05:カツサンド

 二〇〇七年四月一六日 月曜日

 七本槍ななほんやり樋村ひむら


 練習の帰り、わたしは英介えいすけの部屋に寄った。ついこの間片付いていない、と言っていた部屋の中は随分と片付けが進んでいるのだろう、大分すっきりした感じになっていた。片付けが進んでいないことを怒ったから、一生懸命やったのだろうことが良く判る。こういうところを見ると、かわいい奴だな、って思ってしまう。わたしは早速英介に何か使えそうなエフェクターを借りようと申し出たのだけれど。

 六畳一間、収納は一つ。大きな押入れ。窓枠につけるタイプの古いクーラーと、十四型のアナログテレビ。小さなMDミニコンポにノートパソコン。ちゃぶ台は足が折りたためるタイプの本当に小さい一人用。電灯は流石に裸電球ではなかったけれど、昭和の香り漂うレトロな部屋だ。

「あぁ?おま、今全部しまってあるわ」

「じゃあわたし探す」

 英介の返答も待たずしてそう言うと、恐らくは格闘を終えたばかりなのであろう押入れに近付いた。この間借りるって言っておいたのにしまっちゃうなんて信じられない。

「え、あ、い、いい!待て!俺が出す!」

 慌てて英介はわたしの前に立ちはだかった。まぁ、気持ちは判らないでもないけど……。

「見つかっちゃいけないものとかあるもんね」

 つい言ってしまった。

「そ、そうね」

「……別に持ってるのくらい知ってるし」

 少し前にも莉徒りずとシズ君ととおる君とでそんなDVDの話、してたもんね。女の子(しかも元カノ)を交えてそんな話するなんてちょっと信じられない。ていうか莉徒が信じられない。

「実物目の前にしたら軽蔑するだろーがよー」

「それは内容に依るんじゃ……」

「どのレベルがお前のボーダーラインかなんて判んねぇじゃん」

「そ、それは、そうだけど」

 いけない。これ以上はわたしが不利になる。それは何としても避けたい。とりあえずその問題に関してはスルーすることにして、と思ったら英介もその話を続ける気はないようだった。

「ま、まぁともかく!ちょっと待ってろ」

 そう言って、すぱん、と押入れのふすまを開けると、一番手前にエフェクターケースとギグバッグがあった。それにエフェクターケースも普段英介が持っている小さなものと、恐らくは使っていないものを入れておくための大き目のものの二つがあった。

「スグココニアルジャン!」

 面倒臭かっただけなのか、失念していただけなのか。

「え、ええ、ありましたね……ていうか棒読み……」

「面倒くさいだけで言い訳並べてぇ!」

 蹴っ飛ばしてやろうかとも思ったけれど、さすがに莉徒じゃあるまいし、と思ってそこは踏みとどまった。最近何だか言葉遣いが莉徒に似てきてしまった気がするので、何とか立ち振る舞いまでは似ないように気を付けないと……。

「正直、済まんかった」

「ま、まぁいいけどさ」

 ちょっと腹は立ったけれども、ともかくそのエフェクターを借りるのが今日の目的。目的を見失ってはいけない。さっさと借りるものは借りておこう。それに余計な言及はわたしにも英介にも良くない。多分。

 英介はエフェクターケースを押し入れから出すと、開けて中をわたしに見せくれた。

 何だか見慣れないものというか、楽器屋さんでしか見かけない物がたくさんだ。ケースの中には色とりどりのコンパクトエフェクターがずらりと並んでいるけれど、わたしは殆どコンパクトエフェクターは使わないのでどのエフェクターがどんな役割をしているのか、ぱっと見ただけでは全然判らない。

「うわぁーすごい!何これ、判んない。どれ?」

「あ?」

「エフェクター。必要そうなやつだけ貸して」

 sty-xステュクスのサウンドに見合うだけの強い歪みを得られるエフェクターだけあれば良い。基本的に細かい調整の仕方だけ覚えればあとはどうにかなるだろうと思うし。

「おー、そうか。えーっと、チューナー関係は自分の使うんだろ?」

「うん」

「空間系は」

「マルチで創っちゃおうと思ってる」

「おけ、んじゃ基本的に歪みでいい訳だな。まぁぶっちゃけマルチでもけっこうイイ感じの創れるけどなー」

「ふぅん」

 マルチエフェクターは、コンパクトエフェクターの複合機のようなものだ。それっぽい音を創れるのは判っていたけれど、マルチエフェクターというものは基本的にどの機能もそれに特化したコンパクトエフェクターよりも劣るイメージがある。

 わたしはロックやヘビーメタルのような激しい曲調のものを演奏する人にとっては、歪み系エフェクターの拘りは物凄いのではないかと思っている。そんな人たちがステージを見にくる可能性も高い訳で、そんな人たちに足元を見られたとしたら『何だあいつマルチなんか使ってやがって』みたいなことを思われてしまうんじゃないだろうか。

「お前さ、俺にクリーンの音創る時色々教えてくれたじゃん。何で知らねぇの?」

「歪み系のプリセットがあるのは知ってるよ。でもあんな強い歪みなんか使わないもん。今までは必要性も興味もなかった訳だし」

 マルチエフェクターは様々なエフェクトを組み合わせて、お手軽に自分好みのエフェクト効果を創れるのが最大の特徴で魅力でもある。その他に自分で創らなくてもあらかじめプリセットと呼ばれる設定が数種類保存されていて、自分で一から創り上げなくても使えるようになっているものがあるのだ。もちろんヘビーメタルライクな激しい歪みのものもあったけれど、当時のわたしはそんなエフェクトを使う気など更々なかったし、興味もなかった。

「プリセットがあるってことは創れるってことだろうが」

「そうだけど……。でも興味なかったの!」

 てことは英介も英介なりにマルチエフェクターの使い方を学んでるってことなんだろうな。多分激しい音を創るんだとしたら、もう英介には敵わないかもしれない。

「わーかったよ。でかい声出すな!えーと、とりあえずこいつ」

「うわ、何これ四角くない。こういうのって歪み系だったんだ。え、Marshallマーシャル?」

 英介に手渡されたエフェクターはBOSSボスに見られる、いわゆる見慣れた形のものではなかった。Marshallといえばアンプで有名すぎるほど有名だけれど、エフェクターまで作っているとは知らなかった。

「コンパクトはBOSSだけだと思ってんだろ。まぁあとはそうだな……これか……。どっちも高ぇからな。壊すなよ」

「道具は丁寧に扱うのがわたしの主義です」

 もう一つ渡されたのは見た目は馴染みのあるBOSSのものだったけれど、METAL ZONEメタルゾーンと書いてあった。ヘビーメタルやそれに類する激しい歪みが必要な音楽以外では使用できないようなものなのかもしれない。時折楽器屋で物凄い、聞くに堪えないくらいの歪みをかけて試奏している人を見かけるけれど、ああいう人はこういうエフェクターを使っているのだろうか。

「とりあえずこれどっちか使ってみ」

「そうする」

「アンプは?」

「ツインリバーブ」

 FEBDERフェンダー社のアンプで、大体どこのスタジオにも置かれているものだけれど、殆どが有料なのでみんな態々練習で使うようなことはしない。わたしは以前、一度だけ使ったことがあったけれど、クランチ気味の軽い歪み系の音も、クリーントーンの音も作りやすい優秀なアンプだ。もちろんガンガンの歪み系も作ることだってできる。わたしは基本的にはバッキングとコーラスがメインになりそうなので、莉徒がマーシャル、わたしがツインリバーブになる。ツインリバーブがなかったらJCでチャンネルリンクを使おうかとも思っていたけど、ツインリバーブを使わせてくれるというのであればツインリバーブの方が良い。

「おぉ、いいじゃんツインリバーブ。エフェクターに割りと左右されっかもだけど、しっかり創り込めばすげぇイイ音鳴るぜ。アンプ単体でも結構激しく歪むし」

「そうなんだ。でも殆ど使ったことないんだよね」

 JCでもアンプ本体で歪んだ音は作れるけれど、マーシャルの方が激しい音楽に向いている歪みを創れると個人的には思っている。だけれどわたしはMarshallの高音域のクセが好きではない。以前少しだけバンドでソリッドギターを弾いたことがあったけれど、その時にMarshallのクセがわたしには合わないことに気付いて、結局マルチエフェクターとJCで音を創っていた。

「まぁ夕衣ゆいの音じゃそうだろうな。あとはマルチで創ってみるのも手だけど、まぁ歪みだけはコンパクトの方がいいだろうから、とりあえずエフェクターはその二つで試してみて、音覚えたら自分でマルチいじってみ。どうせライブハウスでやるんだったら小さいこだわりなんか持っててもしょうがないぜ。用は自分の好みとセンスだ」

 わたしは一人でストリートに出るときはもちろんのこと、以前やっていたIshtarイシュターというバンドで演奏をする時の音色でもかなりこだわって創っていた。基本的にあまりエフェクトをかけないけれど、セミアコースティックギターの生音を生かして、綺麗に聞こえるような工夫を凝らしている。ギタリストは大体そうなのかと思っていたけれど、どうも違う場合もあるのかな。あ、でも確か莉徒が組んでいるKool Lipsクールリップスのギタリスト、シズ君もさしてこだわりはないようなことを言っていた気がする。

「なんで?」

「そんだけ歪ませてりゃみんな同じに聞こえるって話。大同小異な。俺ぁ正直高ぇケーブルだってどうかと思うし。プロのステージじゃあるまいし、ちょっとくれぇ音が綺麗に聞こえるからって、そこいらのハコで鳴りなんか変わんのか、っつー話な」

「言われてみればそれはあるかも……」

 わたしたちが普段演奏させてもらているライブハウスと、プロが演奏するステージやホールとでは、音響環境や機材一つとっても格段にレベルが違う。もちろんライブハウスにもよりけりで、機材が良く整備されているライブハウスもあれば酷い機材のライブハウスもある。アンプに至ってはやはりくたびれているものは鳴りも悪いし、同じMarshallやJCでも型番が違ったり、ベースアンプに至ってはメーカーですらバラバラなことが多い。そんな環境の中で自分の手元の音作りにとことんこだわってみても、あまり意味を成さない、という英介の話はなるほど頷けるものだった。

「大体の歪みの系統決めて、でかい音で鳴らしたらあとはみんな同じだよ。レコーディングすんなら細かいこだわりは必要なのかもしんねぇけどさ。俺らがレコーディングすることなんてまぁねぇしな」

「なるほどね……」

 ふむ、と英介の言うことにひとまず納得する。言われてみれば確かにそうかもしれないと思うことはあるけれど、それでもこだわりたいところはあるし、場が場でも、できる限りクリアな音に近付けたいと思うのは無駄なことではないと思う。

 それにsty-xと同じステージに立つのだから、プロのステージじゃあるまいし、という話ではなく、プロのステージに上がる話だ。やっぱりこだわらなくちゃいけないことには、とことん、時間をかけてこだわらなくちゃいけない。

 演奏を聞いてくれているのはわたしたちのように音楽に通じている人間だけではない。むしろ聞くだけで楽しんでいる人たちの方がきっと多い。むしろ音楽用の機材に関して知識を持たない人の方が普通なのだから、やはり拘った音でも同じように聞こえてしまうのかもしれない。でも、だからこそ、今自分ができ得る最高の音を創りたい。それがどんな風に聞こえているのだとしても。

「まぁだからって歪んでりゃ何でもいいって訳でもねーから、ちゃんと音作りはした方がいいぜ。判んなきゃ俺が教えるし」

「うん。ありがと」

「……何だよ、嫌に素直じゃん」

 少し前まではわたしの方が英介にもっと音創りに気を遣った方が良い、と言っていたくらいなのに、今となっては立場が逆転だ。そもそもはわたしがマルチエフェクターや歪みの綺麗な創り方を教えたのだから、それが生かされているということなのだろうけれど、なんだか複雑な気分だ。

「普通に感謝してるだけでしょ」

「もはや師匠を超えたな」

「歪みではね!」

 歪みに関しては認めるしかない。流石にそういった音楽をずっとやってきた人には一日の長があるし、私みたいに付け焼刃の人間が太刀打ちできる訳もないのだ。

「お、認めたなー。まぁ確かにクリーンと空間系はまだまだ夕衣には適わねぇけどな。ちょっとストラト出してみ」

「あ、うん」

 私はケースからフェンダーメキシコのストラトを取り出した。

「それいつくれんだよー」

「あげないよ!大体レスポール以外好きじゃないとか言ってたじゃない」

 莉徒もまだシェクターを買う前はわたしのこのギターを欲しがっていた。人が欲しがるものを持っているというのは中々鼻が高いことだけれど、莉徒はSCHECTERシェクターのEX-IVを買ってしまった途端に興味を失ったようだった。それはそれでなんだかちょっと寂しい。我儘な話だけれど。

「うん、まぁ俺シングルあんま好きじゃねぇからな。下手さが目立つしよ、シングルって……」

 クリアな音を出すために、ハムノイズを拾いやすい構造のシングルコイルピックアップは、ハムバッキングピックアップと比べて拾音器として敏感で、あまりごまかしの効かないピックアップだ。普段からハムバッキングピックアップが搭載されているレスポールを使用する英介は、技術はあるものの、基本的に弾き方が少し雑なので、あまりシングルコイルピックアップのギターには向いていないとわたしも思う。丁寧に弾けばしっかりと弾けるのだけれど、それはそれでストレスを溜めてしまうのだろう。難儀なものだ。

「あれ、そういや莉徒は何使うんだ?」

「ストラト」

「え、シングル二台?つーか、あいつストラトなんか持ってたっけ?」

 先ほどのりょうさんと同じようなことを英介は言うけれど、多分諒さんとは同じではない。英介は莉徒がギターを買ったことを知らないだけで、それもストラト、と聞けば誰もが当たり前にシングルコイルを思い出す。私はハムバッカーが載っているストラトがあることを知らなかったので、諒さんと同じ反応だったけれど。

「最近買ったんだよ。SCHECTERの。知らなかった?」

「もしかして四〇万するとかいうヤツ?」

 話は聴いていたのか、すぐに思い出したように英介は言った。高校生の頃から一生懸命アルバイトをして進学資金も貯めて、貧乏生活を送ってきた英介にはちょっと信じられない金額なのかもしれない。

「うん。ハムバッカー載ってた」

「マジかあいつ……。どんだけブルジョワジーだよ。まぁでも莉徒がハムならまぁおもしれぇな」

 やっぱり英介もストラトにハムバッカーが載っていても不思議とも思わなかった。当然知っていたのだろう。

「うん。なんかかなり安くしてもらったみたいだけど。入学祝にも少しお金出してもらったみたいだし」

 それでも四〇万円のギターを持っているというのは凄いと思う。私がいつもメインで使っているEpiphoneエピフォン社のCASINOカジノというセミアコースティックギターも一二万円するものだけれど、流石に四〇万円のギターと比べたら見劣りしそう。でもビンテージのCASINOだと七〇万円近くするものもあるので、流石にそれは手が届かない。

「なるほどなぁ……。アンプは……。ぎゃー!一番奥だアレ!」

「なんでアンプだけ奥なの!」

 勉強は出来るくせにこういうところで頭が悪い。自分だってバンドをやるのにギターもエフェクターも、アンプだって必要なはずなのに。

「だから全部しまったっつったろーが!手伝え!」

「あ、あらほらさっさ~!」

「お前、随分なの知ってんね……」

 去年の夏休みに貴さんと莉徒が言っていたのを思い出して真似してみたのだけれど、何か古いアニメの、命令されたときの返事として使われていたので、きっと間違いじゃない!


 しばらく英介の部屋で、あれやこれやとエフェクターをいじってみた。BOSS社のMETAL ZONEとMarshallと社のThe Jackhammerザ ジャックハンマーというエフェクターをとりあえず借りることになった。The Jackhammerはディストーションとオーバードライブの切り替えができるということで汎用性に富んでいると思うのだけれど、ディストーションだと音のエッジが立たない気がして、結局オーバードライブを使うのであればMETAL ZONEの方が良いかもしれない、ということで両方を借りることにしたのだ。

「で、夕衣さん、今日はお泊り?」

 喜々とした目で英介はわたしを見る。

「え、か、帰る、けど……」

 そんなに頻繁にある訳ではないけれど、たまにこういう『お誘い』はある。その都度わたしは同じような返答をしている。思わず立ち上がってしまった。

「そうですか……」

 がっくりと、わざとらしく(多分わざとだけど)肩を落す。流石に気の毒にはなってくるけれど、わたしだって正直に言えば少し怖い。それに初めてのことだし、懸念していることだってある。

「あ、で、電話」

 助けに舟とはこのことか、と思ったらメールだった。

「莉徒だ。あ、明日も練習する、って……」

「……」

 目も合わせようとしない英介に一応声をかけてみる。わたしだって多少の罪悪感はある。ついこの間莉徒に『半年間もお預けを食らわす女なんかいない。何様のつもりだ』と叱られたばかりだ。わたしだって判ってはいるけれど……。

「ちょっと……」

「……」

 ちらり、と未練がましい目つきでわたしを見る。どうせ半分は演技だと判っているから、だんだんと腹が立ってくる。

「じゃあ言うけど!わたしだってそりゃちょっとは怖いけどでも嫌な訳じゃないよ!でも英介の部屋に遊びにきたついでとか、なんかそういう、流れのついでっていうのは嫌なの!」

 あぁ、言ってしまった。今までのらりくらりとかわしてきたけれど、これで覚悟しなければならなくなる。いや、いつかは、それもそう遠くないうちにしなくてはならない覚悟だっていうのはもちろん判っているけれど。わたしから言ってしまったということは、これでもう半ばOKをしてしまったのと同じことだ。

「!」

「い、いや、だからってそんな希望に満ち溢れた瞳で見ないで……」

 爛々と輝くというのは今の英介の瞳のことを言うのだろう。日本語とは本当に良く出来ているものだ。思わず英介の視線を自分の手で遮っていた。

「つまり、タイミング?」

「そ、そう……」

 わたしは急に熱くなった顔を英介から背けて答えた。女版樋村ひむら英介と呼んでも良いほど経験豊富な莉徒以外、わたしの女友達には殆ど彼氏がいる。仲間内で未だに未経験なのはわたしと、高校三年生の時にクラスメートだった由比美朝ゆいみあさちゃんくらいのものだ。皆よりも遅れているという焦りはあるけれど、だからといって経験できればそれで良いという訳ではない。相手が好きであれば尚のことだ。

「悪い」

「え?」

 背中からそんな声が聞こえてきた。演技がかってもいない、真面目な英介の声に、わたしの顔は熱いままだったけれど振り向いた。

「あ、いや、そうだよな、と思ってさ。初めてなんだもんな」

「……」

「ごめんな」

 そういって英介は立ち上がると、わたしを抱きしめてきた。初めてじゃなかったらしてたのか、と問い詰める訳にも行かず……。

「わ、かってくれれば、いいよ……」

 まずい。

「夕衣」

「……」

 この雰囲気はまずい。

 こういう流れに流されては駄目なのだ。これはわたしの勘でしかないけれど、ずっと懸念していることだ。今まで英介と関係を持った女達と同様にすぐに身体を開いてしまってはいけない。だからという訳ではないのだろうけれど、付合いが長く続かなかった要因の一つにはなっているのではないか、と私は考えている。

 せっかく付き合えて、半年も離れ離れになって、やっと普通に付き合えるようになったのに。わたしは英介とは別れたくない。だから余計に慎重になってしまう。

「んっ」

 遠慮なく英介はわたしの唇を奪う。お腹のあたりにヘンナモノが当っている感触。

(ちょ、ちょっと……。これじゃもう逆らえな……)

「よし、帰れ」

 体の力が抜けかけて、もうだめかと思った瞬間、英介はわたしの頭をぽんと叩いて解放した。

「え?」

「あやうく強姦するとこだった……」

「強姦て……」

 別に良かったのかもしれない、などとは口が裂けても言えない。

「そんだけ夕衣さんが魅力的だっつうことですよ」

「う、うそつけー!」

 あまりに突拍子もなく恥ずかしいことを言うので、つい大声で返してしまった。付き合う前は散々わたしのことを貧乳だとかチビだとかばかにしていたくせに。

「うそじゃねー!ほんとだ!みろこれ!」

 腰に手を当てて、そのまま突き出す。さっきわたしのお腹の辺りに当っていたヘンナモノを強調して英介は言った。

「きゃー!態々強調するな!ばか!ヘンタイ!スケベ!」

「もー!早く帰れ!おまえかわいすぎんだよマジで!ホントに襲うぞ!」

「あ!」

 ということは、だ。

「送ってかないつもりだ……」

「お、送りますよ……」

 収まるまでちょっと待て、と言って、英介は両手の指先と指先を合わせて、掌と掌の間にある空間をじっと見詰めた。

「?」

「コスモだ……」

 何を言っているのか、英介には何が見えているのか、わたしには全く判らなかったけれど、わたしは暫くそれに付き合った。英介のことは本当に好きだし、わたしを大切にしてくれていると思う。だからこそ、きちんと応えてあげなくちゃいけないんだろうな、とは思っている。身体が目当てだなんて言ってしまうと意地が悪いけれど、それを守ってばかりで英介がわたしに嫌気がさしてしまうのは絶対に嫌だし、もしそうなってしまったとしたら後悔してもしきれなくなってしまう。

 だから、もう少しだけ、ほんの少しだけ待っていて欲しい、っていう思いを込めて英介の背中に抱きついた。

「や、収まんなくなっからよ……」

「え、あ、ごめん!」


 二〇〇七年四月一七日 火曜日

 七本槍市 瀬能せのう学園 大学部


「夕衣ちゃん」

「あ、美朝みあさちゃん」

 高校三年生の時にクラスメートだった由比ゆい美朝ちゃんがわたしに声をかけてきた。美朝ちゃんはわたしより全然前から莉徒の親友をやっているというツワモノ。わたし自身も美朝ちゃんとは仲良くさせてもらっているし、最近では良くメールもするようになった。そしてあまり大きな声では言えないけれど、数少ない未通仲間でもある。体形はわたしと似たようなものだけれど、ここ一年で美朝ちゃんは凄くスタイルが良くなった。背はそれほど伸びてはいないけれど、胸が大きくなって、ウェストが引き締まったような気がする。

 なんて羨ましい……。

「なんか忙しそうだけど大丈夫?」

「うん。まだ本格的に動いてる訳じゃないし、今はバンド一つもやってないから」

 機知に富んでいて気遣い上手。彼氏を作りたくない訳ではないだろうし、モテない訳ではないだろうに彼氏はいない。莉徒は高校一年生の時からの親友だって言っていたけれど、一度も男と付き合ったという話を聞いたことがないと言う。

 美朝ちゃんは真面目で優しい、というイメージはあるけれど、そういうイメージで凝り固めてしまうのも美朝ちゃんにとっては窮屈なのかな、と思うことがある。

 わたしもよく真面目だとかは言われることがあるけれど、真面目そうに見えるのかもしれないけれど、真面目な堅物ではないつもりなので正直あまり良い気分ではない。不真面目、と言われてしまうよりはマシ、と思うだけで。でもそんな美朝ちゃんだから、とわたしは思っていることがある。きっとずっと前から好きな人がいるんじゃないか、って。

「じゃあどっちかって言うと莉徒の方が大変なのかな」

「でも莉徒はバンドの掛け持ちなんてずっとやってきてるしね。高校ほど朝から夕方まで学校にいなくてもいい訳だし。早速今日はもう休んでるっぽいしね」

「なんかわたし、莉徒は留年しそうな気が……」

「あ、わたしもそれは思う……」

 わたしが最近(まだ四月なのに)思っていたことを美朝ちゃんが言った。やっぱり美朝ちゃんもそう思うか……。実際に今日は莉徒はきていない。

「夕衣ちゃん講義何?」

「わたし経済だから二号館。美朝ちゃんは?」

 特に将来を考えて、という訳ではなかったんだけれど、身につけておいて損はないのかな、という気がしたので選考した。最初は文学でも良かったのだけれどそれなら芸術の方が良いし、芸術は芸術で一応はメインに据えようかと思って一応取った講義だ。

「わたしは文学だから三号館。今日はお昼は?」

 美朝ちゃんは高校生の頃から詩や小説を書いていて、わたしにもいくつか読ませてくれたことがある。読む前は少女小説のようなぽわーんとしてしまいそうな甘い恋愛ものかと思っていたのだけれど、恋愛に対しても上辺だけの甘いものではないことをしっかりと書いていた。というか、正直シビアな内容のものもあったので、驚いたくらいだ。

 何となく、そこで美朝ちゃんが、もしかしたら報われない恋をしているのではないだろうか、と思ったのだ。

「莉徒も英介もいないから一人かな」

 基本的にはエスカレーター式で大学に上がったので、顔馴染みは多いけれど、大学から瀬能学園に入った人とはまだ友達にはなれていない。莉徒は高等部では悪い噂もあってか、クラスでは浮いていたけれど、基本的には社交的な人間だから、きっと新しい友達を作るのも難しいことではないのだろうけれど、わたしはこうして美朝ちゃんと離れてしまったり、英介や莉徒が休んでしまえばたちまち一人ぼっちだ。

「じゃ一緒に食べよ。あとでメールするね」

 本当にこうしてすぐに気を遣ってくれる。きっと美朝ちゃんには美朝ちゃんの新しい友達もいるだろうけれど、わたしを気にかけてくれる。こんな美朝ちゃんを好きにならない男は相当に見る目が無いと思う。いたとしても美朝ちゃんのお眼鏡に適わなければ意味はあまりないのだけれど。

 わたしも莉徒も美朝ちゃんもそれほど体躯には差異はないけれど、性格は随分違う。例えば、一〇〇人の男の人に美朝ちゃんと莉徒とわたしの三人の中から一人を選べ、と言ったらダントツで美朝ちゃんに人気が集中すると思うんだけれど。

 それでも、人気があったり、もてそうだったりすることと、好きな人と想い合えるということではまったく別の話になってしまうことも判ってはいるのだけれど。

「うん、判った。じゃああとでね」

「はぁい」

 何というか、莉徒が良く『私が男だったら夕衣を彼女にする』と言っているけれど、少しだけその気持ちが判ったような気が、してしまった……。


 同日 瀬能学園 大学部 食堂


 大学部には一昨年にリニューアルされたばかりの綺麗な学食がある。とても広くて、メニューも豊富。おまけに親切価格。いつ行っても人がたくさんいる。定番のランチや定食屋さんにあるような定食、牛丼やラーメンやおそばやうどん、パンやハンバーガー、ホットドッグまであって、高速道路の大きなサービスエリアなみの品揃えを誇っている。オープンキャンパス時期にはオープンキャンパスに参加した大勢の他校の高校生でごった返すほどになるらしい。

 私はサンドウィッチとカップサラダ、それにホットドッグを一つとコーヒーをトレーに乗せた。美朝ちゃんも私と同じものをトレーに乗せると、適当な席についた。

「わたしもそれは知らなかったなぁ……」

 知っていて黙っているのも良くない気がしたので、昨日聞いた柚机ゆずき家の衝撃の事実を美朝ちゃんにも話してみた。本当は莉徒本人の口から言わせた方が良いのだろうけれど、その本人がいないのだからこればかりはいた仕方ない。

「莉徒も一八年間気付かなかったみたいだしね」

瑞葉みずはちゃんの従兄弟がプロのバンドの人だって言うのも知らなかったし」

「あぁ、それはわたしも驚いた」

 瑞葉ちゃんというのは、同じ高校の同級生で、やはり莉徒の親友の一人だ。瑞葉ちゃんはわたしたちとは頭のデキが違うので、もっとレベルの高い大学に通っている。彼女がそう見られることは望んでいないのだろうけれど、もう優等生という言葉がぴったりで、やはり体躯はわたしたちと同レベルだったりもする。私は同じクラスになったことはないけれど、去年の夏休みに知り合ってからはやっぱり仲良くさせてもらっている。美朝ちゃんと瑞葉ちゃんは頭も良いし、おっとりしている温和な性格で良く似ている。二人ともとても可愛いし、二人ともどこか芯が一本通った性格をしている。そんな二人が莉徒と何故親友なのかは、本当に謎だ。

 わたしの勝手な妄想では、おとなしい二人がイジメを受けていて、莉徒がそれを助けた、というのが一番しっくりくるので、今のところそういう設定にしてある。そのうちそんな話も聴けると良いな。

「莉徒のお母さんは事情が違うかもしれないけど、結構Sounpsyzerサウンサイザー系の人たちってこのあたりに住んでる人が多いみたい」

「そうみたいだね。涼子りょうこさんも言ってた」

 美朝ちゃんも涼子さんの喫茶店vulture(ヴォルチャー)には良く足を運んでいるそうだ。わたしは大体莉徒や英介、音楽仲間たちと行くことが多いので、美朝ちゃんとは数回しか一緒に行ったことがない。

「わたしは順番が逆だったんだけどね」

「逆?」

「うん。最初は涼子さんだけ仲良くさせてもらってたんだけど、そのうち夕香ゆうかさんとも仲良くなって、後から二人の旦那さんがプロだって聞かされて、最後に瑞葉ちゃんが従妹だったって聞いたの」

 順番がどうあれ、恐らく驚愕の度合いは変わらなかったと思うけれど。

「あ、そうだったんだ」

「うん」

 最初は涼子さんのお店に、涼子さんの旦那さんで-P.S.Y-サイのベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきさんとThe Guardian's Knightガーディアンズナイトのギタリスト、草羽少平くさばしょうへいさんが来ていたことから推理したことだった。

「わたしは一年生のときは今ほど仲がいいって訳じゃなかったから聞いてなかったんだ」

「みたいだね。でもなんで美朝ちゃんとか瑞葉ちゃんとか、全然不良じゃないのに莉徒と親友なんてできるんだろう、って時々不思議に思うよ」

 そう言って私は笑顔になる。例えばクラス内でグループが出来上がったとして、莉徒と美朝ちゃんは絶対同じグループにはならないだろうなと思う。接点がないように思える。わたしも音楽をやっていなければ莉徒とは接点が無かったんじゃないだろうか。

「それ言ったら夕衣ちゃんだって不良じゃないじゃない」

「あ、そっか。でもほら、わたしは一応音楽やってるっていうのがあるし」

「わたしも何か始めようかな……」

 最近莉徒がわたしと行動することが多くなってきたからだろうか。行動する時間と大切な友達への気持ちは比例するものではないとしても、少し寂しいかもしれない。

 わたしも何だかんだと言いながら、莉徒が美朝ちゃんや瑞葉ちゃんと行動することが多くなったとしたら寂しいと思うかもしれない。

「無理にやらなくても普通に仲良いんだからいいじゃない」

「あ、ううん、そうじゃなくて、莉徒とか夕衣ちゃんがギターを持って、ステージに立って、演奏したり歌ってるところを見たりすると、凄くかっこいいなぁ、って思うから」

「わたしはともかくとして、莉徒はかっこいいよね」

 莉徒がメインでやっているバンドKool Lipsでギターやギターボーカルをやっているのを見ると、本当にかっこいいな、と思う。莉徒は恐ろしくギターを弾きなれているし、歌も唄い慣れている。ステージ度胸もあるし、同じ学生バンドの巧い人を並べても群を抜いている。

「夕衣ちゃんもかっこいいよ。普段は大人しくて控えめなのに、ステージ立つと凄く堂々として、毅然としてて、凄くかっこいい」

「え、あ、ありがと。なんか、すっごい恥ずかしい……」

「へへ。今からでも遅くないかな」

 わたしが照れたのに美朝ちゃんも照れ笑いをして、楽しそうに言った。

「うん、全然遅くないよ。最初はうまくできなくてイライラすることもあるけど、目標を、例えば、ライブをやる、って決めたりするとやる気も出るし、上達も早いかも」

「そっかぁ。じゃあわたしベースにしようかな」

「え、ギターじゃないの?」

 わたしも莉徒も基本的にはギターボーカルだ。莉徒は普通にバンドのリードギターとしてギタリストもできるけれど、そのわたしたちを見て楽器をやりたいと思ってくれたのではないのだろうか。

「ベースだったら、巧くなったときに夕衣ちゃんと莉徒ちゃんと一緒に出れるかな、って思って」

「あぁ、そっか!それもいいね!」

 なるほど。でも、例えば一人になってしまったとしたら、ギターの方が良いと思う。ベースは絶対にバンドに加入する必要があるし、一人で弾き語りをするには無理がある。それならばギターの方が良いと思うのだけれど、美朝ちゃんがわたしと莉徒とバンドをしたいと思ってくれているのなら、それでも良いのかもしれない。

「なにぃ?美朝がベースゥ?」

「わ!」

 突然の出来事に驚いた声を挙げた美朝ちゃんの後ろから覆いかぶさるようにして、突然莉徒が現れた。

「あ、莉徒。今日はこないと思ってた」

「いや、お腹空いたんだけどさ、他で食べるより学食のが安いじゃん。だからきた」

「昼ごはんのために……」

「講義受けなくっちゃっていう義務感以外でも学校にきたくなる理由があるのはいいわね」

 ちょっと取ってくる、と言って莉徒はカウンターへと向かって行った。」

「……」

 手馴れた感じでぱっぱとカツサンドとか菓子パンをトレーに乗せて、紅茶もトレーに乗せると、すぐに戻ってくる。講義をちゃんと受けていないのに学食にやたら慣れている気がする……。

「で、何?美朝がベースって」

「わたしも何か楽器始めようかなって」

「で、なんでベースなのよ。シンセなんかいいんじゃないの?」

「あぁ、美朝ちゃんかわいいし、似合うかも」

 体躯が小さいキーボーディストは見ていて可愛らしい。去年莉徒と一緒にやっていたIshtarイシュターというバンドのキーボーディストも小さくてとっても可愛い人だった。Ishtarのドラマーだった水野すみれちゃんと同じ大学へ行って、その後看護師を目指すと言っていた。

「わたしがベース巧くなったら、宮野木みやのぎさんみたいに莉徒と夕衣ちゃんとバンド組んでもらえるかな、って思って」

 照れ笑いを浮かべながら美朝ちゃんが言った。なんだかそう思ってもらえるのが素直に嬉しい。本当に楽器を始めたら一生懸命練習しそうだし。

「おー、いきなり二十谺はつかレベルとはハードル高い」

「やっぱり宮野木さんって上手なんだ」

「正直学生ベーシストであのレベルは見たことない。つうか同年代の学生バンドだったら多分アイツが一番巧い」

 宮野木二十谺という人物も高校の同級生で莉徒の親友の一人だ。Ishtarのベースを弾いてくれていたのだけれど、メインでシャガロックという男性ギターボーカル、男性ドラムと一緒にスリーピースバンドを組んでいる。莉徒のわがままというか、思いつきで始まったIshtarへの参加もすぐに了承してくれた。すらりと背が高い眼鏡美人で、私のような人間から見れば奇蹟のプロポーションを持っている女の子だ。

伊口いぐち君よりも?」

「あぁ千晶ちあきちゃんも巧いけどね。技術面では二十谺の方が高いね」

 伊口千晶という人物は莉徒がメインでやっているKool Lipsのベーシストで、やはり同級生だ。先ほど少し話題に上がった瑞葉ちゃんの彼氏でもある人で、物静かな人。やっぱりすらりと背が高くて眼鏡が似合っている。

「そうなんだ。すごいんだね、宮野木さん」

「うん、わたしもはっちゃんは巧いと思う」

 正直なところ、伊口君とはっちゃんの違いは私には今ひとつ判らないけれども、伊口君もはっちゃんも凄く上手だと思う。

「まぁ、あと後輩で一人巧いのがいるけど、性格的に終わってる」

「終わってる、って……。女の子?」

 終わってるとは穏やかではない。そういう莉徒だって相当な性格のはずで、自覚もしているはずなのに、それでもその莉徒をそう言わしめるというのはかなりのものなのだろう。

「うん。まぁやってるジャンルもLAメタルとかハードロックだし、あんま会う機会もないからね」

「バンド?」

「うん。たまーに手伝ったりもするけど、疲れんのよ」

 わたしが最近少しずつ聞き始めているジャンルだ。音楽的には大分慣れてきたし、これからsty-xの曲もコピーしなければならないので、そのバンドがどんなバンドなのかは興味がある。

「そんな激しいんだ」

「や、そのベースの女の性格が」

「何それ」

「問題児?」

 莉徒の言葉にわたしと美朝ちゃんが口々に訊いた。

「そ。面倒だからあんま関わりたくない、つぅと意地悪いけど」

「嫌いなら無理して付き合わなくていいじゃない」

 面倒な人間関係を嫌う莉徒にしては珍しいかもしれない。

「やー、嫌いじゃないのよ。基本部分はまぁイイヤツだし。ただもう、ホント、変わり者だから相手してると疲れる」

「まぁなんだかんだ言って莉徒って面倒見良いからね」

 美朝ちゃんがそう言ったのでわたしはその言葉に頷いた。

「あんたほどじゃないわよ」

「そんなことないよー」

 そんなことあります。今だってこうしてわたしに付き合ってお昼を一緒に食べてくれるし。

「ま、でもそいつもかなり巧いけどやっぱ二十谺のが巧いわね」

 女性ベーシストはわたしははっちゃんしか知らないけれど、探せばいるものなのかもしれない。ただわたしたちのようなギターやボーカルよりも人口は圧倒的に少ないと思うけれど。

「そっかぁ。いいなぁ宮野木さん、背も高いしスタイルもいいし……」

「胸もすっごいおっきいんだよ……」

 やっぱり美朝ちゃんもわたしたちのように、はっちゃんを羨ましいと思っていたらしい。わたしははっちゃんに会うと必ずはっちゃんの胸を触る。いや触るなどという生易しいものではないけれども。

「や、やめろー!そんな話!つーか最近美朝の成長が著しいんだけど」

「やっぱり莉徒も思う?」

 同類の成長率に敏感なのはわたしだけではないということだ。そして恐らくそれは美朝ちゃんもだろうから、今まで言うに言えなかったのかもしれないけれど。というよりも態々報告する義務も義理もないのだけれど。

「一目瞭然だ!BKCに電話だ!」

「BKC?」

 わたしと美朝ちゃんが声を揃えて問うた。

バスト確認センター

「なんでKだけ日本語……」

 美朝ちゃんがもっともなことを突っ込むけどそんなことなどお構いなしに莉徒が口を開いた。

「やかましい!よし、隊員一号、行け!」

「え、ちょ」

 言うと同時に莉徒が席を立って、美朝ちゃんの後ろに回ると、美朝ちゃんを羽交い絞めにした。

「わたし一号なの!」

 突然隊員一号に指名されたわたしはそう言いつつもやっぱり席を立って、美朝ちゃんの胸に手を伸ばす。

「私隊長だから」

「ちょ、莉徒?」

「あぁそっか。じゃあごめんね、美朝ちゃん」

 そう言って容赦なく美朝ちゃんの胸に手を当てる。

「ひ」

 ぐわし。

 あぁもう触っただけで判るこの感触。美朝ちゃんもう完全にわたしたちより大きくなってる。

 わたしたちのような人種は盛ってもすぐにばれる。こうして服の上からでも触れば大体は判ってしまう。

「そういやさっきあの辺りの男ども、ほら今こっち向いてるアレ。あいつらがあんたらのことレベル高ぇとか言ってたわよ」

「……」

 ちらりと後ろを見る。確かに数人の男子がこちらをちらちらと見ているのが確認できた。

「何のレベル?」

 生憎わたしは戦士ファイターでもなければ魔導師ウィザードでもない。今わたしが何レベルかなんて判ろうはずもない。

「かわいいってことでしょ」

 莉徒がそう言って、わたしはその手の話には興味がないので、再び美朝ちゃんの胸に集中し始める。このレベルだともうブラのサイズも変えなきゃいけないくらいだわ。なんて羨ましい……。

「へ、へぇ……。あ、あの、夕衣ちゃん、放して」

「え?」

 苦笑しつつ美朝ちゃんが言った。ちょっと赤面している。うわぁかわいい。

「どうよ隊員一号」

「まぁわたしや莉徒よりは確実にボリューミーよ」

 言いながらわたしは美朝ちゃんの胸を揉み続ける。

「よもや一八歳からの成長が確認されるとは……」

「BKCも驚きだね」

 人には成長線というものがあるらしく、それが閉じてしまうまでは身体は成長し続けるのだそうだ。わたしや莉徒はきっともうとっくに成長線が閉じてしまったのだろう。莉徒のお母さん、史織しおりさんを見ていてもそれは判る。悲しいけれど、きっとわたしたちの成長はもう望めない。

「あの、夕衣ちゃん」

「莉徒も確認してみなよ」

 言うが早いかわたしが手を放した瞬間に、羽交い絞めしていた手を美朝ちゃんの胸に回した。後ろから抱きしめつつ胸をまさぐっているように見える。うわ、なんだかもう触り方がやらしい。

「ひぁ、あっ」

「うおー、でかい!もはやニュキョウじゃないか!」

「そ、そんなない……。あ、や、やめて、んっ」

 美朝ちゃんの表情がちょっと変わってきたような気がした。これ以上は流石に危ないと思い、わたしはコッチを見ているのであろう男子を振り返った。

 うわ、すごい見てる。

「さっきの男子がガン見してるけど……」

「助平どもめ……」

 ふん、と鼻を鳴らし、莉徒は美朝ちゃんの胸から手を放した。できることならもっと触っていたかったけれど、何故わたしはこんなに女子の胸を触るのが好きになってしまったのだろう。自分でも判らないのは困りものだけれど、好きなものは仕方がない。多分家にあるシナモロールと同じだろう。そういう風に思っておこう。

「公衆の面前ですることじゃないです!」

「そうです!」

 今になって胸元を隠して美朝ちゃんが言った。きっと莉徒のあの触り方ではブラがずれただろう。わたしもいろいろとアレなので美朝ちゃんに便乗することにした。

「裏切るか!一号!」

「オレはデョッカーとして生きて行くつもりはない!」

 びし、と莉徒を指差して言う。

「ちょ、あの……」

「夕衣も相当アホんなってきたわね……」

「自分で乗せといて」

 こうなったのもほぼ莉徒の影響だ。莉徒は少女マンガとかはあまり読まない変わりに、ヒーローモノやロボットモノが大好きだ。莉徒のお勧め作品を見ている内にわたしも結構好きになってしまったのだ。

「そうだけども」

「莉徒、早く食べちゃいなよ」

 せっかく運んできたのにさっきから悪ふざけばかりで一口も食べていない。美朝ちゃんがカツサンドを一きれ持って莉徒の口に運ぶ。

「うん。これ食べたら帰ろ」

 結果的に美朝ちゃんにあーん、としてもらって莉徒はもぐもぐしながらとんでもないことを言った。

「帰るの!」

 そういえば莉徒は手ぶらだ。

「だってゴハン食べにきただけだもん。ここのカツサンドおいしんだよ。食べたことある?」

 本当に昼食を摂りにきただけとはまた莉徒らしい。

「や、ないけど……。まさか男?」

「まさか」

 わたしの質問に、想像通りの答えを莉徒は返してきた。

「最近莉徒そういう人、いないんだ」

「いないわねぇ……。美朝、もう一つ」

 言って美朝ちゃんにカツサンドをあーんさせる。一体何様だ。羨ましい。

逢太おうた君に誰か紹介してもらえばいいのに」

 莉徒は見た目は凄くかわいい。さっきからずっと男子がこっちを見ているのも莉徒が入ったせいだと思う。莉徒の弟の逢太君は莉徒が整った顔立ちのせいか凄くかっこいい。史織さんも凄くかわいいし、会ったことはないけれど、お父さんもきっと美形なのだろうな、と思う。

「年下はパース」

「年上の先輩だっているでしょ」

「アイツ高一だよ。一番上の先輩だって私らより一つ下じゃん」

「あぁ、そっか……」

 莉徒が今まで付き合った人は同い年か年上ばかりらしい。年上も最年長になると諒さんや貴さんと同じくらいの年齢だったというから驚きだ。もはや女子高生(今は女子大生だけれど)がそのくらいの人と並んで歩いていたら援助交際だと思われるのではないだろうか。

「ま、別に今はいいのよ。音楽に集中したいしね」

「なるほど」

 一時期はKool Lipsのギタリストのシズくんに気があるのか、とも思ったのだけれど、本当にその気はないようだった。もしも気があったとしたら莉徒は即行動だと思うし、その気持ちがバンドを壊したくないという気持ちに勝らないのならば、きっと本当に好きだということでもないのだろう。そのくらいのことはわたしでも判る。

「やっぱりわたしもなにか楽器始めようかなぁ」

 コーヒーを飲みながら美朝ちゃんが呟くように言う。

「夢中になれるものが欲しい?」

「うん」

「美朝だって持ってるじゃん」

 それも、とてもわたしや莉徒ではできそうもないものを。

「でもお話を書くのは一人きりの作業だしね。莉徒と夕衣ちゃんみたいにお互いに切磋琢磨して同じ目標で何かをできるって、なんか凄く羨ましいよ」

 嫉妬、というねたましい気持ちよりも、羨望なのかもしれない。美朝ちゃんと莉徒の距離感、わたしと莉徒の距離感を測っているような、そんな気もした。

「はぁ、もう美朝おれの女になれよ」

「美朝ちゃんも?」

 わたしにはしょっちゅう言っていることだけれど、ついに美朝ちゃんにまでそれが及んだか。いや、もしかしたらわたしが知らないところで言っているのかもしれない。わたしは違うけれど、美朝ちゃんと瑞葉ちゃん、莉徒の親友をやっている二人はわたしから見ても凄く魅力的だし凄くかわいい。

「あと瑞葉もね」

「ホンットに莉徒がノン気で良かった……」

「でしょ。まぁでもいけないこともない気がするんだけどなぁ……。一回試してみない?」

 恐ろしいことを、言う……。

「な、何を」

「もちろん一夜を共にするのよ」

 ぞっとする。いや、その趣味を持つ人には大変失礼だとは思うけれど、わたしは多分、恐らく、絶対無理だと思う。

「せ、せめて瑞葉ちゃんで……」

「なんでよ」

「わ、わたしたちまだお子ちゃまなので……」

 瑞葉ちゃんが伊口君と付き合い始めたのは一昨年かららしいから、流石にもう経験しているだろうし。初めての相手が女性だなんて想像もしたくない。

「むしろだからじゃん」

「はやく食べちゃいなよ」

「むぐ……」

 言って美朝ちゃんがまたカツサンドをもう一きれ、今度はかなり強引に莉徒の口に突っ込んだ。

 美朝ちゃんてそういうツッコミもできるんだ。

 グッジョブ。


 05:カツサンド 終り

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