24 聖女、売りに出される


「くっそーっ、あんな冷血漢たちのお妃なんてぜったいごめんだわ! 回避! お妃ルート断固回避!」


 ノアは怒りに任せて歩いていた。その頃アルとレオが懸念していたような、アンナへの義侠ぎきょう的心遣いからでは決してなかった。要は何も考えていなかったのである。


 そしてしばらくして沸騰していた頭も冷えてきた頃、人混みを歩くのに疲れた足が自動的に止まった。


「ところで……」

 行き交う人々。並ぶ露店に、行商の列。荷を引いた馬車ががらがらとノアの横を通り過ぎた。四辻のど真ん中につっ立っているノアに、御者が、馬までもが迷惑そうな視線を向けるが、今のノアはそれどころではない。


「ここはどこなの?!」


 ラデウムは整然としたチェス盤のような構造をしている。

 商人や職人の住む場所、貴族の居住区、聖職者の住む場所など、わかりやすい配置になっている。

 商人や職人のエリアはさらにギルド別に分かれており、聖領国の首都だけあって人口は多く、人や建物はひしめき合っているが、一度頭に入れてしまえばわかりやすい町だ。

 しかしノアは、この世界に転生してから、一度もラデウムの町を自分の足で歩いたことがなかった。

 竪琴の演奏で来ることはもちろんあるが、そういう時はいつも送迎は馬車で、街中を一人歩きしたことはない。


「そう、構造が確かチェス盤だったわよ。碁盤の目の平安京よ。ぜったい新宿とか渋谷より歩きやすいはずだから落ち着いてあたし」


 自分で自分に言い聞かせるが、人や動物や店の多さに目がちかちかする。

 おまけに、大変なことに気が付いた。


 振り返っても、白黒ローブの姿が見えない。


「嘘……アルとレオとはぐれた」


 元の場所に戻ろうか――しかし、怒りに任せて歩いていたのでどこをどう歩いてきたかもわからない。そもそもここがどの辺りかもわからない。


「アルっ、レオっ」

 思わず大声で呼ぶが、行き交う人々に怪訝けげんな目で見られるだけだ。

「そうだスマホ、スマホで連絡を……」

 とっさに荷物を探ろうとして、ノアは頭を抱えた。

「スマホないんだった……この世界……」


 人混みではぐれた時、スマホがない時代にはどうしていたのか?

 そんな話を父と母がしていた記憶があるが、覚えていない。もっとちゃんと親の言うことに耳を傾けていればよかったと後悔したが、もう遅い。


「お嬢ちゃん、迷子かい?」

 天の助け……とばかりに顔を上げたノアは瞬時に凍り付く。

 そこには絵に描いたような極悪人顔の男三人組が、にやにやと立っていた。


「おー、上玉じゃねえか」

 ひゅーと口笛を吹いたのが真ん中の太ったスキンヘッド。

「さっすが建国記念祭典の前だと、人も多くて良い拾い物がありやす」

 手を揉みながらロープを取り出したのは、針金のように痩せた男。

「さっさと連れていこうぜ。昼過ぎたら人買い商人は夜まで店を開かねえから」

 ノアと同じくらいの背丈しかない小柄な男が周囲をおどおどと見回している。


 ノアは逃げようとしたが、三人は連携して巧妙に逃げ道を塞いだ。

「一見小汚いが、その服は乗馬服ってんだろ。そんな服持ってんのは金持ちくらいだからな。どこのお嬢様か知らねえが、お供が戻ってこねえうちにずらかるぞ」


 太っちょが呟いた瞬間、太っちょと針金でノアを挟みこんで周囲からノアの姿を隠し、小男がそのすきにノアの手を前で縛って猿ぐつわを噛ませフードを目深に被せた。鮮やかな連携プレー。


「さ、今から俺っちたちがお供するぜ。人買い商人の店までな」

「んぐ…むー、うー!」

 猿ぐつわを嚙まされているので言葉も声も思うように出ない。

 三人に小突かれるようにして歩かされる。


(誰か助けて……!)

 水戸黄門だったらここで黄門様一行が現れて、助さんと角さんが悪を徹底的に打ちのめし、印籠を出してその場を鎮めるのだが――。


(……これはフィクションじゃない。これが今のあたしの現実なんだ)


 ノアは唇をかみしめた。

(異世界ハッピーライフどころか、身の安全が危ういじゃん……)

 ラデウムに入り、アンナに会った瞬間、異世界ハッピーライフが再び目の前に! と油断したのは否めない。

(でもさ)

 ノアは思う。


(異世界ハッピーライフって……何よ)


 大神殿でのお勤めがあるものの、貴族のような館に住み、贅沢な衣食を保証され、たくさんの美少女にかしずかれ、自分の趣味に没頭して過ごす。

 それが異世界ハッピーライフ。


(もう異世界じゃない。今はここがあたしの現実世界)

 ノアは転生し、再誕したのだ。ゲームや小説の世界のように都合よく行ったり来たり出来るわけではない。

 ここで、この世界で、ノアとしてこの先も生きていく。

(そのとき、あたし、それでいいの?)

 乙女ゲームでも小説でも漫画でも、贅沢をする貴族の影には必ずしいたげられる人々がいる。

 そして大抵は虐げられる人々の中の少女が高貴なスパダリに見いだされ、幸せになるのだ。

 でも。


(あたしはそのルートじゃない。悪役令嬢でもない。仮にも聖女だよ? 誰かを虐げてまで手に入れる生活なんて、ハッピーライフとは言えないんじゃないの……?)


 悶々もんもんと考えている間にも、現実の時間は無情に進む。

「ほれ、着いたよお嬢ちゃん」

 太っちょが黄色い歯を見せて指した先に、大きなほろ馬車とテントを張っている異国風の一団がいた。


 浅黒い肌にちょび髭。ターバンを巻いた出で立ちはアラビアンナイトに出てくる人々のようだ。

「よう旦那。モームの景気はどうだい」

「ぼちぼちかな」

「良い商品を持ってきたぜ」


 針金男に突き出され、ノアはちょび髭ターバンの前に出た。

 ちょび髭ターバンはまるで品物のカバーを外すように無造作にノアのフードを取る。


「……!」

 思わずノアは下を向いた。

「ほう、さすがはオルビオン。綺麗な銀髪だ」

 髪に触られた瞬間、ぞっとする悪寒が体中に走る。しかしちょび髭はさらにノアのあごをつかんでしげしげと顔を眺めた。全身に鳥肌が立つ。

「顔も上等だな。これはどこの国でも高く売れる。ブランデンは金髪は多いが銀の髪は珍しくて特に高く売れるって聞いたから、ブランデンに持っていくかな」

「買うかい」

「もちろんだ」


 太っちょがちょび髭と値段の交渉をしている間、針金男と小男がノアをじろじろと見た。


「なんかこの小娘、どっかで見たことあるっすねえ」

「やっぱりおまえもそう思うでやんすか?」

「どこでだったか……」


(やめてーっ、このタイミングで聖女ノアってばれたらやっかいだから!!)


 ノアは必死で下を向いて、二人の視線を逃れようとしたが。


「思い出した!!」

 小男の声に心臓が止まりそうになった。


(思い出さなくていいってば!!)


 しかしノアの心の声は届かず、小男は慌てて太っちょが交渉をしている異国風のテントへ走る。


「ボスっ、あの小娘、奇跡の再誕聖女ノア様っすよ!」



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