25 大乱闘
太っちょとちょび髭は、小男の
「何わけわかんねこと言ってんだよ、奇跡の聖女が街中をうろついてるわけねえだろうがっ。今いいところまで値を吊り上げてんだから邪魔すんな!」
グローブのような手に殴られ、小男はすごすごと戻ってきた。
「信じてもらえなかったっす……」
「そりゃそうでやんす。というか、本当にこの小娘が聖女ノア様なんでやんすか?」
「本当だよ! 俺っちは見たことあるっす! 聖女ノア様が竪琴を弾いて、ありがたいお説教をしてくださるところを!」
小男は異国風のテントの方をちら、と見た。交渉が難航しているのか、太っちょが出てくる気配はない。
「なあ、聖女様を売ったりしたら、ぜったい天罰が下るっすよ!」
「ああ? 今さら天罰を恐れるんでやんすか? あっしらは悪党でやんすよ。それにその小娘が聖女様だって証拠がどこにあるんでやんす。そんなことより、こんなにボスが時間かけてるってことは、かなりな高額で売れるってことでやんすよ。
針金男は揉み手をして異国風テントへ近付いていった。
小男は、おそるおそるノアを振り返る。
「なあ、あんた、聖女様っすよね?」
(ど、どうしよう)
この小男は敵か味方か? ノアはごくりと唾を呑む。
「もし、あたしが聖女ノアだったら、どうするの?」
「そ、そそそそりゃあ俺っちはこの話から下りるっす、まちがいねえ、聖女様を売るなんて天罰が
(……よし。イチかバチか、賭けよう)
ノアは大きく頷いた。
「いかにも、あたしは奇跡の再誕聖女ノアよ」
「ええええ?! やっぱり!」
「しっ、声が大きいわ。ちょっとわけあって、お忍びで大神殿から抜け出しているの。だからあたしが再誕聖女ノアだってことは内緒にしてくれる?」
「へ、へえ……」
小男は困ったように眉を下げる。
「あの、ほんとにあんた、聖女ノア様で――」
「後で! 後で証拠を見せるから、お願い。ここから逃がして!」
「えええ?! そんなことしたら俺っち殺されちまうっすよぉ」
「だったらあなたも一緒に逃げるのよ! 天罰が降ってもいいの?! さあ!」
ノアに縛ってある手首を突き出され、小男はうろたえる。
「け、けど……」
「あたしの説教聞いてくれたんでしょ? 『自分の信念に従って物事をやり通すことは、とても尊く大事なことです』。ね?」
「その説教、や、やっぱり聖女様っすね……」
拝む小男にノアはぐいぐい手首を突き出した。
「あなたには人を売り買いしたら天罰が降るっていう良心がちゃんとある。まだまだ人生やり直せるわ! 人身売買なんて違法かつ人でなしなことやってないでここから逃げて足を洗うのよ! さあ!」
「……は、はいっ」
小男は心を決めたようだ。懐からナイフを取り出し、ノアの手首の縄を切った。
「さてどうやってここから出ようか……」
ノアはひりつく手首をさすって周囲に目を走らせた。
ここはどうも、他国からきた商人たちがたむろするエリアのようで、よく見ると色とりどりのテントや見たこともない服装の人々が行き来をしているが、この異国風テントの場所を通る人々はあからさまに嫌な顔をして通り過ぎていく。
ターバンちょび髭一団が陣取っているこの場所は、大きな
(かえって都合がいいかも)
ノアはそっと胸から小さな笛を出して、思いきり吹いた。
「な、なんすか、その――」
小男の質問はけたたましい鶏の鳴き声にかき消された。
雄鶏たちが一斉に時を作りはじめ、それに興奮した烏の群れがどこからともなくやってきて、近くの木でぎゃあぎゃあと威嚇しはじめた。
「なんだなんだ!」
「おい、あんたたちのところの鶏をどうにかしろ!」
「何やってんだ! うるさいぞ!!」
たちまち周囲の露店やテントから文句を言う人たちが殺到する。六角形のテントの周囲には人だかりができ、幌馬車を見張っていたターバンたちも対応のために六角形のテントに慌てて走っていった。
「今のうちよ!」
ノアは小男を急かし、走り出す。
「どこかどこでもいいから安全な場所まで走って!」
「わ、わかったっす」
小男が走る後ろから、ノアはフードを被って懸命についていく。騒ぎを聞きつけた野次馬の流れに逆らって、どんどん六角形のテントが遠ざかる。
息が切れ、足がもつれる。それでもノアは必死に走った。こんなに必死で走ったことは前世でもなかった。
走って走って――いい加減走った頃、とうとうノアは足が笑って止まってしまった。
「ご、ごめ、ちょっと、まって……」
「ここまでくれば安全だと思うっす」
「え……?」
ノアは肩で息をしながら顔を上げた。
◇
「――なんか、騒がしいな」
アルは足を止めた。
ここは商人街と職人街の境目の大通り。
騒ぎが起こっているのは商人街の外れにあたる場所のようだ。
遠目に見ても大きな六角形の異国風テントの周囲で、多国籍な衣服の人々が入り乱れ、乱闘の様相を呈している。
オルビオンは関税を取る代わりにどの国の商人も出入りができるため、良く言えば活気があるが、悪く言えば治安があまり良くない。
それでも信仰の国の聖都で
「なんだあれは……やけに鳥がいるな」
地面では入り乱れる人々の間を鶏がけたたましく走り回り、その周囲の街路樹には木々が真っ黒に見えるほどカラスがとまってぎゃあぎゃあと不吉な声を上げている。街路樹には他にも雀やムクドリや鳩など、たくさんの鳥が集まっていた。
「ん?」
その風景の中に、真っ白な点があった。
白い点は空を旋回し、乱闘が起こっている場に近付こうとするが、カラスに
アルは思わず大声を上げた。
「エルメス!」
白い点はノアの伝書フクロウのエルメスにちがいない。
「あの乱闘の中にノアがいるのか?!」
アルは六角形のテントに向かって走った。
◇
「なんだあれは」
レオは足を止めた。
商人街の外れで、乱闘が起こっている。
マルコスがいたら「平定して参ります!」と喜々として飛び込んでいくような派手な乱闘騒ぎだ。その中心にある異国風のテントを見てレオは顔をしかめた。
「情けない、我が国の商人か」
モームは男も女も血の気が多いので、街中で乱闘など日常茶飯事だ。これが自国内なら仲裁に入るが、今は身分を隠してオルビオンにいる身なので目立つわけにはいかない。
乱闘など放っておけば収まるだろうしとレオは通り過ぎようとしたが、周囲にあまりに鳥が多いことに気付いて足を止めた。
「おかしい。こんなに雑多な鳥が一度に集まることなど有りえん」
地面には鶏が、街路樹にはカラスをはじめ雀やムクドリや鳩などが、そして空には大型の白い鳥が――。
「エルメス!」
果敢に乱闘現場に近付こうと滑空し、しかし烏に牽制されて再び空へ浮上していく白いフクロウ。あれはノアの伝書フクロウに間違いない。
「ノア……そこにいるのか!」
レオは六角形のテントに向かって走った。
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