48 聖女の選んだ道


――それから一か月後。


 祝賀花火が次々と上がるラデウムは、熱狂と歓声に溢れかえっていた。


 教皇をはじめとする五賢者の一行が、ブランデン王国とモーム王国の立太子の儀式を終え無事に帰国し、それに合わせて延期されていた建国記念祭典がいよいよ開幕となったからだ。


 両国から密かに為されていた、聖女を妃に迎える件にまつわる宣戦布告が取り下げられ、それと同時に立太子の儀式が無事に行われたことが建国記念祭典延期の真の理由だったが、その事情を知る者はごくごくわずか。


 大半のオルビオンの民はなぜか急に延期された建国記念祭典を待ちわび、その分を取り戻すように祭典を楽しもうと熱狂していた。



「あああー緊張するぅ」


 ノアは控えの間を意味もなくウロウロしていた。


「ノア様? あの、ハーブティーをお持ちしました」


 聖女見習いの可憐な白い衣が、おずおずと扉の隙間からのぞく。

 おそらく扉をノックしていたのにノアがぜんぜん気付かずに、仕方なく扉を開けたのだろう。


「ご、ごめんねカーヤ! 入ってきていいのよ!」


 芳香を上げるカップの盆を捧げ持ち、まだ幼さを残す少女はノアの傍らにそうっとハーブティーを置く。


「ありがとう、いただきます。――ん!」


 ノアは目を丸くする。それは以前、アンナが竪琴演奏会の前には必ず用意してくれたハーブティーの味だったからだ。

 緊張を和らげ、身体を温めるハーブティー。もう二度と飲めないと思っていたのに。


「アンナ様が、ノア様専用のお茶やお食事のレシピを残してくださったんです。ノア様は、あの、その……異世界から再誕された方なので、お口に合うものが決まっているから、と」

「そう……」


 ノアは苦笑する。きっと『ノア様はワガママでうるさいからこのレシピを参考になさい』とでも言ったのだろう。その光景が目に浮かぶようだ。


 アンナは大神殿の地下の一件から数日後、突然、故郷の神殿に仕えたいと申し出て、惜しまれつつラデウムを去っていた。

『貴女の世話は本っ当に大変でしたわっ。おかげであたくし、いろいろと勉強になりましたわっ』と悪態なのか感謝なのかわからない捨て台詞を吐いて、アンナは館を出ていった。


 入れ替わりで館に入ってきたのがカーヤだ。

 ノアが捕まった人買い商人のところから逃げてきたというカーヤは、愛らしく、賢く、清楚な、まさに聖女となるに相応しい素質を備えている。


「……アンナもいなくなって、あたしが出ていったとしても、カーヤがいれば大神殿の聖女は大丈夫ね」

「な、なにかおっしゃいましたか、ノア様? あっ、もしかしてお砂糖いらなかったですか? つ、作り直して参りましょうかっ?」

「いいえ、大丈夫よ。とっても美味しいわ! カーヤは頼りになるわね」


 心からの賛辞に、カーヤは天使の微笑みを見せた。


「おかげでラデウムでの最後の演奏、ちゃんとできそうだわ」


 ノアはこの建国記念祭典で祝福の演奏をした後、聖女の称号を返上し、巡回聖職者として世界各地の神殿を回ることになっていた。



『世界の辺境には、神の教義や神話を知らない人々がまだたくさんいるでしょう。その人たちへ、歌を通して難しい教義や神話を語って聞かせることで、世界の平和に貢献したいのです』



 ノアのこの言葉に、初めは再誕聖女が称号を返上することに反対していた大神官会議も全員一致で賛成したのだった。

 密かな陰謀に敗れてすっかり老け込んだテオ大神官も、ダルザス神官に脇から支えられながら、よぼよぼと賛成の拍手を送っていた。


「――さて」

 ハーブティーをきれいに飲み干したノアは、竪琴を持って立ち上がった。




 建国を祝福する演奏は大神殿前広場で行われ、大成功に終わった。


『楽しき我が家』はノアが作曲した曲として紹介され、さすがは再誕聖女だと褒めそやされた。


(異世界から流れてきた人々は新しい技術や思想をもたらすらしいから、これをあたしの再誕聖女としての功績ってことにさせてもらおう。これで少しはぐうたら聖女の罪滅ぼしになるかな……あは)


 ノアとしてはイングランド民謡に敬意と感謝を抱くばかりだ。


 集まった大観衆に手を振って応える中、ノアは貴賓席へも微笑みと会釈で応えつつ、何気なく視線を走らせて――ぎょっとした。


(ええっ、うそうそっ、なんでいるの?!)


 ノアは反射的に竪琴で顔を隠す。



 ブランデン王国皇太子、アルフレッド・フォン・シュトラスブルク。

 モーム王国皇太子、レオナルド・デ・カスティーリャ。

 立太子の儀式を済ませたばかりの多忙な二人からは、祝賀の文書がすでに届いていた。今日、この場に来るとは聞いてない。


(聞いてないって!!)


 正装に身を包んだ二人は、不適な笑顔で拍手を送り続けている。

 それは思わず見惚れてしまう、甘い美形の圧だった。


***


 ノアが魔法の竪琴で呪いを解いた後、さまざまな事後処理のためほとんど言葉も交わせないまま別れたアルとレオだったが、ノアはかえってそれでよかったと思っていた。


(皇太子溺愛ルートは……やっぱりご遠慮するわ)


 実は、アルの告白を聞いてかなり、いや正直ものすごくノアの心は揺らいだ。


(だってあんな超絶イケメンだよ? めったにお目にかかれないスパダリだよ? そりゃあ女子なら誰でも心ときめくじゃない? でもでもでもでも……)



 異世界ハッピーライフは自分でクリエイトするべし。

 その信念に従って、ノアは巡回聖職者の道を選んだのだ。



(『自分の信念に従って物事をやり通すことは、とても尊く大事なことです』って人々にめっちゃ説教しちゃってるしねー……)


 そのことにちょっぴり後悔しつつ、でもすっぱりと溺愛ルートを諦める理由になってよかったと安堵しつつ、ノアはアルとレオのことはすっかり胸のメモリアルボックスに仕舞いこんで無理やりカギをかけたのだ。


***


(なのになのに今さら何なのよーっ)


 控えの間に戻ったノアは、あたふたと大急ぎで館へ帰る準備をする。


「あ、あの、ノア様? どうしたのですか? この後、軽食の御準備を……」

「ご、ごごめんカーヤ! 軽食は、その、館でいただいていいかしら!」

「はあ、それはよろしいのですが、ノア様はこちらでお休みにならないで大丈夫なのですか……?」

「大丈夫だいじょぶ! ていうかむしろここにいると心臓に悪いから!」



 竪琴を背負って脱兎のごとく部屋を飛び出したノアを、カーヤはぽかん、と見送った。




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