30 聖都の夜に走る


「……なるほど。連絡ができなかった理由はよおくわかりました」

「怒るな。ちゃんと話しただろ」


 ようやく落ち着いた宿の一室で、トレスに渡された痛み止めを飲みながらアルは顔をしかめる。


「で、けっきょく、そのアンナとかいう聖女見習いは敵なんですかな?」

 マルコスは煎じた薬湯をレオに渡した。

「わからん。それがわかる前にノアがヘソ曲げてはぐれたんだからな」

 レオは不機嫌げに薬湯を受け取り、口を付けた。


 すでに日は暮れ、月が昇っていた。


 エルメスが運んできた手紙を見て、トレスとマルコスは急いで馬と荷物を引いてラデウムに入った。そして、無事にアルとレオに合流できたのだった。


「夜に間に合ってよかったです」

 マルコスは薬湯を飲むレオを見て、大きく安堵の息を吐いた。


 満月ではない今夜は、アルもレオも変身を自分でコントロールできる。

 しかし、呪いの痛みが身体を蝕むことには変わらない。


「あっちの姿のほうが今は都合がいいかもしれんがな。移動速度が速いし鼻も利くから、ノアを探しやすい」

「今はちょっとまずいだろ。目立ってしまう。それに……あの子たちを怖がらせる」


 アルの視線の先には、無心にパンにかじりついている少年と少女がいた。


 人買いのところから結局そのままついてきた少年と少女は、トレスとマルコスに合流した後も一行にそのまま付いてきたのだった。

 とても汚かった彼らは、入浴させるとなかなか綺麗な顔立ちをしていた。街へ放せばまた人買いに狙われるおそれがあるため、とりあえず宿に置くことにしたのだ。


「子どもがいると身動きとりずらいです。早く彼らの身をどこか安全な場所へ託しましょう」

 トレスがアルにささやくと、パンを食べていた少年が顔を上げた。


「ただ食いはしねえぜ。食べた分は働く。何でもするから言ってくれ」

「あたしも」


 トレスは呆れて肩をすくめた。

「すごい地獄耳ですねえ」

「その地獄耳を使って、街で聞き込みをしてくれないか」


 言ったのはレオだった。


「いいぜ。何を調べればいいんだ」

「この坊主め、口のきき方がなっとらん!」

「いい、マルコス。――人を捜している。ノアという俺ぐらいの年の女だ」

「特徴は?」

「銀色の髪を編んでこう、頭に巻き付けてまとめている。瞳は青。乗馬服を着ている」

「ああ? 乗馬服ってなんだよ」

「坊主っ、口のきき方が――」

「いい、マルコス。――乗馬服とは、馬に乗るとき専用の動きやすい服のことだ。女性でもズボンをはき、長靴を履く。ローブをまとっているかもしれないから、髪型や服装はパッと見ただけではわかりにくいかもしれないが」

「ふうん。わかった」

「西大門の近く、職人街と商人街を中心に捜してくれ。そして、一番難しいのが」


 レオは少年の近くまで行き、目線を合わせるようにかがんで声を低くした。


「誰にも知られないように捜すということだ。わかるか?」

「う、うん」

「おまえ、名は?」

「ウィルだよ」

「ウィル、おまえを頼りにする。できるか?」


 少年はぽかんと同じ目線にある青年を見た。仕事をするのに「頼りにする」と言われたのは生まれて初めてだ。


「お……おう! 任せとけよ」

「明日からでいい。今日は食べて、身体を休めろ」

「わかった!」


 少年の目に、年相応のいきいきとした輝きが浮かぶ。


「あたしにも、何か手伝わせて?」

 隣の少女が不安そうに言うと、アルが優しく頷いた。


「君、名前は?」

「カーヤよ」

「カーヤには、ここで留守番をしていてほしい」

「留守番? そんなんでいいの?」

「とても大事なことだよ。この宿に置いていく荷物や馬を見張っていてほしいんだ。馬は宿のうまやに預けてあるから、たまに様子を見に行ってほしい。僕らはこの宿を拠点にするから、部屋の掃除も頼みたい。できるかい?」

「もちろんよ」

 少女はにっこり笑った。





 レオはウィルとカーヤが寝たのを確認して、そっと寝室の扉を閉めた。


「ノアを捜しに行ってくる」

「僕も」


 アルも立ち上がった。二人は、人間の姿でも夜目が利く。夜になると五感が研ぎ澄まされたように鋭くなるのだが、特に目は暗い所でも物を見分けることができた。


「では私も」

それがしも」

「ダメだ。トレス殿とマルコスがここを離れたら、あの子たちはどうなる」

「はあ……これだから子どもがいると面倒です。この私が殿下のお役に立てずにまた留守番とは」

「そうでもないよ、トレス。仕事を頼みたい」

「なんですか?」


 気落ちした様子のトレスだったが、アルが渡した紙片を見ると顔色が変わった。


「これは……!」


 紙片には、ブランデン王国の中でも指折りの、極悪人買い商人の名前が並んでいた。中には、トレスも初めて目にする名前もある。


「カーヤから聞いたんだ。あの子たちが囚われていたテントに出入りして、『商品』である彼らを物色しに来た者たちの名前だと。カーヤは素晴らしく耳と記憶力が良いみたいだね。物色されたときに、商人たちの会話の中から聞き取った名前を全部覚えているらしい」

「なるほど……あの子たちは生き証人です! おまけに、奴らはまだオルビオンの商人街にいる! 手を焼いている非合法人身売買を摘発てきはつできます!」

「そういうこと。それができればおまえや僕の株も上がるだろう?」

 トレスが破顔して大きく頷いた。

「すぐにブランデンへ急使を飛ばし、摘発するための戦力増援を依頼します!」

「頼む。ただし、ぜったいに目立たないように、精鋭の最小人数で。宣戦布告の後だ、オルビオンを刺激することになっては元も子もない」

「御意」


 トレスはさっそく、急使の手配をしに階下へ降りていった。


「マルコス。ウィルやカーヤを『商品』にしていた商人は、我が国の人買い商人だったぞ」

「なっ、なんと!」

「今頃は慌ててオルビオンを出ただろうけどな。少し脅しておいたが、帰国したら速攻取り締まる」

「ははあっ」

「トレス殿が戻ってくるまで、ここを頼むぞ」

「もちろんです。お任せください!」





 アルとレオはローブをまとい、フードを被って、ラデウムの目抜き通りを歩いていた。


 聖都だけあって大きな通りにはまだこの時間、魔法で外灯が灯っている。しかし、少し路地に入ると薄暗い闇がある。


 けれど、二人は昼間とさほど変わらない景色を見ていた。

 月や星の明るすぎる景色、という表現が近い。それは昼間とも夜とも違った、幻想的な景色だ。


「こういうときは便利だな」

「ほんとにね」

「この呪われた身体を、初めて良いものだと思えたな」

「そうだね。僕も……初めてだ」

「腹が立つくらい振り回されているがな」

「まったくだね」


 誰に、とは二人とも言わなかった。

 今、想っていることは互いに同じだろう――そう感じたから。


 生まれながらに呪われた自分を肯定しようと必死に生きてきた境遇も、そのせいで孤独だったことも、互いに同じはずだから。


 そして、国政とは関係なく、個人的に何を欲しているかも。


 その『何か』のためにどうすればいいのか考えながら無言で歩くうち、二人は目抜き通りの交差点に来ていた。


「ここで別れよう。夜明け前まで探したら、宿に戻る。それでいいかい?」

「ああ」


 二人はそれぞれに背を向けて歩き出したが、すぐに互いを振り返った。


「聞こえたか」

「うん」

 通常のヒトの聴覚よりも数倍は利く耳が、微かな高音を捉える。

「これって」

「警笛だ。たぶん、神官兵の」


 二人は顔を見合わせ、次の瞬間には音のする方へ走っていた。





 アニーの工房の裏口から出たところで、警笛が鳴り響いた。


(やばいっ)


 ノアはとっさに路地に隠れる。多数の硬い靴音が石畳を走っていった。


 遠くで、扉を乱暴に叩く音、アニーが大声で文句を言っている声が聞こえてくる。

「ここにはあたしとこの爺さんしかいないよ! はあ? 何かの間違いじゃないかい? 他を当たんなよ!」


 その言葉端ことばはじからアニーがノアを逃がしてくれようとしていることがわかった。


(ありがとう……っ、アニーさん、マシューさん!)

 ノアは胸が目頭が熱くなった。


(ぜったいに捕まるもんか!)

 ぐっと手を握りしめ、ノアは路地を走り出した。


(早くアルとレオを探して、合流しなきゃ)


 エルメスを呼びたいが、昼間のような騒ぎになってはいけない。


(このラデウムの中で、騒ぎにならずにエルメスを呼べるのは――)

 ラデウムの地理に詳しくないノアの頭に思い浮かんだのは。


「灯台下暗しでありますように」


 ノアは神に祈って、北の方角を向いた。


 夜闇に白く浮かんで見える神殿群――神殿の丘。

 そこへ向かって、ノアは走り始めた、その背中に。


「おいっ、そこの者っ、止まれ!」

(ひええええ! いきなり見つかった?!)


 もちろんノアは止まらず全力で走る。

 神官兵の警笛が長く鋭く闇に響いた。

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