04:ハム
二〇〇七年四月一六日(月)
時間にして深夜二時。私の部屋。ベッドの上で。
「はぁっ?」
今年一番の超でっかい「はぁっ?」が出た。もちろん私が出した声だけど。
「えっ、あ、し、知らない……?」
口ごもりつつも期待の目で私を見たのは私の母、
普段は少しおとなしくて、天然ボケで、仕草の全てが子供っぽくて、でも何事も丁寧にしっかりこなす人。そういう点では私とは正反対。でも、若いと言えば聞こえは良いけれど、子供っぽい外見、背の低さ、胸の小ささ、全てを私はこの母から色濃く受け継いでいる。
「知らない訳ないじゃん……」
いきなりの、突然の史織の告白に、私は正直戸惑いを隠せなかった。
「それさ、もちろん
「う、うん」
もじ、っとする。おい、ちょっと可愛いぞ、母。
事の発端は数分前に遡る。そう、たった数分前だ。
昨日、私の
私は普段からテレキャスターをメインで使っているのだけれど、最近は手に入れたのが嬉しくて
父、博史も、史織も音楽をやる人ではない。彼らは音楽を聞くのは大好きだけれど、自分たちで演奏などという話は生まれてこの方一度も聞いたことがない。
私はいつも弦はエリクサーを使っているので、もしかしたら自分で張り替えたのを覚えていなかったのかもしれないと思っていたのだけれど、どうしても気になって色々と考えてしまったのだ。想像力豊かな私は色々とぶっ飛んだ想像までしてしまって、少し怖くなって、寝る時間になっても中々眠れなかった。部屋の電気は消していたけれど、中々寝付けなかったのでベッドの上でごろごろしていたら、おもむろに部屋のドアが開いたのだ。それも、殆ど音も立てずに。
私は心底怖くなって、身動きもとれずにただベッドの上で固まっていた。ヤンキーになって帰ってきたと言われた私でも、暗闇の中、一人きりで異常を感じれば恐怖するというもの。
楽器はケースごと私の部屋に設えられている小さなクローゼットに入れてある。そのクローゼットがそろそろ、と開かれる音。時々ギギッとクローゼットのヒンジが渋った音を鳴らし、そのたびに一瞬静寂が訪れる。当たり前なのだろうけれど、私を起こさないようにしている。レスポールの弦を張り替えた張本人か。
泥棒とかの類ではないと信じたい。どうするか迷った。
寝返りを打つふりをしてごろり、と犯人の方へ振り返るか。
それともこのまま狸寝入りをするか。
でもこのギターは最近は使っていないとはいえ、私が一生懸命アルバイトをして手に入れたギターだ。このままで良い訳がない。隣の部屋には
……多分。
私は意を決した。
「んぅ」
意を決した割には間抜けな声を上げて、わざとらしく声を出しながら寝返りを打つ。私の視界に飛び込んできたのは小柄な影。その、いわゆる『ぺたん座り』をしている小柄な影はびくり、と肩を揺らして、ゆっくり、そろり、と振り返った。薄目を開けていた私の視線と、ばっちり合う。
「あ、
目が暗闇に慣れていたので、すぐに誰だか判る。その見覚えのあるどころか、毎日見すぎて馴染みまくりの顔が苦い笑顔を顔に張り付かせて私の名を呼んだ。
「し、史織?」
思わず母の名を呼ぶ。
「んな、何して……んの?」
「え、あ、お、お部屋のお掃除だ、よ……?」
元々この女は母親としての威厳というか、大人の風格というか、そういうものが完全に欠落しているので、喋り方も私が子供の頃からずっとこんな子供っぽい喋り方だ。
「……嘘をつくならもう少しマシな嘘をついてください」
何故か敬語になってしまった。しかし言うに事欠いてお部屋のお掃除か。もっとマシな言い訳は無かったか。
「……」
私はベッドから起き上がって部屋の電気をつけると再びベッドに腰を降ろす。
「……」
ぺたん座りをした、ピンクの水玉パジャマが異様に似合ってしまう四四歳母、柚机史織はびくびくしながら娘である私を伺い見ている。そんな、怯える目で娘を見ないでください。
「もしかして……まさかとは思うけど、弦張り替えた?」
まさか、と思いつつも訊いてみた。母が趣味でギターを始めたとかそういうことなのだろうか。でもそれだとしたら、「ギター始めたから貸して」と堂々と言えば良いことだ。逢太にもそうだけれど、私は楽器を貸し渋ったりはしない。
「……」
史織は無言で小さく頷いた。
「な、何でよ」
「ば……ば……のさぃ……ぃで……」
少しの無言の後、史織は消え入りそうな声で何事かを言った。深夜の静寂の中だというのにその声は殆ど聞こえなかった。
「大きな声でハキハキとぉ!」
そんな史織に若干イラついて私は立ち上がった。腰に手を当てることはもちろん忘れない。
「バ、バンドの再結成でぇ、どうしてもギターを弾かなくちゃいけなくなっちゃったんですぅ!」
泣きそうな声で史織が声を張り上げた。
「なぁ……なぁ……なんだってぇ!」
史織がバンドをやっていたなんて「おぎゃ」っと生まれて一八年、ぜんぜんまったくちっとも知らなかった!
「ちょ、え、史織、な、ママ、そ、それ、な……」
余りの衝撃の事実に二の句が告げられない。あの、ヤンキーになって帰って来た柚机莉徒ともあろう者が狼狽えて言葉を失うとは!
「実は若い頃バンドをやってましたぁー……」
今も充分若い史織がもはややけくそになりながら言った。言った後にううう、などと言ってうなだれている。
「そ、そんならそうと言ってくれればいいでしょ」
あまり娘を恐れている母というものを見たくなかったので、私は少し声を沈めた。
「できることなら内緒にしておきたかったんだもん……」
「な、なんでよ」
俯いたままの史織が言った。他人事ではないけれど、小さな体躯がさらに一回り小さくなった気がする。
「ふ、普通のバンドじゃない、から……」
「え、なにそれ」
「メタルとかハードロック系なの」
「そ、そう」
あぁ、なるほど。
性格的なアレは置いといて、私はもう心底この人の遺伝子を受け継いでいたのだと自覚した。もちろん私は史織にギターを教えてもらったことなどただの一度もないけれど、そこいらの同年代のバンド者よりはよっぽど腕に覚えはある。それくらいの練習はしてきたし。自分で言っちゃうのは激サムだけど、なんというか音楽的なセンスがあったのだろうと思う。それが天才的なものではない、極々小さなものだとしても。
「いつごろから?」
再びベッドに腰掛けて私は言った。
「ギターは高校一年生の頃から始めて、バンドは二六歳まで……」
史織は顔を上げて指折り年数を数えて行く。……大体十年か。
「け、けっこう長いね……」
「あっでも、デ、デビューしたのは二一歳の時だから……」
「デビュー!」
「……」
しまった、という顔の後、再びうなだれる史織。
趣味バンじゃなかった。
メジャーデビューの母。
「プロかよ!」
「莉徒ちゃんそんな汚い言葉遣い!」
「やかましい!」
「だ、だってメタルのママなんて恥ずかしくて嫌でしょ!茶色いし黒いし金髪でツンツンでもじゃもじゃでトゲトゲだったんだからぁ!」
「……バ、バンド名は」
メジャーデビューしていた女性の、それもメタルだのハードロックバンドだのなんて酔狂な音楽をやってのけていたのは片手の指で……三本指で……いや、一つしか知らないわ。
「ス、
「はぁっ?」
という経緯で今年一番の「はぁっ?」が出たという訳だ。
「えっ、あ、し、知らない……?」
ぱ、と史織の顔が一瞬輝いた。
「知らない訳ないじゃん……」
特に今の私はそのsty-xには関係大有りなのだ。史織のとんでもない告白に眩暈すら覚える。sty-xの前座の話はもちろん話そうと思うけれど、まだまだ史織には訊かなきゃいけないことが山ほどある。
「それさ、もちろん博史も知ってるよね……」
「う、うん」
何故照れる、母。
「十八年目にして明かされた真実」
ひた隠しにされていたまさかの真実だ。史織と博史は私と逢太にずっとそのことを隠していたのだ。
もしも子供時代からそれを知っていたら、多分人生変わってたかもしれない。今のところ私が幸せに過ごせていると思えるってことは、史織と博史の選択は正解だったのかもしれないけれども。
だからその点については今は責める気はない。
……ないけれども。
「莉徒ちゃんは実は橋の下で拾った子なの、っていうのよりいいでしょ」
「……どっちもどっちじゃない?」
そんなくだらない冗談を言えるようでは、まぁばれたらばれたでまいっか、程度だったのかもしれない。
「そ、そんなことないはず……」
「つーかなに、史織って元ヤン?」
確か当時のバンドは不良がやるものだったはずだ。いやそれよりももっと昔かな。
「違いますぅ!莉徒ちゃんじゃあるまいし」
「つーか何で再結成な訳?」
ヤンキーではないけど確かに素行不良ではあったので、私はその会話を完全にスルーすることに決めた。
「今解散したバンドの復活とか流行ってるでしょ?」
「あぁ
バンドブーム全盛期だった頃のバンドよりももう少し後に、少々のムーブメントを作り出したバンドがオリジナルメンバーで復活、なんていうのがここ数年で何度かあった。その流れに乗るには少々遅いけれど、sty-xも復活しよう、ということになったのかもしれない。その辺の詳しい話は
「み、見たことある?」
「何度もね。まさかママがやってたなんて夢にも思わず」
私は言ってパソコンを立ち上げた。今まで何度も見たsty-xのギタリストが本当に史織なのか確かめたくなったのだ。といっても知らないで見ていては判るはずもないほどのメイクをしている。映像だけ見てこれ史織じゃない?なんて判るはずもない。
「な、何?」
「もっかい確かめるの。ホントに史織かどうか」
正直sty-xは私もカッコイイと思う。諒さん達からの話を受ける前までは、ジャンル的にも世代的にもどストライクではなかったから、カッコイイ女性ハードロックバンドいるよね、くらいの認識でしかなかったのだけれど、まさかあのカッコイイギターを史織が弾いてたなんて。
「えっ、や、やめて」
あわわ、と史織は立ち上がった。
「茶色いし黒いし金髪でツンツンでもじゃもじゃでトゲトゲの史織を見る。あ、そうだ、あと卒アル見せてよ」
「い、嫌……」
はい元ヤン確定。いやぁ史織の時代のヤンキーって凄いんだよな、確か。
「じゃあ博史に見せてもらう。確か同級生だもんね」
今ふと思う。道理で学生時代の思い出話をあまり聞いたことがない。もしかしたら博史もヤンキーだったのかも。
「……」
「その代わりそのレスポールは史織が使ってていいよ」
メタルならテレキャスターはあんまり使わないだろうし、SCHECTERのストラトは私が使うし。それならレスポールで充分だろうし。Epiphoneとはいえかなりイケメンだ。
「うぅ……」
「史織、過去は変えられないのよ」
しぶしぶ頷く史織に私は腕を組んでそう言った。
「わ、わかってるもん……」
ちくしょう、なんだその可愛さは。
「……わー!」
「な、なに?も、もう二時過ぎなんだから静かに!パパとおーちゃん起きちゃうよぉ」
「あ、う、うん……」
いや多分あの二人は絶対起きないだろうけれども、ともかくインターネット上のフリー百科事典でsty-xを調べたら出ていた。
「SHIORI、本名、
獅子倉というのは史織の旧姓だ。そのくらいは私だって知っている。というよりも獅子倉なんて一度見たら中々忘れられる苗字ではない。
「な、なんで……」
まだ言わない。私だって史織を驚かせてやるんだ。
「sty-xの第一期、初代ギタリスト。本場アメリカのギタリストも顔負けのギタープレイを見せるが、本来はおとなしい性格で、ステージ上でのみ豹変する。リーダーであり、キーボードの
「千織さん……?」
「う、うん……。あはは」
「けっこうウチ、遊びきてるよね、千織さん……」
てっきり史織の学生時代の友達なんだと思ってた。いや、学生時代の友達なのは間違ってはいなかったのだけれど、まさかsty-xのリーダーと何度も会っていたなんて全然気付かなかった。確か千織さんにも子供がいたはずだ。私より五歳か六歳くらい下の子だったと思う。
「お年玉ももらったことあるよね」
「……」
えぇ、えぇ、ありますよ。そのお年玉は私がメインで使っているテレキャスターの一部ですよ。
千織さんも史織ほどではないけれど、若いし可愛らしい。私が最後に会ったのは中学一年生の時だったはずだ。六年位前か。だとするとそれでも三八歳くらいで、その時の千織さんはとても三八歳には見えなかった。
「彼女の脱退により、sty-x第一期は活動休止。第二期が発足してからも復帰はせず、以降は音楽シーンから姿を消している」
なるほど。流石にファンの人でも、これを書いた人でも、史織が結婚して二児の母になっていることまでは知らないらしい。
「つーか何の冗談なのこの名前は……」
「これは偶然なんだよ。すごいでしょ」
佐々崎早織なんて何回「さ」が重なるんだよ。いや、それは他の人も同じか。
「……」
「むし?」
「すごいったって、活動してたときはアルファベットだったんでしょ。サムい」
あまりにも不安な声を出すので、無視を続ける訳にも行かず私は言った。
「昔はそれが当たり前だったんですぅ」
ぷぅ、と拗ねてみせる。本当に四四歳なのかこの人は。
「日本人のくせに」
今でもそういうバンドもいるけれど、私ははっきり言ってダサいと思うし、絶対やりたくない。バンド名だったら別にいいけど、なんで名前は思クソ日本人なのにアルファベット表示なんだよ、と。
「……だからバレたくなかったのに」
「うわ、もう復活の事書いてある」
ページをスクロールさせると、二〇〇七年七月に復活予定、と書いてあった。
「あ、ほんとだ。早いねぇ。こないだテレビでやったばっかりだったのに」
なるほど。この間の日曜日にテレビをつけていなかったのはそういうことか。今になって納得する。となると、あのタイミングで史織に携帯電話がかかってきたのは、博史がこっそり史織の携帯電話を鳴らして助け舟を出したのかもしれない。
「もしかしてこないだ出かけたのって……」
「うん、収録……」
どうりで結構なお洒落をして行った訳だ。
「昔の友達に会ってくるとか何とかって」
「う、嘘はついてないもん」
確かに何一つ嘘はついていない。隠し事はあった訳だけれども。
「はぁー、マジかぁー」
私はページを閉じて、動画サイトを開く。諒さんとの話が決まってから、今まで何度も見ているのでデータはキャッシュされていた。すぐに動画が流れ始める。
「うわー、これほんと史織なの?ケバっ!ダサっ!」
「もぉやめてよぉー」
ギターリフから始まる
「あぁーママがこんなすごいギター弾いてた人だったなんて……」
「え、えへ」
照れたのか、複雑な笑顔で史織は言う。それにしても軽くトラウマになっていてもおかしくない事実だ。どちらの遺伝子なのか、私も相当図太いな、と思う。
「でもダサい」
「だからそれは言わないで……」
「復活、この格好だったら旧姓名乗ってね」
柚机、なんて苗字この辺には中々いない。ばれたらかなり恥ずかしい。今風の格好をしてくれるんだったらまだしも。
「う、うん……」
よし、今日のところはこの辺で勘弁してやるか。sty-xの復活ライブを手伝う話はまだ黙っておこう。十八年間、こんな重大な事実を隠していた仕返しだ。十八年に比べたら二ヶ月半くらいどうということはない。私だって史織を驚かせてやるんだから。
「よし、とりあえず今の時点で訊きたい事は聞きました。なので寝ようかと思います」
明日は学校へ行って、その後練習だ。その時に夕衣と諒さんと貴さんにはきちんと話しておこう。黙っていてもその内史織の苗字の方でばれそうだし。
「う、うん。あの……」
私がごろりとベッドに寝転がると、史織も立ち上がった。そしてまた少し俯いて言う。
「なに?」
「莉徒ちゃんは反対する?」
「しないよ」
ふ、と思い至ったことがあった。その思い至ったことがもしも事実だったとしたら、史織は絶対にsty-xをやるべきだ。私は強烈にそう思ったのだ。
「ほんと?」
「嘘ついてどうすんのよ」
不安そうに、まるで許しを請う子供のような顔で言う史織に私は苦笑した。どっちが子供だか。
「そうだけど、でも」
「史織はやりたいの?昔の仲間に言われたから仕方なく、って感じなの?」
そこが一番大切なところだ。返答如何では私はバンド復帰には反対する。
「バンドが、したいです……」
「バスケットボールか」
「……ん?」
本当は学生バンドしかやってこなかった私なんかが言うまでもなく、史織は判っている。だからこそ、もう復活は決まっているんじゃないかな。
「と、ともかく!史織が仕方なくって言うんなら私は反対。だけど、史織がやりたい、っていうんだったら俄然応援するよ」
く、とサムズアップして私は史織に答える。
結婚して、バンドを辞めて、博史の妻である間も、私や逢太の母である間も、ずっと史織はギターを弾きたかったのかもしれない。バンドをやりたかったのかもしれない。
そう思ったのだ。
このネット情報でも諒さんたちの話でも、史織が抜けて初代、つまり第一期が終わった。史織の代わりのギタリストが加入した第二期以降を史織はどんな気持ちで見ていたのだろう。
「わーい」
「わーいって言わない」
四四歳は普通わーいって言わない(はずだ)。だからいつも子供っぽいと言われてしまうのだ。
「へへ、ありがと莉徒ちゃん」
やっと顔を上げていつもの可愛らしい笑顔に戻った史織が言う。そういえばしばらくぶりにこんな笑顔を見たかもしれない。史織は天然だし、何が楽しみに変わるか判らない人だから、屈託の無い笑顔を見るのはさほど珍しいことではないけれど。それでもなんだか久しぶりな気がした。
「博史は?」
「え?」
「博史は反対してないの?」
一応訊いてみる。史織の言うことだし、否も応も無く二つ返事だったとは思うけれど。
「うん」
「まぁそらそうよね」
ラブラブ夫婦だし。私が思ったことは当然博史だって感じただろうし。史織が自分からやりたいと思うことなら本当にやって欲しい。きっと世の中の母親の殆どがそうだと思うけれど、妻であり、母である以上は、何かを犠牲にしなければならない。史織の場合はそれがギターであり、バンドだった。
仮に私が結婚したとして、子供ができたとしたら、今までと同じようには、バンドはできないように思う。
「じゃああとはちゃんと逢太にも言っとくこと」
「はぁい」
逢太も相当驚くだろうけれども。
「じゃあおやすみ」
「うん、おやすみ莉徒ちゃん。ありがと」
「あいよう」
そう言って史織は部屋を出て行った。ドアのすぐ脇にある蛍光灯のスイッチを押してくれるかと思ったけれど、そこはやはり史織だ。そのまま出て行ってしまった。
私はベッドから降りて明かりを消すと、またすぐにベッドにもぐりこんだ。私が眠りに落ちる直前に「うるせぇなぁ……」と隣の部屋の逢太が呟いていたなど、気付く訳もなかった。
二〇〇七年四月一六日 月曜日
私立
講義が終わり、帰り道、私と
「おう早かったな」
Eスタジオには諒さんと
「あれ、今日は全員?」
「んだ。ま、練習ってより今日はバンド自体のミーティングだな」
「あ、そっか、曲とか全然決めてないですもんね」
と夕衣。最初の時点でこの話をしておくべきだったと思うのだけれど……。
「そ。まぁまずどんなんでやるか、とか、まぁ方針決めだな」
「そうね。私もちょっと言っときたいことあるし」
流石に史織の正体を知ってしまったからには話さない訳には行かない。
「何だよ」
「後で言うよ。別にヘンなこと言い出しゃしないから」
「そうか」
いや変か。変ではない。ただ、凄いことだ。多分。
「んでは、とりあえずsty-xのコピーは一曲。
「え、マジで?あの曲も結構代表曲っぽいじゃん」
私はsty-xの情報は多く持っている訳ではないけれど、Sprigganという曲は動画で見る限りでは最後の一曲だったり、アンコールでのラストだったりする、これもまた彼女たちの代表曲と言っても良いほどの曲で、Storm Bringerや
「アンコールがあればアンコールにやると思うけど、前座でやってくれて構わねぇってよ」
なるほど。最後の方に持って行けば、仮に私たちが先にやったとしても盛り上がるだろうし、最後、定番、とくればSprigganというイメージもあるから、一度前座がやってしまったからやらないかな?それとも本物を見せてくれるかな?という期待感も膨らむかもしれない。私がファンなら絶対期待してしまう。
「ほほぅ。んで残りの曲はどうすんだ?」
貴さんがそう言って腕を組む。そうだ、それが本題だった。
「莉徒がやってるバンドから何曲か出るんだよな?」
「うん。あとは夕衣がよければ
たった今思いついたことを言う。Ishtar Featherはそもそもアコースティックギターで弾き語りをするのが基本スタイルだけれど、バンド
「え、全然ロックじゃないけど」
「一曲くらいキレイで静かなのあってもいいよね」
「おー、いいよ」
Ishtarでやったときよりも美しさでは欠けるかもしれないけれど、クランチな感じに、ドライで穏やかな、良いアレンジになるんじゃないかと思う。
「じゃあ決まり。あと四曲くらい?」
「まぁ全部で六曲あればいいな」
「じゃあ
「
「うん。sty-xが演奏してる動画があってめっちゃかっこ良かった」
七〇年代のオールドロックは今風にアレンジすると凄くかっこよくなる。もちろんアレンジ次第で、という大前提は付くけれど、sty-xがやっていたのも大分LAメタルチックにアレンジされていて、凄くかっこ良かったので、あんな感じのロックンロールな曲もあれば楽しいし盛り上がる。
「sty-xは色々カバーもやってたからなぁ」
「じゃあSprigganと、夕衣の曲と、莉徒の曲と、ツェッペリンと、あと二曲」
「私さー
「え、マジで?」
貴さんが声を上げた。Fox Ⅲは貴さんたち
「だってどうせ顔隠したって、割れてる訳でしょ?つぅか、顔見せした方がsty-xにも箔が付くと思うのよね」
「んー、まぁなぁ……」
諒さんも腕を組んで悩み始めた。
「確かに諒さんと貴さんだけだったら正確には-P.S.Y-ではないですしね」
「じゃあやるか?つーかお前らあれできんの?」
え、覚えてないのか……。
「諒さん去年の夏一緒にやってるじゃないのよ」
「あれ!そうだっけ?」
ま、まぁ確かにあの時は私も夕衣も諒さんだって相当に忙しくて文字通りドタバタしすぎていたから覚えてないのも無理はないかもしれないけれど。
「でもあの曲ソロけっこう難しくなかった?」
「なめないで欲しいわね」
「わたしはソロはできませんけど……」
苦笑して夕衣は言う。去年やったときは夕衣にはバッキングに専念してもらったし、ソロ自体は英介が弾いたけれど、私だって弾ける。
「夕衣にもすぐできるようになるわよ」
「確かにソロを除けばそんなに難しい曲じゃねぇけど、いやぁ近頃の学生バンド者ってすげぇんだなぁ」
「や、練習量でしょ、多分。私も夕衣も練習はかなりしてるもん」
コピーはあまりやっていないけれど、私達は基本的に基礎練習は欠かさない。それが忙しい時でも、三〇分でもギターを触れる時間があるのなら、触るようにしている。
「すげぇー。おれ高校生の頃なんか殆どちゃんと一曲弾けなかったなぁ」
「お前は最初はホンットにへたくそだったよな」
「まぁ今でも大して変わりゃしないよ」
日本ロックシーン屈指のベーシストが何とも言えない表情でそんなばかげたことを言う。けれど、誰だって最初から巧かった訳ではない。毎日毎日、繰り返してきた少しずつの積み重ねが今を作っているのは、みんな同じなんだ。
「じゃあFox Ⅲとあと一曲」
「何か創る?せっかくだし」
この面子でやるのは恐らく最初で最後だ。ならば、その時にしかできない何かを残したい。
「だなぁ。じゃあ莉徒、任せた」
「わ、私ぃ!」
半分は予想していた。でも私も食い下がる。そのときにしかできない何か。どうせやるのならば、付加価値は高い方が良い。
「莉徒がんばって」
「いや、ここはせっかくだし、プロの手で創ってもらいましょう」
「何でだよ」
「付加価値よ。曲の付加価値。今回のライブに来た人しか聞けない、-P.S.Y-の
「……なるほど。確かに集客にはなるかもな」
「でしょ」
顔を隠すって言っていたのは単に二人のアイデンティティの問題であって、sty-x側から言われたことではないはずだ。貴さんはこう見えて意外とまめな人なので-P.S.Y-のブログは割りと更新している。恐らく事務所としてもバンドとしてもNG事項にはならないはずだし、そうとなればブログで宣伝もできるだろう。
「んじゃそれで行くか、諒」
「おぉ」
「じゃあ決まりね。Spriggan、Ishtar Feather、Ever Blue、Rock'n Roll、Fox Ⅲ、オリジナル」
意外と私たちから出す曲数が減った。この方が面白い。結局何をやるのも面白そうだとは思うのだけれど、どうせなら知っている、もしくはやったことがある曲は少ない方が面白い。
「オッケー」
「じゃあプロ二人は二週間以内に曲をあげること」
「人使い荒いなぁ」
去年の夏の逆襲だ。実際に人使いが荒かったのは諒さんでも貴さんでもなく夕香さんだったのだけれども。
「どうせ屁とも思ってないくせに」
「いやいや、sty-xの姐さんたちの前でやる曲だぞ」
「それもそうか」
そう言いつつも、それを私に創らせようとしていたことが恐ろしい。やっぱりこの二人はとんでもない。多分、まだきちんとは話したことはないけれど、ギターボーカルの川北忠さんや、ギターの朝見大輔さんの方が、色々常識的なのでは、と思ってしまう。けれど、結局タメ張ってこの二人と付き合えるんだから、川北さんも朝見さんもぶっ飛んでいるのかもしれない。
「つー訳だ、貴、頼んだ」
「だと思ったよ……」
口をへの字に曲げて貴さんが頷いた。
少し音でも出してみれば、と貴さんが言ってくれたので、私と夕衣はギターケースを開き、セッティングを始めた。
「時に夕衣はエフェクターそれだけか?」
夕衣の足元のマルチエフェクターを見て貴さんが言った。マルチエフェクターというのは様々なエフェクトを一つの機械に内蔵させた、いわばエフェクターの複合機のようなものだ。
歪み系ならば歪み系で一つのエフェクトしか持たないもので、さらに足元において操作するものを俗にコンパクトエフェクターという。そのコンパクトエフェクターの機能をいくつも内蔵させたものがマルチエフェクターという訳だ。
「え、あ、はい。コンパクトの歪みってスクリーマーしか持ってなくて」
夕衣は元々エレキギターよりもセミ・アコースティックギターを使用することが多く、楽曲も静かなものが多いので、歪みは殆ど使わない。今夕衣が言ったスクリーマー、正式にはチューブスクリーマーというのだけれど、これはいわゆるオーバードライブに類する歪み系エフェクターだ。通常のオーバードライブのような激しい歪み方ではあまり使わない、変化球のようなオーバードライブになる。
夕衣がそれを使っているのは見たことがないけれど、チョイスとしては渋いところをついてきていると思う。
確か夕衣のマルチエフェクターの歪みのモジュールにはチューブスクリーマーも含まれているはずなので、態々コンパクトで一つ、歪みを加えることもないと思っているのだろう。マルチエフェクターには歪みの他に多重音のような効果を与えるコーラスや、響きを与えるリバーブや音を追いかけさせるディレイ、いわゆる空間系と呼ばれるものもある。夕衣は空間系のエフェクトをマルチエフェクターで作り上げることに関しては本当に上手だ。
こう言うと万能に思えるマルチエフェクターだけれど、その実、一つ一つのエフェクト効果は、コンパクトのそれよりも劣ることが多い。
オーバードライブ系のエフェクターを礼に挙げてみると、コンパクトエフェクターのオーバードライブを一〇〇%の性能だとすると、マルチエフェクターに内蔵されているオーバードライブでは良くて九〇%、悪ければ七〇%、八〇%ほどしか性能を発揮できない、というのが定説だ。
それでもマルチエフェクターの歪みとアンプでの歪みを足してそれで充分とするギタリストもいる。何が正解ということではないのだけれど、激しい音楽をやるのならば、歪みはコンパクトではないとパワー不足になってしまうのでは、ということで貴さんは夕衣にそう言ったのだろう。
「私も余ってるのはないしなぁ。オーバードライブとディストーションが一緒んなってるのはあるけど、ありゃブースターにしか使えないし……。英介は?」
「一応借りることになってる」
英介は激しい音楽を好むので、その手のエフェクターはいくつか持っているはずだ。ただコンパクトエフェクターの、特に歪み系は安くても一万円以上する。中古やネットオークションなどで購入しても、それほど安い、お手軽なものではない。なので、ギタリストはエフェクターの売り買いが激しい。私もここ一年は同じものを使っているけれど、Kool Lipsを始めるまではあまりエフェクターが決まらなかったので、良く売り買いをしていた。
「まぁスクリーマーでブーストしても良いけどな。ギターは?」
「私はコイツ。ちょーイケメン!」
最近このお店で買った自慢のストラトタイプ、ブルーのEX-IVをケースから出す。
「あ、私もストラトです」
そう言って夕衣もフェンダー社のサファイアブルーのストラトをケースから出す。物凄いきれいな色のギターだけど、私のEX-IVだって全然負けてない。
「おー、どっちもシングルかぁ」
判るけれども。でもそうじゃないストラトだって存在する。それもそう珍しいものでもない。
「や、私のはハムも載ってる」
「は?」
「え?」
諒さんと夕衣が同時に声を出す。諒さんが言ったシングル、というのはエレキギターに搭載されている拾音器、つまりピックアップの種類ことで、シングルコイルピックアップという種類のものだ。
「ストラトじゃんよ」
「ストラトだよ」
モデルは、だけど。
「んならシングルだろ?」
ストラトキャスターというギターの形を生み出したのは
しかし私のギターはFENDER社のストラトではなく、
「ハム付いてんじゃん」
「え、ストラトでハムとかあんの?」
先ほどから言っているハムというのはピックアップのもう一つの代表選手で、ハムバッキングピックアップ、略称でハム、もしくはハムバッカーともいう、シングルとは対極に位置するようなピックアップだ。
クリアでシャープな音を出すことができて、それ故にハムノイズ(電源から出る高周波ノイズ)を拾いやすい構造になっているシングルコイルと、ハムノイズを低減させ、丸みがあり、温かみのある音を出すことができるハムバッカーは人気を二分していると言えば言えるし、用途に応じて使い分ける人もいる。私はどちらも持っている。
私はどちらかに偏って、どちらかの良い方を生かそうともしないのはばか者のすることだと思うから、きちんと場合によって使い分けるようにしている。
「知らねぇのかよ、楽器屋やってて」
「オレの店じゃねぇし……」
貴さんは知っていたようだけれど、楽器屋さんをやっていてしかもバンド暦も相当長いのに知らなかったのは驚きだった。
「知らなかった……」
「夕衣もかよ!」
とは言ったものの、夕衣はそれほどソリッドギターに精通している訳でもない。フェンダーと言えばストラト、ストラトといえばシングル、くらいの認識でも仕方が無い。もしかして普段夕衣がメインで使っている
「まぁレスポールほどじゃないけど、あるとないとじゃ大違いだよ」
「確かにな」
諒さんが私のEX-IVを見て言った。
「シングル、シングル、ハム、だよな」
「そ。EX-Vと迷ったんだけどね」
「あれはハム、シングル、ハムだもんな」
私の持つSCHECTER社のEXシリーズにはいくつか種類があって、EX-IVを購入するときに、EX-Vと迷った。貴さんが今言ったように私のEX-IVはシングルが二つとハムバッカーが一つ搭載されているのだが、EX-Vはシングルが一つでハムバッカーが二つだ。EX-IVを手に入れる前に所有していたのはFENDER社のテレキャスターとエピフォン社のレスポール、つまりシングルのギターとハムバッカーのギターが一本ずつだった。
「うん。あんまり激しすぎる感じもやらないし、元々私テレキャスだからね。ハム少ない方を選んだんだ」
「なるほどなぁ」
元々シングルのギターを長くメインで使っていたので、扱いやすいだろうと踏んだのと、自分が演奏する音楽の方向性も踏まえてハムバッカーが一つのEX-IVを購入した。
「え、お前そんなギターに興味あったっけ?」
「シェクターはカッコイイと思ってたからいつか買おうと思ってちょっと調べた」
ステージでは見たことは無いけれど、貴さんは良くギターも弾くらしい。音楽に限らず、興味があることが情報を蓄える第一歩だと私も思う。諒さんは本当にギターには興味はなさそうだし、それはそれで、私たちギター弾きがドラムに詳しくないのと同じことなのでなんら不自然なことはないのだけれど。
「へ、へぇ……」
貴さんが知っていて自分が知らなかったことが悔しかったのか、諒さんは神妙な声で頷いて見せた。ちょっと可笑しい。
「アンプは莉徒が
「その方が良さそうだな」
次はアンプの選定か。諒さんが言った通り、今回も私はMarshallのアンプを使うつもりだった。ギターボーカルとリードギターで分かれた場合、恐らく私がリードを張るのだろうと思えたからだ。しかし、曲層によっては夕衣の声では綺麗過ぎてしまうこともあるし、だとすると、私がMarshallを使ってギターボーカルをして、夕衣がリードで
「わたしも
「JCかぁ……」
やはり諒さんは首をかしげた。恐らく諒さんの好みはMarshallや
「ツインリバーブ入れらんねぇかなぁ」
「え、使っていいんですか?」
ツインリバーブはFENDER社の真空管アンプだ。大体のリハーサルスタジオでは有料でレンタルすることができる。普段の練習でお金をかけてツインリバーブを使うのももったいないのであまり使うギタリストはいないけれど、このアンプのファンだというギタリストは実は数多く存在する。
「あぁ、確かに夕衣の音なら今回はツインリバーブかも。本来の使い方ならやっぱり真空管じゃないJCの方が向いてるけどね。ツインリバーブは真空管だし、JCほど良い子ちゃんな音しないし、クランチ風なのも作れるから、使ってみると面白いと思うよ」
そうすれば私がギターボーカルに回ったとしても、JCよりは激しく演奏できると思う。
「お前ほんとに一八歳かよ……」
何だか色々なバンドに参加して、色々な役回りをやっていたので、自然と身についてしまった知識だ。
「前に一回使ったことあるよ。その時はセミアコだったけど、面白かった」
「ま、何にしてもコンパクトは一つ、英介に借りないとダメだね」
「うん、判った」
Marshallにツインリバーブならばパワー不足ということは無いだろう。英介が持っている歪みは結構パワーのあるものばかりのはずなので、ひとまず音に関しては心配は要らなくなる。
「じゃあ、諒」
「おけ」
貴さんが言って、諒さんが入り口脇にあるインターフォンの受話器を手に取った。
「
そう言って受話器を置くと、諒さんは再びドラムセットに座った。
思い出しながら、こうじゃないか、ああじゃないか、と色々とやっていたら二時間くらい経っていた。今日は本格的な練習というよりも音を出して楽しむだけに留まっている。
ひとまず休憩にしようということで、私たちはロビーに出た。
「史織さんのギターはアンプ直だったからなぁ。歪みに関しちゃエフェクターでちまちま稼いでんのよかよっぽどハコ鳴りしてるぜ」
諒さんがドラムスティックでぱしん、と自分の膝の上を叩いて言った。私は基本的にはエフェクターで音を作るタイプだ。アンプもあまりMarshallのアンプは使わない。Kool LipsではシズがMarshallだ。前に夕衣とやっていたバンド、
「あぁ、そうだっけか」
貴さんが思い出すように言う。今朝も少し話したけれど、確かに史織もそんなことを言っていた。ここはチャンスだ。私はさも何気もない感じでさらりと言ってみることにした。
「そ。足元はボリュームペダルとスイッチだけなんだって。コーラスだったかな」
「あぁーそうそう、そうだったわ。でもまたモズライト使うのかなぁ」
おお凄い、貴さんはまるで気付かないよ。
「多分新しいの買わない限りはEpiphoneのレスポールカスタムだと思うよ」
携帯電話のメールチェックをしながら、あたかも、何事もなかったかのようにしらばっくれて続けた。
「ほぅ……。何でお前が知ってんだ?」
お、諒さんがヒットした。じゃあそろそろかな。
「私のママだからねぇ」
「え、訊いたの?」
え、何それ夕衣「わたし知ってます」みたいなノリだけど、訳判ってないまま喋ってるな?っていうか、聞き逃したのかな。
「うん。どんなセッティングしてた?って」
「あぁ、なるほどなぁ……」
引っかかったと思った諒さんがそのまま話を流してしまう。あれえ?
「……」
あ、いた。ヒットして、釣り針下唇にぶっ刺さっちゃったのがここにいた。
「どうした水沢、顔色が悪いぞ」
腕を組んで、脚まで組んで私は貴さんに目を向ける。諒さんも夕衣ももう何だか判らない、ホントに訳の判らない顔をして貴さんを見た。やっぱり夕衣も諒さんも何か引っかかっているのだろう。
「……今、なんつった?」
貴さんはどことなく青ざめた顔をしている。私はわざと貴さんが欲しい答えを外す。
「どうした水沢、顔色」
「その前ぇ!」
ばんばん、と自分の膝を叩きながら貴さんは私の声を遮った。ヤバい、超面白い。
「どんなセッティングしてた?って」
じらす。ヤバい。ホントに面白い。夕衣と諒さんは何かを我慢しているような顔つきでじっと貴さんが何か言うのを今か今かと待っているようだった。
「それを!誰に!訊いた?」
「だから、私のママ」
何事もなかったかのように、けろり、と言ってやる。
「……」
顔を見合わせる三人。
「はぁっ?」
「見事。三重奏。トリオ・デ・コーラス」
昨日の私に勝るとも劣らない声で、しかも三人揃って、はぁっ?これは録音しておきたかった。
「そんな判りにくいボケはどうでもいい!」
いやツッコミだと思うけど。
「よし……。じゃあ聞いて驚きなさいや。sty-xの初代ギタリスト、
全部言ってやった。さぁどうする。納得するか。
「な、え、ちょ、おま、それ」
「おー、面白い」
諒さんが言葉に詰まる。言葉に詰まる、の生きたお手本だ。
「いつから知ってたの、それ……」
夕衣はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。流石我が親友。わたしの突拍子も無い言動には慣れっこだ。
「昨日」
「は?」
「や、だから、私も昨日知った」
「え、マジでか」
「十八年間隠されていた衝撃の事実。グレてやろうかと思ったわ」
まぁ驚くよね。私はそんなみんなの反応に一通り満足したから、説明に入る。
博史と史織には何か考えがあってのことだったんだろうけれど。というか、まぁ正直なところ、あまりムキになって責め立てても仕方の無いことだ。別に犯罪者だったという訳ではないし、人に話すのを憚るほどのことでもない。ただ、それにしても驚きの事実だったというだけで。
「二重にグレたら、反転して良い子になるかもしれん」
諒さんや貴さんはプロの世界に身を置いているからなのか、もう落ち着きを取り戻していた。
「元々グレてない!」
「紙一重……」
素行不良ではあったけれど、グレてた訳じゃないもん。わたしは夕衣の胸を正面から鷲掴みにした。
「あ、ちょ、ちょっとやめ」
夕衣が抵抗の声を上げたとたんに貴さんが私に手をかざした。私の顔の一部を手で隠して私を見る。
「や、ちょっと、良く見ると似てるかも」
「わたし、史織さんとは何度も会ってるけど、莉徒とそっくりだよね。凄い可愛い人です」
びし、と私の手を払って夕衣が言う。確かに夕衣は何度もうちに遊びに来ているし、何度も話している。史織も夕衣のことは大好きだから普通に仲が良い。最近じゃあ夕衣の母親の
「薄目で私を見るな」
「確かに史織さんの面影あるな……。史織さんも超絶かわいかったしな……」
諒さんも私に手をかざしつつそう言った。確かに母娘だし、私が史織の若い頃に少し似ている、というのはあるかもしれない。それにしても超絶かわいかった史織の面影があるということは、私もかわいいと思われている、ということで良いのだろうか。ちょっと嬉しくなってしまう。
「あの女は今でも充分かわいいわよ」
「つーかなんで判った?親に話したのか?」
諒さんもまさかsty-xの初代ギタリストの娘が私だったなんて想像もしていなかったのだろう。でも自然な流れで言えば諒さんの話の流れが一番普通なのかな。
昨日史織が私の部屋に忍び込まなかったり、忍び込んだ史織に私が気付かなかったとしたら、きっとその流れになっていたはずだ。
「や、昨日の夜中、史織が私の部屋からギターかっぱらおうとしてたから、激詰めしたらゲロった」
「は?」
これも当然の反応だろう。
「私だって、は?だったよ」
「ま、まぁそうだろうな」
貴さんは何となく状況を想像できてるのかな。
「で、まぁ詰め寄ったら、バンドを久しぶりに復活させるんでギターを弾かねばならん、と」
「更に問い詰めたらそれがsty-xだった、と」
「そう」
話が早くて助かる。
「なんつー家庭だ」
「莉徒にはいつもけっこう驚かされるけど、今日ほど驚いたこと、無いかも……」
そら私だってそう思ったよ。
「まさか夕衣の親もそうだったなんてこと無いだろうな」
「流石にないです。……と思います」
夕衣が苦笑してそう言ったあと、天井を仰ぎ見る。
「夕衣のお母さん……真佐美さんの旧姓って何?」
sty-xには真佐美という名の人はいないから、そんな漫画みたいな展開は無いと思うけれども。
「えーとね、島田、だったはず、だけど、私あんまりお母さんの若いころの話とか聞いたことなかったかも……」
「島田真佐美……一応ググっとこう」
「いや、た、多分普通の人ですから」
私だってそう思っていたけれども。ちょっと天然ボケの入った、大人らしい振る舞いができない、子供じみた、超絶若くてかわいいだけの母親だと思ってた。
……普通、ではないか。
ちなみに史織は言動が大人らしくない、というだけで、しっかり家事もするし、料理にいたっては物凄く上手だ。
「それにしても娘のギターかっぱらおうって……」
「史織さんらしいな……」
くくく、と忍び笑いをもらしながら諒さんと貴さんは顔を見合わせた。その感じからすると随分と親しげな印象を受ける。
「二人は史織のこと良く知ってるの?時期的に合わなくない?」
sty-xが全盛期だったのは八〇年代後半だ。その頃にはまだG's Blueは影も形もない頃のはずなのに。
「あぁ、初代の時は流石にオレらも学生だったしな」
「G's Blueの時に、確かリーダーの千織さんが、sty-xとは全然別のプロジェクトを
「確か二期の活休ん時だったな、ありゃ」
となると私はもう小学生に上がっていたころかもしれない。二期の活動時期については私は殆ど知らない。記憶を掘り返してみても、小学生の頃に史織が頻繁に家を開けていたような記憶は無い。音楽活動をしていたのは私が学校へ行っている間だけだったのかもしれない。
「そうそう。あれからすぐ三期で活動再開したはず」
「その時は一緒にやったの?」
「うん。まぁサポート程度だったけど。確か何歳の娘と息子がいてね、なんて話してたけど、まさかそれが莉徒と逢太だったとはなぁ……」
となるときちんとバンドとして活動した訳ではなさそうだ。それにしても色々と私の知らない話を聞いていると、史織が当時からどれだけ秘密主義を貫いていたかが伺える。
前に私が諒さんや貴さんと知り合いになったと史織に話した時も、史織はあえて知らないふりをしたんだ。私がバンドを、ギターを始めた時も、自分がギターを弾けることなどおくびにも出さなかった。
「つーかそんな面識あったのね、史織と」
「おー、超仲良し。まだここに住む前だったけど、年賀状とかも貰ってた」
「まじでか」
となると、史織は諒さんたちからの年賀状は隠してあるか、処分してしまっているかもしれない。親宛の年賀状をいちいちチェックしてたりなどはしていなかったし、これからもするつもりは無いけれど、そんなに近い仲だったとは本当に世間は狭い。
「史織さんかわいかったもんなぁ。おれも涼子とは結婚してたけどさ、涼子がもしこの世に存在しなかったら絶対史織さんに惚れてたなぁ」
うんうん、と頷きながら貴さんは言った。それは何となく頷ける気もする。涼子さんと史織を比べたらやっぱり涼子さんの方が大人びているし、精神年齢も大人だと思うけれど、史織は貴さんのストライクゾーンに充分入ると思う。
「聞かなかったことにしましょうか?」
「あ、ごめんごめん。涼子さんと夕衣がいなかったらだった。訂正訂正」
「そうじゃない……」
「冗談だって」
夕衣と貴さんの的外れな会話をよそに私は口を開く。
「ちなみに私がsty-xの前座に出る、とは史織には言ってないから」
「え、何で」
諒さんが言って煙草に火を点けた。貴さんも思い出したようにそれに続く。
「もしかして、仕返し?」
「流石夕衣」
私の思うところをすぐさま見抜いて夕衣が苦笑した。
「悪趣味なやっちゃなー」
「一八年に比べたら二ヵ月半なんて無いに等しい!」
それにこれは史織と同じだ。私が隠す行為は恥ずべきことではないし、悪いことでもない。そして恐らく史織のギターの腕は落ちているはず。落ちているとは言っても、現役時代あれほどの弾きをしていた人物だ。少し弾けば感覚だってすぐに戻るだろう。だから私もその間に猛練習して、真っ向勝負を挑んでやるんだ。
「まぁそれはそれで面白いかもな。それはそれとして、今度会わせろよ。久しぶりに史織さんの顔見たいな」
「あぁ、じゃあ今度こことお店の方行くよ。来週末」
「あいよ。楽しみに待ってるぜ」
sty-xのメンバーだということがばれても、私が前座に出演することまでは諒さんや貴さんがばらさなければ大丈夫だ。それに隠しておくことに面白そう、と判断したのならば情報を漏らすことも無いだろう。元々史織と諒さんたちが知り合いなのならば、私がsty-xの話を二人にして、史織と一緒に諒さんたちに会いに行くという流れは全然不自然ではないし。
「おっけー」
「うっし、じゃあ練習再開すっか!」
そう言って諒さんは煙草の灰を灰皿に落とした。
「了解ー」
04:ハム 終り
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます