49 レオの告白


 回廊を走っているところを老神官に叱責され、中庭パティオしつらえられた祭典仕様のガーデンパーティーの中を「聖女様! ご一緒にお飲み物など!」「聖女様! 竪琴を今一度お聞かせください!」などの誘いをあわただしく断りつつ人波をかきわけ、ノアは聖職者居住区に戻ってきた。

 祭典で人々が出払った聖職者居住区は、小鳥ののどかな鳴き声だけが聞こえる。


「はあ……やっと着いた」


 館を見てホッとする。前庭まえにわで花壇に水をやっている聖女見習いを見つけ、ノアは声をかけた。


「ご苦労様。でも、今日は祭典よ? 神殿の丘の敷地でも、ラデウムの街でもパーティーをやっているし、今日ぐらい何もしないで出かけていらっしゃいな。なんなら、あたしが代わるわ」

「めっそうもございません、代わっていただくなどと。それにノア様、お客様がお待ちですよ」

「お客さん?」

「ええ、お茶を入れてくれるだけでいい、外してくれ、と仰せでしたので、ここへ水やりに来たのですが……」


 嫌な予感がする。

 ノアが回れ右して館に背を向けたとき、静かな声が背中に刺さった。


「どこへ行く? 客の相手もしてくれないとは、つれないな」


 聞き覚えのある低い、穏やかな声。

 ノアは、おそるおそる振り返る。


「あー……レオ、久しぶり……」

「そうだな。久しぶりだな。久しぶりついでに庭でも案内してもらおうか」


 玄関扉の前に、いつ着替えたのか、シャツに乗馬用のパンツというラフな格好のレオが立っていた。



「……傷はもういいの?」


 うまやの向こうに広がるハーブ園。爽やかな香りの漂う中、様々なハーブを見て歩きながら、ノアが沈黙を破った。


「ああ、問題ない」


 そう答えるレオは、本当に元気そうだった。顔色もよく、褐色のほり深い顔立ちは相変わらず精悍で、紫瞳をいっそう引き立てている。

 その双眸が、立ち止まったノアを不思議そうに眺めた。


「ノア?」

「あの……助けてくれて、ほんとうにありがとう」


 ノアは深く頭を下げる。


「あのときレオがかばってくれなかったら、あたしは大怪我して、今日、人々の前で祝福の竪琴を奏でることもできなかったわ。本当はもっと早く御礼を言いたかったんだけど……」

「あのぐらいの傷、どうということはない。マルコスが速攻宿まで運んでくれたから失血も抑えられたし、トレス殿の応急処置もよかったからな。治りは早かった」

「そ、それならよかったけど……」

「礼を言いたかったわりには、さっき逃げようとしたな?」


 う、とノアは言葉に詰まる。


――アルに言われたようなことをレオにも言われたら困る。


 だからレオと面と向かって話すのが怖かった。

 会って話したら――心が揺さぶられてしまうから。


「ご、ごめんなさい」


 ひたすら謝ることしかできない。


「言いたいことはそれだけか?」


 え、とレオを見上げた瞬間、たくましい胸に言葉ごと閉じこめられた。


「あの時、人間の姿に戻れたら……おまえを抱きしめたいと思っていたんだ」

 レオの腕は強く、しかし優しく、ノアの華奢な身体を確かめるように抱きしめてくる。

(うううー、ほらーもうー揺れるじゃんっ。そんなこと言わないでほしいー……)


 ノアはたまらなくてレオの胸を押し返そうとするが、硬い胸板はびくともしない。


「離さない」

「あっ、あのね、レオ」


 ちゃんと自分の決意を伝えなくては、と思って見上げたレオの瞳に、ノアは言葉を呑みこむ。

 その澄んだ宝玉のような紫色の双眸は、たとえようもなく切なげで――ノアはきゅう、と胸が締め付けられた。


「……言うな」



 微かに呟いた瞬間、温かい唇がノアの唇をふさいだ。

 そのまま優しく唇を溶かすようにして入ってくるレオを、ノアはされるままに受け入れた。



「……わかってる」


 長い口づけの後、レオは再びノアを抱きしめて言った。


「聖女称号を返上して、巡回聖職者として世界を巡るそうだな。大神官たちに聞いた」

「うん……」

「わかってるが、言わせてくれ」


 レオはわずかに腕をゆるめ、ノアを見つめた。


「俺の妃として、モームへ来る気はないか?」

「レオ……」

「最初、会ったときに言ったよな。妃として来てくれたら、生涯かけて愛し、大切にすると。あの言葉に嘘偽りはない。あの時のような打算もない。愛する女人としてノアを迎えたい。妃として、一緒に来てほしい」

「…………!」


 ノアは、レオの胸に頬を寄せる。心臓の音が聞こえる。レオが、勇気を出して言ってくれていることが伝わってきて、息をするのが苦しいくらい胸が痛い。


 でも、伝えなくては。


「……ごめん、レオ」


 ふ、と腕の力が緩んだ。


「あたし、一緒に行けないよ。だって……竪琴を奏でたいから」


 ハープ教室の帰りに車に轢かれて、転生して、この世界へ聖女として再誕した、その意味。


 人の運命やえにしが巡り巡って世界を作っているのだと信じるなら――そしてノアは聖女追放の一件でそう信じるようになったのだが――ノアがこの世界に再誕した意味とやるべきことは、決まっている。


「昔、あたしと同じ世界から流れてきた人が、ハープ――竪琴と楽譜をこの世界にもたらした。それは呪いとして利用されてしまったけど、転生再誕したあたしがその呪いを解いた。だからあたしは、この世界で竪琴を奏でるの。世界中の人々に、神の教義や神話を歌で聞いてもらいたい。『楽しき我が家』を……聴いてもらいたいの」


 レオはノアが話すのをじっと聞いていたが、少し寂しそうに笑って頷いた。


「そうか。そう言うと思っていたが、面と向かって言われるとつらいな?」

「う、ご、ごめん……」

「気にするな。待っている」

「うん……って、え??」

「好きなだけ世界中で竪琴を奏でてくるがよい。で、役目が終わったら戻ってこい。俺は気が短いから、早く戻ってこなければ迎えに行くぞ」

「いや、戻るって……あのね、そういうことではなくて」

「アルに先手を打たれたが、そんなことは問題じゃないしな。おまえは、俺を選ぶだろう?」


 精悍秀麗な顔が不適に笑む。ノアはただただ圧倒されて、反撃もできない。またしても美形の圧にやられっぱなしだ。


「さて、そろそろ戻るか。先手を打たれた遅れも取り戻したことだしな」

「へ?」

「館でアルが待っている。一人で茶を飲むなんて嫌だ、待っているとぶつぶつ言っていたから、今頃しびれを切らしているだろう」

「そ、そうなの?! 早く言ってよ、もうっ」


 ノアは慌てて、お茶に入れるハーブを摘みはじめた。





「ねえ、レオ。ノアは、僕と君とどちらを選ぶと思う?」


 ノアがお茶を入れに厨房へ行っている間、アルが言った。


「さて、どちらかな」

「僕だよ」

「俺だ」


 二人は同時に言って、ぷっ、と笑った。


「同じだね」

「同じだな」

「同じ呪いに長年縛られていた者同士だからかな、なんか君には、腹が立つけど……許せてしまうんだ」

「奇遇だな。俺もだ」

「じゃあ、ノアの選ぶ未来についてもきっと同じだね?」

「ああ。たぶんな。たとえノアが俺じゃなく、おまえを選んでも――ノアがそれを決めたなら、俺は心からお前たちを祝福しよう」


 アルが、翡翠の瞳を細めてうれしそうに笑った。


「やっぱり。僕も同じこと思ってた」

「なんといっても、呪いを解いてくれた再誕聖女だからな」

「そうだね。きっと、世界中で竪琴を奏でて、人々に喜びを振りまいてくれるだろうね。僕らの呪いを解いてくれたように」


――厨房であたふたとお茶を入れるノアは、二人のこの会話を、知らない。

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