第2話 意外性というのは意外だからこそ刺さるというものである
「んん……あ~……頭も体もいてぇ……」
いつの間にか机の上に突っ伏して寝ていたことによる体の痛みと、二日酔いによる頭痛が俺を襲う。
テレビは時間設定で消えており、カーテンの隙間から覗く太陽の光が俺を照らす。
……あちぃな……。
季節は夏真っ盛り。最高気温は三十度越えが続いていた。
俺は机の上に転がっているビールの缶をシンクに持っていき、蛇口をひねって水を出す。
きもちえぇなぁ~。生き返るんじゃぁ~。
蛇口から出る冷水から生命力を補給し、ビールの缶をゆすいでいる時に、気が付いたが、この思わず体がとろけるようなそんな暑さに俺の身体は耐えきれず、大量の汗を滲(にじ)ませていた。
うわぁ……最悪だ……。そういや昨日風呂入ってないじゃん……。
俺は手を拭いて、自身の身体と一体化した服を脱ぎ……。
服を脱(ぬ)ぎ……。
んなあぁああああああッ! なんで夏の暑い日に限って服がすぐに脱げないんだッ!!
俺は心の中で叫び、腕を上にあげ、洋服を脱ごうとしている状態のまま、脱衣所へと向かっていった。
―――机の上に置いておいた携帯の画面に、一通の通知が来たことに気が付かずに。
★☆★
積み上げられた書類に囲まれたデスクでは、自身の顔を照らすモニターと、手元にある資料を交互に見て何やら作業している人がほとんどだ。
行き交う人々は常にだれかと電話しているか、書類を抱えて足早に駆けていく者たちで、立ち止まって話に華を咲かせている人は一人もいない。
ここは、株式会社バーチャルファンタジア。略してVFなど言われることもある、最大手Vtuber事務所のうちの一つだ。
今や世間では、今一番入社したい企業のランキングにも乗るほど有名になった事務所だが、実際に入社すると自身のイメージと大きくかけ離れた現実に、辞めていく者も少なくない。
かくいう私(・)も何度辞めようと思ったかはわからない。
世間のイメージではキラキラした職場だと思われていることは理解している。
それも、この会社に所属するVtuberが毎日楽しそうに配信をしている様を身近に見ているからだろう。
それもあながち間違いではない。
正直、担当する配信者が楽しそうにしているとこちらも楽しい気持ちになるし、登録者が増えるとこちらも自分自身のように嬉しくなる。
だが、現実は非情である。
今や最大手Vtuber事務所と呼ばれた我が会社には総勢数百名のVtuberが在籍している。
それに比べて担当するマネージャーの数は数十名。
少なくとも一人当たり数名のライバーを管理しなくてはならないのだ。
これが皆がみんな同じ時間に起きて、同じ時間に出勤して、同じ時間に帰宅し、同じ時間に寝るのならば管理するのは難しくはないだろう。
だが、配信者の管理ともなると途端に管理の難易度が跳ね上がる。
それぞれが違う時間に起床し、それぞれが違う時間に配信をして、それぞれが違う時間に就寝する。
それらをすべて管理しなければいけないのだ。
だが業務はもちろんそれだけではない。
担当する配信者が使用した経費や必要な機材などの事務処理業務。
他企業からのコラボ打診や、案件などの管理。
担当配信者の日々のメンタル管理。
公式案件の立案、管理、実行など。
ここまで上げたものだけでも
これを聞いた人は寸分たがわず同じことを言っていた。
「それって寝る時間あるの?」
答えは簡単だ。
あるわけないだろ馬鹿野郎。
どう考えても自分の時間などなく、わずかな睡眠中に起こされることも多々ある。
規則で事務所で寝ることは許されないため、家から会社までの移動の際もタクシーを使い、一時たりとも時間を無駄にしない。
そんなことが年中毎日続くそんな仕事。
みなさんどうですか?
えぇ、みなさんそうおっしゃいますよ。
「でも好きなことだから余裕でしょ」って。
そんなわけないだろ馬鹿野郎。
精神はすり減り、自身のためにお金を使う暇もなく、土日や祝日の概念など存在しない配信者の管理が楽なわけがないだろう。
先も言ったが、楽しくないわけではないが、それが辛くないに繋がらないわけではない。
「はぁ~……」
私がため息を吐くと、後ろを通りがかった女性の肩がビクッと震え、持っていた書類をバラバラと落とすのが見えた。
そんなに私って怖いのかなぁ……。
私は再び小さくため息をついて、後ろでバラバラになった書類をかき集める女性に声をかける。
「……ごめんね、手伝うよ」
「いっ、いえっ! すみません、藍原(あいはら)主任(・・)……私の不手際で……」
「気にしないでいいわよ。……あら、これって……」
私は女性が落とした書類を見て、そういえばあの時期だったと思い出した。
普段でも死ぬほど―――死人が出た経歴はまだないが、それほどまでに忙しいVtuberが最も忙しい時期とはいつだと思う?
企業案件? —――違う。
公式番組? —――それも違う。
最も忙しい時期……それが、
毎年夏と冬に一回ずつ行われる新人Vtuberオーディションは、特に事務所が忙しくなる。
あぁ、だからこんなにも慌(あわ)てる人がいたのだと、今更ながらに思い出す。
株式会社バーチャルファンタジアが行う新人Vtuberオーディションには、毎回数十万もの応募が来る。
それもそのはず、今や我が企業が誇るトップVtuberのチャンネル登録者数は既に数百万人規模まで及ぶ。
それに比べたら数十万など、と思うかもしれない。
勘のいい人なら気づくだろうが、オーディションの応募者の確認。
もちろんこれも業務の一環だ。
さて、では問題だ。
このオーディション応募者の確認業務が行われる際、他の業務はおろそかにしてもいいか否か。
答えは簡単だったな。
そう、他の業務を遂行しつつ、オーディション応募者の確認もしなくてはならない。
えっ、ここ地獄?
私は気が付かないうちに死んでしまっているのかもしれないな……はは。
「……主任? ……藍原主任?」
「……ん? あ、あぁ! すまなかったな。……そうだ、半分確認を手伝おうか?」
「いえいえっ! そんなわけにはっ!」
「いいさ、気にするな。若いんだから無理はするんじゃないぞ」
私は半ば無理やり女の子―――新人社員の飯野芽衣(いいのめい)の持つ書類を受け取る。
飯野は私に深々とお辞儀をして急ぐように立ち去っていく。
あぁ、またやってしまった。
私は自身の手元にある書類を見て少しうなだれる。
これは癖(くせ)なのだが、どうやら私は困っている人を見たら無理やり仕事を奪ってしまうらしい。
そのせいか、他の部署の人には業務ホイホイとまで呼ばれてしまっている。
なんだ業務ホイホイって、思い出したせいで嫌な生物まで頭に思い浮かべてしまったじゃないか!
まぁ、それが原因で昇格していき今の地位になったのだから悪いことばかりではなかったが。
はぁ~、とりあえずこれ終わらせるか……。
私は飯野から
この書類は飯野さんがネットから応募があった人をまとめて印刷してくれたもので、紙媒体で見ることができるのでモニターと違って目が疲れなくて助かっている。
さて、今回は面白い人はいるだろうか。
私はそう思いながらも書類を確認していく。
―――――――――――――――――
氏名:五利(ごり) らら
年齢:18
性別:女性
応募したきっかけ:推しがいるから!
趣味:配信を見ること!
特技:リンゴが割れます!
生配信の経験:なし
自己PR:入ったら(中略)頑張りたいです!
―――――――――――――――――
これは不採用ね。
推しがいるのは良いことだけど、自己PRがありきたりすぎて平凡。
リンゴが割れるVtuberは既に多くいるし、Vtuberとしては個性が薄すぎるわね……。
私は再びため息を吐く。
そう、これから数万人も同じような文面が続くのは正直かなりキツイ。
だがそれも業務だからと言い聞かせるように次の人の応募を確認する。
―――――――――――――――――
氏名:市旬(ししゅん) きい
年齢:15
性別:不詳
応募したきっかけ:女の子にもてたい
趣味:とくにないです
特技:すぐに寝れること
生配信の経験:なし
自己PR:受かったらがんばりたいです
―――――――――――――――――
だあぁぁぁ~~~。
どうしてこういう人ばかりなのだろうか。
趣味も特技も配信に生かすことができない上に、きっかけが不純だ……。
もちろんきっかけは何でもいいとは思うけど、これを採用側が見たら入社後に問題を起こす可能性があるから採用するわけがないのだから隠したらいいと思うのだが……。
やっぱりこんなもんなのかなぁ。
私は次の書類に目を通す。
―――――――――――――――――
氏名:麻沼(あさぬま) 啓(けい)
年齢:21
性別:男性
応募したきっかけ:俺が一番かっこいいから!!
趣味:毎日三回は鏡を見ること
特技:街を歩くと大体振り向かれる。あと声がめちゃくちゃかっこいい。絶対聞いたほうがいいです。人生の半分どころか全部損してます。間違いなく声はいいです。
生配信の経験:なし
自己PR:語るにはここは短し!
―――――――――――――――――
「……ふっ」
私が思わず吹き出すように笑ったところ、周囲ではわずかなざわめきが起きた。
「……今の聞いたか? あの笑わない鉄仮面こと藍原主任が笑ったぞ……!?」
「あぁ、聞いた……あんな風に笑えるんだなあの人……てっきりロボットかと思ってたぞ」
「えっ、藍原主任の笑った顔初めて見たっ、めちゃめちゃ可愛くなかったっ!?」
「わかるっ! あの冷たいクールな感じもいいけど笑った顔がかわいくて……はぁん」
なにか面白いことでも起こったのかしら?
てっきり私の笑い声が変だったのかと思ったじゃない。
……でも、この人はちょっと面白いかも?
私は再び手元の応募者の書類に目を通す。
Vtuberの応募では顔面の良(よ)し悪(あ)しなど関係がないのに顔面偏差値の高さを自ら言う人は今までいただろうか?
それに、自己PRも多くは語らず会って色々話したいという採用者の心を刺激する一文のみ。
加えて配信者としても必要な声についてのアピールも欠かさない隙のなさ。
応募のきっかけも理解不能。
だけど。
私は机の上に置いてある自分が初めて担当したVtuberの写真が入っている写真立てを見つめる。
そのVtuberの志望動機を思い出して、再び私は微笑んだ。
そうして席を立ち、私は先ほどの女の子―――飯野芽衣に一枚の書類を手渡しに行く。
「飯野さん、この人私が面接するから一次選考通過のメール送ってもらえるかしら?」
「えっ!? 藍原主任自らがですか!? わ、わかりましたっ!」
「ありがとう、それじゃよろしくね」
「は、はいっ!」
その言葉を聞いて、私は再び席に着く。
そしていまだに残るその応募書類を見て―――。
「はぁぁぁ~~~~~~」
今日一で長い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。
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