46 女の戦い


 アンナの叫びは大神殿の地下に鋭く響いた。

 それはノアの胸にも鋭く突き刺さった。


「そんなふうに思ってたなんて……」


 アンナは異世界へ来て右も左もわからないノアに、何くれとなく優しくしてくれた。本当の聖女というのはこういう人だと思っていた。


「あたしに優しくしてくれたのは、嘘だったの?」


 アンナはさも小馬鹿にするように鼻を鳴らす。


「ウソに決まってんでしょ。気付かないなんて、ほんとうに貴女はおめでたい聖女ねえ。気付いてないでしょうけど、この前だってあたしは、貴女を殺そうとしていたっていうのに」

「え……」

「薬湯といつわって毒を呑ませようとしたのよ」

「ま、さか、あの時!」

「そうよ、あんたがテオ大神官のところから帰ってきて、部屋に閉じこもってメソメソしていたときよ。チャンスだと思ったの。落ち込んでるあんたは、毒だと気付かずに杯を干すだろうってね」


 あの時のことが鮮明に思い出される。アンナは、しつこいと思えるほどにノア何かを飲ませよう食べさせようとしていた。


「あんたなんか、聖女にふさわしくない。ただ再誕したってだけじゃない。何がえらいのよ、何ができるのよ。今まで血のにじむ努力をしてきたあたくしじゃなくて、ポッと出のあんたが聖女の地位に就くなんておかしくない?!」

「そう、だね……」

「?!」

「本当に、そう思うわ」


 確かにアンナの言う通りだ。

 ノアは、平凡なただのOLだった。滝に打たれたこともないし、神に千回祈りを捧げたこともない。


 ただ車に轢かれて死んで、転生しただけだ。


 再誕してからも、自分がやりたかった習い事や聖女の身分で得られる贅沢を楽しんでいるような、普通の人間だ。


「でもね」


 ノアは顔を上げてアンナを見た。

「あたしだって、聖女聖女って言われて戸惑ったし、嫌だった。でも聖女を投げ出したりはしなかったわ」


 アンナはノアを射殺しそうな鋭い目で睨みつける。ノアは堂々とその眼差しを受けた。


「それが運命なら受け入れようって、あたしなりにがんばった」


 誰にも運命は変えられない。与えられたその場所で、頑張っていくしかない。 


「き、きれいごと言わないで!何が運命を受け入れるよ、そんなの恵まれた人間の戯言たわごとだわ!」


 アンナがナイフを突き出してくる。ノアはすんでのところでそれを避けた。


「人を殺めたら聖女になれなくなるわよ!」

「うるさい!」


 アンナが再びナイフを振り上げて襲い掛かってくる。ひゅっと風を切る音がして、ノアの銀髪が散った。


「テオ大神官から、貴女を殺してもいいって言われたの」

「なっ……」

「テオ大神官は、お留守の教皇様に代わって、教皇代理になられるのよ。そして、貴女をエサにブランデンとモームからのお妃申し入れの返答を引き延ばして、やがて本当の教皇様になるの」

「なんですって?!」


 テオ大神官がそんなことを考えていたとは知らなかった。

(だからあたしを野放しにしておけなくなったのね)

 すべてがつながった。

 そしてこの瞬間、迷いもなくなった。

(これで心置きなくオルビオンを出ていける)

 この世界で聖女ではなく、ただ一人の「ノア」としてやり直せる。


 ノアがショックを受けたと思ったのか、アンナが意地悪そうに笑った。


「テオ大神官は、貴女を殺せばあたくしを聖女に推してくださるって。これまであたくしを散々苦しめて、奴隷みたいに身の回りの世話をさせたつぐないに、ここで死んでちょうだい!」


 ノアはとっさに腰の剣を抜いた。耳障りな金属音がアンナのナイフを弾く。


「死なないわ!あたしは誰が何といおうと異世界ハッピーライフを作り直すんだから!」


 今ある自分を大事にして、自分を愛するために。

 聖女としてじゃなく、ノアとして、自分の異世界ライフを作っていく。


 アンナが雄々しい声を上げてノアに再びナイフを振るってくる。次々と繰り出される突きをノアは剣で弾いた。


「アンナやめて!アンナと戦うなんて嫌だ!」

「貴女を殺せば、あたしが聖女になれる!」

「あたしは聖女をクビになって追放されたのよ?!あたしを殺したって何の得にもならないわよ!」

「貴女が生きているかぎりあたくしは安らげないの!おとなしく死んでちょうだい!」


 アンナの猛攻がノアに迫る。ノアは剣で弾こうと思ったが、今度の一撃はレンジが短すぎた。


(このまま斬ったらアンナの腕を斬っちゃう!)

 ノアはとっさに剣を振るをやめた。

 そのままアンナのナイフがノアに襲い掛かってくる。


 ここで死にたくない。

 新しい異世界ハッピーライフを最初から作るんだ。

 竪琴を奏でて、世界中を回るんだ――。


 しかし鈍色の凶刃は、無情にもノアの頭上にふりかかった。


――そう思った瞬間、アンナが悲鳴を上げた。


「?!」


 乾いた音をたててナイフが大理石の床を転がっていく。


「大丈夫か、ノア」

「……アル!」

 アンナの手をつかんだのは、アルだった。






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