選択

@gorigorilla

第1話

人は誰しもが選択の中で生きている。


例えば、目の前に重たそうに荷物を持った老人が歩道橋を登っている姿を見て

貴方ならどう思い、行動するか。


行動の前に必ず未来を想像し、何が最善手なのか思考を巡らせ、

手を差し伸べる者もいれば見向きもしない者もいるだろう。

手助けのつもりがお節介だと怒られるのではないか。

自分が手伝わなくても誰かがしてくれるだろう。

手伝っただけでとても感謝された。


こう言った想像と行動は今までの経験があって可能にした可能性であり、幾度も選択の壁を乗り越え成長していくのが人生だとも言えるだろう。

そんな私も今、1つの選択を選び成長しようとしている。



AM8:31

いつも通り会社に向かうため、満員電車に駆け込む。

四方八方に僕と同じように出社するであろう大人達が息苦しそうに箱詰めにされている。

満員のせいか、いつもこの時間帯は遅延が起こるので多くの人が流れ込んできて、体が潰れるぐらい人でいっぱいだ。

もちろん腕の一本も動かせないほどにパンパンだ。


そんな僕の目の前に1人の女子高生がとても辛そうな顔をしながら押し潰されていた。

大きな三つ編みをした長い髪。学生らしい石鹸のほのかな香り。大人達から自分を守るように鞄を抱きしめ、少し背を丸める華奢な体。

そんな弱々しい彼女も満員のせいで全く身動きが出来ないようだ。

ここは少しでも僕が身を引き、スペースを作ってゆとりを作ってあげたいところだが、そんな事が出来るはずもないぐらいパンパンだ。

腕の一本も動かせないのだから。

腕?

腕を意識した際に布越しに人に触れている感触を感じた僕はふと思う。

「これはもしや女子高生の…」

いや、ここで不可抗力だとしても意識をしてはいけないと僕の経験が物語っていた。


以前から満員電車のこの時間帯に起こる遅延の理由はいくつかある。

1つは痴漢だ。

ストレス社会の中で身を置く者として、スリルや快楽を求めるのは理解出来る。

だが、他人を巻き込んで、多くの人に迷惑をかけてまでする事なのかと常々電車に乗るたびに考えてしまう。

後、人としてどうかしている。


次に人身事故だ。

ストレスを多く抱えた人で溢れかえる現代社会。

どうしようもなくなって飛び込んでしまう人も少なからずいる。

こちらも前者と同じく、多くの人に迷惑をかけてしまうのでなるべく避けていただきたい。

そこまでストレスをかけてしまう現代社会にも問題はあると思うので、飛び込む人が悪いと一方的には責められないが、やめていただきたい。


後は体調不良だ。

満員電車では酸素が薄くなり、温度も上昇するので体調を崩す人が多々いる。

現に僕自身、身体のいたる所を知らない人の肩や肘でボコボコに殴られている状態だ。

すでに内臓が潰れているのではないかと思うほどに人に押し潰されている。

こう言った数々のトラブルで常日頃、この満員電車を作り上げているのだ。


そんな僕も1番犯してはいけない痴漢を正に実行中なのかもしれない。

まだ手に触れているものが女子高生の一部とは限らない。

なんとか手を引き抜いてこの場を離れたいものだが、この人壁に挟まれた状態。

脱出は容易ではない。

次の停車駅で人が降りれば多少は体勢を立て直せるはずだ。

そこまで指一本動かさず、僕も人壁の一部として息を殺していよう。


「まもなく〇〇駅〜〇〇駅〜」

救いの手の如く、アナウンスが車内を駆け巡る。

車内の人達もやっとかと少し安堵した顔をし始めた。

目の前の女子高生もほっとした顔をしている。

僕も痴漢と勘違いされなくてすみそうだと少し気が緩んだ。



この時、気の緩みが僕の大きな選択となるとはまだ思ってもいなかった。


到着と同時に人が雪崩の様に出ていき、また押し寄せる。

その数秒の間に安全地帯となる、壁に背を預けられる所に避難する。

さっきまで押し潰されていた僕の内臓たちは本来あるべき位置に戻ると同時に下腹部に違和感を感じた。

決して痴漢にあっているのではない。


便意だ。


僕は毎日電車の中の戦争に、安息の地を探しながら出勤している。

こんな便意1つでまたいつ来るか分からない電車を待つなんて出来ない。

ましてや、背中を預けられる壁という相棒を捨ててまで便意を優先なんて出来なかった。


走り出す電車。

先程と何ら変わらない満員状態で僕は人知れず戦っていた。


そう。お腹の中で戦争が起きていたのだ。


さっきまでは取るに足らん存在だと思っていたのに、急に世界大戦が起きていた。

昨日何を食べたか。飲みすぎたか。などお腹を下す原因を考え絶えず考え、

なぜこうなったのか。なぜさっき降りなかったのか。と後悔をし続けた。

次の駅まで2〜3分ほどしかないのに新幹線に乗っている様な長距離に感じ、冷や汗が止まらない。

いや、新幹線ならまだトイレがある。むしろ急行に乗っているが正しい。

頼むから早く着いてくれ。もう我慢の限界だ。

そんな祈りが届いたのか、アナウンスが車内に鳴り響く。


「急停車いたします。皆様お気をつけください。」

大きな揺れとともに急停車する電車。

それと同じく車内の人々が先頭車両に向けて大きく揺れる。

もちろん僕の内臓たちも大きく揺れ動き、さらなる便意が襲いかかった。

…なんなら少し出そうだった。


「線路内に人が立ち入り…」

ま、まさか飛び込みか。

そう思った瞬間、「線路内に人が入る」は痴漢があった時の隠語だとどこかのサイトで見た事を思い出した。

こっちは車内の人に迷惑がかからない様に、人知れず戦っているのにどこぞの馬鹿が何をしてくれているんだと、怒りが込み上げてきていた。


だが、怒りよりも僕の肛門の方が先に限界を迎えようとしている。

電車が止まっているならいっその事、ドアを開けて出させて欲しい。

僕のドアが開いて爆弾が出そうなんだ。

それぐらいギリギリな状態を後どれぐらい待たなくてはいけないのか。

緊急時は尚更、時間の進みがおかしく感じる。

楽しく遊んでいる時は時間が早く過ぎる様に感じ、仕事や嫌な事は時間の進みが遅く感じる。

子供の時は時間なんて忘れるぐらい公園で鬼ごっこや、川遊びをしたな。

よく帰りが遅くなって親に叱られてたよ。


…待てよ。これは走馬灯じゃないか?

何で昔の事を思い出してる?もしや限界なのか。

僕の肛門はもう終わるのか?

あぁ…もう色々なモノを失うんだ。

そう悟ったその時、希望の光が差した。


「点検が終了したため、発車いたします。」

すでに限界だがやっと動き出す電車。

発車してからの経過時間を考えると後1〜2分程で次の駅へと辿り着く。

トイレまでの道のりを考え、3分耐えれば何とか間に合う。

そう希望を持ち、次の駅に到着する。



内股になりながら駆け足で電車を降りる。

もう遅刻は免れないだろうが、社会的地位は何とか守り抜けた。

駅構内の上部を見渡し、トイレマークを探しては案内の方向へ急ぐ。

朝の通勤ラッシュのせいか人が多く、どこもかしこも迷路の様になっているが、人波を掻き分けなんとかたどり着いたトイレ。

激痛が快感へと変わる開放的な時間まで後少し。

お年寄りが多目的トイレへと入る所を横目に僕は男性用トイレと駆け込む。

スーツ姿の男性達が横並びに窓の外を眺め、手を洗う人、鏡を使って身だしなみを整える人と多くの男性が集うトイレ。


やっとの思いでたどり着いたそこには絶望が待っていた。



全ての個室が埋まっている。




あなたならこんな時どんな選択を取りますか?

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