第37話



*********




朱音のいる奥の部屋のドアに視線を向け、真央はそわそわとしていた。


もう少しで念願のブレスレットを手に入れられる。


学校では有名な洋館に住むあの美しい男性を見たその夜、真央は人を好きになって眠れなくなるという経験をして、いつか少しでも彼と話すことが出来たのならと夢見ていた。


親友にはそんなのはアイドルオタクみたいなものだと呆れられたけれど、その親友が一番自分を心配してこんなことにまで付き合ってくれる。


隣で眠そうにあくびをした親友、絵里を見て真央はくすっと笑う。


今日受け取るインカローズのブレスレットをつけて、今日は会えなくても諦めずにいつもよく顔を出しているというあのカフェに行って声をかけよう。


怒りっぽいのにとても優しい親友が、褒めてくれるに違いない。


そんなことを真央は思って嬉しさに頬が緩む。



「どうしたの?」



「ううん。絵里ちゃん、いつもありがとうね」



「何、急に」



絵里の言葉に真央が答えると、絵里が不思議そうな顔をした。



バタン!!という大きな音に絵里と真央が同時に奥のドアを見ると、鞄を持った朱音が走ってきた。



「逃げて!!」



もしかしたらさっきいた女に二人が捕らわれているのではと心配したが、女はなぜかそこにはおらず、椅子に二人は座ったまま朱音を見る。


だが朱音の必死の形相と声を目の前にしても、二人は訳がわからず不思議そうに朱音を見ているだけ。


朱音が振り向けばとてもゆっくりとあの女が歩いてきて、朱音は二人の手を掴むと入り口に引っ張った。



「あの、一体」



「ドア開けて!!」



絵里の戸惑った声に、朱音は焦りながら声を荒らげる。


だがそれが二人には朱音に不信感を抱かせ、絵里は朱音の手を振り払った。



「私達、まだブレスレット受け取ってないので」



嫌そうに言われ、朱音はどう説明したら納得してもらえるのか混乱する。


ぎゅ、と背後から手首を掴まれ、朱音は心臓が止まりそうになった。



「待て」



女から低い男の声が聞こえたことに、絵里と真央は顔をゆっくりと見合わせた。



「逃げて!!」



再度朱音が声を上げると、絵里が真央の手を引っ張りドアを開けて走り出した。


絵里と真央もその声にゾッとしたのだ。


真央はすぐに動けなかったが、運動神経の良い絵里がすぐに動いた。条件反射に近かったかもしれない。


鞄と真央の手を掴み薄暗い廊下を突っ切り階段を駆け下りる。


薄暗さと階段が降りにくくて思わず踏み外しそうになったのを絵里は耐えてビルの外に出て振り返った。


真央は硬直した顔で息を切らせている。


二人はビルの外から朱音を待つべきかもっと逃げるべきか迷っていた。




*********




朱音は必死に女の手から逃れようとその手を押しのけようとするのに、無表情の女はじっと朱音を見ている。


その女が口を開こうとしたとき、女の手に突然現れた犬が大きな口で噛みついた。


女の声で、きゃぁ!と朱音から手を離した後、また無表情な顔に変わる。


朱音は自分の前に突然現れた大型犬に驚いていた。


コリーのような長い鼻、艶やかな長い毛と長い尻尾、大きな黒目。


牙を剥き、低い声で唸りながら威嚇するように前の女を見ている。


その犬が朱音を見上げると、まるで誘うように朱音の横を走りドアに向かうと振り向いて朱音を見た。


朱音もつられるように走り出しドアを出て、廊下を抜け階段降りながら踊り場を抜けると既にあの犬はいなかったが朱音は必死に一階に向かい駆け下りた。


ビルから飛び出せば、二人がビルの外で待っていることに朱音は驚く。


てっきりもっと早くに逃げているかと思っていた。


朱音は後ろも振り向かず二人の手を掴むと走り出す。


今すぐにここから離れなくてはいけない。この二人を守らなくてはならない。


それだけが朱音を突き動かし中華街の中に入って走っていたが、段々どこを走っているのかわからなくなり足も重くなって立ち止まってしまった。



「ここ・・・・・・」



朱音が首を動かしすぐ横を見れば階段が見え、そこを見上げれば煌々とした明かりに照らされたきらびやかな門があり、多くの人がその上の場所で礼拝している。



「関帝廟ですよね」



真央が答えると、絵里が困惑した顔で、



「多分ぐるっと回っただけであんまりあのビルから離れてないかも」



朱音はその言葉に焦りながら必死に考えて、まずは二人をあの洋館に、冬真さんの元へ連れて行けば安全だと思うがここからかなり距離がある。


その間にあの訳のわからないものに追いつかれたらきっと次は逃げられない。



「警察に連絡した方が」



真央が両手を胸元にもったまま答えれば、やっと朱音はスマートフォンで連絡することを思い出し、慌てて鞄からスマートフォンを出せば着信画面にアレクという文字が光っていて朱音は震えている指で画面にふれすぐに耳に当てる。



「私の言うように進んで下さい」



ただそれだけ言ったアレクに、うん、と朱音は答え、



「今から私の後ろについてきて」



と絵里と真央に言うと、二人が頷き急いで人混みを進む。


大通りに出ると見慣れた黒い車が走ってきて朱音の目の前でブレーキをかけると、運転席の窓が開く。



「朱音様」



アレクの顔を見た途端朱音安心して膝が抜けそうになるのを必死にこらえ、後部座席のドアを開け二人を乗せてドアを閉めると、朱音は助手席に乗り込みすぐに車は走り出した。



「朱音様と学生二名を無事保護しました。


・・・・・・はい、承知いたしました」



アレクは右耳にあるブルートゥースイヤホンで冬真からの指示に答えた。



朱音は正面を見たまま、今さっきまで自分に起きたことを思い返し怖さに身震いしそうになる。


本当は手も震えているし、顔もおそらく強ばっているのを自覚していた朱音は、振り返って後部座席の二人に声をかける余裕が無かった。


車は坂を上がり、気が付けばいつものメイン通りを走ってとある学校の入り口について守衛とアレクは簡単に言葉を交わすと門が動き、車は中に入る。


学校の入り口には女性が三名ほど立ってアレクの車を待っていて、車がその前に停まりアレクが降りようとしたので朱音もシートベルトをはずそうとしたらアレクに手で止められた。



「外に出ないで下さい」



「あのね、あの子達、冬真さんに」



何とか二人がインカローズのブレスレットを欲しがった理由を伝えようと朱音はしたのだが、アレクは視線をそらし何も言わずに運転席を降りた。


後部座席のドアをあけアレクが降りるように促せば、朱音はやっと振り返って二人を見ると不安そうな顔をしている。


朱音はその二人にかける言葉が出てこなかった。


絵里と真央もそうなのか、何も言わずに車から降りると、女性二人が二人の背中に手をかけて明るい建物の中に入らせ、アレクは年配の女性と少し話していたが、その女性が深々とアレクに頭を下げるとアレクが車に戻る。


そしてすぐに車は動き出し、最後まで残っていた年配の女性も建物に入っていくのを朱音は見ると、今度は無表情で運転するアレクに声をかけた。



「冬真さんに伝えたいことがあるの」



「洋館に戻ります」



「冬真さんがいるの?」



その質問にアレクは答えず、そんなに時間もかからずに見慣れた駐車場に着くと、アレクはエンジンを止め車を降りると朱音もすぐに車を降りた。


アレクが洋館の方に視線を向けたので冬真が来たのかと朱音が見れば、健人が急いだように洋館から出てきて朱音の隣に来る。



「では」



「あぁ」



アレクは健人に向かってそう言うと健人もわかったようにそれだけ答え、アレクは洋館に入るわけでも歩道に行くわけでも無く、何故か駐車場から暗い裏庭の方に走ってそのまま見えなくなった。


裏庭の先は何も無く、朱音は何故そこにアレクが走って行ったのかわからず困惑する。



「朱音」



聞いたこともないかたい声に朱音は驚いたように顔を上げれば、健人が真面目な顔で朱音を見ている。



「家に入れ」



「あの」



「まずは入れ」



有無も言わせない健人の声に朱音は戸惑った後洋館に入れば、まるで逃げないように後ろをついていた健人が洋館のドアを閉め鍵をかけるが、朱音は玄関から上がらず健人を見上げた。



「腹が減っただろ」



そんなことを健人は言うがいつもの明るい笑みは無く、朱音はさっき起きたことを伝えなくてはと焦りながら話しかける。



「冬真さんに伝えないといけないことがあるんです!


冬真さんはどこですか?」



「お前の魔術師秘書とやらの仕事は終わったんだ。


だから飯食って風呂入って寝ろ」



そう言ってロビーを歩き出した健人を朱音は慌てて追いかける。



「中華街近くのビルでおかしな事が起きたんです!


女性から男性の声が聞こえて、あの、インカローズのブレスレットが」



「朱音」



必死に大きな背中に声をかけていたが、健人は振り返り朱音の名前を呼ぶ。



「冬真は全てわかってる。


後はプロに任せるんだ。もう俺たちの出る幕は無い」



「でも!」



「・・・・・・例えばお前が病院のビラ配りをして、患者を見つけて病院に知らせたとする。


そんなお前に手術が出来るのか?」



淡々と話す健人に、朱音は思わず抗議の声を上げた。



「そんなの、今回のこととは違います!


きっと危ないことが起きてるんです!だから」



「だからだ」



健人は興奮している朱音に静かな声で返した。



「だから俺たち普通の人間が入り込んではいけないんだ。


元々は冬真が巻き込んだことでお前がそう思うのは無理も無い。


だけどプロがここからはお前に関わらないようにさせたんだ。


危険な目にあったのなら余計にお前はこれ以上関わってはいけない」



そう言われても、朱音はどうしても冬真の元へ、せめて話がしたくて仕方が無い。


そんな朱音を健人は真っ直ぐにその必死な瞳を受け止める。



「冬真に、朱音さんを頼みますと言われたんだ。


これ以上お前が勝手に動けばあいつが心配するぞ?」



優しく健人が言えば朱音の目が見開いた後俯いて、はい、と自分に言い聞かせるように小さく答えた。


それを聞いて健人は安堵したと共に、おそらく朱音の中での冬真が相当大きな存在となったことを悟る。


冬真の今の目的が『彼女』に関わることなのか、それともただ朱音という存在が魔術師として便利だからなのか。


出来ればあの冬真であっても、朱音を苦しめないで欲しい。


きっとそれは冬真に返ってくる、『彼女』の時と同じように。


健人はそんなことを思い、俯いたままの朱音に声をかけて明るいリビングへ誘った。



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