14:ワンカップ
二〇〇七年四月三十日 月曜日
「え、なにこれ」
「まぁオープン企画ってのもあるんじゃないの?」
ライブハウス翔竜の周りには屋台が出ていた。ちょっとしたお祭のようになっている。
「たこ焼き!たこ焼きは?」
「あそこに出てるけどまだ早いね。リハ終わるくらいならやるんじゃない?」
たこ焼き屋さんの屋台を見つけて指をさした。流石にまだ仕込み中でたこ焼きは焼いていないようだ。恐らくライブ本番の時間に合わせてのオープンになるのだろう。ライブハウスがオープンしただけでこの騒ぎは珍しい。それに恐らくだけれど、ライブハウスなんて娯楽施設の中ではかなり需要が低いと思うのだけれど、何故こんなに盛大にやっていただけているのだろうか。どこかで
「そっかぁ。じゃあ後でだね。りんご飴あるかな?あんず飴もいいな。焼きそばも食べたいな。あ、切り抜きあるかな」
「何しにきた!」
はしゃぐ
「ライブ!」
はい、と手を上げて元気良く答える。こういう仕草が大人っぽくなるにはどうしたら良いのだろうか。何でも知っている何でもおじさんでも返答に困るだろうな。
「判ってるならいいけども……」
「判ってるよぉ」
十ン年ぶりのライブだ。史織がライブを楽しみにしているのは良く判る。けれど、目の前の楽しみに流されまくるのもまた史織だ。何でもかんでも楽しめて羨ましい性格だ。人というか、人格形成の部分で見ても、何事も楽しもうとする人というのは健全な気がする。仕草や精神年齢はかなり子供っぽいけれど、史織は人として純粋なのだろう。それなのに、娘の私はどうしてこうなった。
「おはようございます」
「おはようございます」
向かいからさつきと
「あ、おはよー。体調は万全?緊張しー」
にへら、として顔色の悪い方を見てやる。
「え、誰が?」
「圭」
充血した目で圭は私を見る。昨日は殆ど眠れてないな、これは。
「え、そうなの!」
「何事にも動じない子だと思ってたのに……」
「意外……」
史織、美朝、
「別に緊張などしておりませんわ」
「……」
口調がどこかおかしい。ま、ライブ前の圭はいつもこんな感じだ。
「こ、ここのライブハウスって楽屋広いのかな」
「女性バンド向けに、楽屋は広めに作ってあると拝聴しております」
「ハイチョー?」
「何ちがくない?」
「緊張してる……」
再び史織、美朝、夕衣が言葉を重ねる。
「しておりませんわ。ちょーリラックスですわ」
つい、と視線を外しながら圭は一歩下がった。
「最近女子バンドって結構多いからね。でもそういうのって嬉しい配慮だよね」
特に今回の私たちのように、衣装を持っているバンドなどは、きちんと着替えられて、衣装チェックができるくらいだと本当にありがたい。新宿に、その昔ストリップ劇場だった地下施設を改装してライブハウスにした
「それもこれも、SHIORIさんたちの輝かしい功績があったからこそ、ですね!」
嬉しそうにさつきが言う。流石にsty-xファンだ。やはりsty-xが遺した功績も良く理解しているのだろう。それも多分sty-xファン目線で。
「そんなことないよ。わたしたちの後の子たちがやっぱりずっと頑張ってきてるからじゃないかなぁ。わたしたちはせいぜい土台を作っただけだと思う」
史織のこれは謙遜でもなんでもない。私がそうだったから、というつもりはないけれど、やっているときは、当人たちは我武者羅で必死だ。今自分が何をしているかなんて判らないまま、ただ突っ走ってきたんだ。だから、結果的に何かを残せたのだとしても、それが目的で行動していた訳ではない。結果的にそうなってしまっただけのことなので、史織のこれは謙遜ではないのだ。とはいえ。
「土台を作るのが一番大変でしょ」
「でも苦労話とか色々あったけど、それでも優遇されたりもしてたんだよ。テレビの時なんかはメンバー全員女だから、ってスタッフが優しかったりもしたしね」
「なるほど」
女に甘い男はいつの時代にも、どこの世界にもいるものだ。いや、この場合は女性に優しい男、と言った方が角が立たないかもしれない。それにsty-xのレコード会社は天下の
「よし、じゃあいこっか」
「はぁい」
ライブハウスはまるで一軒家のような建物の地下だ。ピッタリと隣接する建物がないので、しっかり防音していればさほどご近所様にご迷惑にはならないだろう。問題は中の音響環境やスタッフの配慮だ。私たちはライブハウスで演奏させてもらう代わりに、それなりのお金を払うのだ。だから私たちが安心して演奏できるだけの仕事は最低限してもらわなければならない。
中にはあるのだ。演奏中に楽器のストラップが外れて、楽器が落ちてしまっても助けに来なかったり、マイクスタンドやシンバルスタンドが倒れても直しに来ないスタッフがいるライブハウスが。
私たちはステージで演奏するアーティストだ。しかしプロのアーティストではない。だから特別な優遇や、芸能人扱いなど一切望んでいない。だけれど演奏する私たちに何かトラブルが発生しても、このライブハウスならば安心して演奏できる、という、最低限の保証は欲しい。
「さてー、どんなハコなのかな」
期待半分、不安半分で私は翔竜へと足を踏み入れた。
リハーサルが始まって、私たちは各々音のバランスなりを確認していた。すぐにPAから声がかかる。見たことがあるPAだ。女性のPAだけれど、確か
「マイクはギターさん二人ですか?」
「いえ、一つはベースです」
私はマイクを通して言うとさつきを振り返った。何やら低音が割れていて、しきりにプリアンプと睨めっこをしている。
「ううー、何か低音が回る……」
確かにぼわぼわとそこいらじゅうにベースの低音が漂っているような感覚で、音のシャープさが欠片もなくて気持ち悪い。
「プリアンのロウ、落としてみたら?」
「これ以上下げると何かペラッペラになっちゃいますー」
ベースは練習スタジオとライブハウスでアンプが異なっていることが殆どだ。というか当たり前だ。なので、スタジオでいくら頑張って音作りをしても、それがライブハウスで一〇〇パーセント生かせる訳ではない。最近は練習スタジオもライブハウスも随分と
「センドリターンに入れてる?」
「え?……あ、こ、こっちか」
ベースからアンプへとつなぐ際、ベーシストがプリアンプを使用する時には、シールドケーブルのアンプへの差込が違う。
プリアンプとは、その名の通り、アンプに繋ぐ前にあらかじめ音を創っておく機材だ。なので、プリアンプとアンプを通常のまま繋げてしまうと、今のさつきの音のように、あらゆる音域が増幅されすぎて締まらない音になる。なので、プリアンプを使用する場合は、アンプのアンプ部分を通さない、単純なスピーカーとして利用する差込口がセンドリターンだ。この機能のおかげで、一〇〇パーセントとは言えないまでも、プリアンプで創った音が、どんなアンプでも生きることになる。
「あ、お、良くなりました!」
少し歪み気味の心地良い低音が鳴り始める。さつきは機材にはあまり強くない。足元もチューナーとプリアンプ一つだ。それでもさつきの持っているベースは中々良いベースなので、充分良い音が鳴る。そのせいでプリアンプとアンプを噛ませてしまえば、パワーが有り余ってぼわぼわとした音になってしまうのだ。スタジオではいつもちゃんとアンプの背面にあるセンドリターンに差し込んでるはずなのだけれど、ライブハウスの場合、通常背面にある割き込み口から延長した差込口をアンプ前面に出している場合があるので、戸惑ってしまったのだろう。
「はーい、そろそろいいですか?じゃあドラムさん、キックもらえますか?」
「……」
PAの言葉の直後、無言で圭はベースドラムのペダルを踏み込んだ。ベースドラムは英字のスペルからバスドラムと呼ばれたり、足で踏むことからキックドラム、とも呼ばれている。数回、かなり不規則なリズムで圭はベースドラムを踏み込んだ。ハコの中にベースドラムの音が響き渡る。
「OKです。次タムで」
ベースドラムと同じように、目線の先にある太鼓をとん、とん、とん、と叩き続ける。その間、圭は無表情だ。
「OKです。じゃあスネアよろしくです」
やはりベースドラム、タムと同じようにたん、たん、たん、と無表情でスネアドラムを叩き続け、PAも手早く調整を済ませる。
「オーケーです。じゃあセットで下さい」
「……」
セットで、となると大体ドラマーはリズムを叩き始める。しかし今の圭は酷いとしか言えないようなエイトビートを叩き出した。
「いやぁリハはいつもこうだな、圭は」
苦笑して私は言う。本番でも大体二曲目くらいまではこれよりはいくらかマシ、というレベルまでにしか体が解れない。三曲目辺りから、やっと馴染んできた頃にはもう最後の曲、などということも珍しくなかったりする。
「だ、大丈夫なの?」
昨日の練習での圭を見ているせいか、流石に夕衣も不安になったらしい。
「史織、何とかなんない?」
緊張というのは場慣れとか度胸とか、色々あるけれど、一番はやっぱり場慣れだと私は思っている。私は中学一年生の頃にバンドを始めて、それなりに、いや、多分この年にしてはかなりのステージ数をこなしてきた。そのおかげか、元々の性格も相まってか、ライブの時に緊張することは殆どない。あるにはあるけれど、その場合の殆どは、これから私の見せ場、という心地良い緊張感だけだ。なので、私は緊張しやすい人間に的確なアドバイスをすることが難しい。
「あとでひっぱたくよ」
「え!」
いきなりとんでもないことを言い出す史織。にっこり笑いながら言われると怖い。
「どこか一箇所に痛みがあると、その痛みに意識が行って緊張が解れるんだよ」
へっへっへ、と言いながら史織は悪い顔で笑った。
「で、でも」
「背中とか、太ももとか、ばちーん!ってやってあげるの」
「あ、あぁ、なるほど」
本気で顔とかをビンタするのかと思った。私の知らないプロの怖い世界を垣間見た、と思ったけれど全然、小学校の運動会レベルだ。
「じゃあ次、ベースさん」
「あ、はい」
さつきが流暢なベースを弾く。流石に二十谺ほどではないけれど、相変わらずしっかりしたベースを弾く。あの訳の判らない性格からこんなどっしりとしたベースラインが生まれることが未だに信じられない。
「はいOKでーす。音色は何かありますか?」
「ないでーす」
さつきはチューナーとプリアンプ一つだけだ。私の好み。エフェクターを多用するベーシストは私はあまり好きではないし、バンドのリズム隊を任せる存在として信用できない。もちろんエフェクターを多用する人でもしっかりしたベースを弾く人はいるけれど、私はそういう人とは組んだことがない。
「了解しました。じゃあ
「はぁい!」
殆ど子供のノリで史織が手を上げる。す、とギターを持ったかと思うと、そこからコード、ソロへと目まぐるしく手が動き出し、再びコードに戻るとPAがOKを出した。EX-Ⅴの実力は只者じゃないな。史織は現役の頃でもアンプ直でボリュームペダルくらいしか使っていなかったけれど、今回は私の(元彼から借りパクした)オーバードライブを一つ、ブースト用に使っている。
「うわ、うんめぇ……」
一番ステージ寄りで見ていた対バンの誰かがそんな一言を漏らした。そう言いたくなるのも無理はない。私でも多分同じことを言っていたと思う。
「はぁー、気持ちーね!」
満面の笑顔。こんな史織の笑顔は見たことがない、ってくらい。きっと史織にとっては私たち家族と一緒にいることはとても幸せなのだろうけれど、それとは全く質の違う幸せを目一杯感じているのだろう。
「音色はどうですか?」
「あ、ブーストしまーす」
そう言って二曲目のソロを弾く。このバンドの中では割りと簡単な方だ。この曲は私もギターでやったことがあるから史織だったら楽勝のレベルだ。
「はい、OKでーす。他は?」
PAの応対が少しフランクになってきたのが判るけれど、きっと今のギタリスとがあんたの倍くらいの年だとは絶対に気付くまい。
「ないでーす」
「じゃあ
「はい」
夕衣がコード弾きをする。今回に限っては夕衣は殆どコード弾きのみだ。英介に借りたジャックハンマーは抜けが良いJCとの相性も良い気がする。
「はいオーケーです」
「えーと、ブーストあります」
史織がエフェクトしない分、夕衣がカバーする場面もあるので、夕衣はいつも自分が使っているマルチエフェクターで空間系の音色は創ってきたようだった。
「はい」
「それとコーラス。だけです」
じゃんじゃかじゃん、と鳴らす。夕衣の出番の前に、全員が好き勝手に音を鳴らす短い時間の間で、音の調整は夕衣の手元で済ませてあったのだろう。音作りの面で言うと、私なんて全然夕衣には及ばない。元々それほど音色を使う方ではないにしても、いざ創るときには夕衣の綿密さには遠く及ばない。夕衣が軽くコード弾きをするとPAも特に迷いなくオーケーを出した。
「はい、じゃあシンセさん」
「あ、えと……?」
御る、と見開いた視線がわたしを捉える。こ、怖いぞその顔。
「音色はどれくらい使いますか?」
私が何か言う前に美朝の雰囲気を察してくれたのか、PAが苦笑しつつ、そう言ってくれた。中々デキたPAじゃないの!
「み、三つ、です」
「三つですね、じゃあ早速ですけど一つ目お願いしまーす」
初心者である美朝にもきちんと判るように言葉を選んでくれている。優しい人なんだろうなぁ。美朝の初めてのライブのPAが彼女みたいな人で良かった。あとで声かけてお礼言っとこ。
「美朝、何かテキトーにコードつなげて」
「う、うん」
一曲目のコードを鳴らす。頭で歌詞を思い浮かべつつ、なんだろうな。
「はぁい、じゃあ二つ目」
「……」
美朝の顔は真剣そのものだ。それもそうよね。やってみようかな、から一週間、楽器を始めてわずか五日でステージに立たされるなんて、ぶっちゃけさつきと圭のこの凄惨ヘルプよりも酷い仕打ちだ。私がやったことだけれども。
「はぁい、じゃあ三つ目」
「シンセは中音は強めで、出音はうっすらでお願いしまぁす」
お、流石の史織も判っていらっしゃる。いや、私などよりもステージ経験なんて何十倍も多い女だ。それも当たり前か。
「あ、はぁい、了解です。ソロ弾きはナシですか?」
「な、ないです!」
は、と顔を上げて美朝が言う。うんうん、緊張はしてるんだろうけれど、しっかりしてるし状況も把握できてる。夕衣も結構なクソ度胸の女だけど、美朝もそうなのかもしれない。
「はい、それじゃあボーカルさんは曲で、お願いしまーす」
「はぁい」
一旦、最初の二曲をワンコーラスだけやってストップする。途端に史織が口を開いた。
「はい!ドラム三点下さい!あとボーカルとベースの返しをチョイ上げ!」
「はぁい。三点と、唄、ベース……」
PAが音卓をいじりながら呟くように言う。アンプは演奏者の背後に置かれて、ステージからフロアに向かって音が出る。それに加えて、その音をマイクで拾って、ステージ袖の大きなスピーカーから客席へとまとまった音を鳴らすので、その音だけでは演奏者はきちんと曲が聞こえないのだ。なので、ステージ客席側ギリギリのところに、バンドの音をモニターするためのスピーカーが置いてある。そこから返ってくる音の大きさを史織は指示している。ちなみにドラム三点というのはハイハットシンバル、スネアドラム、ベースドラムの三つの音のことだ。ドラムセットにおける最も基本的な音を鳴らす部分で、ほかの音があまり聞こえなかったとしても、この三点だけ聞こえていればリズムが狂うことはない。
「こっち声返ってます?」
「今はうっすらですね」
「じゃあ強めに下さい」
「はぁい」
夕衣からもすぐに上がった。スタジオのようなあまり広くなくて密閉された空間とライブハウスは違う。現状で音を調整しても、客席に人がいるのといないのでは反射して返ってくる音も変わってくる。それでもそういった状況をを加味して音作りをしてくれるかどうかで良いPAかどうかが判る。もちろんPAの評価基準はそれだけではないけれど。
「ど、ドラムにべ、ベースと唄を……」
「はい、判りました」
まだ緊張している圭が申し訳なさそうに言った。私の勝手な意見だけど、ドラムが一番取っちゃいけない態度。圭には「ドラマーがバンドのルール」と何度か言ったことがあるけれど、それが発揮されるのは練習期間だけ。ライブになると途端に弱気になってしまう。
「こっちはOKですんで、もう一回流します。あ、
「私は大丈夫」
大体どの音もバランス良く聞こえている。
「はい、じゃあお願いします」
次は四曲目と五曲目をまたワンコーラスやって、演奏を止める。
「どぉ?」
「あ、キック下さい」
さつきが注文した。私はピンでボーカルをするのは本当に久しぶりだったけれど、楽器を持っているのとそうでないのでは
「はい」
「まだ時間あります?」
「んー、あとワンコーラスくらいなら」
じゃあワンコーラスはちょっと厳しいくらいかな。迷っている時間はない。
「じゃあざっとやっちゃいます最後のやつ、やろっか」
「おっけー」
最後の曲のイントロからAメロまでを終えて演奏をストップする。
「おっけ?」
みんなが頷くのを見てから、PAに頷く。
「じゃあオッケーなんで本番宜しくお願いしまーす」
「はい、宜しくお願いしまぁす」
リハーサルを終えても、私たちは楽器を持ったままライブハウスの外に出ていた。このまま再び練習に入るためだ。大体いつもならばライブハウスの控え室に楽器は置いて外に出るのだが、練習をしなければならないのだから、こればかりは致し方がない。本番までは五時間近く空き時間が有るので、最終の詰めをやっておかなければならない。
「ほぁー!たこ焼き!」
史織がびし、とたこ焼き屋さんの屋台を指差して叫んだ。
「わたしお好み焼き食べたいな。莉徒、半分コしない?」
「お、いいね。たこ焼きも食べたい」
私も夕衣もいわゆる『粉モノ』は大好きで良く食べに行く。商店街でも老夫婦が経営しているもんじゃ屋さん、一休には良く行く。お店がお世辞にも広いとは言えないので、楽器を持ったままのバンド練習帰りでは中々行けないのが残念だ。
「じゃあ史織が買ってあげるね。圭ちゃんとさつきちゃんも食べる?」
「あ、でもじゃあ私も圭と半分ずつで……」
憧れの人にたこ焼き奢ってもらうのってどんな気分なのだろうか。顔を見ただけでは答えは見出せない、なんとも複雑な表情をしている。それでも笑顔なので嬉しいことは嬉しいのだろう。
「おっけー。わたしもお好み焼き食べたいなぁ」
「じゃあ三等分しましょ、史織さん」
私と夕衣は小食、というほどでもないけれど、そんなに多くは食べられない。たこ焼き一パックとお好み焼き一パックあれば、私と夕衣と史織ならば充分に事足る。
「うん!、おじちゃん、たこ焼きみっつちょうだい!」
恐らく史織より年下であろう屋台のおじさんに、臆面もなくそう言ってのける。天然とは恐ろしいもので、子どもの頃から三〇代前半くらいまでは、屋台のおじさんは自分よりも年上、という定義が形作られているだろうから、四四歳になった今でも、未だに屋台のおじさんは年上、という思い込みなのだ。……多分だけど。
「おぉ!嬢ちゃんたち可愛いねぇ!おじちゃんたこ焼きオマケしちゃおっかな!」
「わぁい。ありがとね、おじちゃん!」
このおっちゃんに実はこの人四四歳です、って言ったらどうなるかなぁ。言ってみたいなぁ。
「おうおう、いいってことよ。じゃあなぁ」
「はーい。いただきます!」
「やけどすんなよー」
顔がかなり緩んだ笑顔で私たちを見送ってくれる。女の子が好きなのか若い子が好きなのか可愛い子が好きなのか、多分全部だと思うけれど。まぁ逆に言えばこの三つが嫌いな男なんて多分異常だし、近付きたくない。
「じゃあ次はビールゥ」
「おーいいねぇ」
私は良く本番前に一杯、気付けで呑むけれど、史織もそうなのかな。絶対に酔うほどには呑まないけれど、気合を入れるには一杯くらいが丁度良い。
「え、呑むんですか?」
「気付けよ、気付け」
圭が真面目腐った態度で私ににじり寄ってきた。自分の分だけたこ焼きを一パック余計に買った史織がそれを口に運ぶ。
「おいひー。……圭ちゃんも呑んじゃえばいいよ。酔っ払っちゃうとあれだけど、少しほわんとした方が余計な力入らなくて良いかも」
言い終えてまたたこ焼きを一つ。
「だ、大丈夫でしょうか」
呑んだことがない訳ではないのに、変なところで生真面目なやつだ。有事の際には私を拉致ることなんて何とも思わないくせに。
「私は結構本番前に呑んだりしてるよ」
「いえ、み、未成年なので……」
「圭ちゃんかたぁい」
去年まで同じようなことを言っていた夕衣が圭の肩を叩く。気分的には高校を卒業したことで、お酒や煙草が黙認されたような気持ちになっているのは私も同じなのだけれど、法律違反なのはまだ変わらない。
「ライブハウスは治外法権だから大丈夫よ!」
「う、うそです!」
「嘘だけど」
でも学生バンドだってライブハウスではお酒を呑んだり煙草を吸ったりしている。大学の中でだって、喫煙できるところにいる学生の中には私のような未成年者が混ざっているに違いない。ま、まぁだからOKって訳ではないのだけれども。
「大丈夫、史織を信じて!」
「ハイ!圭!史織さんが信じられぬか!」
「もはや八百万が信じられぬ!」
何だかもうやり取りが時代がかってきたな、この二人。
「やお?……ず?」
古い秘密のおまじないを初めて教えてもらった亡国の姫君のようなうわ言を言って史織は首をかしげた。
「全てが信じられない、ということです」
「そ、そんなぁ」
がっくりと下を向いて、ひょいぱく、とたこ焼きを食べる。私はすぐ近くの自動販売機で一本飲み物を買う。がこんと出てきたそれの、塩ビの蓋を取り、コップ状になっている口を覆うアルミのフタの取っ手ををぱく、っと開けた。途端に強烈な臭いが立ち込める。
「それがしは
まったくこの二人は二人してフォームチェンジするから訳が判らない。もはや自失している圭ならばこの匂いにも気付くまい。
「何かが色々おかしい……」
「まぁまぁ落ち着いて、これでも飲みなさい」
私は言って、圭に飲み物を与える。興奮している圭は、私が渡したコップ状の飲み物をごっと勢い良くイった。
「……ぶー!」
瞬間吹き出した。
「きったな!」
そして私にひっかかった。
「お酒じゃないれふか!」
口の中に残ったお酒をだらだらとこぼしながら圭が叫んだ。ギャップはあれど、このギャップは男受けは良くなさそうだぞ、圭。
「なんでビールとかじゃなくてワンカップなのよ」
夕衣が尤もなことを言う。
「うわぁ、お酒臭い」
「酎ハイとかならジュースみたいなのいっぱいあるでしょ」
それじゃおもしろくない。いや知らず酔わせるのもおもしろいけれど、本当に酔っ払ってしまったらライブどころではなくなってしまう。
「いやぁ、これが強烈かなぁ、と思って」
「まぁ、強烈そうだけど」
ちなみに私はあまり日本酒は好きではない。焼酎の方がまだ呑めるけれど、やっぱり酎ハイやカクテルの甘い方が好きだ。
「よぉっし、史織もビール買おっと」
もはや臆面もなく自分を史織、と言ってしまう我が天然母。
「あ、私も!」
「わ、わたしも!」
私が史織に便乗すると、意外にも美朝が乗ってきた。
「えぇ!」
驚いたのは夕衣と圭だ。
「美朝呑んだことあるの?」
「あ、あるよぉ」
「意外……」
もはや婚前交渉も許さないくらいの堅物朴念仁かと思っていたけれど、そうでもないのか。親友を名乗っているくせに意外と知らないこともあるもんだ。それは美朝に限らず夕衣も同じなのだろうけれど。
「ね」
「莉徒なんか中学生のころから呑んでるじゃない」
「中学生の時から呑んだことがある、程度!それじゃ中学生の時から今まで毎晩晩酌してるみたいじゃないの!」
流石にそこまで呑み慣れてはいない。
「今は似たようなもんだよね」
とも言い切れない。
「……否めぬ」
最近というか、大学生になってからだけれど。それでもいわゆるお酒というものはまだおいしいと思えないあたり、本当にお酒が好きなのではなくて、背伸びしているのだと思う。
「史織が買ってきた、楽しみにしてたやつとかみんな莉徒ちゃんが呑んじゃうんだよ」
ぷぅ、頬を膨らませる。漫画みたいだ。
「ひどい」
「親不孝」
「下衆野郎」
「ドブ野郎」
「下手人」
非難轟々とはこのことだ。だって四四歳主婦の癖にいちごみるくカクテルとか買ってくるから。それも一つしか買ってこないから。
「誰だ今こっそりドブ野郎つったの」
「史織さんです」
ぴょこ、と人差し指を史織に向けたのはさつきだった。昨日の『憧れの存在』から、随分とこなれてきたのかな。史織も勿論その方が良いのだろうけれど。
「う、うらぎったぁ」
「あ、あのさ、お酒は練習終わった後のが良くない?」
夕衣が苦笑して言う。すでに美朝が自動販売機のボタンを押してしまっているけれど。
「そうだね」
ぷし、と史織は缶ビールのプルタブを引いてしまっているけれど。
「私結構おっきな一口いっちゃったんですけど。なんか胸元が熱いです……」
はふ、と上気した頬で圭が言った。流石にあの一口では酔っ払いはしないだろうけれど、しばらくはほろ酔い状態が続くかもしれない。
「おれが慰めてやんよ……」
「あ……」
くい、と圭の顎に手を当てて映画のキスシーンのような真似をする。圭が変な声を出すので、危うく変な気分になりそうだった。
「やん、かっこいい莉徒ちゃん」
「そ、そのままイくかと思った……」
「危なかった」
ここへきて
「と、ともかくスタジオだ。行くぞ由比!」
なぜかさつきが赤面して、司令官モードになった。なんだかこれももう慣れてきてしまった。
「あ、うん」
「髪奈ではない」
「……」
「とりあえず、ちゃあんと形にはなったんじゃない?」
スタジオ
「うん、そうだね。二日でここまでできたら中々凄いよ」
私の言葉に史織が頷いた。史織のお墨付きなら心強い。圭もスタジオだからなのだろうけれど、先ほどよりは随分と緊張もほぐれているようだった。
「莉徒ちゃんと夕衣ちゃんと美朝ちゃんのおかげだね」
「いや史織のおかげでしょ、間違いなく」
にっこりと史織は言うけれど、これは間違いなく史織の牽引力だ。
「でもさつきちゃんと圭ちゃんが莉徒ちゃんに声かけてなかったら、私参加してないんだよ」
「そういうそもそも論は言い出すとキリがないから」
苦笑して私は返した。それを始めるとどんどんと遡っていってしまう。
「そうですね」
「そこまで行くと、さつきと圭的にはばっくれたギターとボーカルのヤツにまでありがとうってなるよね」
丁度良い辺りで私は遡るのを止める。ここから先はもう、史織と博史が結婚して私を生んでくれたから、だとか、いや結婚より妊娠が先だった、だとか訳の判らない話になりかねない。
「た、確かに……」
「ぶっちゃけ私ら被害者なだけだよね」
「か、感謝してますってば」
珍しく素でさつきが言った。余計なお世話かもしれないけれど、普段からこうならメンバーもすぐに離れたりしないのではないだろうか。
「莉徒はなんだかんだいって面倒見良いよね、前から」
「あんたほどじゃないってば」
美朝の言葉に苦笑を返す。美朝は本当に面倒見も良いし、空気も読むから頼まれごとは中々断れない。今回だって初心者も初心者なのにこうしてついてきてくれたし。それに多分だけどそれだけじゃない何かを持っているから、きっと私は美朝を単なる優等生としては見ていないのだろう。面白みにかける単なる優等生なら私はきっとここまで深い付き合いはしていない。それは
「流石は史織の娘ね!」
「親ばか」
えっへん、とない胸を張って史織は言った。いやぁ人のことは断じて言えないけれど、本当に胸ないな、史織。
「ひどす……」
「何その口調!半角?半角カタカナなの?」
「落ち着け」
ボス、と私の脳天にチョップをしながら夕衣が笑った。
「そういや史織、どうすんの?」
「何が?」
言ってちょわーんとチョーキング。
「カミングアウトするの?」
「ライブの宣伝、なるかなぁ」
珍しく私の意図を読んで史織は首をかしげた。要するにsty-xのSHIORIとして参加している、と言うか言わないか、だ。
「なるんじゃない?客が増えるかどうかは微妙だけど」
宣伝にはなるけれど、効果があるかどうかは別だ。それこそ今をときめくアーティストというならば効果は抜群だろうけれど、sty-xなんて乱暴な言い方をしてしまえば過去の威光だ。復活を喜んでいるのは私のような家族や、さつきたちのような昔からのファンばかりだろう。
「だよねぇ。そしたらやめとこっかな」
「え、どうしてですか?」
チューニングをしていた手を止めてさつきが言った。
「もしもね、仮に、史織のこと知ってる人がいたら、後々面倒かなぁって」
「な、なるほど」
とは言うものの、理解はしてないだろうな。私は娘だからなのか、史織の意図するところがすぐに判った。
「史織に、じゃなくて私たちに、って意味でね」
「そ!」
にこ、と笑いながらぺろぺろ、とスウィープ。もはやひけらかす云々ではなくて、これは完全に手癖だ。今までももしかしたら箒を持ちながらこんなことをしていたのかもしれない。
「史織さんのお力になれるのならそんなもの厭わない!厭わぬ!」
年代的にはジャストとは言えないさつきや圭が何故ここまでsty-xにどっぷりとはまったのかは判らないけれど、ともかくさつきと圭は史織になんとかして御礼をしたいのだろう。
「……言い直した」
「ま、こいつらもこう言ってるし、しちゃえば?」
「うーん、でも……」
もしかしたら大した影響はない、ということだって有り得るのかもしれないのだから。それにこんな小さな町の小さなライブハウスに、本業の音楽関係者など来ない。あ、諒さん達GRAMの面々は別として。
「お、恩返しをさせていただければ、と」
「莉徒先輩や
「おい」
「ま、まぁまぁ」
びしびし、と圭とさつきを指差して私は声を張り上げた。慌てて夕衣が私を止める。いかに私でも流石に女子にはバットを折る下段回し蹴りは放つ気はない。
「うぬぅ、それならば致し方がない。ぬしらの顔を潰さぬためにも今宵はsty-xのSHIORIとしてステージに上がろうぞぉ!」
「ははぁ!」
まるで昔の水戸の偉い人の前にひれ伏す民衆のようにさつき、圭、夕衣、そして私が頭を垂れる。
「な、なんなのこれ……」
「美朝もそろそろこれにノれるようにならないとね」
史織がこういった寸劇の指揮を取るのは珍しいけれど、私と夕衣の会話の中では割りと発生頻度が高い。今後、美朝が私たちとバンドを組むのならば、こういった状況にも即座に対応してもらわないとノリ的に非常に困る。ってのは個人的な我が儘だけど。
「で、できるかな……」
何故ならスルーされるとサムいから。
「わたしができたんだから大丈夫!」
「その無駄な自信はなんなのよ」
確かに夕衣は元々がそういう性格だったのか、適応力はかなり高い方だと思うけれど。最初に会ったときなんかえ、わたしそういうのはパスで……みたいな空気出して猫かぶってたくせに。
「まぁまぁともかく、本番まで後ちょっとだし、そろそろハコに戻ろ」
「ですね」
時計を見るとあと一時間弱。ライブハウスには三十分前には戻っておきたい。が余裕を見て一時間前に戻っておくのが私たちの感覚では普通だ。
「圭ちゃん覚悟しててね」
「え?」
「ばちーん、てイくよ。えっへっへ」
悪い顔で史織が笑う。でも可愛い顔にしか見えない。私は悪い顔を作ったら不良っぽくなるらしいのであえてはやらない。本気でむかつくことがあると作らなくても出ちゃうみたいだしね。最近はないけど。
「ははは、はい……」
「お、それみんなでやろっか」
「それは良い考えだ」
私の提案にさつきが手をたたいて乗ってきた。もはや男子校というか体育会系のノリに近い気がする。
「あいや待たれい!」
一人だけ時代劇系だけど。
「今じゃないよ、本番前だよ」
「ま、それが嫌ならちゃんとメンバー固定して、がんがんライブやることね。要は慣れよ、慣れ」
言ってやる。困ってるときに助けるのはやぶさかではないのだが、あまりにも頻度が高いとその気も失せてしまう。さつきと圭はまだそれほどでもないけれど、二人の性格が問題であることは判っているので、それを改善しようという努力が見られなければ私だってそのうちキレるかもしれない。いやもうすでに一回キレたか。
「判ってますけど……」
「何かおもしろそうなのがいたら紹介してあげるよ」
最近はそれほど伝も多くはないけど。大学のサークルにでも入ればまた違うのだろうけれど、男どもが音楽をやりたい気持ちではなく、別の何かをヤりたい気持ち全開で近付いてくるのが死ぬほど鬱陶しい。私はヤりたい訳でももてたい訳でもないのだ。
「宜しくお願いいたします」
「もうちょっとテンション落ち着かせなよ」
今度はライブハウスに入る前に出ていた淑女モードで圭が頭を下げる。もはやパニックかもしれない。
「判ってはおるのですが」
「もはやキャラ崩壊だよね」
美朝が苦笑しつつそう言った。言いえて妙だけれど、真相は違う。
「キャラ作りなんて元々してませんよ」
「……」
圭の言葉に史織、美朝、夕衣が疑いの視線を投げた。
「そ、あれはキャラじゃなくて地」
その答えを私が投げてやる。振りでもなければ演じてる訳でもないし、ましてやキャラ創りなんてとんでもない。
ただの地なのだ。こいつらのこれは。
「……なるほど」
妙に納得した声で史織が頷いた。
(や、あんたも同じ人種だから)
14:ワンカップ 終り
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