6 地味魔法の効能


(なっ、なんでなんで?! 今日一日猶予があるんじゃないの?!)


 ノアは荷袋を持ったまま窓際にそっと近付き、レースのカーテンの影から外をうかがう。

 館の正面に小型の馬車と、見張りの神官兵が一人見えた。

 あれに乗せてノアを大神殿に連れていくつもりなのだろう。


「なんなんです貴方たちは! 聖女様になんという無礼を!!」

 血管がブチ切れそうなアンナの怒鳴り声ともみ合う怒号どごうが聞こえる。


(よくわからないけどこれはヤバイ!!)


 荷袋を持ったままあたふたとして、ノアはふと、東側の小窓から見える木に目を留めた。

 大きなケヤキの木には、太いつたが絡まっている。


(あれを使おう)

 ノアは荷袋を担ぐと小窓を開け、額の聖印に意識を集中した。

 聖印が熱を帯びる。すると、ノアが会話したいと思っている対象――ケヤキの木がぼんやりと輝く。


『どうしたの、ノア』


 木が話しかけてくる。動植物と会話ができるという地味魔法が使えてよかったと、初めて心から思った瞬間だった。


「ケヤキさんお願い!助けてほしいの。館の正面にいる人たちに捕まらないように、うまやまで行きたいのよ」

『あの人たちからは、暴力の臭いがする。ノア、逃げたほうがいい』

「そうなの、だから逃げたいのよ。力を貸して?」

『お安い御用』


 瞬時に木が変形し、蔦が編みこまれ、巨大なかごができる。


『さあノア、これに乘って』

 ケヤキの木は大きく、厩の傍まで枝を張りだしている。厩までこの籠で運んでくれるというのだろう。

「助かるぅ!」


 籠に飛び乗ろうとして、ノアはふと窓際のチェストの上に置いてある竪琴に目を留めた。


(芸は身を助けるってね)


 異世界で習った馬術や剣術と同様、ハープもこの逃亡に役立つかもしれない。


(異世界の竪琴がコンパクトでよかったわー)

 前世、ノアが習っていたライアー・ハープと同様、この世界の竪琴は手に持てるサイズだ。抱えて演奏するため、しっかりとした革製の背負いひもが付いている。


 荷袋とハープを担いで、ノアはケヤキのかごに飛び乘った。


 ケヤキの木は風に揺れているようにゆっくりと動き、籠を厩の前まで動かしてそっと下ろしてくれた。


「ありがとう、ケヤキさん」

『気を付けてね、ノア』

 ケヤキの木は瞬時に籠を解き、また元の姿に戻った。


 ノアは素早く周囲をうかがい、厩に滑り込んだ。


 繋がれている馬たちが一斉に顔を上げて興奮していなないた。ノアはその魔法の能力のせいか、動物に好かれる。

「しーっ、ごめんねみんな、今はかまってあげられないんだ」

 ノアは真っすぐ通路を進み、栗毛の馬が繋がれた馬房ばぼうの前に立った。


「マロン、一緒に行こう?」

『ええけど、どこ行くんや』


 マロンはいつもなぜか関西弁だ。

 ノアが馬房に入っていくとうれしそうに鼻をすり寄せてくる。


「呪い調査だよ!」

『なんて?』

「ブランデン王国とモーム王国王家の呪いを調べるんだよ!」


 異世界ハッピーライフを奪ったモノの正体を見極めてやる――ノアはさっき、そう決めた。

 テオ大神官が神官兵を送りこんできたことで、それは揺るがない決心となった。


(だいたい呪いで王が狼男になるとか、そんな馬鹿な話ある? いや、異世界だからあるかもしれないけど……だったらそれなんとかするべきじゃない?!)


 魔法も呪いもない世界からきたノアにとって、呪われてそのまま放置はありえない。

(ていうか呪いを解く方法が別世界からきた聖女を妃にするって……一国いっこくあるじの呪いを解く方法として受け身すぎない? それ以外にも何か方法があるはずじゃない? 魔法が使える世界なんだからさ)


『まあなんやわからんけど、遠くに走るんは大歓迎やで。最近、身体なまっとったからな』


 マロンは喜々としてひづめで地面をかいている。ノアが飛び乗ると、マロンはすぐに走り出し、あっという間にスピードに乗り、館の門前で欠伸あくびをしていた見張りの神官兵の横を超高速で走り抜けた。

 ノアは肩越しにちらと振り返る。神官兵が唖然あぜんと見送る姿がどんどん遠ざかっていく。神官兵は、どうやらノアをノアだと気付かなかったようだ。


(まずはブランデン王国とモーム王国の呪いについて確かめなくちゃね)

 そう思案しつつ、ノアはぐんぐんマロンを走らせた。



◇◇◇



「テオ様、よろしかったのですか?」

 執務卓しつむたくにお茶を運んできた神官が、おずおずと尋ねた。

「何がじゃ」


 テオ大神官は一枚の小さな紙を凝視したまま言った。少し前、物見ものみの兵が持ってきたその紙をずっと睨んでいる。


「そ、その……聖女様を追放ではなく、幽閉すると。そのために連行せよと、神官兵を出すなど……」

「他に方法はない」

「ですが、先ほど聖女様がこちらにいらしたときは、今日一日の猶予ゆうよを与えると」

「他に方法はないと言っておるっ!」


 テオ大神官が大きく執務卓を叩いた。ティーカップが倒れて転がり、耳に痛い音を立てて割れた。


「ブランデンとモーム、どちらに攻め入られても困る! 派遣されている五賢者はいまや人質に取られておるようなもの! すべての責任がわしの肩に乗っかっとるのじゃ!」

「ははあっ、申しわけございません!」

「どちらかが味方についてもどちらかと戦争をするなら同じことじゃ! オルビオンは信仰の国。戦争をするようにできてはおらぬっ。戦争だけは断固阻止じゃ!」


 枯れ枝のような手が、持っていた紙片を丸めて神官に投げつけた。

 神官はおろおろとそれを拾い、広げて目を通し、瞠目どうもくした。


「これは……この物見の報告は……」


「どうやら両国共に間諜かんちょうを残したようじゃ。数は多くないようだが、どんな者なのか顔もわからぬし人数もはっきりしない。間諜がノアに接触するのは困る。どちらと接触しても戦争の火種になりかねん。即刻ノアを大神殿へ連れ戻し、閉じこめる必要があるのじゃ!」



◇◇◇



「なあ、今の、聖女様の通行証だったよな?」


 聖都ラデウム、西大門。

 守衛しゅえいを務める神官兵たちは、一人の華奢な剣士を見送りつつ首を傾げた。


「聖女様は馬術をたしなむらしいぞ。おしのびで遠乗りかもしれん」

「大神殿でのお勤めは大変だろうからな。気晴らしなんだろう」

「それにしても、勇ましいというか……別人だよな。通行証がなかったら聖女様だって誰も気付かないよな」

 神官兵たちは敬礼して、あっという間に遠ざかる騎影きえいを見送った。


――西大門の神官兵たちがテオ大神官に大目玉を喰らうのは、それから数時間後である。


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