
「な、何を言うか!」
さつきちゃんが焦ってごつ、とマイクに唇をぶつける。あぁ、あれは痛いんだ……。
「緊張してんじゃん。じゃあ私しゃべっちゃうけど、えーと、このバンドは、本来このベースでリーダーのさつきと、ドラマーの圭のバンドなんだけど、その二人以外がバンドを抜けちゃったんで、あと全員サポートメンバーっつぅとんでもないバンドです。まぁ、まだまだカッコイイ曲もやるから、最後までお付き合いよろしくね!」
莉徒がさすがのMCを披露する。いつもながらスムーズでこなれたMCだ。
「じゃあリハまで緊張でガチガチだった圭、よろしく!」
莉徒が言ってハイハットのカウントが四つ。一気に全員で入るので音圧が客席のお客さんを押し返すようにスピーカーから発せられる。この曲は前奏でも史織さんのソロがあって、やっぱり物凄いにこにこ顔でとんでもないギターソロを弾いている。練習の時に一度として同じソロを弾いていないからきっとアドリブなんだろうことは判るけれど、アドリブでこんなにもコードからアウトしないソロを弾けるなんてさすがとしか言いようがない。
わたしは史織さんのソロを盛り上げるようにきっちりとバッキングに集中しなくちゃ。
ライブの時はいつも思うけれど、三十分という時間はあっと言う間だ。
「それじゃ最後の曲!の、前に!」
「史織」
最後の曲に行くのかと思いきや、莉徒が史織さんの名前を呼んだ。
「あぃ?」
マイクは通ってないけれど確実に皆に聞こえる声で史織さんが首をかしげる。
「カミングアウトでしょ」
「あそっか。みなさんこんばんわぁ、sty-xのSHIORIでぇす」
「……」
「……おい」
わたしは史織さんのカミングアウトに苦笑する。らしいと言えばらしいけれど、もう少し仰々しくするのかと思っていた。当然お客さんは何事か判っていないようだった。
「え?」
「そんな言い方じゃ誰も信じないでしょうが!」
「?」
何だか訳が判らない、という顔をしているお客さんが殆どだ。
「えーとね、このおとぼけギタリスト、判る人はとんでもないギター弾いてんなぁ、って思ったかもだけど、正真正銘、ついこないだ復活したばっかのハードロックの女王、sty-xのギタリスト、SHIORIさんです!」
「うぉ」
微妙な反応。ホンモノか?っていうような。
「みんな復活ライブきてねぇ」
「おぉー!マジ!すげえ!」
史織さんがばーんとサムズアップして、やっと意図が通じたようだ。こういったバンドが多く出演するイベントならば、来ているお客さんもsty-xを好きな人が多いのだろう。
「さ、カミングアウトも終わったところで最後の曲!」
せっかくのお客さんの歓声をすっ飛ばしてハイハットのカウントが入る。史織さんがカッティングでわたしがロングトーン。ベースがフレーズを刻んで一瞬ブレイク。直後、莉徒の声と共に全員が音を出す。こういったジャンルの曲はあまりリズムの押し引きや、曲中の構成での爆発力はないけれど、一定してスピード感のある演出ができる。
今回はわたしは殆どルート五度、いわゆるパワーコードだけの弾きだけれど、sty-xの曲もそれは多用する。今回のライブはそういう点でも良い経験だった。
高校生の時にやっていたガールズバンド、Ishtarをやらなくなってからしばらくバンドをしていなかったので、もう少しだけ、このバンドで楽しむのも悪くないな、と思ってしまう。
だけれど、さつきちゃんや圭ちゃんの趣向からすると、わたしの曲はこのバンドで演奏するのには向いていないだろうから、やっぱりこのバンドはこのバンドでお終いなんだ。
莉徒のこういった激しいボーカルも意外だったし凄かったけれど、わたし個人の好みで言えばやはり莉徒のメインのバンド
それでも、参加したバンドには大切な気持ちが込もっている。わたしがこの街に来る前にもバンドには参加させてもらった。その頃のわたしはあまり人と接することが得意ではなかったので楽しい、という気持ちもあまりなかったけれど、それでも初めてバンドで演奏するという経験をさせてもらったバンドだ。
この街にきてからのIshtarや、莉徒と英介と秋山君と、臨時で組んだコピーバンドも楽しかった。だから、そのバンドにいるうちは、大切に曲を弾きたい。
「SHIORI!」
集中していたはずなのに、少しアレコレと考えてしまった。多分間違えてはいないだろうけれど、もうギターソロだ。
振り返るとさつきちゃんも凄く笑顔でヘドバンしながらベースを弾いている。少し怖い。つい数日前までまったく知らない子だったのに、こうして同じステージで演奏できるというのは音楽の持つ力の一つなんだ。
様々な思いや立場が交錯して巧く行かないことだってあるけれど、やっぱり音楽って凄い力を持っている。
わたしがこうして笑顔でギターを弾けるのも、音楽の力だ。
だから、あと少しだけ、Phoeni-xの一員として、大切に、一生懸命、ギターを弾かなくちゃ。
「さんきゅーアリガト!」
ざん、と最後のコードを鳴らす。
(終わっちゃった……)
そう思うと同時に客席にぺこりと頭を下げた。垂れ幕が下がってくるのと同時にわたしはギターを降ろす。視界の隅でへたり、と美朝ちゃんが膝を着いたのが見えた。
「美朝ちゃん大丈夫?」
「な、なんか力が……」
「大丈夫!美朝良く頑張ったね!」
わ、と後ろから抱きついて、莉徒が美朝ちゃんの頭を撫でた。頑張ったね、って言われると凄く安心するのはみんな同じなんだろうな。頑張る前に頑張れ!って言われるのは、わたしは力になるけれど、でも、頑張った後に頑張ったね、って言われる方が嬉しい。
「え、えへ、ありがと莉徒」
「わたしは全然失敗とか気付かなかったよ」
わたしも片付けの手を止めて美朝ちゃんに笑顔を返した。わたしが初めてステージに立った時のことを思い出せば、自分の演奏が経験者の足を引っ張っていなかったかどうかをとても気にしていた。だから、安心できるような言葉を選んで声をかけてあげたくなる。
「あ、史織も思った!」
「美朝先輩、凄いです!」
「とても初心者とは思えませんでした」
史織さんもさつきちゃんも圭ちゃんもやっぱり音楽経験者だけあって、わたしと同じようなことを思ったのかもしれない。口々に美朝ちゃんに声をかけた。
「圭ちゃんも緊張ほぐれてたね」
苦笑しつつわたしは言った。背中バチーンがあんなにも効果のあるものだとは思わなかった。もしかしたら美朝ちゃんがしっかりできたのもあれのおかげなのかもしれない。だとしたら緊張しいの人は毎回あれをやるべきだ。
「そう言えばそうでしたね。ライブの前は毎回アレ、やろうね、圭」
「う、うん……」
圭ちゃんが苦笑する。緊張がほぐれるのは良いことだけれど、あれは本当に痛そうだったからなぁ。わたしはガチガチに緊張するような性質じゃなくて本当に良かった。
「みんなお疲れ様」
そう、可愛らしい声で舞台袖からひょっこりと顔を出したのは涼子さんだった。
「わぁ、涼子ちゃん、ありがとうね」
ぽんと手を打ち鳴らして史織さんがぴょこ、と跳ねた。あぁ、史織さんと涼子さんてもの凄く仲良くなりそうなイメージだったけれど、やっぱりもう仲良しになってたんだ。
「史織さんすっごくカッコ良かったぁ。美朝ちゃんも凄く頑張ったね。これなら上達もきっと早いわ」
「あ、ありがとうございます」
照れ笑いをして美朝ちゃんが頭を下げた。音楽への情熱はきっと高まっただろうな。本当に良かった。できるならば美朝ちゃんが言っていたように、美朝ちゃんともバンドをしてみたいし。
「うちで打ち上げの準備してるからあとできてね」
ぴょこ、と人差し指を立てて涼子スマイル。わたしの周りには年齢問わず可愛い人が多いなぁ。
「わぁい、ありがとぉ」
「おつかれー、俺らも先行ってるわ」
「あ、うん、後でね。ありがと」
英介も涼子さんの脇から顔を出して言った。後ろで秋山君が手を振ってくれていたのでわたしも手を振り返す。
「史織、莉徒、お疲れー。俺らも行ってるわ」
更に英介の脇から莉徒の弟、逢太君が顔を出す。
「おーちゃん、ありがとぉ」
「おー、恵子にも宜しく言っといてー」
「うぃー」
逢太君も彼女の恵子ちゃんもバンドをしていて、逢太君が莉徒と同じギター、恵子ちゃんはベースを弾いている。確か同じバンドではなかったと思うけれど、わたしも英介とはバンドは組んでいない。同じバンドにはいない方が良いような気もするし、やっぱり好きな人と一緒にバンドをやりたい気持ちもある。後で恵子ちゃんにそのあたりのことも訊いてみよう。
「逢太君、おーちゃんって呼ばれてるんだ」
逢太君は結構口調が乱暴で、ちょっと英介に似ているところがあるので、おーちゃんと呼ばれているのは少し可愛くて意外だった。
「そうやって呼ぶと怒るからやめた方がいいわよ」
「そ、そうなんだ」
男の子だし、やっぱり可愛い呼び名より、格好良い方が良いのだろうか。逢太君はどちらかというと、弟というイメージが強いせいか、まだ可愛いイメージがある。荒い口調も背伸びしているようなイメージで英介とは少し違う。
「おーちゃんって呼んでるの史織だけだから」
「そっか」
逢太君は一時期、わたしを紹介してくれ、とうるさかったらしいけれど、結局恵子ちゃんのような可愛い彼女ができたのだから、わたしとは付き合わないで正解だ。それに逢太君はかなりのイケメンだ。わたしではやっぱり釣り合いが取れない。それを言ってしまうと英介も私には分不相応なくらい格好良いのだけれど。
「よっし、じゃあわたしはけるね。莉徒は美朝ちゃん手伝って。これ置いたらすぐ戻ってくる」
「あらほらさっさー」
マルチエフェクターに接続しているチューナーと
「やっぱり私、あんたらとバンドやりたい」
清算を終えて、vultureへ向かう途中、ずっと待ってくれていたはっちゃんがそう言った。亨君の姿が見えないけれど帰っちゃったのかな。
「お?告白?」
「ま、そんなところね。だって夕衣と莉徒は何かしらやるんでしょ?」
はっちゃんがそう言ってくれるのは本当に嬉しい。実力のある人に認められたということは、それが同級生であっても嬉しいものだ。はっちゃんも莉徒のKool Lipsと同様にシャガロックというメインのバンドがある。シャガロックはLAメタルやハードロックとはまた違う、ガレージロック系の激しい曲が多いバンドだから、はっちゃんも私がやっているような曲は好きではないのかと思っていたけれど、それはそれ、なのかもしれない。
「うん。まぁまだ予定は立ってないけど、一応そのつもり」
もしもはっちゃんがベースを弾いてくれるならば、後はドラマーを見つけるだけになる。キーボードはもちろん美朝ちゃんに弾いてもらって、ギターとギターボーカルはわたしと莉徒で持ち回れば良いのだから。でも、この間莉徒が言っていたことをふと思い出した。
「莉徒が揺れる乙女心なの」
わたしはそういってはっちゃんに視線を向けた。
「え?」
「はっちゃんね、やっぱりすっごい巧いから、一緒にやりたいんだけど、でもただ巧い奴引っ張ってきただけだろ、みたいに思われるのが嫌なんだって」
確かに一理あるとは思ったけれど、はっちゃんとは一緒にバンドをしたこともあるし、何よりバンドがなくてもこうして友達としても付き合いがあるのだから、きっと莉徒は気にしすぎなんだ。
「何よそれ。某野球チームじゃあるまいし」
莉徒と同じようなことを言ってはっちゃんは苦笑した。
「でもなんで急に?」
「別に急じゃないわよ。Ishtarやる前だって莉徒とはやったことあったしね」
「あぁ、そっか」
シャガロックに莉徒とKool Lipsのギタリスト、シズ君が参加して一緒にバンドをやっていた時期もあった。それはIshtarが発足したせいで止まってしまって、Ishtarをやらなくなった今も復活はしていないようだった。
「んで、ヘルプとはいえこんなカッコイイバンドであんなうまいベースと組んでたら私だって焦るわ」
あぁ、そうか。わたしがそう思っていたように、わたしと莉徒がバンドとして動くとしたら、当然ベースははっちゃんにやってもらうとはっちゃん自身も思っていたのかもしれない。
「おぉ、良かったねさつき。
にんまりと笑って莉徒がさつきちゃんに言った。おそらくあの司令官モードが出ていないときは、さつきちゃんは人見知りなのかもしれない。
「二十谺さん?わ、私柚机の後輩の
「柚机……」
なんだか通常モードと司令官モードが入り混じっているような感じでさつきちゃんが言う。
「気にしないで、変人だから」
さらりと流して莉徒は言うけれど、流せるようなことだろうか。わたしはもうここ数日ですっかり慣れてしまったけれど。
「私や夕衣ちゃんには莉徒と同じ感じだったのに、なんで史織さん待遇……」
美朝ちゃんも疑問に思ったのか、それを口に出したけれど、さつきちゃんの行動原理は史織さん並みに謎だ。わたしたち凡人に判る訳がない。
「はっちゃんが大人の女だからよね!」
今までただ会話を聞いているだけだった史織さんがいきなり口を開いた。
「……」
謎だ。何を言っているのか一瞬理解できない。いや一瞬後でも理解できない。
「……むし?」
無視ではなく対応できない。はっちゃんが大人の女っていう雰囲気は充分に判るけれど、だからってそこが史織さんとはイコールにはならない。
「いや二十谺は確かにお色気ムンムンだけど、史織は違うからね」
(うそん)
まさか史織さんが、自分が大人の女性、それもお色気ムンムンだと思っているということか。こう言っては何だけれど、母親としての史織さんを極一部しか知らないわたしは、単なる稚気の塊にしか見えない。
「お色気ムンムンとか言うな」
「四四歳を捕まえて……。ねぇはっちゃん」
実年齢と見た目がどれほどそぐわない人間なのか自覚していないのだろうか。いや確かにわたし達のような人種ははっちゃんのような大人っぽい雰囲気に強烈に憧れるけれど、史織さんにはそれは間違いなく備わっていない。
「え、と、ゆ、夕衣、これってマジなの?」
「何が?」
「sty-xのSHIORIさんが莉徒のお母さんだって……」
はっちゃんは何故だかわたしにそれを訊いてくる。少しパニックになってるのかな。もはやさつきちゃんと史織さんのような強烈なキャラクターがいると、困惑するのも頷ける。
「史織、言ってやれ」
「えっ、マジだよぉ。何回も会ってるのにぃ。でもはっちゃんは高校卒業したらぐっと大人っぽくなったね!」
はっちゃんの言葉を受けて、莉徒と史織さんが立て続けに言う。
「あ、ありがとうございます」
面食らった感じではっちゃんが頭を下げる。そうか、はっちゃんは史織さんとはすでに面識もあったから、若い云々の話ではすでに驚かないんだ。
「史織って話の軸をずらすのうまいよね」
「えへへ」
「褒めてないから。えーと、旧姓
莉徒が事実を淡々と述べる。莉徒は莉徒でやはり最初は混乱したそうだ。何事にも本気では動じない莉徒だけれど、さすがにこれには驚いた、と言っていたし。
「十八年間隠し通しました!」
可愛らしくはぁい、と手を挙げながら史織さんが嬉しそうに言う。大人の女の魅力はどこへ……。
「そ、そうなんだ……。まぁ知ってて隠してたんなら莉徒を手加減なしでぶん殴らないといけないところだったから良かったわ」
ふぅ、と額の汗を拭くしぐさをしながらはっちゃんは少しおどけつつ、もの凄く物騒なことを言い出した。
「こわい!」
ぐわ、と莉徒が突っかかる。はっちゃんは暴走リーダーを抑える重鎮役、というのがしっくりくる。Ishtarの時も暴走する莉徒に鉄拳制裁を加えていたこともあった。
「ファンなの!sty-xの!」
だん、と一度地面を踏んではっちゃんが言う。はっちゃんが声を高くすることなんてあまりないので少し珍しい。
「うわぁい!」
「初耳!」
史織さん、わたしが口々に言う。はっちゃんはあまりこういった洋楽ライクなロックは好まないのかと思っていたので、意外だった。
「だって莉徒以外はハードロックとかLAメタルとかあんまり聞かないじゃない」
「まぁ確かにね」
英介はそういった音楽が好きなので良く聞いているけれど、英介とはっちゃんは同じクラスになったことがないせいか、ほとんど接点がなかったのだそうだ。わたしが英介と付き合うようになって、わたしが接点になったくらいで、ほとんど話したことがなかったらしい。
「じゃあはっちゃんもライブご招待だね」
「い、いえ、もうチケットは買ったんで!」
慌ててはっちゃんがそう言うと、史織さんはがつ、とはっちゃんの正面から抱きついた。あぁ、やっぱりはっちゃんに抱きつきたくなるのはわたしだけじゃないんだ。
少し安心。
「いいよいいよぉ。ファンなんだし莉徒のお友達なんだし。さつきちゃんも圭ちゃんもチケット払い戻しで呼んだんだ」
「で、でも」
「んー」
はっちゃんの豊満なバストに顔をうずめながら史織さんが唸る。あぁ何?ちょっと、羨ましい。
「はっちゃん、こういう時の史織さんは多分涼子さんに匹敵する」
いけないいけない。ちょっと危ない方向に思考が飛んでいた。わたしは気を取り直してそうはっちゃんに言った。言っておくけれどわたしはノン気だ。少し女の子の胸に興味があるだけの、至ってノーマルな女だ。決して莉徒のようにバイセクシャルの疑いがかかるようなことはしていない。
「ま、押しは涼子さんのが強いけどね」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
「うん!やったぁ」
ぐりぐりぐり。はっちゃんの胸の谷間で、くぐもった声で史織さんが喜ぶ。わたしがやるとものすごい力で引き剥がされるけれど、さすがに史織さんにそれはできないのだろう。
「何かどんどん史織が幼児化していくような気がするわ……」
「え、前からあんな感じじゃない?」
額に手を当てて言った莉徒にわたしは返す。初めて会った時からあんな感じだと思ったけれど。
「えぇ!そんなことないよ!アダルティな感じ出てるでしょ?」
ぐり、とわたしたちの方を振り返って史織さんが言う。
「どこが?つぅか二十谺の目の前でよくそういうこと言えるわね」
「史織からみたらはっちゃんなんてまだ子供子供!」
うっふん、と史織さんが悩殺ポーズをとる。滑稽にしか見えない。こういうところは莉徒そっくりだ。
「実年齢ではね。つぅかこないだ英介に私の友達?って言われて喜んでたくせに」
「女はいつだって我儘なのよ。判ってないわね、莉徒は」
くねくね。子供が背伸びして大人の女を演じているようにしか見えない。
「イミフ!」
「何か、莉徒のお母さんって良く判る気がする」
「ね」
はっちゃんがわたしに言って、わたしも頷く。この親にしてこの子有り、という言葉はこの母娘のためにあるのかもしれない。
「ソコ納得するとこ?」
「まぁまぁともかく、早く涼子さんのとこ、行きましょう」
いつまでも立ち止まってそんな話をしていたので、圭がみんなを促した。
「そうだね!」
ライブがなかったら圭ちゃんが一番良識人なのかなぁ……。
「あ、そういえば昼間のたこ焼き余ってるんだけどたべる?」
セミハードケースをおもむろに肩から降ろし、ポケット部分のファスナーを開けると、もはや原形をとどめていない、ぶっ潰れた、としか言いようがないプラスチックの入れ物が出てきた。もちろん中はぐちゃぐちゃだ。それを嬉しそうにはっちゃんに差し出す。
「……いらないですから」
ぞん、と史織さんの脳天にチョップをする真似だけして、はっちゃんが言った。
15:たこ焼き 終り
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