8 モーム王国皇太子 レオナルド・デ・カスティーリャ


 アルフレッドが側近そっきんのトレスと共に、ひそかにオルビオンへ戻っている頃。

 聖都せいとラデウムの南の街道で、ちょっとした乱闘が起きていた。


「この馬車をどなたのものと心得るぅっ!」


 乱闘の先頭で暴れているのは――というか、ほとんどこの男しか暴れておらず乱闘の中心はこの男なのだが――一人の巨漢きょかんだ。


「モーム王国皇太子殿下の御使者が乘る馬車ぞ!! この馬車への狼藉は皇太子殿下への狼藉と同じこと!! 断じて許さん!!」


 巨漢は無茶苦茶な論理を叫び、神官兵たちの装飾用の槍を怪力で折り、馬車の後ろ姿に絶叫する。


「御使者殿ーっ、早くお行き下されーっ! ここはそれがし、モーム王国一の忠臣マルコスがお止めいたしますーっ!」


 巨漢がそう叫ぶよりも早く、馬車は乱闘など起きてないかのように颯爽さっそうとその場を走り去っており、深紅のキャリッジはすでに街道のはる彼方かなたである。


「貴様らぁっ、モーム王国皇太子殿下の御使者の馬車に狼藉ろうぜきを働いてタダで済むと思うなよ!」


 轟音ごうおんのような巨漢の叫びにオルビオン神官兵たちは震えあがった。狼藉を働いた覚えなど微塵みじんもなく、ただ馬車の隊列のかなり後方から見送りのために随走ずいそうしていただけだったからだ。


 聖都ラデウム南大門をくぐった途端とたんにブチ切れたこの巨漢は、周囲より頭一つ分大きい。岩のように筋骨隆々としており、信じられない怪力でオルビオンの神官兵の襟首えりくびをつかんで次々にぶん投げていく。


「ひ、ひいいいい!」


 神官兵たちは逃げ出した。

 しかし逃げ遅れた最後尾の哀れな神官兵がひとり、後ろから巨漢にむんずと襟首をつかまれる。


「ど、どうかお助けを! わ、私たちは御見送りの随走をせよとテオ大神官に命じられただけで、決して狼藉を働こうなどとは――」

「ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 震えあがっている神官兵に話しかけたのは、巨漢の後ろから現れた長身の青年だった。


 青年も一目で武人とわかるたたずまいをしているが、巨漢よりもずっと細く、思わずハッとするような端整な顔立ちをしていた。漆黒の長い髪を一つにまとめ、褐色の肌の中で水晶のような紫瞳しとうが鋭く輝いている。


「我らの貴国訪問と時を同じくして、たぶん、いやおそらくきっと、いや間違いなく、ブランデン王国からも使者が来ていたな?」

「そ、それは極秘事項ゆえ……神官兵たる者、神に誓って言えませんっ」

 巨漢がぎょろりと神官兵を睨みつけた。

「ではさらばだ」


 神官兵の襟首を掴んだまま巨漢が剣を抜く。

 神官兵はあわてて叫んだ。


「わーっ、待って待って待ってくださいっ。はいっその通りっ、ブランデンからの使者も来てましたですっ、はいっ!」

 青年と巨漢は視線を交わす。青年が口を開いた。

「ブランデン王国の用件は?」

「わ、わかりません。私のような下々の者はそこまでは……あっ、ほんとですって! ほんとに!」


 巨漢が再び剣に手をやったので神官兵は必死に言いつのったが、ふと首をかしげた。


「でも……テオ大神官が竪琴を出してたな」

「竪琴?」

「はあ、大神殿の地下に魔法の竪琴を保管している場所があって、ブランデン王国とモーム王国の訪問があった後、その場所に行かれるのを見たんです。でも、なんか人目をはばかっていたような……」

「どういうことだ」

「だ、だから知りませんって。私は下っ端も下っ端なんですから。もう勘弁してくださいよぉ」


 神官兵は泣きそうだ。


「仕方ねえ。もういいぞ」

 巨漢が襟首を話すと、神官兵はそそくさと馬に乗り、ラデウムに向かって一目散にいってしまった。

 巨漢は唾を吐きそうな勢いでその後ろ姿を睨みつける。


「まったく、オルビオンの神官兵など腰抜けばかりですな。兵と名付けるのもおこがましい」

「彼らはそもそも神官なのだ。平和なオルビオンに軍備は必要ないのだから仕方あるまい。それより」


 青年は呆れたように巨漢を見上げる。


「ちょっとやりすぎだぞマルコス。あんなにわざとらしいと偽装がバレる」

「は。申し訳ございません。馬車に人が乘っていると思わせるには、あれくらいやったほうがいいと思いまして」

「神官兵を投げ飛ばさなくてもいいだろう。まあいい。それより」


 青年は思案するように大きな紫瞳を細めた。


「テオ大神官が人目をはばかって竪琴を出したというのは、どういうことだろうか。ブランデンがオルビオンへ来た用件は我らと同じだと思うが」

「確か、くだんの聖女は竪琴の名手でしたな」

「ああ、竪琴の噂で聖女のことは耳に入ったのだから、間違いないと思うが」

「聖女に我らの前で演奏させるつもりだったんでしょうか」

「いや、だったら人目をはばからないだろう。あの大神官は少しもそんな素振りを見せなかったし。――聖女の竪琴なら、聞いてみたかったが」


 青年がぼそりと最後に言った言葉を、マルコスは聞き逃さなかった。即座に巨躯きょくを折って地面に片膝を付き、青年にこうべを垂れる。


「竪琴の音色は殿下の――レオナルド様のお苦しみを和らげる数少ない手段。聖女の演奏ともなればなおのこと、伝承の通り、レオナルド様を呪いから解き放ってくれるやもしれません。でしたらこのマルコス、身命をして聖女をお探しし、殿下の御前にお連れいたしますっ!」

「……お前が身命を賭さなくても、俺たちは一刻も早く聖女を捕えねばならんのだがな」


 マルコスの熱弁に冷静に対応しつつ、青年――モーム王国皇太子レオナルド・デ・カスティーリャは赤茶の馬に乗った。


「我らが今回、ほこりをかぶった吟遊詩人伝承なんぞを引っぱり出したのは、対オルビオン、ブランデン王国との外交カードにするためだ。異世界からきた聖女の噂は、ものすごい良いタイミングだったからな。別の世界からきた聖女が呪いを解くなんて、そんなの今どき子どもでも信じない夢物語に過ぎん」

「し、しかしっ。殿下を苦しめる呪いを解くものがあるならば、このマルコス、夢物語にも賭けとうございますっ」


 熱く語る側近に、レオナルドは愛ある苦笑をもらす。


「では早く馬に乗れ。今夜は満月だ。聖女を捕えるなら、夜になる前がいい」

「ははあっ。……ですが、聖女はあの大神殿の敷地内に住んでいると聞きましたが?」

「いや、聖女はおそらく、今日中にはラデウムを出るだろう」

「なんと!」

「なにしろオルビオンには時間がない。我が国もブランデンも立太子はもうすぐだし、その妃として聖女を差し出さねば我らモーム王国はオルビオンに攻め入ると宣戦布告したのだからな。そして、たぶんブランデンも同じことを言っただろう。どちらとも事を構えたくないなら、五賢者にして保守派のテオ大神官が選ぶ選択肢は一つ」

「聖女を追放する、と?」

「それが現時点では妥当だ。聖女を追放したうえで、裏工作に走る。どちらとも戦争にならぬように。それが信仰の国オルビオンのやり方だ」

「では、聖女は……」

「今頃、館を出た頃かもしれん。ラデウムからあまり離れないうちに捕えるぞ」

「ははあっ」


 手綱たづなを振り上げた主にマルコスも続く。

 風を切って疾走するレオナルドは、精悍せいかんな口のを上げた。


「異世界からきた聖女がどんなふうに出奔しゅっぽんしてくるのか――見物みものだな」



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