7 ブランデン王国皇太子 アルフレッド・フォン・シュトラスブルク


 ――ノアがラデウム西大門をくぐる、少し前。


 豪奢な四頭仕立ての馬車が、街道を北上していた。


 聖都ラデウムの西門から出てひたすら街道を西へ行くと、南北に走る太い街道に出る。ここを北に行けばブランデン王国、南へ行けばモーム王国へ行ける。


 西街道も南北の大街道も、見晴らしの良い平原の道だ。少し遠回りだし、途中には宿場町と称した関門がいくつかあるので旅費もかかるが、役人や隊商、貴族などが好んで使う安全ルートだった。


 馬車は前後をそれぞれ五組の騎士たちに守られ、かなりの速度で疾走していた。灰銀色の馬が引く漆黒の馬車には、ブランデン王国王家の紋章『有翼ゆうよくの一角獣』が刻まれている。


 その馬車のすぐ後ろを護衛する騎士が、隣の騎士に話しかけた。


「噂の聖女には会えなかったね」


 その呟きは馬蹄の響きにかき消され、常人には聞き取れない。しかし、隣の騎士は長年の経験によってを聞き逃さなかった。たくみに馬を駆り、話しかけてきた相手の馬とかぎりなく接近する。

 相手もまた馬の扱いが上手く、二人の騎士はぴたりと馬を並走させて疾駆しっくした。


「そう簡単には我らの前に出さないでしょう。なにせ、一度天に召されて再誕した奇跡の聖女様らしいですから」

「オルビオンの奥義おうぎ魔法か神の奇跡の誇大宣伝こだいせんでんか。いずれにしても胡散臭うさんくさいよね」

「そう、とっても胡散臭いです。我らがそう思っていることを悟られてなければいいのですが」

「大丈夫さ、トレス。あの御老体は五賢者の一人。五賢者といえば、我が国に派遣されている二人と同じく、古来より続く大神官の家柄。ガチガチのオルビオン体制派だ。聖女の奇跡を心から信じているのだろう。だからこそ、今まで隠してきた」

「でも、そのわりにあっさり我らの耳に入ってきましたよね、再誕聖女の噂……あ、そうでした、竪琴だ。竪琴の名手だという噂が伝わってきたのでしたね」

「そう。かの聖女はとても見事に竪琴を弾くらしい。神の音色とも言われているとか。――聞いてみたいものだ」


 主がぼそりと語尾に呟いた言葉をトレスはちゃんと拾った。


「今回、我が国が吟遊詩人伝承を持ち出したのはモームとの交易において優位に立つため。無論、我らは別世界の聖女が本当にいるなどとは信じておりません。それでもやはり気になりますか?」


 軽装の鎧とはいえ、革と金属で作られた頭部防具は目だけしか見えない。それでもトレスの気遣わしい様子は伝わってくる。


「貴方様の身体をむしばむ呪いが、竪琴の音色で和らぐのは存じております。もし再誕聖女が本当に別世界からきた聖女であれば、その竪琴の音色をもって本当に呪いを解くことも――」


 快活な笑い声がトレスの言葉をさえぎった。


「確かに竪琴の音色は忌まわしい呪いの苦痛を和らげてくれるが、竪琴で呪いが解けるなんて思ってないし、解こうとも思っていないよ」

「ですが」

「次期王として僕にはやらねばならないことが山積みだ。――だからこうするんだしね!」


 騎士は馬首をめぐらせ、列から外れた。トレスも同様にして騎士の後に続く。


 豪奢な漆黒の馬車は止まることなく、みるみる二人と距離を開けた。他の騎士たちは、何事もなかった様子で馬車を守って街道を西へと走っていく。


 馬車の隊列が小さくなるのを見送って、青年は翡翠色の双眸を細めた。


「ブランデン皇太子はオルビオンへの極秘訪問を終えて、無事に帰国しましたとさ」

「ちゃんと馬車にはダミーを乗せてありますから」

「ありがとう。それと、荷の準備もね」


 騎士は馬の横腹に下がる荷を軽く叩いた。旅慣れた者が見れば、その荷は長旅に耐えうる装備だとわかる。


「わがままな主を持つと大変なんです」

「おまえはいい宰相になる」

「宰相になど、なりたくありません」

「へえ? 切れ者なのに権力に無関心、金や女にもなびかないトレス君の望みを知りたいものだ」

「私の望みは、シュトラスブルク王家の呪いを解くこと。そして、狼男の影に怯えることのない玉座に貴方を座らせて差しあげることです――アルフレッド・フォン・シュトラスブルク殿下」


 漆黒の双眸が静かに、ブランデン王国の皇太子を――アルフレッド・フォン・シュトラスブルクを見つめる。

 その眼差しに皇太子は笑み返した。

 目元だけしか見えてなくても、じゅうぶんに美麗であることがわかる笑みだ。


「それは心強いね。でも僕が王になったら、トレスを宰相に指名するよ、ぜったい」

「でしたら今回の外交工作は絶対に成功させなくてはなりません。私のような若輩者が宰相になるには実績を作らないと。なんとしてでも聖女を我が国へ連れ帰らねばなりません」

「わかってるよ。だからこうして、オルビオンに残ったんだからね」


 アルフレッドは馬をゆっくりと歩かせる。トレスも隣に馬を寄せた。


「たぶん彼女は数日のうちに館を出る。あのオルビオン第一主義の老大神官がこのまま黙っているはずないからね。これまで奇跡と崇めていた聖女も、危険因子になったとたんに放りだすにちがいない」

「聖女も御気の毒ですねえ」

「追放か、自らの選択か、それはわからないけど、とにかく聖女はオルビオンを出ようとするだろう。そこを捕らえる」

「御意」


 アルフレッドは晴れた青空を見上げて、すっと上がった美しい眉を曇らせた。


「今夜は満月だ」

「痛み止めは持参しております。もっとも、気休めにしかならないかもしれませんが……」

「気休めでもあるだけありがたいさ」


 微笑み、アルフレッドは馬首を返した。


「急ごう。聖女がオルビオンを出る前になんとしても捕らえなくては」

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