01:シュークリーム

 二〇〇七年四月十四日 土曜日

 …七本槍ななほんやり市内 髪奈かみな


 今日は親友の柚机莉徒ゆずきりずと夕方からギターの個人練習に入ることになっている。この春からわたし、髪奈夕衣ゆいは大学生になり、色々と忙しくしていたのだけれど、この忙しさに更に拍車がかかるとは思いもしなかった。

 その始まりは、たった一本の電話からだった。

『へいへい、カミナユイ!』

「なした」

 莉徒からの電話だ。我が親友ながら中々謎の多い女で、もしかして今この時間にやっぱり個人練習に行けなくなった、などと言い出すのかと思ったのだけれど。

『今からvultureヴォルチャー来れる?』

「んぅ?」

 vultureというのはわたしが足繁く通っている超お気に入りの喫茶店のことだ。

 学生のお小遣いでは毎日通うことはできないけれど、それでも学生に対しては安く美味しいコーヒーと軽食を振舞ってくれる。店主の水沢涼子みずさわりょうこさんはわたしが女性として密かに――いや、大っぴらに憧れている人物でもある。

『何やら厄介な依頼がありそうなのよ』

「探偵にでもなったの?」

 それだけでは何も判らない。わたしは苦笑して莉徒にそう返すと、ステレオのスイッチを入れた。恐らく莉徒が厄介な依頼と言うからには本当に厄介で、一筋縄では行かないことなのだろうけれども。

『行こうか京極堂!で解決できればまぁ楽、なんだけどねぇ』

「話が見えないんだけど」

 大きすぎず、小さすぎない程度の音量でCDをかける。最近お気に入りの-P.S.Y-サイというロックバンドの曲だ。

谷崎諒たにざきりょうから直々にヘルプの依頼』

「え!」

 谷崎諒さんというのはわたしが今正に聞いている-P.S.Y-のドラマーだ。プロのミュージシャンで、音楽レーベルと芸能事務所を兼ねている、株式会社GRAMグラムの代表取締役社長さん。

 わたしがこれから莉徒と個人練習に入る楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディションの店主、谷崎夕香ゆうかさんの旦那さんでもある。夕香さんがそんな凄い人だとはつゆ知らず、後々、元々夕香さん達と知り合いだった莉徒から話を聞いて仰天したものだったけれど。

『厄介そうでしょ』

「う、うん」

 プロのミュージシャンからのヘルプ。ヘルプと言うからには勿論バンドのメンバーが足りなくて、莉徒やわたしに、ということなのだろう。

『で、来れそう?』

「え、それわたしもなの?」

『うん。諒さんが髪奈夕衣も空いてれば連れて来いって』

「そ、そっか……」

 もしかして呼ばれたのは莉徒だけで、わたしは莉徒の独断で巻き込まれる、とかそういうことも想定できたけど、どうやら違うようだ。プロのお眼鏡にかなうほどの腕は、莉徒はともかくわたしにはない。

英介えいすけとデート?』

「や、今日は特に会う予定もないけど……」

 英介というのはわたしの恋人の名前だ。フルネームを樋村ひむら英介という。付き合い始めて半年が過ぎたくらいだけれど、英介はわたしと付き合い始めてすぐに家庭の事情で北海道へ行ってしまった。こちらの大学を受けるということで、再び東京へ戻ってきたのがつい先月。なので、付き合い自体は半年になるけれど、ちゃんと顔を付き合わせて、というのは実質一ヶ月と少しだ。莉徒はその辺を少し考慮してくれたのだろうけれど、元々今日は莉徒と個人練習を入れていたし、一日ゆっくり時間を取れる方が良いとのことで、英介とのデートは明日にしてある。

『おっけー、じゃあ二時にvultureね』

「う、うん」

『まぁやばそうだったら断ろうよ。私らだって大学入ったばっかで色々バタついてるしさ。あんたも英介とゆっくり時間取りたいでしょ』

「そだね」

 実は英介は三年ほど前に莉徒と付き合っていた。高校一年生の時で、付き合ったは良いけれどすぐに別れてしまったとのことで、今は莉徒とは普通に友達付き合いを続けている。そういう経緯もあって、莉徒はわたしの事も英介の事も良く理解してくれている。

『じゃあまた、あとで』

「うん、じゃね」

 通話を終えると再び携帯電話が鳴り出す。ディスプレイを見ると、英介からのメールだった。

「いま起きた。今日は存分に莉徒といちゃちゃしてこいよー。だって」

 わたし以外誰もいない部屋の中で英介のメールを読み上げた。英介も大変だなぁ、とつい思ってしまう。

 英介はわたしにとって初めての彼氏だ。英介はわたしと付き合う前まではそれはそれは大したジゴロっぷりで、とっかえひっかえに女の子と付き合っていたらしい。わたしが言うのは物凄く癪だし、とんでもない惚気だと思われるのも物凄く嫌だけれど、確かに英介はかなりカッコイイ。わたしは英介の外見に惹かれた訳ではない。知り合った当初は確かにイケメンだと思いはしたけれど、好みではなかったと思ったほどだ。だから中身、なのかな。勉強はできるけれど物凄いバカだし、口は悪いし、態度もでかいし、手もかかる。挙げれば悪いところなんて枚挙に暇がないほどなのに、惹かれてしまった。わたしは英介みたいにモテてカッコイイ男の子とどうやって付き合ったら良いのか判らずに今でも戸惑っている。キスはしたけど、それ以上のことはまだしていない。する勇気がない。でも英介は多分、ずっとわたしとそういうことをしたいんだろうな、って判ってしまう。更に、わたしが戸惑っていることも、勇気がなくてビクビクしてしまうことも、全部判ってくれている。自分で言うのも可笑しな話だけれど、わたしみたいなのが彼女で英介も大変だなぁ、とついつい思ってしまうのだ。

「じゃあ……。明日はわたしといちゃいちゃ……。や、やめ!」

 こんなメールを送ってしまったらどうなってしまうか判らない。わたしだって先に進みたくない訳ではない。大学一年生にもなって、彼氏もいるのにいつまでも未経験では格好もつかないし。ただ、格好でするものではないというわたしの考えが、つい保身的な考え方になってしまているのは一面の事実でもある。

「えーっと……。何か厄介ごとに巻き込まれるかも。明日話すね、と」

 態々口に出しながらメールを打つと、すぐに送信する。個人練習もあるし、その前にvultureへ行かなければならないから全部準備をしてしまおう。今日はまた莉徒にロックギターを教わろうかと思っている。わたしと莉徒は親友だと認め合ってはいるけれど、まだ知り合って一年弱。

 わたしが去年の五月にこの街に引っ越してきてからの付き合いだ。でも、その莉徒のおかげで大切な友達も、大好きな人もできた。莉徒には音楽もいっぱいカッコイイ物を教えてもらって、主に静かな、綺麗な音楽を聴いていたわたしは、最近ロックに目覚めてしまったのだ。

「えーとエフェクター、エフェクター……と」

 その莉徒の影響がとんでもない事態を招いていたなんて、この時のわたしはまだ知る由もなかったのだけれど。


 同日 午後一時 喫茶店vulture


「よーぅ夕衣」

「あいー」

 お店の前で莉徒と鉢合わせた。

「あ、やっぱ夕衣も準備してきたんだ」

「うん、まぁね」

 そう言う莉徒もフル装備で来ていた。柚机莉徒タイプF。エフェクターケースは相変わらず重たそうだ。

「いらっしゃい、莉徒ちゃん、夕衣ちゃん」

「こんにちは、涼子さん」

 涼子さんはいつも通りの優しい笑顔で出迎えてくれた。

「楽器、こっちに置いていいよ」

 訪れる客にバンド者が多いせいか、小人数分の楽器ならば、カウンターの内側に置かせてくれる。勿論涼子さんが仕事をするのに邪魔にならない場所で、他のお客さんにも迷惑がかからない場所だ。

「はーい。ありがと」

 わたしと莉徒はそこに楽器を置いて、四人がけのテーブルに並んで座る。

「諒さん、まだきてない?」

「あ、さっき連絡あったわよ。もう来るみたいだけど」

「あ、来た」

 窓の外に自転車を停めている諒さんが見えた。あれでモノが見えるのかというくらい色の濃いサングラス、ごっついネックレスに多分ライブTシャツ。小さなバックルがたくさん付いた黒いシャツに、これまたごっついウォレットチェーン。なのに自転車。しかもママチャリ。そのミスマッチがなんとも諒さんらしい。

「いらっしゃい、諒君」

「おー、涼子ちゃん。体動かすともう暑いなー」

 そうサングラスを外しながら入ってくる諒さんは相変わらず巨漢だ。いや巨漢というと太った人をイメージしてしまうかもしれないけれど、諒さんは均整のとれた体でその身長は一八〇センチメートルを超える。一四七センチメートルのわたしからしてみればまさに山のような身長だ。

「こんにちは、諒さん」

 涼子さんへの挨拶もそこそこに、諒さんはわたしたちが座っている四人がけのテーブルに着いた。

「おー。二人ともきてくれたか。とりあえずオレの奢りだ。好きなもん頼め」

 何と言えば良いのか、この人は不良少年のまま大人になってしまったような人で、物凄く口調が荒い。英介と違って口が悪い訳ではなくて、口調が荒いのだ。でもとっても気さくで優しくて、やっと最近気兼ねなく話せるようになってきたところだ。

「ぃよしゃあっ!」

「え、いいんですか?」

 このお店で好きなものを頼めるとなると、わたしとしてはかなり嬉しいご褒美のようなものだ。

「まぁこんくらいはな。受けて」

「まだ受けるとは言ってない」

 諒さんの言葉を莉徒が遮った。途端に諒さんがぎょろりと莉徒に目を向け……剥く。

「お前さっきやるっつったじゃねーか」

 いきなり嫌な予感がする。

「言ってない」

「言った!」

「言ってない!」

「言ったっつーの!」

「受けるとは言ったが、受けるとは言っていない」

「てんめぇ……」

 受けるって言ってるじゃん……。

「ま、まぁまぁ、とりあえずどんな内容なのか教えてくださいよ」

 一通り言葉の応酬を聞いてからわたしは口を挟んだ。何にしても内容を聞いてからじゃないと、決めるに決められない。

「じゃ、その前に注文、お願いね」

 にこり、と涼子さんが言う。こういう会話の合間にやんわりと言葉を入れてくるのは涼子さんの才能かもしれないな、と思う。

「あ、そうだ。諒さんのオゴリだぞー、夕衣、何でも食え!」

「昼飯食ってねぇのかよ……」

 おしりのポケットからもの凄くごっついお財布を取り出して諒さんはお金の計算をし始めた。ぺろぺろぺろ、とお札が数枚入っていたようだけど、それが一万円札にしても千円札にしても、わたしたちではそれが無くなるほどは食べられない。

「わたしは食べました」

「私も食べたけど、誰もゴハン食べるなんて言ってないでしょ。ケーキケーキ!」

 でも奢ってもらえるなら家でお昼を済ませてくるんじゃなかった、と思ってしまった。だって涼子さんのナポリタンはもはや神の味なのよ。嫌な顔一つせずにわたしのためにレシピを作ってくれたというのに、一度として同じ味になったことがない。ただ今まで作ったものよりも遥かに味は良くなったのだけれど。

「まぁいいけどよ。涼子ちゃん、オレブルマンね」

 どす、とテーブルの上にお財布を置いて諒さんは煙草に火を点けた。お財布置いてどす、って一体何が入ってるんだろう。

「はぁい、アイスでね。あとはそこの新女子大生二人は?」

 何でも良いとなるとまた選ぶのが大変だ。いくつも食べられる訳ではないし、かといって一つに絞るにはおいしいものが多すぎる。

「え、ちょ、ちょっと待って、これはそう……真剣勝負だから!」

 莉徒の言葉に大きく頷いてわたしもメニューを食い入るように見つめた。


「あふぃー、食った食った」

「幸せ……」

 涼子さんのコーヒーを飲んで、シュークリームを食べて、至福の時を満喫。このまま帰れたら更に幸せなんだけれど、わたし達に用があるという諒さんに奢ってもらっておいて、流石にそういう訳にもいかない。

「そこでてめえらを地獄に付き落す依頼って訳だ」

「えー、帰っちゃダメぇ?」

 思ったことを言っちゃう辺りが莉徒だ。それにしても地獄に突き落とすなんてちょっと穏やかじゃない。

「自分で払うか?」

「まぁこの位なら払っても痛手じゃないですけど」

 う、うんまぁ、普通にコーヒー一杯とケーキ一つだから……。

「おまえ鬼かー!」

 またしてもぎょろりと、今度は驚愕の眼差しで叫ぶ。申し訳ないけれどちょっと面白い。

「冗談ですって。で、何地獄って」

 話を軌道修正して莉徒が訊く。ただのヘルプではないということだ。だとしたら奢ってもらっておいてアレだけれど、やっぱり断るしかないかもしれない。

「ま、それも冗談だけどな」

 そう諒さんが言った途端にお店の入り口のカウベルが鳴った。

ばらいまただいまぁ」

「あ、たかさん、こんにちは」

 諒さんと同じ-P.S.Y-に所属しているベーシストの水沢貴之さんだ。貴さんは涼子さんの旦那さんで、諒さんと違って口調も荒くないし、とても気さくな人だ。

「おー、夕衣ー」

 ば、と手を広げて近付いてくる。貴さんのことは勿論好きだけれど、困るのは私に会うとすぐにハグしようとすること。行かないから別に良いんだけれど、何だか恥ずかしい。

「寄るな」

「何故……」

 今日は莉徒がブロックしてくれた。

「オレのだから」

 えっへん、とない胸を張って莉徒は威張った。

「あんたのじゃないし」

「ええい鬱陶しい、おめーはちっとあっち行ってろ」

 しばし私たちのやり取りを見ていた諒さんがしびれを切らせて声を高くした。

「だってよ、夕衣。あっちでおっちゃんといちゃこらしようぜ」

 私の肩に手を置いて貴さんは言った。貴さんがこういうことをできるのは何故だか私だけみたいで、私はあまりこういうことというか、男性に触れられることに慣れていないので、されるたびに身を硬くしてしまう。

「夕衣は置いてけ!」

「ちぇー」

 貴さんは私から離れるとカウンター席に座った。どうやら涼子さんに頼まれて両替に行っていたようだった。貴さんは小さなバッグを涼子さんに手渡して、煙草に火を点ける。

「涼子さん、拙者モカを所望いたす」

「はぁい」

 涼子さんが嬉しそうに返事をする。この二人は本当に見ていて羨ましいな、と思ってしまう。お互いの鼓動も呼吸のリズムも違う他人同士だったはずなのに、一緒にいるだけで二人の空気感というか、場というものを作り上げてしまう。優しくて、和やかで、とても穏やかな場。わたしもいつかちゃんとこんな風になれるのだろうか、とつい不安になってしまう。

「でぇ!こっちの話なんだけどぉ!」

「あぁ、はいはい」

 しびれを切らせた上に待たされた諒さんが更に声を高くした。

「ちょ、おま、何その聞く気ねぇ感じ……」

「冗談ですってば。ヘルプなんでしょ?諒さんからってことは何かデビューする人のバックとか?」

 いきなり本題を切り出してきた。諒さんからのヘルプ要請、というのがそもそもおかしな話だ。わたしや莉徒はバンド以外でも弾き語りやユニットで小さなライブに出たことがあったし、どうしても女性のギターが必要だ、と言われて他のバンドやユニットを手伝ったことは何度かあった。けれど、プロのミュージシャンから、ただの素人にヘルプ要請、なんていうのは少し考えれば変だということはすぐに判る。莉徒が言うようにデビューを控えた新人歌手のバックで演奏するのだとしても、わたし達に頼むよりももっと確実で適切な人達がいるはずだから。

「や、前座」

「は?」

「前座やってくれって言われてな。今風に言うとオープニングアクトっつーの?オレらが出るっつったんだけど、-P.S.Y-なんか前座に使えねぇ、って逆に断られたんだよ」

「どんなナマイキなヤツなのよ」

 わたしも瞬間的にそう思った。-P.S.Y-は日本国内ではそれほど大人気、という訳ではないけれど、バンド者であれば知らない人はいないだろうし、海外での評価も高いロックバンドだ。そんな-P.S.Y-を前座にするというだけでも箔が付くはずなのに。

「や、逆だ、逆」

「え?」

 人差し指と親指でLの字の形を作ってくるり、と手首を返しながら貴さんが言った。

「-P.S.Y-を前座なんかで使ったら後で何を言われるか判ったもんじゃない、つー訳」

 わたしのたった一言の疑問にそう付け足して説明してくれた。

「つーか何?貴さんも知ってんの?」

「当たり前じゃん」

 -P.S.Y-はかつて諒さんと貴さんが所属していたバンド、The Guardian's Blueガーディアンズブルーが所属していた音楽事務所であるSounpsyzerサウンサイザー k.k.という音楽事務所から独立してGRAMという音楽芸能事務所とオリジナルレーベルを立ち上げた。今は-P.S.Y-のリーダーである諒さんが社長として営業しているので、副社長である貴さんがそれを知っていても何ら不思議はない。

「で、じゃあ-P.S.Y-がまずいってんなら、個人的に世話になったことがあるオレと貴は出て、あとヘルプで女子二人くらい入れるか、っつー話になったんだよ」

 なるほど。リズム隊がプロの人達ならば、ギターや歌はわたしや莉徒くらいのレベルならそれなりにも聞けるし、かといって飛びぬけて巧い訳でもないので、バランスが良くなる、と考えたのかもしれない。

「へぇ。そのメインのアーティストがメジャーデビューするってこと?」

「いや復活」

 莉徒の疑問に諒さんが首を横に振ると、貴さんが答えた。

「お前らsty-xステュクスってバンド知ってっか?」

「あー、確かG'sジーズ Blueが全盛期くらいの時結構盛り上がってた女バンドだよね」

 わたしも名前だけは聞いたことがある。当時はまだ女性がロックをやるという事例が少なくて、HR/HMハードロック/ヘヴィメタル系のsty-xとポップロックのPrecious Tearsプレシオスティアーズという二組の女性バンドが女性ロッカーを牽引していたような時代だったらしい。わたしたちが今好き勝手に、臆面もなく、気兼ねもなく、自由にステージに立てるようになったこと、女性バンドが注目されて人気が出てきたことの根底には、この二組のバンドが文字通り、血の滲むような努力をしてきたことが確実にあるのだとどこかの音楽雑誌で読んだことがあった。だけれど、それもメディアの話なのでわたしは話半分だと思っている。ともあれ言うなればsty-xは女性ロックの女帝のような存在だ。どちらも今は解散してしまったけれど、今でもこの二バンドをリスペクトしてコピーをやるバンドは多い。そのうちの一つ、sty-xが復活となれば、結構な騒ぎになるような気はするし、それこそ-P.S.Y-が前座をやっても良いほどなのではないのだろうか。

「や、全盛期だったのはG's Blueが結成される前だな」

 G's Blueというのは貴さんと諒さんが-P.S.Y-の結成前に所属していた超メジャーバンドThe Guardian's Blueの略称だ。バンドブームの後に、もう一度ブームを起こしたほどの凄いバンドだったらしい。そのG's Blueの解散からリズム隊の貴さんと諒さんが-P.S.Y-を結成して、残るギタリスト二人がThe Guardian's Knightガーディアンズナイトというバンドを結成した。The Guardian's BlueとThe Gurdian's Knight、そして-P.S.Y-の三つのバンドは総称としてG's系と呼ばれることが多く、G's系の中でもどのバンドが好きかによって派閥も分かれるのだそうだ。

「へぇ。復活するんだ。何回か動画は見たことあるけどすっごい巧いんだよね」

 わたしもsty-xの動画は見たことがある。sty-xはHR/HM系だったので、衣装もメイクも当時独特のどぎつい物が多く、まだあまり激しい音楽に触れていなかった私は、動画を見た時はあまり興味を惹かれなかったのだけれど。

「結構年齢行ってません?」

「行ってるな。おれらよか七、八歳上だけど、みんな若々しいよ」

 となるとわたしの親くらいの年齢か。そんな年になってもまたバンドを復活させてやろうっていう気持ちがなんだか凄い。

「会ったことあるんだ」

「あぁ。G'sん時は二期だったっけ?」

「三期」

「三期か。一応初代メンバーも全員顔見知りだけど」

 良く判らないけれど、何度か活動休止をしていた、とかなのだろうか。

「何なんですか?二期とか三期とか」

「第一期が初期メンバー。そこからギタリストが抜けて、二代目ギタリストを入れて第二期がスタート。で、今度はボーカルが抜けて、二代目ボーカルを入れて第三期」

「三期は泣かず飛ばずであっという間に終わっちゃったなー」

 諒さんが説明してくれて、貴さんが懐かしむように目を閉じた。

「まぁもうロックが下火だった時代だしな」

「G'sが終わったのもその翌年だしな」

 ははは、と目を開けて貴さんは苦笑した。今でもロックは下火だと思う。今メディアで取り上げられている物はロックではないし、だんだんとヒップホップの日本アレンジとでも言うのか、テクノサウンドにラップを乗せたり、バンドサウンドにラップをのせたり、というものが主流になってきている。ちゃんと、本当にロックをやっていて評価されているのは-P.S.Y-とG's Knightくらいのものではないかと思ってしまうほど、今の音楽シーンは本当に様々なジャンルで溢れている。

「なるほど」

「でもオレらもそうだけど、彼女らもずっと音楽の仕事は続けててさ、今回一八年ぶりの第一期メンバーで復活、ってことになったらしいんだよ」

 有名なバンドにいた誰それがプロデュース側に回ったり、新進気鋭のアーティストのバックバンドに付いたり、という話は珍しくはない。諒さん達も私が大好きなシンガーのバックバンドをしていたこともあったし。

「でも一八年ぶりって凄いですね」

 一八年前というとわたしや莉徒が生まれた年だ。

「sty-xってもう女バンドとか女ロックの女王だからな。ネームバリューもあるし、多分復活に関しては諸手を挙げて喜んでる連中がいっぱいいると思うぜ」

「だよねぇ。私もロジャアレが復活してくれたらめっちゃ嬉しいし」

 莉徒が言ったロジャアレというのはROGER AND ALEXロジャーアンドアレックスという女性ボーカルのバンドだ。ポップロックとパンクロックを上手に融合させたような可愛いけれどタイトな音楽をやるバンドだった。わたしもROGER AND ALEXは結構好きで何曲もコピーはしたし、今でも聴いている。sty-xやPrecious Tearsが解散してから頭角を現してきたバンドだったはずだ。ロック系のバンドとして女性アーティストが歌ったバンドとしては、世代は違えどsty-x、Precious Tearsに次いで有名なバンドだ。

「ファンは初期メンバーが一番良かったってのが多いからな。おれらもそうだし」

 海外のバンドではメンバーが入れ替わる、ということは良くあることだけれど、日本のバンドではあまり見られない。そういうことに関しても、先駆者的な働きをしていたのだろう。

「ファンだったんだ」

「うん、すげぇ好きだったわー。みんなステージ用のメイク落すと綺麗だったしなぁ。今でも綺麗だけど」

 うんうん、と頷きながら貴さんは煙草をもみ消した。本当に好きだったんだろうことが伝わってくる。

「でもあのルックス以外でメディアに出ることもなかったんだよな」

「え、綺麗なのに?」

 今で言うところのギャップでも人気は取れたのではないか、と思う。今はDVDでの特典映像等にあるバンドメンバーのオフショットや、オーディオコメンタリーなどで、メンバーの素の性格が判るような演出をしているバンドが殆どだ。

「綺麗だから、じゃないかな。あの時代は女性がロックをやるってこと自体がまだまだ珍しい時代だったから」

「嫌がらせとかあったんでしょ、色々」

 そういうことか。恐らく当初から薄れていたであろう男尊女卑の精神というのは、今でも実は根深く残っているところには残っている。それが一八年前なら尚のことで、素顔は隠しておいた方が良い、という判断だったのだのかもしれない。

「あー、あったみたいだな」

「それでもそういう体制には突っ張っててカッコ良かったなぁ」

 貴さんは完全に回想モードに入ってしまったようだった。

「で、話戻すけど、要するに諒さんと貴さんとわたしらで組んで、sty-xの前座に出るってこと?」

 そうだ。つまるところ、諒さんの依頼というのはそういうことなのだろう。

「んだ」

「ちょっととんでもないんだけど、それ」

 去年の夏休み、のっぴきならない事情と、なし崩し的なイキオイで、わたしと莉徒は諒さんとバンドを組んだことがあったけれど、それとこれとは状況が違う。

「そうかぁ?お前らならいけんだろ」

「私らただの学生バンドだよ。プロの前で、プロのステージで演奏なんてできる訳ないじゃん」

 去年の夏休みに中央公園で行われたライブイベントに私達はなし崩しに出演した。その時にもプロという立場の人は何組かいた。-P.S.Y-を除けばあまり有名なバンドはいなかったし、何よりあの時はとんでもない忙しさだったので、ゆっくり考えている時間もなかった。しかし今回はあまりにも状況が違いすぎる。

「お前……」

「おれらも一応プロなんだけれども」

 貴さんが回想モードから抜け出たのか、そう言って笑った。

「や、そらそうだけど、それは夕香さんとか涼子さんとかとの繋がりがあってのことじゃん。夕香さんとも涼子さんとも知り合わないで-P.S.Y-の谷崎諒と水沢貴之の前で演奏しろっつったらできないって」

 莉徒にしては弱気な発言だと思うけれど、それは恐らく、わたしのためだ。

「やー、おれらもネットで密かにオリジナルの曲が広まるような才能は持ち合わせてないしなぁ」

「何せオリジナルのディーヴァだぜ」

「ちょ……」

 にやにや顔で諒さんと貴さんがわたしを見る。色々な、様々な事情があって、一時期昔作ったわたしのオリジナル曲がこのあたりで広まってしまっていた。わたしの全然知らないところで噂になっていて、わたしのことを知らない人達はその、わたしの曲をオリジナルとしたカバーをするアーティストも、わたしも、ディーヴァとあだ名されていたらしいことを去年知った。

「大体おめーら一回オレとは組んでんじゃねぇか」

 去年の夏のイベントのことだ。イベントで急遽バンドが足りなくなって、その時にわたし達に白羽の矢が立った。わたし達もメンバーが足りなくて、その時にアルバイトを一緒にしていたメンバーと、無理矢理諒さんを引っ張り出して、何とかステージをこなした。

「あれはなし崩」

 そう莉徒が諒さんに返す。あの時は何もかもが切羽詰っていて、本当に色々と考えを巡らせる余裕がなかった。

「違うね。莉徒がオレを引っ張り出したんだ」

「う、ま、まぁそうか……」

 そ、そういえばそうだった。そのステージに立つことを決めたのはわたし達自身だった。どうしてもドラマーが見つからなくて、莉徒が諒さんを引っ張り出したんだ。

「つーかいいじゃん。おれお前らとやりたい」

「そういう殺し文句を軽々と使わないで!」

 か、と赤くなって莉徒が言う。とてもありがたい話だけれど、問題は立つ場所なのだ、と思う。

「えー、だってマジだし。なぁ」

「おー、マジ」

 諒さんのドラム、貴さんのベースでギターを弾いて唄ってみたいという気持ちはもちろんある。こんな機会、多分二度とないかもしれない。プロの、それも第一線級の人達と一緒に組んで演奏できるなんて。

「どうする夕衣」

「え、と……」

 恐らく莉徒はわたしが断ると思っているのかもしれない。でも、と思う。

「えと、諒さんと貴さんがわたし達のこと買ってくれるのはホントに、凄く嬉しいです。でも、諒さん達が思っているほどわたし達はきっと巧くないです。貴さん達が思っているような演奏はきっとできないと思います。……それでイラついたり、呆れたり、もしかしたら本番で二人が大恥をかくことになるかもしれないです。……それでもわたし達を使いたい、って思いますか?」

 わたしと莉徒の覚悟。そして諒さんと貴さんの覚悟。きっと全員の覚悟が必要なんだ。素人を使うプロの人達の覚悟、プロの人達とやるというわたし達の覚悟。そういう足並みが揃わなかったらきっと続けていけない気がする。

「……諒ちゃんや、夕衣さんってすっげぇいい女だと思わん?」

 貴さんがもう一本煙草に火をつけて言った。

「おぉー、シビれちゃうね。英介にはもったいねぇぜ」

「ちょ……ちゃんと答えてよ」

 別にふざけている訳ではないと思う。笑顔だけれど、目が真剣だとわたしには思えた。

「いい年こいた大の大人が冗談半分でどこのウマのホネとも判んねぇ女子高生だか女子大生をとっ捕まえてジョーダンです、なんて言う訳ゃねぇだろ。こっちはハナから本気だっつーの」

 恐らく最初からそうなんだろうという気はした。初めからきっと覚悟はしているのだろう。そこに応えられるかどうかは本当にわたし達次第だ。

「確かにおれや諒が思ってるほどの腕はないのかもしれないけどさ、君ら自分で言うほど自分のこと判ってないと思うぜ」

 自信がない、と言い続けているだけでは前には進めない。きっと貴さんはそういうことを言っているのだと思う。自分の持つ可能性を自分で潰してはいけないとわたしも思う。わたしはプロになりたい訳ではないけれど、わたしがわたしである一つの大きな理由でもある音楽には、後ろ向きな姿勢ではいたくない。

「ま、確かに自分で自分のこと百パー判ってる人間なんていないんだし、それが外野なら尚更よね」

「そういうこった」

 いつもの莉徒らしくなってきた。にやりとずるい笑顔になって、プロのミュージシャンだろうと上から見下ろすような物の言い方。こういう時の莉徒は誰にも止められない。

「つまりよ」

 諒さんの煙草を勝手に一本取り出して、火を点けた。

「ん」

 大きく吸って、白い煙を吐き出す。とん、とそれを灰皿に置いて。

「いい年こいた大の大人が、吐いた唾飲まんとけよ、っつーことでOK?」

「……」

 一瞬呆然とする大人二人。

「いやいや、莉徒も大した女だぜ」

「だなぁ」

「あったりまえでしょ」

 ない胸を張って莉徒は自慢げに頷いた。それでこそわたしの親友だ。

「おっし、じゃあ今日からおれらは家族だ」

「OK、夕衣、いいわね」

「うん!」

 わたしも大きく頷く。相手にとって不足はないどころかおつりが来てしまうほどだけれど、それでも精一杯やってみようと思う。ロック界に置いて、きっと私が思うところの最強の二人だ。でもわたしと莉徒のコンビだって捨てたものじゃない。ありがたいことに諒さんも貴さんもわたし達のステージには何度も足を運んでくれた。だからこそ、そこを判ってわたし達二人に声をかけてくれたんだって思うし。

「……あんた変わったわねぇ」

 あっという間に諒さんに煙草を奪われて消された莉徒がわたしに言って来た。こうなったのも全部莉徒の影響なんだけれど……。とは口には出さない。

「もしかして英介とやっちゃっちゃ?」

「……」

 ぎろり、と音がするくらいの勢いで諒さんを睨みつける。

「ひぃ!」

「今の夕衣にその手の話題はタブーよ、諒さん」

「まじでか」

「私でもよー言えないから」

 まったく莉徒の言う通りだ。普通のカップルが付き合い始めて何日でそこまで辿り着くのか判らないし、きっと統計を取ってもばらばらなんだと思う。それにわたしと英介には付き合い始めてから今に至るまでの時間と、きちんと付き合った時間にはギャップがある。付き合い始めて半年も何もないとなると異常なのかもしれないけれど、一月ちょっとなら異常ではないと思う。たぶんぜったいおそらくきっと。

「とにかく!これから宜しくお願いします!」

 今はそんなことを考えている場合ではない。これから確実に忙しくなるんだからそっちに集中しなくてはならない。わたしは立ち上がって諒さんと貴さんに頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ」

「じゃ私らこれから個人練習だから、二人に付き合ってもらうとしようか」

「あ?」

 なるほど。それは良い考えだ。

「レッスンしてよ、色々と」

「い、色々?」

 手をにぎにぎわきわきしながら諒さんが言った。

「ばかじゃないの?」

「夕衣、莉徒が怖い」

「諒さんが悪いです」

 莉徒にセクハラは通用しない。こういう人はきっとわたしみたいに猥談に疎い人間に、そういう話を聞かせて恥ずかしがったりするのを見て楽しんだりする困ったセイヘキの人だ。莉徒はそういう点では経験豊富だし、この程度の猥談ではびくともしない。逆に莉徒がわたしにそういうセクハラをすることがあるくらいだ。この程度ならばいくら諒さんでも返り討ちに遭ってしまう。

「んじゃまぁともかく、お供しますか」

 ぱん、と膝を叩いてから、貴さんは煙草の火を消すと立ち上がった。

「晩飯は貴が奢れよ」

「まぁそんくらいはね」

 諒さんにコーヒーとケーキをご馳走になって、そのうえ晩御飯までご馳走になるなんて少し悪い気がする。

「あとスタジオ代もな」

「えー、確実におれのが高くつくじゃんか」

「けちけちすんなよ」

 まったく大の大人がよぉ、なんて言っているけれど、諒さんもさっきわたし達に奢ると言った時にお財布の中を確認していた。

「スタジオはお前んちなんだからお前が出せ」

「家屋は別だがまぁどうしてもってんなら夕香に言ってくれ」

「じゃあおれが出す」

「弱っ」

 夕香さんの名前が出た途端に貴さんが折れた。びっくりするくらい折れるのが早すぎる。莉徒が思わず言ってしまったのにも頷ける。

「お前ね、夕香大明神に勝てる人間なんかこの世で涼子ちゃんだけだぞ」

 諒さんが苦笑する。

「……確かにそれは判る気がする」

 それには何となく納得できてしまう。何と言うか、莉徒も大人になったらあんな、夕香さんのような女性になるような気がしてならない。

「そんなことないわよ。もうそろそろ時間でしょ?車回してきたら?」

 涼子さんが柔らかい微笑でそう言った。あぁーやっぱり素敵な人だな。こんな風になれたらいいな。

「おー、そうだな。んじゃちょっと待っててな」

 貴さんはそう言って、残ったモカを一気に飲むとお店を出て行った。コーヒーとケーキをご馳走してもらって、練習まで見てもらえて、挙句車で送迎だなんて、どんな待遇なのだろうか。少なくとも学生バンドをやっている小娘の待遇ではないことは確かだ。

「なんかえらい待遇ね」

「学生のバンドとはちょっと違うだろ。ギャラも出るし、言っちまえば、ギャラもらって演奏すんだからプロの仕事だ」

「それもそっか。ま、そうは言っても実際やることは去年の夏と変わらない訳だし」

 あの時は本当に他のことに構っていられないほど集中していた。要するにもう一度あれをやれば良い訳だ。……そう簡単にできることではないけれど。でも今回は準備期間がある。

「そういうこった。まぁよろしく頼むぜ」

「こちらこそ」

 大学一年の春は本当に大変な春になりそうだ。でも大学一年生の春から莉徒と一緒に音楽をやれるのはわたしにとってはとても嬉しい。莉徒も言ってくれていたことだけれど、わたしはよぼよぼのおばあちゃんになっても、ずっと莉徒と一緒に音楽をやりたいって思っているから。さし当たって一九歳になる年の春は、私見だけれど日本最強のリズム隊と、莉徒と一緒にとんでもないライブができそうだ。一生忘れられない思い出になるだろうし、一生忘れない思い出にしたい。後悔しないためにもやっぱり覚悟は決めなくちゃならないんだ。

 わたしは密かにそう自分の胸の中で決意をした。


 01:シュークリーム 終り

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