32 ノアの物思い



「いたか?!」


 神官兵たちは狭い路地をやっと抜け、大通りに出た。

 建国記念祭典を明後日に控えた今夜は、いつもより倍の人通りだ。歩いている人も多いが、馬車や、道に露店を出す酒屋に立ち寄る人々であふれていた。


「いや」

「いないです」

「この目抜き通りにはこれだけ人通りがあるんだ! おまえたちは目撃情報を探せ!」

「了解です!」


 そのとき、別方向からの一団がやってきたので、ちょうどいいとばかりに神官兵長は指示を出す。


「おまえたちは引き続き商人街へ捜索を広げろ」

「了解です!」


 それぞれ兵が散ったあと、指示を出した神官兵長はチッと舌打ちした。


「ったく迷惑な聖女様だぜ。せっかくの建国記念祭典前の楽しい夜だってのに、なんだって仕事しなきゃなんねえんだ。おとなしく捕まってくれりゃあいいものを」


 部下の一人がおそるおそる尋ねる。


「ていうか、聖女様って何したんですか? 聖女様に限って悪事を働くなんてことはないんじゃあ」

「そんなことぁ知らん。テオ大神官に早急に連れてこいって言われただけで、それがすべてだ。我々末端の兵は言われた通りにすりゃあいいんだ。それが平穏無事に暮らすコツ、出世する秘訣だ」

「はあ……」

「我らは東へ行くぞ。万が一高級住宅街の東地区で問題でも起きたら、お偉方がうるさいからな。急げ」





「あった!」

 西大門にはまだ半分の距離のある大通り。その片隅で、ノアは目的の物を見つけた。

 周囲を見る。遠く後方には神官兵たちが集まって、何やら指示を受けて散っていく。その一部はこちらに向かってきた。


「やばっ、こっちにも来るわ」


 近くの屋台で歌を歌っている人々がいて、カスタネットやタンバリンのような楽器を持ち出して盛り上がっている。道行く人々はそちらに気を取られていて、地面に這いつくばって何かごそごそしているノアのことには気付かない。


「よし、開いた。せーの」


 ノアは地面から丸い物を持ち上げた。

 それは、前世で言えば、マンホールの蓋だ。

 その暗い穴へノアは滑り込むと、頭上でそっと蓋を閉める。


 竪穴に打ち付けられた階段を慎重に下りていった。ほぼ真っ暗な闇だが、階段の杭は等間隔に打ち付けてあるので足で一歩一歩確認しながら降りることができる。


「はあー、無事に着地、っと」


 ノアは地底に立ち、思いきり両手を広げた。


 見上げた天上は高く、アーチ型のトンネルになっている。アーチから伸びた柱が一定間隔でずっと続いていた。

 その下には地上の通りとさほど変わらない幅の通路が、ずっと先まで続いている。その通路に沿って、水が流れていた。


 ノアはかがんでその水に空の水筒を浸すと、なみなみと水を入れて飲んだ。


「ぷはー、やっぱり地下水は冷たくて美味しい!」


 ここはオルビオンが世界に誇る地下水路カレーズ

 この世界へ転生してノアが驚いたものの一つだ。


 完璧なインフラであると同時に芸術建築のように荘厳なこの水路は、日差しの強い暑い日や、聖女聖女と追われて誰にも会いたくない時などの、ノアの秘かな隠れ場所だった。


「ドタバタしすぎてすっかり忘れてたのよね、地下水路のこと。ここをたどれば、大神殿の近くにも出られる!」


 そして、早くエルメスを呼ぼう。


「それからついでに、大神殿の地下にも行こう」

 アルとレオに合流する前にノア一人で大神殿の地下へ行き、魔法の竪琴を見つけることができれば。


「そうすればアルとレオを危険にさらすこともないわ」


 ノアがつまらないことで不用心な態度をとったため、二人には大迷惑をかけてしまった。

 今頃、ノアのことを必死で探しているだろう。 

「あたしだってお妃回避とか戦争回避がかかってるけど、アルとレオだって呪いが解けるか解けないかの運命がかかっているんだから」


 二人の姿が脳裏に浮かぶ。

 ノアの竪琴で癒されていた二頭の狼。

 その呪いをノアが解いてやれるなら。


「せっかくイケメン皇太子溺愛ルートだったんだけどなあ」

 前世だったら嬉しい悲鳴を上げていたシチュエーションだが、この世界ではそれもできまい。

 ノアは聖女という立場がある。聖女ゆえに異世界ハッピーライフが成立する。

 異世界ハッピーライフを満喫したいノアは、皇太子溺愛ルートに入っている場合じゃないのだ。

「どっちかを選んだら、戦争になっちゃうしね」

 そもそもだから、テオ大神官はノアを厄介者扱いしたのだ。


「呪いを解けば、アルもレオもあたしに執着する理由もなくなって、美しいお姫様をお妃に迎えられる。そうすればオルビオンにも平和が戻る。あたしは異世界ハッピーライフを取り戻せる。うん、がんばろ!」


 胸に感じた切ない痛みは、無視することにする。

 痛みの正体を確かめたところで、ノアが皇太子であるアルとレオに恋していいわけないのだから。


「考えない考えないっ、物思いなんてガラじゃないし!」


 ノアは、いちばん近い辻に向かった。

 大きな辻には簡単な地図が壁に彫ってあり、ノアはまずそれを確認したかったのだ。

「……うん、ここから大神殿まで、30分もあれば着けるわね」

 ノアは地図を頭に叩き込むと、水路に沿って歩き始めた。


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