22 アンナの気遣い
路地から人波をかきわけて出てきたのは間違いない、アンナだった。
「ノア様! よくぞご無事で……!」
「アンナこそ、よかった。館は無事?」
「はい、皆それはそれは心配しております。盗賊騒ぎがあって、マロンが盗まれて……ノア様がいなくなって。テオ大神官から
アンナはすがりつくようにノアの手を握った。
ノアは周囲をさっと確認し、アンナの耳元でささやいた。
「実は……テオ大神官に、オルビオンを出ていくように言われたの」
ハシバミ色の瞳がさらに大きく見開かれる。
「なっ、なぜですの?! ノア様は再誕聖女ですのよ?!」
ノアはちら、と背後の二人を見る。どこまで話していいものやら……。
(とりあえず、二人の正体は秘密にしておこう)
大国の皇太子が揃って二人もいると知ったら、アンナを不必要に驚かせてしまうだろう。
「あのね、ブランデンとモームの使者から、異世界聖女を妃に差し出さないと攻め入ると言われたのだそうよ」
「なっ、戦争などと、なんという野蛮なことを!」
「オルビオンを守るために、表向きは病に伏せたことにしてオルビオンを出ていけと言われたの。このことを知ったらたぶんアンナ達にも危険が及ぶと思って何も言わずに館を出たのよ。心配や迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
「何をおっしゃいます!」
アンナはノアの手をしっかり握った。
「ノア様はやはり聖女の中の聖女ですわ。こんな時でもあたくしたちのことを気遣ってくださるなんて……」
そこでアンナはハッと顔を上げる。
「そういえば、テオ大神官から言われたといって礼儀知らずな神官兵が館に押しかけてきたのですが、まさか」
「テオ大神官はあたしを捕えるつもりみたい。何か急に事情が変わったみたいなんだけど、あたしにはよくわからないの」
アンナはノアの背後にチラと目をやり、耳元で囁いた。
「後ろの殿方はいったい?」
「あ、ああ、彼らは……お金で雇った護衛よ!」
「なんだか怪しそうな人たちですわ。あの方々とはここでお別れして、早く館に戻りましょう。だいじょうぶ、テオ大神官の手の者たちに気付かれないよう、館に閉じこもっていればいいのですわ。さあ」
アンナがアルとレオに近寄っていったので、ノアは慌てて止めた。
「彼らはもう少し雇うわ。ほ、ほらあたし追われている身だし、ラデウムではテオ大神官の追手の目もあるし」
「でも館の方が安心ですわ」
心配そうに言い募るアンナの思いに、ノアは胸が熱くなる。その申し出に思わずクラっとする。
(なんていい子なのかしら……アンナこそ本当の聖女だわっ)
自分の異世界ハッピーライフのために行動するノアとは大違いだ。ノアは自分の腹黒さが恥ずかしくなった。
(でも、魔法の竪琴で呪いが解けるかどうか試すのは、もはやあたしのためだけじゃない)
アルとレオにちらと目をやる。二人はフードの下からこちらの様子を観察しつつ、周囲を警戒していた。
(ここでアンナに甘えてアルとレオを見捨てても、何の解決にもならないわ)
自分のためにも、アンナ達のためにも、彼らの呪いを解くためにも、ここでアンナに甘えてはいけない。
「ありがとう、アンナ」
ノアはやんわりアンナの手を離した。
「ちょっと用事があってラデウムに戻ってきたの。またすぐに出ていくから、館には戻らないわ」
「でもっ」
「戻ったら、アンナ達に危険が及ぶ。それに――やらなくてはならないことがあるの」
ノアの真剣さを察したのか、アンナは渋々頷いた。
「わかりましたわ。でも、ラデウムにいる間はあたくしにも何かさせてくださいませ。食べ物を届けたり、何でもやりますわ。ですから、どうか居場所をお知らせくださいね」
「ありがとうアンナ。頃合いをみてエルメスで連絡するわ。さ、行って」
「きっとですよノア様」
アンナはアルとレオを一瞥してから、人波に消えていった。
その後ろ姿をじっと見つつ、アルとレオがノアの両脇に立った。
「あの少女は?」
アルが言った。
「あたしの館にいる、聖女見習い筆頭の子なの。あたしのことをすごく心配してくれて……追放されたことを話したら館に戻ってください、って言うから」
「館に戻るの?!」
「まさか。やることがあるからって断っておいたわ。アルとレオのことも護衛だって言っておいた」
「それが懸命だな」
レオが言った。
「タイミングが良すぎる。聖女というのは、大神殿に詰めているものなのだろう。こんな場所で偶然会うのは不自然だ」
「なっ……アンナのこと疑ってるの?!」
「おまえの状況をよく考えろ。誰が敵でもおかしくないだろうが」
「なんですって?!」
「ノア、君の気持もわかるがレオの言う通りだと思う」
「アルまでっ……」
ノアはふるふると拳を握りしめた。
「……二人の考え方はよーくわかったわ」
低い声で呟く。なんだか情けない気持ちになって見つめる足先がぼやけた。
「あたし、死んでも貴方たちのお妃になんかならない。ぜったい呪い解いてお妃ルート回避してやるんだから!!」
ノアはぶつぶつ叫びながら雑踏を勇ましくかき分けて行ってしまった。
「……あーあ、短気だなあ。ノアっておっちょこちょいだし腹黒いし、なんか聖女っぽくないよね。ていうか君、ものの言い方を少し考えたら?」
アルが呆れて言う。レオは鋭い視線をアルに向けた。
「どう言おうが事実は変わらん。あのブルネットの女は怪しすぎるだろう」
「ま、それには同感だけどね。さて、我らが聖女は行ってしまったけど、僕たちを見捨てる気なのかなあ」
「そうすれば振り出しに戻るだけだ。そんなことノアもわかっているだろう。追うぞ」
「はいはい。――振り出しに戻ってもべつにいいんだけどさ」
最後の言葉は雑踏の喧噪に消えてレオには届かない。
(たぶん、この男も同じことを思っているよね)
アルは隣を歩く黒いローブを見る。
それぞれに国の事情を抱えている。ノアを妃にすることを口実に、オルビオンに干渉もしくは侵攻するという目的がもちろん第一だ。――しかし。
この身に巣くう苦しみを、王家を縛ってきた悪しき呪いを、あの少女が解いてくれるのかもしれない。
そんな御伽話に賭けてみたい。
ノアが奏でた竪琴の音色は本物だった。ほんとうに、この身を蝕む呪いを癒してくれたから。
人波に消えそうなノアの頼りない後ろ姿を追いながら、アルはそう思っている自分に気付いた。そしてレオも同じように感じていると確信した。
――そんなふうに思えた矢先。
「「見失った……」」
建国記念祭典間近の人混みの中、アルとレオは呆然と立ち尽くした。
「嘘だろ?! どうするんだよ!」
「知るか! ていうかあいつ正気か! 今の状況で一人になるとか自殺行為だろう!」
敵地より、誰が敵か味方かわからない
「あのアンナとかいう聖女見習いを疑ったことが、そんなにショックだったのかな」
「もしそんなことでヘソを曲げたんなら俺は聖女を見限る。あの提案も白紙だ。こっちの都合で力づくでモームへ連れて帰る」
「……聞き捨てならないな」
「おまえだって同じこと考えてるんだろう。もうここまできたら腹の探り合いしていてもしょうがない」
アルとレオの視線が絡んだ。どちらも国のため、聖女を譲るわけにはいかない。
「だね。でも、ここは一時休戦だ。とにかくノアを探そう」
「手分けするぞ。夜まで探して見つからなければ合流だ」
「わかった。合流地点は」
レオは少し考え、人波の向こう、小高い丘に建つ白亜の神殿群に目を向ける。
「……大神殿前の広場とか?」
アルが軽く笑った。
「大神官に追われているノアを探しているのに、めちゃくちゃ有りえない合流場所だな。でも面白いからいいよ」
雑踏の中、ノアを捜すべく二人は互いに
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