49 レオの告白
回廊を走っているところを老神官に叱責され、
祭典で人々が出払った聖職者居住区は、小鳥ののどかな鳴き声だけが聞こえる。
「はあ……やっと着いた」
館を見てホッとする。
「ご苦労様。でも、今日は祭典よ? 神殿の丘の敷地でも、ラデウムの街でもパーティーをやっているし、今日ぐらい何もしないで出かけていらっしゃいな。なんなら、あたしが代わるわ」
「めっそうもございません、代わっていただくなどと。それにノア様、お客様がお待ちですよ」
「お客さん?」
「ええ、お茶を入れてくれるだけでいい、外してくれ、と仰せでしたので、ここへ水やりに来たのですが……」
嫌な予感がする。
ノアが回れ右して館に背を向けたとき、静かな声が背中に刺さった。
「どこへ行く? 客の相手もしてくれないとは、つれないな」
聞き覚えのある低い、穏やかな声。
ノアは、おそるおそる振り返る。
「あー……レオ、久しぶり……」
「そうだな。久しぶりだな。久しぶりついでに庭でも案内してもらおうか」
玄関扉の前に、いつ着替えたのか、シャツに乗馬用のパンツというラフな格好のレオが立っていた。
◇
「……傷はもういいの?」
「ああ、問題ない」
そう答えるレオは、本当に元気そうだった。顔色もよく、褐色の
その双眸が、立ち止まったノアを不思議そうに眺めた。
「ノア?」
「あの……助けてくれて、ほんとうにありがとう」
ノアは深く頭を下げる。
「あのときレオがかばってくれなかったら、あたしは大怪我して、今日、人々の前で祝福の竪琴を奏でることもできなかったわ。本当はもっと早く御礼を言いたかったんだけど……」
「あのぐらいの傷、どうということはない。マルコスが速攻宿まで運んでくれたから失血も抑えられたし、トレス殿の応急処置もよかったからな。治りは早かった」
「そ、それならよかったけど……」
「礼を言いたかったわりには、さっき逃げようとしたな?」
う、とノアは言葉に詰まる。
――アルに言われたようなことをレオにも言われたら困る。
だからレオと面と向かって話すのが怖かった。
会って話したら――心が揺さぶられてしまうから。
「ご、ごめんなさい」
ひたすら謝ることしかできない。
「言いたいことはそれだけか?」
え、とレオを見上げた瞬間、
「あの時、人間の姿に戻れたら……おまえを抱きしめたいと思っていたんだ」
レオの腕は強く、しかし優しく、ノアの華奢な身体を確かめるように抱きしめてくる。
(うううー、ほらーもうー揺れるじゃんっ。そんなこと言わないでほしいー……)
ノアはたまらなくてレオの胸を押し返そうとするが、硬い胸板はびくともしない。
「離さない」
「あっ、あのね、レオ」
ちゃんと自分の決意を伝えなくては、と思って見上げたレオの瞳に、ノアは言葉を呑みこむ。
その澄んだ宝玉のような紫色の双眸は、たとえようもなく切なげで――ノアはきゅう、と胸が締め付けられた。
「……言うな」
微かに呟いた瞬間、温かい唇がノアの唇をふさいだ。
そのまま優しく唇を溶かすようにして入ってくるレオを、ノアはされるままに受け入れた。
「……わかってる」
長い口づけの後、レオは再びノアを抱きしめて言った。
「聖女称号を返上して、巡回聖職者として世界を巡るそうだな。大神官たちに聞いた」
「うん……」
「わかってるが、言わせてくれ」
レオはわずかに腕をゆるめ、ノアを見つめた。
「俺の妃として、モームへ来る気はないか?」
「レオ……」
「最初、会ったときに言ったよな。妃として来てくれたら、生涯かけて愛し、大切にすると。あの言葉に嘘偽りはない。あの時のような打算もない。愛する女人としてノアを迎えたい。妃として、一緒に来てほしい」
「…………!」
ノアは、レオの胸に頬を寄せる。心臓の音が聞こえる。レオが、勇気を出して言ってくれていることが伝わってきて、息をするのが苦しいくらい胸が痛い。
でも、伝えなくては。
「……ごめん、レオ」
ふ、と腕の力が緩んだ。
「あたし、一緒に行けないよ。だって……竪琴を奏でたいから」
ハープ教室の帰りに車に轢かれて、転生して、この世界へ聖女として再誕した、その意味。
人の運命や
「昔、あたしと同じ世界から流れてきた人が、ハープ――竪琴と楽譜をこの世界にもたらした。それは呪いとして利用されてしまったけど、転生再誕したあたしがその呪いを解いた。だからあたしは、この世界で竪琴を奏でるの。世界中の人々に、神の教義や神話を歌で聞いてもらいたい。『楽しき我が家』を……聴いてもらいたいの」
レオはノアが話すのをじっと聞いていたが、少し寂しそうに笑って頷いた。
「そうか。そう言うと思っていたが、面と向かって言われるとつらいな?」
「う、ご、ごめん……」
「気にするな。待っている」
「うん……って、え??」
「好きなだけ世界中で竪琴を奏でてくるがよい。で、役目が終わったら戻ってこい。俺は気が短いから、早く戻ってこなければ迎えに行くぞ」
「いや、戻るって……あのね、そういうことではなくて」
「アルに先手を打たれたが、そんなことは問題じゃないしな。おまえは、俺を選ぶだろう?」
精悍秀麗な顔が不適に笑む。ノアはただただ圧倒されて、反撃もできない。またしても美形の圧にやられっぱなしだ。
「さて、そろそろ戻るか。先手を打たれた遅れも取り戻したことだしな」
「へ?」
「館でアルが待っている。一人で茶を飲むなんて嫌だ、待っているとぶつぶつ言っていたから、今頃しびれを切らしているだろう」
「そ、そうなの?! 早く言ってよ、もうっ」
ノアは慌てて、お茶に入れるハーブを摘みはじめた。
◇
「ねえ、レオ。ノアは、僕と君とどちらを選ぶと思う?」
ノアがお茶を入れに厨房へ行っている間、アルが言った。
「さて、どちらかな」
「僕だよ」
「俺だ」
二人は同時に言って、ぷっ、と笑った。
「同じだね」
「同じだな」
「同じ呪いに長年縛られていた者同士だからかな、なんか君には、腹が立つけど……許せてしまうんだ」
「奇遇だな。俺もだ」
「じゃあ、ノアの選ぶ未来についてもきっと同じだね?」
「ああ。たぶんな。たとえノアが俺じゃなく、おまえを選んでも――ノアがそれを決めたなら、俺は心からお前たちを祝福しよう」
アルが、翡翠の瞳を細めてうれしそうに笑った。
「やっぱり。僕も同じこと思ってた」
「なんといっても、呪いを解いてくれた再誕聖女だからな」
「そうだね。きっと、世界中で竪琴を奏でて、人々に喜びを振りまいてくれるだろうね。僕らの呪いを解いてくれたように」
――厨房であたふたとお茶を入れるノアは、二人のこの会話を、知らない。
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